Nocturne Reaper   作:Spica@お星

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火の檻

シオンは、孤児院の食堂で帰りを待っていた。

 

食卓には、まだ皿が並んでいる。

 

ナギの分。ミナの分。ロロの分。エルの分。トウリの分。そして、蒼星の分。

 

温かかったはずのスープは、もう湯気を失っていた。焼きたてのパンは布をかけられたまま冷え、子供たちが戻ってきた時にすぐ身体を拭けるように用意した毛布だけが、やけに整った形で椅子の背に掛けられている。

 

シオンはそれを見て、何度目か分からない深呼吸をした。

 

戻ってくる。

 

そう信じている。

 

蒼星なら、きっと連れて帰ってくる。ナギたちも、きっと戻ってくる。あの子たちは怖がりながらも、蒼星に教えられたことを覚えているはずだ。危ないと思ったら引き返す。見るべきものを見ろ。分かるものを数えろ。

 

だから、大丈夫。

 

そう思おうとしているのに、胸の奥はずっと冷たかった。

 

「先生」

 

孤児院の扉の近くにいた町の女が、不安そうに声をかけた。

 

「まだ、戻りませんか」

「……はい」

 

シオンは静かに答えた。

 

「でも、準備だけはしておきましょう。怪我をしているかもしれません。温かい水と、包帯と、回復薬を」

「回復薬は、もうほとんど……」

「薄めて使えるものは薄めます。重い傷から順に。軽い傷は洗浄と圧迫で止めます」

 

自分の声が、思ったより落ち着いていることに気づく。

 

ハイプリーストとして、何度も負傷者を見てきた。泣く暇がない場所も、迷う暇がない場所もあった。目の前に痛む人がいる時、まず必要なのは祈りではない。手順だ。誰から見るか。どの傷が危険か。何を後回しにできるか。

 

けれど、今待っているのは知らない誰かではない。

 

ナギたちだった。

 

食堂の窓の外では、町の人々が落ち着かない様子で行き来している。蒼星が子供たちを追ってダンジョンへ向かったことは、もう広まっていた。誰も大声では言わない。けれど、誰もが同じことを考えている。

 

あの赤い少女は、本当に戻ってくるのか。

あの子たちは、生きているのか。

シオンは杖を握り直した。

 

その時だった。

 

遠くで、鐘が鳴った。

 

一度。

二度。

 

火事を知らせる鐘ではない。外敵を知らせる鐘だった。

 

食堂にいた者たちが、一斉に顔を上げる。シオンは椅子を引いた。

 

「ここをお願いします。子供たちが戻った時のために、毛布と水はそのままに」

「先生、どこへ」

「確認してきます」

 

扉を開けた瞬間、町の空気が変わっているのが分かった。

 

人々が走っている。

 

商店の戸が閉まり、路地の奥から怒号が聞こえ、町の入口の方では複数の足音が硬く揃っていた。戦闘職の足音だ。訓練された者たちの、迷いの少ない歩き方。

 

シオンは広場へ向かった。

 

そこには、すでに町の代表者がいた。顔色が悪い。隣には、鍛冶屋のアルベリッヒも立っている。太い腕を組み、いつもの無愛想な顔で町の入口を睨んでいた。

 

その視線の先に、鉄鳴の紋章があった。

 

「連盟所属ギルド、鉄鳴より査問を行う」

 

先頭に立っていた女が告げた。

 

魔法騎士の装備。

 

剣と魔法媒体を兼ねた細身の刃。軽鎧には強化エンチャントが刻まれ、肩には鉄鳴の印。整っている。無駄がない。剣士としても魔法職としても破綻のない、万能型の構成。

 

シオンは、その女を見た瞬間、かすかな既視感を覚えた。

 

現実になったばかりの頃。

 

まだ誰もが正しさを信じようとしていた頃。

 

どこかの防衛線で、すれ違ったことがある。

 

名前までは思い出せなかった。

 

けれど、女の方は違った。

 

「……シオン」

 

女は小さく呟いた。

 

その声には、驚きよりも、ずっと古い感情が混ざっていた。

 

「こんなところにいたのね」

「あなたは」

「連盟所属ギルド《鉄鳴》、懲罰部隊隊長。リン」

 

リンは笑った。

 

「覚えていなくてもいいわ。私は覚えているから」

 

シオンは杖を握る手に力を込めた。

 

リンの背後には、鉄鳴の討伐隊が並んでいる。全員が通常装備ではない。索敵補助のゴーグル。幻影看破の護符。糸を断つためのチャフ弾。認識阻害を破るための結晶。対高速移動を縛るための鉄網。

 

対蒼星を想定した装備だ。

 

「蒼星を出しなさい」

 

リンは言った。

 

「この町に匿われていたことは分かっている。町の代表者からも確認したわ。シオン先生のところにいる、と」

 

代表者が、唇を震わせた。

 

「わ、私は、ただ、怪我をしていた子が孤児院に運ばれたと……」

「十分よ」

 

リンは代表者を見もしなかった。

 

「レッドPLの保護。連盟の査問に対する情報隠匿。鉄鳴関係者への襲撃疑惑。その全てに、この町は関わっている」

「蒼星さんは、怪我人でした」

 

シオンは言った。

 

「私は、治療しただけです」

「レッドPLを?」

「怪我人を、です」

 

リンの笑みが少しだけ深くなった。

 

「そういうところよ」

 

シオンは眉を寄せる。

 

「何の話ですか」

 

「あなたは昔からそう。状況がどれだけ変わっても、言葉を綺麗なまま使おうとする。弱きを守れ。前線に立つ者の盾となれ。鉄は、奪うためではなく、守るために鳴る」

 

リンは剣の柄に手を置いた。

 

「この世界で、まだそんな言葉や理想が通じると思っているの」

「通じます」

 

シオンは即答した。

 

「通じるように、私たちがそう扱うんです」

 

その瞬間、リンの目が冷えた。

 

「本当に嫌い」

 

その言葉は、小さかった。

けれど、シオンには届いた。リンは一歩、前へ出る。

 

「蒼星を渡しなさい。今なら、この町すべてを敵と見なす必要はない」

「渡せません」

「理由は?」

「蒼星さんは、子供たちを助けに行っています」

 

リンの眉がわずかに動いた。

 

「子供?」

「鉄鳴の方々が、子供たちをダンジョンへ連れて行ったと聞いています。蒼星さんは、その子たちを迎えに行きました」

 

「証拠は?」

「子供たちが戻れば分かります」

 

リンは笑った。

 

「戻れば、ね」

 

シオンはそこで、ようやく理解した。リンは蒼星を探しに来たのではない。蒼星を討つための口実を持ってきた。

 

そして、シオンが拒むのを待っていた。

 

「あなたは」

 

シオンは静かに言った。

 

「最初から、私たちを処分する理由が欲しかっただけですね」

 

リンは否定しなかった。

 

「ええ」

 

その声は、驚くほど軽かった。

 

「欲しかったわ。ずっと」

 

シオンの背後で、町の人々が息を呑む。

 

リンは剣を抜いた。

 

「あなたみたいな人が、一番嫌いだった。現実になって、誰もが何かを捨てたのに、あなたは捨てなかった。正しさを手放さなかった。弱い者を切り捨てなかった。だから、あなたを見るたびに、こちらが間違っているみたいだった」

「……」

「だから今、ようやく理由ができた」

 

リンの刃が、炎のない昼の光を拾う。

 

「レッドPLを匿ったシオン。連盟の査問を拒んだ町。蒼星の協力者」

 

リンは片手を上げた。町の外周で、影が動く。

 

鉄鳴ではない。もっと粗く、もっと汚れた気配。

 

アンサブ。

 

「包囲しなさい」

 

リンが命じた。

 

「逃げ道を塞いで。火を使っていいわ。ただし、孤児院は最後まで残しなさい。シオン先生には、守るものを全部抱えたまま折れてもらう」

 

遠くの路地で、火が上がった。

 

悲鳴が響く。煙が、風に乗って町の内側へ流れ込んでくる。

 

シオンは杖を掲げた。

 

「全員、孤児院へ!子供、老人、戦えない人たちを先に!東の路地は使わないでください、煙が来ます!水桶を持てる人は持って!濡れ布を口元に!」

 

町の人々が動き出す。

 

生産職、採取職、商人、子供、老人。戦える者は少なく、装備もまともではない。それでも、シオンの声を聞いて走り出した。誰かが泣きそうな子供を抱え、誰かが老人に肩を貸し、誰かが荷車を引いて孤児院へ向かう。

 

アルベリッヒが、低く唸った。

 

「先生、孤児院で持ちこたえるぞ」

「できますか」

「できるかじゃねぇ。やるんだろ」

 

鍛冶屋の親父は、作業用の大槌を肩に担いだ。

 

「窓は塞ぐ。扉は補強する。鉄板、古い盾、荷車の板、使えるもんは全部使う。武器も出す。立派なもんじゃねぇが、何も持たねぇよりはマシだ」

「お願いします」

「礼はあとだ」

 

アルベリッヒは一瞬だけ、自分の鍛冶場の方を見た。

 

そこにはまだ、打ちかけの黒と白の防具がある。

 

蒼星のために作っていたものだ。

 

「……戻ってくるんだろ、あいつは」

 

シオンは火の上がる町を見た。

 

それから、ダンジョンのある方角を見る。

 

「戻ってきます」

 

そう答えた。信じるためではない。

 

そう決めるために。

 

リンが、炎の向こうで笑っていた。

 

「守ってみなさい、シオン」

 

火が路地を塞ぐ。煙が空を濁らせる。

孤児院へ向かう人々の足音が、ひとつの流れになっていく。

 

シオンは杖を握り直し、振り返った。

 

「孤児院で籠城します」

 

その声に、町の人々が頷いた。蒼星が帰る場所を、まだ落とすわけにはいかなかった。

 

孤児院の扉が閉じられた。その瞬間から、そこは家ではなく砦になった。

 

食堂の机は倒され、窓の内側へ押しつけられた。椅子は脚を折られ、即席の杭として積まれる。アルベリッヒが運び込んだ鉄板と古い盾が、窓枠に次々と打ちつけられていく。釘を打つ音が、外から迫る怒号と火の弾ける音に混ざった。

 

「そっちの板、持ってろ! 手ぇ離すな!」

 

アルベリッヒが怒鳴る。

 

年老いた商人が震える手で板を押さえ、若い採取職がその横から釘袋を差し出す。戦える者は少ない。けれど、誰も完全には止まっていなかった。水桶を運ぶ者、濡れ布を配る者、子供たちを奥の部屋へ集める者、怪我人を寝かせるために毛布を広げる者。それぞれが、できることを探して動いていた。

 

シオンは中央に立ち、杖を掲げる。

 

「扉の前に人を固めすぎないでください! 煙が入ったら奥へ逃がせなくなります! 怪我人は右の部屋へ、動ける人は水を!」

 

外では、悲鳴が上がっていた。

 

孤児院へ向かう途中で遅れた者がいる。

 

足の遅い者。怪我をした者。老人。戦闘に慣れていない低レベルのPL。

 

アンサブは、そういう者から狙っていた。

 

逃げる背中へ矢が飛ぶ。転んだ者へ刃が向く。助けようと戻った者ごと、路地の奥へ引きずり込まれる。火は建物を焼くためだけではない。道を狭め、人の流れを乱し、速い者と遅い者を分断するために使われていた。

 

「先生、外にまだ人が!」

 

若い男が叫ぶ。シオンは振り返る。

 

煙の向こう、足を引きずる老婆が見えた。その肩を支える少女がいる。二人とも遅い。孤児院まで、あと少し。だが、路地の影からアンサブが一人、音もなく近づいていた。

 

シオンは杖を向けた。

 

聖壁(ホーリー・ウォール)!」

 

淡い光の壁が、老婆と少女の背後に立ち上がる。

 

アンサブの刃が光に弾かれた。薄い壁だ。長くは保たない。けれど、老婆があと三歩進むには十分だった。

 

「中へ!」

 

町の男たちが扉を開け、二人を引き込む。

 

直後、外から鉄鳴の号令が響いた。

 

「包囲を縮めろ! 正面から押すな、逃げ道を潰せ! 火の回っていない側へ誘導するな!」

 

鉄鳴は焦っていない。

 

一気に攻め込んでこない。

 

孤児院を中心に、ゆっくりと輪を狭めている。正面の通りを押さえ、裏手の路地にアンサブを置き、横の井戸へ向かう道を火で塞ぐ。逃げ道を一つ潰すたびに、人々は孤児院の内側へ押し込まれていく。

 

シオンには、それが分かった。

 

リンは孤児院をすぐに落とすつもりではない。

 

守るものを増やし、怪我人を増やし、支援の手を足りなくさせ、シオンの魔力と判断力を削るつもりなのだ。

 

「怪我を見せてください」

 

シオンは膝をつき、老婆の足に手を当てた。

 

切創。深くはない。だが出血が多い。回復魔法を使えばすぐに塞げる。けれど、ここで強い魔法を使いすぎれば後が持たない。

 

「圧迫します。痛みますが、我慢してください」

「先生、魔法は」

「まだ使いません。これは止められます」

 

シオンは布で傷口を押さえ、別の者へ指示を飛ばす。

 

「水を。清潔な布も。そこの方、腕の傷は後です。動けるなら、扉の補強を手伝ってください」

 

ハイプリーストの戦いは、敵を倒すことではない。

 

倒れないようにすること。折れそうな者を立たせること。

 

そして、限られた回復をどこへ使うかを間違えないこと。

 

外壁代わりに積んだ机が、大きく揺れた。

 

鉄鳴の前衛が盾で押している。すぐに突入するのではなく、少しずつ、こちらの補強を壊しているのだ。

 

「親父!」

 

誰かが叫ぶ。

 

「北側の窓が!」

「分かってる!」

 

アルベリッヒが走った。

 

大槌を振るい、割れかけた窓枠へ鉄板を叩きつける。釘を一本、二本、三本。乱暴だが速い。隙間から伸びてきた槍を、大槌の柄で叩き落とし、そのまま窓の外へ怒鳴った。

 

「人ん家の窓から手ぇ突っ込むんじゃねぇ!」

 

槍が引っ込む。

 

アルベリッヒは息を吐く暇もなく、今度は裏口へ向かった。そこも煙が入り始めている。濡れた布を押し込み、隙間に金具を噛ませ、古い盾を二枚重ねて打ちつける。

 

穴が開けば塞ぐ。

 

板が割れれば重ねる。

 

釘が足りなければ家具を壊す。

 

鍛冶屋の親父は、町そのものをその場で作り直すように動いていた。

 

それでも、恐怖は広がる。

 

外ではアンサブが笑っている。鉄鳴の号令は近づいている。火の匂いは濃くなり、子供の泣き声を押し殺す声が奥の部屋から聞こえる。

 

誰かが、小さく呟いた。

 

「……あの赤い子が来たからだ」

 

シオンの手が止まった。

 

食堂の端にいた中年の男だった。採取職の男で、普段は穏やかに挨拶をする人だった。今は顔色を失い、震える手で壁を見ている。

 

「疫病神が来たから、こんなことに」

 

誰もすぐには止めなかった。言葉は、煙よりも早く広がる。

 

「シオン先生が匿ったから」

「レッドPLなんかを」

「鉄鳴に渡していれば」

「子供たちだって、町だって」

 

シオンは何も言わなかった。

 

言い返す言葉はある。蒼星は怪我人だった。

 

子供たちを助けに行った。鉄鳴が先に子供たちを連れていった。今この町に火を放っているのは蒼星ではなく、リンとアンサブだ。

 

けれど、恐怖で震えている人々に、正論を投げつけても何も救えない。痛みの矛先が必要なのだ。誰かのせいにしなければ、今この場に立っていられない者もいる。

 

だから、シオンは一度だけ目を伏せた。

 

「そう思うなら、私を責めてください」

 

食堂が静かになる。

 

「蒼星さんを保護したのは私です。渡せないと言ったのも私です。だから、その怒りは私が受けます」

 

男が言葉を失う。

 

シオンは杖を握り直した。

 

「ですが、今は力を貸してください。責めるのも、怒るのも、全部あとで聞きます。だから今は、立てる人は立ってください。運べる人は水を運んでください。押さえられる人は板を押さえてください」

 

その声は、優しくはなかった。

 

祈る声でもなかった。

 

折れそうな人間を、もう一度立たせるための声だった。

 

「今ここで止まったら、本当に全員が死にます」

 

アルベリッヒが、黙って大槌を担ぎ直した。

 

「聞いたな」

 

低い声だった。

 

「先生を責めるのはあとだ。俺も一緒に聞いてやる。だから今は手ぇ動かせ。死んだら文句も言えねぇぞ」

 

男は唇を震わせた。

 

それから、床に落ちていた板を拾った。

 

「……どこを押さえればいい」

 

アルベリッヒは顎で北側の窓を示した。

 

「そこだ。釘を打つまで死んでも離すな」

「死んだら離すだろ」

「じゃあ死ぬな」

 

ほんの一瞬だけ、誰かが笑った。すぐに外から衝撃が来て、その笑いは消えた。

 

だが、完全には折れなかった。

 

シオンは杖を掲げる。

 

「《エリア・ヒール》はまだ使いません。軽傷者は互いに手当てを。重傷者だけこちらへ。防衛に立てる人には、今から支援をかけます」

 

淡い光が、孤児院の床を走る。

 

守護祈祷(ガーディアン・プレア)

 

防衛に立つ住人たちの身体に、薄い光が宿った。鎧にもならない。盾にもならない。けれど、次の一撃を少しだけ軽くする。恐怖で固まった膝を、少しだけ動かせるようにする。

 

外でリンの声が聞こえた。

 

「まだ保つのね」

 

楽しそうだった。

 

「なら、もう少し削りましょう」

 

火が、また一つ上がった。

 

孤児院の窓が赤く染まる。

 

シオンは息を整えた。まだ、持たせる。

 

蒼星が帰る場所を。ナギたちが戻る場所を。この町の人たちが、生きて朝を迎える場所を。

 

どれだけ責められても。どれだけ揺らいでも。まだ、落とさせない。

 

火が、また一つ上がった。

 

 孤児院へ続く路地の向こうで、アンサブの一人が笑っていた。

 

油を撒いた壺を蹴り倒し、燃え広がる炎を見て、肩を揺らしている。逃げ遅れた老人が転び、その老人を助けようとした若い女が足を止める。アンサブは、その二人を見てさらに笑った。

 

「遅いやつから死ぬんだよ」

 

刃が上がる。

 

老人でも、女でも、どちらでもよかったのだろう。

 

殺せるなら。

 

怯える顔が見られるなら。

 

自分が強い側にいると感じられるなら。

 

その瞬間、炎が割れた。

 

アンサブの笑いが止まる。

 

火の向こうから、影が歩いてきた。

 

赤黒い火の粉を背負い、煙の中から現れたそれは、最初、人の形に見えなかった。長い刀を肩に担ぎ、赤と紫の混じった瞳を細め、炎の明かりを受けて口元だけが笑っている。

 

その身に纏う炎だけが、町を焼く火とは違っていた。

 

紫。

 

怨嗟を焚べたような、暗く、深い紫の炎。

 

鬼だった。

 

椒は、何も言わずに踏み込んだ。

 

《縮地》

 

アンサブが反応するより早く、距離が消える。

 

大太刀が上段へ掲げられた。次の瞬間、振り下ろされる。

 

一刀。

 

上から下へ、迷いのない線が落ちた。

 

アンサブの刃ごと、身体ごと、火を放った罪ごと、椒の一撃が叩き伏せた。石畳が割れ、炎に照らされた影が二つに裂ける。残ったのは、倒れたアンサブと、燃え残った油壺だけだった。

 

椒は刀を振り払い、老人と女を一瞥する。

 

「走れるか?」

 

女が、震えながら頷いた。

 

「孤児院へ行け。振り返るな」

「あなたは……」

「いいから行け」

 

その声に逆らえる者はいなかった。

 

女は老人を支え、火の少ない方へ走り出す。

 

椒はそれを見届けてから、ゆっくりと前を向いた。

 

炎の向こうに、まだアンサブがいる。

 

笑っている者。逃げ道を塞ぐ者。倒れた相手に刃を向ける者。

 

怖がる顔を見て喜ぶ者。

 

椒は、唇の端を歪めた。

 

「胸糞悪ィ」

 

自分も、殺人鬼(レッド)だ。人を殺した。その事実は消えない。

 

称号も、記録も、赤い名前も、消えてはくれない。

 

けれど、椒は殺しを楽しんだことはなかった。誰かが泣く顔を見たいと思ったことも、逃げる背中を踏みにじって気持ちよくなったこともない。

 

必要だったから斬った。生き残るために斬った。

守るために、あるいは終わらせるために斬った。

終わらない怨嗟の中へ、斬って入っていった。

 

それを正しいと言うつもりはない。綺麗なものだとも思っていない。

 

だからこそ、目の前の連中が許せなかった。

 

火を放ち、逃げ道を塞ぎ、足の遅い者から殺していく。

 

それを遊びのように笑っている。

 

「お前らと一緒にすんなよ」

 

椒は大太刀を肩に担ぎ直した。

 

「俺も、同じ穴の狢だ。だから一緒に、炎に焼かれやがれ」

 

火の粉が頬を掠める。

 

その刃に、紫の炎が絡みついた。

 

町を焼く炎ではない。奪うための火でもない。椒の内側で燻り続ける怨嗟が、形を持って燃えているような炎だった。

 

だが、その炎は椒だけを許すものではなかった。

 

紫炎が腕を舐める。

 

袖が焦げる。

 

皮膚が焼ける。

 

熱い。

 

痛い。

 

刃を握る指先が痺れ、喉の奥に焼けた空気が刺さる。それでも椒は、笑みを消さなかった。

 

自分の怒りで燃える炎だ。

 

なら、自分だけ焼かれずに済むはずがない。

 

紫の火が肩を這い、頬の端を炙る。赤黒い刃が濡れたように光り、その上で炎がさらに強く揺れた。

 

「こっちはな」

 

椒の足元が沈む。

 

紫炎が石畳を舐める。

 

痛みがある。

 

熱がある。

 

それでも、足は止まらない。

 

「殺しを楽しむほど、落ちぶれちゃいねぇんだよ」

 

次の一歩で、距離が消えた。

 

炎の路地に、焼かれながらも紫の鬼が走った。

 

 

 

 少し時間を遡る。

 

シオンたちが孤児院で籠城の準備を進めていたころ。

 

孤児院へ向かう別の路地では、鉄鳴の包囲がさらに狭まっていた。

 

正面には盾持ち。左右の路地には槍持ち。

 

屋根の上には弓と魔法職。

 

逃げ道を塞ぐには、よくできた配置だった。住民を孤児院へ押し込み、孤児院を砦に変えさせ、その上で少しずつ潰す。急いで殺しに来ない分、性質が悪い。

 

凍星はそれを見て、白杖フィエルティジムを軽く握り直した。

 

「……面倒な包囲だな」

 

本音だった。

 

数は多い。配置も悪くない。正面突破をすれば椒でも時間を食う。何より、今は町が燃えている。椒をここで止めるより、孤児院へ先に行かせた方がいい。

 

凍星は横にいる椒を見た。

 

椒は炎の向こうを睨んでいる。今にも突っ込みそうな顔だった。

 

「椒」

「あ?」

「孤児院へ行け」

 

椒の目が細くなる。

 

「奏雨は?」

「ここを食い破る」

「一人で?」

「一人じゃない」

 

凍星は白杖の石突きで、石畳を軽く叩いた。

 

路地の影が揺れた。

 

犬ではない。狼でもない。獣の形をした影が、燃える町の隙間から次々と顔を出す。町に紛れていた小型エネミー。逃げ惑う人間に怯え、火に追われ、今にも暴走しそうだった獣たち。

 

凍星は目を細める。

 

「人は襲うな。火を持つやつ、道を塞ぐやつ、こっちに刃を向けるやつだけだ」

 

獣たちの唸りが、低く揃った。暴れる気配が、一本の線に整えられる。

 

鉄鳴の盾持ちが、すぐに反応した。

 

「ビーストテイマーだ! 前衛、構えろ!」

「遅いんだよなぁ」

 

凍星はぼやくように言った。そして、短く命じる。

 

「『走れ』」

 

獣たちが一斉に散った。

 

正面からぶつかるのではない。左右の壁を駆け、屋根へ跳び、足元へ潜り込む。盾を押すのではなく、盾持ちの足元を乱す。槍を噛むのではなく、柄の根元を弾く。火を持つアンサブへは、背後から飛びかかる。

 

鉄鳴の包囲に、最初の乱れが生まれた。

 

「椒、今のうちに」

「まだ塞がってる」

「塞がってるように見えるだけだ」

 

凍星は白杖を掲げる。

 

「『響け』」

 

虹色の粒が、凍星の周囲に広がった。

 

それは一瞬、鯨の形を取った。

 

次の瞬間、粒は薄い円盤となって凍星の足元へ集まる。空気が震え、ハウリングのような音が路地に響いた。

 

凍星はその虹の足場を蹴った。

 

地面ではない。壁でもない。

 

空中に浮かんだ虹の円盤を踏み、凍星の身体が斜めに跳ぶ。

 

鉄鳴の魔法職が狙いをつける。

 

「撃て!」

「撃たせるかよ」

 

凍星は空中で白杖を横に振った。

 

「『散れ』」

 

虹の粒がばらけ、視界を埋める。

 

弾けた光は攻撃ではない。だが、照準を乱すには十分だった。魔法弾が虹の粒を裂き、凍星の外套を掠める。直撃ではない。痛みはあるが、止まる理由にはならない。

 

凍星は次の足場を作る。

 

「『響け』」

 

二度目のハウリング。

 

今度は椒の前に、虹の円盤が一枚浮かぶ。

 

椒がそれを見て、口元を吊り上げた。

 

「踏めって?」

「踏め。落ちる前に次を出す」

「雑だな」

「信じろ。落とさない」

「そういうの、蒼星さんに言えよ」

「蒼星さんなら踏む前に一回文句を言う」

 

椒は笑った。

 

次の瞬間、椒が走る。

 

《縮地》

 

地上の距離が消え、さらに虹の足場を踏んで、椒の身体が包囲の上を飛び越える。鉄鳴の前衛が反応する。だが、遅い。

 

「通すな!」

 

槍が跳ね上がる。

 

凍星は白杖を槍持ちの足元へ向けた。

 

「《マエストロ・チェイン》」

 

灰色の魔法が走る。

 

派手な一撃ではない。

 

槍持ちの膝を撃つ程度の、細い攻撃。

 

だが、命中した瞬間、鎖の輪が杖先に一つ浮かんだ。

 

「まず一つ」

 

凍星は着地しながら呟く。

 

次の攻撃が飛んでくる。

 

盾持ちが詰める。

槍持ちが立て直す。

屋根の上の弓が凍星を狙う。

 

いい。

 

見られているなら、こちらに意識が集まっている。

 

椒から、目が離れている。

 

「椒、走れ!」

「言われなくても!」

 

椒が包囲の切れ目へ落ちる。

 

大太刀が一閃し、孤児院へ続く路地を塞いでいた鉄鳴の一人が吹き飛ぶ。そこへアンサブが横から飛び込もうとしたが、凍星の獣がその足に噛みついた。

 

「『押さえろ』」

 

獣が唸る。

 

アンサブが悲鳴を上げる。

 

凍星はそちらを見ない。見るべきものは、包囲全体だ。

 

正面の盾。屋根の弓。右路地の槍。左手の火。

 

孤児院へ続く道。

 

椒の位置。

 

燃え移りそうな家屋。

 

逃げ遅れた住民。

 

足りない。

 

手が足りない。

 

火力も足りない。

 

時間も足りない。

 

「……いや、足りないもの数えても増えないか」

 

凍星は小さく息を吐いた。

 

白杖を回す。

 

「『響け』」

 

虹の足場が三枚、路地に浮かぶ。

 

一枚は自分用。

 

一枚は獣の移動用。

 

一枚は、椒の退路用。

 

鉄鳴の指揮役が叫んだ。

 

「ビーストテイマーを潰せ! あいつが包囲を崩している!」

「正解」

 

凍星は頷いた。

 

「でも遅い」

 

弓が放たれる。魔法が飛ぶ。槍が迫る。

 

凍星は虹の足場を踏み、横へ滑るように移動した。矢が外套を掠める。魔法弾が背後の壁を砕く。槍の切っ先が頬の横を抜ける。

 

怖くないわけではない。

 

痛くないわけでもない。

 

だが、ここで止まれば椒が孤児院へ届かない。

 

それは困る。

 

後で蒼星さんに何を言われるか分かったものではない。

 

「『呑め』」

 

虹の粒が鯨の形へ戻り、飛んできた魔法弾を口に含む。

 

完全に消せるわけではない。負荷はある。MPも持っていかれる。だが、一撃を逸らすには足りる。

 

凍星は白杖を鉄鳴の盾役へ向けた。

 

「《マエストロ・チェイン》」

 

二つ目の鎖が杖先に浮かぶ。

 

「椒!」

「聞こえてる!」

 

椒はもう、包囲の向こう側にいた。

 

孤児院へ続く道が、一瞬だけ開く。

 

凍星はその隙間へ獣たちを流し込んだ。

 

「住民側へは行くな。火付けを追え。逃げ道を作れ」

 

獣たちが散る。

 

鉄鳴の包囲が、内側から食い破られていく。

 

椒が振り返った。

 

「奏雨!」

「行け!」

「死ぬなよ!」

「それ、こっちの台詞なんだけどな」

 

凍星は苦笑した。だが椒はもう走っていた。

 

炎の向こう、孤児院へ向かって。

 

凍星は一人、包囲の中に残る。鉄鳴の視線が集まる。アンサブの刃が向く。

 

燃える路地が、出口を塞ぐ。凍星は白杖を構え、肩をすくめた。

 

「さて」

 

虹色の粒が、周囲で静かに回る。

 

獣たちが低く唸る。杖先には二つの鎖。まだ足りない。だが、稼げる。

 

「ここから先は、私が邪魔をする」

 

 リンは、炎の向こうで孤児院を見ていた。

 

よく保っている。

 

最初に浮かんだ感想は、それだった。

 

正面扉は机と鉄板で押さえられ、窓は古い盾や荷車の板で塞がれている。見栄えは悪い。作りも粗い。だが、矢と火の粉を防ぐには十分だった。穴が開けば、鍛冶屋の男がすぐに走る。板が割れれば重ね、釘が足りなければ家具を壊し、押し込まれそうになれば内側から住人が必死に支える。

 

その中心に、シオンがいた。

 

杖を掲げ、負傷者を下げ、防衛につく者へ支援を飛ばし、煙が濃くなれば避難位置を変え、恐怖で足が止まった者に次の行動を告げる。

 

ハイプリースト。

 

自分一人では前線を割れない。剣士と斬り合えない。魔法騎士のように、攻めも守りも一人で完結できない。

 

それなのに、シオンがいるだけで人が立つ。

 

震えていた住人が板を押さえる。泣きかけた子供が口を結ぶ。倒れた者が、もう一度起きようとする。

 

リンは、それが嫌いだった。

 

本当に、嫌いだった。

 

「東側に火を回して」

 

リンは短く命じた。近くにいたアンサブが顔を上げる。

 

「でも、そっちはまだ逃げ道が」

「だから塞ぐのよ」

 

リンは孤児院から目を逸らさずに言った。

 

「殺し切る必要はない。逃げ場を減らして、負傷者を増やして。シオンが全部拾おうとする形にしなさい」

 

アンサブは笑った。

その笑い方も気に入らなかった。

 

だが、使えるなら使う。

 

鉄鳴だけでは足りない。鉄鳴はまだ名目を気にする。秩序維持。綺麗な言葉を並べなければ動けない者が多い。

 

だから、火をつける役にはアンサブが向いていた。

 

汚いことを、汚いまま実行できる者。

便利な道具だ。

 

リンはそう思った。

罪悪感はない。

正しさだけで何かを守れると信じている者の方が、よほど残酷だ。

 

シオンのように。

 

「……まだ、あの顔をしている」

 

炎の向こう、孤児院の入口に立つシオンが見えた。

 

杖を掲げ、住人を背に庇い、負傷者を奥へ下げながら、それでもリンから目を逸らさない。

 

あの頃と同じだった。現実になったばかりの頃。

 

誰もが混乱していた。ログアウトできないことを知り、死が現実になったことを知り、誰かを守る余裕など失っていた。

 

弱い者から死んでいく。

遅い者から置いていかれる。

戦えない者は荷物になる。

リンは、それを理解した。

 

理解して、切り捨てた。

 

切り捨てなければ、全員が沈むと思った。なのに、シオンは切り捨てなかった。

 

怪我人を背負った。

低レベルの子供を庇った。

戦えない者を、まだ助けられると言った。

 

そして、実際に何人も助けた。

 

その事実が、リンには許せなかった。失敗してくれればよかった。ほら、無理だったでしょうと笑えたなら、どれほど楽だったか。

 

けれど、シオンは助けてしまった。

 

だから、リンが捨てたものが、本当は捨てなくてもよかったもののように見えた。

 

「本当に、嫌い」

 

リンは小さく呟いた。その時、炎の中でアンサブの悲鳴が上がった。

 

リンは目を細める。

 

紫の炎。

 

町を焼く赤い火とは違う、暗く沈んだ紫の炎が路地を走っていた。

 

その中にいたのは、赤と紫の瞳を持つ男。

 

大太刀を振るい、アンサブを次々と叩き伏せている。

 

椒。

 

元闇鍋の宴。

 

リンは舌打ちした。

 

蒼星を匿った者たちが、ここにも来た。

 

だが、椒はまだ分かる。あれは壊す者だ。

 

刃で切り開く者だ。

 

人を殺した記録もある。戦い方も、纏う炎も、まるで綺麗ではない。

 

だからこそ、まだ理解できる。

 

問題は、もう一人だった。

 

包囲の外側で、鉄鳴の陣形が歪んでいる。

 

獣が走り、盾持ちの足元を乱し、槍の構えを崩し、火を持つアンサブへ飛びかかる。虹色の粒が路地に広がり、鯨の形を取って魔法弾を呑み、足場となって空中に浮かぶ。

 

凍星。

 

こちらも元闇鍋の宴。

 

包囲を正面から破っているわけではない。

 

もっと嫌な壊し方だった。

 

輪の継ぎ目をずらし、視線を集め、獣で足を乱し、椒を先に通す。倒すよりも遅らせることを優先している。殺すためではなく、守るために戦場を組み替えている。

 

シオンとは違う。

 

けれど、目的は同じだ。守るために、こちらの形を崩している。

 

「……鬱陶しい」

 

リンは剣を握り直した。自分なら、対応できる。

椒には剣で合わせる。凍星の獣には範囲魔法を撃つ。

虹の足場は高威力の魔法で崩す。

シオンの防御は継続火力で削る。

孤児院の補強は鉄鳴に崩させる。

 

まだ、こちらが有利だ。数はこちらが多い。包囲も残っている。孤児院は逃げ場のない箱だ。守る対象が多ければ多いほど、シオンは削れる。そう、まだ崩せる。リンはそう判断した。

 

「前衛、圧を強めなさい。突入はまだ。扉と窓を揺らし続けて。魔法職は防御壁の更新に合わせて撃て。アンサブは西側へ火を回して。裏手の井戸へ向かう道を潰す」

 

指示は淀みなく出た。

 

鉄鳴が動く。アンサブが笑う。

 

炎がまた一つ上がる。孤児院の窓が赤く染まる。

 

シオンが杖を掲げる。

 

リンはその姿を見て、胸の奥にある古い苛立ちが、静かに形を変えるのを感じた。

 

殺したい。それは蒼星に向けたものではなかった。

 

蒼星は手柄だ。

 

討伐すれば、鉄鳴の失態を覆える。クロガネの面子も保てる。連盟への報告も作れる。

 

だが、シオンは違う。

 

シオンを折ることは、リン自身のためだった。

 

「あなたが守るものごと、潰してあげる」

 

リンは剣を構えた。刃に魔力が走る。

 

軽鎧の強化エンチャントが淡く光り、身体能力が底上げされる。剣の軌道に魔力が乗る。魔法騎士としての万能性が、リンの全身に行き渡っていく。

 

前に出られる。

 

斬れる。

撃てる。

守れる。

 

一人で状況を変えられる。

 

だからこそ、シオンのように誰かを立たせることでしか戦えない者が、ここまで場を保っていることが許せなかった。

 

リンは孤児院の正面へ一歩踏み出す。

 

その時だった。

 

遠く、ダンジョンの方角で轟音が響いた。

 

雷鳴。

 

けれど、空からではない。

 

地の底から、迷宮の奥から、何か硬いものを穿った音。

 

町の炎が揺れた。

 

アンサブの笑いが止まる。

 

鉄鳴の号令が一拍遅れる。

 

シオンが息を呑む。

 

椒が炎の中で顔を上げる。

 

凍星が包囲の中心で目を細める。

 

リンは、剣を握る手に力を込めた。

 

嫌な予感がした。

 

蒼星。

 

あのレッドPL。

 

片腕を失い、装備も不十分で、未確認エリアの奥へ消えたはずの少女。

 

戻るはずがない。戻っていいはずがない。

 

リンがここで作った筋書きは、蒼星が危険なレッドPLであり、町はそれを匿い、シオンは連盟の査問を拒んだという形で完成するはずだった。蒼星が死んでいれば、それでよかった。

 

生きて戻れば、話が変わる。子供たちを連れて戻れば、もっと変わる。

 

鉄鳴が子供を連れ出した事実が表に出る。シオンが蒼星を渡さなかった理由が、正当性を持ってしまう。

 

リンは奥歯を噛んだ。炎の向こうで、シオンがこちらを見る。

 

「戻ってきます」

 

その声は、先ほどとは違っていた。

 

願いではない。

祈りでもない。

確信だった。

 

「蒼星さんは、戻ってきます」

 

リンの剣が、きしりと鳴った。

 

許せない。

 

まただ。

 

また、シオンは正しい側に立とうとしている。また、自分の選択が間違いだったような顔で、まっすぐこちらを見てくる。

 

リンは剣を上げた。

 

「なら」

 

声が冷える。

 

「戻ってくる前に、全部終わらせる」

 

炎が、リンの背後で大きく揺れた。

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