Fate/Grand Order -Rewrite Conditions- ~月の先輩、箱庭の僕、そして盾の後輩~   作:りー037

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炎上汚染都市・冬木
【1節】炎上汚染都市、空から降る技術者と未知の影


■ A.D.2004 / 炎上汚染都市 冬木・上空

 

 

肉体が光の粒子(霊子)へと分解され、時空の果てへと転送される感覚。

 

それは、夕月碧という魔術師にとって、自らの存在を構成する「条件式」が一度完全に白紙化され、別の座標で再構築(コンパイル)されるという、極めておぞましくも興味深い体験だった。

 

 

視覚、聴覚、嗅覚、触覚。あらゆる五感が情報の大海に溶け落ち、自己と世界の境界線が消失する。

 

だが、その絶対的な虚無の中でただ一つ、右の手のひらに残る「冷たくて、微かに震えていた少女の指先の感触」だけが、碧の意識を現世へと繋ぎ止めるアンカーとして機能していた。

 

 

(――マシュ……)

 

 

その名を意識の深淵で反芻した瞬間。

 

真っ白に漂白されていた世界が、唐突に、暴力的なまでの色彩と轟音をもって碧の五感を殴りつけた。

 

 

「――――ッ!!」

 

 

鼓膜を破らんばかりの風の咆哮。

 

肺を内側から焼き焦がすような、濃密で暴力的な熱気。

 

そして、全身の血液が頭へと逆流するような、凄まじい重力の牙。

 

碧の意識が急速に浮上する。瞳孔が収縮し、網膜が現在の状況を強制的に視覚情報として脳へ送り込んだ。

 

 

 

 

彼は、空にいた。

 

いや、より正確に記述するならば、「遥か上空から、地面に向かって自由落下している真っ最中」であった。

 

 

眼下に広がるのは、見渡す限りの紅蓮の海だった。

 

近代的なビル群、住宅街、アスファルトの道路。それらすべてが、赤黒い炎に包まれ、黒煙を吐き出している。夜の闇を焼き尽くすほどの業火が、街全体を飲み込んでいた。

 

 

(――ここはどこだ。何が起きた?)

 

 

猛烈な風圧に顔を歪めながらも、碧の脳内では左腕の魔術刻印、高次魔術演算《アークキャスト・プロセッサ》が、すでに第一機能である超加速思考《Cognitive Acceleration》を起動させていた。

 

パニックに陥る猶予はない。恐怖という感情は、生存のための演算においてはノイズでしかない。

 

主観時間が極限まで引き延ばされる中、碧は極めて冷静に現状を分析し始めた。

 

 

 

第一に、座標の確認。

 

カルデアのシステムアナウンスは、レイシフトの直前に『A.D.2004 』と告げていた。ならば、眼下の地獄は2004年の日本のどこかということになる。

 

 

第二に、同行者の有無。

 

空中で姿勢を制御し、360度の視界を確保する。周囲には黒煙と火の粉が舞うばかりで、他の人間の姿はない。自分は一人だ。マシュの姿もない。

 

 

(あのまま、瓦礫の下で炎に飲まれたのか。それとも、別の座標へ転送されたのか……)

 

 

胸の奥が、ギリッと嫌な音を立てて軋んだ。

 

あの不器用な少女を自分は救えなかったのかという後悔。

 

だが、碧はその非論理的な感情を、強靭な意志の力で一時的にキャッシュ領域の奥底へと封印した。今ここで思考を乱せば、数秒後には自分自身が地面に激突して肉片に変わる。

 

 

(――演算開始。現在高度、およそ800メートル。落下速度、毎秒約50メートル。地表激突までの猶予、約14秒。着地地点の選定と、落下エネルギーの減衰条件を構築する)

 

 

眼下の炎上する街の中で、一つだけ、比較的炎の手が回っていない暗い区画があった。小高い山の上に建てられた、古めかしい寺院のような建造物。あそこなら、着地地点としての条件を満たしている。

 

碧は空中で身体を丸め、空気抵抗を意図的に操作して落下軌道をその山へと修正していく。

 

地表が猛烈な速度で迫ってくる。700メートル、500メートル、300メートル。

 

 

 

「――起動」

 

 

 

高度100メートルを切った瞬間、碧の体内で38本の五重螺旋構造《ペンタスパイラル・サーキット》が爆発的な熱を帯びた。

 

 

彼が展開したのは、二つの基礎式の並列起動だ。

 

「風属性基礎式、《圧力差演算式》(エアロ・デルタ)。下方の気圧を極大まで上昇」

 

「地属性基礎式、《質量定義式》(ジオ・マトリクス)。自身の質量と慣性法則を再定義」

 

 

碧の直下の空気が、魔力によって不自然なほどに圧縮され、目に見えない「分厚い空気のクッション」を形成する。同時に、碧自身の肉体の質量が一時的に羽毛のように軽く書き換えられ、落下エネルギーそのものが魔術的に相殺された。

 

 

 

ドッ……!!

 

 

 

 

空気の層に激突した碧の身体が、強烈な反発力によって急減速する。

 

それでも殺しきれなかった運動エネルギーが、着地の瞬間に足元へと逃げた。

 

 

 

 

バキィィィンッ!!

 

 

 

 

碧の両足が寺院の石畳を捉えた瞬間、分厚い石の板がクレーター状に粉砕され、周囲に土埃と石の破片が散弾のように飛び散った。

 

「……っ、ふぅ」

 

碧は膝のクッションで衝撃を完全に逃がし、ゆっくりと立ち上がった。

 

完璧な着地。魔力消費は最低限。骨にも筋肉にも異常はない。夕月家の魔術師の面目躍如といったところだが、彼に喜ぶような感情はない。

 

 

「さて……ここは、どこだ」

 

 

碧は服についた埃を払いながら、周囲を観察した。

 

静かだ。眼下の街からは炎の爆ぜる音と建物の倒壊音が聞こえてくるが、この小高い山の上にある寺院――山門の表札には辛うじて『柳洞寺』と読み取れる――の境内には、奇妙なほどの静寂が支配していた。

 

 

(――元素式解析《エレメンタル・アナライズ》。大気中の成分、および魔力流の構造スキャン)

 

 

視界がモノクロームに変質し、空間の情報が数値化される。

 

解析結果を見た碧は、微かに眉をひそめた。

 

 

「なんだ、この異常な空間は」

 

 

大気中に充満するマナ(大源の魔力)の濃度が、2015年の現代とは比較にならないほど濃い。いや、濃いだけではない。質が異常だ。ジメジメとした、泥のように重く、肌にへばりつくような不快な魔力の残滓。それは魔術師の行使するクリーンな魔力ではなく、怨念や死といった「呪い」の条件式に近いものだった。

 

「どう見ても、ただの火災や自然災害じゃない。魔術的、あるいはそれ以上の超常的な現象によって、この街の法則(ルール)が根底から書き換えられている」

 

 

碧は寺院の境内を歩きながら、今後の行動指針(アルゴリズム)を組み立てる。

 

現状、カルデアとの通信は途絶している。自分が何故この時代に呼ばれたのか、何をすべきなのか、ミッションの目的すら不明だ。

 

 

(マシュ……彼女は、無事なのだろうか)

 

 

再び、瓦礫の下で下半身を潰されていた彼女の姿が脳裏をよぎる。

 

「先輩」と呼んでくれた声。最後に握った手の冷たさ。

 

もし彼女もレイシフトに巻き込まれていたのなら、あの重傷のままこの地獄のどこかに放り出されているということになる。生存確率は絶望的だ。

 

「……いや。考えても無意味だ。僕が今すべきことは、情報を収集し、生存のための拠点を確立することだ」

 

 

碧は自らの感情の揺らぎを冷徹に切り捨て、山門を抜けて石段を下り始めた。

 

まずは、街へ降りる。この異常な空間の「法則」を理解し、敵対存在がいるのならその条件式を解析しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

■ 炎の街・市街地

 

 

石段を降りきった碧を待っていたのは、肌を焼くような熱気と、噎せ返るような黒煙だった。

 

街は完全に機能停止していた。電柱は倒れ、車はひしゃげて炎上し、アスファルトは高熱によってドロドロに融解している。

 

だが、碧が最も異常だと感じたのは「人間の不在」だった。

 

これほどの規模の災害が起きているにもかかわらず、逃げ惑う人々の姿はおろか、死体一つ、血痕一つ見当たらないのだ。まるで、街に住んでいた人間だけが最初から「存在しなかった」かのように、命の痕跡が綺麗に消え失せている。

 

 

「情報層への干渉……人間の存在という条件式そのものが、街から削除されているのか?」

 

 

碧は呟きながら、炎を避けて路地裏を進む。

 

《アークキャスト・プロセッサ》の並列演算網《Parallel Cognition》を常に稼働させ、半径50メートル以内の熱量変化と魔力流の乱れをレーダーのように監視し続けていた。

 

 

しばらく進むと、炎の延焼を奇跡的に免れている大通りに出た。

 

そこには、ガラス窓が割れ、薄暗い店内が露出したコンビニエンスストアがあった。

 

碧は迷うことなく、その店内へと足を踏み入れた。

 

自動ドアはひしゃげ、入店を知らせるチャイムは鳴らない。

 

碧は棚の間を抜け、目的のコーナーへと一直線に向かった。

 

彼が手に取ったのは、無造作に散乱していた『カロリーメイト』の箱だった。

 

燃え盛る地獄の中で、彼は極めて事務的に、チョコレート味とフルーツ味をバランス良く数箱選び、自分のポケットと上着の内側に詰め込んでいく。さらに、ペットボトルの水を数本確保した。

 

「重さ、体積、保存期間、そしてカロリーへの変換効率。携帯食料としてはこれが最適解だ。弁当や惣菜は腐敗の条件式が進行している可能性が高い」

 

 

何気ない、あまりにも日常的な動作。

 

角隈さんと一緒に学校帰りに買い食いをした記憶が、ふと脳裏を掠める。あの時は、効率など度外視して、ただ彼女が「これが美味しいんですよ」と笑って差し出した甘い炭酸飲料を飲んだ。

 

あの穏やかな日々から、自分はどれほど遠くに来てしまったのだろうか。

 

「……感傷は不要だ。今はただ、生存率を上げる変数を集めるだけだ」

 

碧は小さく息を吐き、物資の確保を終えて店外へと歩き出した。

 

割れたガラスの扉を抜け、アスファルトの道路に足を踏み出した、その瞬間。

 

 

 

 

ピキッ、と。

 

 

左腕の魔術刻印が、凍りつくような冷たい警告(アラート)を発した。

 

碧の《プレディクティブ・アナリシス》が、空間の条件式の急激な破綻を検知したのだ。

 

 

(――来る)

 

 

気圧の変化。マナの密度の異常な偏り。そして、圧倒的で純粋な「殺意」の条件式。

 

それは、背後の暗がりの奥から、音もなく碧の命を刈り取るために放たれた。

 

 

ただの人間ではない。魔術師ですらない。

 

人理の定礎を狂わせる、得体の知れない『何か』。その直感が、碧の背筋を凍らせた。

 

 

 

碧は歩みを止めず、振り返りもしなかった。

 

まるで何も気づいていない哀れな生存者を演じながら、体内では全開で魔力回路を回し、次の一手の演算を終えていた。

 

 

 

ヒュンッ!!

 

 

空気を裂く鋭い風切り音。

 

それは、投擲武器だった。音速に迫る速度で、碧の心臓を背後から正確に貫こうと飛来する。

 

 

直撃するコンマ1秒前。

 

碧の姿が、揺らいだ。

 

 

「――風属性中級固有術式、《圧力場再構築》(エアロ・フィールド)・局所展開」

 

 

碧の背中から数センチの距離に、極めて高密度な「断層」のような圧力の壁が出現する。

 

黒いナイフは、その圧力の壁に触れた瞬間、運動エネルギーの条件を狂わされて軌道をわずかに逸らされた。

 

同時に、碧の肉体が最小限の動きで横にスライドする。

 

黒いナイフは、碧の上着の布地を僅かに掠め、そのまま前方のコンクリートの壁に深々と突き刺さった。ズドォォンッ!という爆発音と共に、壁がクレーター状に粉砕され、黒い呪いが周囲の物質を腐食していく。

 

「……物理法則を無視した運動エネルギーに、物質を崩壊させる呪いの付与。なるほど、やはりこれは『現象』ではなく『概念』の攻撃か」

 

 

碧はゆっくりと振り返った。

 

彼の瞳からは、表面上の穏やかさが完全に消え失せている。

 

冷徹な演算装置としての本来の顔。世界の条件式を書き換える技術者としての、絶対的な零度の眼差し。

 

 

暗がりの奥で、ズルリ、と『それ』が動いた。

 

人間の形をしているが、人間ではない。黒い泥と影で構成された、亡霊のような存在――シャドウサーヴァント。

 

 

「情報収集のサンプルとしては、申し訳ないが少し物騒すぎるね」

 

 

碧の十指の先で、火と風の複合術式を構成するための魔力が、青白い火花を散らしてパチパチと弾けた。

 

未知の敵対存在。マシュの安否。カルデアの崩壊。

 

無数の未定義変数(エラー)に囲まれた炎上汚染都市で、夕月碧の『人類最後のマスター』としての最初の戦いが、今、静かに幕を開けた。

 

 

 

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