Nocturne Reaper   作:Spica@お星

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防具を更新する話
見方を変えるとただのオネショタでは……


流れ星 中編

孤児院の朝は、相変わらず騒がしかった。

 

蒼星が食堂の端で薄いスープを飲んでいると、子供たちはいつもより少しだけ浮き足立っていた。パンを食べる速度が早い子、何度も窓の外を見る子、椅子の下に置いた籠を足で引き寄せる子。ナギなどは、朝食の途中からずっと蒼星の方を見ていて、何か言いたそうにしては口を閉じる、というのを繰り返していた。

 

蒼星は匙を置く。

 

「何」

 

ナギはびくりと肩を揺らした。

 

「何も言ってないよ」

「言いたそうな顔をしてる」

「顔で分かるの?」

「分かりやすい」

「じゃあ言うね」

 

ナギはぱっと顔を上げた。嫌な予感がした。

 

「お姉ちゃんも、今日一緒に町へ行こう」

 

蒼星は即答した。

 

「行かない」

「まだ理由言ってない」

「聞いても行かない」

「でも、町だよ」

「町だから何」

「パン屋さんがある」

「君たちが行けばいい」

「薬屋さんもある」

「君たちが行けばいい」

「布屋さんもある」

「君たちが行けばいい」

「鍛冶屋さんもある」

 

そこで、蒼星の手が少しだけ止まった。ナギはそれを見逃さなかったらしく、すぐに身を乗り出す。

 

「ほら、ちょっと気になった」

「気になってない」

「今、止まった」

「匙を置いただけ」

「鍛冶屋さんに行くんだよ。シオン先生が、蒼星さんの服とか靴とか、見てもらった方がいいって」

 

他の子供たちも、ここぞとばかりに頷いた。

 

「お姉ちゃんが最初に着てたドレス、ぼろぼろだったもん」

「ブーツもボロボロで、履けないよ」

「鍛冶屋のおじさんなら直せるかも」

「怖いけど」

「すごく怒るけど」

「でも直してくれる」

 

蒼星は黙って子供たちを見る。

 

確かに、あの戦いでかなり無茶をさせた。鉄鳴の包囲を抜けるために、斬撃を受け、地面を蹴り、崖際まで走り、最後には急流に呑まれた。天夜のドレスも、夜走りも、耐久値は底を突きかけていたはずだ。

 

いや、仮に修復できたとしても、以前と同じようには使えない。

 

右腕はない。重心は変わった。走り方も、踏み込みも、避け方も、全部少しずつずれている。装備だけを元に戻しても、前の蒼星に戻れるわけではない。

 

それでも、捨てられるものではなかった。

 

「……鍛冶師がいるの」

 

蒼星が言うと、ナギの顔が明るくなった。

 

「いるよ」

「信用できる?」

「怖いよ」

「聞いてない」

「怒るよ」

「それも聞いてない」

「でも、ちゃんと直してくれる」

 

ナギは真面目な顔で言った。

 

「怖いけど、悪い人じゃない」

 

その言い方に、蒼星は少しだけ目を細める。

 

『怖いけど、悪い人じゃない』

 

随分と危うい判断基準だと思った。怖い相手の中にも、距離を取るべき相手はいくらでもいる。怒鳴る相手、無愛想な相手、乱暴な言葉を使う相手。そのすべてが悪人ではないとしても、近づいていい理由にはならない。

 

けれど、ナギはたぶん、そういう表面だけを見ているわけではないのだろう。

 

怒るけれど直してくれる。怖いけれど、子供たちのこと雑には扱わない。口は悪いけれど、困っている時に追い返さない。そういう積み重ねを、ナギはナギなりに見ている。

 

純粋だからこそ危うい。

 

けれど、純粋だからこそ見えるものもある。

 

赤という色に遮られず、死にかけた誰かを見たように。

 

蒼星は、ナギを見た。怖いものを怖いと言える子供。けれど、その怖さだけで全部を決めない子供。赤いカーソルを見て怯えながら、それでも手を伸ばした子供。

 

危うい。本当に危うい。

けれど、その危うさに自分は拾われた。だから、簡単には否定できなかった。

 

「……君のそれ」

 

蒼星は小さく言った。

 

「いつか騙されるよ」

 

ナギは少しだけ首を傾げる。

 

「そうかな」

「そう」

「でも、お姉ちゃんも怖かったよ」

 

蒼星は黙った。ナギは真面目な顔で続ける。

 

「怖かったけど、死にそうだった。だから、助けた方がいいと思った」

 

その言葉に、蒼星は返す言葉を失った。

 

怖いけど、悪い人じゃない。赤いけど、死にそうだった。

ナギの中では、たぶんそれが同じ線の上にある。危険かどうかを見ていないわけではない。ただ、危険という印だけで終わらせない。

 

蒼星は小さく息を吐いた。

 

「……やっぱり、危うい」

「危ない?」

「君がね」

「ぼく?」

「うん」

 

蒼星は目を逸らす。

 

「だから、逃げ方はちゃんと覚えな」

 

ナギは少しだけ考えて、それから大きく頷いた。

 

「うん。覚える」

 

昼食を済ませると、子供たちは一斉に出かける準備を始めた。

 

孤児院の食堂は、さっきまでの騒がしさをそのまま引きずっている。誰かが食器を片づけ、誰かが椅子を戻し、誰かが残ったパンを包んでいる。ナギは小さな布鞄を肩に掛け、その中へ薬草を入れた袋や、壊れた採取ナイフ、何かのメモを順番に詰め込んでいた。

 

蒼星はそれを、食堂の端の椅子から眺めていた。

 

インベントリがあるのに、わざわざ鞄を持つ。

 

随分と非効率だと思った。

 

アイテムはメニューから収納すればいい。重量制限さえ超えなければ、持ち運びに困ることはない。素材も、道具も、食料も、装備も、分類して入れておけば済む。落とす心配もないし、両手が塞がることもない。

 

それなのに、子供たちは当たり前のように鞄を持つ。紐を結び直し、袋の口を確認し、誰の荷物が重いだの軽いだので言い合っている。

 

「非効率」

 

蒼星が小さく呟くと、ナギが振り返った。

 

「なにが?」

 

「インベントリがあるのに、なんで鞄を持つの」

 

ナギは自分の布鞄を見下ろし、それから不思議そうに首を傾げた。

 

「鞄、いるよ」

「いらないでしょ」

「いるよ。パン屋さんに渡す袋とか、薬草を入れる袋とか、鍛冶屋さんに持っていくものとか」

「インベントリでいい」

「でも、渡す時に見せやすいよ」

「メニューから出せばいい」

「でも、鞄に入ってる方が忘れないよ」

 

蒼星は黙った。

 

それは効率とは違う理屈だった。けれど、この子供たちにとってはたぶん大事なのだろう。鞄に入れる。手で持つ。誰が何を持っているか分かる。途中で中身を確認する。そういう手間そのものが、町へ行く準備の一部になっている。

 

ナギは得意げに鞄を叩いた。

 

「あと、町に行く感じがする」

「……ますます非効率」

「でも楽しいよ」

 

それを言われると、返す言葉がなかった。

 

楽しい。

 

その基準で動くことを、蒼星はあまりしてこなかった。効率が良いか。安全か。生き残れるか。殺せるか。逃げられるか。蒼星の判断は、たいていそういうものだった。

 

鞄を持つと町に行く感じがする。そんな理由で荷物を増やすなど、少し前の自分なら間違いなく切り捨てていた。それでも、ナギは楽しそうに鞄を持っている。

 

他の子供たちも同じだ。古びた肩掛け鞄、布袋、小さな背負い袋。どれも大した性能はない。ただの生活用品だ。けれど、子供たちはそれぞれ自分の荷物を確かめ、町へ行く準備をしている。

 

蒼星は、膝の上に置いた左手を見た。

 

自分は何も持っていない。

 

持てるものも、今は少ない。

 

そんな時だった。

 

「まさかとは思いますけど、蒼星さん。その格好で町に行くつもりですか?」

 

背後から、穏やかな声がした。

 

蒼星は振り返る。

 

シオンが食堂の入り口に立っていた。手には畳まれた黒い布を抱えている。昼の光を受けて、布の端に入った金の刺繍がかすかに光った。

 

蒼星は自分の格好を見る。

 

孤児院で借りている、ガウン式の患者衣。傷に触れにくく、着替えやすく、寝起きには便利だが、町へ出る服ではない。右肩の包帯も見えているし、片腕を失った身体の輪郭も隠せていない。

 

「動ければ何でもいい」

「よくありません」

 

シオンは即答した。

 

「患者衣のまま、片腕で、赤いカーソルで、目つきの悪い方が町を歩けば、必要以上に目立ちます」

 

「……目つきが悪い、ならこれをつければ顔の問題は解決」

 

蒼星はそう言って、インベントリから仮面を取り出した。

 

黒とも灰ともつかない、薄い仮面だった。目元も、鼻筋も、口元も、確かに形はある。けれど、見ようとすると輪郭が曖昧になる。顔を隠すための仮面というより、情報そのものを薄めるための装備だった。

 

無貌の仮面(ノー・フェイス)

 

蒼星がそれを顔に当てた瞬間、食堂の空気が変わった。

 

そこにいる。

 

確かに、蒼星はそこにいる。赤い髪も、尖った耳も、片腕の身体も、患者衣も見えている。けれど、視線を向けたはずなのに、意識がそのまま滑っていく。さっきまでターゲットロックできていたはずなのに、子供たちの視界の中で、その枠がふっと外れた。

 

目の前にいるはずなのに、そこにいると感じられない。

 

貌があるはずなのに、貌がない。

 

ナギが目を瞬かせた。

 

「……お姉ちゃん?」

 

「いる」

 

蒼星の声は変わらない。

 

けれど、声のした方を見ているはずなのに、ナギの焦点が合わない。何人かの子供たちも、蒼星を見ようとして、見きれずに視線を泳がせていた。

 

「なんか……変」

「変?」

「見えてるのに、見えない」

 

シオンも、わずかに目を細めた。

 

「蒼星さん」

「何」

「それは、町に出る時につけないでください」

「目つきの問題は解決したでしょ」

「別の問題が増えています」

「面倒」

 

蒼星は仮面越しにシオンを見た。

 

「神官って、事実で人を殴る職なの」

「殴っていません」

 

シオンは穏やかに答えた。

 

「ただ、その仮面をつけたまま子供たちと町を歩けば、赤いカーソルの方がまだ説明しやすい、というだけです」

 

「お姉ちゃん、それ、ちょっと怖い」

 

ナギが小さく言った。蒼星は動きを止める。

 

「赤いより?」

「うん」

 

即答だった。蒼星はしばらく黙った。

 

赤いカーソルより怖い。

 

その答えは、少しだけ予想外だった。赤は危険の証だ。子供たちも、それを知っている。それでもナギにとっては、そこにいると分かる赤い蒼星より、そこにいるのに掴めなくなる蒼星の方が怖いらしい。

 

蒼星は小さく息を吐き、仮面を外した。

 

外した瞬間、子供たちの視線が戻ってくる。赤い髪。金色の瞳。尖った耳。目つきの悪い、片腕の蒼星。

 

ナギがほっとしたように息を吐いた。

 

「戻った」

「元からいた」

「でも、戻った」

 

蒼星は返す言葉を探して、やめた。

結局、蒼星は無貌の仮面を外し、シオンが用意した黒い修道服に袖を通すことになった。

 

黒を基調にした布地に、控えめな金の刺繍が入っている。右肩に触れないよう片側の留め具は調整され、欠損部を隠しながらも傷に負担がかからない作りになっていた。天夜のドレスのような戦闘用の華やかさはない。けれど、患者衣よりはずっと外に出るための服だった。

 

子供たちは口々に「似合う」「かっこいい」「黒い」と騒いだが、蒼星は全部聞かなかったことにした。

 

「目立つ」

「患者衣よりは目立ちません」

 

シオンは穏やかに言った。

 

「赤い時点で目立つ」

「だから、それ以外を整えるんです」

 

また正論だった。

 

蒼星は小さく息を吐き、左手で修道服の裾を整える。黒い布が指先を滑る。金の刺繍が昼の光を拾い、ほんの少しだけ光った。

 

「……趣味じゃない」

「似合ってるよ」

 

ナギが言う。

 

「君の目は信用してない」

「でも、黒いよ」

「黒ければいいわけじゃない」

「でも、かっこいいよ」

「それも信用してない」

 

ナギは少し不満そうに頬を膨らませたが、すぐに笑った。

 

出発する時、シオンは同行しなかった。孤児院に残る子供たちの世話と、昼から来る薬草の買い取り対応があるらしい。代わりに、町へ行く子供たち一人ひとりに用事を確認し、誰が薬草袋を持つか、誰が鍛冶屋へ持っていく包みを持つか、誰が帰りのパンを受け取るかを確認していた。

 

「寄り道はしすぎないこと。人通りの少ない裏道には入らないこと。蒼星さんに無理をさせないこと」

「「「はーい」」」」

「ナギ」

 

シオンが名を呼ぶと、ナギは背筋を伸ばした。

 

「はい」

「特にあなたです」

「なんで?」

「一番張り切っているからです」

 

ナギは何か言い返そうとして、言葉に詰まり、結局こくりと頷いた。

 

ナギが当然のように蒼星の左隣へ立つ。

 

「行こう」

「近い」

「支えるから」

「頼んでない」

「でも、道に石あるよ」

「石くらい避ける」

「右側、見えにくいでしょ」

 

蒼星は黙った。

 

それは事実だった。右腕がないだけではない。身体の右側への意識が、まだ以前の感覚と噛み合っていない。何もない空間を庇うように動きがずれることもあれば、逆に右側の距離を測り損ねることもある。

 

ナギはそれを見ている。蒼星は小さく息を吐いた。

 

「……好きにすれば」

「うん」

 

ナギは嬉しそうに頷いた。

 

孤児院の門を出ると、町へ続く道は緩やかな坂になっていた。石畳というほど整ってはいないが、土が踏み固められ、ところどころに平たい石が埋められている。道端には低レベルエリアらしい薬草が生え、遠くでは小さなエネミーが草むらを跳ねていた。

 

最前線とは違う。

 

空気が軽い。

血の匂いがしない。

誰かの怒号も、武器の衝突音もない。

 

ただ、子供たちの足音と、鞄の中で道具が揺れる音と、ナギが時々こちらを見上げる気配だけがある。

 

「ここを下りると、町の広場だよ」

 

ナギが言った。

 

「聞いてない」

「案内してる」

「頼んでない」

「でも、知らないでしょ」

 

また正論だった。蒼星は反論を諦め、前を見る。

 

坂を下りた先に、小さな町が広がっていた。大きな防壁も、前線拠点のような重々しい門もない。低い石垣と木の柵に囲まれた、安全圏の町。中央には小さな広場があり、その周りにパン屋、薬屋、布屋、雑貨屋、掲示板、井戸が並んでいる。道の奥には、煙突から細い煙を上げる鍛冶屋が見えた。

 

町に入った瞬間、空気が変わった。

 

パン屋の店主が手を止める。薬屋の前で薬草を選んでいたPLが顔を上げる。井戸端にいた女たちが話を止め、通りを歩いていた男がわずかに距離を取る。

 

視線が集まる。

 

黒い修道服。片腕。赤いカーソル。

名前は、普通の者には崩れて見えているはずだった。けれど、赤という色だけで十分だった。蒼星はその視線を受けながら、心の中で小さく頷いた。

 

これが普通だ。

むしろ、分かりやすくていい。

 

「お姉ちゃん」

 

ナギが少しだけ声を潜める。

 

「大丈夫?」

「何が」

「みんな見てる」

「赤いからね」

「……怖い?」

 

蒼星はナギを見下ろした。

 

「君が聞くの、それ」

「聞くよ」

 

ナギは真面目な顔だった。

蒼星は少しだけ目を細める。

 

「慣れてる」

「慣れてるのと、怖くないのは違うって言ってた」

 

自分の言葉を返された。

 

蒼星は返事に詰まる。

 

「……よく覚えてるね」

「覚えるって言った」

 

ナギはそう言って、少しだけ誇らしげに胸を張った。

 

そのやり取りを見ていたのか、パン屋の店主が少し表情を変えた。警戒が消えたわけではない。けれど、赤いカーソルのPLに子供が普通に話しかけていること、その子供が怯えて逃げていないことに、戸惑っているようだった。

 

「ナギ」

 

パン屋の店主が声をかける。

 

「今日はシオン先生はいないのかい」

「うん。孤児院でお留守番」

「先生が留守番って言うのかい」

「じゃあ、孤児院番」

「それも違う気がするね」

 

店主は苦笑し、それから蒼星を見る。

 

「その人は?」

 

ナギは答えようとして、蒼星に視線を向けた。

 

蒼星は黙った。名前を出すなとは言っていない。だが、町中でわざわざ名乗る必要もない。ナギは少しだけ考えてから言った。

 

「孤児院で休んでる人」

 

「ずいぶん物騒な人だねぇ」

 

店主は少し警戒した目で、蒼星を見た。

 

背丈は極端に高いわけではない。子供たちに囲まれていれば、大人として目立つ程度の身長だった。けれど、赤いカーソル、片腕、黒を基調にした修道服、そしてこちらを見返す金色の瞳が、その印象を大きく変えていた。

 

ただの怪我人ではない。

 

店主は、そう感じた。

顔立ちだけを見れば、まだ幼さすら残っている。赤い髪も、尖った耳も、黒い修道服に入った金の刺繍も、見方によっては人形めいた華やかさがあった。だが、その目だけが違う。

 

町で迷った怪我人の目ではない。

誰かに守られているだけの者の目でもない。

 

ずっと何かを見てきた目だった。

 

戦場か、殺し合いか、それとももっとろくでもない何かか。店主には分からない。だが、少なくとも、子供たちと同じ高さの世界だけを見てきた者ではないことは分かった。

 

名前は読めない。

 

頭上に浮かぶ文字列は、店主の目にはところどころ崩れて見えていた。けれど、名前が読めなくても、赤いカーソルだけで十分だった。

 

レッドPL。

 

その色が、この町で歓迎されるはずがない。

 

店主は、無意識にナギを見る。

 

そのナギは、蒼星のすぐ横に立っていた。怖がっていないわけではない。けれど、逃げてはいない。むしろ、店主に紹介する相手をどう説明すればいいのか、真面目に悩んでいる顔だった。

 

それが、店主の警戒をほんの少しだけ鈍らせた。

 

「……シオン先生は?」

「今日は孤児院」

 

ナギが答える。

 

「だから、ぼくたちだけ」

「それで、この人を連れてきたのかい」

「うん。町を案内してる」

 

「案内されてるつもりはない」

 

蒼星が低く言うと、ナギはすぐに返した。

 

「でも、場所知らないでしょ」

 

蒼星は一瞬黙った。

 

「……知らない」

「じゃあ案内」

 

そのやり取りに、店主は少しだけ眉を上げた。子供を脅して歩かせているようには見えない。少なくとも、ナギは自分の言葉で話している。

 

店主は、焼き上がったパンの包みを手に取った。

 

「ほら、今日の分だよ。落とさないように持って帰りな」

「ありがとう!」

 

子供たちが一斉に顔を明るくする。受け取った包みからは、焼きたての香ばしい匂いが立ち上っていた。その匂いにつられたのか、一人の子供がこっそり包みの端を開けようとする。

 

「帰ってから」

 

蒼星が低く言った。

 

子供の手が、ぴたりと止まる。

 

「ちょっとだけ」

「ちょっとで済まないでしょ」

「一口だけ」

「一口を人数分やったら、孤児院に着く頃にはなくなる」

「……たしかに」

「納得するな」

 

別の子が笑う。ナギも、パンの包みを抱えながら小さく肩を揺らした。

 

「お姉ちゃん、シオン先生みたい」

「やめて」

「怒り方が似てる」

「やめて」

「でも、つまみ食いはだめだよ」

「君が言うの」

「ぼくは我慢してる」

 

ナギは真面目な顔で言った。けれど、その視線はパンの包みに向いている。

 

蒼星はそれを見て、目を細めた。

 

「見すぎ」

「見てるだけ」

「それが一番危ない」

「じゃあ、持って」

「私が?」

「お姉ちゃんが」

「荷物持ちしたくないだけでしょ」

「えへへ」

「自分で持って、我慢しなさい」

 

子供たちが不満そうに声を上げる。けれど、その声には怯えがなかった。赤いカーソルのPLに対するものではなく、少し口うるさい年上に文句を言うような、そんな距離の近さがあった。

 

店主は、そのやり取りを黙って見ていた。

 

さっきまで蒼星を見る目には、はっきりと警戒があった。赤いカーソル。片腕。黒い修道服。読めない名前。どう見ても、この町に気軽に迎え入れていい相手ではない。

 

けれど、子供たちはその蒼星の隣にいる。

 

怯えていないわけではない。完全に警戒を解いているわけでもない。それでも、パンをつまみ食いしようとして叱られ、言い返し、笑っている。蒼星もまた、子供たちを脅すでもなく、突き放すでもなく、面倒そうにしながらも見ている。

 

悪い子ではないのかもしれない。

 

店主は、ふとそう思った。

 

少なくとも、今ここにいる子供たちは、この赤いPLを危険なだけの存在として見ていない。

 

「……ナギ」

 

店主は少しだけ声を柔らかくした。

 

「帰るまでに食べるんじゃないよ」

「食べないよ」

「さっき開けようとしてた子にも言ってるんだよ」

「聞こえてる!」

 

子供たちがまた笑う。

 

店主は蒼星へ視線を戻した。警戒が消えたわけではない。赤いカーソルが赤いままである以上、それは簡単には消えない。けれど、最初に見た時ほど硬いものではなくなっていた。

 

「……あんたも、見張ってておくれ」

 

蒼星は少しだけ眉を上げた。

 

「私が?」

「子供たちに懐かれてるんだろう」

「懐かれてない」

「懐かれてるよ」

 

ナギが即答する。

蒼星は黙った。

 

店主は小さく笑い、パンの包みをもう一つ取り出した。

 

「これは余りものだ。シオン先生に渡しておきな」

「余りものにしては多くない?」

 

蒼星が言うと、店主は肩をすくめた。

 

「子供たちが帰り道でつまみ食いしてももつよ」

「多いじゃん」

 

蒼星はしばらく店主を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「……変な町」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 

店主はそう言って、少しだけ笑った。み食いしなければ、ちょうどいい量だよ」

 

店主からパンの包みを受け取ると、子供たちはまた騒がしく歩き出した。

 

「次は薬屋さん」

 

ナギが先頭に立って言う。

 

「聞いてない」

「案内だから」

「頼んでない」

「でも、知らないでしょ」

 

蒼星は返す言葉を失った。

 

また正論だった。

 

町の道は、最前線の拠点とはまるで違っていた。広くもなく、整っているわけでもない。石畳はところどころ欠け、家々の軒先には洗濯物が揺れ、店の前には木箱や籠が雑に積まれている。けれど、その雑さには生活の気配があった。

 

誰かが毎日そこを通り、誰かが荷物を置き、誰かが片づけ忘れ、誰かがまた使う。

 

そういう場所だった。

 

「ここが薬屋さん。シオン先生が薬草を持っていくところ」

「さっき聞いた」

「着いたからもう一回言った」

「律儀だね」

「りちぎ?」

「覚えなくていい」

 

ナギは分かったような顔で頷いた。たぶん分かっていない。

 

薬屋の店主は、子供たちが差し出した薬草の袋を受け取ると、蒼星を見て一瞬だけ手を止めた。赤いカーソル。片腕。黒い修道服。店主の目には、やはり名前はまともに読めていないようだった。

 

「……シオン先生のところの子たちか」

「うん。今日の分」

 

ナギが薬草袋を差し出す。

 

「その人は?」

「孤児院で休んでる人」

「休むにしては、ずいぶん赤いね」

 

蒼星は淡々と返した。

 

「赤くても休む時は休む」

 

薬屋の店主は何とも言えない顔をした。

 

子供の一人が慌てて言う。

 

「でも、怖い人じゃないよ」

「ちょっと怖いけど」

「護身術教えてくれた」

「逃げ方とか」

「転び方とか」

「あと、シオン先生に怒られた時は逃げない方がいいって」

 

薬屋の店主の視線が、蒼星から子供たちへ移る。

 

子供たちは本気だった。蒼星を庇おうとしているというより、自分たちが知っている蒼星をそのまま言葉にしているだけだった。

 

それが、かえって警戒を少しだけ鈍らせたらしい。

 

店主は小さく息を吐き、薬草の代わりに包帯と簡易薬の包みを子供たちへ渡した。

 

「シオン先生に、無理はさせるなと言っておくれ」

「うん」

「そこの人にもだよ」

 

蒼星は目を細める。

 

「私?」

「他に誰がいるんだい」

「見た目より元気」

「見た目がだいぶ悪いんだよ」

「今日、そればっかり言われる」

「たぶん町中で言われるよ」

 

ナギが小さく笑った。蒼星はため息をつく。

 

それからも、子供たちは町のあちこちを案内した。井戸。掲示板。布屋。雑貨屋。小さな広場。子供たちにとっては当たり前の場所なのだろうが、蒼星にとってはどれも妙に遠いものに見えた。

 

井戸端では、女たちが子供たちに声をかけた。

 

「今日はシオン先生はいないの?」

「うん。孤児院」

「じゃあ、あんたたちだけでお使い?」

「蒼星さんもいるよ」

 

ナギが当然のように言う。蒼星は顔をしかめた。

 

「名前」

「あ」

 

ナギが口を押さえる。

 

井戸端の女たちは、蒼星の頭上を見ようとして、少しだけ眉をひそめた。名前はうまく読めていないのだろう。けれど、今ナギが呼んだ音だけは耳に残っている。

 

蒼星は小さく息を吐いた。

 

「まあ、いい」

「いいの?」

「もう言った後でしょ。隠す理由も大してない」

 

ナギは少しだけほっとしたように頷いた。

 

「でも、次から気をつける」

「そうして」

 

蒼星がそう返すと、井戸端の女の一人がじっとこちらを見ていた。警戒している。だが、それだけではない。赤いカーソルの相手に子供が失敗を謝り、その相手が怒鳴るでも脅すでもなく、ただ次から気をつけろと言う。そのやり取りを測っているような目だった。

 

「蒼星、ね」

 

女が小さく呟いた。蒼星は視線を向ける。

 

「聞こえたなら、そうなんでしょうね」

「変な言い方をする子だねぇ」

「よく言われる」

「シオン先生のところで世話になってるのかい」

「世話になってる」

 

蒼星は否定しなかった。

 

それを口にするのは、まだ少しだけ抵抗があった。けれど、事実だった。水も、食事も、包帯も、寝床も、今着ている黒い修道服さえ、全部あの孤児院で与えられたものだ。

 

女は少しだけ表情を緩めた。

 

「なら、あの人の言うことは聞きなよ」

「内容による」

「聞かないやつだねぇ」

「それもよく言われる」

 

ナギが横で小さく笑った。

 

「シオン先生にも言われてる」

「余計なこと言わない」

「でも本当」

「本当でも言わなくていいことはある」

 

井戸端の女たちが、今度は小さく笑った。

 

警戒が消えたわけではない。蒼星の赤いカーソルは、相変わらずそこにある。片腕で、黒い修道服を着て、名前の表示もどこか不安定なPLを、すぐに信用できるはずがない。

 

それでも、彼女たちの視線は少しだけ柔らかくなっていた。

 

蒼星には、それが一番落ち着かなかった。

井戸端を離れてからも、子供たちは相変わらず騒がしかった。

 

「あっちが布屋さん。包帯とか、服とか、直してくれるところ」

「さっき聞いた」

「でも、今通ってるから」

「通るたびに説明する気?」

「案内だから」

 

ナギは当然のように言った。

 

蒼星は返す言葉を失った。案内というものが、そういうものなのかどうかは分からない。少なくとも、蒼星が今までしてきた案内は、逃走経路、遮蔽物、索敵範囲、奇襲に使える高所、敵の巡回ルートを共有するためのものだった。パン屋、薬屋、井戸、布屋。そういうものを一つずつ指差されるのは、どうにも勝手が違う。

 

布屋の前では、店主が蒼星の黒い修道服を見て少しだけ眉を上げた。

 

蒼星は返す言葉を失った。案内というものが、そういうものなのかどうかは分からない。少なくとも、蒼星が今までしてきた案内は、逃走経路、遮蔽物、索敵範囲、奇襲に使える高所、敵の巡回ルートを共有するためのものだった。パン屋、薬屋、井戸、布屋。そういうものを一つずつ指差されるのは、どうにも勝手が違う。

 

布屋の前では、店主が蒼星の黒い修道服を見て少しだけ眉を上げた。

 

「その服、シオン先生のところのかい」

「たぶん」

 

蒼星が答えると、店主は苦笑した。

 

「たぶんって、自分で着てるんだろ」

「着せられた」

「なるほどねぇ」

 

店主は近づきすぎない距離で、蒼星の右肩の留め具と裾を見た。目には警戒が残っている。赤いカーソルを見れば当然だ。だが、視線はそれだけではなく、服の作りや傷に触れない処理を見ているものだった。

 

「肩の処理は悪くないけど、裾が少し長いね。歩く時に引っかかるよ」

「引っかからない」

 

そう言った直後、蒼星の足元で修道服の裾が石畳に引っかかった。ナギが左側から慌てて支える。

 

「引っかかった」

 

そう言った直後、蒼星の足元で修道服の裾が石畳に引っかかった。

 

ナギが左側から慌てて支える。

 

「引っかかった」

「石畳が悪い」

「石畳は悪くないよ」

「悪い」

 

布屋の店主が笑った。

 

「帰りに寄りな。少し詰めてあげるよ」

「頼んでない」

「シオン先生に請求しておくから安心しな」

「そこは安心するところなの」

 

子供たちが笑う。蒼星は目を逸らした。

 

町を歩くたびに、視線は刺さった。けれど最初のように、ただ硬く冷たいものばかりではなくなっている。パン屋ではつまみ食いを叱り、薬屋では護身術の話をされ、井戸端ではシオンの言うことを聞けと注意され、布屋では裾の長さを指摘された。

 

誰も、蒼星を完全に信用しているわけではない。

 

それでも、会話が成立している。

 

そのことが、ひどく不思議だった。

 

「お姉ちゃん、次が鍛冶屋さん」

 

ナギが少しだけ声を弾ませた。

 

町の端へ近づくにつれて、空気に鉄の匂いが混じり始める。炉の熱、煤、焼けた金属の匂い。道の先には、太い煙突から黒い煙を細く上げる建物があった。店先には農具、釘、簡易な刃物、子供用に短く調整された採取ナイフが並んでいる。

 

蒼星は左手で包みを持ち直した。

 

中には、天夜のドレスと夜走りが入っている。

 

「怖いけど、悪い人じゃないんだっけ」

 

蒼星が言うと、ナギは頷いた。

 

「うん」

「その判断基準は危うい」

「でも、直してくれるよ」

「そこは信じてるんだ」

「うん」

 

ナギの返事に迷いはなかった。

 

蒼星は鍛冶屋の扉を見る。孤児院の子供たちに案内され、町の人間の警戒を少しずつ浴びながら、ここまで来た。戦場なら、こんな歩き方はしない。誰かの信用を借りて扉の前に立つこともない。

 

けれど今は、そうするしかなかった。

 

ナギが扉に手をかける。

 

「開けるよ」

「勝手にすれば」

 

その言葉を合図にしたように、ナギは鍛冶屋の扉を開いた。中から、熱と鉄の匂いが一気に流れ出した。炉の奥で火が揺れ、槌を置く重い音が響く。

 

「うるせぇ足音だな。ナギか」

 

奥から、低く荒い声がした。

 

「今日はつまずいてないよ!」

「つまずきかけたろ」

「なんで分かるの!?」

「戸口の前で足音が一つ乱れた。毎度毎度、同じところで転びかけやがって」

 

蒼星は少しだけ目を細めた。

 

音で分かる。

 

ただの町の鍛冶師にしては、耳がいい。そう思った瞬間、奥の男が続けた。

 

「それと」

 

槌を置く音が、重く響く。

 

「後ろの赤いの。足音を殺して入ってくるな。店に入る時くらい、普通に歩け」

 

蒼星の足が止まった。

 

子供たちが一斉に振り返る。ナギも目を丸くして、蒼星と奥の鍛冶師を交互に見た。

 

「お姉ちゃん、足音なかったの?」

「普通に歩いた」

「嘘つけ」

 

奥の男が鼻を鳴らした。

 

「普通に歩いてる奴は、床板の鳴りを避けて足を置かねぇ。癖なんだろうが、ここは森でも戦場でもねぇぞ」

 

蒼星は黙った。

 

無意識だった。町に入ってからずっと、視線を浴びるたびに足音を抑え、気配を薄くし、死角を選んで歩いていた。無貌の仮面を外している分、せめて動きだけでも目立たないようにしていたつもりだった。

 

それに気づかれた。

 

蒼星は奥を見る。

 

炉の前にいた男が、ゆっくりとこちらを振り返った。背は高く、肩幅が広い。髭には煤が混じり、腕には古い火傷跡がいくつも残っている。見た目通りの頑固親父。そう評するのが一番早い男だった。

 

だが、その目は見た目ほど鈍くない。

 

鍛冶師はまず子供たちを見て、それから蒼星を見た。

 

赤いカーソル。片腕。黒い修道服。金の瞳。

 

そして、頭上に浮かぶ不安定な名前。

 

普通なら読めないはずのそれを、鍛冶師は目を細めて、はっきりと呼んだ。

 

「……蒼星」

 

蒼星は、わずかに顎を引いた。

 

「見えるんだ」

「見えなきゃ鍛冶師なんぞやってられねぇよ」

 

鍛冶師は鼻を鳴らした。

 

「前線で散々、呪い付きだの隠蔽付きだの、鑑定妨害付きだのを見てきた。名前の一つや二つ、歪んでても読める」

「ただの鍛冶師じゃないね」

「今はただの鍛冶師だ」

「元は?」

「さぁな」

 

鍛冶師は短くそう言って、炉の横に置いていた布で手を拭った。答える気はない、というより、答える必要がないと言っているような態度だった。

 

蒼星はそれ以上踏み込まなかった。

 

隠したい過去がある者は珍しくない。この世界では特にそうだ。前線から降りた者、ギルドを抜けた者、名前を変えた者、過去の装備をインベントリの奥に押し込んだ者。そういう人間はいくらでもいる。

 

聞かれたくないことを、無理に聞く趣味はなかった。

 

少なくとも、今は。

 

「で、その口の減らねぇ怪我人が、うちに何の用だ」

 

鍛冶師が顎で台を示す。

 

蒼星は左手で抱えていた包みを差し出した。ナギが慌てて作業台の上に置かれた工具を端へ寄せる。鍛冶師はそれを見て、低く唸った。

 

「勝手に触るな。指を落とすぞ」

「ごめんなさい」

 

ナギが即座に手を引っ込める。

蒼星は包みを作業台に置いた。

 

「これを見てほしい」

 

鍛冶師は雑に扱うかと思えば、意外なほど丁寧に結び目を解いた。

 

中から現れたのは、破損した天夜のドレスと夜走りだった。黒い布地は裂け、泥と血の跡が残り、金具の一部は歪み、夜走りの底には深い傷が走っている。

 

鍛冶師の目つきが変わった。

 

先ほどまでの不機嫌そうな頑固親父の顔ではない。装備の傷、素材の癖、魔力の流れ、壊れ方。そのすべてを一度に見ている職人の目だった。

 

「……こいつは」

「直せる?」

「簡単に言うな」

 

鍛冶師は天夜のドレスの布地を指先でなぞり、縫い目ではなく、その奥に通っている補強術式を見るように目を細めた。次に夜走りを手に取り、底の摩耗、踵の歪み、留め具の緩み、魔力を流す細い回路を一つずつ確かめていく。

 

「どっちも普通の装備じゃねぇな。それに、お前さん用に随分と細かくカスタムされてる」

 

鍛冶師は天夜のドレスの裏地をめくり、縫い目ではなく、その奥に通された魔力の流れを見るように目を細めた。

 

「布地の補強、軽量化、衝撃逃がし、姿勢制御の補助。見た目はドレスだが、中身はほとんど戦闘装備だ。こいつを仕立てた奴は、かなりの腕前だな」

 

「そうでしょ」

 

蒼星は短く答えた。

 

その声に、自分でも少しだけ意外な響きが混じった。

 

誇らしさ。

 

たぶん、そう呼ぶものだった。鍛冶師は片眉を上げる。

 

「知り合いか」

 

蒼星はすぐには答えなかった。

 

黒い布地。金具の癖。裏側に仕込まれた補助術式。夜走りの底に刻まれた細い魔力回路。それらを見ていると、記憶の奥から、ひどく賑やかな声が蘇った。

 

――あおほしさん、見てください。今回はAGIの補正を上げてみました。

 

猫耳の獣人の少女が、二又の尻尾を揺らしながら嬉しそうに近づいてくる。

 

手には、仕上がったばかりの黒いドレス。

 

裁縫用の針を髪に刺したまま、頬には煤のような布粉をつけて、それでも本人はまったく気にしていない。大きな耳がぴんと立ち、尻尾の先が得意げに揺れている。

 

――ただし、防御補正はちょっと落ちてます。

 

「ちょっと?」

 

――ちょっとです。

 

「錬金術師ちゃんのちょっとは信用できない」

 

――失礼ですね。今回は本当にちょっとですぅ。代わりに、回避時の姿勢制御と、踏み込み直後の加速補助を入れてあります。あと、あおほしさん、すぐ無茶な角度で避けるので、布地の伸縮を片側だけ変えました。

 

「私の動きが悪いみたいに言うね」

 

――悪いです。

 

即答だった。

 

その少女は、そういうところだけ遠慮がなかった。普段は人懐っこく、よく笑い、褒められるとすぐ尻尾を揺らすくせに、装備の話になると妙に容赦がなくなる。

 

――あおほしさんは、避ける時に右足を軸にしすぎです。あと、攻撃を入れる直前に上体が沈みます。なので、そこを補助するようにしました。

 

「見すぎ」

 

――見ないと作れません。

 

少女は当たり前のように言った。

 

――装備って、ただ強いものを作ればいいわけじゃないんです。使う人が何をしたいのか、何をしがちなのか、どこで無茶をするのか、それを知らないと意味がありません。

 

そう言って、彼女は天夜のドレスを胸の前に広げた。

 

――だからこれは、あおほしさん用です。他の人が着ても、多分うまく動けません。

 

あの時、蒼星は適当に返した気がする。

 

「それ、売り物としては欠陥じゃない?」

 

――一点物って言ってください。

 

少女は頬を膨らませた。

 

――それに、あおほしさんが使うならそれでいいんです。

 

その言葉を、今になって思い出す。

蒼星は、鍛冶師の作業台に置かれた天夜のドレスを見下ろした。

裂けて、汚れて、耐久値も削れて、以前の形とはほど遠い。

 

それでも、あの少女が自分の動きを見て、自分の癖を拾い、自分が生き残るために仕立てた装備だった。

 

捨てられるわけがなかった。

 

「大事な装備を預けるくらいには」

 

蒼星は、静かにそう答えた。

 




ながぁーーーーーーい
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