ダンジョンの入口に、五人の子供たちはいた。
ナギ、ミナ、ロロ、エル、トウリ。
全員、煤と泥に汚れている。トウリは足を庇うように座り込み、ミナとロロがその両側についていた。エルは採取鞄を抱えたまま、何度も何度も入口の暗闇を見ている。
ナギだけは、立っていた。
膝は震えている。顔色も悪い。それでも、入口から目を逸らさなかった。
「ナギ……」
ミナが小さく呼ぶ。
「もう、町に戻った方が」
「戻る」
ナギは答えた。
「でも、お姉ちゃんが出てきたら、すぐ分かるようにしておく」
それが正しいのかは分からなかった。蒼星は行けと言った。
けれど、待てとも言わなかった。
それでもナギは、ここを完全に離れられなかった。もし蒼星が傷だらけで出てきたら。もし倒れそうになっていたら。もし、一人で歩けないくらいになっていたら。
その時に、誰もいないのは嫌だった。
だから、待った。
怖くても。
早く町へ戻りたくても。
暗い入口の奥から何かが出てくるのではないかと、何度も息が止まりそうになっても。
ナギは待った。
やがて、暗闇の奥で音がした。
足音。
重い。
けれど、怪物のものではない。
金属が石を擦る音と、かすかな雷の残響。
ナギの目が見開かれる。
「お姉ちゃん……?」
黒骸回路の闇から、蒼星が出てきた。
破れた修道服。血と煤に汚れた頬。右側には星天。左手には、もう刃と呼ぶには心許ないほど欠けた短剣。蒼雷の残滓が足元で小さく弾け、歩くたびに青白い火花が石床を散らす。
蒼星は入口を出たところで一度だけ膝をつきかけた。
ナギが駆け出す。
「お姉ちゃん!」
蒼星は倒れなかった。星天の指を地面につき、無理やり身体を支える。
「……全員いる?」
声は掠れていた。
ナギは泣きそうになりながら頷く。
「いる。僕も、ミナも、ロロも、エルも、トウリも。みんないる」
「怪我は」
「トウリが足を。でも、歩ける。僕たちも、少し擦りむいただけ」
「そう」
蒼星は、ほんの少しだけ息を吐いた。
笑ったようにも見えた。
「よかった」
その一言で、ナギの顔がくしゃりと歪んだ。
今度こそ泣きそうになった。けれど、やっぱり泣かなかった。泣く時間ではないと、まだ分かっていた。
蒼星はゆっくりと立ち上がる。
「帰るよ」
「うん」
ナギが頷いた瞬間、蒼星の視線が町の方へ向いた。
そこで、動きが止まった。町の空に、黒い煙が上がっていた。
細い煙ではない。
いくつもの場所から立ち上る、太く、濁った煙。
風に流されながらも、空を汚すように広がっている。火の粉まではここから見えない。けれど、匂いがした。
焦げた木材。燃える油。
そして、人が逃げる時の、騒がしい気配。
蒼星の金色の瞳が細くなる。
「……町が燃えてる」
ナギたちが一斉に振り返った。
エルが息を呑む。
ミナが口元を押さえる。
ロロがトウリの肩を強く掴む。
ナギは、蒼星を見た。
「シオン先生たちが……」
「行く」
蒼星は即答した。歩いている時間はない。ナギたちを先に歩かせる時間もない。ここで置いていくこともできない。なら、まとめて運ぶしかない。
蒼星は破れた修道服の裾を裂いた。
長く垂れた布を束ね、死糸を絡ませ、五人の身体を自分から離れないように固定していく。ナギを胸元に抱え、怪我の重いトウリを星天の右腕で支え、ミナとロロを左右へ寄せる。エルは背中側へ回し、落ちないように布と糸で留めた。
乱暴な運び方だった。
けれど、落とさない。
それだけは、絶対に間違えない。
「揺れる」
蒼星は短く言った。ナギが、蒼星の服をぎゅっと掴む。
「大丈夫。落とさない」
その言葉が誰に向けたものなのか、蒼星自身にも分からなかった。子供たちにか。自分にか。それとも、孤児院で待っているシオンにか。
蒼星は足元に意識を落とした。
蒼雷。
もう一度使えば、身体がどうなるかは分からない。脚はすでに震えている。神経は焼けるように痛む。星天の接続部も限界に近い。それでも、間に合わせるにはこれしかない。
「しっかり掴まって」
「うん」
ナギの腕が、蒼星の服を強く掴む。ミナとロロは息を詰め、エルは採取鞄ごと蒼星の背にしがみついた。トウリは痛む足を庇いながら、それでも星天に支えられた身体を震わせて頷く。
蒼星は五人の重さを確かめた。
重い。
当然だった。
子供とはいえ五人だ。傷を負った身体で抱えるには重すぎる。蒼雷の反動が残る脚には、最初の一歩を踏み出す前から鈍い痛みが走っている。星天の接続部は熱を持ち、右肩の奥でまだ雷の残滓が暴れていた。
それでも、落とさない。
絶対に、落とさない。
「蒼雷」
蒼星の足元で、蒼い雷が弾けた。
青白い光が地面を走り、黒く焦げた草を焼き、石を跳ねさせる。雷は足裏から膝へ、膝から腰へ、背骨へと駆け上がり、五人分の重さで沈みかけた身体を無理やり前へ押し出した。
一歩目で、地面が砕ける。
二歩目で、風が変わる。
三歩目には、もうダンジョンの入口は背後に遠ざかっていた。
「っ……!」
誰かが小さく声を漏らした。
けれど蒼星は速度を落とさない。落とせない。揺れを殺すために死糸を張り直し、布の固定を締め、星天の右腕でトウリを支え直す。蒼雷は単なる速さではない。崩れかける姿勢を補正し、次の足場を選び、重心のズレを雷の力で押し潰していく。
視界の端で、木々が線になる。
道が流れる。風が頬を叩き、煙の匂いが濃くなる。町が近い。燃える木材の匂い。油の焦げる匂い。遠くで鳴る鐘。かすかに混じる怒号と、悲鳴。まだ詳しい状況は見えない。
誰が襲っているのか。
どこが燃えているのか。
シオンたちが無事なのか。
何も分からない。
けれど、ただの火事ではないことだけは分かった。
煙の上がり方が多すぎる。
鐘の鳴り方が、火事を知らせるものではない。
人の声が、逃げ惑うだけの声ではない。
戦いの音が混じっている。
蒼星は金色の瞳を細めた。
「……間に合え」
ナギが顔を上げる。
「お姉ちゃん?」
「大丈夫」
蒼星は前だけを見た。
「帰る」
蒼い雷が、町へ向かって一直線に走った。
火の粉が舞う大通りへ、蒼い雷が飛び込んだ。
そこで初めて、蒼星は町の状況を見た。
倒れた荷車。塞がれた路地。逃げ惑う住人。鉄鳴の紋章。そして、その隊列に混じる妙なレッドPLたち。
火は無差別ではない。逃げ道を塞ぐように置かれている。
鉄鳴は正面から圧をかけ、妙なレッドPLたちは裏道と路地を潰している。人々を一箇所へ追い込み、守る対象を増やし、支援する者の手を足りなくさせる。
なるほど。蒼星は、金色の瞳を細めた。
「殺す理由が増えた」
だが、今は殺さない。
腕の中にはナギたちがいる。背にはエルがしがみつき、星天の右腕にはトウリの身体を固定している。ミナとロロも死糸と布で落ちないように留めてある。
まずは届ける。シオンのところへ。
大通りの先で、鉄鳴の包囲網が見えた。
正面には盾持ち。左右には槍。屋根には弓と魔法職。孤児院へ続く道を塞ぐには、よくできた配置だった。
けれど、その包囲は完全ではない。
盾の列が歪んでいる。槍の間が開いている。獣たちが鉄鳴の足元を乱し、虹色の足場が空中に薄く残っている。誰かが、通れるように道を作っていた。
「奏雨くんか」
蒼星が呟いた直後、横手から声が飛んだ。
「蒼星さん!」
凍星だった。
白杖を構え、獣たちを動かしながら、鉄鳴の包囲を一人で乱している。頬には血が流れ、外套は焦げ、余裕はない。けれど、蒼星と、その腕に抱えられた五人を見た瞬間、凍星は状況を理解した。
「状況」
蒼星は止まらずに訊いた。
「孤児院の方に住人が集まってる。鉄鳴が包囲中。あと、妙なレッドPLが混じってる。火を使って逃げ道を塞いでる」
「一人?」
「椒も一緒。先に行かせた、前で暴れてる」
「分かった。ありがとう、奏雨くん」
「礼はあとで。今は走ってくれ、蒼星さん」
凍星が白杖を振る。
「『響け』」
虹色の粒が空中に集まり、蒼星の進路に足場を作った。
蒼星は迷わず踏んだ。五人を抱えたまま、雷の尾を引いて包囲の上へ跳ぶ。
「蒼星だ!」
鉄鳴の一人が叫んだ。
「拘束しろ! 子供ごと止め――」
言い終わる前に、蒼星は落ちた。いや、降りた。
盾列の切れ目へ、蒼雷の速度を殺さずに滑り込む。鉄鳴の前衛が反応し、拘束網を撃とうと腕を上げる。
蒼星は武器を抜かなかった。
抜けなかった。
子供たちを抱えている。ここで刃を振れば、誰かを落とす。星天を撃てば反動が響く。なら、使うのは身体だけでいい。
蒼星は一歩、踏み込んだ。
蒼雷で加速した足が、鉄鳴の男の間合いへ入る。
男が拘束網を放つより早く、蒼星の左膝がその腹へ突き刺さった。
息が潰れる音。
男の身体が折れる。
蒼星はその肩口へ身体を寄せ、重心を奪い、星天の右腕で支えていたトウリを揺らさないように角度を殺したまま、男の足を踵で払った。
盾も、網も、声も、全部遅い。
男は石畳へ叩きつけられた。
殺していない。
だが、立てない。
蒼星は倒れた男を踏み越えた。
「止めろ!」
別の槍持ちが前へ出る。
その槍先が、ナギの近くを掠めようとした。
蒼星の目が冷える。
左手の指がわずかに動き、死糸が槍の柄に絡んだ。力比べはしない。引くだけ。槍先が半歩逸れる。その隙間を、蒼星は駆け抜けた。
「道、もう一枚!」
凍星が叫ぶ。
「『響け』」
虹の足場が、孤児院へ続く路地の入口に浮かぶ。
蒼星はそれを踏んだ。
五人の重みが身体に食い込む。蒼雷の反動が脚を焼く。星天の接続部が軋む。それでも、速度は落とさない。凍星が後ろで小さく息を吐く。
「本当に踏む前に文句言わなかったな」
その声は、もう蒼星には届かなかった。
大通りの向こう。赤い炎の中に、紫の炎が見えた。町を焼く火とは違う、暗く深い炎。その中で、大太刀を振るう男がいる。
椒。
アンサブの一人を斬り伏せ、逃げ遅れた住人を孤児院へ走らせている。袖は焦げ、皮膚も焼けている。それでも足を止めない。紫炎に焼かれながら、さらに炎の中へ踏み込んでいく。
蒼星は一瞬だけ視線を向けた。
「椒」
椒もこちらに気づいた。火の向こうで、血のついた口元が吊り上がる。
「遅いんだよ、蒼星さん!」
「ごめん」
「謝る顔してねぇな!」
「急いでるから」
「だろうな!」
それだけだった。
それだけでよかった。
椒は再び前へ出る。
凍星は包囲を食い破る。
蒼星は、その二人が開けた道を走る。
孤児院が見えた。
窓は鉄板と古い盾で塞がれ、扉には机と板が重ねられている。壁には焦げ跡があり、屋根には火の粉が降っていた。中からは人の声が聞こえる。泣き声。怒鳴り声。釘を打つ音。誰かが必死に何かを支えている音。
まだ、落ちていない。
蒼星は最後の一歩で蒼雷を殺した。
速度をそのまま持ち込めば、子供たちに負担がかかる。足元の石畳が砕れ、青白い雷が散る。蒼星は星天の右腕を地面に突き、反動を殺しながら孤児院の前へ滑り込んだ。
火の粉が舞う。
煙が割れる。
リンが振り返る。
シオンが息を呑む。
その中心に、蒼星が立っていた。
破れた修道服。煤と血に汚れた頬。右腕に宿る星天。足元に残る蒼雷の青い残光。そして、その身体に固定された五人の子供たち。
蒼星は、短く言った。
「連れて帰った」
それだけだった。シオンの顔が、一瞬だけ崩れそうになった。
けれど、すぐに戻る。泣くより先に、抱きしめるより先に、やるべきことがある顔だった。
「中へ。トウリくんを先に寝かせてください。ナギくん、ミナちゃん、ロロくん、エルちゃんは奥へ。水を飲んで」
声は震えていた。それでも、指示は止まらなかった。
孤児院の扉が内側から開く。町の人々が駆け寄り、蒼星に固定されていた布と死糸を外していく。ナギが最後まで蒼星の服を掴んでいた。
「お姉ちゃん」
「行って」
蒼星は静かに言った。
「シオンのところにいれば安全」
「お姉ちゃんは?」
「少し治してもらう」
「少しじゃないでしょ」
シオンの声が、思わず強くなった。
蒼星はそちらを見る。シオンは蒼星の姿を見て、唇を噛んでいた。
裂けた肩。煤と血に濡れた服。死糸を使いすぎて裂けた左手の指。蒼雷の反動で震える脚。星天が接続された右側は、金属の隙間から熱を持ち、皮膚との境目が赤く爛れている。
立っているのが、不思議なくらいだった。
「座ってください」
「まだ動ける」
「座ってください」
今度は、はっきりとした命令だった。蒼星は少しだけ目を瞬かせた。
「怒ってる?」
「怒っています」
即答だった。
「とても怒っています。ですが、今は治療が先です」
蒼星は少しだけ困ったように視線を落とし、それから壁際に腰を下ろした。
シオンは膝をつき、両手を蒼星の肩へかざす。淡い光が、傷口へ染み込んでいく。
「深い傷から塞ぎます。痛みますよ」
「痛いのは慣れてる」
「慣れないでください」
回復の光が強まる。
裂けた皮膚が寄り、血が止まり、浅かった呼吸が少しだけ整っていく。けれど、星天の接続部に光が触れた瞬間、蒼星の肩がわずかに跳ねた。
シオンは手を止める。
「ここは、普通の傷ではありませんね」
「星天が無理やり繋いでる。たぶん、装備の適合と欠損部位への接続が噛み合ってない」
「たぶん、ではありません。完全に噛み合っていません」
「便利ではある」
「便利で済ませないでください」
シオンは眉を寄せた。
「この状態で何を使ったんですか」
「蒼雷ってスキル」
「身体に負担がかかるタイプのスキルなんじゃないですか?」
「使わないと間に合わなかった」
「でしょうね」
分かっている。
蒼星が無茶をした理由も。
そうしなければ、子供たちが戻らなかったことも。
それでも、怒りは消えなかった。
「蒼星さん」
「うん」
「生きて戻ってくれて、ありがとうございます」
蒼星の金色の瞳が、わずかに揺れた。シオンは治療を続けながら、静かに言った。
「でも、次に同じことをしたら、治療しながら説教します」
「今は?」
「今もしています」
「そっか」
蒼星は、ほんの少しだけ笑った。
「ただいま、シオン」
シオンの手が、一瞬だけ止まった。それから、光が少し強くなる。
「……おかえりなさい」
声は小さかった。けれど、確かに届いた。
「よく、帰ってきてくれました」
蒼星は、少しだけ目を伏せた。
「約束したから」
「ナギくんに、ですか」
「ナギにも」
蒼星は、孤児院の中を見る。
煤で汚れた床。倒された机。窓を塞ぐ鉄板。奥の部屋へ運ばれていく子供たち。まだ湯気を失ったままのスープ。並べられたままの皿。
「シオンにも。たぶん、ここにも」
シオンは何も言わなかった。言えば、声が崩れると思った。
代わりに、治療の光を細く絞る。出血を止める。痛みを抑える。裂けた皮膚を閉じる。けれど、すべてを治すには時間も魔力も足りない。星天の接続部は特に悪い。普通の傷ではなく、装備と身体が無理に噛み合っている場所だった。
「完全には治せません」
シオンは言った。
「出血と痛みは抑えます。ですが、星天の接続部は応急処置だけです。蒼雷の反動も残ります。脚も、まだ震えているはずです」
「動ければいい」
「よくありません」
「でも、動ける」
シオンは眉を寄せた。
「蒼星さん」
「うん」
「無茶はしないでください」
蒼星は少しだけ考えた。外から、また衝撃音が響く。
鉄鳴の号令。住人の悲鳴。火の爆ぜる音。椒の紫炎が走る気配。凍星が包囲を乱している音。
まだ、終わっていない。
「無茶をしないで済むなら、そうする」
「それは、しない人の言い方ではありません」
「よく言われる」
「でしょうね」
シオンは小さく息を吐いた。その時、横から低い声が飛んだ。
「治療が終わったなら、こっちだ、嬢ちゃん」
アルベリッヒだった。
大槌を肩に担ぎ、煤だらけの顔で蒼星を見下ろしている。腕には鉄粉がつき、袖は焦げ、額には汗が滲んでいた。それでも、その目だけは鍛冶場に立つ時と同じだった。
「その格好でまだ戦う気か」
蒼星は自分の修道服を見た。
破れている。
血と煤で汚れている。
黒骸回路の中で裂け、骸獣との戦いで焼け、蒼雷で走ったせいで裾も袖も原型を失いかけていた。
「戦う必要があるなら」
「馬鹿か」
「よく言われる」
「だろうな」
アルベリッヒは鼻を鳴らし、奥の作業台を顎で示した。
そこには、黒と白の防具が置かれていた。
まだ未完成のはずだった。
白を基調にした内衣。黒い外套。肩を覆う短いケープ状の防具。縁を走る細い金の装飾線。胸元には銀の留め具が並び、黒いリボンが垂れている。十字の意匠が袖と裾に入り、要所には金属の補強が組み込まれていた。
修道服の形をしている。
けれど、ただ祈るための服ではない。
戦うために作られた装備だった。
「間に合ってない」
アルベリッヒは言った。
「本当なら、もっと調整する。縫いも甘い。留め具も仮だ。右側は、その星天ってやつに合わせて作り直す必要がある」
「使える?」
「普通なら使わせねぇ」
「今は?」
「普通じゃねぇ」
蒼星は、破れた修道服の裾を掴んだ。
「これ、使える?」
アルベリッヒの眉が動く。
「布切れだぞ」
「装備だった」
その一言で、アルベリッヒの目が変わった。鍛冶屋の目だった。
「……なるほどな」
彼は蒼星の破れた修道服を見た。
ただの布ではない。蒼星がここまで着てきた装備。血を吸い、魔力を通し、戦闘の癖を覚え、身体に馴染んだ残骸。
「馴染んだ装備の残骸を芯にする。新しい防具の形に、今までの装備の履歴を噛ませる。無茶だが、理屈は通る」
「できる?」
「やるんだろ」
「お願い」
「礼はあとだ」
アルベリッヒは大槌を置き、作業台へ向かった。
「先生、少しだけ嬢ちゃんを立たせてくれ。いや、倒れそうなら支えろ。時間がねぇ。縫うより留める。仕上げるより噛ませる」
シオンは蒼星の腕を支えた。
「立てますか」
「立つ」
「倒れたら怒ります」
「倒れない」
「倒れたら、怒ります」
「分かった」
蒼星はゆっくりと立ち上がった。
脚が震える。星天の右側が重い。
けれど、シオンの治療で痛みは少しだけ遠のいている。
アルベリッヒが破れた修道服の一部を切り取り、新しい防具の内側へ組み込んでいく。金具が鳴る。針金が締まる。仮留めの留め具が打たれる。黒と白の装備が、蒼星の身体に合わせて形を変えていく。
白は、祈りの色。
黒は、弔いの色。
金は、まだ戦うための線。
赤い髪の横には、青い薔薇の飾りが残されている。煤と血の匂いの中で、その青だけが妙に鮮やかだった。
最後の留め具を、アルベリッヒが叩いた。金属音が鳴る。
黒と白の修道装が、蒼星の身体に噛み合った。
アルベリッヒは荒く息を吐く。
「完成だ」
それから、すぐに言い直した。
「いや、完成じゃねぇ。急造だ。仮組みだ。だから無茶はするな」
蒼星は袖を動かした。
肩に重さがある。
胸元に金属の感触がある。
外套の裾が揺れ、星天を宿した右側の重みと、かろうじて釣り合う。
昔の自分に戻るための装備ではない。欠けたまま、進むための装備だった。
蒼星はフードを軽く被り直した。
「動ける」
「そりゃよかった」
アルベリッヒは大槌を拾い直す。
「次は、ちゃんと仕上げさせろ」
「生きて戻ったら」
「戻れ」
短い言葉だった。蒼星は少しだけ笑った。
「うん」
そこで、蒼星は床に置かれた自分の短剣を見た。
刃は欠け、歪み、もう武器と呼ぶには心許ない。黒骸回路で何度も外殻を叩き、死兆を刻むために罅へねじ込み、役目を果たした末の姿だった。
蒼星は短剣を拾い上げる。
軽い。
あまりにも軽い。今までなら、それでよかった。
速く動き、懐へ入り、必要な場所だけを切る。短剣は蒼星の戦い方に合っていた。無駄なく、速く、静かに殺すための武器だった。けれど、今は違う。
右側には星天がある。欠けた身体を無理やり支える重さがある。
そして、目の前には町を焼く敵がいる。細く切るだけでは足りない。
一撃で、止める火力がいる。
「アルベリッヒ」
蒼星が呼ぶ。鍛冶屋の親父は、眉を上げた。
「今度は何だ」
「武器が欲しい」
「短剣ならそこにあるだろ」
「これは、もう無理」
蒼星は欠けた短剣を差し出した。
アルベリッヒは受け取り、刃を見る。何も言わなかった。鍛冶屋なら、その刃が限界を越えて使われたことくらい一目で分かる。
「何が要る」
「大剣」
シオンが目を見開いた。
「蒼星さん?」
アルベリッヒも、わずかに顔をしかめた。
「お前さんの体格でか」
「星天がある」
蒼星は右腕を少しだけ上げた。黒と銀の腕部兵装が、低く軋む。
「今なら、重さを支えられる。短剣で何度も刺すより、一撃で止めたい」
「扱えるのか」
「扱う」
「答えになってねぇな」
「でも、必要」
蒼星は燃える外を見る。
鉄鳴がいる。
妙なレッドPLたちがいる。
町は燃えている。
シオンは疲弊している。
凍星と椒は前で戦っている。
子供たちは、ようやく帰ってきたばかりだ。ここで長く戦えば、守る側が削られる。なら、長引かせるわけにはいかない。
「今の私に必要なのは、速さだけじゃない」
蒼星は言った。
「一撃で、相手の形を崩せる武器」
アルベリッヒは数秒だけ蒼星を見た。それから、鍛冶場の奥へ視線を向ける。
「……未完成品ならある」
「使える?」
「普通なら使わせねぇ」
「使えるなそれでいい」
アルベリッヒは奥から、布に包まれた大剣を引きずり出した。
刃は厚く、長い。装飾はほとんどなく、柄もまだ仮巻きのまま。完成された美しさはない。だが、重さがあった。振れば盾ごと叩き割るための質量がある。
「仕上げ前の大剣だ。銘もない。重心も荒い。刃も完璧じゃねぇ」
アルベリッヒはそれを蒼星へ差し出した。
「だが、一撃の火力だけなら、今この場にある武器じゃ一番だ」
蒼星は星天の指で柄を握った。
重い。
けれど、持てる。
右側に星天があるから。左手を添えれば、振れる。昔の自分なら選ばなかった武器だった。けれど、今の自分には必要な武器だった。蒼星は大剣を軽く持ち上げる。
床板が軋んだ。
シオンが眉を寄せる。
「本当に、それを持って戦うんですか」
「うん」
「身体に負担が」
「分かってる」
「分かっていてやるんですね」
「うん」
シオンは深く息を吐いた。
「帰ってきたばかりなのに」
「だから、また帰る」
蒼星は大剣を肩に担いだ。黒白の修道装が揺れ、星天の右腕が重さを受け止める。
「今度は、町ごと」
アルベリッヒは鼻を鳴らした。
「なら持ってけ。あとでちゃんと返せ」
「壊れたら?」
「壊すな」
「努力する」
「努力じゃなくて守れ。こっちは武器も防具も、ただで湧いてくるわけじゃねぇんだ」
蒼星は少しだけ笑った。
「分かった」
外で、鉄鳴の号令が響いた。
「包囲を維持しろ! 孤児院正面を押し込め!」
リンの声ではない。前線を任された鉄鳴の指揮役の声だった。
蒼星はそちらを見た。
孤児院の前には、まだ鉄鳴の包囲が残っている。盾持ちが正面を塞ぎ、槍が左右を固め、後方には弓と魔法職。さらにその隙間を縫うように、妙なレッドPLたちが火を持って走っている。
逃げ道を塞ぐ者。
遅れた住人を狙う者。
火の中で笑う者。
蒼星は大剣の柄を握り直した。
隊列を崩すための質量。盾ごと、構えごと、前線の形を叩き壊すための一撃。
蒼星は一歩、前へ出た。
「蒼星さん」
シオンが呼ぶ。蒼星は振り返らない。
「治療、ありがとう」
「無茶はしないでください」
「しないで済むなら」
「それは、しない人の言い方ではありません」
蒼星は少しだけ笑った。
「知ってる」
次の瞬間、足元に蒼い雷が弾けた。
蒼雷。
完全ではない。さっきより出力は落ちている。脚の奥はまだ痛み、星天の接続部も熱を持っている。シオンの治療で出血は止まった。痛みも少しだけ遠のいた。
けれど、傷が消えたわけではない。
それでも、動ける。蒼星は大剣の柄を握った。
未完成の大剣。
重心は荒い。刃も完璧ではない。蒼星が今まで使ってきた短剣とは、何もかもが違う。細く刺すための武器ではない。静かに急所を穿つための武器でもない。
これは、形を崩すための重さだった。
盾ごと。
構えごと。
隊列ごと。
前にあるものを叩き壊すための火力。
孤児院の正面では、鉄鳴の包囲がまだ残っていた。盾持ちが前へ出て、槍が左右を固め、後方には弓と魔法職が控えている。その隙間を縫うように、妙なレッドPLたちが火を持って走っていた。
逃げ道を塞ぐ者。
遅れた住人を狙う者。
火の中で笑う者。
蒼星は金色の瞳を細めた。
鉄鳴は崩す。
火を撒く者は殺す。
それだけ決めれば十分だった。
「来るぞ!」
鉄鳴の前衛が叫んだ。
「対蒼星陣形!拘束網を構えろ!」
盾が並ぶ。
槍が突き出される。
索敵補助のゴーグルがこちらを向き、糸を断つためのチャフ弾が構えられる。
短剣で隙間を縫う蒼星を想定した陣形だった。
だから、蒼星は短剣の動きをしなかった。
大剣を、投げた。
「な――」
重い鉄塊が、回転しながら盾列の中央へ飛び込む。
刃ではない。質量だった。
大剣の腹が盾へ叩きつけられ、最前列の構えが歪む。盾持ちの足が石畳を削り、槍の穂先が跳ね、隊列の中心に一瞬だけ空白が生まれた。
蒼星の左手が動く。
死糸。
大剣の柄へ、細い糸が絡んだ。同時に、蒼星の足元で蒼雷が弾ける。蒼い雷が石畳を走り、蒼星の身体が前へ消えた。
糸を引く。
大剣が戻ろうとする。
蒼星は、その慣性に自分の速度を重ねた。
投げた大剣が戻る力。
蒼雷の踏み込み。
星天を宿した右側の重さ。
そのすべてを軸にして、蒼星は盾列の内側へ飛び込んだ。
武器は、まだ手元にない。
だから、拳でいい。
星天の右拳が、盾持ちの胸甲を叩いた。
鈍い音がした。
男の身体が後ろへ折れる。
続けて、左肘が槍持ちの顎を打ち上げた。膝が別の鉄鳴の腹へ入る。蒼星は止まらない。戻ってくる大剣の軌道に合わせて身体を回し、死糸を引き絞りながら、敵の間合いをすり抜ける。
鉄鳴は殺さない。だが、立たせない。
顎を撃つ。
膝を砕く。
呼吸を潰す。
構えを壊す。
一人、二人、三人。
包囲の正面が、内側から崩れていく。
「糸を切れ!」
誰かが叫んだ。
遅い。
死糸が鳴る。
戻ってきた大剣の柄を、星天の指が掴んだ。
重い。だが、今はその重さがいる。蒼星は大剣をそのまま振り回した。
腕だけではない。
死糸を柄に絡め、肩と腰と足場を使い、さらに糸の張力で軌道を広げる。普通なら振り切れない重さを、蒼雷の速度と死糸の遠心で無理やり回す。
大剣が弧を描いた。
盾が弾かれる。
槍が折れる。
鉄鳴の前列がまとめて後ろへ押し戻される。
それは剣術ではなかった。
短剣でもない。
大鎌でもない。
大剣を、糸でぶん回しているだけだった。
乱暴で、荒くて、未完成。
けれど、今の蒼星にはそれが合っていた。
「隊列を維持しろ!」
鉄鳴の号令が飛ぶ。
その横で、火瓶を持ったレッドPLが孤児院の側面へ走った。
蒼星の目が冷える。
「そっちは駄目」
死糸が伸びた。
大剣の軌道が変わる。
糸に引かれた刃が、横から唸りを上げて飛ぶ。火瓶を持ったレッドPLが振り返った。遅い。大剣の腹がその胴を叩き、身体ごと石壁へ叩きつけた。
HPバーが砕ける。
光の粒子が、炎の中へ散った。その直後、石畳に小さな音がした。
からん、と。
蒼星は視線を落とす。そこに、属性弾が転がっていた。
赤い光を帯びた、火属性弾。
レッドPLのドロップ。
蒼星は一瞬だけ目を細めた。
「……補充」
星天の前腕部が、低く唸った。
蒼星は死糸で属性弾を拾い上げ、星天の装填口へ滑り込ませる。
《装填》
星天の装甲が、獣の顎のように開いた。
火属性弾が吸い込まれ、内部で圧縮される。装甲の隙間から白い蒸気が噴き出し、弾倉が重く回った。
火属性弾、装填。
蒼星は大剣を肩に担ぎ直す。鉄鳴の包囲はまだ残っている。火を持つレッドPLも、まだいる。なら、やることは変わらない。鉄鳴は崩す。火を撒く者は殺す。
「まだ足りない」
大剣に死糸が絡む。蒼雷が足元で弾ける。
黒白の修道装の裾が、炎の中で翻った。
蒼星は、孤児院の前に立つ鉄鳴の隊列を見据える。
「次」
黒白の修道装《こくびゃくのしゅうどうそう》
レアリティ:エピック
鍛冶師アルベリッヒが、蒼星のために打っていた未完成の防具に、破損した修道服の残骸を芯材として組み込んだ装備。
白は、祈りの色。
黒は、弔いの色。
金は、まだ戦うための線。
かつての修道服が持っていた魔力の馴染み、蒼星自身の戦闘経験、血と傷の記録を、新しい装甲へ噛ませることで、未完成ながら蒼星の身体に適合している。
効果
・VIT、MIN、TEC、AGI上昇(大)
・AGI行動時の姿勢制御補正
・スキル、装備品による負荷を軽減する
・認識阻害(大)
・継続ダメージを軽減する
・状態異常耐性上昇
・自動回復(小)
固有スキル
《帰還の誓い》
守るために戦う時、VIT、MIN、TEC、AGIに大幅な補正を得る。