Nocturne Reaper   作:Spica@お星

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暗月

連盟本部がある街は、戦争前とは思えないほど静かだった。

 

いや、静かに見せかけているだけだ。

 

通りを歩くPLたちは普段より足早で、露店の主は客へ笑顔を向けながらも何度も通りの奥を確認している。衛兵役を買って出た連盟所属のPLたちは、表向きは治安維持のために立っているが、その視線は住人ではなく、同じ連盟の者たちへ向けられていた。

 

疑心。不安。期待。恐怖。

 

戦場へ出る前から、街はもう割れている。

月詠マキナは、その街の一角にある喫茶店で、ゆっくりと紅茶を口へ運んでいた。

 

窓際ではない。入口からも遠い。

けれど、店内全体を視界に収められる席。誰が入り、誰が出て、誰が声を潜め、誰が聞こえるように話しているのか。それらを全て拾える位置だった。

 

置かれているのは、紅茶のカップと小さな焼き菓子だけだ。だが、月詠の視界には、いくつもの情報窓が展開されていた。

 

鉄鳴の連盟内での動き。

クロガネを中心とした派閥の拡大。

篝火に近い者たちが、会議の席から遠ざけられ始めている事実。

クロガネが提出した映像記録その原本。

 

月詠は、指先だけで記録を先へ進める。

 

クロガネが会議で提出した視覚ログ。

そこには、蒼星が《アンサブ》へ攻略組の情報を渡している、とされる場面が映っていた。

 

夜の森。薄い霧。

 

記録者は鉄鳴の斥候らしく、画面端には座標と索敵範囲、対象反応が細かく表示されている。

 

やがて、木々の奥に二つの影が映る。

一つは、赤いカーソルを持つ《アンサブ》。

もう一つは、黒い外套に身を包んだ細身のプレイヤー。背丈ほどもある大鎌を背負った、蒼星に似た影。

 

映像の中で、《アンサブ》の男が手を伸ばす。

 

『例の情報は?』

 

音声にノイズが走る。

だが、補給隊の移動予定、前線組の遠征日、回復職の配置、未公開ルートという言葉だけは、妙にはっきり残っていた。

 

黒い外套の人物は、外套の内側から結晶片を取り出し、それを《アンサブ》の男へ放る。

 

取引の映像としては、よくできている。

よくできすぎている。

 

月詠マキナは、停止した映像を見つめたまま、紅茶を一口飲んだ。

 

「なるほど。似せていますねぇ」

 

装備ではない。

体格でも、外套でも、大鎌でもない。

月詠が見ていたのは、その間だった。

 

蒼星なら、まず名前が映らない。

蒼星なら、その距離で情報を渡さない。

蒼星なら、《アンサブ》に背を見せる前に、逃げ道と殺す手順を準備する。

 

映像の人物は、蒼星の姿をしている。だが、蒼星の思考で動いていない。

 

「よく調べています。けれど、よく知ってはいない」

 

月詠は、薄く笑った。

 

「これは証拠ではありません。証拠に見えるよう整えられた舞台です」

 

映像の人物は、蒼星の姿をしている。だが、蒼星の思考で動いていない。月詠マキナは、停止した映像を見つめたまま、薄く笑った。

 

「よく調べています。けれど、よく知ってはいない」

 

指先が、情報窓の端をなぞる。

 

「それにしても、よくここまでの偽物を作れますねぇ」

 

声には、皮肉だけではない。純粋な感心も混じっていた。

 

体格を寄せ、黒い外套を着せ、大鎌を背負わせ、音声にノイズを混ぜ、必要な言葉だけを不自然にならない程度に残す。証拠として提出するには十分すぎる出来だった。

 

だからこそ、質が悪い。

 

「ですが」

 

月詠は紅茶を置いた。

 

「偽物は、偽物です」

 

指が動く。

視覚ログの表層に貼られていたテクスチャーが剥がれる。 黒い外套の輪郭が崩れ、大鎌の影がずれ、音声のノイズが別の形へ戻っていく。映像が、巻き戻るように歪んだ。

 

夜の森。薄い霧。

 

《アンサブ》へ結晶片を渡していた人影が、変わる。

 

黒い外套の細身のプレイヤーではない。蒼星ではない。そこに映っていたのは、鉄鳴のメンバーの一人。

 

リンだった。

 

月詠は、復元された映像を見つめる。

 

「なるほど」

 

彼は楽しそうに目を細めた。

 

「蒼星さんを売ったのではなく、蒼星さんに被せた。実に鉄鳴らしいやり口です」

 

映像の中で、リンは《アンサブ》へ結晶片を渡している。

 

攻略組の未公開情報。

補給隊の移動予定。

前線組の遠征日。

回復職の配置。

未公開ルート。

 

それらを渡していたのは、蒼星ではない。鉄鳴だった。月詠は小さく笑う。復元された映像の中で、リンが顔を上げる。

 

月詠は、その表情を一時停止した。

 

「そして舞台裏には、役者の顔が残っている」

 

リン。

 

鉄鳴のメンバーの一人。

蒼星の姿へ偽装された映像の奥に、本来映っていた人物。彼女は《アンサブ》の男へ結晶片を渡し、短く何かを告げている。音声の大半はノイズに潰されていたが、復元すれば十分だった。

 

月詠は指を動かし、音声だけを抽出する。

 

ざらついた雑音の向こうから、リンの声が戻ってくる。

 

『予定通り。これで攻略組の動きは読める』

『クロガネは?』

『会議に出す映像は、こちらで整える。蒼星に被せればいい』

 

そこで月詠は、映像を止めた。紅茶の水面が、わずかに揺れる。

 

「ふむ」

 

怒りはない。少なくとも、表面には出さない。ただ、月詠の目だけが、少し冷えた。

 

「おとめさんに罪を被せる。篝火さんの派閥を弱らせる。クロガネさんを主流派へ押し上げる。ついでに、レッドギルドと繋がった証拠は偽物の中へ隠す」

 

月詠は、復元した映像を別枠へ保存する。

 

「実に効率的ですねぇ」

 

褒め言葉のようで、そうではなかった。

 

「だからこそ、不快です」

 

カップを持ち上げる。口をつける直前、背後のテーブル席から静かな声がした。

 

「総括、報告があります」

 

月詠は振り返らない。

喫茶店の中では、他の客が戦争の噂をしている。店員が皿を運び、窓の外では連盟所属のPLが通りを見張っている。その全てに紛れるように、月詠の後ろの席に一人の客が座っていた。

 

帽子を深く被った、どこにでもいる男。装備も、声も、気配も、記憶に残らない。

 

「どうぞ」

 

月詠は紅茶を口へ運びながら言った。

 

「鉄鳴が、アンサブを動かしました」

「動きましたか」

「はい。レッドギルドを複数、人殺しを是とする傭兵ギルドを三つ。戦争開始後、旧砦跡の混乱に紛れて動かす予定です」

 

月詠はカップを置いた。

 

「標的は?」

 

月詠の声は、紅茶の温度を確かめる時と同じくらい静かだった。

 

後ろの男もまた、声を荒げない。

 

「篝火、塩宮。両名です」

 

喫茶店のざわめきが、ほんの少し遠くなる。

 

月詠は目を伏せた。

篝火が消えれば、連盟はクロガネへ傾く。塩宮が消えれば、連合は統制を失う。二人が同じ戦場で死ねば、原因はいくらでも擦りつけられる。

 

レッドギルドの暴走。

連合側の奇襲。

連盟内部の混乱。

 

「浅いですねぇ」

 

月詠は言った。

 

「ですが、浅い刃ほどよく刺さる。特に戦場では」

 

男は何も返さない。月詠は指先だけで、新しい情報窓を開いた。

 

塩宮。

商工会。

連盟内部。

雨葉。

 

それぞれの名前が、紅茶の湯気の向こうに浮かぶ。

 

「塩宮さんへは、暗殺者が混じる可能性、傭兵ギルドが雇われていること。その程度で構いません。証拠を渡す必要はありません。警戒さえしてくれればいい」

「承知しました」

「商工会には、戦場の外側に不自然な動きの尻尾を見せるだけでいいでしょう。ごんにきなら、適度に上手くやるでしょう」

 

月詠は薄く笑う。

 

「連盟には、さらに雑でいい」

「雑、ですか」

「ええ。篝火派閥には危機感を。クロガネ側には疑心を。中立派には、鉄鳴へ乗り切ることへの恐怖を」

 

男が、わずかに沈黙した。

 

「鉄鳴の邪魔になりますが」

「なりませんよ」

 

月詠は、復元したリンの映像をもう一度見た。

 

「彼らには踊っていただきます。自分たちの策が進んでいると思ったまま、気持ちよく舞台の中央まで出てきてもらう」

 

そして、目を細める。

 

「その時、床が抜けるようにしておけばいい」

 

後ろの男は、短く頷いた。

 

「承知しました」

 

月詠は最後に、フレンドメッセージを開いた。

 

宛先は雨葉。

 

「あめばさんにも、少し働いていただきましょう」

 

文面は、戦場を動かすにはあまりにも軽いものだった。

 

『近況報告なのですが、外が騒がしくなってきました』

『塩宮さんと闇鍋の周辺に、少々よろしくない方々が集まっています』

『掃除に協力してください』

 

送信。

 

月詠は満足そうに紅茶を飲んだ。

 

「これで、戦場はもう少し荒れます」

「よろしいのですか」

「もちろん」

 

月詠は、窓の外に揺れる連盟の旗を見た。

 

「混沌とは、情報が足りない時だけに生まれるものではありません」

 

彼は、取って食ったように笑う。

 

「情報を与えすぎても、人は勝手に壊れてくれる」

 

後ろの男は、もう何も言わなかった。

椅子が軋む音すら立てずに、気配だけが薄れていく。次に店員がその席の横を通った時、そこにはもう誰も座っていなかった。

 

月詠は、それを確認することもなく紅茶を飲み干す。

 

情報は流した。

塩宮には警戒を。

商工会には違和感を。

連盟には疑心を。

雨葉にはメッセージを。

 

そして鉄鳴には、自分たちの策がまだ予定通り進んでいると思わせるだけの余白を残す。

 

「さて」

 

月詠は席を立った。会計を済ませ、喫茶店を出る。

連盟本部がある街の空は、嫌になるほど澄んでいた。だが、その下を歩く者たちの顔は晴れていない。誰もが戦争を意識し、誰もが味方の中に敵がいる可能性を考え始めている。

 

それでいい。疑いは、剣よりも深く人を裂く。

 

月詠は人混みに紛れながら、いくつかの情報窓を閉じた。塩宮へ向けた曖昧な警告は、すでに別経路で流れている。商工会には、戦場外縁の不自然な空白が伝わる。連盟内には、誰が鉄鳴に近いのか、誰が篝火を見捨てたのか、そんな答えのない問いがばら撒かれていく。

 

答えを与える必要はない。問いだけあれば、人は勝手に疑う。

 

「実に効率的です」

 

月詠は小さく呟いた。その言葉は、通りの喧騒に紛れて消えた。

 

 月詠は、旧砦跡を見下ろせる高台に立っていた。

 

風が外套を揺らす。眼下には、本来あるはずのない大河が流れていた。

旧砦跡を断ち割るように生まれた水の流れ。その上を、戦艦が走っている。

 

連盟と連合の戦争。

そのはずだった戦場は、すでに別の何かへ変わっていた。

大河は連盟側の陣形だけを正確に裂いている。補給線は途切れ、前衛と後衛は分断され、指揮系統には明らかな混乱が生まれていた。

 

一方で、連合側の動きには迷いがない。

 

まるで、その水がどこを流れ、どこを奪い、どこへ道を作るのかを、最初から知っていたかのように。

 

「お見事」

 

月詠は、喉の奥で笑った。

 

「実に、いい流れです」

 

その表情は、悪戯が成功した子供のように楽しげだった。けれど、戦場を裂く大河を見下ろすその目だけは違う。偶然を喜ぶ者の目ではない。

 

結果を知っていた者の目だった。

 

「水は低きへ流れる。人も、情報も、同じですねぇ」

 

月詠は、戦艦が大河を進む光景を見ながら、薄く笑う。

 

「低い場所を教えてあげれば、あとは勝手に流れてくれる」

 

大河は連盟側の陣形を裂いた。

補給線は乱れ、前衛と後衛は分断され、指揮系統にも明らかな混乱が走っている。だが、総崩れにはならない。水際で踏み止まる者がいる。橋代わりに盾を並べる者がいる。後衛を下げながらも、前線を完全には捨てない者がいる。

 

混乱の中で怒号が飛び交い、それでも連盟の兵たちは崩れきらず、崩れた場所から順に立て直そうとしていた。月詠は、ほんの少しだけ目を細める。

 

「素晴らしい」

 

それは皮肉ではなかった。

 

「これだけ盤面を割られて、まだ形を残しますか。腐っていても、連盟は連盟。積み上げてきたものまで偽物ではない」

 

彼は楽しげに笑う。

 

「だからこそ、壊し甲斐がある」

 

大河の上を戦艦が進む。

連盟は揺れている。

連合は押している。

鉄鳴は踊っている。

 

商工会は外で動き、塩宮の周囲には警戒の輪が生まれ、雨葉へ送った火種もじきに燃え上がる。

 

混沌は、十分に育っていた。

その時、月詠はふと空を見上げた。

 

遠く。

 

朝明けの空の向こう。

煤けた影が、雲を裂くように近づいてくる。

 

鳥ではない。魔物でもない。壊れかけた翼を引きずりながら、それでも空を走る輸送機。

 

月詠の指先が、わずかに震えた。

 

恐怖ではない。

歓喜だった。

 

「来ましたか」

 

月詠は、抑えきれない笑みを浮かべた。

 

「おとめさん」

 

輸送機は、空を飛んでいるというより、空に食らいついていた。

 

左舷の翼は歪み、胴体は煤け、ところどころから煙が尾を引いている。普通なら、とっくに墜ちている機体だった。だが、まだ墜ちていない。

 

糸が見えた。

 

壊れかけた翼と胴体を無理やり縫い止めるように、細い線が朝明けの光を受けてきらめいている。

 

月詠は、それを見て喉の奥で笑った。

 

「いいですねぇ」

 

理不尽を前にして、逃げるのではなく間に合わせる。

壊れた翼を捨てるのではなく、縫い止める。

届かないはずの戦場へ、無理やり届かせる。

 

それは、月詠マキナが知る蒼星というプレイヤーの在り方そのものだった。

 

輸送機は旧砦跡の上空へ突っ込んでくる。

 

連盟も、連合も、空を見上げた。

 

本来あるはずのない大河。その上を走る戦艦。

 

そこへ、壊れかけた輸送機。

 

戦場はもう、誰か一人の筋書きで収まるものではなくなっていた。

 

「ごんにきもいますか」

 

月詠は、空に浮かぶ小さな影を見つけて目を細める。

 

戦場上空で、松林が相変わらず何かを叫んでいる。隣にはシジミーの姿もあった。どういう経緯であそこにいるのかは知らないが、少なくとも安全な位置ではない。

 

輸送機が、そちらへ向かって機体を傾ける。

 

無茶な角度だった。普通なら避ける。

だが、蒼星なら避けない。利用できるなら、巻き込む。必要なら、拾う。

 

月詠は笑った。

 

「本当に、変わりませんねぇ」

 

輸送機のハッチが開く。

 

空中の二人へ向かって、何かが伸びた。糸か、手か、あるいはその両方か。松林とシジミーの姿が輸送機へ吸い込まれるように消えた直後、機体が大きく傾ぐ。

 

限界だった。翼がもたない。

 

機体は戦場を横切り、森の方へ落ちていく。

 

悲鳴が上がる。

歓声も上がる。

 

誰かが撃墜だと叫び、誰かが墜落だと叫び、誰かが奇跡だと叫ぶ。

月詠は、その全てを聞きながら、静かに首を振った。

 

「違いますよ」

 

あれは、撃墜ではない。

あれは、墜落ですらない。

 

届いたのだ。旧砦跡へ。戦場へ。理不尽の中心へ。

 

月詠は、森へ消えていく輸送機を見届けた。

そして、まるで祈るように、けれど祈りとはほど遠い声音で呟く。

 

「戦いの中にしか、我々の存在する場所はない」

 

大河が戦場を裂いている。戦艦が水上を走っている。

連盟は崩れず、連合は攻め、鉄鳴はまだ自分たちの策が進んでいると思っている。

 

その全ての上に、蒼星が落ちてきた。

 

「好きに生き、理不尽に死ぬ」

 

月詠の声は、喜びに震えていた。

 

「戦いはいいですねぇ、おとめさん」

 

彼は、森の向こうへ視線を向ける。

 

「あなたには、それが必要だ」

 

少しだけ間を置く。

 

「我々には、言葉は不要」

 

月詠マキナは、戦場を見下ろした。混沌は、十分に育った。

 

そして今、最も厄介な星が、戦場へ落ちた。




ただ、言わせたいだけ
蒼星「好きなように生きて、好きなように死ぬ」
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