Nocturne Reaper   作:Spica@お星

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夜明け

夜明け前の鍛冶場に、鉄を叩く音が響いていた。

 

町はまだ眠っていない。燃え残った家屋からは細い煙が上がり、通りには水を運ぶ住人たちの足音が残っている。孤児院ではシオンが怪我人の治療を続け、子供たちはようやく眠った頃だった。

 

その中で、アルベリッヒだけは鍛冶場にいた。

 

目の前にあるのは、蒼星が使っていた未完成の大剣。刃は欠け、柄には星天で無理やり掴んだ跡が残り、重心もひどく歪んでいる。普通の武器なら廃棄してもおかしくない。

 

だが、アルベリッヒは捨てなかった。

 

投げる。引き戻す。叩きつける。薙ぎ払う。蒼雷の速度に乗せて戦場を横切る。

 

剣として扱われていない。なら、剣としてだけ仕上げる必要はない。

 

刃には死糸を絡めるための溝を走らせた。柄は星天で掴まれても潰れないよう補強し、柄頭には打撃に耐える重さを持たせる。重心は投擲と引き戻しを前提に、普通の大剣の正解からわずかに外した。

 

ただ、壊れない。

 

その一点だけに心血を注いだ。

 

隣の作業台には、黒白の修道装が置かれている。急造で仕上げた防具は、すでに傷だらけだった。背中には不意打ちで裂かれた痕があり、星天との接続部周りには焼けた跡がある。脚部の補助機構は蒼雷の反動で軋み、肩の留め具も歪んでいた。

 

アルベリッヒは焦げた布を丁寧に整え、破損した修道服の残骸をもう一度、装甲の内側へ噛ませ直す。

 

白は祈りの色。

黒は弔いの色。

金は、まだ戦うための線。

 

「……止めても聞かねぇんだろうな」

 

低く呟き、最後の留め具を締める。

 

大剣を水槽へ沈めると、激しい蒸気が上がった。白い煙の向こうで、刃が形を定めていく。未完成だった大剣は、もう未完成ではなかった。

 

アルベリッヒは仕上がった大剣を持ち上げる。

 

重い。だが、死んだ重さではない。走るための重さだった。

 

箒星(エトワール)

 

その名を口にした瞬間、鍛冶場の入口で小さな音がした。

 

蒼星が立っていた。

 

包帯を巻かれ、顔色はまだ悪い。右腕の星天も仮固定のまま低く軋んでいる。立っているだけで痛むはずなのに、蒼星は静かに鍛冶場へ入ってきた。

 

「寝てろって言われなかったか」

「言われた」

「なら寝てろ」

「見に来た」

「だから馬鹿だって言ってんだ」

 

アルベリッヒは舌打ちし、大剣を蒼星の前に立てた。

 

「仕上げた。名前は箒星(エトワール)だ」

 

蒼星は左手で柄に触れた。冷えた金属の奥に、まだ火の気配が残っている。

 

「ありがとう」

「礼はいい。壊すな」

「努力する」

「信用ならねぇ」

 

アルベリッヒはそう吐き捨て、蒼星の右腕へ視線を落とした。星天の接続部は熱を持ったまま歪み、皮膚と装甲の境目は赤く腫れている。

 

「そっちも見せろ」

「星天?」

「それ以外に何がある。今のまま繋いだら、飛ぶ前に肩が壊れる」

 

蒼星が素直に椅子へ座ると、アルベリッヒは星天の外装を外し、焼けた金具を抜き、曲がった芯を叩き直し、黒白の修道装側に追加した補助留め具と噛み合うよう角度を変えていく。

 

「星天は腕じゃねぇ。武器でもねぇ。今のお前にとっては、身体と武器の境目だ。そこが狂えば、全部狂う」

「うん」

「うんじゃねぇ。もっと大事に扱え」

「使わないと間に合わなかった」

「それを分かった上で怒ってんだよ」

 

最後の固定具が締まる。星天が低く唸り、蒼星の右肩から指先へ魔力の線が通り直した。

 

「動かせ」

 

蒼星は星天の指を開き、ゆっくりと握る。金属音は小さく、軋みも少ない。

 

「軽い」

「軽くしたんじゃねぇ。ちゃんと繋いでやっただけだ」

 

アルベリッヒは工具を置き、蒼星を睨んだ。

 

「星天を腕みてぇに使うな。武器みてぇにも、盾にも、推進力にも使いやがる」

「便利だから」

「便利で済ませるな」

 

低い声だった。

 

「星天は、お前の身体に繋がってる。無茶をすれば、壊れるのは装備だけじゃねぇ。肩も、神経も、魔力の通り道も、まとめて持っていかれる」

 

蒼星は、開いた星天の指を見つめた。動きは昨日までより素直だった。握る。開く。捻る。そのたび、黒白の修道装の肩口と背中の補助具が負荷を受け止めているのが分かる。

 

「負荷を逃がす仕組みを作った。蒼雷を踏んだ時も、星天で掴んだ時も、反動が一点に集中しねぇようにな。ただし、負荷が消えたわけじゃねぇ。勘違いするな」

「分かった」

「本当に分かってるか?」

「たぶん」

「そこが信用ならねぇんだよ」

 

アルベリッヒは大きく息を吐き、箒星(エトワール)を蒼星の前へ押し出した。

 

「こいつも同じだ。壊れねぇように作った。だが、持ち主が先に壊れたら意味がねぇ」

 

蒼星は大剣の柄を握る。重い。けれど、手に戻ってくる重さだった。

 

「帰ってこい」

 

アルベリッヒは目を逸らしたまま言った。

 

「武器も防具も、主が戻ってきて初めて意味がある」

 

蒼星は少しだけ目を伏せた。

 

「うん」

 

星天の指が、箒星(エトワール)の柄を掴む。黒白の修道装が肩と背中で負荷を受け、右腕の重さが身体の中心へ落ちる。

 

今度は、ちゃんと繋がっていた。

 

孤児院の食堂には、夜明け前の冷えた空気が残っていた。

 

机の上には地図が広げられている。焼け焦げた町の地図ではない。旧砦跡までの街道、周辺の森、山道、使えるはずだった転移門、連盟が押さえている可能性の高い拠点。そのすべてを、凍星が白杖フィエルティジムの石突で示していた。

 

蒼星は椅子に座っている。

 

正確には、座らされていた。

 

背中の包帯はまだ新しく、黒白の修道装は肩口だけ外されている。シオンが後ろに立ち、回復魔法の光を傷口へ細く流し続けていた。光が触れるたびに、蒼星の肩がほんの少しだけ揺れる。

 

「動かないでください」

「動いてない」

「呼吸で動いています」

「それは無理」

「なら、せめて余計なことをしないでください」

 

椒が机の向こうで笑った。

 

「蒼星さん、完全に患者扱いだな」

「患者です」

 

シオンが即答した。

 

椒は肩をすくめる。腕には火傷の布が巻かれ、紫炎の残滓はもう消えている。それでも皮膚の下には熱が残っているのか、時折顔をしかめていた。

 

凍星も無事ではない。外套の端は焦げ、白杖を持つ手には細かな擦過傷がある。魔力を使いすぎたせいか、顔色も少し悪い。それでも、地図を見る目だけは冷静だった。

 

「結論から言うと、普通に行くのは無理だ」

 

凍星は言った。

 

「旧砦跡まで、通常移動なら五日以上。馬を替えながら無茶をしても四日。転移門は連盟が押さえる可能性が高い。仮に空いていても、蒼星さんたちが使えば足跡が残る。待ち伏せされるか、最悪、転移先で囲まれる」

 

椒が舌打ちした。

 

「じゃあ山越えは?」

「地形が悪い。三人とも万全ならまだしも、今は蒼星さんがこの状態で、椒も火傷が残ってる。私も魔力を戻す必要がある。強行すれば、着く前に戦力が削れる」

「蒼雷は?」

 

椒が聞く。

シオンの手が、蒼星の背中で止まった。

 

「却下です」

「まだ何も言ってない」

「言う前から却下です」

 

シオンの声は静かだったが、誰も反論しなかった。

蒼星は少しだけ目を伏せる。

 

「長距離は無理。途中で壊れる」

「自覚があるならいいです」

「でも、短距離なら使う」

「よくありません」

「必要なら」

「必要でも、事前に言ってください」

「分かった」

「本当に?」

「たぶん」

 

シオンの指先に力が入ったのか、蒼星がわずかに肩を跳ねさせた。

凍星は苦笑して、地図の上に視線を戻した。

 

「つまり、徒歩も馬も転移も蒼雷も駄目。残るのは、普通じゃない方法だ」

 

椒が椅子に背を預ける。

 

「普通じゃない方法ってなんだよ」

 

蒼星は、少しだけ考えた。

 

町の煙。旧砦跡までの距離。残り二日という期限。地上の道が足りないなら、道のない場所を使うしかない。

 

「空を飛ぶ」

 

食堂が、少しだけ静かになった。

椒が眉を寄せる。

 

「空?」

「うん」

 

凍星も蒼星を見た。

 

「飛行系のスキル持ちを探すってことか?」

「違う。戦闘機を作っていたギルドがいる」

 

椒が黙った。凍星も黙った。シオンの回復魔法の光だけが、淡く揺れている。

 

数秒後、椒が口を開いた。

 

「戦闘機?」

「うん」

「この世界で?」

「この世界で」

「馬鹿だろ、そいつら」

 

蒼星は即答した。

 

「大馬鹿者」

 

凍星が額に手を当てた。

 

「蒼星さん、その時点で不安しかないんだけど」

「信用はできない」

「もっと駄目じゃないか」

「でも、飛ばすことに関しては信用できる」

 

椒が少しだけ身を乗り出した。

 

「知り合いか?」

「ゲームだった頃に、空戦を挑まれたことがある」

「蒼星さんに?」

「うん」

「そいつ、生きてたのか?」

「墜落したけど、生きてた」

「墜落して生きてる時点で変なやつだな」

「本人は着陸って言ってた」

 

椒はしばらく黙ったあと、腹を抱えるほどではないが、声を漏らして笑った。

 

「駄目だ。完全に馬鹿だ」

 

凍星は笑わなかった。地図の上で、旧砦跡と現在地の間に指を置く。

 

「名前は?」

鉄翼飛行団(アイゼン・フリューゲル)

「……名前だけはまともに強そうだな」

「中身はもっと無駄」

「褒めてないだろ、それ」

「褒めてない」

 

蒼星は続けた。

 

「ギルドマスターは赤男爵。ドイツ軍かぶれみたいなしゃべり方をする。副マスターはJu87(魔王)。飛び方が狂ってる狂人」

 

椒が片眉を上げる。

 

「狂ってるって、蒼星さんが言うほど?」

「うん」

 

凍星が深く息を吐いた。

 

「それは相当だな」

「低く飛ぶ。速く飛ぶ。落ちる寸前まで降りる。本人は安全高度はいらないって言う」

「やっぱり駄目じゃないか」

「でも、間に合う可能性がある」

 

蒼星の声は静かだった。その一言で、食堂の空気が変わる。

椒は笑みを消し、凍星は地図へ視線を落とし、シオンは蒼星の背中へ流す光を少しだけ強めた。

 

「場所は分かるのか?」

 

凍星が聞く。

 

「たぶん。前に拠点を聞いた。山側の旧滑走路跡。正確には、廃砦を改造した工廠」

「旧砦跡とは別?」

「別。近くはない。でも、そこまでなら間に合う」

 

凍星は地図を指でなぞった。

 

「……確かに、そこなら一日以内で届く可能性がある」

 

凍星は地図の上で、現在地から山側の旧滑走路跡、そして旧砦跡までを指でなぞった。

 

「でも、そこから飛べなかったら終わりだ。戦争開始まで残り二日。工廠に着いて、機体を出して、旧砦跡まで飛ぶ。どこかで詰まれば間に合わない」

「かもしれない、か」

 

椒が呟く。

 

「十分」

 

蒼星は言った。

 

「間に合わないよりいい」

 

シオンの手が止まった。

 

「蒼星さん」

「うん」

「行くなとは言いません」

 

蒼星は振り返らない。

 

シオンは傷口へ光を当てながら続けた。

 

「でも、今のままでは行かせません。出発までに治療します。食べて、眠って、身体を少しでも戻してください。約束できますか」

 

蒼星は少しだけ黙った。

 

「約束する」

「無茶は」

「すると思う」

「そこは否定してください」

「できないことは言わない」

 

シオンは小さく息を吐いた。椒が笑い、凍星も肩をすくめる。

 

「まあ、蒼星さんができない約束をしないだけ進歩だな」

「進歩なのか、それ」

 

椒が呆れた声を出す。

 

蒼星は地図を見た。

 

旧砦跡。

 

二日後。

 

連盟と連合の戦争。

 

その裏で動くレッドPLの徒党。

 

徒歩では届かない。馬でも届かない。転移門も信用できない。蒼雷で走れば、戦場に着く前に身体が壊れる。

 

普通なら間に合わない。

 

だから、普通ではない方法を使う。

 

「行こう」

 

蒼星は静かに言った。

 

「間に合わないものを、無理やり間に合わせる」

 

 

山側の旧滑走路跡に辿り着いた時、空はまだ暗かった。

 

夜明け前の冷気が、焼けた町の匂いを少しだけ薄めている。だが、蒼星の背中の傷も、椒の腕に残る火傷も、凍星の顔色の悪さも、何一つ回復しきってはいなかった。

 

それでも、足を止める余裕はない。

旧砦跡で連盟と連合がぶつかるまで、残り四時間。

 

凍星が白杖フィエルティジムを握り直し、目の前の廃砦を見上げた。

 

「……ここか?」

 

半分崩れた石壁。傾いた見張り台。門だった場所には、錆びた鉄骨が斜めに打ち込まれている。普通なら廃墟としか思えない場所だった。

 

けれど、砦の奥には不自然に均された長い地面があった。

 

草が焼け、土が踏み固められ、何度も何度も何かが走った跡。

 

その先には、折れた翼。

 

焼け焦げたプロペラ。

 

魔石管が飛び出した機体の残骸。

 

椒が眉を寄せる。

 

「滑走路……なのか、あれ」

「たぶん」

 

蒼星は短く答えた。

 

「たぶんで来たのかよ」

「ここしかない」

 

その瞬間、砦の奥から爆発音が響いた。

 

赤い火柱が一瞬だけ上がり、黒煙が空へ吹き上がる。椒が反射的に大太刀へ手を伸ばし、凍星の周囲に虹色の粒が浮かぶ。

 

だが、蒼星は動かなかった。

 

「いつもの」

「いつものなのかよ」

 

椒が呆れた声を出す。煙の中から、やけに通る声が響いた。

 

「アハトゥング!消火班、前へ!第三推進器が勇敢に燃え尽きた!繰り返す、これは事故ではない!極めて意義ある出力試験である!」

「事故だろ」

 

椒が即座に言った。砦の門が開く。

現れたのは、赤い外套を羽織った男だった。

 

軍帽めいた帽子。胸に意味ありげな徽章。腰には飾りのようなサーベル。顔には煤がついているのに、背筋だけはやたらと伸びている。

 

男は蒼星を見た瞬間、目を見開いた。

 

次に、芝居がかった笑みを浮かべる。

 

「おお……おお!これはこれは!」

 

男は大仰に片手を広げた。

 

「久しいな、地上の死神!かつて我輩を空より引きずり落とした貴官が、今度は自ら我が滑走路を訪れるとは!実に愉快、実に皮肉、そして実に燃える展開である!」

 

椒が横目で蒼星を見る。

 

「知り合い?」

「一応」

「これが?」

「これが」

 

男は胸に手を当て、誇らしげに名乗った。

 

「我輩こそ、鉄翼飛行団(アイゼン・フリューゲル)ギルドマスター、赤男爵である!」

 

少しだけ沈黙が落ちた。椒が小さく言う。

 

「本当に馬鹿っぽいな」

 

凍星も否定しなかった。

 

「名前負けはしてないな」

 

赤男爵はまったく気にしない。

 

「して、蒼星!貴官がここへ来た理由は一つだろう!ついに空戦の再戦を申し込みに来たか!」

「違う」

 

蒼星は即答した。

赤男爵が固まる。

 

「……違うのか」

「旧砦跡まで飛びたい」

 

その言葉で、赤男爵の表情が変わった。

 

「旧砦跡」

「戦争開始まで、あと四時間」

 

砦の中で鳴っていた金属音が、妙に遠く聞こえた。

赤男爵は数秒だけ黙る。

 

「四時間」

「うん」

「地上移動は論外。転移門は?」

「使えない」

「馬は?」

「間に合わない」

 

赤男爵はゆっくりと息を吸った。そして、次の瞬間。

 

「アハトゥング!!」

 

砦中に響く声で叫んだ。

 

「総員、緊急出撃準備!遊びではない!浪漫でもない!否、浪漫ではあるが、今回は本物の戦場行きである!旧砦跡まで四時間!我らが鉄翼飛行団《アイゼン・フリューゲル》の翼を、今ここで証明するぞ!」

 

砦の奥から怒号が返ってくる。

 

「また赤男爵が無茶言ってるぞ!」

「四時間って何だ!」

「燃料計算、誰かやれ!」

「第三推進器、今燃えたばっかりだぞ!」

「予備は!?」

「予備も昨日燃えた!」

 

椒が額を押さえた。

 

「帰っていいか?」

「駄目」

 

蒼星は即答した。

その時、煙の奥からもう一人、ゆっくりと歩いてくるPLがいた。

 

黒に近い灰色の飛行服。無駄な装飾のない装備。腰には工具と短剣。

 

肩に表示された名は、Ju87(魔王)

 

赤男爵とは違い、騒がしくない。

ただ、目だけが異様に静かだった。

 

静かすぎて、逆に危ない。

 

「赤男爵」

 

低い声。

 

「第三推進器は死んだ」

「死んでおらん! 勇敢に燃え尽きただけである!」

「それを死んだと言う」

 

Ju87はそう言ってから、蒼星たちを見た。

 

視線が、蒼星の右腕に止まる。

 

次に黒白の装甲。

それから背負った大剣。

最後に、蒼星の顔。

 

「蒼星か」

「うん」

「重いな」

 

蒼星は少しだけ首を傾げた。

 

「見て分かるの?」

「飛ばすなら分かる。機体の重心が狂う」

 

Ju87は淡々と言った。

 

「旧砦跡での開戦まで四時間。搭乗者三人。重装備が一人、大太刀持ちが一人、杖持ちが一人。テイムモンスターは格納できるとしても、三人乗せる時点で重量超過だ。燃料、機体強度、着陸地点、全部悪い」

 

赤男爵が胸を張る。

 

「つまり、実に飛ばし甲斐があるということだ!」

「違う。普通なら飛ばさない案件だ」

 

凍星が聞く。

 

「結論は?」

「普通なら無理だ」

 

Ju87は、表情ひとつ変えずにそう言った。

 

椒が眉を寄せる。

 

「おい、そこで終わるな。普通じゃないならどうなんだよ」

「飛ばせる」

 

即答だった。

 

あまりにも迷いがなかったせいで、凍星の方が先に黙った。椒も一瞬だけ言葉を失い、蒼星だけが静かにJu87を見ていた。

 

「方法は」

 

蒼星が聞く。

 

Ju87は砦の奥へ視線を向けた。格納庫代わりに使われている石造りの廃砦。その中では、まだ誰かが金属板を運び、誰かが魔石管を引きずり、誰かが「燃料漏れだ!」と叫んでいる。

 

「戦闘機は使わない」

 

赤男爵が片眉を上げた。

 

「ほう」

「三人は乗らない。重装備、大太刀、杖持ち。さらに大剣を積む。戦闘機に押し込めば、離陸前に重心が死ぬ」

 

椒が顔をしかめる。

 

「言い方」

「事実だ」

 

Ju87は淡々と続けた。

 

「使うのは輸送機だ。速度は落ちるが、重量には耐えられる。問題は、離陸と山越えだ」

 

凍星が地図を見るように目を細めた。

 

「旧滑走路から飛び上がって、そのまま旧砦跡まで飛ぶんでしょ?」

「違う」

 

Ju87は即座に否定した。

 

「高く飛べば見つかる。連盟側の監視に引っかかる。だから基本は谷筋を使う。川沿いに低く飛び、森と山肌の影に隠れて進む」

「低空で抜けるのか」

「そうだ。ただし、途中で避けられない山がある。迂回すれば時間を失う。越えるしかない」

 

凍星の眉が寄る。

 

「そこで高度が足りない?」

「足りない。三人と装備を積んだ輸送機では、通常推力だけだと上昇が鈍い」

 

Ju87の視線が蒼星の右腕へ向く。

 

「だから、義手を使う」

 

椒が嫌そうな顔をした。

 

「そこで蒼星さんを推進器にするわけか」

「一回目は離陸補助。旧滑走路から飛び上がるための加速。二回目は山越え。高度を稼ぐための加速」

 

Ju87は指を二本立てた。

 

「使うのは合計二回。無駄弾は撃たない主義だ」

 

椒が顔をしかめた。

 

「それ、弾の問題じゃなくて蒼星さんの腕の問題だろ」

「同じことだ。弾を無駄にすれば、無駄に壊れる」

「言い方が最悪なんだよな」

 

凍星は地図を見下ろすように、砦の床に引かれた簡易航路図へ視線を落とした。旧滑走路跡から谷筋を抜け、川沿いに低く進み、途中の山を越えて旧砦跡方面へ向かう線。確かに、地上を走るよりは早い。転移門を使うよりも追跡されにくい。

 

だが、失敗すれば全員が落ちる。

 

「一回目は離陸補助。二回目は山越え。そこまでは分かった」

 

凍星が白杖フィエルティジムの石突で航路図を示す。

 

「でも、その二回で足りなかったら?」

「私の計算に、そんなミスはない」

 

Ju87は即答した。

 

「速度を殺さず、高度を無駄に上げず、それでいて連盟に見つからないように飛ぶ。山越えの直前まで谷筋を低く抜け、必要な一点だけ、義手の噴射で機体を持ち上げる」

 

Ju87の目は、静かだった。

 

「それができないなら、鉄翼飛行団(アイゼン・フリューゲル)を名乗る資格はない」

 

赤男爵が、そこで満足そうに笑った。

 

「よく言った、魔王」

 

芝居がかった声ではあった。けれど、その奥にある熱だけは本物だった。

 

「我らは空に挑む者である。飛べる時だけ飛ぶのではない。飛ばねばならぬ時に飛ばしてこそ、翼に意味がある」

 

椒が小さく息を吐いた。

 

「さっきまで爆発してた連中の台詞とは思えねぇな」

「爆発は試験の結果である!」

「失敗の結果だろ」

「成功へ至る過程だ!」

「物は言いようだな」

 

凍星は二人のやり取りを横目に見ながら、もう一度航路図へ視線を落とした。旧滑走路跡から谷筋へ入り、川沿いを抜け、森と山肌の影に隠れて進む。途中で一度、避けられない山を越える。その一点だけ、義手の噴射で輸送機を持ち上げる。

 

理屈は分かる。

 

ただし、理屈が通っていることと、安全であることは別だった。

 

凍星は淡々と言った。

 

「条件が多すぎる」

 

Ju87は頷いた。

 

「だから全部満たす」

「簡単に言うな」

「難しいからやる価値がある」

 

椒が肩をすくめる。

 

「こいつ、静かな赤男爵だな」

「違う」

 

Ju87は即答した。

 

「私は墜とさない」

 

赤男爵が胸を張る。

 

「我輩も墜とさん!」

「お前はよく落ちる」

「着陸である!」

「墜落だ」

「魔王、貴様は副官としてもう少し夢を持て!」

「夢で推力は増えない」

「だが浪漫は推力を超える!」

「超えない。だから燃料を積む」

「燃料も浪漫である!」

「燃料は燃料だ」

 

椒が額を押さえた。

 

「駄目だ、会話してるのに会話になってねぇ」

 

凍星は小さく息を吐いた。

 

「でも、飛ばす話だけは進んでる」

 

蒼星は、黒く煤けた輸送機を見上げた。歪で、煤けて、何度も落ちて、何度も直された翼。

その後方に、自分が括り付けられる。普通なら、馬鹿げている。

 

けれど、普通では届かない。

 

赤男爵は、煤と油に汚れた格納庫の中央へ進み出た。

赤い外套が、爆風の名残に揺れる。サーベルを抜く。その刃は戦うためのものではない。

空に挑む大馬鹿者たちへ、号令を下すためのものだった。

 

「総員、聞け!」

 

格納庫の音が、一瞬だけ止まる。

 

金属板を運んでいた者。

魔石炉を引きずっていた者。

燃料槽を抱えていた者。

焦げた推進器を蹴っていた者。

 

十人だけの弱小ギルドの面々

 

赤男爵は胸を張り、サーベルを高く掲げた。

 

「戦争開始まで四時間!地上の道は塞がれた!転移門は使えん!馬では届かん!ならば、我らが翼で届けるのみ!」

 

Ju87が静かに輸送機へ歩き出す。

 

「後部固定架を組め。燃料槽を前方へ。尾翼補強。義手噴射の反動受けも忘れるな」

 

赤男爵はさらに声を張った。

 

「飛ばすぞ!落とすな!振り落とすな!間に合わぬものを、我らの翼で間に合わせる!」

 

格納庫の奥から、怒号が返った。

 

「了解!」

「固定架、持ってこい!」

「燃料管を繋げ!」

「尾翼補強、急げ!」

「蒼星用の後部架台を組むぞ!」

 

椒が大太刀を担ぎ直す。

 

「本当に乗るのか、これに」

 

凍星が白杖フィエルティジムを握った。

 

「乗らないと間に合わない」

 

蒼星は、星天の指を握る。

 

「行く」

 

その声に、迷いはなかった。

 

赤男爵はサーベルを振り下ろした。

 

鉄翼飛行団(アイゼン・フリューゲル)、緊急出撃準備!」

 

煤けた格納庫に、鉄を叩く音が一斉に鳴り響く。それは武器を鍛える音ではない。

翼を、無理やり空へ押し上げるための音だった。

 

赤男爵の号令が、夜明け前の空へ突き抜ける。

 

「準備を始めろ!」

 




赤男爵かなり好き
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