輸送機は、壊れかけた翼で空を走っていた。
左舷翼は、もう翼と呼べる状態ではない。雷に焼かれた補強板は裂け、配管は火花を散らし、風を受けるたびに根元から折れようと軋んでいる。
それを繋ぎ止めているのは、蒼星の糸だった。
機体の外。
毒雨の降る空の中で、蒼星は星天の指を外装へ食い込ませ、両手から伸ばした糸で翼の破断面と胴体の支柱を縫い止めていた。
「……っ」
声にはならなかった。
歯を食いしばる。
毒雨が黒白の修道装を叩き、隙間から触れた雫が肌を焼く。継続ダメージの痛みが、細い針のように身体の奥へ入り込んでくる。
それだけではない。
機体を支えるために張った糸が、指に、腕に、肩に食い込んでいた。左舷翼が風を受けるたび、糸の先から重さが返ってくる。折れかけた翼を、蒼星の身体ごと引き千切ろうとするような力だった。
さらに、星天が熱い。
二度の噴射で焼けた右腕の奥が、まだ冷えきっていない。火属性弾の反動は肩の奥に残り、接続部が脈打つように痛む。アルベリッヒが直した固定具も、黒白の修道装の補助機構も、負荷を消してくれるわけではない。
逃がしているだけだ。
耐えられる形に、散らしているだけだ。
それでも、蒼星は糸を緩めなかった。
ここで緩めれば、翼が折れる。翼が折れれば、輸送機が落ちる。
輸送機が落ちれば、旧砦跡には届かない。
だから、持たせる。
「……持て」
小さく呟き、蒼星はさらに糸を引いた。左舷翼が、ぎしりと鳴る。
風を受けるたびに翼は暴れ、千切れかけた破断面が機体から離れようとする。そのたび、蒼星の両手から伸びた糸が軋み、指先へ痛みを返した。
緩めれば折れる。引きすぎれば、自分の腕が持っていかれる。だから、ぎりぎりで保つ。翼が翼の形を失わないだけの力で。輸送機が落ちないだけの形で。
機内から凍星の声が飛んだ。
次の瞬間、蒼星の周囲に虹色の薄い面がいくつも展開される。それは膜のように重なり、角度を変えながら毒雨を受け流していた。雨粒が表面に触れ、細かな音を立てて弾ける。
完全には防げない。
風に煽られた毒雨の一部は隙間を抜け、黒白の修道装を叩く。それでも、蒼星へ直接降り注ぐ雨は明らかに減っていた。
蒼星は振り返らない。
「助かる」
「助かるじゃないだろ!」
凍星の声は荒かった。
「外に出たまま翼を縫い止めるなんて、無茶だ!」
「今、無茶をしないと落ちる」
「それはそうだけど!」
凍星は言い返しながらも、白杖フィエルティジムを握る手を止めなかった。
それでも、視線は外へ向ける。
グラウクスが、空を泳ぐように追ってくる。
半透明の鰭が夜明け前の光を受け、蒼と銀の身体が水面のように揺らいでいた。赤男爵の機銃掃射が青白い弾線を刻むが、弾丸はその身体を貫いたように見えて、そのまますり抜けていく。
物理攻撃が通っていない。
弾は当たっている。軌道も合っている。赤男爵の腕が悪いわけではない。けれど、雷属性弾はグラウクスの身体を撃ち抜いたように見えて、そのまま奥へ抜けていく。
半透明の鰭が揺れた。蒼と銀の身体が、雨に濡れた水面のように波打つ。
「……半実体」
凍星は小さく呟いた。
「何か分かったのか!」
椒がハッチ脇から叫ぶ。
凍星は答えず、グラウクスを見た。
毒雨。物理攻撃のすり抜け。半透明の身体。
それなのに、雷属性弾が完全に無効化されているわけではない。弾線が通過した場所だけ、ほんのわずかに輪郭が濃くなっている。
当たっていないのではない。届ききっていない。
「赤男爵さん、雷をもう一度。今度は同じ場所に集めて」
「ヤヴォール!一点集中であるな!」
蒼星も、気づいていた。
赤男爵の雷属性弾が抜けた後、グラウクスの輪郭がわずかに濃くなっている。完全に効いていないわけではない。半実体の身体に、ほんの一瞬だけ引っかかりが生まれている。
だが、蒼星は何も言わなかった。今、自分の役目は翼を繋ぎ止めることだ。この機体を落とさないことだ。考えるべきことは、奏雨くんが考えている。
なら、任せる。
蒼星は糸を引き直し、左舷翼の破断面をさらに縫い止めた。
椒もまた、動かなかった。
本当なら、すぐにでも飛び出したい。だが、今飛び出しても刃は通らない。奏雨が考えている、ならその結果を待つだけ。
だから、待つ。
奏雨が道を作るまで。
椒は大太刀の柄に手をかけ、静かに鯉口を切った。
「……奏雨」
「まだ」
凍星はグラウクスを見たまま答えた。
「あと少し」
凍星は目を細めた。雷属性弾が通過した場所だけ、グラウクスの輪郭がわずかに遅れて揺れている。当たっていないわけではない。届ききっていないだけだ。
「赤男爵さん、同じ一点に集めて」
「ヤヴォール! 一点集中であるな!」
「そこに、私の魔法を重ねる」
凍星の背後に、半透明の剣が並んだ。
一本、二本ではない。十、二十、三十。
夜明け前の薄青い空に、硝子細工のような剣群が浮かび上がる。刃は色を持たず、けれど輪郭だけが確かにそこにあり、毒雨を受けるたびに淡く虹色の光を返した。
凍星は、蒼星を守る薄い面を維持したまま、白杖フィエルティジムを前へ向ける。
「撃つ」
その一言と同時に、赤男爵の銃座が吠えた。
だだだだだだだだだっ――!
雷属性弾の弾線が、グラウクスの胴体の一点へ叩き込まれる。弾はやはり、完全には刺さらない。半透明の身体を抜けていく。だが、抜けた場所だけ、蒼い輪郭が遅れて揺れた。
そこへ、凍星の剣が重なる。
半透明の剣群が、赤男爵の弾線をなぞるように飛んだ。
一本目が、揺らぐ輪郭へ突き刺さる。
二本目が、同じ場所を縫う。
三本目、四本目、五本目。
凍星の額に汗が浮いた。
剣は肉を裂くのではなく、形を固定するように刺さっていく。水面に杭を打つように、空へ溶けていたグラウクスの身体へ、無理やり輪郭を与えていく。
凍星の額に、汗が浮いた。やっていることは、一つではない。
蒼星さんを毒雨から守るための、虹色の暈。
グラウクスへ撃ち込むための、半透明の剣。
そして、あの龍の弱点とギミックの解析。
維持。
考察。
攻撃。
三つを同時に回す。
白杖フィエルティジムを通して魔法を使い、システムの補助を受けているが。けれど、それで全てが自動化されるわけではない。
どこに暈を置くか。
どの角度で毒雨を逸らすか。
どの一点へ剣を撃ち込むか。
赤男爵の弾線と、どの瞬間に重ねるか。
グラウクスの輪郭が濃くなるまで、あと何発必要か。
椒が踏むための足場を、どこに残すか。計算が、頭の中で重なっていく。
視界の端が白く霞んだ。
頭蓋の内側を、細い針で掻き回されるような痛みが走る。
「……っ」
凍星は奥歯を噛んだ。魔力が足りないわけではない。
足りないのは、処理だ。
思考の速度。
判断の精度。
一つ間違えれば、蒼星さんが毒雨に晒される。
一つ遅れれば、グラウクスは半実体のまま逃げる。
一つ狂えば、椒の足場がずれて、空へ落ちる。
それでも、止めない。止められない。ここで止まれば、全部落ちる。
「まだか、奏雨!」
椒の声が飛ぶ。
「まだ」
凍星は短く返した。声が震えないようにするだけで、精一杯だった。
剣がさらに増える。虹色の暈が角度を変える。赤男爵の機銃掃射が、同じ一点を叩き続ける。凍星は痛む頭で、グラウクスの揺らぎを見た。雷属性弾が抜ける。
その直後、輪郭が遅れる。そこへ無属性の剣を刺す。
揺らぎが、止まる。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
「……掴んだ」
凍星は呟いた。毒雨の音が、ふっと薄くなる。蒼と銀の身体に、質量が宿り始める。鰭が空気を押した。触角が雷を散らした。空を泳いでいた影が、初めて重さを持った。
凍星は、割れそうな頭を押さえ込むように白杖を握り締めた。
「実体化した!」
その声と同時に、椒はもう動いていた。
奏雨が残した半透明の剣を踏む。
一本目。
足裏が触れた瞬間、椒の姿が掻き消える。
《縮地》
次の剣へ。
二本目。
三本目。
四本目。
空中に置かれた刃を足場に、椒は落ちるより早く踏み抜いていく。凍星が作る剣は長くは持たない。足場としての強度も、地面とは比べ物にならない。
だが、椒にはそれで十分だった。
「流石だな、奏雨!」
「もっと褒めていいよ」
「アイラブユー」
「きも……」
椒は笑った。大太刀が鞘から抜ける。紫炎が刃へ絡みついた。
赤く燃え上がる炎ではない。
椒の内側に燻る怨嗟が形を持ったような、濃い紫の炎。そこには呪いが混じり、斬った相手の魔力の流れへ喰らいつく。
グラウクスが身を捩る。半実体だった時とは違う。質量を得た身体は、空を泳ぐ動きにわずかな遅れを生んでいた。
椒は最後の剣を踏む。
縮地。
一気に間合いが消える。
「――斬れるな」
紫炎を纏った太刀が、蒼い鱗へ叩き込まれた。
刃が通る。
鱗を裂き、肉を割り、紫の火が傷口へ喰らいつく。グラウクスの身体が大きく跳ねた。
ただの斬撃ではない。
紫炎が、傷口の周囲で燃え広がる。蒼と銀の鱗が焼け、半透明だった名残のような膜が、じゅう、と音を立てて剥がれていく。
グラウクスが鳴いた。水の中で響くような、空全体を震わせる声だった。
凍星は、その反応を見逃さなかった。
「……今の」
椒の呪属性が効いた。
それは分かる。だが、それだけではない。
紫炎が触れた場所だけ、グラウクスの輪郭が崩れていない。むしろ、強制的に実体へ縫い止められたように、傷口が焼き固められている。
毒雨が戻る気配もない。鱗が焼けた場所から、蒼い魔力が蒸発するように散っている。
「火だ」
凍星は呟いた。椒がグラウクスの身体を蹴り、凍星の出した次の剣へ着地する。
「何が!」
「火属性が通ってる。呪いも効いてるけど、反応が大きいのは炎だ!」
赤男爵が銃座から叫んだ。
「火属性弾へ切り替えるか!」
「切り替えてください!」
凍星は白杖フィエルティジムを握り直す。
頭はまだ痛い。虹色の面を維持し、剣を出し、グラウクスの状態を見続けるだけで、思考が焼き切れそうだった。それでも、答えは見えた。
半実体を固定するには魔法攻撃。
実体化した後に削るなら、火。
そして、椒の紫炎なら。
「椒!」
凍星が叫ぶ。
「次も炎を当てて! 傷口を広げる!」
椒は剣の足場の上で大太刀を構え直した。紫炎が、さらに強く燃える。
「分かりやすくていいな」
グラウクスが、怒りに身体を震わせる。
触角に雷が集まる。鰭が風を裂く。けれど、凍星はもう次の剣を置いていた。椒が踏むための道を。火を叩き込むための一直線を。
「行けるか!」
「誰に言ってる!」
椒が笑い、再び縮地で空を駆けた。
赤男爵の火属性弾が、銃座から吐き出される。
だだだだだだだだっ――!
赤い弾線が、夜明け前の空を縫った。
凍星の剣がグラウクスの輪郭を縫い止め、赤男爵の機銃が火を叩き込み、椒の紫炎が傷口を広げる。
実体化した蒼い龍の身体に、炎が喰らいつく。
「椒、右!」
「見えてる!」
凍星が置いた剣を踏み、椒がさらに跳ぶ。
《縮地》
一歩。
《縮地》
二歩。
空中に並んだ半透明の刃を踏み抜き、紫炎を纏った太刀がグラウクスの鰭を裂いた。
火が走る。
呪いが絡む。
一本目のHPゲージが砕けた。だが、それは終わりではなかった。グラウクスの身体が再び半透明に揺らぎ、胸の奥に青白い心臓が浮かび上がる。毒雨が強くなる。鰭に風が巻きつき、触角に雷が走った。
赤男爵が舌打ちする。
「強化形態である!」
凍星は白杖フィエルティジムを握り直した。
「まだ一ゲージ削っただけか……」
グラウクスのHPバーは、残り四本。空は、嵐へ変わっていく。
毒雨が強くなった。
細い雨ではない。風に叩きつけられ、横殴りに流れ、輸送機の外板を削る毒の雨。凍星が展開した虹色の薄い面が、そのたびに音を立てて軋んだ。
「っ……」
凍星は奥歯を噛む。
蒼星を守るための面を崩せば、機体外にいる蒼星が毒雨をまともに浴びる。だが、面を厚くすれば、剣を出すための魔力と処理が削られる。
維持。
解析。
攻撃。
それに加えて、今度は嵐への対応まで増えた。
「奏雨!」
椒が叫ぶ。
「足場!」
「今出す!」
凍星が白杖フィエルティジムを振る。
だが、出した半透明の剣は、次の瞬間、横から吹きつけた風に揺らいだ。風属性の魔力が絡んでいる。普通の風ではない。グラウクスが纏った嵐そのものが、凍星の魔法の位置をずらしてくる。
椒は空中で舌打ちし、足場がずれるより早く身体を捻った。
「っと!」
剣を踏む。踏み抜く。だが、次の足場が遠い。
「椒、戻れ!」
「戻れる足場がねぇだろ!」
凍星は即座に次の剣を置いた。椒はそれを蹴り、機体側へ戻る。紫炎はまだ太刀に残っているが、グラウクスへ再突撃するには距離が悪い。
その間にも、グラウクスの胸の奥で心臓が脈打っていた。
どくん。
その鼓動に合わせて、毒雨がさらに強くなる。
どくん。
触角に雷が走り、青白い光が嵐の中を枝分かれする。
赤男爵が銃座を回した。
「心臓が見えている! 狙うぞ!」
「半実体のままでは抜ける」
Ju87が操縦桿を押さえ込みながら言った。
「まず固定しろ」
「分かっておる!」
赤男爵は火属性弾の弾帯を叩き込む。給弾機が唸り、銃座が赤い火線を吐いた。
だだだだだだだだっ――!
火属性弾が嵐を裂き、グラウクスの胸元へ向かう。
だが、風が弾線を曲げた。火線の半分が逸れ、半分が半透明の身体を浅く焼くだけで抜けていく。
「風が邪魔だ!」
赤男爵が叫ぶ。
「当然だ。向こうも弱点を隠す」
凍星は痛む頭で、グラウクスの動きを見た。心臓は見えている。だが、むき出しになったわけではない。
半透明の身体の奥に浮かび、毒雨と風と雷で守られている。狙えるようで、届かない。見せているのではなく、こちらに狙わせて、嵐の中へ引きずり込むための餌にも見えた。
「厄介だな……」
「どうする、奏雨!」
椒が大太刀を構え直す。凍星は短く息を吸った。
「もう一度、実体化させる。心臓の位置に合わせて固定する」
「さっきより難しいって顔してるぞ」
「難しいよ」
凍星は笑わなかった。
「毒雨が強い。風で剣がずれる。雷で面を割られる。しかも、蒼星さんの防御を切れない」
「それで?」
椒が笑う。
「できるのか?」
凍星は白杖を握り直した。
「やる」
その言葉に、椒は満足そうに口元を歪めた。
「なら、待つ」
蒼星は機体外で、嵐の中心に浮かぶ心臓を見ていた。糸を緩める余裕はない。左舷翼はまだ死んでいる。自分が引いていなければ、次の乱流で折れる。だから、攻撃には行けない。
それでも、視線だけは外さない。
「奏雨くん」
蒼星は小さく呟いた。声は嵐に消える。だが、凍星は振り返らなかった。振り返らないまま、答えるように半透明の剣を並べる。
一本。
二本。
三本。
今度はただ撃つための剣ではない。
風に流される分を読み、雷に割られる位置を避け、椒が踏むための道と、グラウクスの心臓へ攻撃を重ねる線を同時に組む。
凍星の視界が白く霞む。頭が割れそうだった。それでも、白杖は下がらない。
「赤男爵さん、火を心臓の下へ。直撃じゃなくていい。輪郭を焼いて」
「ヤヴォール!」
「椒、私が道を作る。次は胸元まで行って」
「了解」
「蒼星さん」
凍星はそこで初めて、機体外へ声を投げた。
「翼、あと少しだけ持たせて」
蒼星は糸を引き直した。
「分かってる」
グラウクスが嵐の中心で身を捩る。胸の奥の心臓が、青白く脈打った。次の一撃を拒むように、毒雨と雷が一斉に強まる。凍星はその中へ、凍星はその中へ、最初の剣を撃ち込んだ。
半透明の剣は嵐に呑まれかけた。風が刃の軌道をずらし、雷がその輪郭を焼こうと走る。だが、凍星は白杖フィエルティジムをわずかに傾け、剣の角度を変えた。
刺すのではない。流される前提で、置く。
風に押される分だけ逆へ傾け、雷が走る瞬間だけ魔力の密度を落とす。剣は真っ直ぐには飛ばない。弧を描き、揺れ、毒雨の中を縫って、グラウクスの胸元へ届いた。
半透明の身体の奥で、青白い心臓が脈打つ。
どくん。その鼓動に合わせて、剣の先端が弾かれた。
「硬い……!」
「心臓を守ってるのか!」
椒が叫ぶ。
「違う。まだ届いてない」
凍星は奥歯を噛み締めた。心臓は見えている。けれど、見えているだけだ。半実体の膜、毒雨、風、雷。その全部が何層にも重なって、心臓の手前に壁を作っている。
なら、剥がす。凍星は二本目、三本目を撃ち込んだ。
赤男爵の銃座がそれに合わせて火を噴く。
だだだだだだだだっ――!
火属性弾の赤い弾線が、剣の刺さった位置へ重なる。炎が半透明の膜を焼き、凍星の剣がそこを縫い止める。グラウクスが身を捩った。
風が荒れる。輸送機が横へ流された。
「右へ流される」
Ju87が低く言い、操縦桿を押さえ込む。
「左舷が保たんぞ!」
赤男爵が叫ぶ。
外では、蒼星の糸が一斉に軋んだ。
左舷翼が風に煽られ、破断面が開こうとする。蒼星は星天の指を外装にさらに食い込ませ、両手の糸を引いた。指が裂けるような痛みが走る。
それでも、緩めない。
「……ふふっ、いいなぁ」
声は嵐に消えた。
けれど、凍星には届いた気がした。
凍星は息を吸う。
痛む頭の奥で、計算を組み直す。
蒼星を守る面を一枚減らす。代わりに角度を変えて、毒雨を流す。剣を二本、攻撃から足場へ回す。赤男爵の弾線を心臓の下へ寄せる。椒の進路は、風に流される前提で右へずらす。
「赤男爵さん、少し下!」
「ヤヴォール!」
「椒、道を右へずらす!」
「見れば分かる!」
「なら踏め!」
凍星が白杖を振る。
剣が並ぶ。
嵐の中に、細い道ができた。
真っ直ぐではない。歪んでいる。風に押され、雷を避け、毒雨の隙間を縫うための、ひどく不格好な道。だが、椒は笑った。
「十分だ!」
大太刀の紫炎が、さらに濃く燃え上がる。
一本目を踏む。
《縮地》
二本目。
《縮地》
三本目。
足場が砕れるより早く、椒は次の剣へ移る。風が身体を持っていこうとするたびに、紫炎が尾を引き、空中に燃える軌跡を残した。
グラウクスの胸元で、剣と火属性弾が重なり続ける。
半透明の膜が、じゅう、と焼けた。青白い心臓の輪郭が、ほんの一瞬だけ露出する。
「今!」
凍星が叫んだ。椒は最後の剣を踏み抜いた。
「任せろ!」
縮地。
間合いが消える。紫炎を纏った太刀が、グラウクスの胸元へ走った。
だが、グラウクスも動く。
触角に雷が弾け、風が椒の身体を横へ弾こうとする。凍星が咄嗟に剣を一枚、椒の足元ではなく背後に置いた。踏むためではない。
押し返すための壁。椒は背でその剣を受け、風に流される力を殺す。
「助かった、奏雨!」
「斬ってから言え!」
椒が笑う。太刀が届いた。紫炎が、青白い心臓を覆う膜へ喰らいつく。完全な直撃ではない。心臓そのものには、まだ浅い。それでも、炎は届いた。
グラウクスが、空を震わせる声で吠えた。
毒雨が一瞬だけ途切れる。
胸元の膜が焼け落ち、HPバーの二本目がわずかに削れた。
「通った!」
赤男爵が叫ぶ。
「まだ浅い」
Ju87は操縦桿を握ったまま言った。
「だが、道はできた」
凍星は荒い息を吐いた。頭が割れそうだった。視界の端が白い。白杖を握る指先が震えている。それでも、見えた。火で膜を焼く。
椒の紫炎で傷を広げる。心臓へ届く道は、確かに作れる。
凍星は顔を上げた。
「もう一回、同じ手で行く」
椒は剣の足場に着地し、大太刀を構え直した。
「いいぜ。次はもっと深く斬る」
嵐の中心で、蒼海漂龍《グラウクス》が怒りに身を震わせた。毒雨が再び強くなる。雷が空を裂き、風が輸送機を横へ押す。
蒼星は外で糸を引き締めた。
赤男爵は銃座に火属性弾を送り込む。
Ju87は機体を落とさない角度へねじ込む。
凍星は、震える頭で次の剣を並べた。
今回の戦闘では、奏雨くんがかなり無茶をしています。
この世界の魔法には、システムが最初から用意している本来の魔法と、PL側が創意工夫によって作り出した魔法があります。
後者はシステムの補助こそ入りますが、本来想定されていない運用に近いため、使用者への負担はかなり大きいです。
奏雨くんの場合、魔法を生成しながら弾道の計算と制御を行い、さらに戦況の考察や作戦指揮まで同時にこなしています。
なので、作中では淡々と動いているように見えても、実際にはかなり無理をしている状態です。