TS転生失敗作ちゃんが頑張る話   作:cannolo

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2.知らない世界の歩き方

 

目が覚めた時、一瞬ここがどこなのか分からなかった。

 

薄暗い個室、安っぽいマット、壁越しに聞こえるキーボードを叩く音、空調の低い駆動音。

ぼんやりした頭で天井を見上げ、それからようやく昨日の出来事を思い出す。

 

研究施設。

 

転生。

 

意味不明な能力。

 

チンピラ。

 

服屋。

 

ネットカフェ。

 

「夢じゃないか……」

 

掠れた声が漏れた。

当然返事なんかない。

身体を起こそうとして、肩へ髪がさらりとかかる。

 

「長いな…」

 

思わずぼやく。

まだ慣れない。

何をするにも妙に感覚が違う。

 

重心も、身体の軽さも、歩く時の感覚も全部だ。

長い髪は鬱陶しいし、胸元の違和感も未だに慣れない。

前世では気にしたことすらなかったことへいちいち意識が向くのが地味にストレスだった。

 

俺は深くため息を吐きながら、鏡代わりに真っ暗なモニターを見る。

映っていたのは、やっぱり知らない少女だった。

銀色の髪に淡い緑色の瞳。

見慣れた自分の顔じゃないからか違和感が強い。

 

それを見ていると、自分が本当に転生したのだと嫌でも実感する。

 

その時、ふと原作のナオを思い出した。

 

灰崎湊の隣でいつも無表情に立っていた少女。

銀色の髪、人形みたいに整った顔。

感情が薄くて、どこか人間離れした雰囲気。

 

改めて鏡の中の自分を見る。

 

「……やっぱ似てるよな」

 

ぼそりと呟く。

顔立ちの系統がかなり近い。

俺もナオも同じ実験で作られた存在だ、似せて作られていても不思議じゃない。

 

傍から見れば姉妹に見えるレベルだろう。

 

そう考えると妙な感覚だった。

前世では一人っ子だった俺に、突然そっくりな“妹みたいな存在”ができたみたいで。

 

「ふむ……」

 

もう一度小さく呟く。

 

前世の俺の要素が中身以外ないのは少し悲しいが、原作のキャラと似てる点があるのはなんとなく嬉しい。

 

とりあえず俺は顔を洗うため個室を出る。

 

洗面台へ映った自分を見て少しだけ気が滅入ったが、昨日ほどの衝撃はもうない。

問題はそこじゃなかった。

 

これからどうやって生きるのか。

そっちの方がずっと重要だ。

 

顔を洗った後、昨日買った服へ着替える。

 

白いニットに黒のロングスカート。その上から薄手の淡いグレーのコート。

 

スーツと寝巻き以外殆ど着てなかった前世の俺とは縁のない服装だった。

 

だが不思議と嫌ではない。

シーツ一枚だった昨日よりは遥かに人間らしい格好だったからだろう。

ちゃんと服を着ている。

それだけで少し安心する自分がいた。

 

個室へ戻った俺は、備え付けのパソコンを起動する。

画面にはニュースサイトが並んでいた。

 

『臨海工業区大規模爆発事故』

 

『関連企業への捜査開始』

 

『違法イデア研究施設の可能性』

 

昨日俺がいた場所だ。

だがニュースでは、ただの工場事故のように扱われている。

 

……まぁ当然か。

 

人体実験施設なんて公表できるわけがない。

 

俺は適当にニュースを流し見しながら、昨日調べた情報を頭の中で整理する。

 

イデア。

 

この世界に存在する特殊能力。

 

発火。

 

発電。

 

肉体強化。

 

精神感応。

 

人によって能力は様々。

そしてその力を使い、犯罪者へ対抗する“ヒーロー企業”。

それがこの世界の仕組みだった。

 

漫画で何度も読んだ設定。

なのに実際自分がその世界へ放り込まれると、全然違って見える。

 

もっと遠い世界の話だったはずなのに。

今は全部現実だ。

 

「マジで転生したんだな」

 

小さく呟く。

未だに現実感が薄い。

 

だが昨日、水槽の中で目覚めた感覚を思い出すと嫌でも理解してしまう。

 

あれは夢じゃない。

 

俺は本当に死んで、この世界へ来た。

 

「どうするかなぁ…」

 

すると腹が鳴った。

 

ぐぅ、と間抜けな音。

 

「どれだけ困ってても、腹は減るな…」

 

思わず苦笑する。

考え込んでも腹は膨れない。

 

俺はとりあえずネカフェを出ることにした。

 

街は朝から騒がしかった。

 

大型モニターにはヒーロー企業の広告。

空中を飛び回る配送ドローン。

スマホ片手に歩く人々。

 

そのどれもが前世とは少しずつ違う。

 

『君のイデアで、人々を救おう!』

 

広告の中でヒーローが笑う。

 

眩しかった。

前世の俺とは無縁すぎて。

 

俺は視線を逸らし、近くのコンビニへ入る。

適当にパンと缶コーヒーを買い、近くのベンチへ腰掛けた。

 

そこでようやく一息つく。

 

プルタブを開け、何気なくコーヒーを口へ運ぶ。

 

次の瞬間。

 

「……っ、にが」

 

思わず顔を顰めた。

 

苦い。

前世ではブラックでも普通に飲めていたはずなのに、舌へ刺さるような苦味が広がる。

薬みたいだった。

 

俺は慌ててパンを口へ放り込む。

そこでようやく少し落ち着いた。

 

缶コーヒーへ視線を落とす。

まだかなり残っていた。

 

「残すのは勿体ないし…」

 

この世界でいつまで金が持つかも分からない。

飲み物一本だって無駄にしたくない。

俺は覚悟を決めるように缶を持ち上げ、そのまま一気に流し込んだ。

 

「っ……ぅ……」

 

途中で何度かむせそうになりながら、どうにか飲み干す。

喉の奥へ残る苦味が最悪だった。

 

「……体が変わったんだから、味の好みも変わるのは当然か」

 

ぼそりと呟く、身体だけじゃない。

こういう細かい部分まで前とは違う。

その事実に妙に居心地の悪さを感じた。

 

食事を続けながら周囲を見回す。

 

一見すれば普通の街だった。

 

スーツ姿の会社員。

制服姿の学生。

買い物帰りの主婦。

 

だが時折、人間離れした光景が混ざる。

 

指先へ小さな炎を灯して煙草に火をつける男。

 

何故か身体を淡く発光させながら歩く女。

 

空中を飛び回って遊んでいる子供。

 

ここが本当に『アステリオン』の世界なのだと、嫌でも実感させられる。

 

「イデアかぁ……」

 

俺にもあるんだろう、どんな能力なのかな、なんて考えながらぼそりと呟く。

だが全くワクワクしなかった。

むしろ怖い。

 

この世界がどれだけ危険か、俺は知っている。

 

ヒーロー。

 

能力犯罪者。

 

企業同士の抗争。

 

実験体。

 

漫画ではエンタメとして読んでいたものが、今は全部現実だ。

 

俺は食事を終えると、昨日残った金を確認しながら最低限の日用品を買い揃えていく。

 

黒いリュック、タオル、歯ブラシ、洗顔用品、安い帽子、日持ちのいい非常食と少しのお菓子。

 

全部リュックへ収まる程度の量だけ。

大荷物にする気にはなれなかった。

 

金銭は有限、ずっとネカフェにいるわけにもいかない。

荷物は最低限の方がいい。

 

買い物を終えた頃には昼を回っていた。

その時だった。

 

爆発音。

 

地面が揺れる。

通行人たちが一斉に悲鳴を上げた。

 

「能力犯罪だ!」

 

「逃げろ!」

 

反射的に顔を上げる。

通りの向こう。

大型商業施設の入口付近から煙が上がっていた。

 

その中心を、一人の男が暴れている。

全身から灼熱の炎を噴き上げていた。

 

「どけえええええ!!」

 

男が腕を振るう度、炎が周囲へ撒き散らされる。

店のガラスが熱で割れ、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。

熱風が頬を叩いた。

焦げ臭い臭いが鼻を刺す。

 

怖い。

 

漫画で何度も見た光景。

だが現実はずっと生々しい。

血が飛ぶ。

人が泣き叫ぶ。

 

俺の足が竦む。

 

逃げろ。

本能がそう叫ぶ。

 

その瞬間だった。

 

轟音。

 

何かが空から降ってくる。

 

アスファルトが砕け、土煙が舞い上がった。

 

『《スピードヒーロー》ブリッツ参上!』

 

青いスーツを纏った男が、派手に名乗りを上げる。

同時にドローンが飛来し、周囲の映像を撮影し始めた。

 

原作にはいなかったヒーローだ、なんて場違いなことを考えていたら、ブリッツと一瞬視線があった気がした。

 

「ブリッツだ!」

 

「ヴァルハラのヒーロー!」

 

周囲から歓声が上がる。どうやら有名なヒーローのようだ。

暴れている男の出す炎を見て不安を拭い切れなかった俺は近くにいた歓声を上げている初老の男性に話しかけた。

 

「あの、すいません」

 

「あん?どうした嬢ちゃん!ヒーローが来たってのにそんな不安そうな顔して!」

 

「えっと、彼ってそんなに有名なヒーローなんですか?」

 

「なにぃ!?ブリッツを知らねえのか嬢ちゃん!?あいつはデビューしてまだ3ヶ月だってのに月毎の事件解決数はトップクラス!未来のトップヒーローさ!」

 

「はぁ、なるほど...?」

 

原作にいなかったからあまり強くないヒーローなのでは?もしかしたら炎の男に負けるのでは?と思ったがどうやら杞憂だったらしい。

 

ブリッツは余裕そうに笑いながら手を上げた。

 

『皆さん安心してください! ここからはこの私、ヴァルハラ所属のヒーロー、ブリッツが対応します!』

 

その姿はまさしくヒーローだった。

華やかで、格好良くて、強い。

 

だが。

 

俺は妙な違和感を覚えていた。

 

ブリッツはカメラ位置を気にするように立ち位置を変え、周囲の避難誘導より先にポーズを決めている。

 

もちろん戦ってはいる。

炎の男を圧倒していた。

 

だが、その視線や動きは、まるで自分の活躍を見せつけるかのようにドローンへ向いていた。

俺は違和感を感じて眉を顰める。

 

その時、少し離れた場所から悲鳴が聞こえた。

 

崩れた看板の下敷きになっている女の子がいた。

だが周囲は戦闘へ夢中で誰も気付いていない。

 

ヒーローも。

 

カメラも。

 

「……っ」

 

俺は思わず立ち上がる。

 

危険だ。

 

行くな。

 

関わるな。

 

頭ではそう分かっていた。

 

だが、前世の最後が脳裏をよぎる。

 

見捨てたくなかった。

 

あの時みたいに。

 

気付けば俺は走り出していた。

 

人混みを掻き分けながら走る。

現場に近づくにつれて周囲で悲鳴が飛び交う。

誰もが我先に逃げていた。

 

当然だ。

 

あんなものに巻き込まれたくない。

俺だって本当は逃げたかった。

けれど視界の端に見えてしまった。

 

崩れた看板の下で泣いている女の子を。

年齢は小学校低学年くらいだろうか。

足が瓦礫へ挟まって動けないらしい。

 

周囲の大人たちはパニックでそれどころではなく、誰も気付いていない。

 

ヒーローも、カメラも、全部炎の男へ向いていた。

 

「っ……!」

 

俺は歯を食いしばりながら瓦礫へ駆け寄る。

近付くほど空気が熱かった。

炎が吹き荒れる度、肌が焼けるように熱い。

 

怖い、めちゃくちゃ怖い。

 

だが今更止まれなかった。

 

「だ、大丈夫か...!?」

 

女の子へ声をかける。

 

涙でぐしゃぐしゃになった顔がこちらを向いた。

 

「う、うぇ……っ」

 

喋る余裕もないらしい。

 

俺はしゃがみ込み、看板へ手をかける。

 

熱い。

金属が焼けていた。

 

「っ……ぅぐ……!」

 

全力で持ち上げるが看板はあまりにも重く、びくともしない。

 

腕が震える。

筋肉が軋む。

 

この身体は前世よりずっと力が強い。それでも、人一人でどうにかできる重さじゃなかった。

 

焦る。

 

背後では爆発音が響き、炎の熱が肌を焼く。

女の子は泣きながら必死に足を抜こうとしていた。

 

「くそ……っ!」

 

その瞬間だった。

 

手のひらへ、妙な感覚が走る。

 

看板を持ち上げる感触が、先ほどと違った。

 

「なんだ…!?」

 

ズンッ、と。

 

看板の奥で何かが弾けたみたいな衝撃。

 

次の瞬間。

 

巨大な看板が、後方へ吹き飛んだ。

 

「──っ!?」

 

轟音。

 

コンクリートを削りながら看板が弾け飛ぶ。

看板がひしゃげ、砕けた破片が周囲へ散乱する。

 

俺は目を見開いた。

 

あり得ない。

人間一人の力で動く重さじゃなかった。

 

なのに。

 

まるで大型車に突っ込まれたみたいに、看板が数メートル先まで吹き飛ばされている。

 

「な、んだ……今の……」

 

呆然と呟く。

 

だが困惑している暇はなかった。

 

「だ、大丈夫!?走れる!?」

 

少女は涙目のまま何度も頷いた。

 

俺は急いで少女の手を引き、人混みの方へ走り出した。

 

その瞬間。

 

身体が前へすごい勢いで滑り出した。

 

「っ!?」

 

俺は慌てて少女を抱え上げる。

 

一歩、たったそれだけで、数メートル身体が滑るように進んだ。

 

速い、明らかに普通じゃない。

 

「うわっ……!?」

 

俺は慌てて体勢を立て直す。

少女を抱えているから余計にバランスが不安定だった。

 

風が髪を激しく巻き上げる。

視界の端で、炎と人混みが一気に後方へ流れていく。

まるでスケートリンクの上を滑っているみたいだった。

 

「っ……!」

 

再び地面を蹴る。

今度はさらに身体が加速した。

 

速すぎる。

足を動かすたび、身体がどんどん前へ滑っていく。

 

「な、んだよこれ……!」

 

自分でも意味が分からない。

だが、考えている余裕なんてなかった。

 

背後で炎が爆ぜる。

 

「ぁぁぁああああ!!」

 

能力犯罪者が咆哮し、周囲へ炎を撒き散らす。

熱風が背中を叩いた。

 

「ひっ……」

 

少女が怯えた声を漏らす。

 

「だ、大丈夫だ!」

 

自分でも驚くくらい必死な声だった。

俺は少女を庇うように抱えながら人混みを縫うように滑る。

 

踏み込む度、身体が異常な速度で前へ滑る。

 

明らかに普通の速度じゃない。このまま何かにぶつかれば大怪我は確実だろう。

 

これはどうやって止まればいいんだ?そんな考えが頭を過ぎる。

風が頬を叩き、すごい速度で景色が流れる。

まるで自分だけ、世界から切り離されているみたいだった。

 

「っ……!」

 

再び地面を蹴る。

 

その瞬間、今度は踏み込みが強すぎた。

 

身体が弾丸みたいに前へ滑り出す。

 

「うわっ!?」

 

危うく少女ごと転びかけ、俺は咄嗟に足へ力を込めた。

 

すると。

 

急激に身体が止まる、勢いが、一瞬で死んだ。

まるでさっきまでの加速が無かったかのように。

 

「何これ…」

 

呆然と呟く。

だが、その時。

 

轟音が響いた。

 

俺は反射的に振り返る。

 

視線の先では炎の男が吹き飛ばされていた。

 

青い閃光。

 

《スピードヒーロー》ブリッツだった。

 

『捕まえましたよォ!!』

 

高速で駆け抜ける青い閃光が炎の男へと拳を振り抜く。

 

次の瞬間、男の身体が道路へ叩きつけられた。

 

歓声が上がる。

 

「すげぇ!」

 

「やっぱブリッツ強ええ!」

 

「かっけぇ!!」

 

スマホを向ける人間までいた。

俺は息を切らしながら、その光景を見つめる。

確かにヒーローだった。

強くて、派手で、人々の憧れ。

 

だけど。

 

俺の視線は自然と、さっきまで女の子が潰されかけていた場所へ向いていた。

 

誰も見ていない、誰も気付いていない。

あのままなら普通に死んでいた。

 

「……ヒーロー、ね」

 

ぼそりと呟く。

 

その時だった。

 

「お姉ちゃん」

 

服の裾を引かれる。

 

振り向くと、さっきの女の子がいた。

 

「助けてくれて、ありがとう……!」

 

小さな声だった。

だがその言葉に、俺は一瞬返事が詰まる。

 

前世で。

 

誰かにこんな風に感謝されたこと、あっただろうか。

 

いや、多分ない。

 

「いや、君が無事でよかった、です...」

 

何故か敬語が出たが社畜時代の弊害だろうか。

女の子はそれでも嬉しそうに笑う。

そして少し迷うような様子を見せた後、小さな声で内緒の話をするようにこう言った。

 

「お姉ちゃん、ヒーローなの?」

 

その瞬間、俺は固まった。

 

ヒーロー、その言葉が妙に重く感じる。

俺は視線を逸らした。

 

「違います…」

 

俺はヒーローなんかじゃない。

そんな立派な人間じゃない。

前世だって、迷惑ばかりかけて自分のことだけで精一杯で、結局恩も返せていない。

 

今だって怖かった。

足は震えてるし、心臓はうるさいくらい鳴ってる。

 

立派な理由も、大層な覚悟もない。

ただ、見捨てたくなかっただけだ。

それだけだった。

 

女の子は少し不思議そうな顔をした後、小さく頭を下げた。

 

「でも、ありがとう!」

 

そう言って親らしき女性の元へ駆けていく。

俺はその背中をぼんやり見送る。

 

遠くではまだブリッツが観衆へ手を振っていた。

ドローンがその姿を追い回し、周囲では歓声が飛び交っている。

 

その光景を横目に見ながら、俺は静かにその場を後にした。

 

 

 

 

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しばらく歩き続け、人通りの少ない区域まで来たところでようやく足を止める。

 

周囲には古びた倉庫や人気のないビルばかり。

表通りの喧騒が嘘みたいに静かだった。

 

「はぁ……っ」

 

大きく息を吐く。

今更になって恐怖が押し寄せてきた。

 

普通に死にかけていた。

あの勢いの炎なんて少し掠っただけでも大火傷で終わりだ。

俺は近くの壁へ背中を預け、そのままずるずるとしゃがみ込む。

 

「何やってんだ俺」

 

見捨てられなかったし、後悔もない。

けれど冷静になればかなり危ないことをした。

 

この世界の能力犯罪者は、人が簡単に死ぬレベルの力を持っている。

 

漫画で読むのと実際見るのじゃ全然違った。

 

怖い、本当に。

何か身を守れる物でもあればいいのにと思わずにはいられない。

 

その時、不意にさっきのことを思い出す。

 

看板を吹き飛ばした瞬間。

走り出した時の異様な速度。

 

「イデア……?」

 

前世には存在しなかった力。

 

自分の掌を見る。

 

研究施設で目覚めた時、水槽を割ったのも恐らくこれだろう。

 

俺は少し周囲を見回す。

誰もいない。

 

なら。

 

「ちょっと試すか」

 

近くへ落ちていた空き缶を拾う。

 

軽く前へ投げた。

普通なら数メートル飛んで落ちるだけ。

 

缶が落ち始めた瞬間、俺は何となく“能力を使いたい”と念じた。

 

次の瞬間。

 

空き缶が弾けるように急加速した。

 

「うおっ!?」

 

ガァンッ!!

 

凄まじい音を立て、缶が遠くの壁へ突き刺さる。

 

俺は目を見開いた。

 

「なんだ今の...」

 

意味が分からない。

今、俺は軽く投げただけだ。

なのにまるで砲弾みたいな速度だった。

 

俺は恐る恐る、自分の手を見る。

 

「なんか、速度がおかしくなってる?」

 

よく分からないが、普通じゃないことは確かだろう。

 

俺は次に、小石を拾って軽く指で弾いた。

 

その瞬間。

 

パチン、と乾いた音。

小石が地面を滑るように走っていく。

いつまで経っても止まらない。

 

「……ん?」

 

俺は呆然と小石を目で追う。

 

減速していない。

いや、してはいるのかもしれないが、異常なほど遅い。

 

「なんかこんなの、学校で習った気がするな……」

 

自然と言葉が漏れる。

 

確か。

 

慣性、だったか。

 

動いてる物は動き続けようとする、みたいなやつ。

 

……いや、よく分からん。

 

俺は頭を掻く。

 

理屈を考えても頭がこんがらがるだけだった。

 

「まぁ、そういうことができる能力ってことでいいか」

 

雑に納得する。

 

俺はもう一度、近くの空き缶を拾う。

 

今度は真上へ放り投げた。

缶は高く舞い上がる。

そのまま落ちてくる、はずだった。

 

その時。

 

俺は先ほどと同じように念じてみる。

 

次の瞬間。

 

空中で、缶が急停止した。

 

「――は?」

 

缶が落ちない。

重力を忘れたみたいに、その場へ浮いている。

 

数秒後。

 

カラン、と地面へ落下した。

俺は目を見開いたまま固まる。

 

「いや、もう分かんねぇって……」

 

慣性とかそういう話じゃない気がする。

 

俺は少し考え込み、それから立ち上がる。

 

あまり頭の良くない俺の頭脳では、考えるだけ無駄だった。

 

今度は自分の身体で試してみた。

軽く地面を蹴る。

その瞬間、能力を使う。

 

すると。

 

身体が一気に前へ滑った。

 

「っ!?」

 

一歩。

 

たったそれだけで、身体が数メートル先まで進む。

 

速い、明らかに普通じゃない。

 

「わっ!?」

 

俺は慌てて体勢を立て直す。

 

止まれない。

地面を滑るみたいに身体が前へ流れていく。

 

俺は咄嗟に、“止まって”と強く念じた。

 

直後。

 

身体が急停止する。

 

「っ……!」

 

危うく前のめりになりながら、俺はどうにか踏み止まる。

 

心臓がうるさい。

今の、止まれなかったらやばかった。

本来なら吹き飛ぶくらいの勢いだったはずだ。

 

「おお……」

 

思わず声が漏れる。

 

加速、停止、滑る、吹き飛ばす。

 

俺の能力は色々なことができるみたいだ。

 

俺は何度か移動を繰り返す。

最初はぎこちなかった動きが、少しずつ滑らかになっていく。

 

一歩踏み込む。

身体が滑るように加速する。

止まりたい時は勢いを殺す。

 

理屈は分からない。

でも感覚は何となく掴めてきた。

 

「この能力、結構強いのでは?」

 

思わず呟く。

 

かなり応用が利く。

物を飛ばせるし、自分の移動にも使える。

下手したら銃弾みたいなこともできるんじゃないか。

 

他にも何かできないかと念じてみる。

 

その時だった。

 

ふと、自分の身体が少し薄くなった気がした。

 

視界の端。

地面へ伸びる自分の影が、妙に薄い。

 

「何だ?」

 

俺は反射的に自分の腕を見る。

そこにあった筈の腕が、半透明みたいに薄れていた。

 

「え、ちょっ…!?」

 

驚いた瞬間。

ふっと身体が元へ戻る。

 

「なんだ今の!?」

 

思わず声が裏返る。

俺は慌てて周囲を見回した。

 

今の。

 

「透明化…?」

 

恐る恐る、もう一度能力を使うイメージを向ける。

 

すると。

今度は輪郭がゆっくり薄れていった。

 

指先。

 

腕。

 

身体。

 

服。

 

まるで景色へ溶け込むみたいに、自分の姿が消えていく。

 

「おぉ...!」

 

思わず声が漏れる。

完全に見えなくなった訳ではない。

よく見れば空気が揺らいでいるみたいな違和感はある。

 

だが、普通に見ればまず気付かないレベルだった。

俺は恐る恐る地面へ視線を落とす。

影まで薄くなっている。

 

「なんだこの能力…」

 

勢いを操る能力だと思っていた。

なのに今度は透明化。

共通点が全く分からない、というか能力多くないか?

 

ナオと同じ実験体だからだろうか。イデアは一人一つが原則だ。

そしてヘリオスは作中でイデアの複数保持者を生み出そうとしていた。

 

その成功例がコピー能力で数多の能力を複製するナオなのだが、彼女はイデアをコピーしているのであって元々のイデアは一つだ。

そう考えるとナオより俺の方がヘリオスの目的に沿っている。

もしかしたら俺も原作のナオと同じようにヘリオスに狙われる可能性があるのではないか?

 

俺は色々と考え込み、それから「まぁいっか」と思考を放棄した。

 

難しいことを考えても分からないものは分からない。

 

とりあえずわかることだけ覚えておけばいい。

 

「……便利そうではあるな」

 

透明化したまま小さく呟く。

 

これ、逃走とか隠密にはかなり使えそうだ。

 

気付けば夢中になって能力を試し続けていた。

 

どのくらい時間が経っただろうか、すでに日は沈み始めていた。そして。

 

「あっ...」

 

ふと足元を見る。

 

靴底がめちゃくちゃ擦り減って穴が開いていた。

 

「滑りすぎた…」

 

思わず呟く。

 

その時、不意に頭の奥がじわりと熱を持った。

 

「…?」

 

妙な違和感。

さっきまで普通に使えていた感覚が急に鈍くなる。

試しにもう一度小石へ能力を使う。

 

だが今度は少し勢いがつく程度で、さっきみたいには飛ばなかった。

 

「……使いすぎると駄目なのか」

 

なるほど。

 

能力の使用は無限ではないらしい。原作でも能力を使いすぎてガス欠を起こすような描写があった。

俺の今の状況はおそらくそれと同じだろう。

 

だが身体が痛むわけでもない。

何か反動があるわけでもない。

 

エネルギー切れだけだ。実害は無いに等しい。

俺は安堵して胸を撫で下ろした。

 

「でも燃料切れがちょっと早いな……」

 

俺は空を見上げながら小さく呟く。

 

ヒーロー。

 

イデア。

 

実験体。

 

漫画の世界。

 

全部まだ現実感が薄い。

 

けれど。

 

確実に俺はもう前の世界には戻れないのだと、少しずつ理解し始めていた。

 

「……あ、靴買いなおさなきゃ」

 

薄れかけていた現実感は、割とすぐ戻ってきた。

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

同じ頃。

 

灰崎湊はソファへ座る少女を見ながら、小さくため息を吐いていた。

 

「……服、いるよな」

 

ナオは何もわかっていないようで無表情のまま首を傾げる。

 

現在、灰崎家。

両親は海外赴任中。

広いマンションには今、湊しかいない。

だからこそナオを連れて帰れたのだが、問題は色々あった。

 

その一つが服である。

 

ナオが今着ているのは、湊のサイズが合わなくなった昔のパーカーと短パン。

非道な実験を受けていたナオを連れて施設から脱出したはいいが、本当に何も着せる物がなかったから家に着くまでの間は施設で見つけたシーツを巻いていたのだ。

 

だが流石にずっとこれという訳にもいかない。

湊は頭を掻きながら立ち上がる。

 

「買い行くぞ」

 

「……?」

 

「服だよ」

 

ナオは数秒きょとんとしていたが、やがて小さく頷いた。

 

数十分後。

 

二人は街へ繰り出していた。

 

ナオは周囲を静かに見回している。

 

数々の大きな建物。

 

大型モニター。

 

行き交う人々。

 

全部初めて見るものばかりなのだろう。

 

その姿を見ていると、湊は妙な感覚になる。

普通のことを何も知らない。

あの施設の中だけで生きてきたから。

胸の奥が少し重くなったように感じた。

 

湊はその感情を誤魔化すように、知り合いの働いている店へ入る。

 

入口ベルが軽やかに鳴った。

 

「あ、湊くん!」

 

店の奥から知り合いの今井鈴葉が顔を出す。世話焼きで口数が多い点が残念だが、それを除けば良き友人だ。

 

茶色がかった髪を揺らしながら、鈴葉はぱっと表情を明るくした。

 

「久しぶりじゃん!ていうか誰その子どうしたの!めちゃくちゃ可愛い!お名前聞かせて〜!」

「ナオだ。母さんの知り合いの子だ。あと声がでかい」

「いやだって可愛いし!静かになんて無理!」

 

湊はナオの素性を誤魔化すが鈴葉は気づいていないどころか、気にすらしていない様子だ。

 

鈴葉はずいっとナオへ近付いてナオの顔を愛でるように見つめる。

ナオは特に反応しない。

ただじっと鈴葉を見返している。

 

その無機質な視線に鈴葉は一瞬だけ固まった。

 

「そんな見つめられたら照れるよぉ」

 

ぽつりと漏らす。

 

湊の表情が僅かに曇った。見つめていたのはお前だろうに、という言葉を飲み込んだ。

 

それに気付いた鈴葉は慌てて手を振る。

 

「あっ、ごめん!服買いにきたんだよね!」

 

「……?」

 

ナオは首を傾げている。店内は微妙な空気に包まれた。

 

鈴葉はそんな空気を変えるように笑った。

 

「今日はナオちゃんの服選びだよね?任せてよ!」

 

そのままナオの手を引こうとして。

 

ぴたりと止まる。

 

「…?」

 

鈴葉はナオの顔をじっと見つめた。

何か引っかかったような顔。

 

「どうした?」

 

湊が訊く。

 

すると鈴葉は首を傾げながら言った。

 

「いや、なんかナオちゃん、昨日来たお客さんに似てるなって」

 

その瞬間。

湊の眉が僅かに動く。

 

「ナオと似てる?」

 

「うん。ナオちゃんと同じ銀髪でね、ナオちゃんは可愛い系だけどあの子はどちらかというと綺麗寄りな感じ!1人でどの服買うか悩んでるみたいだったからたくさんおすすめしちゃった!」

 

鈴葉は思い出すように言う。

 

「雰囲気っていうか顔立ち?も似てるしもしかしたらナオちゃんの親戚の人だったりするのかな?」

 

湊は黙ったままナオを見る。

銀色の髪。

整いすぎた顔立ち。

 

施設で見た大量の水槽が脳裏を過った。

その中には、ナオと似た顔の個体もいた気がする。

 

「……」

 

妙な予感がする。

 

もしナオと同じ実験を受けていたのだとしたら今の彼女と同じで自我が希薄で受け答えもままならない筈。

1人で買い物ができる自由があり何を買うか悩むほど自我がはっきりしているのならナオと同じ実験の被害者の線は薄いか?追手の可能性もあるな。

追手なら危険だが、ナオについて何か知っている可能性がある。

 

湊は静かに視線を落とした。

 

その隣で、ナオがふと店の外を見る。

 

ぼんやりと。

 

何かを探すみたいに。

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