Fate/Grand Order -Rewrite Conditions- ~月の先輩、箱庭の僕、そして盾の後輩~   作:りー037

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【3節】 箱庭の技術者、炎の玉座にて因果を結ぶ

■ 2015年 7月某日 / 人理継続保障機関カルデア・第48個人居室

 

 

致死の質量が、暗闇の中で音を立てて二人の頭上へ降り注いだ。

 

中央管制室の爆発によって物理的な構造条件が破綻し、数トンに及ぶコンクリートの天井が重力という絶対的な法則に従って崩落してくる。その絶望的な光景を前にして、ロマニ・アーキマンの網膜はただ死の影を映し出し、彼の喉は声にならない悲鳴を上げるべく硬直していた。

 

 

だが、その隣に立つ夕月碧の体感時間は、極限まで引き延ばされていた。

 

左腕に刻まれた外部演算補助型魔術刻印、高次魔術演算《アークキャスト・プロセッサ》の第一機能である超加速思考《Cognitive Acceleration》が自動起動している。コンマ数秒が永遠のように引き伸ばされた泥沼の主観時間の中で、碧の瞳は落下してくる瓦礫の体積、密度、落下速度、そして自分とロマニを押し潰すまでの猶予を、極めて冷徹な数値として算出していた。

 

 

「――演算完了。対象の物理特性を再定義する」

 

 

碧の唇から、感情の一切合切を切り捨てた無機質な呪文(コード)が紡がれる。

 

彼の体内に宿る38本の魔術回路が、激しい熱を帯びて青白い魔力の光を放った。通常の魔術師であれば、魔力による物理防壁を展開し、力と力の衝突によって瓦礫を弾き飛ばそうとするだろう。しかし、夕月家の魔術は「現象」ではなく「構造」に触れる。

 

 

碧の足先が床を軽く叩く。それを起点として、地属性の固有基礎式、質量定義式《ジオ・マトリクス》が展開された。

 

空中に不可視の演算領域が広がり、落下してくる巨大なコンクリート塊の「硬度」と「結合構造」の条件式を強制的に書き換える。自然界ではあり得ないレベルの脆さを付与された瓦礫は、自らが持つ落下時の空気抵抗と重力加速度に耐えきれず、空中でボロボロと砂塵のように崩壊を始めた。

 

 

しかし、それだけでは足りない。砂と化したとはいえ、数トンの質量が降り注げば人間は窒息死する。

 

碧は息を吸い込む間すら惜しみ、即座に次の術式を並列駆動させた。

 

 

「風属性応用術式、圧力場再構築《エアロ・フィールド》」

 

 

碧とロマニの頭上に、不可視の「圧力の傘」が形成される。空間の圧力構造そのものを再設計し、碧たちの周囲の気圧を異常なまでに高めることで、崩壊したコンクリートの砂塵と小石を物理的に弾き飛ばす「空間側の条件」を構築したのだ。

 

 

 

 

ドドドォォォォンッ!!

 

 

 

 

 

激しい轟音と共に、周囲の床がひしゃげ、もうもうたる土煙が部屋を包み込んだ。

 

碧の展開した圧力障壁のすぐ外側には、部屋の大部分を押し潰した瓦礫の山が形成されている。だが、碧とロマニが立つ半径一メートルほどの空間だけは、奇跡のように無傷で保たれていた。

 

 

「……っ! げほっ、ごほっ! た、助かった……のか?」

 

 

ロマニが膝をつき、喉に詰まった埃を吐き出しながら咳き込んだ。彼は震える手で自身の身体をまさぐり、四肢が繋がっていることを確認して信じられないような目で碧を見上げた。

 

「……一時的な延命に過ぎません。この区画の構造式は完全に破綻している。いつ二次崩落が起きてもおかしくない。ドクター、すぐに第二ゲートへ退避を」

 

 

碧は、自らの左腕の熱を逃がしながら冷淡に告げた。

 

だが、ロマニは首を横に振った。彼の瞳には、先ほどまでの間の抜けたケーキ食いの面影はなく、カルデアの医療部門責任者としての悲痛な覚悟が宿っていた。

 

「駄目だ! 僕は管制室に向かう! あそこには所長が……それに、多くのスタッフや君たちマスター候補生がいる! 医者である僕が逃げるわけにはいかない!」

 

「非合理的です。先ほどのモニターの映像から推測するに、中央管制室の生存確率は1パーセント未満。貴方が向かったところで死体を増やすだけだ。生き残った者が避難し、後日体制を立て直すのが『人類の未来』とやらを救う最適解のはずです」

 

 

碧の言葉は、氷のように冷たく、そして正論だった。

 

世界を条件式として捉える碧にとって、致死率99パーセントの爆心地へ丸腰で飛び込むなど、自殺志願者のバグでしかない。彼自身も、最短ルートでこの施設から脱出するための演算を既に開始していた。

 

 

(――そうだ。逃げるのが最適解だ。僕がこの命を賭してまで、彼らを救う義理はない)

 

 

碧は踵を返し、崩壊した扉の隙間から通路へと出ようとした。

 

 

だが。

 

『マシュ・キリエライト。彼女は先ほど、あの管制室へと戻っていった』

 

 

不意に、自身の脳内のキャッシュ領域から、つい先ほど記録したばかりの「情報」がノイズのように浮上した。

 

 

 

 

――外の世界からいらっしゃった候補生の方々は、私にとって未知を教えてくださる『先達(先輩)』のように思えるのです。

 

 

――先輩からは、とても穏やかなものを感じます。一緒に歩いていて、とても静かな気持ちになれるんです。

 

 

 

その不器用で真っ直ぐな瞳。感情の起伏が薄いながらも、必死に人間らしくあろうとする彼女の在り方。

 

それは、かつて箱庭という地獄で「夕月家の最高傑作(デバイス)」として作られた自分に対し、当たり前を、日常と温かさを教えてくれた日本の後輩の姿と、致命的なまでに重なっていた。

 

 

(……こんな時、彼女ならどうする? 角隈さんなら、あの心優しい少女を、見捨てて逃げることを良しとするか?)

 

 

その一瞬の思考は、夕月碧という完成された魔術師にとって、かつてないほどの巨大なエラーだった。

 

合理性が崩れ落ちる。最適解が書き換わる。生存への執着よりも、あの薄紫色の髪の少女が息絶える光景を「許容できない」という、極めて非論理的な感情の熱が、彼の回路を焼き焦がした。

 

 

「……夕月くん?」

 

立ち止まった碧の背中を見て、ロマニが不思議そうに声をかけた。

 

 

 

次の瞬間、碧はロマニの方を一切振り返らず、ただ一言だけを言い放った。

 

「貴方は逃げてください、ドクター。足手まといだ」

 

 

「えっ? ちょっと、君はどこへ――」

 

 

ロマニの制止を完全に無視し、碧は崩壊した通路へと飛び出した。

 

彼の体内を、基礎魔術、元素式強化《エレメンタル・リインフォース》が駆け巡る。火属性の強化モードへと思考を切り替え、自身の反応速度、瞬発力、そして筋肉の収縮率の条件式を「爆発的な機動力」へと書き換える。

 

 

 

ドンッ! という衝撃音と共に、碧の身体が弾丸のように白亜の通路を駆け抜けた。

 

崩れ落ちてくる天井のパネル、ひしゃげた隔壁、噴き出す高圧の蒸気。碧はそれらを速度を緩めることなく、踊るように躱していく。避けきれない巨大な瓦礫は、風属性の突風生成《ガスト・インパルス》で軌道を逸らし、立ちはだかる炎は圧力差で酸欠状態にして一時的に鎮火する。

 

息をするように魔術を紡ぎ、ただ最短最速で地獄の底へと向かう。

 

 

 

頭の中は冷え切っているのに、胸の奥だけが異常な熱を持っていた。この矛盾した状態こそが、夕月碧が初めて「人間としての意志」で魔術を行使している証左であった。

 

 

 

 

 

 

■ 中央管制室(爆心地)

 

 

重厚な扉はひしゃげ、半ば溶け落ちていた。

 

その隙間から管制室へと足を踏み入れた瞬間、碧の肺を焼けるような熱気と有毒ガスが満たした。

 

 

「――っ」

 

 

碧は咄嗟に風属性の魔術を展開し、自身の周囲に新鮮な空気の層を維持する。

 

眼前に広がるのは、文字通りの焦熱地獄だった。人類の希望であったはずの擬似地球環境モデル《カルデアス》は、禍々しい赤色に染まって明滅し、制御不能の暴走状態に陥っている。無数にあったコンソールは原形を留めず、床には焼け焦げた肉の臭いと、鉄の溶ける匂いが充満していた。

 

 

「あ、あぁ……たすけ、て……」

 

 

「熱い……いやだ……っ」

 

 

炎の向こう側から、瀕死のスタッフやマスター候補生たちのうめき声が微かに聞こえてくる。

 

通常の人間であれば、その阿鼻叫喚を前に立ち竦み、手当たり次第に救助を試みるだろう。

 

 

だが、夕月碧は違う。彼は己の目的を達成するためならば、他者の命を切り捨てることに何の躊躇いも持たない。

 

 

(――元素式解析《エレメンタル・アナライズ》、生命構造スキャン開始)

 

 

碧の網膜に、管制室内の「生命の条件式」がホログラムのように浮かび上がる。

 

多数の減衰していく生命反応。その中から、彼は特定の波形――通路で邂逅した際、あえて解析を打ち切った、あの「いびつで強固な生命構造」のコードだけを抽出するためのフィルタリングを実行した。

 

 

 

ノイズを弾く。

 

悲鳴を無視する。

 

ただ一つの目的変数のためだけに、極限の冷徹さで演算を回す。

 

 

(……いない。ここにも、ない。……いた!)

 

 

カルデアスの足元、ひときわ大きく崩落した高架プラットフォームの下。

 

そこに、微弱だが確かな、あの少女の魔力波形を捕捉した。

 

碧は炎を蹴散らし、足元の死体を冷徹に飛び越えながら、真っ直ぐにその場所へと向かった。

 

 

瓦礫の山。その隙間に、彼女はいた。

 

マシュ・キリエライト。

 

彼女の華奢な下半身は、数トンはあるだろう巨大な金属のフレームに完全に押し潰されていた。白い制服は血と煤にまみれ、短い薄紫色の髪は床に広がる自身の血溜まりに浸かっている。

 

 

誰の目から見ても、それは「手遅れ」の光景だった。

 

 

「マシュ……!」

 

 

碧は彼女の傍らに膝をつき、即座に水属性の強化モードによる治癒魔術を展開した。

 

元素式強化《エレメンタル・リインフォース》の水属性モード。彼女の細胞分裂の速度、血小板の凝固条件、そして魔力による生命維持の条件式を強制的に書き換え、これ以上の命の流出を押し留める。碧の手から溢れる青く澄んだ光が、マシュの身体を包み込んだ。

 

 

「……あ、せん、ぱい……?」

 

 

マシュの虚ろな瞳が、ゆっくりと碧を捉えた。

 

大量の出血により、彼女の視界はすでに白濁しているはずだった。だが、目の前にいるのが、「先輩」であることは認識できたようだ。

 

 

「喋らなくていい。今、この瓦礫の質量を再定義して取り除く。その後、細胞の再生条件を――」

 

 

「だめ、です……」

 

 

マシュは、血に濡れた指先を僅かに動かし、碧の袖を掴んだ。

 

それは、拒絶だった。

 

「私のことは、いいですから……先輩は、逃げて、ください……。ここは、もうすぐ……隔壁が、閉まり……」

 

「馬鹿なことを言うな。僕の演算に、君を見捨てるという選択肢はない」

 

「先輩は……優しい、ですね……。でも……私の体は、もう、半分……」

 

 

マシュの言葉は、残酷な現実を突きつけていた。

 

碧の《解析》も、それを肯定している。彼女の腰から下は、物理的に「修復不可能」な状態まで破壊されている。夕月家の魔術は条件を書き換えるものであり、無から肉体を創造する『魔法』ではない。

 

このまま瓦礫をどければ、止血の条件式が追いつかず、彼女は数秒で死ぬ。

 

「……っ」

 

 

碧はギリッと奥歯を噛み締めた。

 

常に最適解を出し続けてきた彼の頭脳が、生まれて初めて「解なし」という絶望に直面していた。

 

どうすればいい。どうすれば、この少女の命を繋ぎ止められる? 自分の刻印を移植するか? いや、僕のいびつな刻印と適合しない。ならば、周囲の炎の熱量を変換して彼女の生命力に――。

 

 

 

 

ガコンッ!!!

 

 

 

 

その時、無慈悲な重低音が管制室に響いた。

 

退避のための猶予時間が終了したのだ。中央区画と外部を隔てる分厚い隔壁が、火災の延焼を防ぐために完全に閉鎖された。

 

もう、誰もこの部屋から出ることはできない。

 

 

 

『――システム音声、異常を検知』

 

 

 

炎の爆ぜる音に混じって、カルデアのシステムアナウンスが、ひどく平板な声で室内に響き始めた。

 

 

 

『コフィン内のマスターのバイタル、基準値に達していません』

 

 

『レイシフト定員に達していません。該当マスターを検索中………………発見しました』

 

 

 

コフィン。それは、候補生たちが特異点へと転送されるための霊子カプセルだ。

 

だが、そのカプセルに入るはずだった候補生たちは皆、この瓦礫の下で息絶えている。

 

システムは、この管制室内に残存する「レイシフト適性を持つ生命体」を機械的にスキャンし、一つの解を導き出した。

 

 

『適応番号48 夕月碧 をマスターとして 再設定 します』

 

 

『アンサモンプログラム スタート。霊子変換を開始 します』

 

 

碧の足元に、青白い魔法陣のような光が展開され始めた。

 

レイシフト。人間を霊子(情報)へと変換し、過去の時代へと転送するシステム。

 

もし、このまま自分が情報化されてしまえば、物理的にこの空間に干渉することができなくなる。マシュを助ける手段が、完全に絶たれてしまう。

 

 

「……くそっ! 待て、キャンセルだ! 《アークキャスト・プロセッサ》、トリスメギストスのコマンドに割り込め!」

 

 

碧は叫びながら、自身の刻印を最大出力で稼働させ、カルデアのシステムそのものへのハッキングを試みた。だが、人類の英知を結集した超巨大演算装置のメインプロセスを、たった一個人の刻印で止めることなど不可能だ。

 

碧の足先から徐々に、肉体が光の粒子(霊子)へと分解され始めていた。

 

 

「せん、ぱい……」

 

 

マシュの声がした。

 

彼女は、自身の痛みを押し殺し、死にゆく者の静かで安らかな笑みを浮かべていた。

 

 

「どうか……手を、握ってもらって、いいですか?」

 

 

その願いは、あまりにもささやかで、あまりにも残酷だった。

 

冷たい一人きりの死を前にして、彼女が求めたのは、魔術による救済でも、生存の可能性でもなく、ただ「人間の温もり」だった。

 

 

碧の思考が、一瞬だけ真っ白に漂白された。

 

世界を条件式として捉え、感情を不純物として切り捨ててきた彼が。

 

今、目の前で消えゆこうとしている一つの命の重さに、為す術もなく打ちのめされている。

 

 

「……あぁ。もちろんだ」

 

 

碧は、自身の震えを悟られないように、ひざまずいて彼女の右手を両手で包み込んだ。

 

マシュの指先は氷のように冷たかった。碧は自身の魔力を《熱量増幅式》へと変換し、彼女の手に少しでも温もりが伝わるように、静かに、そして優しく魔力を流し込んだ。

 

 

 

 

『――レイシフト開始まで、3、2、1』

 

 

 

 

アナウンスがカウントダウンを刻む。

 

マシュが、嬉しそうに目を細めた。

 

「ありがとうございます、先輩。……先輩の温かさ、忘れません……」

 

 

 

 

『全工程 完了(クリア)。ファーストオーダー 実証を 開始 します』

 

 

 

 

碧の視界を、圧倒的な光の奔流が飲み込んだ。

 

炎の赤も、瓦礫の黒も、そしてマシュ・キリエライトの薄紫色の髪も、すべてが純白の閃光の中に溶け落ちていく。

 

手を握る感触だけが、最後に残った。

 

そして、その感触すらも情報として分解され、夕月碧の意識は、果てなき時空の彼方へと強制的に転送されていった――。

 

 

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