白い鳩が、窓の外へ消えていった。
商工会の会議室には、しばらく誰も声を出さなかった。
机の上には、連盟との契約書、納品予定表、物流路の地図、各生産職ギルドとの取引記録が並べられている。
回復薬。修理素材。保存食。その他雑貨品。武器の補修部品。
馬車、倉庫、護衛依頼。戦うために必要なものは、剣や魔法だけではない。それらを作る者がいる。運ぶ者がいる。保管する者がいる。契約する者がいる。
そして、それらを止める者もいる。
松林は、椅子に背を預けたまま、白い鳩が消えた空を見ていた。
「革命の灯、ねぇ」
いつもの軽い声だった。
けれど、机を囲む商工会の面々は誰も笑わない。
シジミーは隣で腕を組み、机に置かれた契約書を眺めていた。表情は冷静だが、口元には少しだけ苦いものが混じっている。
「ごんにき、本当にやるんすね」
「やるよ」
松林はあっさりと言った。
「連盟はおとめさんを切った。しかも、ただ切ったんじゃない。自分たちの都合がいいように、悪者として置いた。なら、僕らも商人として返すだけだよ」
「剣じゃなくて、帳簿で?」
「そうそう。剣は痛いけど、帳簿は長く効くからねぇ」
松林は、机の上の納品予定表を指で叩いた。
「連盟向けの回復薬、修理素材、保存食、雑貨品の納品を止める」
会議室がざわついた。商工会に所属する商人の一人が、恐る恐る口を開く。
「全面停止ですか?」
「いや、名目はレッドPLによる山賊行為の横行につき、安全性が確認できるまでの停止」
「ですが……」
「どっかの誰かさんが、レッドに対する抑止力を切り捨てたからねぇ。商売が成り立たなくて困った困った」
松林は笑った。軽い声だった。だが、会議室にいる商人たちは、その言葉の意味を理解していた。
連盟は、蒼星を切り捨てた。赤い名前を持つ者だから。危険だから。連盟の理念にそぐわないから。そう言って、悪質なレッドPLに対する抑止力を捨てた。
ならば。
「山賊が増えたら、荷は出せないよねぇ」
松林は納品予定表を一枚めくる。
「護衛費は上がる。輸送路は危険になる。倉庫から出した荷が途中で奪われるかもしれない。そんな状態で、連盟に物資を送れって言われても困るよねぇ」
「連盟側から抗議が来ます」
「来るだろうねぇ」
松林は楽しそうに頷いた。
「だから、こう返す」
彼は指を立てた。
「商工会としては、レッドPLによる襲撃リスクを重く見ています。以前は、危険なレッドPLを狩る存在によって一定の抑止が働いていましたが、連盟はその存在を公的に否定し、排除する判断を下しました。よって、輸送路の安全が確認されるまで納品を停止します」
会議室が、静かになった。
シジミーが横で小さく笑う。
「うわ、嫌な言い方」
「事実しか言ってないよ?」
「だから嫌なんすよ」
松林は肩をすくめた。
「連盟は蒼星さんを悪者にした。なら、その結果発生する不利益も連盟に持ってもらわないとねぇ」
商人の一人が、慎重に確認する。
「つまり、蒼星さんを切ったことで物流が不安定になった、と?」
「僕らはそう言わない」
松林は笑みを深める。
「でも、聞いた人はそう受け取る」
シジミーが納得したように頷いた。
「連盟が自分で自分の信用を削った形にするんすね」
「そうそう。僕らはただ、安全確認をしているだけ」
「性格悪いなぁ」
「商人だからねぇ」
松林は、次の契約書を手に取った。
「それと、生産職ギルドへ連絡。連盟経由の契約は一時保留。商工会直契約へ切り替えるなら、納品保証と護衛手配をつける」
「連盟を通さない流れを作るんすか」
「連盟の信用が落ちるなら、その分の信用を僕らが拾う。空いた席は早い者勝ちだからねぇ」
松林は、さらりと言った。
「戦争って、武器を振る人だけが勝つわけじゃないんだよ」
会議室の空気が変わる。
これは報復ではない。
商売だ。
連盟が失った信用を、商工会が奪いに行く。
松林は笑ったまま、最後の書類へ署名した。
「じゃあ、始めようか」
紙の上で、ペン先が走る。
「連盟に、信用の値段を教えてあげよう」
シジミーは、その横で別の資料を取り出した。
そこには、商工会が抱えている小説家、劇作家、絵師、吟遊詩人、紙芝居師の名前が並んでいる。
松林が目を向ける。
「で、ジミーさんの方は?」
「蒼星さんの汚名返上ですね」
シジミーは資料を指で叩いた。
「蒼星さんは誰でも殺していたわけじゃない。少なくとも、商工会が拾っている噂ではそうです」
「噂?」
松林が首を傾げる。
「死者と再会できるダンジョン。死んだ人間にもう一度会える。そんな噂に縋ったPLを狙う連中がいたんですよねぇ」
会議室の空気が、少しだけ重くなる。
「案内役を装って奥へ誘導する。傷ついたところを襲う。希望に縋る人間からアイテムを奪う。命も奪う」
シジミーは、そこで一度言葉を切った。
「その森に、死神が出る」
黒いローブ。赤い髪。黄色い瞳。背丈ほどもある大鎌。
PKの前に現れ、死を告げる女。
「蒼星さんを善人として売るのは無理があります。あの人は、そういう売り方をすると嘘くさくなる」
「ひどいなぁ」
「でも事実でしょ、ごんにき」
「まあねぇ」
松林は否定しなかった。
シジミーは続ける。
「だから、英雄にはしません。聖人にも、救世主にも、しない」
「じゃあ、どうするの?」
「死神です」
シジミーは真顔で言った。
「悪質なPKにとっての死神。希望に縋るPLを食い物にする連中を狩っていた、黒衣の鎌使い。その線でいきます」
松林は、少しだけ楽しそうに笑った。
「おとめさん、また物騒な美談にされてるねぇ」
「綺麗な美談にする方がおかしいでしょ」
シジミーは肩をすくめる。
「鉄鳴が作った話は、“赤い名前なら裏切りそう”です。なら、こっちは“赤い名前でも、狩る相手を選んでいた”で上書きします」
「英雄じゃなくて?」
「英雄じゃなくて」
シジミーは即答した。
「死神です。ただし、誰に死を告げていたのかを変える」
会議室が静まり返る。
シジミーは、机に置かれた資料を閉じた。
「盛りすぎると嘘になる。でも、盛らないと負ける。こういうのは、嘘にならない範囲で、一番刺さる形に整える」
松林は、机の上の資料を眺めながら、感心したように頷いた。
「ジミーさん、だいぶ悪い顔をするようになったねぇ」
「ごんにきに言われたくない」
「褒めてるんだよ」
「褒め言葉として受け取りたくないんですけど……」
シジミーはそう返しながら、別の資料を取り出した。
商工会が抱えている小説家、劇作家、絵師、吟遊詩人、紙芝居師の一覧だった。
「噂は、噂のままだと弱いです。形にします」
「冊子?」
「冊子、紙芝居、吟遊詩人の語り、酒場で流す短い話。あとは絵ですね。黒ローブ、大鎌、赤髪、美しい顔立ち。この見た目は強い」
「おとめさん、本人が聞いたら嫌そうだねぇ」
「嫌がるでしょうね」
シジミーは即答した。
「でも、鉄鳴に好き勝手な物語を作られるよりはマシです」
松林は笑った。
「本人の許可は?」
「取りません」
「おお」
「今取れる状況じゃないですし、取りに行ったら逆に取られます。命が」
「たしかに」
その時、会議室の端にいた若い絵師が、おずおずと手を上げた。
「あの、シジミーさん」
「はい?」
「その《死を告げる者》なんですけど……少し、恋愛要素を入れても?」
シジミーは、一瞬だけ動きを止めた。
「……は?……恋愛要素?」
「はい。死者に会えるという噂に縋った少女が、悪質なPKに襲われる寸前で黒衣の死神に救われる話です。死神は何も言わずに去るんですけど、少女だけがその背中を忘れられなくて」
「待ってください」
シジミーは片手を上げた。
「自分は汚名返上のための広報を頼んでいます。夢女子本を作れとは言ってません」
「でも、売れます」
「売れるかどうかの話じゃなくて」
「売れます」
絵師の目は、妙に本気だった。
シジミーは黙った。
松林が横で肩を震わせている。
「ごんにき」
「いやぁ、ジミーさん。これは売れるよ」
「煽らないでください」
「だって、黒衣の死神だよ?大鎌だよ?悪いPKだけを狩るんだよ?そりゃ売れるでしょ」
「売れる要素を確認しないでください」
すると、別の小説家がそっと原稿を差し出した。
題名は、『赤い死神は夜に哭く』。
シジミーは無言でそれを見た。続けて、別の冊子が机に置かれる。
『死神様に狩られたい』
『あなたの罪ごと愛している』
『黒衣の鎌使いと救われた私』
シジミーは額を押さえた。
「……いつ作ったんすか」
「試作です」
「早い」
「愛なので」
「愛じゃない。狂信です」
松林がとうとう笑い出した。
「ジミーさん、これ制御できる?」
シジミーはしばらく黙っていた。
蒼星の汚名返上。
連盟への信用攻撃。
商工会の利益。
そして、制御不能な熱狂。
全部を天秤に乗せた上で、シジミーは深く息を吐いた。
「……無理っすね」
「諦めた」
「こういう熱量は止めると地下に潜るんすよ。だったら、商工会の流通に乗せた方がまだマシです」
「つまり?」
シジミーは机の上の原稿と冊子を見下ろした。
「利益を優先しましょ……」
松林は満面の笑みを浮かべた。
「ジミーさん、商人向いてるよ」
「嬉しくない」
「でも売るんでしょ?」
「売ります。ただし、管理できるとは思わないでください。せいぜい流通経路を押さえるだけです」
「現実的だねぇ」
「同人作家を制御できると思う方が非現実的なんよ」
商工会の動きは早かった。連盟へは、正式な通告が送られた。
文面は丁寧だった。丁寧で、隙がなかった。
レッドPLによる山賊行為の横行。
輸送路の安全確認。
護衛費の再算定。
納品先の責任所在の確認。
契約履行に伴う危険負担の見直し。
どこにも、蒼星の名はない。けれど、読む者が読めば分かる。連盟が蒼星を切ったから、レッドPLへの抑止が消えた。だから商工会は、安全確認が済むまで物資を止める。そういう意味の通告だった。
「いやぁ、綺麗な文章だねぇ」
松林は、完成した通告文を眺めながら満足そうに頷いた。
「誰が読んでも商工会は悪くない」
「悪くないように書いただけっすよね」
シジミーが横から言う。
「大事なことだよ。商売はね、正しいかどうかより、正しく見えるかどうかが大事な時もある」
「最悪の教訓ですね」
「でも覚えておくと便利だよ?」
「覚えたくないなぁ……」
そう言いながら、シジミーも否定はしなかった。外では、商工会の使いが次々と出ていく。
連盟へ。
生産職ギルドへ。
他勢力の商人へ。
酒場へ。
宿屋へ。
冒険者の集まる広場へ。
「連盟経由の取引、少し危ないらしい」
「支払い保証が揺れてるって聞いたぞ」
「納品先が急に変わる可能性があるらしい」
「商工会直契約なら護衛と保証がつくってさ」
それは商人の噂話から始まった。誰も大声で連盟を批判しない。だが、誰もが連盟を一歩疑い始める。それだけで、十分だった。誰も剣を抜いていない。誰も魔法を撃っていない。
それでも、商工会は戦争を始めていた。
剣ではなく、契約で。
魔法ではなく、信用で。
血ではなく、物流で。
「で、こっちは?」
松林が、別の書類の束へ視線を向ける。シジミーは嫌な予感を覚えた。
「こっち?」
「ジミーさん宛ての報告だよ」
「……嫌な予感しかしないんですけど」
商工会の者が、帳簿を机に置いた。シジミーはそれを開き、数秒止まった。
「……なんで売上報告がこんな数字になってるんすか」
帳簿には、蒼星を題材にした冊子の販売数が記録されていた。
『死神様に狩られたい』
『あなたの罪ごと愛している』
『黒衣の鎌使いは夜明けに微笑む』
商工会側で販路を把握する。そう決めた以上、売上報告が来ること自体はおかしくない。おかしくないのだが。売れていた……。
馬鹿みたいに売れていた……。
「……何この数字」
「売上です」
熱狂的な絵師が、真顔で言った。
「それは見れば分かるんよ。なんでこんな売れてるんすか」
「需要がありましたので」
「需要が怖い」
シジミーは頭を抱えた。松林が横から帳簿を覗き込む。
「ジミーさん、純利益率いいよ」
「そこ見ないでください」
「紙代を引いても黒字だねぇ」
「見ないでくださいって言ってるんよ」
「いやあ、物語って怖いねぇ」
「本当に怖いのは、それを金にする商人ですよ」
「ジミーさんもこっち側だよ?」
「嫌なこと言わないでください」
シジミーは帳簿を閉じ、深く息を吐いた。蒼星の噂は、もう誰か一人が制御できるものではなくなっていた。
赤い死神。黒衣の鎌使い。死を告げる者。救い主。黒衣の王子。畏怖の象徴。誰かが勝手に意味を足し、誰かが勝手に物語を作り、誰かが勝手に金を払う。
「蒼星さん本人が見たら、すごい顔しそうっすね」
「するだろうねぇ」
「……まあ、鉄鳴の裏切り者扱いよりはマシだと思いましょ」
シジミーはそう言って、自分を納得させるように息を吐いた。
松林は楽しそうに笑う。
「でも、本人に見つからないようにしないとねぇ」
「それ、絶対フラグっすよ」
契約を止め、物流を揺らし、信用を削り、物語を流す。戦争はまだ始まっていない。
けれど、商人たちの戦いはもう始まっていた。
そして、時間は進む。
戦争当日。
旧砦跡。
松林とシジミーは、戦場上空にいた。足元にあるのは、松林のスキルが用意した簡易観測用の浮遊足場だった。どういった理屈で浮いてるのか、何度聞いてもよくわからなかった。
シジミーは足元を見下ろし、顔をしかめた。
「ごんにき、これ本当に安全なんすか」
「落ちたことはないよ」
「それ、安全の説明じゃないのよ」
「でも、見晴らしはいいでしょ?」
「見晴らしが良すぎて死にそう」
眼下には、旧砦跡の戦場が広がっている。
連盟。
連合。
その間に、本来あるはずのない大河。さらに、その大河の上を戦艦が走っていた。シジミーはしばらく無言でそれを見た。
「……戦争って、こういうのでしたっけ」
「違うと思うなぁ」
松林は楽しそうに笑った。
「でも、面白いねぇ」
「面白いで済ませていい光景じゃない……」
「ジミーさん、記録取ってる?」
「取ってますよ。取らないと後で説明できないでしょ、こんなの」
「見出しは?」
「『旧砦跡に大河出現、戦艦走る』」
「そのまんまだねぇ」
「そのまんま以外に書きようあります?」
「『連盟、川に負ける』とか」
「煽りすぎ」
そう言いながらも、シジミーは記録用の魔道具を起動していた。
誰が動いたのか。どの部隊が崩れたのか。どの勢力が、どの瞬間に判断を誤ったのか。戦場の情報は、戦後に金になる。そして、物語にもなる。松林は、空中に浮かんだまま、眼下の混沌を見下ろした。
「さあ、実況を始めようか」
「本当にやるんすね……」
「もちろん。戦場は情報が命だからねぇ」
「また怒られますよ」
「怒られるくらいなら、まだ商売になる」
「最悪の基準だなぁ」
松林は空中に浮かびながら、どこから取り出したのか分からない拡声器を片手に、戦場を見下ろしていた。その横で、シジミーは黙って看板を抱えている。
「さあ、始まりました旧砦跡決戦! 実況は私、松林、そして解説も私、松林でお送りします!」
松林は空中に浮かんだ足場の上で、拡声器を片手に高らかに声を張った。
その隣で、シジミーは黙って看板を抱えている。
「さて解説の松林さん、本日の見どころは?」
松林が問いかけ、松林が頷く。
「はい、やはり注目すべきは連盟と連合、双方の初動ですね」
「なるほど、初動ですか」
「ええ。特に連合側の奇策。これは見事に刺さっています」
「では、現状の流れをどう見ますか?」
「正直に申し上げましょう。このままなら連合優勢。よほどの番狂わせでもない限り、流れは覆らないでしょう」
「おおっと、解説の松林さん、かなり踏み込んだ発言です!」
「いえいえ、現地を見ればそう言わざるを得ません。戦場に本来ないはずの大河! その上を走る戦艦! いやあ、意味が分からない!」
シジミーが、無言で看板を掲げた。
『意味が分からないのに解説しているんですか?』
「そこは勢いです!」
松林は即答した。
「そしてこちら、ジミーさんによる現地看板情報も充実しております! ええ、喋るのは私だけです。ジミーさんは看板担当! 役割分担が美しいですね!」
シジミーはこくりと頷き、次の看板を掲げる。
『旧砦跡決戦』
『連合奇策成功』
『連盟劣勢』
『戦場に大河』
『戦艦、走行中』
「分かりやすい!実に分かりやすいですね、ジミーさん!情報とは簡潔であるべきです!」
シジミーはさらに、もう一枚看板を取り出した。
『赤い死神、戦場へ帰還』
松林が片眉を上げる。
「おや?」
シジミーも看板を抱えたまま、空を見上げた。戦場の上空。雲を裂くように、一機の輸送機が現れた。
左舷の翼は歪み、外板は焦げ、尾翼は震えている。まともな機体なら、すでに落ちていてもおかしくない。だが、その輸送機は落ちていなかった。
糸が、壊れた翼と機体を縫い止めている。
そして、その機体の上に、黒白の修道服を翻す人影が立っていた。
赤い髪。
黄の瞳。
片腕で糸を操り、壊れかけた輸送機そのものを支えている少女。
蒼星だった。
「おっとぉ!?ここで空から乱入者です!なんだあの飛び方は!飛行か!?墜落か!?いや、落ちていなければ飛行でしょうか!」
松林は拡声器を握り直した。
「解説の松林さん、あの機体をどう見ますか?」
「はい。どう見ても限界です」
「なるほど限界!では何故飛んでいるのでしょうか!」
「気合いですね」
「解説になっていません!」
シジミーが、看板を掲げる。
『蒼星さん!?』
「おとめさんです!間違いありません!行方不明扱いだった赤い死神が、まさかの空路で旧砦跡へ帰還!しかも機体の中ではなく上!普通は中に乗るものでは!?いえ、おとめさんなら上でも不思議ではないのか!?いや不思議です!」
松林は一人で頷き、一人で首を振る。
「これは事件です!これは美談です!これは売れ――おっと、報道です!あくまで報道です!」
その横で、シジミーがそっと別の看板を掲げた。
『優しい赤い死神』
『黒衣の鎌使いは夜明けに微笑む』
『蒼星夢小説好評発売中』
松林は満足げに頷いた。
「素晴らしいですね、ジミーさん。商魂と報道精神の融合です」
その時だった。輸送機の上に立つ蒼星の顔が、こちらを向いた。正確には、松林ではない。シジミーでもない。シジミーが掲げている看板を、見た。
『蒼星夢小説好評発売中』
風が吹いた。戦場の爆音が、一瞬だけ遠くなったような気がした。
松林の笑顔が、少しだけ固まる。
「……ジミーさん」
シジミーが、看板を持ったまま固まった。
「今、おとめさん、見ましたね」
シジミーは無言で頷く。
「完全に見ましたね」
シジミーは、もう一度頷く。輸送機の機首が、こちらを向いた。ゆっくりではない。明確に、進路を変えた。
「……ジミーさん」
シジミーが看板を下ろす。
「こちらに来ていますね」
シジミーは別の看板を掲げた。
『偶然では?』
「偶然にしては角度が正確ですねぇ」
さらに機体が近づく。
歪んだ翼が軋み、糸が空中で震える。
壊れかけた輸送機は、落下と飛行の境界線を無理やり踏み越えながら、松林とシジミーのいる空へ突っ込んでくる。
シジミーが次の看板を掲げた。
『避けれます?』
「無理」
『ですよねー』
「はい」
松林は咳払いをした。
「おっと、ここでおとめさん御一行、取材班へ急接近!これは取材対象から取材班への熱烈な逆取材でしょうか!それとも抗議でしょうか!いやあ、報道には常に危険が伴います!」
シジミーが無言で看板を掲げる。
『蒼星さん、看板だけは』
輸送機の上で、蒼星の口が動いた。風と爆音に紛れて、声はほとんど届かない。
だが、次の瞬間。糸が空を裂いた。
「おっと」
松林の身体に、糸が絡む。同時に、シジミーの腰にも糸が巻きついた。看板ごと、である。シジミーは慌てて最後の看板を掲げた。
『助けて』
「ジミーさんの現地看板情報!非常に切実です!」
松林は拡声器を握りしめたまま、声を張った。
「ここで取材班、取材対象による強制回収!これは救助か、拉致か、あるいは戦力徴用か!」
輸送機の上から、今度ははっきりと声が落ちてきた。
「戦力徴用」
「言い切った!」
松林が叫ぶ。糸が強く引かれた。
足場が遠ざかる。
空が回る。
戦場が下へ流れる。
松林とシジミーの身体は、看板と拡声器ごと、壊れかけた輸送機へ向かって一直線に引き寄せられていく。
「ジミーさん!看板は!?」
シジミーは必死に看板を抱え込んだ。
『死守』
「命を優先してください!」
『商品情報なので』
「商人ですねぇ!」
「ごん」
輸送機の上で、蒼星がこちらを見下ろしていた。黄の瞳が、まっすぐ松林を射抜く。
「ジミー」
シジミーの肩が跳ねる。蒼星は、シジミーの腕の中にある看板を見た。
『蒼星夢小説好評発売中』
ほんの一瞬、沈黙が落ちた。
「後で話がある」
シジミーが、無言で看板を掲げた。
『すみませんでした』
「謝罪が早い!」
松林が叫んだ。次の瞬間、二人は開いたハッチへ投げ込まれた。
正確には、回収された。かなり乱暴に。
松林は床を転がり、壁に背中を打ちつけた。
シジミーは看板を抱えたまま、松林の上に落ちた。
「ぐえ」
「ごめん、ごんにき」
「大丈夫です、ジミーさん。実況者は丈夫です」
言った直後、機体が大きく傾いた。床が斜めになり、松林とシジミーは揃って壁際へ滑る。
外では、蒼星の糸が軋む音がした。機体全体が悲鳴を上げている。松林は拡声器を拾い上げた。
「旧砦跡決戦、空路突入編!ただいま取材班、蒼星さん御一行により強制回収されました!なお、機体は見るからに限界!現地からは以上です!」
「ごんにき、実況してる場合じゃないって!」
「ジミーさん、これは実況しなければならない状況です!」
「いや、たぶん死ぬ状況です!」
機体の前方から、誰かの怒号が飛んだ。言葉までは聞き取れない。ただ、森が近づいていることだけは分かった。窓の外いっぱいに、濃い緑が迫ってくる。
松林はその光景を見て、ほんの少しだけ黙った。それから、拡声器を握り直す。
「解説の松林さん、これはどう見ますか」
「はい」
松林は自分で問い、自分で答えた。
「非常に危険ですね」
シジミーが真顔で言った。
「そのまんまじゃん」
「そのままです!」
次の瞬間。壊れかけた輸送機は、森へ突っ込んだ。
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