「そのうえで、あなたを止めます」
塩宮の言葉は、戦場の喧騒の中にあっても、不思議なほどはっきりと篝火の耳へ届いた。
連盟本陣の中心で、塩宮と篝火が向かい合う。
その周囲では、連合と連盟のプレイヤーたちが、誰からともなく動きを止めていた。完全に戦闘が止まったわけではない。遠くではまだ怒号が飛び、拘束術式の鎖が軋み、瓦礫の崩れる音も響いている。
それでも、この場にいる者たちの視線は、自然と二人へ集まっていた。
連合の総司令、塩宮。
連盟本陣を支える
互いの大将が向かい合うその瞬間、周囲の誰もが理解していた。この戦いの決着は、この二人の勝敗で決まる。
篝火はしばらく塩宮を見ていた。
その顔に浮かんでいたのは、苛立ちだけではない。羨望をぶつけた相手に、それでもなお「受け止める」と返された者の、行き場のない感情だった。怒りもある。悔しさもある。だが、その奥底には、自分でも否定しきれないほどの眩しさが残っている。
だからこそ、篝火は静かに笑った。
「そうか」
その声に、先ほどまでの激しさはなかった。
ただ、冷えた刃のような覚悟だけがあった。
「なら、止めてみせろ。塩宮」
次の瞬間、篝火の周囲に漂っていた五属性が、その意思に従って形を変えた。
火は、爆炎で刀身を練り上げた禍々しい大剣となる。水は、薄く鋭利な刃へと極限まで凝縮され、その刃先から絶えず周囲の空気を凍てつかせる冷たい霧を零した。風は彼の足元へと一点に収束し、次の刹那には肉体を弾丸のごとく撃ち出す狂暴な推進力へと変わる。土は崩れた防壁と周囲の瓦礫を巻き込みながら、左右からの退路を物理的に塞ぐ巨大な土槍として隆起し、雷は彼の指先に、大盾の隙間を射抜く極小の弾丸となって収束した。
先ほどまでのように、外側からじわじわと剥がし、削り、縛り、痺れさせるための連携ではない。
そのすべてを瞬時に重ね、今度は正面から塩宮を完全に押し切るための形だった。
「俺は、お前の綺麗事を否定したいわけじゃない」
篝火が、確実な一歩を踏み出す。
――ズドォンッ!
その足元で圧縮された風が爆ぜ、連動して左右の土槍が、爆音とともに地面を割りながら隆起した。
「ただ、それが本当に最後まで通るのか――ここで俺が見届ける」
篝火の姿が、視界から消えた。
いや、消えたように見えただけだった。
肉眼で追える速度を超えた、風の爆発による超高速の加速。
逃げ道を塞ぐ左右の土槍が視界の両端を圧迫し、正面からは爆炎の尾を引く火の大剣が振り下ろされる。だが、その切っ先の真の狙いは、塩宮の構える大盾の正面ではない。
盾をホールドする右腕。
それを支える負傷した肩。
そして、踏み込みの重心を支える膝。
複数の属性による必殺の軌道が、寸分の狂いもなく重なり合い、塩宮の肉体へ向けて同時に襲いかかった。
――だが。
逃げ場を失い、死線に晒されてもなお、塩宮は一歩も退かなかった。大盾を正面へ構えたまま、塩宮はわずかに膝を沈めて重心を落とした。
火の大剣を真正面からまともに受ければ、その爆発的な熱量と衝撃で防御のスタンスごと強引に叩き潰される。だからこそ、塩宮は手首の微細な捻りだけで盾の面をわずかに斜めへと傾け、振り下ろされる刀身の重さをすべて外側へ逃がす角度を作った。
ガァァン――ッ!!
鉄と炎が激突し、凄まじい金属音が戦場を震わせる。盾面を滑った爆炎の刃が塩宮の肩口を掠め、装甲を赤熱させながら黒煙を上げた。視界の隅で火傷の継続ダメージを示す警告が再び鋭く灯る。
だが、不夜城の盾は一ミリも落ちない。
篝火の攻撃は、これで終わりではなかった。
火の大剣を受け流されたその刹那、塩宮の足元で水流が狂暴に跳ねた。先ほどまで戦場に染み込んでいた水が、まるで意思を持つ蛇のごとき速度で鎧の隙間へと潜り込んでいく。冷たい水流は脚部装甲の接合部へと絡みつき、一瞬にして硬質な氷の膜へと変貌した。
膝の動きが凍りつくように鈍る。一歩の踏み込みが、わずかに浅くなる。並のプレイヤーであれば絶望するその致命的な遅れを、篝火の眼光は逃さなかった。
左右から退路を断つように、地を割って迫る一対の土槍。
大盾の隙間、その喉元へ向けて音速で撃ち出される、一筋の細く鋭い雷撃の弾丸。
そして、風の推進力でさらに加速した篝火自身が、左手の薄く鋭利な氷刃を死角から突き込んでくる。
三方向から、ほぼ同時のタイミングで肉薄する必滅の複合波状攻撃。
だが――塩宮の集中力は、すでにシステムを置き去りにした極限の領域に達していた。
ガキィィンッ!
最初の衝撃。
塩宮は凍りついた右膝の硬直を腰の捻りで強引に相殺し、盾の左端をミリ単位で突き出して、左から迫る土槍の先端を完璧なタイミングで捉えた。正面衝突のエネルギーを盾の芯で受け、土の質量を粉々に砕き散らす。
衝撃の余韻が消えるより早く、金属音が重なった。
カァンッ――!
息つく暇もない二度目の激突。大盾の裏で指先を鋭く弾き、盾の右縁の傾きだけで、喉元へ肉薄していた雷撃の弾丸を斜め上方へと跳ね上げる。青白い光条が盾面を擦り、火花となって空中へ霧散した。
そして、最後の一撃。
視界の死角、最も防ぎにくい角度から突き込まれた篝火の氷刃。塩宮はそれを、盾の真正面、寸分の狂いもない最適な一フレームで迎え撃った。
火、土、雷。
連続して放たれた篝火の殺意が、塩宮の大盾が奏でる鋭い金属音とともに、ことごとく弾き返されて霧散していく。完璧なタイミングによる、連続の受け流し。盾の自重と衝撃吸収の体術だけで、敵の猛攻のエネルギーを最小限に殺していく。
だが、代償がないわけではない。
炎の熱は装甲の内側へじわじわと染み込み、凍りついた膝はまだ完全には戻らず、雷撃を弾いた右腕には鈍い痺れが残っている。氷刃を受け止めた盾面にも、細い傷が一筋、深く刻まれていた。
赤熱した火粉が舞い、砕けた土塊と氷晶が二人の間に降り注ぐ。
すべての波状攻撃を致命傷に変えさせなかった大盾の向こう側で、塩宮は煤まみれの顔のまま、未だ一歩も退かずに篝火を正面から見据えていた。
篝火は、笑わなかった。
ただ、塩宮の大盾に刻まれた細い傷と、わずかに鈍った膝の動き、そして雷撃を弾いた右腕に残る痺れを、冷静に見ていた。
「……やっぱり、お前は面倒だ」
低く落とした声に、苛立ちはある。
だが、それ以上に混じっていたのは、認めざるを得ない相手への警戒だった。
「今のも、ただ受けたわけじゃない。俺の攻撃の順番も、属性の噛み合わせも、全部見てから最短で処理している」
篝火の周囲で、五属性が再び、不気味なほどの静寂を伴って組み替わっていく。
先ほどまでの視界を埋め尽くすような大剣や巨大な土槍は、どこにもない。
火は細く、そして鋭く研ぎ澄まされた極小の「赤い針」の群れとなる。水は冷たい魔法の「糸」と化し、鎧の細い隙間を這いずるように薄く広がっていく。風は正面から押し込む威力を捨て、塩宮の周囲を不規則に巡ることでその呼吸の間合いを執拗に乱しにかかる。土は足場の下、見えない地下で蠢いて網の目のような亀裂を走らせ、雷は大盾の鉄壁を避け、それを握る指先の「神経そのもの」を焼き切るように細く絞り込まれていった。
派手さは完全に消えた。
代わりに、殺意の密度が極限まで跳ね上がる。
「なら――崩し方を変える」
篝火が、小さく指を鳴らした。
パチィン、と乾いた音が響いたその瞬間、塩宮の足元がガクンと沈み込んだ。
派手な崩落ではない。地中へ流し込まれた土の魔法が瓦礫のさらに下層を正確に削り取り、彼が力強く踏み締めていた地面の「強度」だけを冷徹に奪ったのだ。
――僅か数センチ、塩宮の右足が下へと落ちる。
その体勢が崩れた絶望の僅差へ、周囲を巡っていた風の塊が、真横から凄まじい衝撃となって叩きつけられた。
ガッ――!
完璧だった重心が流される。鉄壁を維持していた大盾の角度が、ほんのわずかにズレる。
その寸分の隙間へ、待機していた火の針が、一斉に音速で殺到した。
正面からではない。大盾の上からでも、下からでもない。無数の赤い針の群れは、まるで意思を持つ蛇のように盾面の縁を舐めるように湾曲し、鎧の継ぎ目、そして先ほど火傷で赤熱したばかりの「左肩の傷口」だけを正確に狙って突き込まれる。
塩宮は、大盾を上げない。
ここで針を防ぐために盾を上げれば、その瞬間に足元を完全に奪われ、転倒させられる。
かといって、下げもしない。
下げれば、防壁がなくなった喉元を確実に撃ち抜かれる。
上げず、下げず。二択の罠を前にして、不夜城の選択はただ一つだった。
塩宮は大盾を正面へ固く固定したまま、沈んだ右足のその場へ、半歩だけ重々しく「足を踏み替えた」。
崩れかける足場から逃げるのではない。
彼は自らの大盾の重量、鎧の重さ、そして鍛え上げてきた肉体の全荷重を、落ちていく右足へと強引に乗せたのだ。
――ドグゥゥゥンッ!!!
逃げる場所がないならば、壊れる場所そのものを、自分の重さで押し潰して固定する。
地中に流し込まれていた土の魔法ごと足元の瓦礫を文字通り粉砕し、塩宮の肉体は再び、そびえ立つ城壁のようにその場へと固定された。
――ジュウ、と肉の焦げる嫌な音が鼓膜を刺した。
回避を捨てて足場を固定した代償として、無数の火の針が塩宮の左肩を深く抉り抜いた。視界の端に、火傷の継続ダメージを示す警告が幾重にも重なっていく。しかし、塩宮は大盾を絶対に下げない。凄絶な熱傷の痛みを受け入れたまま、ただ真っ直ぐに、真正面の篝火を射すように見据え続ける。
その足元へ、すかさず冷徹な水の糸が絡みついた。
先ほどのような大振りな鞭ではない。もっと細く、もっと悪辣な、鎧の隙間へ染み込むためだけに特化した極小の水流。膝裏、足首、重装甲の可動部――そこへ滑り込んだ冷水が、次の瞬間、鋭い冷気とともに硬質な氷の膜へと変わる。
右足が完全に固定される。
左足の反応も、致命的に遅れる。
「不夜城」の絶対的な前進が、ここで完全に鈍った。
「止まったな」
勝機を見た篝火の声が、冷酷に落ちる。
指先から、網膜を射抜くような細い雷撃が走った。
大盾の表面ではない。大盾をホールドする右手の「神経そのもの」を狙い、鎧の継ぎ目を縫うように、針のごとき電撃が突き込まれる。
塩宮は咄嗟に肩を沈め、先ほどと同じように装甲の傾斜で雷を外へ逃がそうと試みた。
だが――篝火はその癖すら、完全に読んでいた。
射出された雷撃は、激突の寸前で篝火の意思に従い、「二つ」へと裂けた。一方は塩宮の計算通りに大盾の表面へ逃げる。だがもう一方は、死角となった鎧の内側へと容赦なく滑り込んだ。
バチィィッ――!!!
青白い電流が、塩宮の右腕を内側から狂暴に貫いた。
指が不自然に開きかける。
大盾の柄を握り締めていた手のひらの感覚が、一瞬にして完全に消失した。
視界の端で、
――それでも、塩宮は盾を落とさない。
感覚の消えた握力に頼るのを即座に諦め、腕そのものを盾の裏の固定具へと強引に押しつけ、自らの体幹の質量だけで巨大な大盾を無理やり固定した。
指が動かないなら、肘の骨で押さえる。
右腕が完全に痺れるなら、左肩の肉で支える。
身体の一部が機能を失うたび、泥臭く、だが洗練された別の部位でその隙間を補っていく。
自由を奪われ、肉を焦がされ、神経を焼かれてなお――目の前にそびえ立つ城壁の強度は、一ミリたりとも損なわれてはいなかった。
塩宮は、崩れない。
だが、崩れない――ただ、それだけだった。
篝火の真の狙いは、まさにその防戦一方の瞬間にあった。
「守れるな。確かに、お前はどこまでも守れる」
篝火は、感情を削ぎ落とした声で静かに言った。
「でもな、塩宮――守るだけなら、お前はここで止まる」
その言葉の終わりに、風が猛烈に爆ぜた。
篝火自身が、塩宮の懐へと滑り込む。
速い。
だが、それは先ほどまでの直線的な突進とは完全に一線を画していた。
風で肉体を前へと撃ち出し、土の足場を空中に瞬時に作り、水の刃で自らの挙動の軌道を隠し、火の針で視線を四方に散らし、雷の微弱な磁界で敵の神経を削る。五属性のすべてを、篝火自身の「たった一歩の踏み込み」を完璧に成立させるためだけに注ぎ込んだ、狂気的なまでの肉薄。
塩宮の、感覚の消えた大盾が動く。
遅い。
脳の命令から一フレーム。ほんの一瞬だけ、挙動が遅い。
――キィィンッ!
篝火の極細の氷刃が、大盾の縁をすり抜けた。
胸元ではない。
肩でもない。
狙いは、大盾を無理やり肉体でホールドしていた、右腕の「固定具」そのもの。
盾そのものを破壊するのではない。盾を保持する「構造」そのものを根元から断ち切るための一撃。
だが、塩宮は右腕を引かなかった。
ここで腕を引いて大盾を開けば、自分が身を挺して構築した防御ラインが消える。そうなれば、この一対一の死角――自分の真後ろに転がっている、すでに無力化された連盟側の捕虜へ、篝火のこの狂暴な斬撃がそのまま雪崩れ込み、彼らを無惨に巻き込んでしまう。
だから彼は逆に、右腕を潰される覚悟で、大盾ごと前へと突き出した。
激突。
鋭利な氷刃が右腕の重装甲を深く抉り、鉄の固定具の一部を無残に斬り飛ばす。鮮血が戦場に散り、ちぎれた金属片が火花とともに跳ね上がった。大盾が、がくりと不自然に大きく揺れる。
周囲で見守る連合側のプレイヤーたちが、絶望に息を呑んだ。塩宮の後ろで転がされていた連盟側の捕虜の誰かが、信じられないものを見るように小さく声を漏らした。
――あの「不夜城」の盾が、初めて目に見えて下がった。
「そこだ」
篝火はその致命の一瞬を、絶対に見逃さない。
五属性が、再び一糸乱れぬ一本の殺意へと束ねられる。火が正面を焼き、水が自由な足を縛り、風が体勢を強引に崩し、土が四方の退路を塞ぎ、雷が盾を握る神経を撃ち抜く。すべてが同時に、すべてが最悪の噛み合わせとなって、無防備になった塩宮へと殺到した。
塩宮は受ける。
肘と肩を震わせ、大盾を上へと押し上げる。
だが、上がりきらない。
右腕を裂く強烈な痺れと固定具の破損が、大盾が持つ本来の速度を無残に奪っている。膝は氷に凍りつき、足場は土に砕かれ、猛烈な火傷の痛みが呼吸を苦しく乱していく。
それでも塩宮は、自らの残った全荷重を乗せて、盾を前へ、前へと押し出した。
――ドォォォォンッ!!!
凄まじい轟音が、連盟本陣の中央を激しく揺るがした。
衝撃の凄まじさに大盾の表面に太い亀裂が走り、鎧の肩口が引き裂かれる。右腕からは止めどなく血が滴り落ち、足元の氷が粉々に砕けて、右膝が瓦礫の中へと深く沈み込んだ。
塩宮の身体が暴力的な圧力で後方へと押し戻され、崩れかけた防壁の石壁へと、背中から凄まじい衝撃とともに叩きつけられた。
それでも。
それでも、不夜城は倒れない。
ひび割れた大盾はまだ、感覚の消えた塩宮の手の中に、確かに握られていた。
自分の肉体と大盾ですべての衝撃を吸い尽くし、真後ろの捕虜たちへは、ただの木端一つすら飛ばさせはしなかった。
だが、戦場にいる誰の目にも、それは明らかだった。
不夜城は今、文字通りの限界に達している。
篝火は、ゆっくりと荒い息を吐き出した。
五属性が、再び彼の背後へと静かに浮かび上がる。先ほどのような狂暴な嵐ではない。だが、先ほどよりも静かに、先ほどよりも鋭利に研ぎ澄まされた、本当の終わりを告げる刃。
「……ここまでだ、塩宮」
その声には、勝者の驕りは微塵もなかった。
むしろ、どこか酷く苦い。
「もう十分だろう。お前は守りきった。すべての猛攻を受け止め、最後の最後まで折れなかった」
篝火の指先に、青白い雷撃が静かに、だが密度を増して集まっていく。
「でも、ここから先は戦いですらない。……盾を降ろさないなら、俺は次でお前を、その盾ごと沈めるだけだ」
塩宮は、崩れた防壁に背を預けたまま、静かに俯いていた。
――装備損耗。
――
――火傷継続ダメージ。
――脚部可動域低下。
――大盾耐久値、危険域。
普通のプレイヤーなら、ここで戦意を失って下がる。
命を賭けるような熱量でぶつかるこの状況で、これ以上前に出る理由など、どこを探しても存在しない。
それでも――塩宮は、ゆっくりと、その泥と血にまみれた顔を上げた。
「いいえ」
掠れた、小さな声だった。
だが、すべての音が遠のいたような空間の中で、その言葉は篝火の鼓膜へと確かに届いた。
「ここからです」
篝火の眉が、わずかに動く。勝利を確信していた彼の眼眸に、かすかな動揺が走った。
「何を――」
塩宮は答えない。
ただ、無言のまま、幾重にも亀裂が走る大盾の柄を静かに握り直した。
意思に反して震える指先が、鉄の柄へと深く食い込んでいく。痺れきって感覚のない右腕を、ちぎれかけた固定具の残骸ごと、大盾の裏側へと強引に押しつける。
そして塩宮は、自らの意識を、この戦場に厳然と居座る「巨大な気配」へと深く伸ばしていった。
その巨体に纏った、幾重もの魔法を受け止める重厚な装甲。
その艦首に宿る、防壁すら押し潰して前へ進む暴力的なまでの突進力。
その魔導機関の奥底で狂暴に唸りを上げる、超弩級の出力。
そして――本陣外郭へ、冷徹な
塩宮は、生身の肉体一つで、その超質量兵器のすべてへと手を伸ばす。
篝火の顔から、ついに余裕の笑みが完全に消えた。彼は初めて、明確な「恐怖」と「警戒」をその眼に宿し、壊れかけの城壁を見据える。
「塩宮。お前、一体何をする気だ……!」
塩宮は、硝煙混じりの空気を静かに、深く吸い込んだ。
そして、魂を響かせるように低く、告げた。
「――金剛、
地を這う重低音とともに、鈍い黒金の光が塩宮の大盾から爆発的に溢れ出した。
それは、塩宮の肉体が戦艦そのものへ変わるような、大雑把な変身などではない。あくまで中心にいるのは、血にまみれ、ひび割れた大盾を執念で握り締める一人の盾使い。
だが、その周囲へ射出され、展開されていく金属の質量は、もはや人一人が扱う装備の規格を完全に逸脱していた。
ガシャァァンッ――!!
空中に浮かび上がった黒金の術式紋が、激しい金属音を立てて噛み合う。
出現したのは、戦艦『金剛』の艦首装甲そのものを思わせる、鉄塊のごとき超厚装甲板。
それらは幾重もの機械的な軌道を描き、砕けかけていた大盾の表面へ杭を打ち込むように重ねられていく。剥き出しだった塩宮の左肩へ、痺れきった右腕へ、胴を守る外殻へと、ガチリ、ガチリ、と油圧じみた駆動音を響かせながら次々と換装されていった。
胴の外殻を包み込むように重装甲が固定されたその瞬間、塩宮の損耗しきっていた防御ラインは、回復効果ではなく、圧倒的な物理質量によって強引に再構築された。
さらに背後では、空間の歪みから巨大な鉄の艤装が、牙を剥くように展開される。
連合旗艦『金剛』の、文字通りの主砲塔。
ズゥゥゥン……と大地の底を震わせる重量感とともに、巨大な砲塔基部が塩宮の背部へと無骨に連結された。一対の重々しい砲身が、ガギギ、と冷徹な駆動音を立ててゆっくりと旋回し、真っ直ぐに篝火の正面を捕捉する。
漆黒の砲口の奥底では、これまで連盟本陣外郭へ撃ち込まれていたものと同じ――だが、生身の至近距離では比べ物にならないほど高密度に圧縮された、黒金の拘束魔法が禍々しく脈打っていた。
人の姿のまま、本物の戦艦の装甲を盾として纏い、戦艦の主砲を己の武器として背負う。
重く、堅く、速く、決して止まらない。
高速戦艦の魂を身に纏った「不夜城」が、今、圧倒的な質量となって戦場にそびえ立っていた。
「……本当に、無茶苦茶だな」
篝火の声からは、先ほどまでの笑みも、猛者としての余裕も、完全に消え去っていた。
それでも――篝火の心が折れることはなかった。
火、水、風、土、雷。
五属性が、再び彼の周囲で目まぐるしく研ぎ澄まされていく。金剛の超厚装甲を纏った塩宮を前にしてもなお、攻略組屈指の魔法使いはその明晰な頭脳で、即座に新たな「戦艦の攻略法」を組み立てようとしていた。
火で装甲を限界まで焼き、間髪入れずに水で急冷して金属構造に致命的な亀裂を作る。風の刃でその裂け目へと的確に滑り込み、土で足場を崩して体勢を奪い、最後に雷の針で装甲の「接続部」を内側から撃ち抜いて艤装を強制的に切り離す。
驚異的な速度で編み上げられていく、即興の連携。
だが、その魔法が完全に完成するよりも遥かに早く、塩宮の重い踏み込みが戦場を爆ぜさせた。
――ズドォォンッ!!
それは、今までの盾職のそれとは完全に一線を画する「一歩」だった。
背後の金剛の魔導機関から流れ込む膨大な出力が、塩宮の脚部装甲を黒金に眩しく輝かせる。大地を粉々に踏み砕いたその凄まじい踏み込みは、次の瞬間、爆発的な推進力を伴った超高速の突進へと変わった。
超重装甲を全身に纏いながら、微塵の鈍重さもない。
巨大な艦首で荒波を叩き割り、敵の砲撃を正面から浴びながらも
「速い……っ!?」
篝火が悔しげに歯を食いしばる。
完成寸前だった五属性の魔法が、迫り来る黒金の鉄塊へ向けて、狂暴な弾幕となって一斉に殺到した。
無数の火の針が突進する装甲板を激しく焼き、水の糸が装甲の隙間や接続部へと悪辣に潜り込もうとする。風の刃が盾の縁を金属音とともにガリガリと削り取り、足元からは巨大な土の槍が地面を突き上げて進路を阻み、雷の弾丸が背後の主砲艤装へと向かって一直線に走る。
だが。
塩宮の突進は、止まらない。
火の熱は装甲板を赤熱させる。水の冷気は接続部へ霜を走らせる。風の刃は盾の縁を削り、雷の衝撃は背部艤装を激しく震わせる。
それでも、金剛の装甲は砕けない。
塩宮は、火を受け、水を裂き、風を押し潰し、雷を黒金の外殻へ逃がしながら、なお前へ進む。進路を塞ぐように隆起した土の巨槍さえ、盾を引くことなく真正面から受け止め、その圧倒的な突進の質量だけで粉々に砕き散らした。
嵐のただ中を、波を割りながら爆走する高速戦艦。
属性の弾幕を蹴散らし、爆炎と火花を置き去りにしながら、塩宮の掲げる黒金の盾面が、ついに篝火の目の前へと肉薄した。
大盾の表面に幾重にも重なった金剛の装甲板が、殺到する火の針を真っ向から受け止め、悪辣な水の糸を力任せに弾き、激しく荒れ狂う風の刃を不快な金属音と共に軋ませながら強引に押し潰す。
進路を遮る土の槍は、塩宮の放つ圧倒的な踏み込みの衝撃だけで粉々に砕かれ、神経を狙った雷撃は、黒金の外殻の表面を走ってそのまま虚空へと逃がされていく。
――完全に無傷で防ぎ切っているわけではない。
金剛の強固な装甲であっても、篝火の極限の殺意を前にすれば焼け焦げ、亀裂は一歩進むごとに増え続け、機械的な接続部からはバチバチと不規則な火花が散り狂っている。
それでも。
肉体を損耗させ、システム上の警告に視界を赤く染められながらも、不夜城は進む。
「――拘束術式弾、装填」
塩宮が、低く冷徹に告げた。
ギシシ、と大地の底を揺るがすような、重々しい金属の軋み音が響く。背後にマウントされた金剛の主砲塔が、冷徹な機械駆動を伴って旋回を始めた。
漆黒の砲身が真っ直ぐに篝火を捉え、その砲口の奥底に、禍々しいまでの黒金の光が一点へと収束していく。
篝火の直感が、極限の警鐘を鳴らした。
「撃たせるかッ!」
ドン、と足元で圧縮された風が爆ぜた。
篝火は超高速で真横へと跳ぶ。崩れた防壁の瓦礫を空中に即席の足場として作り、風の推進力でその身体を滑らせ、追従する水の刃で自らの移動軌道を巧みに隠す。
さらに跳躍の最高点から、再形成した火の大剣を塩宮の正面へと全力で叩きつけ、同時に指先から放った雷の弾丸を、背後にある主砲艤装の精密な接続部へとピンポイントで撃ち込んだ。
あれは、一発でも当たれば完全に終わる。
幾千の修羅場を潜り抜けてきた篝火は、それを肌で一瞬にして理解していた。
だからこそ、撃たれる前に、攻撃の基点である砲身そのものを強引に逸らしにかかる。
相手の戦術の根元を潰す。その実戦判断はどこまでも正しく、そして恐ろしいほどに冴え渡っていた。並のプレイヤーが相手であれば、それだけで戦況を完全にひっくり返せていただろう。
だが――塩宮は、砲身の自動照準だけで狙っているわけではなかった。
金剛の装甲板を重ねた大盾が、真正面から、空中から振り下ろされた篝火の火の大剣をガツンと重厚に受け止める。
凄まじい激突の衝撃。
大盾の表面に、縦に大きな亀裂が走り、鉄粉が舞い散る。それでも塩宮は大盾を絶対に下げず、むしろ耐え切った衝撃の余韻を推進力に変えて、半歩だけ前へと泥臭く踏み替えた。
その、誰もが予想しなかった執念の半歩。
それこそが、空中へ逃れた篝火の退路を完全に圧し潰した。
「っ……!?」
空中に身を躍らせた篝火の視界の中で、塩宮の背負う巨大な主砲が、まるで彼の未来位置を知っていたかのようにピタリと追従して動いた。
システムの自動補正ではない。
金剛の砲塔は今、塩宮自身の視線と、その中に宿る強固な意志と完全に連動し、滑らかに、かつ寸分の狂いもなく旋回していたのだ。
逃げ場のない空中。
篝火の胸元を、黒金の砲口が完全に捕捉する。
砲口の奥で、暴発寸前の黒金の拘束魔法が、パキィンと美しく弾けた。
塩宮は、短く告げる。
「――――Fire!」
金剛の主砲が、咆哮した。
黒金の拘束術式弾が、篝火へ向けて放たれる。
塩宮の声が落ちた瞬間、世界を真っ白に染め上げる、圧倒的な大轟音が本陣中央を完全に支配した。
それは、敵を粉砕するための砲撃ではなかった。
だが、殺傷を目的としていないという事実は、その砲撃が持つ圧倒的な質量と圧力を少しも弱めるものではない。金剛の主砲から撃ち出された黒金の砲弾は、空間そのものを押し潰すような重さで飛翔し、空中へ逃れた篝火の退路を真正面から塞いだ。
「……まずいな」
篝火は、短く呟いた。
その声には焦りがあった。だが、乱れてはいない。
即座に五属性の魔法が展開される。火で砲弾の表面を焼き、水で軌道を滑らせ、風で自らの身体を横へ流し、土の足場を空中へ生み出し、雷で黒金の魔法の継ぎ目を撃ち抜く。通常の拘束弾であれば、そのどれか一つだけでも破るには十分だった。篝火ほどの魔法使いであれば、たとえ金剛の主砲であっても、完全な直撃を避ける手段は残されているはずだった。
だが、その砲撃には、塩宮の意思が乗っていた。
大盾を構え続け、篝火の全力を受け止め、なお前へ進むと決めた盾使いの意地が、金剛の主砲の照準を最後の一瞬まで逃がさない。
砲弾が、篝火の足元で弾けた。
爆発ではない。
黒金の鎖が、地面から噴き上がる。
一本、二本、十本、二十本。砕けた瓦礫の下から、空間の裂け目から、篝火の周囲を取り囲むように無数の拘束鎖が展開され、足首、膝、腰、肩、腕へと絡みついていった。
「……なるほど」
篝火は、拘束鎖に絡め取られながらも、塩宮を見据えた。
「これが狙いか」
火が鎖を焼く。水が鎖の表面を滑らせる。風が身体を引き剥がそうとし、土が足場ごと拘束を砕き、雷が黒金の魔法の継ぎ目を正確に撃ち抜く。
鎖が軋む。数本が弾け飛ぶ。篝火の魔法は、なお拘束を破ろうとしていた。
だが、塩宮はそれを見越していた。
拘束術式弾で完全に勝負を決める必要はない。篝火ほどの魔法使いを、長時間縛り続けることなど最初から想定していない。
必要なのは、ほんの一瞬。
篝火の五属性が拘束を破るために外へ向いた一瞬。
その一瞬だけ、身体が止まればいい。
その一瞬だけ、防御が薄くなればいい。
塩宮は、そのために拘束術式弾を撃った。
「……やるな、塩宮」
篝火の声は、静かだった。
悔しさはある。だが、それ以上に、相手の選択を理解した者の声音だった。
「俺を倒すためじゃなく、俺を止めるために、そこまで組み立てたか」
塩宮は答えない。
黒金の装甲板を重ねた大盾を構え、地面を削りながら前へ出る。腕は痺れ、肩は裂け、脚は氷と土の魔法に痛めつけられ、視界にはいくつもの警告が重なっている。
それでも、盾は前へ出る。
拘束された篝火へ、塩宮が届く。
大盾の奥底で、黒く重い光が脈打った。
それは、篝火の五属性を受け止めたから成立しただけの反撃ではない。
この戦争で、篝火たちは奪おうとした。
闇鍋の宴を。
仲間たちが笑って集まり、馬鹿みたいな無茶をして、それぞれの想いを抱えながら、それでも前へ進もうとした場所を、そのすべてを都合のいい大義で踏み潰そうとした。
だから、塩宮は抗う。
守るために、止めるために、そして、奪わせないために。
「
塩宮の声は、静かだった。
それは、理不尽に抗い、奪われるはずだったものを守り抜くために放たれる、塩宮の反逆だった。
篝火の目が、わずかに細くなる。彼はなお魔力を練ろうとした。拘束を破り、五属性を束ね、最後の一撃を塩宮へ届かせようとした。だが、ほんの一瞬だけ遅い。その一瞬を作るために、金剛の拘束術式弾は撃たれていた。
「言いました」
塩宮は、拘束された篝火の正面で大盾を構える。
「あなたを止めます」
次の瞬間、黒く重い光を纏った大盾が、篝火の胸元へ叩き込まれた。
轟音。
それは、剣で斬る一撃でも、拳で殴る一撃でもない。盾職が背負ったものを真正面から押し返し、大切なものを奪おうとした理不尽へ、守るために叩きつける反逆の一撃だった。
篝火の身体が、大きく震える。黒金の拘束鎖が鳴り、膝が瓦礫の上へ落ちた。
篝火は荒い息を吐いた。しばらく、戦場の音が遠くなる。
やがて、彼は小さく笑った。
「……負けだ」
その言葉は静かだった。だが、連盟本陣の中心にいた者たちには、はっきりと届いた。
「俺の負けだ、塩宮」
黒金の鎖に縛られたまま、篝火は塩宮を見上げる。悔しさはある。怒りもある。だが、その奥にあったのは、奇妙なほど澄んだ敗北の承認だった。
「最後まで、通したな」
塩宮は何も言わなかった。ただ、大盾を下ろさず、篝火の前に立っている。
篝火は低く息を吐いた。
「……塩宮」
「はい」
「いつか、連合も連盟のように腐敗する」
その声には、負け惜しみの鋭さも、敗者の呪詛もなかった。ただ、組織の中にいた者としての、苦い実感だけが滲んでいる。
「人が集まれば、組織になる。組織になれば、守るものが増える。守るものが増えれば、言い訳が増える。そうやって、いつか腐る」
塩宮は、黙ってその言葉を受け止める。
篝火の目が、真っ直ぐに塩宮を射抜いた。
「その時、お前は今と同じ綺麗事を言えるといいな」
塩宮はしばらく、篝火を見下ろしていた。血と煤にまみれた顔。ひび割れた大盾。背に接続された金剛の主砲艤装。そのすべてが限界に近い状態で、それでも彼は静かに答えた。
「言えるように、努力します」
篝火は、ほんの少しだけ目を細めた。
「……本当に、腹立たしい奴だな」
その言葉を最後に、篝火の身体から力が抜けた。五属性の光は完全に消え、黒金の拘束術式の鎖だけが静かに残る。
連盟本陣の中核は、ここに落ちた。
誰も、すぐには声を上げなかった。連合側のプレイヤーたちも、連盟側のプレイヤーたちも、ただ目の前の光景を見ていた。
それが、この戦いの決着だった。
やがて、連合側から押し殺したような歓声が漏れる。
だが、塩宮は手を上げてそれを制した。
「これは、喜んでいいだけの勝利ではありません」
掠れた声だった。それでも、戦場へ届くには十分だった。
「本来、私たちには、こんなことをしている時間などなかったのかもしれません。ですが、それでもこの勝利は、この世界にとって大きな意味を持つはずです」
塩宮は、まだ砕けた大盾を下ろさない。
「だから、知らせます」
背に接続された金剛の主砲艤装が、軋むような金属音を立ててゆっくりと仰角を上げた。篝火を撃ち抜くためではない。誰かを傷つけるためでもない。今なお旧砦跡のどこかで戦い続けている者たちへ、連盟本陣の決着を知らせ、これ以上の無意味な衝突を止めるための砲声だった。
塩宮は、硝煙と血の匂いが混じる空気を静かに吸い込む。
「――終戦信号、発射」
背負った主砲が、空へ向けて吼えた。
拘束弾でも、徹甲弾でもない。戦場の空へ打ち上げられた魔力の光が、旧砦跡の上空で大きく弾け、黒煙と泥に汚れた戦場を一瞬だけ白く照らす。
それは勝利に酔うための砲声ではなかった。
終わったのだと、これ以上戦わなくていいのだと、戦場のすべてへ告げるための光だった。
表の戦争は、ここに終わった。
だが。
戦場のすべてが、そこで終わったわけではなかった。
その頃、旧砦跡の外れでは、森を押し潰すように突っ込んだ輸送機の残骸が黒い煙を上げていた。
連合艦隊が生み出した大河の上では砲声が遠く響き、旧砦跡の中心では今も連盟と連合がぶつかり合っている。だが、その喧騒から少し外れた森の奥で、もう一つの戦場が開こうとしていた。
折れた木々、抉れた地面、裂けた機体外装。継ぎ接ぎだらけの輸送機は、最後の最後で地面へ滑り込み、機体の腹を削りながら強引に停止している。墜落と呼ぶにはまだ形を保っていたが、着陸と呼ぶにはあまりにも乱暴で、そこまで機体を運び切った操縦席のJu87だけが、ひび割れた計器盤を一瞥してから淡々と息を吐いた。
「座標到達。機体は喪失。輸送は完了」
砕けたハッチが内側から軋み、Ju87が黒煙を払うように外へ出る。山を越え、砲火を抜け、崩れかけた輸送機を旧砦跡の外れまで運び切ったその顔に、勝ち誇ったような色はない。ただ、仕事を終えた操縦者の冷静さだけがあった。
椒が、機体の残骸を見ながら低く呻く。
「これ、着いたって言うのかよ……」
「着いた」
Ju87は即答した。
「綺麗には着いていない」
「そこは言わなくていいんだよ」
凍星は白杖フィエルティジムを握り直し、周囲へ薄く魔力を流す。機体の損傷確認ではない。輸送機の外にいるものを、すでに感じ取っていた。
「囲まれてる」
その一言で、空気が変わった。
正規の連盟部隊でも、連合の戦力でもない。戦場の混乱に紛れ、連盟が勝とうが連合が勝とうが構わず、血と利益と混乱だけを求めて集まってきたPKたちが、折れた木々の影、瓦礫の裏、輸送機の残骸が作った死角の向こうから、じりじりと距離を詰めていた。その目は、旧砦跡の中心で続く本陣戦など知らぬように、墜落した輸送機と、そこから這い出してきた一団だけを見据えている。
黒白の修道装は、土と煤に汚れていた。
蒼星は、絡みついた糸を指先で軽く弾きながら周囲を見回す。椒は大太刀を肩に担ぎ直し、濁った殺気を前に、わずかに口元を歪めた。凍星は足元へ小さな魔法陣を展開し、杖の先端に灯った白い光で敵の位置を測っている。
少し離れた場所で、赤男爵がゆっくりと身を起こした。
墜落の衝撃で外套には土埃が絡み、肩口には細かな傷が走っている。それでも、その動きに乱れはなかった。赤男爵は輸送機の残骸越しに迫る影を見据え、無言のまま剣を抜く。鋼が鞘を滑る音が、黒煙の中でひどく冷たく響いた。
「目的は達せられたのである」
赤男爵は、胸を張るように剣を掲げた。
「地上の死神、貴官らは進め。我々はこの地点に防衛線を敷く。貴官らが帰還するまで、一歩たりとも通さん!」
Ju87は輸送機を一度だけ振り返る。機体はもう飛べない。翼は折れ、外装は裂け、魔導機関は黒煙を吐いて沈黙しかけている。それでも、この場所まで運んだ。必要な者たちを、旧砦跡の裏側へ届けた。
「防衛に移行する」
短く、それだけを告げ、Ju87もまた墜落した輸送機の影から一歩前へ出た。
松林は額から血を流しながらも、片手をひらひらと振る。
「いやぁ、これはまた、ずいぶん物騒なお出迎えですねぇ」
その横で、シジミーが無表情で。
「殺意たか……」
森の奥、瓦礫の影、折れた木々の向こうから、数え切れないほどのPKたちが武器を構え、じりじりと距離を詰めてくる。輸送機を落ちた獲物として見る者もいれば、蒼星たちを狩るべき標的として見る者もいる。その視線のすべてが、黒い殺意を帯びていた。
遠くで、また砲声が響く。
連盟と連合の戦いは、まだ終わっていない。塩宮と篝火の決着も、まだこの場には届いていない。旧砦跡の中心で表の戦争が最後の局面へ向かう一方で、その外れでは、誰の指揮にも属さない殺意が蒼星たちを取り囲んでいた。
蒼星は、静かに笑った。
「……次は、こっちか」
黒白の修道装の裾が、土埃の中で揺れる。
凍星の白杖が、光を増す。
椒の大太刀が、低く唸る。
赤男爵の剣先がゆっくりと上がり、Ju87が無言で構える。松林が肩をすくめ、シジミーが小さく震えた。
PKたちが、一斉に動いた。
旧砦跡の中心では、まだ表の決戦が続いている。
だが、裏側の戦いは、ここから始まる。