Nocturne Reaper   作:Spica@お星

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猫将軍:彩音 恋葉
ケットシーで生産職の少女。
今回は白い軍服を身に纏い、改装重巡「青葉」に乗船している。

本来は前線で剣を振るうタイプではなく、艦の改装や調整を担当する技術屋寄りの存在。
しかし、なぜか青葉の艦首に立ち、砲煙と濁流の中で前を見据えることになる。

青葉の船員たちからは、いつの間にか「猫将軍」と呼ばれている。
本人はその呼び名に困惑しているが、戦場では意外と似合ってしまっている。

なお、幸運なのか悪運なのか、敵の魔法がなぜか当たらない。



ワレ、アオバ

蒼狼の砲撃が、ヘカトンケイルの巨腕に命中した。

 

濁流の上を、蒼白い閃光が貫く。

 

それは砲撃というより、戦場そのものに刻まれた一本の爪痕だった。水煙を裂き、砲煙を焼き払い、金剛へ振り下ろされる巨腕の側面へ、一直線に突き刺さる。衝突の瞬間、黒い魔力と蒼い砲光が噛み合い、旧砦跡の空気が悲鳴を上げるように震えた。

 

金剛の艦橋で、Yo!曽郎が目を見開く。

塩宮が息を呑む。榛名の艦橋で、誰かが声を失った。

 

そして、濁流の後方。

本来なら戦線を離脱し、もう二度と前へ出られないはずだった場所に、青葉がいた。

 

いや。

 

それは、青葉であって、青葉ではなかった。

 

立ち込める砲煙の向こう側から、ゆらりと、しかし圧倒的な存在感を放つ影が浮かび上がる。それは、世界を拒絶するように冷徹な、蒼い魔力の燐光に包まれていた。かつて大破したはずの残骸ではない。応急処置を施されただけの重巡でもない。荒れ狂う濁流を静まり返らせるかのように現れた「それ」は、完全に生まれ変わったひとつの艦として、静寂のなかで獰猛に砲口を開いていた

 

艦首に立つ恋葉が、前を見据えたまま告げる。

 

「ワレ、アオバ」

 

その言葉が、濁流の戦場に落ちる。

 

戦略級統合兵装艦。

『青葉・蒼狼(ボルテ・チノ)モード』。

 

その名を、まだ誰も正しく理解していなかった。

 

なぜ、濁流の底へと沈みかけていたはずの『青葉』が、再びこの世界へと還ってきたのか。

 

なぜ、『古鷹』の、異母姉妹たる『衣笠』の、そしてヘカトンケイルによって轟沈した『比叡』と『霧島』の――彼女たちの潰えた祈りと名残をその身に宿した異形の巨艦が、たった一隻で、神話の化身たるヘカトンケイルの巨腕を撃ち抜くことができたのか。

 

すべての奇跡には、理由がある。

 

その美しくも残酷な答えへと至る物語は、ほんの少し前。

 

彼女たちの魂が、まだバラバラに震えていた、あの刻へと遡る。

 

青葉が、大破した直後のことだった。

 

 

「本艦、作戦進路を反転。微速後進(アスターン)——これより戦線を離脱(リトリート)する」

 

青葉の艦長がそう命じた時、艦橋の空気は一瞬だけ止まった。

 

前衛として防御線を砕き、濁流の戦場へ突入路をこじ開けてきた青葉が下がる。その意味を、誰もが理解していた。これはただの後退ではない。戦闘継続が不可能になった艦が、沈む前に戦列から外れるための決断だった。

 

「艦長っ……!」

 

「ロストすればすべてが終わる。古鷹、衣笠に通報。本艦の戦列(ライン)を引き継ぎ、前方援護(フロント・カバー)を要請。二番主砲は後進(アスターン)しつつ追撃を阻止、斉射継続。応急班は被弾区画を完全鎖錠(ロック)!浸水線を死守し、遮断しろ!」

了解(アイ・アイ・サー)……!応急班、ただちに前部区画へ突入ッ!」

 

命令が下った瞬間、青葉は濁流の上でゆっくりと針路を変えた。傾いた艦体が軋み、裂けた装甲の隙間から濁った水が噴き上がる。まだ砲は撃てる。まだ機関は死んでいない。だが、前衛としてヘカトンケイルの正面に立ち続けることは、もうできなかった。

 

古鷹と衣笠が、青葉を庇うように前へ出る。

 

二隻は砲塔を回し、ヘカトンケイルの腕へ砲撃を叩き込みながら、青葉が離脱するための時間を稼いだ。砲声が濁流の上に響き、砕けた腕の破片が水面へ落ちる。それでも巨人は止まらない。百腕の一部を失っても、残った腕が前へ出る。傷つきながら、なお艦隊の進路を塞ぎ続ける。

 

青葉の艦首で、恋葉は振り返らなかった。

 

彼女は損傷した甲板に立ち、裂けた装甲、沈黙した砲塔、断線した魔導回路、そして前へ出ていく古鷹と衣笠を見ていた。

 

沈んでいない。

まだ、青葉は沈んでいない。ならば、終わっていない。

恋葉の目が、ゆっくりと変わった。

 

「……直すんじゃ、間に合わない」

 

誰に向けた言葉でもなかった。

 

青葉が戦列から外れる一方で、古鷹と衣笠はヘカトンケイルの追撃を引き受けていた。狂ったようにのたうつ巨腕が濁流を叩きつけ、超音速で飛び散る岩塊の破片が二隻の装甲板を激しく削り取っていく。

 

古鷹の左舷水線下(ウォーターライン)を、濁流の底から伸びた腕が猛烈な質量で擦過した。激しい衝撃波とともに、一番砲塔の基部たる砲塔基部(バーベット)が嫌な金属摩擦音を立てて歪み、旋回ギアが強制ロックを誘発する。

 

衣笠は青葉の後方を遮るように外側回頭(アウトサイド・ターン)で針路をねじ込み、飛来する巨岩の質量を傾斜した艦首装甲(バウ・アーマー)で受け流しながら、必死に砲撃を継続していた。

 

『古鷹、左舷水線下(ウォーターライン)に接触! 一番砲塔旋回角、右十五度で強制ロック! ――だが、副砲(サブ)も含めてまだ撃てる!』

『衣笠、艦首圧壊! 前部隔壁(バルクヘッド)に歪み、水密不良による浸水発生! ――排水ポンプ全力、青葉の離脱路(リトリート・レーン)が完成するまで本艦の針路は維持する!』

 

傷ついた戦友たちの絶叫をスピーカー越しに聞きながら、青葉の艦長は短く息を吐いた。

 

「――各局、欺瞞偽装(ダミー・ステルス)準備」

 

煙と油臭さに満ちた艦橋(ブリッジ)の面々が、一瞬だけ弾かれたように顔を上げる。

 

欺瞞(ダミー)、ですか」

「このまま無策で下がれば、確実に追撃される。ヘカトンケイルだけじゃない。連盟側の本陣に、青葉の残存戦闘能力(ケイパビリティ)を悟られれば、次の一撃で完全に仕留められる」

 

艦長は、血のように赤い爆炎を映す濁流の先を見据えた。

 

「奴らの目を潰す。本艦を『沈んだ』と思わせるんだ」

 

旧砦跡は、すでにまともな戦場ではなかった。濁流によって基礎から削り取られた石畳の残骸、粉砕された城壁の瓦礫、大量の流木と泥土。そして、先ほどの主砲斉射で生じた不条理な魔法の残滓と、千切れた召喚獣の肉片。あらゆる物質が泥水に揉まれ、濁流のいたるところを漂流物(デブリ)として埋め尽くしている。

 

この死骸の海こそが、青葉の選んだ死に場所――否、潜伏先(セーフ・ハウス)だった。

 

「主機出力、微速(デッド・スロー)。ボイラーの熱源出力を極限まで絞れ。魔力放散(マナ・リーク)を抑制、周囲のノイズ波形に同調(シンクロ)させろ」

機関(エンジン)、『死んだ』と見せかけます」

 

応急班が即座に動いた。

 

裂けた装甲の破孔(ブリーチ)の上へ、流れてきた石畳の巨大な石材が物理的に固定される。

 

焦げた巨大な流木が艦体の上部構造物(スーパーストラクチャー)の輪郭を隠し、砕けた防壁の残骸が、特徴的な青葉の艦首形状を完全に歪ませていく。

 

大破した重巡ではない。

 

沈みかけた残骸でもない。

 

激流に揉まれ、ただ流されるだけの、瓦礫まみれの「浮島」。敵の索敵網(サーチネット)を完全に欺くため、青葉はすべての機関(エンジン)を止め、ただ息を潜めた。

 

恋葉は、その応急工作(ダメージコントロール)の様子を、甲板の上で黙って見つめていた。

 

直す(リカバリー)のではない。

隠す(ステルス)

 

生き残るために。

そして、生き残った先で――もう一度、敵の喉元へ牙を突き立てるために。

 

魔導回路の残光(マナ・グロウ)が完全に途絶えた。

 

濁流を押し割り、連盟の防衛線を恐怖させた重巡「青葉」の魔導反応(マナ・シグナル)は、戦場から完全に消滅した。

 

連盟本陣の術式索敵班(システム・オブザーバー)が、その戦術波形(シグナル)の変化に最初に気づいた。

 

「青葉の反応、消失(ロスト)!」

「撃沈したのか!?」

「視覚、魔力ともに断定不能です!ですが、アクティブ索敵の有効限界(レンジ)内において個別識別(ターゲット)を完全喪失!少なくとも、戦闘有効能力(ミッション・キル)を喪失したか、あるいは轟沈したと判断されます!」

 

篝火はその報告を聞き、赤黒く燃える濁流の向こうへ鋭い視線を向けた。

 

青葉が突撃していたはずの進路(レーン)には、主砲の衝撃で砕けた砦の石材と、膨大な流木のデブリが渦を巻いているだけだった。激流に呑まれ、転覆した艦の残骸(スクラップ)らしき鉄の塊はいくつも流れていく。だが、その中から青葉の艦影(シルエット)を判別することは不可能な状態だった。

 

むしろ、戦場全体がヘカトンケイルの多軸腕部によって掻き乱され、大気中の魔力飽和(ノイズ)も物理的な水流の乱れも限界を超えて混線している。索敵システムそのものが、文字通り泥水に濁っていた。

 

「……青葉は沈んだ、と見ていいのだな」

「はっ。少なくとも、戦術的な前線復帰は不可能です。随伴の古鷹と衣笠も深刻な中破。これ以上の重巡三隻による突入路(突破口)支援は、完全に機能停止(スタンド・ダウン)です」

 

篝火は張り詰めていた肩の力を抜き、短く息を吐いた。

 

「なら、見るべきは金剛だ。青葉に索敵を割くな。ヘカトンケイルを金剛へ集中させろ」

 

その判断は、正しかった。

 

普通ならば。

 

青葉は、濁流の片隅で息を潜めていた。

 

艦体に固定された瓦礫が濁った水流を受け、焦げた流木が艦影(シルエット)を曖昧に揺らし、砕けた城壁の石畳が艦の輪郭を完全に覆い隠している。魔力放散(マナ・リーク)は極小値に抑えられ、主機の駆動音(ノイズ)は限界まで絞り込まれ、砲塔も死体のように沈黙したまま動かない。外から見れば、それはただ戦場を漂流するだけの、死んだ質量に過ぎなかった。

 

だが、その鉄の皮膚の内側(インサイド)では、未だ「生きた人間」が駆動していた。

 

応急工作班(ダメージコントロール・タスクフォース)が被弾区画の水密隔壁(バルクヘッド)を冷徹に遮断し、機関科の職人たちが再始動に向けた最低限の熱源(ボイラー・プレッシャー)を維持し、通信班が外部へ漏れないよう指向性を絞り込んだ短距離周波数(チャンネル)を静かに組み直す。誰も大声は出さない。レンチを落とす音、計器の発光、微弱な魔力のスパーク。その一粒すらも、外へ漏らすことは許されなかった。

 

青葉は単に「死んだふり」をしているのではない。戦場を埋め尽くす敵の索敵ロジックを完全に裏切るために、一度、本当に「兵器としての命」を絶ってみせていたのだ。

 

その沈黙の中で、恋葉だけが動いていた。

 

彼女は艦首側の損傷区画へ歩み寄る。砕けた装甲。歪んだ砲塔基部。断線した魔導回路。火花すら外へ漏らせないため、応急班は発光を抑えた魔導灯だけを頼りに作業している。焦げた金属と油と泥水の匂いが混ざり、濁流の振動が艦体を通じて足元から伝わってくる。そこにあるのは、もう戦える艦の姿ではなかった。大破し、息を殺し、戦場の片隅で沈んだものとして扱われることを選んだ、重巡「青葉」の死体だった。

 

だが、恋葉には死体に見えていなかった。

 

「まだ、使える」

 

誰に向けたものでもない呟きに、近くの応急班員が顔を上げる。

 

「猫将軍?」

「第一サドルの給弾機構(ホイスト)は死んでます。でも、バーベットの一部は生きてる。二番砲座はまだ撃てる。メイン・バスは断線してますけど、後部系統(サブ・バス)は生きてる。機関もボイラーを絞ってるだけで、シャットダウンじゃない。……リカバリーなら資材が足りません。でも、バイパスするなら足ります」

「組み替える……?」

 

その言葉に、艦長が振り返った。

 

青葉の艦長は、何かを問い返そうとして、やめた。恋葉の目を見たからだ。そこにあったのは、負傷した艦を前にした悲しみでも、追い詰められた者の焦りでもない。損傷、欠落、断線、破損。普通なら戦闘不能(ミッション・キル)を意味する不都合な情報のすべてを、勝つための方程式へと並べ替えようとする、技術士(プロ)としての目だった。

 

その時、指向性を絞り込んだ短距離周波数(チャンネル)に、古鷹からの通信が割り込んだ。ノイズに混じって、戦友の荒い息遣いがブリッジに漏れる。

 

『青葉、聞こえるか。こっちの主機(エンジン)も長くは保たない。だが、一番砲塔の基部(バーベット)、まだ死んでない。旋回ギアは噛んだが、砲架(マウント)反動吸収機構(リコイル・システム)は使えるはずだ。緊急パージ(強制排除)して、魔力回路のスペアごと、お前たちの座標へ投棄(送る)!』

 

続けて、衣笠の途切れがちな通信が、スピーカーの奥で電子音を跳ねさせた。

 

『衣笠より。前部装甲、完全に圧壊(ブレイク)。けど、剥離した重装甲材(装甲プレート)そのものはまだ形状を保ってる。お前たちの主砲を撃ち抜くための反動受けに使うなら、遠隔同調(リンク)でそっちへ持っていける……青葉、聞こえてるなら応答(アンサー)はいらない。そのまま、完璧に沈んだふり(ステルス)を続けて』

 

艦橋に、重い沈黙が落ちる。

恋葉は、ゆっくりと深く息を吸った。

 

「古鷹さんの砲塔基部(バーベット)。衣笠さんの重装甲材(装甲プレート)。青葉の二番主砲と後部魔導回路。――それだけじゃ、まだあの要塞を撃ち抜くための打撃力(ストッピング・パワー)に足りません」

「まだ、何を足すつもりかね、猫将軍殿」

 

艦長の声は低かった。その瞳が、恋葉の覚悟の深さを測るように細められる。

 

その問いに答えるより早く、濁流の中央で、空間を割るような巨大な爆炎が上がった。比叡の完全轟沈(ロスト)。続いて、霧島の戦闘能力(ケイパビリティ)が途絶し、二度目の大閃光が血のような赤で戦場を焼き尽くす。

 

青葉は死んだ塊(スクラップ)として濁流の片隅に息を潜めたまま、その全てをソナーと、装甲を震わせるショックウェーブだけで聞いていた。艦体を包む瓦礫の隙間から、戦友たちの死を告げる赤黒い光が、ブリッジの暗闇へ非情に漏れ込んでくる。

 

短距離通信の周波数(チャンネル)に、酷いノイズに混じった悲痛な声が滑り込んできた。

 

『比叡、救助工作班(レスキュー)より……艦体残骸(スクラップ)から、魔導増幅器(マナ・アンプ)の一部を回収。完全品じゃない、だが――術式核心(コア)はまだ生きてる……!』

 

間髪入れず、別局の濁った声がスピーカーから這い出す。

 

『霧島側、主砲部品(パーツ)および光学照準補助機構(ディレクター)、大破状態でサルベージ。照準演算部(FCS)、半分焼けてるが、まだ応答あり……!』

 

その不細工で、無惨な、だが生々しい戦友たちの生き残りの報告を聞いた瞬間。

 

恋葉の脳内で、物理法則(ロジック)を置き去りにした「あり得ない艦」のシルエットが、一瞬で完成した。

 

重巡三隻。

戦艦二隻。

 

青葉を核に、古鷹と衣笠の重巡機構(システム)を重ね、比叡と霧島の戦艦級主機出力(パワー・マトリクス)射撃管制系統(火器管制)を統合する。普通なら、絶対に成立しない。艦種が違う。規格が違う。出力の限界値も、砲撃の反動トルクも、根底にある制御思想すらも違いすぎる。青葉の船体構造(スタビリティ)にそのまま載せれば、撃つ瞬間の物理反動で自壊する。比叡のアンプを無理に繋げば、過電流で前部の魔導回路が瞬時に焼き切れる。霧島の光学照準補助機構(ディレクター)を同期させようとすれば、莫大なデータ演算負荷で火器管制システムが全損する。

 

だからこそ、応急修理(リカバリー)では駄目だった。

 

青葉を元に戻すのではない。青葉の死骸を核にして、この濁流の戦場(ドック)で、まったく新しい「単発の決戦艦」を、今から強制建造する。

 

恋葉は腰に提げていた、鈍い銀光を放つ槌を固く握り締めた。

 

神代の奇跡を具現する、技神・ヘファイストスの槌。

 

本来、それは純粋な武具を生み出すための神格級工廠兵器(システム・プロダクト)だった。剣を鍛え、槍を打ち、砲を削り、単一の戦うための道具を形にする。そういう用途ならば、内蔵された生産アルゴリズム(システム)も完全に処理を理解する。

 

だが、数千トンの排水量を持つ水上戦闘艦艇(レイテッド・シップ)そのものを造ることなど、神代の設計思想(オリジン)には含まれていない。ましてや、大破した重巡三隻と戦艦二隻の、不揃いで引き裂かれた残存性能(ケイパビリティ)をたった一隻の船体へ強制同調・統合するなど、通常の生産システムがエラーを起こさずに処理できるはずがなかった。

 

それでも、恋葉は迷うことなく、その重厚な(ハンマー)を頭上高く振り上げた。

 

「――システム強制認証。神格コード(ヘファイストス)

 

その真名を呼んだ瞬間、鈍色だった槌の表面に、網膜を焼くような赤熱した神代の術式紋様が走る。

 

「分かってる。これは武器じゃない、ただの艦で。たぶん、君の、正しい規格(ガイドライン)の使い方じゃない」

 

青葉の艦底深奥に、ドォン、と重厚な地鳴りのような鉄の打音が響き渡った。

 

恋葉は槌をガチリと握り直したまま、言葉を続ける。

 

「でも、これがなければ届かない。あの腕を止められない。お塩を、目的地まで連れていけない。だから、応えて……これから造るのは、艦であり、最大の武器」

 

槌が、応えた。

 

音ではない。言葉でもない。ただ、恋葉の手の中で、槌の慣性質量が物理法則を無視して変転した。拒絶ではない。許可でもない。もっと乱暴で、もっと神の意志らしい、職人の限界を試すような圧倒的な沈黙だった。

 

次の瞬間、恋葉の視界のシステム・ウィンドウに、真紅の警告ログ(エラーコード)が超高速で走り抜ける。

 

警告。通常武器生成カテゴリに該当しません▼

警告。通常艦艇建造カテゴリに該当しません▼

警告。対象構造物、規定上限質量を大幅に超過▼

警告。対象構造物、複数艦艇由来の残存性能(ケイパビリティ)を含有▼

警告。重巡洋艦三隻、戦艦二隻の性能統合要求を検出▼

処理不能。

処理不能。

処理不能。

 

視界を埋め尽くす真紅の警告文(エラーログ)が、恋葉の網膜上で激しく明滅する。神代の生産アルゴリズムが、物理限界と設計思想の矛盾を検知して、システム停止寸前まで暴走していた。

 

「――うるさい」

 

恋葉は短く、切り捨てた。

 

神代のシステムが不可能(エラー)と弾き出したなら、職人の手で成立(クリア)へ書き換えるだけだ。

 

「エラーを全件無視(パス)。全リソース、青葉の『一撃』のみに集約。……ヘファイストス、これでもまだ、あなたは『処理不能』って言うつもり?」

 

返答はなかった。

 

神は語らない。ただ、恋葉の手の中で、槌がさらに昏い重さを増していった。それは物理的な重量ではない。手首をへし折るような重さでも、腕の筋肉を押し潰すようなプレッシャーでもない。もっと根源的な、存在そのものの強度を試すようなモーメントだった。握り締めた掌の内側から骨皮質へ直接染み込み、神経網を通り、肩を抜け、脳組織の奥底へとダイレクトに問いかけてくる。

 

――本当に、打つのか。

 

神代のシステムに宿る、冷徹な造り手の意志にそう言われた気がした。回路の異常負荷(オーバーロード)に耐えるように、恋葉は奥歯を軋ませ、血が滲むほどに歯を食いしばる。

 

「――打つッッ!!」

 

真紅の警告ログ(エラーコード)が、一瞬だけ停止(フリーズ)した。

 

次の瞬間、恋葉の視界に、新たな文字列(システム・フォント)が狂ったように刻まれる。

 

神格コード(ヘファイストス)、再照合中▼

使用者権限および適性を確認。

技術適性(クラス)、規定値を大幅に超過。

ビルド履歴、参照完了。

艦艇運用ロジック、参照完了。

対象構造物を、『武器』として建造することを承認。

レイテッド・シップではありません。

スタンダード・ウェポンではありません。

――概念の再定義を開始します▼

 

恋葉の呼吸(システム・サイクル)が完全に止まりかけた。

 

網膜を焼くように、視界の端が真紅に染まる。古代の生産アルゴリズムが、青葉を「艦」として見ようとして失敗し、単一の「武器()」として見ようとして失敗し、それでもなお――恋葉の手の中にある槌から流れ込む職人のエゴを通じて、ロジックをねじ曲げた『別の解釈』へと強引に辿り着こうとしていた。

 

艦ではない。

武器でもない。

 

ならば何か。

答えは、最初から恋葉の胸の内にあった。

 

「――戦場を、根こそぎ変えるための一撃」

 

槌の赤熱が、周囲の空気を物理的に歪めるほどに、さらに強く、昏く変転していく。

 

兵器定義(コード)を更新▼

艦艇構造体(メイン・ハル)を基幹フレームとして認識。

砲戦機構(サドル・システム)を武装群として認識。

魔導増幅器(マナ・アンプ)出力炉(コア)として認識。

照準補助機構(ディレクター)火器管制補助(FCS・サブ・バス)として認識。

重装甲材(装甲プレート)反動制御外殻(スタビライザー)として認識。

 

――『戦略級統合兵装艦』

承認待機(スタンドバイ)

 

恋葉は、全身の骨が軋むほどの慣性質量をねじ伏せ、赤熱する槌を頭上高く振り上げた。

 

青葉の中にいた全員が、その瞬間だけ呼吸を止めた。暗闇に伏せる応急工作班も、ボイラーの圧を守る機関科も、指向性無線を握る通信班も。古鷹と衣笠から泥まみれで合流した乗組員たちも、比叡と霧島の生々しい残骸を抱えていた救助工作班も。誰もが、網膜を焦がす赤光を放つ、恋葉の振り上げた槌の軌跡だけを見つめていた。

 

それは、壊れた機体を繕う応急修理(リカバリー)の一打ではない。

 

鉄を叩き、形を整える普通の鍛造(ビルド)の一打でもない。

 

世界の規格(ガイドライン)から外れた歪な怪物を、物理現実(フィールド)へ無理やり打ち込み、固定するためだけの――始まりの一撃だった。

 

恋葉は、その槌を全力で振り下ろした。

 

――ドンッ!!

 

濁流の轟音すら掻き消す、重厚な一打。

 

だが、それは鋼鉄の甲板を叩いた、表面的な硬質音ではなかった。

 

青葉という艦の、もっと奥深く。人間の骨格に相当する魔導竜骨(キール・フレーム)、破断したまま火花を散らしていた主魔導回路の底、死体のように沈黙していた二番主砲、そして息を殺して熱源を溜め込んでいたボイラー機関部。そのすべてが、一斉に強制同期され、叩き起こされるような、魂を震わせる巨大な『鍛造音』だった。

 

死んだ瓦礫の浮島として濁流に身を潜めていた青葉の、暗黒の艦内を一瞬で蒼い火花が走り抜ける。

 

それは、本来なら外へ漏れてはならない、死を偽装するための禁忌の光だった。敵の索敵に一瞬でも拾われれば、その場で集中砲火を浴びる。だからこそ、それは死者の内側だけで静かに燃える、小さな炉火でなければならなかった。

 

だが、その小さな蒼炎は、恋葉の槌が物理現実へ叩き込まれるたびに、青葉の深奥で、確かにその形態を変えていった。

 

古鷹の基部が青葉の旋回床と強引に分子結合(フュージョン)し、衣笠の重装甲板が主砲の反動を逃がすための外殻(スタビライズ・シェル)へと歪に組み換わっていく。比叡の魔導増幅器(マナ・アンプ)が熱源を吸い上げて膨張し、霧島の焼けた演算基盤(FCS)が、不規則な明滅を繰り返しながらも、戦場にそびえ立つヘカトンケイルを再びその射程(レティクル)の中央へと捉え直し始めていた。

 

世界の規格(ガイドライン)が、恋葉の打撃によって完全に書き換わっていく。

 

「古鷹班、固定を合わせろ! ギアを元に戻そうとするな、新しい回転軸として組み込め!」

了解(ラジャー)! 砲塔基部(バーベット)、青葉側の反動フレームへ直結(バイパス)!』

 

古鷹の魔導骨格(フレーム)が、青葉の肉体の中へと喰い込んでいく。

 

次に、衣笠の重装甲材(装甲プレート)が展開された。

 

圧壊し、剥離し、元の艦体を守るための装甲としてはもう役に立たないはずの鋼材。だが恋葉は、それを「耐えるための防壁」としては見ていなかった。超大口径砲の爆発的な物理反動を受け止め、背骨にかかる負荷を効率的に逃がし、一撃を放った瞬間に青葉の船体が自壊して折れないよう強引に突っ張るための、「外殻(スタビライザー)」として見ていた。

 

「衣笠班、装甲を守りに使わないでください。撃ち抜くために使います」

了解(ラジャー)!艦首側、反動制御外殻として再配置(ロールアップ)!――構造の歪みは、すべて衣笠の部材で受け止める!』

 

衣笠の鎧が、青葉の外殻になる。

 

三度目の打音とともに、比叡の魔導増幅器(マナ・アンプ)が獰猛に唸った。

 

瞬間、青葉の艦内にいた全員が本能的に息を呑む。限界まで抑え込んでいた戦艦級の魔力が、暴れ馬のように主回路(メイン・バス)を駆け抜けようとしたからだ。青葉の後部魔導回路が許容限界(オーバーフロー)の悲鳴を上げ、隔壁の奥で青白い電弧が狂ったように散る。

 

「比叡班、増幅器が熱暴走(サーマル・ランナウェイ)する! 結線が溶けるぞ!」

『出力を一系統に流すな! 三分割しろ! 主砲群、補助砲群、そして――高出力魔法砲基部へ強制分散(スプリット)!』

「青葉応急班、焼ける導線(フィラメント)は切り捨てろ! 絶縁外皮が燃えても構わん、生きている線だけを残せ!」

 

比叡の心臓が、青葉の主機関()になる。

 

四度目の打音で、霧島の光学照準補助機構(ディレクター)が、青葉の射撃管制システム(火器管制系)の深奥へ沈み込んだ。

 

濁流の流速変化。ヘカトンケイルの多軸腕部の再構成速度。金剛の突撃針路(アタック・コース)。榛名の囮機動(デコイ・ラン)。そして、比叡と霧島が自らの身を盾にして作り出した、決定的な戦術的空白(ギャップ)。それらの戦況のすべてが、青白い弾道計算データとなって恋葉の網膜へと流れ込んでくる。

 

「霧島班、照準補助(ディレクター)応答(アンサー)!」

『酷い磁気嵐だ! 死んだ演算領域(セクター)はゴミだ、すべて即座にパージしろ! 生き残っている核心(コア)だけを使って弾道解を算定(ホールド)せよ!』

「ヘカトンケイルの主腕、動体予測に入ります!」

 

霧島の眼が、青葉の照準(レティクル)になる。

 

そして最後に、恋葉は青葉そのものへ槌を力強く打ち込んだ。

 

「――青葉」

 

その名を、魂を込めて呼ぶ。

 

「君が、すべての核」

 

五度目の打音が、艦橋の空間そのものを激しく震わせた。

 

沈黙していた艦体が、深く、低く、濁流の底を震わせるような重低音で唸った。

 

青葉の残存主砲。後部魔導回路。まだ死んでいない機関。応急工作班が死守し続けた水密区画。艦長が維持した指揮系統。そして乗組員たちが息を殺して繋ぎ止めた、青葉という艦そのものの命。

 

そのすべてが、古鷹の骨、衣笠の鎧、比叡の心臓、霧島の眼を狂気的な速度で受け入れていく。

 

網膜を灼いていた真紅の警告ログ(エラーコード)が、一転して、静謐な蒼白(オール・グリーン)へと変わった。

 

例外承認(エクセプション・アクセス)

 

技神ヘファイストスによる再定義干渉(ハッキング)を確認しました。

通常修理処理を破棄。

通常艦艇建造処理を破棄。

通常武器生成処理を破棄。

――これより『戦略級統合兵装艦』として再構成を開始します▼

 

重巡洋艦三隻、戦艦二隻の残存機構を統合中。

 

基幹艦体(コア・ハル):青葉

中枢建造者(マイスター):恋葉

指揮系統(ライン):未固定

火器管制中枢(FCS):未接続

――統合制御者(マスター・コア)のログインを要求します▼

 

恋葉のこめかみに、脳組織を直接焼き切るような鋭い痛みが走った。

 

「っ……!」

 

まだ接続は始まっていない。なのに、もう視界の端に膨大な戦術数値(パラメータ)が浮かび始めている。

 

砲塔角度(トラバース)魔力流量(マナ・フロー)艦体応力(ストレス)反動吸収率(リコイル)推力偏差(トリム)装甲温度(サーマル)照準補正(レティクル)。――五隻分の戦闘情報(データ)が、薄い膜の向こうから、獲物を狙うようにこちらを覗き込んでいる。

 

青葉の艦長が、苦渋を帯びた声で低く言った。

 

統合制御者(マスター・コア)か」

「……私が、やります」

 

恋葉は、一瞬の躊躇もなく即答した。

 

艦長の目が、その無謀を咎めるように細くなる。

 

「分かっているのかね、猫将軍殿。これは青葉一隻の火器管制ではない。五隻分の砲戦機構、魔導出力、照準補助、艦体制御――その全てのデータリンクを、たった一つの中枢で束ねるということだ。人間の脳組織が受け止めていい情報量ではない」

 

「分かってます」

「……頭痛では済まないぞ。精神回路が焼き切れる可能性もある」

「それも、分かってます」

 

耳の奥で、すでに限界負荷(オーバーロード)を告げる不快な高音が鳴り始めていた。視界の端は真白に明滅し、脳の拒絶反応たる吐き気に似た圧迫感が、喉元まで激しく込み上げてくる。それでも、恋葉は赤熱する槌を握る指先を、ミリ単位すらも緩めなかった。

 

「でも、誰かが見ないと、この艦は動きません。誰かが繋がないと、青葉は一隻になれません」

 

艦長は、その覚悟をすべて飲み込み、深く沈黙した。

 

恋葉は、暗雲の下で赤黒く荒れ狂う濁流の向こうを見据えた。

 

比叡と霧島が沈み、榛名が囮機動(デコイ・ラン)となり、金剛が最大戦速で突撃を継続している。ヘカトンケイルの、あの天を衝くほどの無数の巨腕は、今まさに金剛を圧殺せんと頭上高く持ち上がろうとしていた。

 

タイムリミットは、もう一秒すら残されていない。

 

「私が見ます」

 

恋葉は、冷徹に言い放った。

 

「私が繋ぎます」

 

槌の神代術式(赤熱)が、恋葉の華奢な腕の皮膚へと直接這い上がり、その紋様を肉体に刻み込んでいく。

 

「私が、撃てる形にします」

 

青葉の艦長は、覚悟を決めて短く息を吐いた。

 

「……各局、全員聞こえたな」

 

艦橋に、そして艦内の各所に、艦長の声が走る。

 

射撃管制(火器管制)を猫将軍へ連結。全乗組員、統合管制(データリンク)へ移行。これは修理(リカバリー)ではない。まったく新しい艦の建造だ。本艦が、こちらから猫将軍の管制信号(シグナル)に合わせる!」

 

『比叡班、魔導増幅器(マナ・アンプ)、出力安定化に入ります! 限界突破(オーバーロード)に備えろ!』

『霧島班、光学照準補助機構(ディレクター)脳内同期(リンク)開始! 残存セクターすべて開放!』

『古鷹班、砲塔基部(バーベット)、反動制御フレームへ組み込み完了! 突っ張りよし!』

『衣笠班、装甲外殻(スタビライザー)、固定! 艦首の物理負荷(トルク)は、すべてこちらで受け持つ!』

『青葉応急班、後部魔導回路再接続! 絶縁外皮が燃え尽きる前に、生きてる線だけで全部ブチ繋ぎます!!』

 

死んだはずの、瓦礫にまみれた浮島の内側で、傷だらけの人間たちの声だけが、爆発的な熱を帯びていく。

 

射撃管制(火器管制)、完全接続▼

中枢インターフェース、恋葉へ固定▼

指揮系統、青葉艦長へ固定▼

統合アビオニクス、仮想構築(バーチャル・パッチ)完了▼

三十六門砲、展開準備▼

推力系統(スラスト・ライン)、金剛型高速戦艦相当へ再定義▼

高出力魔法砲、構築(ビルド)開始▼

 

艦種分類、更新。

新規艦種定義を承認(クリア)しました▼

 

――『戦略級統合兵装艦』。

――『青葉・蒼狼(ボルテ・チノ)モード』。

 

その瞬間、死んだ浮島の暗闇の奥深くで、一匹の「蒼い狼」が猛々しく目を開いた。

 




史実の青葉は、アメリカ軍からソロモンの狼と呼ばれた名艦。
1943年2月、修理を終えて南東方面に進出するも、その直後の4月3日未明にソロモン諸島・ニューアイルランド島のメウエパセージ港にて空襲に遭い再度大破。擬装を施して敵機から遮蔽→軽巡洋艦川内に曳航されてトラック泊地へ→応急修理を行い何とか自力航行可能な状態に・・・という苦難を経て、8月1日呉へ帰投する。という逸話があります。
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