Nocturne Reaper   作:Spica@お星

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嵐の中の戦い

凍星は、震える頭で次の剣を並べた。

 

もう手順は分かっている。

 

赤男爵の火属性弾で膜を焼く。

凍星の剣で輪郭を縫い止める。

椒の紫炎で傷を広げる。

 

一度通った道だ。なら、次は早い。

 

「赤男爵さん、同じ位置!」

「ヤヴォール!」

 

銃座が吠えた。

 

だだだだだだだだっ――!

 

嵐の中を、赤い弾線が走る。風に流され、毒雨に削られ、それでも火属性弾はグラウクスの胸元へ叩き込まれた。

 

そこへ、凍星の剣が重なる。

 

一本目。

二本目。

三本目。

 

半透明の剣が、焼けた膜を縫い止めるように突き刺さる。グラウクスの輪郭が濃くなり、胸の奥で脈打つ心臓へ続く道が、一瞬だけ開いた。

 

「椒!」

「任せろ!」

 

椒が跳ぶ。

 

凍星の置いた剣を踏み、《縮地》で距離を潰す。風が押し流そうとするたび、椒は紫炎を尾のように引いて体勢を戻した。

 

一歩。

二歩。

三歩。

 

紫炎を纏った太刀が、再びグラウクスの胸元へ叩き込まれる。完全な直撃ではない。だが、さっきより深い。紫の火が膜を焼き、呪いが傷口へ喰らいつく。グラウクスの身体が大きく跳ね、HPバーの二本目が目に見えて削れた。

 

「通ってる!」

 

赤男爵が叫ぶ。

 

「もっと撃つぞ!」

「撃って!」

 

凍星は即答した。

 

頭は痛い。

 

視界の端は白く霞み、白杖フィエルティジムを握る指先は震えている。蒼星を毒雨から守る面も維持しなければならない。椒の足場も置かなければならない。赤男爵の弾線と自分の剣を合わせ、グラウクスの膜が焼ける瞬間を読まなければならない。

 

それでも、止めない。

止めれば落ちる。

止めれば届かない。

 

「もう一回!」

 

凍星が叫ぶ。赤男爵の銃座が火を噴く。凍星の剣が走る。椒が縮地で空を駆ける。

 

蒼星は機体の外で糸を引き締め、左舷翼を繋ぎ止め続けていた。嵐に煽られた翼が暴れるたび、糸が指に食い込み、星天の接続部が熱を持つ。

 

それでも、緩めない。

蒼星が翼を持たせる。

Ju87が輸送機を落とさない。

赤男爵が火を撃ち込む。

凍星が道を作る。

椒が斬る。

 

その全部が噛み合って、蒼海漂龍《グラウクス》のHPバーが削れていく。

 

二本目が半分を切った。さらに削れる。総HPの三分の一に、届く。

 

その瞬間だった。グラウクスが、吠えた。

音ではない。空そのものが震えた。嵐が一瞬、止まったように見えた。

 

次の瞬間、蒼海漂龍《グラウクス》の身体が内側から濁る。

 

蒼ではない。

銀でもない。

白でもない。

 

紫。

緑。

黒。

 

毒そのものを溶かし込んだような色が、半透明だった身体を染め上げていく。

 

「……まずい」

 

凍星が呟いた。

グラウクスの輪郭が完全に定まる。半実体ではない。完全に、そこにいる。

 

毒雨が止んだ。代わりに、グラウクスの喉奥で、毒々しい光が膨らむ。

 

赤男爵が目を見開いた。

 

「形態変化……!」

 

Ju87が操縦桿を握り直す。

 

「来る」

 

グラウクスの口が開いた。

 

蒼い龍だったものが、毒々しく変色した喉の奥から、濁った光を吐き出す。

 

風が逃げる。

雷が裂ける。

毒が、束になって押し寄せる。

 

「ブレス!」

 

凍星が叫んだ。

 

椒は剣の足場を蹴って機体側へ戻る。

赤男爵が銃座を旋回させる。

蒼星は糸を引き、左舷翼を無理やり機体へ寄せる。

Ju87は輸送機を、落ちる寸前の角度へねじ込んだ。

 

毒ブレスが、輸送機のすぐ横を焼き抜ける。

 

外板が溶けた。

空気が腐った。

嵐の中で、戦いの形が変わった。

 

攻めていたはずの空が、今度は牙を剥いた。

 

毒ブレスが通り過ぎた後、輸送機の外板がじゅう、と嫌な音を立てる。腐ったような煙が上がり、金属の表面が黒く爛れた。

 

「外板腐食!後部配管、二本死んだ!」

 

赤男爵が叫ぶ。

 

「まだ飛ぶ」

 

Ju87は短く返した。だが、その声にも余裕はない。

操縦桿が重い。乱流が機体を掴み、グラウクスの風が輸送機を横へ押し流す。左舷翼は蒼星の糸で繋ぎ止められているだけだ。無理に機体を振れば、そのまま翼ごと千切れる。

 

蒼星は外で歯を食いしばった。

 

糸が鳴る。

 

毒雨は止んだ。けれど、それは楽になったという意味ではない。グラウクスは完全に実体化し、質量を持った身体で輸送機へ迫っている。鰭が空気を裂くたび、風の刃が機体を叩き、触角に走る雷が周囲の魔石管を狙って跳ねた。

 

「椒!」

 

凍星が叫ぶ。

 

「前に出るな!今の毒は受けたらまずい!」

「分かってる!」

 

椒は剣の足場へ戻りかけた足を止める。

 

さっきまでなら、実体化は攻撃の合図だった。斬れるなら踏み込めばよかった。けれど今は違う。常時実体化したグラウクスは、斬れる代わりに、近づいた者を毒で殺す形態へ変わっている。

 

麻痺。

猛毒。

防御力低下。

 

そのどれか一つでも受ければ、空中での戦闘は崩れる。椒が一瞬でも動きを止めれば、落ちる。凍星が一瞬でも面の維持を失敗すれば、蒼星が削られる。Ju87が一瞬でも操縦を誤れば、輸送機ごと終わる。

 

「赤男爵さん、牽制を!」

「ヤヴォール!」

 

銃座が火を噴く。

 

火属性弾がグラウクスの顔面へ向かう。だが、グラウクスは身を捩り、風を纏った鰭で弾線を逸らした。数発は鱗を焼いたが、傷は浅い。

 

凍星は息を呑む。

火は効く。

それは間違いない。

 

だが、削り切るには足りない。

さっきまでの手順では、もう間に合わない。グラウクスの喉奥で、再び毒々しい光が膨らむ。

 

二発目のブレス。

 

凍星は白杖フィエルティジムを握り締めた。

虹色の薄い面を重ねる。輸送機の前方に、斜めに、さらに重ねる。真正面から受け止めるのではなく、流す。逸らす。毒を含んだ魔力の束を、少しでも機体の外へ逃がす。

 

「来る!」

 

毒ブレスが放たれた。

 

世界が濁る。

紫と緑と黒を混ぜたような光が、嵐の中を押し潰すように進む。凍星の面に触れた瞬間、虹色の光が何枚も砕けた。

 

一枚。

二枚。

三枚。

 

足りない。

 

凍星は奥歯を噛み、さらに魔力を流し込む。頭が割れるように痛む。視界の端が白く焼ける。それでも、面をずらし、角度を変え、毒の流れを機体の下へ逃がした。

 

毒ブレスが輸送機の腹を掠める。

 

床が揺れた。

 

赤男爵が補助席へ叩きつけられ、椒が壁を蹴って体勢を戻す。Ju87は操縦桿を押さえ込み、機首を無理やり立て直した。

 

「今ので終わらなかったのは奇跡だな!」

 

椒が叫ぶ。

 

「奇跡ではない」

 

Ju87が言った。

 

「凍星が逸らした」

 

凍星は答えなかった。

答える余裕がない。今ので分かった。防げない。

逸らすことはできる。耐えることも、数回ならできる。けれど、それだけだ。次、また同じ威力で撃たれれば、面が砕ける。蒼星の防御も、椒の足場も、攻撃用の剣も、全部同時には維持できない。

 

このままでは押し潰される。凍星はグラウクスを見た。

毒々しく染まった龍の胸奥で、核が脈打っている。

 

火が効く。

 

アレなら届くかもしれない。

だが、ただの魔法ではない。あれを使うには条件がいる。手順がいる。時間がいる。

 

凍星は短く息を吐いた。

 

「……奥の手を切る」

 

椒が振り返る。

 

「奏雨?」

「このまま削るのは無理だ。形を変える」

 

赤男爵が銃座を握ったまま叫ぶ。

 

「何をする気であるか!」

 

凍星は白杖フィエルティジムを床へ突いた。

 

「必殺を使う」

 

その言葉に、椒の顔がわずかに変わった。

 

「それ、時間かかるやつだろ」

「かかる」

「この状況で?」

「この状況だから」

 

凍星はグラウクスから目を離さない。

 

「発動まで、私の手数が落ちる。蒼星さんを守る面も薄くなる。椒、赤男爵さん、注意を引いて。Ju87さん、魔法を当てられる位置へ機体を運んで」

 

Ju87が即答した。

 

「位置を言え」

「術式が開いたら分かる。範囲にグラウクスを入れて」

「やる」

 

椒が大太刀を握り直す。

 

紫炎が、刃の上で揺れた。

 

「つまり、時間稼ぎだな」

「うん」

「どれくらい?」

「十分。七箇所の接触条件を踏む。それから詠唱」

 

椒は一瞬だけ黙った。

 

それから笑った。

 

「長いな」

「短くはない」

「なら、その間は俺が前に出る」

 

赤男爵も笑った。

 

「ハハハハ!空の龍よ、聞こえるか!これより我輩が貴様の相手をしてやる!」

「弾を無駄にするな」

 

Ju87が言う。

 

「分かっておる!」

「分かっていない声だ」

 

凍星は白杖を床へ押しつけた。

 

第一条件。

魔法陣を照射する。

 

白杖フィエルティジムの石突から、細い光が落ちる。それは輸送機の床に触れた瞬間、円を描いた。

 

揺れる機内。

傾く床。

飛行中の輸送機。

 

本来なら、地面へ展開されるはずの魔法陣。けれど、ここに地面はない。ならば、最も近い足場を地面と見なす。輸送機の床に、白色の線が走った。

 

円が広がる。幾何学模様が刻まれる。

 

その中心に立つ凍星の周囲に、七つの光点が浮かび上がった。

 

《秘術:煮え立つは神代からの約定(ボイリング・サークル・バイアス)》。

 

発動条件が、開き始めた。

 

第二条件。

魔法陣内の指定箇所に触れる。

 

計七箇所。

MP貸与を伴う接触を経て、詠唱が赦される。

 

白色の魔法陣の中に、七つの光点が浮かび上がった。

 

一つ目は凍星の足元。

二つ目は傾いた床の端。

三つ目は銃座の近く。

四つ目は後方格納庫。

五つ目は開いたハッチの縁。

六つ目は機体の外へ伸びる魔法陣の端。

七つ目は、左舷側。

 

揺れる輸送機の中で、それらすべてに触れなければならない。

 

「十分って、これをやるのかよ」

 

椒が大太刀を担ぎ直す。

 

「無茶だな」

「うん」

 

凍星は短く答えた。

 

「だから、時間を稼いで」

 

椒は笑った。

 

「了解」

 

紫炎が太刀へ絡みつく。次の瞬間、椒はハッチから飛び出した。

 

凍星の置いた剣を踏み、《縮地》でグラウクスの前へ出る。斬るためではない。誘うためだ。毒ブレスの射線を、雷の狙いを、風の流れを、凍星から逸らすために。

 

「こっちだ、毒クラゲ!」

 

グラウクスが吠えた。

 

毒々しく染まった喉奥に、再びブレスの光が膨らむ。

 

椒は笑い、剣の足場を蹴った。

 

「奏雨、早くしろよ!」

「分かってる!」

 

凍星は一つ目の光点へ触れた。

 

MPが抜ける。魔法陣が脈打つ。

二つ目へ。

 

床が傾く。

三つ目へ。

 

輸送機が揺れ、凍星の身体が壁へ叩きつけられそうになる。だが、白杖フィエルティジムを支えにして踏み止まる。

 

赤男爵の銃座が火を噴く。

 

Ju87が機体を無理やり傾け、グラウクスのブレスを機体の腹すれすれに流す。

 

「落ちるぞ!」

 

赤男爵が叫ぶ。

 

「落としていない」

 

Ju87は前だけを見て答えた。

 

その外で、蒼星は左舷翼を繋ぎ止めていた。糸が軋む。箒星が、後方格納庫の壁に固定されたまま揺れている。蒼星はそれを見た。

 

左舷翼。

糸。

箒星。

星天。

火属性弾。

 

自分は今、翼を支えるために動けない。だが、アタッカーの火力が足りない。椒だけでは足りない。赤男爵の銃座だけでも足りない。凍星の神代魔法に、さらに何かを重ねる必要がある。

 

なら。使えるものは、全部使う。

 

蒼星は箒星(エトワール)へ糸を伸ばした。

 

「……杭になって」

 

大剣の柄に糸を巻きつける。

さらに刃の溝へ通し、左舷翼の破断面へ張っていた糸を、一本ずつ箒星へ移していく。

 

翼の重さが、蒼星の腕から大剣へ移る。ぎしり、と箒星が鳴った。

 

だが、折れない。アルベリッヒが作った大剣は、壊れない。蒼星は星天の指を外装から離した。身体が、自由になる。完全ではない。糸の調整は必要だ。翼もまだ死んでいる。

 

それでも、蒼星自身は動ける。蒼星は機体の外で、嵐の中心を見た。

 

凍星が条件を満たしている。

椒が囮になっている。

赤男爵が撃っている。

 

Ju87が機体を運んでいる。なら、自分が合わせるのは一つ。凍星の魔法が落ちる、その瞬間。

 

椒は笑った。

 

十分ね。長い。馬鹿みたいに長い。

 

嵐の中で、毒を吐く龍を相手に、壊れかけの輸送機を守りながら、奏雨が七箇所の接触条件を踏み、詠唱まで通す。

 

普通に考えれば無理だ。けれど、普通に考えて間に合うなら、そもそも空なんて飛んでいない。

 

「なら、その間は俺が前に出る」

 

口にした瞬間、紫炎が太刀へ絡みついた。

 

熱い。いつものことだ。

 

この炎は敵だけを焼く都合のいい炎ではない。柄を握る手を焦がし、袖を焼き、皮膚の下にあるものまで炙る。それでも、椒は手を離さない。

 

痛みはある。

だが、動ける。

なら問題ない。

 

椒は開いたハッチの向こうを見た。

 

嵐の中心で、蒼海漂龍《グラウクス》が毒々しい身体をくねらせている。さっきまでの蒼と銀の美しさは薄れ、今は紫と緑と黒が混じったような、毒そのものの色をしていた。

 

喉奥に光が溜まる。次のブレスだ。

 

「こっち見ろよ」

 

椒は大太刀を担ぎ、奏雨が置いた剣を踏んだ。

 

足場としては頼りない。

 

薄い。

軽い。

 

踏み方を間違えれば砕けるし、嵐に流されれば届かない。それでも、奏雨が置いた足場だ。落ちるわけがない。

 

「行くぞ」

 

一歩目。

 

《縮地》

 

視界が飛ぶ。

毒雨が頬を掠め、風が身体を横へ持っていく。その先に、二枚目の剣があった。椒は笑いながら踏む。

 

二歩目。

 

《縮地》

 

グラウクスの視線が動いた。

 

いい。こっちを見ろ。

 

奏雨を見るな。

蒼星さんを見るな。

輸送機を見るな。

 

椒は三枚目を踏み抜き、わざと太刀の紫炎を大きく燃え上がらせた。目立てばいい。斬れる場所まで届かなくてもいい。今の役目は、倒すことではない。

 

囮だ。

 

「おら、でかい図体してんだろ。こっちだ!」

 

グラウクスが吠えた。

風が来る。

 

真正面から受ければ、足場ごと吹き飛ばされる。椒は身体を沈め、奏雨が置いた四枚目の剣を斜めに蹴った。縮地の軌道を無理やり曲げる。

 

肺が潰れそうな風圧。だが、紫炎の尾が空に線を引く。

 

まだ動ける。

 

「奏雨、何個目だ!」

 

返事はない。返事がないなら、まだ途中だ。椒は舌打ちし、グラウクスの触角に雷が集まるのを見た。

 

まずい。狙いは奏雨のいる機内だ。

 

「させるかよ」

 

椒は大太刀を振った。届かない。分かっている。

 

だから、刃ではなく炎を飛ばす。

 

紫炎が裂けるように伸び、グラウクスの視界を横切った。ダメージは浅い。だが、呪いを含んだ火が触角の先を舐めた瞬間、雷の収束がわずかに乱れる。

 

グラウクスの頭が、椒へ向いた。椒は口元を吊り上げた。

 

「そうだ。俺を見ろ」

 

その背後で、輸送機の床に刻まれた白色の魔法陣が脈打っているのが見えた。

 

奏雨が動いている。

 

白杖フィエルティジムを支えに、揺れる機内を走るように移動し、光点へ触れていく。ひとつ。ふたつ。みっつ。接触するたびに魔法陣が深くなり、白色の線が濃くなる。

 

椒には、その術式の意味は分からない。

 

分からないが、あいつがやると決めたなら、それでいい。

 

奏雨はそういうやつだ。

 

分からないものを分からないままにしない。勝つために必要なら、頭が割れそうな顔をしてでも考え続ける。だから、椒の役目は単純だ。考える時間を作る。

 

「十分は長ぇな、ほんと」

 

椒は笑い、次の剣を踏んだ。グラウクスの喉奥で、今度こそ毒ブレスが膨らむ。椒はその射線へ、わざと身体を晒した。機内へ向かう角度ではない。蒼星へ向かう角度でもない。

 

自分を狙わせる。

 

「来いよ」

 

紫炎が太刀を包む。呪いが炎へ混じり、刃の輪郭が揺れる。

 

「焼かれるのは、そっちだけじゃねぇぞ」

 

グラウクスが毒を吐いた。視界が、紫と緑に染まった。

 

七つ目の光点に、凍星の指が触れた。瞬間、魔法陣が深く脈打つ。

白色の線が輸送機の床を走り、七つの光点が順に灯った。揺れる機内。傾く床。嵐の中を飛ぶ壊れかけの輸送機。そのすべてを無視するように、術式だけが条件の成立を告げる。

 

第二条件、完了。

 

あとは、射程範囲へ収めるだけ。

凍星は白杖フィエルティジムを握り直し、顔を上げた。

 

「Ju87さん」

「言え」

 

操縦席の声は短い。

 

「範囲に入れてください。できれば正面。外したら終わりです」

「誰に言ってる」

 

その返答に、迷いはなかった。凍星は一瞬だけ息を呑む。次の瞬間、輸送機が落ちた。いや、落ちたように見えた。

 

Ju87が機首を下げ、嵐の中へ輸送機を突っ込ませたのだ。風が翼を叩き、雷が機体の外板を掠め、毒の残滓が窓を濁らせる。左舷翼はまだ死にかけている。蒼星の糸がなければ、とっくに千切れている。

 

それでも、Ju87は速度を殺さない。

 

「おいおいおいおい!」

 

赤男爵が銃座にしがみつきながら笑う。

 

「魔王!それは飛行ではなく墜落寸前である!」

「墜ちていない」

 

Ju87は操縦桿を押さえ込んだまま答えた。

 

「飛んでいる」

 

輸送機が嵐の隙間を裂く。グラウクスとの距離が、一気に縮まった。

 

凍星はその中で、詠唱を始める。

 

「我は約定執行代行者、赦しを得たと愚見し、ここに眼差しを啓く」

 

七つの光が凍星の周囲を巡る。

 

一つ、また一つと、光の軌道が変わる。白色の魔法陣が床の上で広がり、輸送機の影を越え、嵐の底にある見えない地面へ触れようとする。

 

「選定を刻む。我が求むは焔影の残響(なごり)

 

椒はまだ外にいた。

 

グラウクスの視線を引きつけるため、紫炎を燃やし、毒ブレスの射線を機体から逸らしている。だが、もう限界が近い。足場は嵐に削られ、紫炎も毒の風に煽られている。

 

蒼星はそれを見た。

 

そして、即座に判断する。椒を戻す。

 

今、凍星の詠唱が始まった。ここから先、椒が外にいれば巻き込まれるか、グラウクスの反撃で落ちる。

 

「椒」

 

蒼星は小さく呼んだ。声は届かない。

 

だから、糸を伸ばす。

 

死線踏破(デッドライン・ウォーカー)

 

蒼星の視界が細くなる。

 

嵐の音が遠ざかり、毒の匂いも、翼の軋みも、一瞬だけ薄くなる。見えるのは、椒の位置。風の流れ。凍星の魔法陣。グラウクスの核。そして、椒を引き戻すための線。

 

蒼星は糸を放った。細い糸が嵐を抜け、椒の腰へ絡む。

 

椒が振り返った。

 

「蒼星さん!?」

「戻す」

「まだ――」

「戻す」

 

蒼星はそれ以上聞かなかった。星天の指で機体外装を掴み、糸を引く。

 

椒の身体が、空中で強引に軌道を変えた。紫炎が尾を引き、グラウクスの爪がその残像を裂く。ほんの一瞬遅れていれば、椒は捕まっていた。

 

蒼星は歯を食いしばる。左舷翼を支える糸。椒を引き戻す糸。全部が悲鳴を上げる。

 

それでも、引く。

 

椒の身体が開いたハッチへ飛び込んだ。凍星が詠唱を続ける横を、椒が床へ転がる。

 

「乱暴だな!」

「生きてる」

 

蒼星は短く返した。

 

「文句は後」

 

椒は舌打ちしながらも、すぐに大太刀を構え直した。

凍星は止まらない。

 

「此の罪を柱へ縛れ、相見互えし春を喰え」

 

グラウクスが、輸送機の真正面に入る。Ju87の狂った操縦が、嵐の中心へ機体をねじ込んだ。

 

射程範囲。

 

凍星は白杖を掲げる。七つの光のうち、一つが赤く染まった。

 

「灰抱く愛撫。咎人を焼べる赤」

 

白い魔法陣が、輸送機の床を越えて広がった。

 

線は床をなぞっているはずなのに、そこに刻まれているのは床ではなかった。

 

円の内側から、夜よりも深い宇宙が覗く。星が瞬き、遠い光が揺れ、嵐の底にあるはずの空が、別の空へと塗り替えられていく。

 

焔が走った。赤い焔が、宙を焼く。

 

だが、それは雲を燃やす火ではない。

 

世界の表面を焼き、剥がし、その奥に隠されていた星空を引きずり出す火だった。

 

嵐の底が、星空になる。

 

毒の風も、雷の枝も、雨の残滓も、その白い魔法陣の内側では遠ざかる。

 

凍星は、赤く染まった光を見据えた。

 

七つの光のうち、一つだけが赤に染まっている。

 

罪を焼く色。

咎を暴く色。

 

火刑の柱へ、選ばれた敵を縛る色。

 

蟆√§繧峨l縺滉ク?▽縺ョ蜃ヲ蛻第ウ?(わたしのしらないわたしの原罪)

 

凍星の声が、白い魔法陣の中へ落ちる。

 

言葉が、世界の裏側へ届く。

 

そして、選定する。

 

――「『神代魔法:赤の咎』」

 

蒼星は、凍星の詠唱を聞いていた。

 

嵐の音がある。毒雨の残滓が外装を叩く音がある。左舷翼が軋む音がある。Ju87が機体を無理やりねじ込むたび、輸送機の骨が悲鳴を上げる音がある。

 

それでも、その声だけは通った。

 

凍星の声。

 

いつもの冷静な声ではない。

 

痛みに耐え、処理の限界を超え、それでも術式を手放さない者の声だった

 

凍星が神代魔法を選定する。

Ju87が射程へ運ぶ。

赤男爵が火線を通す。

椒が囮を終えて戻った。

 

なら、自分もただ翼を支えているだけでは足りない。

 

火力が足りないなら、足す。使えるものは、全部使う。

 

蒼星は左舷翼へ伸びる糸を見た。

 

もう、自分の腕だけで支えているわけではない。

 

箒星(エトワール)へ括り付けた糸が、翼の重さを受け止めている。後方格納庫の支柱に固定された大剣は、軋みながらも折れず、左舷翼を縫い止める杭になっていた。

 

長くは持たない。だが、この一瞬なら足りる。

 

蒼星が、凍星の魔法へ合わせるために空へ出る一瞬なら。

 

蒼星は機内の弾薬箱へ糸を伸ばし、火属性弾を一つ引き寄せた。

 

指先へ収まった赤い弾丸を、星天の側面へ当てる。

 

装甲が開く。

 

細い装填口が露出する。

蒼星は火属性弾を押し込んだ。

かちり、と硬い音。

 

《装填》

 

視界の端に表示が走る。

 

星天の内部で弾倉が回り、一発が薬室へ送られる。撃鉄めいた機構が起き、右腕の奥に赤い熱が灯った。

 

二度の噴射で焼けた接続部が、まだ脈打つように痛んでいる。火属性弾をもう一度撃てば、肩がどうなるか分からない。シオンにも、アルベリッヒにも、間違いなく怒られる。けれど、後があるならそれでいい。

 

今ここで落ちれば、怒られる後もない。

その瞬間、凍星の声が響く。

 

――「『神代魔法:赤の咎』」

 

白い魔法陣が、嵐の底に開いた。空の下に、地面ではない地面が生まれている。

輸送機の床を起点に、術式が世界へ食い込む。白い円の内側から夜よりも深い宇宙が覗き、星が瞬き、遠い光が揺れた。

 

焔が走る。赤い焔が、宙を焼く。

 

燃えているのは空ではない。世界の表面だった。嵐の底が剥がれ落ち、その奥から星空が現れる。

 

蒼星は、グラウクスの核を見た。毒々しく変色した龍の胸奥。そこに、青白い心臓が脈打っている。

 

狙う場所は一つ。だが、この位置からでは角度が足りない。

 

凍星の魔法が落ちる。

 

その軌道へ、自分の火を重ねるには、もう一歩前へ出る必要がある。

 

蒼星は、機体を蹴った。

 

「行く」

 

視界が細くなる。嵐の音が遠ざかる。

 

毒の匂いも、雷鳴も、翼の軋みも、全部が薄くなる。

 

残るのは、線。

落ちれば死ぬ線。

雷に裂かれれば死ぬ線。

風に流されれば届かない線。

 

そのすべての隙間に、踏める場所が見えた。

 

死線踏破(デッドライン・ウォーカー)

 

蒼星は、空を駆けた。足場はない。

 

けれど、蒼雷が足元で弾ける。

一歩。

 

空気を蹴る。

二歩。

 

星天の指が風を掴むように開き、崩れかけた姿勢を無理やり戻す。

三歩。

 

毒雨が頬を焼き、雷が視界の端を裂き、嵐が身体を横へ攫おうとする。それでも、蒼星は止まらない。

 

死ぬ線を踏む。死なない線だけを選ぶ。落ちるより早く、次の一歩を置く。

 

蒼雷が夜明け前の空に青白い軌跡を刻み、黒白の修道装が風に翻る。機体から離れ、嵐の中を横切り、蒼星はグラウクスの核へ向かって一直線に駆け抜けた。

 

凍星の焔が落ちる。その軌道に、蒼星が入る。

 

星天の砲口が、青白く脈打つ心臓へ向いた。

 

装填された火属性弾が、右腕の奥で赤く灯る。

 

星天が火を吐いた。赤い閃光が、嵐を貫いた。

 

白い魔法陣の内側から落ちる焔が、その火を呑み込む。

 

凍星の神代魔法が裁きを定め、蒼星の星天がその裁きへ砲口を合わせる。

 

その瞬間、蒼星と凍星の視界に同じ表示が走った。

 

特殊条件を確認しました▼

 

神代魔法と神装兵器の同期を確認。

同一対象への照準一致を確認。

火属性特効干渉を確認。

 

合一魔法(ユニゾンレイド)を発動します▼

 

『神代魔法:赤の咎』を《装填》。

 

凍星が目を見開いた。

 

神代魔法が、星天へ流れ込んでいる。

 

本来、術式として落ちるはずだった焔が、蒼星の右腕へ収束し、火属性弾と噛み合う。星天の内部で、弾倉が回るような音がした。

 

がちり、と。

 

神代の咎が、薬室へ送られる。

 

蒼星は砲口を逸らさない。

 

「穿つ!!」




合一魔法(ユニゾンレイド)

複数の魔法、スキル、装備効果が、同一対象へ寸分の狂いもなく同時に発動した際、条件が揃うことで発生する特殊魔法。

単なる同時攻撃ではなく、属性、照準、発動タイミングが一致した場合に、システムがそれらを一つの魔法として再構成する。

発動条件は極めて厳しく、狙って起こすことは難しい。だが、条件を満たした場合、本来は別々に発動するはずだった効果が一つに束ねられ、単独では成立しない高位の魔法として発現する。

今回発動した赤咎焔星(アストラ・ギルティア)は、凍星の『神代魔法:赤の咎』、蒼星の神装兵器《星天》、そして火属性弾が融合したもの。
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