Nocturne Reaper   作:Spica@お星

21 / 27
帰る場所

リンは、拘束されたまま笑っていた。

 

両手首には死糸が絡み、膝と足首は戒縛凶鎖(クライム・アタッチ)で縛られている。背後には凍星の虹色の足場が壁のように固定され、横には椒の大太刀が逃げ道を塞いでいた。

 

鉄鳴の本陣は沈黙している。

 

六人のフルパーティーは崩れた。盾役は倒れ、槍使いは意識を落とし、狙撃手は弓を握れず、魔法使いと支援役は獣たちに押さえ込まれている。呪術師も動かない。

 

町の火は、まだ完全には消えていない。けれど、孤児院を押し潰そうとしていた包囲は、もう壊れていた。蒼星は大剣を石畳に突き立てたまま、リンを見下ろしていた。

 

背中の傷は深い。黒白の修道装の内側には血が滲み、星天の接続部はまだ熱を持っている。蒼雷の反動で脚も震えていた。

 

それでも、蒼星は倒れなかった。

 

「聞くことがある」

 

蒼星は言った。リンは唇の端を上げる。

 

「何を?」

「連盟は、次に何をするの」

 

リンの笑みが深くなった。

 

「……知りたいの?」

「うん」

「知ってどうするの。あなたたち、ここを守って勝ったつもり?」

 

椒の眉が動いた。

 

「何がおかしい」

「おかしいわよ」

 

リンは喉の奥で笑った。

 

「本当におかしい。町を守った。子供を助けた。シオンも折れなかった。私たちも倒した。それで、全部間に合ったと思っているの?」

 

凍星が白杖フィエルティジムを握り直した。

 

「本題を言え」

 

リンは凍星を見て、それから蒼星へ視線を戻した。

 

「戦争よ」

 

炎の音が、少しだけ遠くなった気がした。

 

蒼星は目を細める。

 

「戦争?」

「ええ」

 

リンは楽しそうに頷いた。

 

「連盟と連合がぶつかる。三日後、旧砦跡でね」

「連合?」

 

蒼星は、その言葉を知らなかった。

 

連盟は分かる。鉄鳴が属している組織だ。査問だの秩序だのを掲げ、前線と物資を握り、レッドPLを狩る名目で町を包囲した側。けれど、連合という名前には聞き覚えがない。リンはそれを見て、少しだけ満足そうに笑った。

 

「知らないのね。あなたがこの町で子供たちと過ごしている間に、外ではもうそういう話になっているのよ」

 

蒼星は答えない。

 

リンは続けた。

 

「連盟に対抗するために集まった勢力よ。大手だけじゃない。連盟のやり方に反発したギルド、物資を握られていた中小勢力、前線から距離を置いていた連中。そういうものが、まとめて連合を名乗り始めた」

 

凍星の表情が変わった。

 

「……旧砦跡で、三日後」

「そう」

 

リンは笑う。

 

「もう止まらない。準備は進んでいるし、火種も撒き終わっている。あなたたちがこの町で遊んでいる間にね」

 

椒の紫炎が低く揺れた。

 

「遊んでた、だと?」

「事実でしょう?」

 

リンは椒を見上げた。

 

「この町を守るために、時間を使った。子供を助けるために、時間を使った。シオンを守るために、時間を使った。その間に、旧砦跡では戦争が始まる準備が整っている」

 

蒼星は静かに聞いた。

 

「それだけ?」

 

リンの目が細くなる。

 

「ええ。正面からの戦争だけなら、まだ綺麗だったかもしれないわね」

「どういう意味」

「連盟側には、正式な戦力とは別に、第三勢力としてレッドPLの徒党が混じる」

 

蒼星の視線が冷えた。

リンはその反応を見て、わざとらしく言葉を続ける。

 

「戦争の混乱に乗じて、連合を横から強襲する。指揮系統を乱し、補給を焼き、後衛を潰す。誰が誰を殺したか分からない混乱の中なら、いくらでもやれる」

 

椒が一歩、前へ出た。

 

「それで?」

 

リンは笑った。

 

「特に狙われるのは、元闇鍋のメンバー」

 

凍星の周囲で、獣たちが低く唸った。

 

リンは笑みを深める。

 

「全員、殺されるわ」

 

その言葉に、椒の紫炎が跳ねた。

 

炎が膨らむ。町を焼く赤ではない。椒の内側で燻っていた怨嗟が、刃の上で一瞬だけ形を変えたような、濃い紫の火だった。

 

「……誰を殺すって?」

 

低い声だった。

 

いつもの軽さがない。挑発でも、笑いでもない。刃を抜く前の、静かな確認。

 

リンはそれを見上げ、楽しそうに目を細めた。

 

「元闇鍋のメンバーよ。連合側にいる者も、合流しようとしている者も、まとめてね」

「もう一回言ってみろ」

「全員、殺される」

 

椒の大太刀が、リンの喉元へ近づいた。

 

「椒」

 

蒼星が止めた。声は掠れていたが、届いた。椒は振り返らない。

 

「蒼星さん、こいつは」

「まだ聞く」

「聞いてどうする。どうせ――」

「聞く」

 

その一言で、椒は歯を食いしばった。紫炎が揺れる。けれど、大太刀は止まった。蒼星はリンを見下ろした。

 

「レッドPLの徒党。数は」

「正確には知らないわ。けれど、一パーティーや二パーティーじゃない。戦争に紛れ込ませるために集められた連中よ。混乱が好きで、奪うのが好きで、弱いところを刺すのが好きな連中」

 

リンの目が、わざとらしく蒼星をなぞる。

 

「あなたと同じ、赤い名前のね」

 

蒼星は否定しなかった。ただ、星天の指がゆっくりと握られる。

 

「蒼星さんは、あいつらとは違う」

 

椒が低く言った。それは自分に向けた言葉にも聞こえた。

 

リンは笑う。

 

「そう思っているのは本人だけかもしれないわよ」

「黙れって言ったよな」

 

椒の声がさらに沈む。

凍星が白杖フィエルティジムを軽く鳴らした。

 

「椒、挑発に乗るな。情報の方が先だ」

「分かってる」

「分かってる顔じゃない」

「うるせぇ」

 

蒼星は二人のやり取りを聞きながらも、視線はリンから逸らさなかった。

 

「旧砦跡まで、どれくらい」

 

凍星が答える前に、リンが笑った。

 

「ここからなら、通常移動で五日以上。馬を潰しても四日。転移門は連盟が押さえる。強行突破? その身体で?」

 

リンの視線が蒼星へ向く。黒白の修道装は血を吸い、星天はまだ熱を吐いている。背中の傷は深く、立っているだけでも不自然な状態だった。

 

「無理よ」

 

リンは言った。

 

「あなたたちは勝った。ここではね。でも、その勝利に時間を使った。子供を助け、町を守り、シオンを守った。その間に、向こうでは戦争の準備が終わっている」

 

蒼星は何も言わなかった。

 

リンはさらに続ける。

 

「守るものを選べば、選ばなかったものは壊れるのよ。シオンが嫌いだった理由、少しは分かった?」

 

蒼星の指が、大剣の柄を握る。星天が低く軋んだ。

 

「あなたはここを選んだ。だから旧砦跡には届かない。元闇鍋の連中も、連合も、向こうにいる誰かも、あなたが間に合わなかったせいで死ぬ」

 

炎の音がする。

 

遠くで、町の人々が水桶を運ぶ声が聞こえる。孤児院の方から、誰かが泣く声も聞こえた。

 

リンは笑ったまま言う。

 

「全部は守れないわ」

 

蒼星は、しばらく黙っていた。それから、静かに口を開く。

 

「全部守れるとは言ってない」

 

リンの笑みが、わずかに止まる。

 

「でも、間に合わないって決まったわけでもない」

「強がりね」

「違う」

 

蒼星は大剣を杖代わりにして、どうにか姿勢を保った。

 

血が石畳に落ちる。

 

「間に合わせる方法を探す」

 

リンは声を立てて笑った。

 

「その身体で? その人数で? 三日後の旧砦跡へ? 馬鹿げているわ」

「うん」

 

蒼星は否定しない。

 

「普通なら、無理」

 

凍星が小さく息を吐いた。

 

「普通ならな」

 

椒が横目で凍星を見る。

 

「奏雨、何かあるのか」

「今はない。けど、普通じゃない方法を探すしかない」

「それ、だいたい蒼星さんが無茶する流れじゃねぇか」

「だろうな」

 

二人の視線が蒼星へ向く。蒼星は少しだけ目を伏せた。

 

「無茶で済むなら、する」

「済まないかもしれないだろ」

 

椒の声には怒りが残っていた。蒼星は答えようとして、そこで膝が落ちかけた。

 

視界が一瞬、白く揺れる。

 

星天の接続部が軋み、背中の傷が熱を持った。黒白の修道装の自動回復は働いているが、追いついていない。立っているだけで血が流れている。

 

「蒼星さん!」

 

凍星が動こうとした。けれど、その前に別の声が割り込んだ。

 

「そこまでです」

 

シオンだった。

 

杖を握り、顔色を悪くしたまま、それでも真っ直ぐに歩いてくる。防衛戦の支援と治療で消耗しているはずなのに、その声だけは揺れていなかった。

 

「全員、孤児院へ戻ってください」

 

蒼星はシオンを見る。

 

「でも」

「でも、ではありません」

 

シオンの声は静かだった。

 

「蒼星さん、あなたは今すぐ倒れてもおかしくない状態です。椒さんも火傷が酷い。凍星さんも魔力を使いすぎています。戦争の話をするにしても、移動手段を考えるにしても、まず治療と休息が先です」

 

リンが拘束されたまま笑った。

 

「休んだところで間に合わないわ」

 

シオンはリンを見た。その目は、怒っていた。けれど、声は荒げなかった。

 

「それを決めるのは、あなたではありません」

 

リンの笑みが少しだけ消える。シオンは蒼星へ向き直った。

 

「帰ってきたばかりでしょう」

 

その言葉に、蒼星は何も言えなくなった。

 

帰ってきた。ただいま、と言った。

 

おかえりなさい、と言われた。それなのに、またすぐ壊れようとしている。

 

シオンは続ける。

 

「行くなとは言いません。言っても、あなたは行くのでしょうから」

「……うん」

「なら、行ける状態にします。だから今は戻ってください」

 

椒が小さく笑った。

 

「先生、強ぇな」

 

凍星も肩をすくめる。

 

「正論すぎて、蒼星さんが反論できてない」

 

蒼星は少しだけ目を伏せた。それから頷く。

 

「分かった」

「本当に分かっていますか」

「たぶん」

「そこは、はいと言ってください」

「はい」

 

シオンはようやく小さく息を吐いた。

 

凍星が獣たちへ短く命じ、リンと鉄鳴の残党を見張らせる。椒はリンの拘束を確認し、大太刀を下ろした。町の火は、住人たちが少しずつ消し止め始めている。

 

勝った。

 

少なくとも、この町では。それでも、誰も勝利を口にしなかった。

 

三日後。

旧砦跡。

連盟と連合の戦争。

 

その裏で動くレッドPLの徒党。元闇鍋のメンバーを殺すという宣告。蒼星は、煙で濁った空を見上げた。

 

星は見えない。けれど、そこに道がないわけではない。

 

「間に合わせる」

 

小さく呟いた声に、椒が反応した。

 

「また無茶する気かよ」

「する必要があるなら」

「だと思った」

 

凍星が呆れたように笑う。

 

「まずは治療。それから無茶の方法を考えよう」

 

シオンが頷いた。

 

「その通りです」

 

蒼星は、もう一度だけリンを見た。

 

リンは黙っていた。

 

笑ってはいたが、その笑みにはさっきほどの余裕がない。三日後、旧砦跡、連盟と連合、レッドPLの徒党。置いていく絶望として投げたはずの言葉を、蒼星がまだ諦めていないからだ。

 

蒼星は大剣を石畳に突き立て、息を吐いた。

 

背中が熱い。

星天の接続部が軋む。

黒白の修道装の内側で、自動回復が細く働いているのが分かる。

 

それでも、まだやることがある。

 

「リン」

名前を呼ばれ、リンが顔を上げた。

 

「何。まだ聞きたいことがあるの?」

「ない」

 

蒼星は静かに答えた。

 

「必要なことは聞いた」

 

リンの目が細くなる。

 

「なら、殺す?」

 

椒の紫炎がわずかに揺れた。凍星の獣たちも、低く身構える。けれど、蒼星は首を横に振った。

 

「殺さない」

「……優しいのね」

「違う」

 

蒼星はリンを見下ろした。

 

「逃がさないだけ」

 

その瞬間、蒼星の視界の端に、職業限定スキルの表示が浮かんだ。

 

罪は罪を、咎人に咎を(シン・フォー・シン)

 

罪業値照合。

敵対行動確認。

町への包囲指揮。

放火の容疑。

非戦闘員への殺害。

戦闘不能者、低レベル帯への危害誘導。

レッドPLとの共同行動記録。

 

確保判定、成立。

 

蒼星は、リンを縛っている死糸を軽く引いた。

 

戒縛凶鎖(クライム・アタッチ)で縛られた手首、膝、足首に、灰色の光が重なる。それは鎖の形をしていた。けれど、鉄ではない。魔法でもない。罪の記録そのものが、形を持ってリンを捕らえているようだった。

 

リンの顔から、笑みが消える。

 

「何を……」

「送る」

 

蒼星は言った。

 

「監獄エリアへ」

 

リンの足元に、冷たい灰色の紋様が開いた。

 

魔法陣ではない。転移門でもない。もっと無機質で、もっと事務的なもの。システムが対象の行動履歴を読み取り、逃走と再戦の可能性を封じるために開く、咎人の行き先。

 

リンが初めて、はっきりと声を荒げた。

 

「ふざけないで。あなたに裁く権利なんて――」

「裁かない」

 

蒼星は遮った。

 

「私は、送るだけ」

 

灰色の鎖がリンの身体を引いた。リンは抵抗しようとしたが、死糸と《戒縛凶鎖》で縛られた身体は動かない。足元の紋様が広がり、リンの膝から下が光の中へ沈み始める。

 

「蒼星……!」

 

リンの声には、怒りと屈辱が混ざっていた。

 

蒼星はその目を見返す。

 

「シオンは折れなかった」

 

リンの表情が歪む。

 

「子供たちも戻った」

 

灰色の光が腰までリンを呑む。

 

「町も、まだ残ってる」

 

リンは何かを言おうとした。けれど、声になる前に、灰色の鎖が喉元まで巻き上がる。

 

蒼星は最後に言った。

 

「あなたは、そこで自分の咎を数えて」

 

リンの姿が、光の中へ沈んだ。一瞬だけ、リンの目が蒼星を睨む。次の瞬間、その姿は完全に消えた。視界の端に、表示が走る。

 

監獄エリアへの送致が完了しました▼

PKPL確保実績を記録しました。

 

蒼星は、しばらくその表示を見ていた。

 

殺さない。

逃がさない。

裁かない。

 

ただ、罪の記録が残る場所へ送る。

それが、執行者(サルヴァティオ)としての執行だった。

 

リンが消えた後、鉄鳴の本陣にはしばらく沈黙が落ちた。

 

炎の音だけが残っている。

 

崩れた指揮幕。割れた魔法通信の結晶。地面に落ちた剣と盾。戦闘不能になった鉄鳴の五人。誰も声を上げなかった。リンがいた場所には、灰色の光の残滓だけが薄く残り、やがてそれも石畳に溶けるように消えていく。

 

蒼星は、倒れている鉄鳴の五人へ視線を向けた。リンと同じではない。

 

全員が同じだけの罪を背負っているわけではない。命令された者もいる。疑わなかった者もいる。止めなかった者もいる。積極的に加担した者もいる。けれど、ここで放置していい相手ではなかった。

 

町を包囲した。逃げ道を塞いだ。孤児院へ人々を追い込んだ。その行動の記録は、消えない。

 

蒼星は小さく息を吐き、糸を引いた。

 

罪は罪を、咎人に咎を(シン・フォー・シン)

 

リンに使った時ほど強い光ではない。けれど、倒れた五人の足元にも、同じ灰色の紋様が順に開いていく。

 

行動履歴照合。

敵対行動確認。

町への包囲参加。

火計への協力、または黙認。

確保判定、成立。

 

灰色の鎖が、戦闘不能になった鉄鳴のPLたちを包んだ。

 

「……殺さないんだな」

 

椒が言った。

 

蒼星は、鉄鳴の一人が光に沈むのを見ながら答えた。

 

「殺す理由がない」

「逃がす理由もない、か」

「うん」

 

凍星が白杖フィエルティジムを軽く鳴らす。

 

「便利な職業だな。いや、便利って言うには重すぎるか」

「使えるなら、使う」

「蒼星さんらしいな」

 

凍星はそう言って、倒れていた最後の鉄鳴メンバーが監獄エリアへ送致されるのを見届けた。

 

監獄エリアへの送致が完了しました▼

 

PKPL確保実績を記録しました。

 

表示が消える。それを確認した瞬間、蒼星の膝が落ちた。

 

大剣を支えにしていたはずの右腕から力が抜け、星天の指が石畳を掻く。黒白の修道装の内側で血が広がり、背中の傷が熱を持ったまま脈打っている。

 

「蒼星さん!」

 

椒と凍星が同時に動いた。

 

だが、その前に白い光が蒼星の背中へ触れた。

 

「動かないでください」

 

シオンの声だった。

 

静かで、けれど逆らえない声。

 

蒼星は顔を上げる。

シオンはいつの間にか近くまで来ていた。杖を握る手は白く、顔色も悪い。孤児院の防衛で、回復魔法も支援魔法も使い続けたはずだった。それでも、蒼星の前に立つ姿だけは崩れていなかった。

 

「シオン」

「はい」

「終わった」

「見れば分かります」

 

シオンは蒼星の傷口に光を当てながら、少しだけ眉を寄せた。

 

「それと、あなたがまた死にかけたことも分かります」

 

蒼星は何も言えなかった。

椒が小さく笑う。

 

「先生、説教はあとでいいか?こいつ、本当に倒れるぞ」

「あとでします」

 

凍星が肩をすくめる。

 

「蒼星さん、抵抗しない方がいい。今の彼女には勝てない」

「うん」

 

蒼星は素直に頷いた。シオンはそれを見て、少しだけ息を吐く。

 

怒っている。

呆れている。

泣きそうにも見える。

けれど、その手は優しかった。

 

「全員、孤児院へ戻ります。あなたも火傷を見せてください。君も魔力切れ寸前でしょう。町の消火は住人の方々に任せます。あなたたちは、もう十分戦いました」

 

椒が大太刀を肩に担ぎ直す。

 

「俺はまだ動けるけどな」

「動けることと、動いていいことは違います」

「……はい」

 

椒が珍しく素直に引いた。

凍星が小さく笑う。

 

「負けたね~」

「うるせぇ」

 

蒼星はそのやり取りを聞きながら、もう一度だけ本陣の跡を見た。

 

リンはいない。鉄鳴のメンバーも送った。

火を撒いていたレッドPLたちも、残っていた者は椒と凍星の獣たちが追い散らしている。

 

完全な勝利ではない。

 

町は燃えた。傷ついた人もいる。壊れたものも多い。

それでも、孤児院は残った。

ナギたちは帰ってきた。

シオンは折れなかった。

 

蒼星は、黒煙の向こうにある孤児院の屋根を見た。

 

帰る場所が、まだそこにあった。

 

「戻ろう」

 

蒼星が言うと、シオンは静かに頷いた。

 

「はい。帰りましょう」

 

その言葉に、蒼星は少しだけ目を伏せた。

 

帰る。

 

戦いから逃げるのではなく、次へ向かうために。

 

一度、帰るのだ。

 

孤児院の食堂には、まだ人の気配が残っていた。

 

避難していた町の人々は少しずつ外へ戻り始めていたが、子供や怪我人はまだ中にいる。床には水桶が並び、壁際には包帯と布が積まれ、机の上には薄めた回復薬と冷めたスープが置かれていた。

 

ナギたちは、食堂の隅に固まっていた。

 

ナギ。

ミナ。

ロロ。

エル。

トウリ。

 

五人とも煤で汚れている。泣いた跡もある。けれど、生きていた。蒼星が食堂に入った瞬間、ナギの顔がくしゃりと歪んだ。

 

「お姉ちゃん!」

 

走り出そうとしたナギを、シオンが手で止めた。

 

「ナギ、ゆっくりです。蒼星さんは怪我をしています」

 

ナギはその場でぴたりと止まる。けれど、止まっただけだった。泣きそうな顔で、両手を握りしめて、蒼星を見ている。

 

蒼星は少しだけ困った。

 

近づくべきか。座るべきか。何を言えばいいのか。

 

分からなかった。

 

だから、いつものように短く言った。

 

「ただいま」

 

その一言で、ナギは泣いた。

 

ミナもロロも、ほっとしたように肩を落とした。エルは採取鞄を抱えたまま鼻をすすり、トウリは顔を隠している。つまみ食いを誤魔化す時とは違う、誤魔化しようのない泣き方だった。

 

シオンが椅子を引く。

 

「蒼星さん、座ってください。治療を続けます」

「うん」

 

蒼星は椅子に座った。

 

星天を一度外し、黒白の修道装の留め具を緩める。背中の傷を見たシオンの眉が、はっきりと険しくなった。

 

「……これは」

「刺された」

「見れば分かります」

「ギリギリで残った」

「それも分かります」

 

シオンの声が低い。

 

「あとで詳しく聞きます」

「はい……」

 

蒼星が素直に返事をすると、椒が吹き出しそうになり、凍星が口元を押さえた。

 

シオンは二人を見た。

 

「お二人もあとで診ます」

「はいはい~」

「分かった」

 

食堂の空気が、ほんの少しだけ緩んだ。

 

戦いは終わった。少なくとも、この場所では。

 

シオンの回復魔法が背中に触れる。痛みが消えるわけではない。傷が塞がる速度も遅い。それでも、血が止まり、呼吸が少し楽になる。

 

蒼星は治療を受けながら、ナギたちを見た。

 

五人とも、まだこちらを見ている。ナギは泣きながら、何かを言いたそうにしていた。

 

蒼星は少し考えてから、左手を伸ばした。

 

「ナギ」

「……うん」

 

ナギが近づく。

 

今度はシオンも止めなかった。

 

蒼星は、椅子の横に置いていた小さな包みを取った。

それは、黒骸回路へ向かう前から用意していたものだった。本当なら、もっと早く渡すはずだったもの。けれど、渡す前に子供たちはダンジョンへ入り、蒼星は追いかけ、町は燃えた。

 

渡せなかった約束。

まだ残っていた約束。

 

「ご褒美」

 

ナギの目が丸くなる。

 

「……ご褒美?」

「ちゃんと戻ってきたら、あげるって言った」

 

ナギは言葉を詰まらせた。

 

「でも、僕……」

 

言いかけて、俯く。

 

怖かった。

逃げた。

戻ろうとした。

蒼星を置いていった。

 

そう思っているのだろう。蒼星は包みをナギの手に乗せた。

 

「合格」

 

ナギの指が震える。

 

「僕、合格なの?」

「うん」

「逃げたよ」

「生きて戻った」

「怖かった」

「怖くても、ミナたちを連れて戻った」

「お姉ちゃんを置いていった」

「私がそう言った」

 

蒼星の声は、静かだった。

 

「だから、合格」

 

ナギは泣きそうな顔のまま、包みをほどいた。

中にあったのは、小さな剥ぎ取り用のナイフだった。

 

子供の手でも扱えるように、柄は細く削られている。滑らないように革が巻かれ、刃は長すぎず、刺すためではなく素材を剥ぐために整えられていた。鞄に留められる革鞘もついている。

 

そして、柄尻には小さな星の印が刻まれていた。ナギはそれを見たまま、しばらく動かなかった。

 

「これ……」

「ナギの」

「僕の?」

「うん」

「本当に?」

「本当」

 

ナギはナイフを両手で持った。

鞘に入ったままのそれを、宝物みたいに大事に抱える。

 

「武器じゃない」

 

蒼星は言った。ナギが顔を上げる。

 

「道具。素材を剥ぐためのもの。食べるものを取るためのもの。必要なものを持ち帰るためのもの」

「……道具」

「使い方を間違えたら危ない。最初はシオンかアルベリッヒの前で使って」

 

ナギはこくこくと頷いた。

 

「お姉ちゃんは?」

 

蒼星は少しだけ黙った。それから答える。

 

「帰ってきたら、教える」

 

ナギの目に、また涙が溜まった。

 

「また行くの?」

「うん」

「危ないところ?」

「たぶん」

「……行ってほしくない」

 

ナギの声は小さかった。蒼星は、どう答えればいいのか少し迷った。

行かないとは言えない。危なくないとも言えない。必ず大丈夫とも言えない。

 

だから、嘘はつかなかった。

 

「行く」

 

ナギの顔が歪む。

 

「でも、帰る」

 

蒼星は続けた。

 

「帰ってきて、使い方を教える」

 

ナギはナイフを胸に抱きしめた。

 

「約束?」

「約束」

「絶対?」

「絶対」

 

ナギは泣きながら頷いた。

 

「じゃあ、僕、待ってる。今度はちゃんと待ってる。知らない人についていかない。危ないと思ったらシオン先生に言う。ミナたちと一緒にいる。勝手に行かない」

「うん」

「だから、帰ってきて」

 

蒼星はナギの頭に左手を置いた。

 

軽く。壊れものに触れるみたいに。

 

「帰る」

 

ナギは声を上げて泣いた。

 

ミナとロロがその横に寄り添い、エルがナギの背中を撫で、トウリが鼻をすすりながら「ずるい、僕も触りたい」と小さく言った。

 

蒼星は少しだけ困った顔をした。

 

それから、ナギの頭に置いていた手を離さず、空いている指でトウリの額を軽く突いた。

 

「つまみ食いしないなら」

「してない」

「嘘」

 

食堂に、小さな笑いが広がった。それは戦いの後に残った、ひどく弱い笑いだった。

けれど、確かにそこにあった。

 

蒼星は、ナギが握る星の印のナイフを見た。

 

渡せた。まだ果たせていない約束はある。

 

三日後の旧砦跡。元闇鍋のメンバー。連盟と連合の戦争。

 

間に合わないと言われた場所。けれど、今ここで、一つだけは果たせた。

 

蒼星は小さく息を吐いた。

 

帰る理由が、また一つ増えた。

 

ナギたちが眠ったあと、食堂には静かな灯りだけが残っていた。

 

町の火は、ようやく大きな勢いを失っている。窓の外にはまだ煙が流れていたが、悲鳴はもう聞こえない。代わりに、遠くで水桶を運ぶ音と、壊れた板を片づける音がしていた。

 

蒼星は食堂の椅子に座っていた。

 

黒白の修道装は一度外され、背中の傷を見るために上半身には包帯が巻かれている。星天も机の上に置かれ、時折、冷えきらない熱を吐くように小さく軋んでいた。

 

シオンは、蒼星の背中に手を当てていた。

 

回復魔法の光が、傷口に薄く滲む。

 

「痛みますか」

「痛い」

「正直ですね」

「嘘をつく意味がない」

「では、次からは痛くなる前に戻ってきてください」

 

蒼星は少しだけ黙った。

 

「それは難しい」

「でしょうね」

 

シオンの声は静かだった。怒っているようにも、呆れているようにも、泣きそうなようにも聞こえた。包帯を結び直す手つきは丁寧だった。けれど、その指先には少しだけ力が入っている。

 

「蒼星さん」

「うん」

「行くんですね」

 

蒼星はすぐには答えなかった。

 

窓の外を見る。

燃え残った町。

壊れた柵。

焦げた壁。

けれど、孤児院は残っている。

 

ナギたちは、食堂の奥で眠っていた。ミナとロロが身を寄せ合い、エルは採取鞄を抱えたまま丸くなっている。トウリは寝ながら何かを食べる夢でも見ているのか、口元をもごもご動かしていた。

 

ナギの手には、星の印が刻まれた剥ぎ取り用のナイフが大事そうに握られている。

 

蒼星は、それを見てから答えた。

 

「行く」

 

シオンの手が、一瞬だけ止まった。

 

「前に、聞きましたよね」

「何を」

「ここで暮らしませんか、と」

 

蒼星は、視線だけをシオンへ向けた。

 

覚えている。

 

この孤児院で、朝食を食べて、子供たちに囲まれて、町へ行って、シオンに叱られて、アルベリッヒに怒鳴られて。

 

そういう日々を続けてもいいのではないかと、言われた。

 

蒼星はその時、考えとく、と答えた。

 

断らなかった。それは、拒絶できなかったからだ。

 

「答えは出ましたか」

 

シオンが静かに聞いた。蒼星は、少しだけ目を伏せる。

 

「うん」

「聞かせてください」

 

蒼星は、眠っている子供たちを見た。

 

「ここにいたいと思った」

 

シオンの表情が、わずかに揺れた。

 

蒼星は続ける。

 

「朝、ナギがうるさい。ミナとロロはよく分からないことで笑う。エルは採取したものを見せに来る。トウリはつまみ食いして、すぐばれる」

 

食堂の奥で、トウリが寝返りを打った。

 

蒼星は少しだけ目を細める。

 

「シオンは怒る。アルベリッヒも怒鳴る。町の人はまだ少し警戒してるけど、それでも追い出さなかった」

「……はい」

「そういうの、悪くなかった」

 

蒼星は自分の左手を見た。

血と傷の残る手。

人を殺した手。

それでも、ナギの頭を撫でた手。

 

「だから、ここにいたい」

 

シオンは何も言わなかった。言えば、何かが崩れてしまうと思ったのかもしれない。けれど、蒼星はその前に言った。

 

「でも、だから行く」

 

シオンの目が揺れる。

 

「それは、どういう意味ですか」

「ここにいるため」

 

蒼星の声は静かだった。

 

「赤い名前だから入れないとか、ここにいる資格がないとか、そういう話じゃない」

 

昔なら、そう言ったかもしれない。

自分はレッドPLだから。

人を殺したから。

誰かの食卓に混ざっていい人間じゃないから。

だから、前線へ戻る。

だから、孤児院にはいられない。

そう言えば、楽だった。

 

自分で線を引けば、傷つかずに済む。帰る場所など持たなければ、失うものも増えない。

 

けれど、もう違う。

 

「シオンが作った場所を見た」

 

蒼星は言った。

 

「ナギたちが帰ってくる場所を見た。町が燃やされても、誰かが誰かを助けようとするのを見た」

 

リンの笑みが、脳裏を過ぎる。

 

火。煙。逃げ道を塞ぐ炎。

 

泣きそうなナギの顔。

それでも折れなかったシオンの背中。

 

「今回みたいな理不尽は、また来る」

 

シオンは答えなかった。

 

「暴力で逃げ道を塞ぐ人がいる。子供を使う人がいる。守る人を折るために、守られる人を狙う人がいる」

 

蒼星は、ゆっくりと手を握った。

 

「そういう相手に、言葉だけじゃ止まらないことがある」

「蒼星さん」

「だから、私を使う」

 

シオンの顔が痛むように歪んだ。蒼星は続ける。

 

「私は壊す方が慣れてる。敵を殺す。追手を撒く。邪魔なものを断つ。逃げ道を作る。そういうことなら、できる」

 

そこで、蒼星は一度言葉を切った。昔なら、それだけだった。

 

できるからやる。

やれてしまうからやる。

他に使い道がないから、そこへ行く。

けれど、今は違う。

 

「でも、もう、それができてしまったからやるんじゃない」

 

シオンは、蒼星を見た。

蒼星も、シオンを見る。

 

「守りたいものがあるからやる」

 

食堂の奥から、小さな寝息が聞こえた。

ナギが、寝言のように「お姉ちゃん」と呟いた気がした。

 

蒼星はそちらを見た。

 

「ここに帰るために、前線へ戻る」

 

シオンは何も言えなかった。その言葉は、逃げるためのものではなかった。赤いネームだから孤児院に入れないという諦めではない。日常に馴染めないから戦場へ戻るという逃避でもない。

 

ここで平和な日常を過ごしたから。

この町を守ると決めたから。

シオンやナギ、孤児院の子供たちのために。

 

暴力という理不尽がここまで届かないように、自分自身を抑止力として使う。それは、最終的には帰る場所を守ることに繋がる。蒼星は、その答えを選んだのだ。

 

「……私は」

 

シオンはようやく口を開いた。

 

「あなたに、戦ってほしいと言ったわけではありません」

「うん」

「あなたに、盾になってほしいわけでもありません」

「分かってる」

「なら」

 

蒼星は静かに言った。

 

「シオンは、ここを守って」

 

シオンの手が止まる。

 

「私には、ここは作れない。毎日同じ場所にいて、ご飯を作って、子供たちを叱って、怪我を見て、帰ってくるのを待つ。そういうのは、シオンの方が強い」

 

蒼星は少しだけ目を伏せた。

 

「鉄は、奪うためではなく、守るために鳴る」

 

シオンの手が止まった。それは、鉄鳴がかつて掲げていた言葉だった。

 

前線に立つ者の盾となれ。

弱きを守れ。

鉄は、奪うためではなく、守るために鳴る。

 

リンが口にして、踏みにじった言葉。鉄鳴が掲げて、捨てた理念。

 

蒼星は静かに続けた。

 

「たぶん、いい言葉だった」

 

シオンは何も言わなかった。

 

「でも、今の鉄鳴はそうじゃない。守るための鉄じゃなくなった。人を囲んで、逃げ道を塞いで、火を放って、子供を使った」

 

蒼星は自分の左手を見た。血と傷の残る手。

 

「だから、私は鉄にはなれない」

 

シオンの視線が、蒼星へ向く。

 

「盾にもなれない。みんなを受け止めて、支えて、ここで鳴り続ける鉄にはなれない」

 

蒼星は、机の上に置かれた星天を見た。そして、少しだけ声を低くする。

 

「私は刃」

 

戦うために作られたもの。

斬るために振るわれるもの。

触れれば傷つけ、間違えれば守るものまで裂いてしまうもの。

 

それでも。

 

「届いた理不尽を断つ。ここへ伸びる手を断つ。逃げ道を塞ぐ鎖を断つ。誰かを踏み躙るものを、そこで止める」

 

蒼星はシオンを見た。

 

「私は、断つ者になる」

 

シオンは息を呑んだ。それは、綺麗な誓いではなかった。

 

誰も傷つけないという約束でもない。

けれど、蒼星が初めて、自分の力の使い道を自分で選んだ言葉だった。

 

「鉄は、シオンが鳴らして」

 

蒼星は静かに言った。

 

「私は、その外側で刃になる」

 

シオンはしばらく黙っていた。

 

それから、蒼星の包帯をもう一度だけ丁寧に結び直す。

 

「……刃は、鞘がなければ人を傷つけます」

「うん」

「なら、帰ってきてください」

 

シオンの声は、少しだけ震えていた。

 

「ここが、あなたの鞘になります」

 

蒼星はすぐには答えなかった。

 

食堂の奥で、ナギが寝返りを打つ音がした。小さな手が、星の印が刻まれたナイフを抱きしめている。蒼星は、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……うん」

 

それだけ答えた。

けれど、その一言は、以前の「考えとく」とは違っていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。