藤崎詩織は、伝説の木の外に立つ   作:エーアイ

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13話に合わせてこちらもリライトしています。


藤崎詩織は、冬の自分を思い出す

 大学二年の十二月。

 街は、どこも少しだけ浮かれていた。

 駅前の並木には小さな灯りが巻きつけられ、ショーウィンドウには赤と緑の飾りが並んでいる。

 カフェからは甘い匂いが流れ、道を歩く人たちは、いつもより少しだけ足取りが軽い。

 クリスマスシーズン。

 高校生の頃なら、その響きだけで、どこか落ち着かない気持ちになったかもしれない。

 けれど今の藤崎詩織は、そういう季節の空気を、少し離れたところから眺められるようになっていた。

 大学の講義を終え、図書館で借りた本をバッグに入れて、詩織は駅前のイルミネーションの下を歩いていた。

 白い息が、夜の空気に溶ける。

 冷たい風が頬を撫でた。

 

 「……もう、そんな季節なんだ」

 

 小さく呟いた声は、人混みの中に消えた。

 大学二年の冬。

 高校を卒業してから、もうすぐ二年が経とうとしている。

 きらめき高校の制服を着ていた自分は、少しずつ遠い存在になっていた。

 大学生活にも慣れた。

 講義も、友人関係も、自分なりのリズムができた。

 完璧でいようとしすぎなくても、日々は意外と回っていく。

 誰かに憧れられることだけが、自分の価値ではない。

 そう思える日も増えた。

 大学二年に上がる前の春。

 詩織は、きらめき高校の伝説の木を見に行った。

 そこでようやく認めた。

 自分は、幼馴染の少年を好きだったのだと。

 好きだった。

 その過去形の言葉を、自分の中に置いた。

 彼を取り戻したいわけではない。

 今の二人を壊したいわけでもない。

 彼に何かを伝えたいわけでもない。

 あれは、自分の中で名前を持てずに残っていた感情へ、遅れて与えた言葉だった。

 過去形でしか言えなかった恋。

 でも、言えたことで少しだけ前に進めた恋。

 それ以来、詩織は少し変わった。

 劇的に変わったわけではない。

 誰かに突然積極的になったわけでもない。

 過去を完全に忘れたわけでもない。

 ただ、自分の胸の奥にある痛みを、以前ほど怖がらなくなった。

 あの痛みは、なかったことにしなくていい。

 そう思えるようになった。

 それでも。

 冬の夜だけは、少しだけ記憶が近くなる。

 イルミネーションの光を見ていると、高校二年生の冬を思い出す。

 まだ自分の気持ちを何もわかっていなかった頃。

 心の中で、何かが膨らんでいたのに。

 それが何なのか、見ようとしなかった頃。

 

 詩織は駅前のカフェに入った。

 窓際の席に座り、温かい紅茶を注文する。

 ガラスの向こうでは、恋人らしい二人組がイルミネーションの前で写真を撮っていた。

 女の子が笑い、男の子が少し照れながらスマートフォンを構える。

 その姿を見ても、今の詩織は穏やかでいられた。

 胸が少しだけ揺れないわけではない。

 けれど、それはもう鋭い痛みではなかった。

 遠い記憶に指先が触れるような、静かな感覚だった。

 詩織は、湯気の立つ紅茶に視線を落とした。

 高校二年の冬の自分なら、きっとこんなふうには眺められなかっただろう。

 当時の詩織は、自分では冷静なつもりだった。

 彼が誰かと付き合っていることも、理解しているつもりだった。

 彼女が彼に近づいた。

 彼はその手を取った。

 自分は何も言っていない。

 だから、何もおかしくない。

 頭では、そう並べることができた。

 けれど、心はまったく追いついていなかった。

 

 高校二年の冬。

 あの頃の詩織は、彼と彼女が並んで歩いている姿を見るたびに、胸の奥が小さく痛んだ。

 教室の前。

 昇降口。

 放課後の廊下。

 校門の近く。

 二人が特別に何かを見せつけていたわけではない。

 むしろ、二人は自然だった。

 自然に話して、自然に笑って、自然に並んでいた。

 それだけだった。

 でも、その自然さが、詩織には苦しかった。

 彼女は、彼の隣にいることに慣れていた。

 彼も、彼女が隣にいることに慣れていた。

 その事実が、詩織の心をじわじわと削った。

 あの頃の詩織は、たぶん怒っていた。

 けれど、誰に怒っているのかがわからなかった。

 彼に怒るのは違う。

 彼女に怒るのも違う。

 二人は何も悪くない。

 だから、怒りの向け先がなくなった。

 向け先を失った感情は、詩織の中で膨らんでいった。

 まるで、行き場のない爆弾みたいに。

 ゲームの中なら、それはきっと誰かに向けられるものなのだろう。

 放っておかれた不満として、相手にぶつけられるものなのだろう。

 でも現実の詩織は、そんなふうにはできなかった。

 

 「どうして私を見ないの」

 

 そんなことは言えない。

 

 「前は私のことを好きだったのに」

 

 そんなことは、もっと言えない。

 

 「その子じゃなくて、私を見て」

 

 言えるはずがなかった。

 なぜなら、詩織自身が彼に何も言っていなかったから。

 彼が自分を好きでいてくれた時間に、応えなかったから。

 彼が成長していく途中で、隣に立とうとしなかったから。

 何もしていない自分に、何かを求める権利などない。

 そうわかっていた。

 わかっていたからこそ、苦しかった。

 誰かを責められない感情は、自分に向かう。

 そのことを、今の詩織は知っている。

 高校二年の冬の自分は、まさにそうだった。

 心の爆弾は、外には向かわなかった。

 誰かを傷つける代わりに、自分の内側で膨らんでいった。

 彼と彼女が笑っている。

 そのたびに、胸の奥で小さな火花が散る。

 彼が彼女に優しくする。

 そのたびに、自分の中の何かが焦げる。

 彼女が彼の名前を呼ぶ。

 そのたびに、昔の自分だけが置いていかれる。

 でも、表情には出さない。

 藤崎詩織は、いつも通りに笑う。

 成績優秀で、品行方正で、誰にでも優しい。

 そんな自分を崩さない。

 崩せない。

 だから、傷は見えないところに溜まっていった。

 

 「……あの頃の私は、ずいぶん不器用だったんだね」

 

 詩織は、紅茶のカップに視線を落として呟いた。

 湯気が、淡く揺れている。

 高校二年の冬の自分は、きっと自分の心情を理解していなかった。

 理解しようとしていなかった、と言った方が正しいのかもしれない。

 彼のことが好きなのか。

 ただ、自分を好きでいてくれた人を失ったのが悔しいだけなのか。

 彼女に嫉妬しているのか。

 自分の傲慢さが痛いのか。

 何が本当の感情なのか、わからなかった。

 だから詩織は、全部を曖昧にした。

 曖昧にしたまま、いつも通りに過ごした。

 でも、曖昧にした感情は消えない。

 むしろ、名前を与えられないまま、心の底で膨らんでいく。

 当時の詩織は、それを「疲れているだけ」だと思おうとした。

 勉強のこと。

 成績のこと。

 進路のこと。

 周囲からの期待。

 いろいろな理由を並べれば、自分の不安定さを説明できる気がした。

 けれど本当は、もっと単純だった。

 彼が、誰かの隣にいるのがつらかった。

 その誰かが、自分ではないことがつらかった。

 そして、そのつらさを感じる資格が自分にはないと思うことが、もっとつらかった。

 

 高校二年の冬。

 クリスマスが近づく頃、学校全体が少し浮き立っていた。

 誰と過ごすのか。

 どこへ行くのか。

 プレゼントはどうするのか。

 そんな話題が、教室のあちこちで聞こえた。

 詩織は、いつものように聞き流していた。

 自分には関係ないことだと思っていた。

 けれど、彼女が友人たちと楽しそうに話しているのを見た時。

 今年は、彼と一緒に出かけるんだ。

 そんな言葉が聞こえた時。

 詩織の胸の中で、何かが小さく音を立てた。

 彼とクリスマスを過ごす。

 それは、本来なら自分には関係のないことだった。

 彼女は恋人なのだから、当然だった。

 それなのに、詩織はその言葉を聞いた日、なぜか勉強に集中できなかった。

 帰宅して机に向かっても、問題文が頭に入らなかった。

 窓の外は寒く、街灯の光がぼんやり滲んでいた。

 詩織はシャープペンシルを握ったまま、何度も同じ行を読んだ。

 そして、ふと思った。

 もし、自分が何かしていたら。

 もし、高校一年の頃に少しだけでも彼へ近づいていたら。

 もし、縁日の夜に「私も一緒にやる」と言っていたら。

 もし、彼がまだ自分の方を見ていた時に、その視線をちゃんと受け止めていたら。

 クリスマスに彼の隣にいたのは、自分だったのだろうか。

 そこまで考えて、詩織はすぐにその思考を打ち消した。

 馬鹿みたい。

 そんなことを考えても意味がない。

 彼はもう彼女と付き合っている。

 自分は何も言っていない。

 それで終わり。

 そうやって、蓋をした。

 けれど蓋をした感情は、また別の日に顔を出す。

 彼が彼女と下校する姿を見た日。

 彼女が彼のために何かを選んでいるのを知った日。

 彼が彼女に向けて、少し困ったように笑っていた日。

 そのたびに、心の奥で小さな爆発が起きた。

 誰にも見えない爆発。

 誰にも聞こえない爆発。

 それはたぶん、詩織自身を少しずつ傷つけていた。

 ただし、その頃の爆弾はまだ破裂していなかった。

 胸の奥に種が落ちて、少しずつ熱を持ちはじめていただけだった。

 クリスマスの約束を聞いた教室。

 金魚すくいの水面。

 雨の日の傘。

 それらが、ひとつずつ心の中に積もっていった。

 詩織は気づかないふりをした。

 気づかなければ、何も始まらないと思っていた。

 でも、気づかないふりをしても、終わるわけではなかった。

 今ならわかる。

 あれは嫉妬だった。

 喪失感だった。

 未練だった。

 そして、恋だった。

 でも当時の詩織は、そのどれも認められなかった。

 認めてしまえば、自分が何もしなかったことを直視しなければならない。

 自分が彼の好意に甘えていたことを認めなければならない。

 自分が彼を幼馴染という言葉の中に置いたまま、何も選ばなかったことを認めなければならない。

 だから、心の爆弾は膨らんでいても、その正体を見なかった。

 ただ痛いだけ。

 なぜ痛いのかは、見ない。

 そんな状態だった。

 カフェの窓の外で、雪のようなものがちらついた。

 本物の雪ではない。

 イルミネーションの演出で、白い小さな紙片が風に舞っているだけだった。

 それでも、詩織はしばらく見つめていた。

 高校二年の冬の自分に、今なら何と言うだろう。

 詩織は考えた。

 大丈夫だよ。

 そう言うのは、少し違う気がした。

 あの頃の自分は、確かに大丈夫ではなかった。

 平気なふりをしていただけで、心の中ではちゃんと傷ついていた。

 忘れなさい。

 それも違う。

 忘れられるほど軽い感情ではなかった。

 彼を諦めなさい。

 それも、当時の詩織には届かなかっただろう。

 そもそも自分が彼を好きだと認めていなかったのだから、諦めることもできなかった。

 では、何と言えばいいのだろう。

 詩織は、カップを両手で包んだ。

 温かさが指先に移る。

 そして、静かに思った。

 

 ――痛い理由を、ちゃんと見てあげて。

 

 たぶん、それだけでよかった。

 高校二年の冬の詩織に必要だったのは、正解ではない。

 彼を奪い返す方法でもない。

 彼女に勝つ方法でもない。

 ただ、自分の痛みに名前をつけることだった。

 私は寂しい。

 私は悔しい。

 私は嫉妬している。

 私は彼を失ったと思っている。

 私は、彼が好きだったのかもしれない。

 そう認めるだけで、心の爆弾は少し違う形になったはずだ。

 爆発して自分を傷つけるものではなく、自分の本音を知らせる信号になったはずだ。

 でも、あの頃の詩織にはそれができなかった。

 藤崎詩織として正しくあることに、慣れすぎていた。

 醜い感情を持つ自分を許せなかった。

 嫉妬する自分も。

 後悔する自分も。

 何も言っていないのに苦しむ自分も。

 全部、見たくなかった。

 だから、余計に苦しんだ。

 

 「……かわいそうだったんだね、あの頃の私」

 

 その言葉は、思ったより自然に出た。

 責める言葉ではなかった。

 呆れる言葉でもなかった。

 ただ、少し遅れて自分に向けた、優しい言葉だった。

 高校二年の冬の詩織は、身勝手だった。

 彼の好意を当たり前のように扱っておきながら、彼が誰かの隣にいると傷ついた。

 自分から何もしなかったのに、置いていかれたような顔をした。

 その身勝手さは、今でも消えない事実だ。

 でも。

 身勝手だったからといって、痛みが嘘だったわけではない。

 未熟だったからといって、苦しみをなかったことにしなくていい。

 あの頃の詩織は、自分の感情の扱い方を知らなかっただけだ。

 恋を、自分から選ぶものとして知らなかっただけだ。

 好意を向けられることと、誰かを好きになることの違いを、まだ理解していなかっただけだ。

 そう思えた時、詩織の胸にあった古い痛みが、少しだけやわらいだ。

 春に伝説の木の前で、詩織は区切りをつけた。

 好きだった。

 そう言って、あの恋を過去にした。

 そして今、冬の街で思う。

 あれは過去になった。

 けれど、過去になったからこそ、見つめ直せることがある。

 あの頃の自分は、なぜあんなに苦しかったのか。

 なぜ爆弾みたいに心が膨らんでいたのか。

 なぜ誰も責められないのに、自分だけが傷ついていたのか。

 答えは、もうわかっている。

 詩織は恋をしていた。

 でも、恋だと認めなかった。

 彼を欲しいと思っていた。

 でも、欲しいと言えるほど自分から動かなかった。

 自分が選ばれる側でいることに慣れていて、自分から選ぶ勇気を持てなかった。

 その矛盾が、詩織の中で膨らんでいた。

 そして高校三年の冬。

 卒業後の約束を聞いた廊下で、その爆弾は静かに破裂した。

 受験が終わったら行こう。

 春になったら。

 連絡、ちゃんとしてね。

 約束。

 二人の未来が、高校生活の外へ続いていくことを知った時。

 詩織の中で、もう押し込めきれなくなったものがあった。

 それでも、詩織は誰にも何も言わなかった。

 彼にも。

 彼女にも。

 友人にも。

 家族にも。

 ただいつも通りに笑って、いつも通りに勉強して、いつも通りに学校へ行った。

 その裏で、自分だけが傷ついていた。

 それが、あの爆弾の破裂だった。

 誰にも聞こえない音で。

 誰にも見えない場所で。

 自分だけを傷つけるように。

 とても単純で。

 とても未熟で。

 とても人間らしいことだった。

 窓の外の恋人たちが、笑いながら歩いていく。

 詩織はその姿を、穏やかに見送った。

 彼と彼女も、きっとどこかでこんな冬を過ごしたのだろう。

 クリスマスの予定を立てたり。

 プレゼントを選んだり。

 寒いねと言いながら、同じ道を歩いたり。

 そう想像すると、少しだけ胸に触れるものはあった。

 けれど、もう刺さらなかった。

 今の詩織は知っている。

 二人の幸せは、詩織を否定するものではない。

 二人が続いているかどうかを確かめなくても、あの日の選択の重さは変わらない。

 彼女は彼を選んだ。

 彼は彼女の言葉を受け取った。

 その事実は、詩織を傷つけるためにあるものではない。

 ただ、二人がそれぞれの気持ちを大切にした結果だった。

 それは、尊いことだ。

 そして、自分ができなかったことでもある。

 だからこそ、今の詩織はそこから学べる。

 

 「私は、次に進んでいるんだよね」

 

 詩織は、自分に確認するように呟いた。

 吹っ切れていないわけではない。

 未練に戻ったわけでもない。

 ただ、過去の自分を理解しようとしているだけ。

 心の傷を、なかったことにするのではなく、きちんと見つめているだけ。

 それは、後ろ向きではない。

 むしろ、前に進むために必要なことだった。

 

 大学二年の冬。

 詩織はもう、あの日の少女ではない。

 けれど、あの日の少女を置き去りにはしない。

 

 高校二年の冬、心の中に小さな爆弾の種を抱えた自分。

 

 高校三年の冬、誰にも言えず、誰も責められず、ただ完璧な笑顔の下でそれを破裂させてしまった自分。

 

 その自分に、今なら寄り添える。

 あなたは恋をしていたんだよ。

 でも、それを認めるのが怖かったんだよ。

 だから苦しかったんだよ。

 そう言ってあげられる。

 

 詩織は紅茶を飲み干し、席を立った。

 外へ出ると、冷たい空気が頬に触れた。

 街の灯りは、相変わらず華やかだった。

 クリスマスソングがどこかの店から流れている。

 誰かの笑い声が聞こえる。

 冬の夜は、少し寂しくて、少し優しい。

 詩織は駅へ向かって歩き出した。

 足取りは落ち着いていた。

 高校二年の冬のように、胸の奥で爆弾が膨らむことはもうない。

 高校三年の冬のように、誰にも見えない場所で破裂することもない。

 あの爆弾は、高校二年の冬に生まれた。

 クリスマスの約束を聞いた教室で、胸の奥に小さな火種として残った。

 そして高校三年の冬、卒業後の約束を聞いた廊下で、静かに破裂した。

 誰にも聞こえない音で。

 誰にも見えない場所で。

 自分だけを傷つけるように。

 そして今夜、意味を得た。

 あれは、自分の醜さだけではなかった。

 あれは、自分の弱さだけでもなかった。

 あれは、遅れて届いた恋の痛みだった。

 自分の気持ちを知らなかった少女が、自分を傷つけながら出していた、小さな悲鳴だった。

 そう思えた時、詩織はようやく、あの冬の自分を許せた気がした。

 高校二年の教室で、胸の奥に小さな爆弾の種を抱えた自分も。

 高校三年の廊下で、その爆弾を破裂させてしまった自分も。

 駅前の大きなツリーの前で、詩織は一度だけ足を止めた。

 金色の光が、夜の中で静かに瞬いている。

 かつての自分なら、その光の下に誰かと立つ未来を、条件や理想で測っていたかもしれない。

 けれど今は違う。

 いつか誰かを好きになるなら。

 その人を、今のまま見たい。

 未完成なら、未完成のまま。

 迷っているなら、迷っている姿も含めて。

 自分の基準に届くかどうかではなく、その人自身を見たい。

 そして、自分の気持ちも遅れすぎる前に見つめたい。

 好きだった、ではなく。

 好きです、と言えるうちに。

 詩織は小さく息を吐いた。

 白い息が、冬の空へ消える。

 もう、彼への恋は終わっている。

 でも、その恋が教えてくれたものは、終わっていない。

 それはこれからの詩織の中で、静かに生きていく。

 

 高校二年の冬の自分も。

 

 高校三年の卒業前の自分も。

 

 卒業式の日の自分も。

 

 大学一年の春の自分も。

 

 すべてを抱えて、今の詩織がいる。

 藤崎詩織は、ツリーに背を向けて歩き出した。

 イルミネーションの光が、後ろから彼女の影を淡く伸ばす。

 その影はもう、過去に縛られてはいなかった。

 ただ、過去を連れて、前へ進んでいた。

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