所属ギルド:闇鍋の宴
クラン:連合の主催
二つ名:不夜城
この世界きっての苦労人。
過半数が脱退、あるいは行方不明になった《闇鍋の宴》を引き継いだ、二代目ギルドマスターである。
闇鍋の中では“比較的”話が通じる常識人枠。
ただし、あくまで“比較的”であることを忘れてはいけない。
彼は盾使いである。
それも、数多いる盾使いの中でも最も堅牢な一角と数えられる存在。
その二つ名――《不夜城》は、決して飾りではない。
誰よりも胃を痛め、誰よりも後始末に追われる男。
それでも必要とあらば、誰よりも先に無茶な作戦へ踏み込む。
常識を理解したうえで、非常識を選べるのが塩宮るれあである。
つまり彼は、常識人の顔をした闇鍋である。
――不夜城と、
この戦火を止めるための壁と、それを打ち破らんとする刃が、今、真っ直ぐに向かい合った。
混戦の音は、まだ消えていない。
金剛の拘束術式弾が瓦礫の向こうで炸裂し、光の鎖が連盟の前衛を絡め取る。連合の突入部隊はその隙間へと滑り込み、崩れた本陣外郭を押し広げ、連盟側はそれを押し返そうと魔法弾と剣戟を叩きつける。濁流の轟き、砲声、怒号、詠唱、破砕音。すべてが混ざり合い、旧砦跡の中心はもはや戦場というより、一つの巨大な嵐の内側だった。
だが、その嵐の中心で、塩宮と篝火の周囲だけが奇妙に静かだった。
誰も踏み込めない。
踏み込めば巻き込まれると、本能が理解している。塩宮の背後には、彼が押し開いた連合側の足場がある。安全とは呼べない。だが、それでも味方が立てるだけの場所。篝火の背後には、崩れかけた連盟本陣がある。まだ戦える者、まだ退かない者、まだ旗を下ろさない者たちが、泥と血にまみれながら踏みとどまっている。
二人の間にあるのは、ほんの数十歩。
だが、互いの背負う戦線と意地が激突するその距離は、この戦場のどの場所よりも遠く、険しかった。
篝火が、低く笑った。
「お前は、本当に面倒な奴だな、塩宮」
――その言葉の終わり際、彼の周囲の空気が爆発的に変質した。
篝火の右肩の上、陽炎のように歪む空間から、超高熱に圧縮された火の魔力が凝縮し、今にも撃ち出されそうな弾丸の形を編み上げていく。同時に、彼の左手には冷気が奔り、集まった水分子が薄く、そして鉄をも両断せんとするほどに鋭利な、半透明の氷の刃となってその腕に絡みついた。
足元では風が凶悪な螺旋を描いて渦巻き、周囲の土煙を巻き上げながら、彼の身体をいつでも加速させられる推進力へと変わっていく。さらにその風圧に呼応するかのように、背後に転がっていた巨大な石塊や瓦礫が、重力を無視して意思を持つかのようにふわりと浮き上がった。
そして彼の右手の指先、その皮膚のすぐ上では、網膜を刺すような青白色の雷撃が、パチパチと金属を弾くような硬い音を立てて爆ぜ続けている。
攻略組屈指の魔法使い。
火、水、風、土、雷。本来であれば個別に練り上げるべき五つの異なる力。それが、まるで最初から一つの生き物であったかのように、完璧なバランスで篝火の肉体と連動していた。
熱で水が蒸発することもなく、雷が風を乱すこともない。互いの魔法が複雑に絡み合い、反発し合いながらも、篝火の呼吸一つでミリ単位の均衡を保っている。
暴発寸前のエネルギーが放つ、圧倒的な密度。その狂気的なまでの技量を前に、周囲で見守る魔法職のプレイヤーたちさえもが、恐怖で息を呑むほどだった。
その肩書きは、篝火が後方から大魔法を撃ち下ろすだけの、安全な固定砲台であることを意味しない。彼は魔法使いでありながら、生と死が秒単位で入れ替わる最前線に立ち続けるための、凶悪なまでの実戦技術を磨き上げてきた。
牽制の火球を弾丸のように連射し、魔力の残光をそのまま剥き出しの刃として振るう。吹き荒れる属性をパリィや目眩ましへと瞬時に切り替えながら、恐れを忘れた踏み込みで相手の間合いへと容赦なく肉薄する。
呪文の紡ぎと激しい剣戟を同時に処理し、遠距離からの狙撃も、泥臭い超近接戦も、たった一人で成立させてしまう。それはこの世界の攻略組の中にあっても、明らかに異質で、圧倒的に危険な『近接型魔法使い』としての完成形だった。
その眼前に立ちはだかる塩宮は、大盾を構えたまま、微塵の怯えもなく淡々と言った。
「面倒なことをしに来ましたから」
「だろうな」
篝火の笑みが、獲物を前にした獣のように深く、獰猛に歪んでいく。
「なら、まずは一枚剥がす」
その言葉が落ちた瞬間、篝火の右肩に浮かんでいた火の弾丸が、空気を激しく爆裂させて撃ち出された。
初撃でありながら、それはただの牽制ではなかった。猛烈な速度で射出された火球は、塩宮の胸元へと一直線に向かうと見せかけ、接敵寸前でその弾道をミリ単位で歪ませる。
狙いは、盾の真正面ではない。大盾を強固にホールドしている、塩宮の右腕の付け根――防御に回る者がもっとも嫌う、視界の死角へと滑り込むような急角度のカーブ。
盾そのものを肉厚な鉄壁として機能させず、それを支える『支点』をダイレクトに潰しにいく、実戦経験の豊富さを物語る苛烈な弾道。受ければ腕を焼かれて防御能力を失い、避ければ盾の面が大きく開いて無防備になり、無理に弾けば次の一撃への対応が致命的に遅れる。
三択の絶望を前にしてもなお、塩宮の判断は驚くほど冷徹だった。
彼は動じることなく、大盾の自重を乗せてわずかに前へと押し出した。
真正面からその質量と熱量を受け止めれば、衝撃で体勢が崩れる。だからこそ、塩宮は大盾の持つわずかな『丸み』へと、火の弾道を正確に滑り込ませた。
ガギィィン――ッ!
盾面の端で軌道を逸らされた火球が、耳を劈くような摩擦音とともに、赤熱した火花を激しく撒き散らす。外側へと受け流された火球は、そのまま塩宮の身体を掠めて横へ逸れ、背後に転がっていた巨大な瓦礫へ着弾し、凄まじい爆音とともに爆ぜた。
猛烈な熱風が塩宮の頬を乱暴に撫で、鎧の肩口を黒く焦がしていく。だが、不夜城の防御ラインはミリ単位の狂いもなく維持され、盾を支える右腕そのものには、まだ一筋の火傷すら刻まれてはいなかった。
「そこを受け流すかよ」
篝火は笑う。
その笑い声の終わりに、彼の左手にある半透明の氷刃が凶悪に閃いた。
踏み込みは、まさに「風」そのものだった。足元で渦巻いていた風の魔法が一瞬だけ爆発的な推進力へと変わり、彼の身体を低く、恐ろしいほどの初速で前へと押し出す。
魔法使いの間合いではない。剣士のそれよりもさらに近い、文字通りのゼロ距離。
先ほどの火球で塩宮の視線を盾の外側へと引き、背後で爆ぜた爆炎で視界を奪う。その直後の、これ以上ない死角。視界が白く染まる刹那を突き、篝火自身が氷の刃を握りしめて塩宮の懐へと滑り込んできた。
振り下ろされる氷刃の狙いは、やはり正面ではなかった。
盾の下。
――膝。
防御職の強固な重心を支える、最も重要な脚部。
塩宮は、大盾を下げない。ここで動揺して盾を下げれば、篝火の自由な右手に残る『次の一撃』が確実に顔面へ飛んでくる。それを脳内で瞬時に読んだうえで、塩宮は左足を半歩だけ後ろへ引き、右膝の角度を外側へと鋭く開いた。
ガキィィ……ッ!
鋭利な氷刃が脚部装甲の金属表面を薄く削り、白く凍てつく霜の線を残して滑り抜ける。完全には避けきれていない。だが、塩宮の精密な肉体制御は、刃を膝関節の奥まで届かせることを許さなかった。
そして、その肉薄の瞬間。
塩宮の大盾の縁が、ガツンと重々しく落ちた。
振り下ろすのではない。
叩きつけるのでもない。
懐に飛び込んできた篝火の肩口へ、ただ『置く』ように、盾が持つ全ての重さだけを冷徹に乗せる。巨大な鉄塊のごとき大盾の質量が、篝火の進路を上から強引に圧殺しようとした。
だが、篝火はそこでも止まらなかった。
彼の足元で、土の魔法が跳ねる。
先ほどから周囲に浮遊させていた瓦礫の一つが、篝火の靴裏へと吸い寄せられるように滑り込み、空中に『即席の足場』を出現させた。塩宮の盾の圧力が落ちてくるよりも一瞬早く、篝火はその石塊を爆発的な脚力で蹴り抜く。
物理法則を歪めるような空中機動。彼の身体は横へと滑るように流れ、大盾の必殺のプレッシャーから軽々と外れてみせた。
――次いで、彼の指先に宿る「雷」が弾けた。
バチィィッ!!
青白い雷撃は、塩宮の盾を狙わない。
盾と鎧のわずかな隙間。最初の火球を受け流した際に生じた、肩口の、ほんの指一本分にも満たない『開き』。そこへ、針のように細く鋭い紫電が、命を刈り取る速度で突き込まれる。
塩宮の網膜は、その必滅の雷光を、はっきりと捉えていた。
見えていたが、あえて完全には避けなかった。
盾を戻す愚を犯すより、塩宮は自ら右肩を前に突き出した。雷撃が鎧の肩当てへ接触する瞬間、肩を沈め、装甲の傾斜で雷の針を外側へ滑らせる。
バチィィッ――!
激しい火花とともに青白い電流が鎧の表面を走り、肘から指先へ、肉体を縛る鈍い痺れが駆け抜ける。視界の端に、
回避のために足を動かせば、篝火に距離をリセットする隙を与える。そのわずかな猶予を相手に渡さないためだけに、塩宮は自らの肉体でその衝撃を殺したのだ。
一瞬だけ、音が遠のいた。
激しい電撃の残光が消え去るその刹那、塩宮の肉体はぴたりと制止し、麻痺の警告を重厚な意志で踏み越える。右腕は動く。大盾をホールドする指は一本分も緩んでいない。当然、盾も落ちない。
「……本当に嫌になるな」
篝火の声が、暗く、低くなる。
「普通なら、今ので一手遅れる」
「遅れましたよ」
塩宮は抑揚のない声で、淡々と返す。
「ただ、止まるほどではありません」
言い終えるよりも早く、塩宮は「一歩」を踏み出した。
派手な跳躍も、鋭い突進もない。ただ、地面の瓦礫を重々しく踏み潰す、確実な前進。
大盾の面をそのまま篝火へ押しつける。攻撃ではない。空間を潰す動きだった。
雷撃を受け流した刹那の「静」から、淀みなく繋がる「動」。塩宮が歩みを進めるたび、篝火が使える魔法の角度が極限まで減らされ、五属性を振るうための間合いが物理的に削り取られていく。
逃げるべき四方をじりじりと、だが容赦のない速度で奪われていく側にとっては、そびえ立つ一基の巨大な城壁が、自らを押し潰すために間近へ迫ってくるに等しい圧力だった。
逃げ場を完全に封じられる、その息の詰まるような制圧感の底。
しかし、篝火は後ろへ跳んで逃れようとはしなかった。
むしろ――その唇が、かすかに吊り上がる。
「いいな、塩宮。そう来るなら、こっちも遠慮はいらないな」
火の弾丸がさらに増えていく。右肩だけではない。篝火の背後に、赤い光点が十、二十と次々に生まれ、まるで空中へ並ぶ無数の槍衾のように、その切っ先を塩宮へと向けた。
左手の水の刃は、しなやかに蠢く一本の鞭へと形を変える。風は篝火の足元だけでなく、塩宮の足元の砂塵までを乱暴に巻き込み、その視界を急速に削り始めていた。背後に浮かんでいた土の瓦礫は、いつの間にか盾では捌きにくい死角側へと回り込み、指先の雷は細い糸となって水鞭の内部を這うように走り始める。
五属性が、ただ同時にそこに存在しているのではない。
――五つの性質が、互いの特性を完璧に利用し合っている。
火で網膜を焼き、水で四肢を拘束し、雷で麻痺を与え、風で体勢を乱し、土で逃げ道を塞ぐ。
篝火がその脳内で並列処理しているのは、単なる五つの独立した魔法ではない。五つの異なる現象を一つの明確な『必殺』へと束ねた、彼にしか扱えない複合の連撃だった。
「塩宮」
篝火は、吹き荒れる炎の赤にその横顔を不気味に照らされながら、静かに告げる。
「お前の盾がどれだけ堅いかなんて、俺はよく知ってる」
空中に浮かぶ赤い火弾が、一斉に鋭く傾いた。そのすべての照準が、塩宮の肉体を捉える。
「だから――正攻法で行く気はない」
蛇のように地面を這う水鞭が、塩宮の足元へ向かって音もなく滑り込む。
「剥がす」
ドン、と風が爆ぜ、視界を埋め尽くす土煙が、一気に濁った幕となって塩宮を包み込む。
「削る」
盾の死角へ回っていた土の瓦礫が変形し、左右から塩宮を挟み込むように鋭い槍となって地面から突き立った。
「縛る」
水鞭の内側で、無数の雷が青白く不気味に明滅を繰り返す。
「痺れさせる」
篝火の瞳が、獲物の急所を見据える獣のように細く、鋭く据わった。
「それでも倒れないなら――同じことを、何度でも繰り返すだけだ」
次の瞬間、十重二十重の火弾が塩宮へ殺到した。
上からではない。正面からでもない。無数の火線はそれぞれがまったく異なる軌道を描いて塩宮へ迫り、大盾の上端、下端、右縁、左縁、あるいは剥き出しの肩口、膝、足首へと散らばる。
すべてが命を刈り取る本命に見え、同時に、すべてがこちらのガードを誘うフェイントでもあった。どれか一つでもまともに受け損なえば、その一瞬の姿勢の崩れが、次なる属性を肉体へ招き入れる決定的な入口になる。
だが、塩宮は大盾を大きく振るわない。
派手に盾を動かせば、次のフレームの波状攻撃に絶対に間に合わない。
塩宮は盾面を数ミリ、数センチの範囲で最小限だけ動かし、飛来する火弾の軌道に対して「傾き」だけを作っていく。上端に来た火弾は肩をすぼめるようにして受け流し、下端に来た一発は盾の底で地面へ踏み潰すように圧殺し、右縁に来たものを手首の鋭い返しだけで外へ弾く。
――ガッ、と重い破裂音。
左肩へ向けられた一発だけは、受けきれなかった。鎧の表面で赤黒い爆炎が弾け、火傷の継続ダメージを示す不快な熱が肌を走る。
それでも、不夜城の歩みは微塵もブレない。
塩宮は煙を纏いながら、重々しく前へ出る。
確実な、一歩。
その踏み込みの瞬間を、鋭く蠢く水鞭が捉えた。
足首へと、蛇のように絡みつく冷徹な感触。塩宮はそれを切ろうとはしない。武器を振るって切る手段はある。だが、そのために大盾の防御ラインをわずかでも下げれば、頭上に浮遊する火弾の第二射が確実に顔面へと叩き込まれる。
だから塩宮は、水鞭に絡まれた足をそのまま、地面の瓦礫へと力任せに踏み込んだ。自分の足首ごと、水鞭を地面へ踏み潰して固定する。移動の自由は完全に奪われる。だが、倒れはしない。
――バチィィッ!!
次の瞬間、水鞭の内側を走っていた雷撃が、水を伝って一気に駆け上がった。
今度は完全に逃がしきれない。
青白い激しい電流が膝から腰へと突き抜け、塩宮の強靭な肉体が一瞬だけ硬直する。視界の隅で
篝火は、その致命的な「数センチ」を絶対に見逃さなかった。
氷刃が、来る。
左手の水の刃を極限まで細く研ぎ澄ませ、鎧の胸元――盾が下がったことでわずかに開いた、最悪の隙間へと滑り込ませる。水属性でありながら、氷の硬度と刃の薄さを極限で両立させた、必殺の刺突。
大盾を上へ戻して受けるには角度が足りない。避けるには足首を縛られている。
だが――塩宮は、やはり避けなかった。
盾を強引に戻そうとする代わりに、彼は自らの身体を丸ごと、前へと倒し込んだ。
氷刃が鎧の胸元へ触れるよりも早く、塩宮の大盾の巨大な質量が、篝火との間に残されたわずかな距離を強引に埋める。
刃は深く刺さらない。大盾の絶対的なプレッシャーに押され、突き出した篝火の腕の角度が無理やり狂わされる。薄い氷刃は胸元を逸れ、肩装甲の外側をガリガリと鈍い音を立てて削り落としていった。鋭い痛みが奔り、ダメージが肉体を削る。だが、致命傷には程遠い。
――ドムッ、と鈍い衝撃。
塩宮の掲げる鉄壁が、ついに篝火の身体へと直接届いた。
今度はただの空間遮断ではない。
大盾の肉厚な面を使い、篝火の胸元を力強く、冷徹に押し出す。
篝火は足元で風の魔力を爆ぜさせ、その推進力で後方へと滑るように退いた。だが、ゼロ距離からの重量の圧力を完全には逃がしきれない。盾の重圧が身体の中心線を的確に捉え、彼の呼吸が「うっ」と一瞬だけ詰まる。
術者の呼吸の乱れに連動し、空中に浮遊していた火弾の制御がわずかに瓦解した。残された二発の火球が軌道をでたらめに逸らし、周囲の瓦礫へと着弾して空しく爆ぜる。
――耐え、静止し、一歩を踏みしめる。
「不夜城」と呼ばれた盾の本当の役割は、篝火を焦らせて倒すことではない。
どんな理不尽な猛攻を前にしても、決して、崩れないことだった。
「……お前」
篝火が、乱れた呼吸を整えるように短く息を吐いた。
「今のを、攻撃に転じないのか」
「必要ありません。私の役目は、守ることですから」
塩宮は、再び大盾を寸分の狂いもなく正面へと構え直した。
先ほど削り取られた肩の装甲からは、赤い血が流れ落ちている。雷撃による鈍い痺れはまだ四肢に残っており、足元を浸す冷たい水は鎧の隙間から肉体へと染み込み、火傷の痕はじりじりと嫌な痛みを主張し続けている。
視界のHPバーは確実に削られている。
だが――不夜城の、その眼差しに宿る光だけは、微塵も揺らいではいなかった。
「私は、あなたを殺したいわけではありません」
その静かな言葉を聞いた瞬間、篝火は、ほんの一瞬だけ顔から笑みを消した。
そして、すぐにまた笑った。
今度の笑みは、自嘲と、行き場のない怒りに近いものだった。
「そういうところだよ」
メラリ、と火の魔力が篝火の背後で燃え上がる。
「そういうところが――本当に、腹立たしい」
左腕の氷刃が融解し、再び蠢く水鞭へと戻る。
「お前はいつも、戦いに『勝つ以外のもの』を持ち込む」
ゴォッ、と足元から逆巻いた風が、二人の間に漂う濃い土煙を乱暴に吹き払った。
「誰かを守るとか、被害を抑えて止めるとか」
背後の瓦礫が、篝火の足元へとしがみつくように収束し、その踏み込みを強固に固定する。
「そんな綺麗事を背負い込んだまま、平然と前に立ち塞がる」
バチチ、と狂暴な雷の火花が、彼の指先へと一本の針のように収束していった。
「それで本当に、この地獄を勝ち抜く気でいる。俺たちが生き残るために捨ててきたものを、お前は一つも手放さない」
篝火は力強く、一歩、前へと踏み出した。
「俺はな、塩宮」
周囲を漂う五属性が、彼の剥き出しの感情に呼応して、より洗練された凶器の形へと変貌していく。
火は、刀身そのものが爆炎で練り上げられた大剣へ。
水は、あらゆる防具を両断する冷徹な刃へ。
風は、次の刹那には肉体を弾丸のように撃ち出す爆発的な加速の渦へ。
土は、左右から逃げ道を封じる鋭利な土槍へ。
雷は、大盾の隙間を精密に射抜く極小の弾丸へ。
自分には選べなかった生き方を、その強さで成立させてみせる目の前の盾へ。
「お前が、羨ましかったんだよ」
その絞り出すような言葉だけが、戦場のすべての轟音から完全に切り離されたように、二人の間に重く、静かに落ちた。
塩宮は、しばらく何も言わなかった。
篝火の言葉は、戦場の音よりも重く胸に落ちていた。
塩宮は、しばらく何も言わなかった。
篝火の言葉は、戦場の音よりも重く胸に落ちていた。
羨ましかった。
眩しかった。
その感情を向けられるほど、自分は何かを持っていただろうかと、塩宮は一瞬だけ考える。
違う。
いつだって、自分の前には誰かがいた。
無理難題であっても、持ち前の人徳で周囲を巻き込み、笑って商売に変えてしまう人がいた。
人と人との間に立ち、衝突しそうな感情の合間を取り持ち、崩れかける均衡をどうにか保とうとする人がいた。
無茶苦茶な速度で、身を削りながら、それでも止まらず走り続ける人がいた。
誰よりも深く敵陣へ切り込み、誰よりも多くの敵を屠り、道なき場所に血路を開く人がいた。
ボロボロになりながらも、諦めずに次の一手を考え続ける人がいた。
少しナイーブで、優しくて、それでも自分の好きなものを探究することをやめない人がいた。
勝てるかどうかではなく、信念を持って、自分自身を刃に変える人がいた。
塩宮は、その背中を追うだけで精一杯だった。
追いつけないと思ったことは、何度もある。
自分には同じことはできないと思ったこともある。
あの人たちのように、戦場そのものを変える一撃を放つことも、誰も思いつかない道を切り開くことも、自分にはできない。
だからこそ。塩宮は、盾を握り直した。
「あの人たちが切り開いた道を、守ることだけはできます」
低く、静かな声だった。
「私は、それを誇りに思っています」
篝火の五属性が、ぎしりと空気を軋ませる。
塩宮は退かない。
「いつも私の前には、誰かがいました。私は、その背中を追うのが精一杯で……それでも、あの人たちが進む道を、壊されないように守ることならできる」
大盾の縁が、瓦礫を噛む。
燃えた鎧の隙間から血が落ち、雷撃の痺れがまだ指先に残っている。それでも、盾は下がらない。
「仲間を守らない盾が、どこにあるんですか」
塩宮の声が、ほんの少しだけ変わった。
丁寧な言葉の奥に隠していた、もっと泥臭い本音が滲み出る。
「盾なんて、綺麗事を言ってなんぼでしょう」
篝火の目が細くなる。
塩宮は、正面からその視線を受け止めた。
「誰かを守るために前に立つ。誰かが切り開いた道を塞がせない。誰かが帰ってこられる場所を残す。そのために持つから、盾なんです」
そして、塩宮は一歩、前へ出た。
不夜城が、五属性使いへ近づく。
「だから、俺は」
その一人称だけが、普段の塩宮からわずかに外れていた。
飾った言葉ではない。
指揮官としての言葉でもない。
ただ、盾を握って戦場に立つ一人のプレイヤーとしての本音だった。
「仲間を守るためなら、この盾を降ろすことはない」
五色の魔力が、塩宮へ向かって唸りを上げる。
それでも、不夜城は揺らがなかった。
「篝火さん。あなたの羨望も、怒りも、全部受け止めます」
塩宮は盾を構え直す。
「そのうえで、あなたを止めます」