TS転生失敗作ちゃんが頑張る話   作:cannolo

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6.逸脱

 

ぼんやりと意識が浮かび上がる。

 

最初に感じたのは、酷い頭痛だった。

頭の奥へ鉛でも詰め込まれているみたいに重い。視界はぼやけ、身体にはまともに力が入らない。

 

「……ぅ」

 

掠れた声が漏れる。

 

冷たい感触が硬い床から伝わってくる。

鼻を刺す薬品臭に不快感を感じて、俺はゆっくりと目を開けた。

 

薄暗い天井だった。

古びた照明が白い光をちらつかせている。

一定間隔で微かに明滅していて、その度に影が揺れた。

 

ここがどこなのか、全く分からない。

 

少し広めの空間だ。

扉は一つ、窓は無く外の様子も分からない。

地下かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

状況を把握しようと身体を起こそうとして、ガチャリと金属音が鳴った。

 

「……は?」

 

そこでようやく俺は、自分の両手と両足が拘束されていることに気付いた。

かなり頑丈そうな金属製の拘束具だ。

力を込めてみるが外れそうにない。

 

「っ……」

 

頭が上手く回らない、身体も重い。

まるで熱でも出ているみたいだった。

 

その時、視界の端で何かが動いた。

 

「……?」

 

俺はゆっくりそちらに視線を向けて、そこで初めて気付いた。

 

この空間には、俺以外にも何人もの人がいた。

若い女性や子供、怪我人まで。

全員、俺と同じように拘束されている。

壁際へ並べられるみたいに座らされ、怯えた顔で俯いていた。

中には泣いている子供までいる。

 

「……なんだよ、これ」

 

状況が理解できず、思わず声が漏れる。

いや、理解したくなかった、の方が正しいか。

ふと、意識を失う前の記憶が浮かび上がる。

 

フィンとの食事。

 

視界の揺れ。

 

『悪いな』

 

そこまで思い出した瞬間、胃の奥が冷えた。

 

やられた...!

あの男を簡単に信じるべきではなかった。

上手い話に簡単に食いつくと、痛い目を見る。

そんなこととっくの昔に前世で学んだはずだ。

それなのに俺はまた同じ轍を踏んでいる。

 

「……クソ」

 

思わず吐き捨てた、その時だった。

ギィ、と嫌な音がして奥の扉が開く。

足音と共に聞き覚えのある声がした。

 

「もう起きたのか、早いな」

 

フィンだ。

ラフな服装、ヒーロースーツは着ていない。

以前までの爽やかな雰囲気も無かった。

 

俺を見て、フィンは少し驚いたみたいに眉を上げる。

 

「あの薬、丸一日は寝たきりになるはずなんだが」

 

「フィン…!」

 

自分でも驚くくらい低い声が出た。

フィンはそんな視線を気にした様子もなく、近くの木箱へ腰掛ける。

 

「そんな有様で凄まれてもなぁ」

 

「何が目的でこんな事を…!」

 

思わず声が強くなる。

周囲の人達がびくっと肩を震わせた。

 

「ここは一体…それにこの人達は……!?」

 

フィンは数秒こちらを見た後、小さく頷く。

 

「ふむ、そうか。まぁ気になるよな」

 

軽い口調だった。

まるで世間話でも始めるみたいに。

フィンは缶コーヒーを開けながら言う。

 

「まずここは、俺の倉庫だ」

 

「……」

 

「で、こいつらは商品」

 

空気が凍る。

近くの少女が小さく震えるが、気にした様子もなくフィンは続ける。

 

「ほら俺さ、ヒーローだろ?」

 

「お前のどこがヒーローだ…!」

 

「デカい企業に所属してて免許も資格もある。ちゃんとした本物のヒーローさ」

 

フィンは笑う。

 

「事件解決数もちゃんと本物」

 

その言い方が妙に引っ掛かった。

俺が黙っていると、フィンは楽しそうに続ける。

 

「まぁ、その事件を作ってるのも俺なんだけど」

 

「……は?」

 

「知ってるか?イデアって簡単に暴走させられるんだよ」

 

聞いた瞬間、嫌な予感が走る。

 

フィンはコーヒーを揺らしながら笑った。

 

「イデア持ちの一般人を薬で錯乱させるとさ、結構簡単に暴走するんだよ」

 

「……」

 

「感情の変化で能力が暴走しやすい奴って多くてさ。適当に街中で暴れさせてたんだ」

 

脳裏に、炎が蘇る。

炎のヴィラン、商業施設、この世界に来て初めて俺が助けた少女。

そして、ブリッツ。

 

「そこへ俺が登場」

 

フィンは笑う。

 

「派手に倒せば視聴率取れるし、スポンサーも喜ぶ。事件解決数も稼げる」

 

「最低なマッチポンプだな…」

 

フィンはこちら見て俺を馬鹿にするように肩を竦める。

その様子に、胃の奥が煮えそうになる。

だがフィンは気にした様子もなく続けた。

 

「で、その暴走騒ぎの間に手下に人攫いさせる」

 

「っ……」

 

「ヴィラン騒ぎに乗じれば、人一人消えても意外と気付かれないんだよなぁ。ここにいる奴らもそうやって集めたんだ」

 

フィンは周囲を見回す。

 

「人って結構いい値段になるんだよ。イデア持ちとか女子供は特にな」

 

まるで世間話でもするみたいな軽さで言うと、フィンがふと思い出したみたいに俺を見た。

 

「そういや最近、裏で結構デカい騒ぎがあってさ」

 

「……?」

 

「銀髪で、妙なイデアを持つガキを探してる奴がいるんだよ」

 

その瞬間、心臓が嫌な音を立てた。

フィンは続ける。

 

「で、そのガキにとんでもない額の賞金が懸かってんだ」

 

「……」

 

「最初聞いた時はなんの冗談かと思ったわ。ガキ一人に懸ける額じゃねぇもん」

 

軽い口調でフィンは話す。

でも、俺の背中には冷たい汗が流れていた。

 

ヘリオスだ。

間違いなく、ナオを捕えるためだ。

原作でもヘリオスはナオを執拗に追っていた。

 

でも、こんな展開は無かった。

賞金を懸けてヴィランに探させるなんて、少なくとも俺の知っている原作には。

 

「どうして…」

 

思わず呟く。

俺がいるからか?

それとも、原作そのものが変わり始めているのか。

嫌な汗が流れる。

 

フィンは俺を見ながら笑った。

 

「で、ヴィランと戦ってる時にお前見つけた時、正直驚いたよ。銀髪で意味分かんねぇ能力使ってたからな」

 

フィンの笑みが深くなる。

 

「俺はなんて運がいいんだって喜んだもんだぜ」

 

そこでようやく理解する。

こいつは最初から俺を狙っていたんだ。

偶然じゃない、仕事の依頼も今までの発言も全て、俺の警戒心を解くためのもの。

 

全部、最初から俺は騙されていた。

 

「……馬鹿かよ、俺」

 

小さく呟く。

 

フィンは聞こえなかったのか、そのままポケットから注射器を取り出した。

中には青黒い液体が入っている。

 

「こいつはな、イデアを抑制する薬だ」

 

フィンは注射器を軽く揺らす。

 

「打たれれば、しばらくの間イデアは使えなくなる」

 

「……」

 

「もちろん、お前にも使ってある」

 

フィンは笑った。

 

「つまり今のお前、ただの無力なガキってわけ」

 

その言葉と同時に、周囲の空気がさらに沈んだ。

多分、ここにいる人達も同じことを言われたのだろう。

信じていたはずのヒーローから、希望をへし折るみたいに。

 

近くから、小さな嗚咽が聞こえた。

視線を向けると小学生くらいの女の子だった。

肩を震わせながら泣いている。

 

「ママ……」

 

掠れた声。

その一言だけで、胸が痛んだ。

フィンはそれを見ても何も思わないらしい。

 

「あー、大丈夫大丈夫。死ぬとは限らねぇし、運が良ければ良い買い手に当たるかもな。たっぷり可愛がってもらえるさ」

 

フィンは笑いながら肩を竦める。

 

「まぁ、世の中結局金だよ。正義だの人助けだの、本気でヒーローやってる奴なんて馬鹿しかいねぇ」

 

軽い口調だった。

けれど、その言葉だけは妙に耳へ残った。

脳裏に浮かぶ、原作で見てきた、俺を勇気づけてくれたヒーロー達。

 

みんな命懸けで戦っていた。

傷だらけになりながら、それでも誰かの平和のために、希望のために。

灰崎湊、そしてまだ出会っていないヒーロー達の姿まで脳裏を過ぎる。

俺はあのヒーロー達が馬鹿だなんて思わない。

 

「……っ」

 

怒りで胸の奥が熱くなる。

これはフィンへ向けたものなのか、それともこんな奴を馬鹿みたいにすぐ信用した自分へのものなのか。

自分でも分からない。

 

その時だった。

 

ふと、視界の端で、黒いものが揺れた。

 

「……?」

 

俺はゆっくりと自分の手に視線を向ける。

 

指先からは黒い光が微かに滲んでいた。

そこへ紫の光が混ざる。

 

「……は?」

 

フィンの声が止まる。

 

俺自身も驚いていた。

理由はわからないが俺のイデアは消えていないようだ。

黒い光が指先から静かに漏れ出していた。

紫の光がその周囲へ滲むように混ざり、空気が微かに揺れる。

手の拘束具が小さく軋み、まるで押し潰されているみたいに歪み始めていた。

 

「なんで使えんだよ……!」

 

フィンの声に、初めてはっきりとした動揺が混ざる。

俺自身も驚いていた。

頭は重いし、身体もだるい、能力の感覚だって普段よりずっと鈍い。

理由はわからないが、それでも消えてはいなかった。

 

俺はゆっくり足元の拘束具へ視線を落とす。

そして、金属部分へ触れた。

次の瞬間、黒い光が弾ける。

 

轟音が倉庫へ響き渡り、拘束具が圧縮されてひしゃげ、そのまま砕け散った。床へ金属片が飛び散り、周囲から小さな悲鳴が漏れる。

 

フィンが一歩下がっていた。

 

「お前……何なんだよ」

 

こちらを警戒するような低い声だった。

俺は答えない、と言うより答えられない。

自分でも分からないからだ。

 

今分かる事は、今ここでフィンを倒さなければ俺含めこの場にいる人達の未来は絶望に染まるということだけだった。

 

俺はゆっくりと立ち上がる。

薬の影響で身体は妙に重い。

足元も少しふらついているし、視界もわずかに揺れている。

それでも動けないほどじゃない。

 

フィンは小さく舌打ちすると、腕へ装着していた小型デバイスへ触れた。

 

瞬間、青白い光が弾ける。

 

金属音と共に装甲が高速展開され、肩、腕、脚へ次々と装着されていく。

数秒も掛からないうちに、気付けばフィンは、ヒーロー《ブリッツ》としてのスーツを纏っていた。

 

スーツ全体を走る青白いラインが淡く発光し、微弱な電撃が空気を焦がす。

さっきまでラフな格好で座っていた男とは、纏う空気そのものが違っていた。

 

空気が重い、本能が危険だと警鐘を鳴らしていた。

フィンは首を鳴らしながら笑う。

 

「一つ教えといてやるよ」

 

青白い火花が弾けた。

 

「俺のイデアは、別に雷を出す能力じゃねぇんだよ」

 

「……?」

 

「単純に、“稲妻みたいに速く動ける”だけ」

 

フィンは肩を竦める。

 

「だから、生身で本気出したら俺の体が加速に耐えきれずぶっ壊れる」

 

その瞬間、スーツ各部から低い駆動音が響いた。

フィンが笑う。

 

「でも、スーツがあれば別だ」

 

青白い光が強くなる。

 

「衝撃吸収、筋力補助、神経保護。企業製は高ぇだけあって優秀でな」

 

フィンはゆっくり腰を落とした。

獣みたいな低い姿勢。

 

「俺は本気で加速できる、つまり」

 

嫌な汗が背中を流れる。

フィンはそんな俺の様子を見て嘲るように笑った。

 

「お前はこれから、一瞬たりとも俺を視界に捉えることさえできないってことだ」

 

次の瞬間だった。

フィンの姿が俺の視界から消えた。

 

「っ!?」

 

反応するより先に横腹へ衝撃が叩き込まれて、身体が宙へ浮いた。

 

「がっ……!?」

 

肺の空気が一気に押し出され、そのままコンクリート床を転がる。

勢いのまま壁へ叩きつけられ、大きく鈍い音が響いた。

 

痛い、まともに呼吸ができない。

 

「はっ……ぁ……!」

 

速い、今の俺では全速力を出しても、追い縋ることすらできないだろう。

 

フィンの姿が見えないことに思わず歯噛みする。

 

俺のイデアは、しっかりと知覚できていない対象には上手く能力で発動できない。

だから高速で移動するフィンとの相性は最悪だ。

見えていなくても多少の干渉なら可能だが練度の問題なのか出力が低い。

 

フィンの声が響く。

 

「どうしたァ!この程度かよ!!」

 

次の瞬間にはもう拳が目の前に迫っていた。

 

「っ!」

 

咄嗟に能力を使って身体を滑らせる。

直後、背後の壁が砕け飛んだ。

 

冷や汗が流れる。

あんな攻撃をまともに受け続けていたら負けてしまう。

 

だがフィンは止まらない。青白い閃光が倉庫内を暴れ回り、四方八方から攻撃が飛んでくる。

 

速さも、重さも、俺より格段に上だ。

そして何より戦い慣れている。

俺とは経験値が違いすぎた。

 

フィンを見失った直後、背中へ衝撃が響いた。

 

「っ、ぁ……!」

 

「おいおい!もう終わりかァ!?」

 

次の瞬間、視界が反転し顔面を床へ叩きつけられる。

 

距離をとったフィンが獰猛に笑い、青白い電撃が荒れ狂う。

俺は気を失わないようにするだけで精一杯だった。

薬の影響で能力の感覚も鈍い。出力も不安定で、透明化を使う余裕なんて無い。

 

また雷鳴のような音が響いて、気づいた時には頬を殴られていた。

口内が切れたのか口の中へ鉄の味が広がる。

このままだと負けてしまう、何かあいつを捉える方法を。

そう考えた時だった。

 

脳裏へ、以前の戦闘が蘇る。

工業区域で戦った重力を操るヴィラン。

そして、その時のフィンの動き。

 

「……あ」

 

あの時、ヴィランは重力を操作してフィンの突進を減速させていた。

勢いを無理矢理殺され、その瞬間だけフィンは明らかに速度を失っていた。

 

息を呑む。

俺のイデアは、恐らく運動量を増減させる能力。

なら、別にフィン本人を捉える必要はないんじゃないか。

 

床へ押し潰されそうになる身体を震える腕で支え、歯が軋むほど強く噛み締めながら、ゆっくりと上体を起こす。

膝が悲鳴を上げる。

立ち上がるだけで全身が壊れていくようだった。

 

フィンが笑った。

 

「まだやる気かよ!」

 

青白い閃光が突っ込んでくる。

速い、全く見えない。

でも、フィンを視界に捉える必要はない。

代わりに、自分の周囲へ意識を向ける。

 

俺を囲むように黒い光が滲んで紫の光が混ざる。

 

「止まれ…」

 

次の瞬間、空気が揺れた。

 

フィンが目を見開く。

 

「──は?」

 

速かったはずの身体が、突然減速した。

まるで粘度の高い液体へ突っ込んだみたいに、青白い閃光が鈍る。

 

動きが見える。

今なら捉えられる。

フィンの顔へ驚愕が浮かんだ。

 

「なんだそれ──」

 

その瞬間、俺は思い切り拳を振り抜いた。

 

黒い光が弾ける。

 

衝撃を増幅された拳がフィンの顔面へ突き刺さり、轟音と共にフィンの身体が吹き飛んだ。

 

そのまま奥の壁へ激突した瞬間、壁が鈍い音を立てて大きくヒビ割れた。

積み上げられていた木箱が崩れ落ち、舞い上がった埃が薄暗い照明へ広がっていく。

建物全体が揺れ、拘束されている人達の間から小さな悲鳴が漏れた。

 

俺は荒く息を吐きながら、その光景を見つめていた。

 

全身が痛い。

 

傷は焼けるみたいに熱を持っているし、体もまともに動かすだけで鈍い激痛が走る。

頬の内側も傷だらけで口の中に溜まっていた血が口の端から滲み出している。

普段しないイデアの使い方をしたせいか頭の奥には熱が溜まったみたいな重さが残っている。

 

それでも立っていられるのは、変にアドレナリンが出ているからだろう。

自分の拳を見ると、指先からはまだ黒い光が微かに滲んでいる。

あれだけ速かったフィンを、ちゃんと捉えて殴り飛ばせた事に達成感を覚えた。

 

俺のイデアは、対象を知覚しないと使えないと思っていた。

だが違った。

相手そのものへ干渉できなくても、自分の周囲の空間全てを対象にすればどれだけ速かろうと関係ない。

 

自分へ近付いてくるもの全ての運動量を奪い、減速させる。

その結果、フィンの速度を無理矢理殺せた。

 

「……っ、は……」

 

呼吸が上手く整わない。

能力を使う度、身体の奥から何かを削られていくような疲労感が積み重なっていく。

それでも、今は止まれなかった。

 

瓦礫の奥で、青白い光が弾ける。

次の瞬間、崩れ落ちて積み重なった壁の破片が内側から吹き飛んだ。

 

「はぁ、さっきので倒れてよ…」

 

思わず呟く。

 

フィンがゆっくり立ち上がっていた。

スーツの頬部分は割れ、口元から血が流れている。だが倒れてはいない。

それどころか、さっきまで残っていた軽薄な笑みが完全に消えていた。

 

青白い電撃が、荒れ狂うみたいにスーツ全体から漏れ出している。

空気が震えていた。

フィンは血を拭いながら、ゆっくり俺を見る。

その目にはもう余裕も遊び半分の色も無い。ただ剥き出しの怒気だけがあった。

 

「……痛ぇな」

 

低い声だった。

さっきまでの軽い調子とは全然違う。

フィンは割れた頬の装甲を乱暴に引き剥がし、そのまま床へ投げ捨てる。

 

「調子乗んなよ、ガキが」

 

青白い火花がバチバチと弾ける。

俺は思わず息を呑んだ。

空気が重く、張り詰めている。

さっきより明らかに危険な予感がした。

 

フィンはゆっくり首を鳴らしながらこちらを見据える。

だが、その視線にはもう油断は欠片も無い。

 

「もう賞金なんて関係ねぇ」

 

電撃が荒れ狂い、床へ火花が散る。

フィンは獣みたいな目で俺を睨みながら、低く吐き捨てた。

 

「お前はここで殺す」

 

その瞬間、空気が爆ぜた。

再びフィンの姿が消える。

速い、だがどれだけ速かろうともう関係ない。

俺は再びイデアを展開する。

 

黒い光が自分の周囲へ滲み、空気そのものが揺らぐ感覚が広がる。

前後左右だけじゃない、上下も含めた全方向、自分へ近付いてくるもの全てへ干渉する。

 

直後、青白い閃光が減速した。

まるで水の中へ突っ込んだみたいに、フィンの速度が鈍る。

だが、フィンは止まらない。

 

「舐めんなァ!!」

 

減速した瞬間、無理矢理身体を捻り、そのまま軌道を変えて後方へ飛んだあと横方向へ滑り込んできた。

 

戦闘経験の差だった。

俺が勢いを殺せるのがは一瞬だけだ。

フィンは既にそのことに気づいていて、止められる事を前提に動きを組み立てているのだ。

 

再び能力の展開を試みるが俺が展開するよりも先に、フィンの蹴りが脇腹へ突き刺さった。

 

「っ、ぁ……!」

 

内臓が潰れるような感覚。

身体が横へ吹き飛び、そのまま床を滑った。

コンクリートが服を削り、焼けるみたいな痛みが走る。

 

だがフィンは止まらない。

 

青白い閃光が倉庫内を暴れ回り、何度も角度を変えながら突っ込んでくる。

真正面から来たと思った瞬間には真横へ回り込み、減速した瞬間に再び加速して別方向へ逃れる。

 

俺のイデアの発動の隙をついて何度も攻撃を加えてくる。

常時展開できればフィンに逃げられることもないが、それを行うには俺の練度が足りていなかった。

 

俺は勘で咄嗟に身体を滑らせて回避する。

直後、さっきまでいた場所の床が抉れ飛んだ。

 

冷や汗が流れる。ギリギリだった。

 

攻撃を躱した俺に対して、フィンが笑みを浮かべる。

いや、よく見てみれば笑みじゃない。

怒りで口元が歪んでいるだけだった。

 

「どれだけ強えイデアを持っていようと!!」

 

青白い電撃が荒れ狂う。

 

「能力頼りのテメェじゃ俺には勝てねえよ!!」

 

能力頼り、その通りだ。

イデアの使い方を、俺はまだ完璧には理解していない。戦闘経験だってたったの一ヶ月だ。

なのに相手は、ヒーローとして何度も実戦を経験してきた男だ。

普通なら勝負にすらならない。

 

もうどれだけ攻撃を受け続けたのだろうか。

朦朧とする意識の中、逃げたい、このまま意識を失ってしまいたいと、思考が段々と悪い方向へ向かってしまう。

 

その時。

 

視界の端で、小さな女の子が俺を見ていた。

さっき泣いていた子だった。

怯えた顔のまま、それでもどこか期待するみたいな目で俺を見ている。

 

「……っ」

 

胸の奥が熱くなる。

 

逃げられない、ここで俺が負けたら捕えられている人達はどうなる。

ここで俺が負けたら、あの子もここにいる人達もみんな終わるんだ。

 

フィンが再び加速する。

青白い閃光。

次の瞬間にはもう目の前だった。

 

「死ねェ!!」

 

拳が迫る。

俺は反射的にイデアを展開した。

黒い光と紫の光が滲む。

 

どんな方法でもいい、どうにかして躱さなければ。

方法を考えようとするが、間に合わない。

 

「っ……!」

 

咄嗟に、俺はフィンへ触れるみたいに能力を叩きつける。

 

その瞬間、空気が歪み、フィンの拳がほんの僅かに逸れた。

 

「……ぁ?」

 

拳が俺の肩を掠め、そのまま背後の壁を砕く。

コンクリート片が弾け飛んだ。

 

完璧に回避することはできていない。

 

だが、今、確かに軌道が変わった。

完全に止められたわけじゃない。

勢いを消したわけでもない。

まるで受け流したかのように攻撃が逸れた。

 

「なんだ今の……?」

 

フィンも違和感に気付いたらしい。

一瞬だけ動きが止まる。

 

俺は荒い呼吸を繰り返しながら、自分の手を見る。

頭の奥で何かが繋がりかけていた。

今、フィンの攻撃を加速させるわけでも減速させて停止させたわけでもない。

進む方向を変えたのだ。

 

恐らく、俺のイデアは加速や減速させる力じゃなく、“運動量”そのものへ干渉する力なんじゃないのか?

 

それなら。

前へ進む勢いを、別方向へ流すこともできるんじゃないか。

その瞬間、脳裏へ一つのイメージが浮かぶ。

 

回転だ。

前方向の運動を、無理矢理横へ逃がす。

独楽みたいに。

 

フィンが再び吠える。

 

「何をしたか知らねぇが!」

 

青白い閃光が爆ぜた。

 

「今更そんな小細工で俺に勝てるかァ!!」

 

フィンが一直線に突っ込んでくる。

俺も再びイデアを展開する。

だが、付与する能力は減速ではない。

 

黒い光が静かに滲み、紫の光がその周囲へ絡みつくように広がっていく。

自分を中心に空気そのものが回るような感覚。

運動量を奪うのではなく、流れそのものを捻じ曲げるようなイメージを頭の中で強く描く。

 

 

正直、できる保証なんてない。

進む方向そのものを捻じ曲げるなんて真似、狙ってやった事なんて一度もない。

頭の中に理屈は浮かんでいるのに、それをどう能力へ落とし込めばいいのか分からなかった。

それでも、ここで失敗すれば終わる。

 

フィンの姿が掻き消える。

青白い閃光が見えた時に既にフィンは目の前に迫っていた。

 

「死ねェ!!」

 

凄まじい速度の蹴りが迫る。

空気が裂ける音すら聞こえた。

圧倒的な前方向への運動エネルギー。

 

俺はそこへ再びイデアを展開した。

 

「回れッ…!」

 

次の瞬間だった。

突進していたフィンの身体が、突然横方向へ捩れるように回転した。

 

「っ、な……!?」

 

青白い閃光が暴れて、フィンの身体が凄まじい勢いでスピンを始める。

 

本来前方向へ向かっていた運動エネルギーを無理矢理“軸回転”へ変換したのだ。

稲妻のような彼の速度を利用した高速回転。

フィンの身体が空中で独楽みたいに回転する。

 

「がっ……!? ぁ、ぁあああ!!」

 

悲鳴と共にスーツの駆動音が異常を訴えるみたいに鳴り響く。

回転は止まらない。

青白い電撃が周囲へ散り、床を削りながらフィンの身体が暴れ回る。

 

「っ、ぉ……ぇ……!」

 

フィンの顔色が一瞬で変わる。

平衡感覚が完全に壊れていた。

当然だ、人間の身体はあんな速度での回転に耐えれるほどの強靭さは無い。

 

内臓が引っ張られて、脳が揺れる。

関節へあり得ない方向から負荷が掛かる。

次の瞬間、嫌な音が響いた。

 

ゴキッ。

 

「ぁ゛っ!!?」

 

フィンの右腕が不自然な方向へ曲がる。

続けて膝、肩。

スーツ越しでも分かるくらい、関節が壊れていく。

 

「や、め……っ!!」

 

フィンが叫ぶ。

だが止まらない。

彼の運動エネルギーそのものが回転へ変わっている以上、勢いは簡単には消えない。

 

やがて、回転していたフィンの身体が、そのまま勢いよく床へ叩きつけられた。

コンクリートが砕けて、青白い火花が散る。

そして彼は、動かなくなった。

 

「……はっ、ぁ……」

 

静寂。

 

倉庫へ荒い呼吸だけが響く。

俺はその場へ立ったまま、動けなかった。

能力を使いすぎたせいか、頭が割れそうに痛い。

視界も揺れている。

 

フィンはもう立ち上がらなかった。

青白い光が、ゆっくりと消えていく。

 

俺は、自分の震える手を見下ろした。

 

瞬くように黒と紫の光が、まだ微かに指先から漏れ出ていた。

 

 

 

 

 ♢

 

 

 

 

 

少ししてから俺は傷だらけの身体に鞭を打って、拘束されていた人達の拘束具を一つずつ壊していった。

 

イデアの光はもうかなり弱い。

さっきまでみたいに派手に吹き飛ばすことはできず、金属を少しずつ歪ませて砕くのがやっとだった。

 

能力を使う度、頭の奥が焼けるみたいに痛む。

視界もぼやけていた。

 

「早く、逃げてください…」

 

掠れた声でそう言うと、解放された人達は怯えた様子のまま出口へ向かっていく。

中には何度も頭を下げる人もいた。

だが、今の俺はそれに返事をする余裕すら無かった。

 

フィンとの戦闘で消耗しすぎている。

立っているだけで限界だった。

最後の拘束具を壊した瞬間、俺は近くの壁へ背中を預け、そのままずるずると座り込む。

 

「はっ……ぅ……」

 

全身の傷が痛み、思わず呻き声が漏れる。

イデアを色々な方法で使いすぎたせいなのか、身体の奥が空っぽになっていくみたいな感覚がある。

 

俺はぼんやり天井を見上げる。

崩れた倉庫。

散乱した木箱や瓦礫。

床へ倒れたまま動かないフィン。

 

ほんの数時間前まで、俺はただこの世界でどうにか生活する方法を探していただけだった。

なのに、気付けばヴィランと殺し合いのような戦いをしている。

 

「はぁ…」

 

溜め息が漏れる。

 

銀髪の少女に賞金、原作には無かった展開だ。

俺の知っている物語から、少しずつズレ始めている。

その事実が妙に怖かった。

 

しばらく、倉庫には静寂だけが流れていた。

 

だが、遠くから、微かに音が聞こえ始める。

 

セキュリティ部隊のサイレンだ。

さっき逃げ出した人たちの誰かが通報したのだろう。

 

「……っ」

 

俺は反射的に顔を上げる。

最初は遠かった音が、少しずつ近付いてくる。

このままここへ長く留まるのはまずい。

 

フィンはヴィランだが表向きは企業所属のヒーローだ。

しかも倉庫は半壊状態、ここでセキュリティに見つかれば絶対面倒な事になる。

 

俺は重い身体を無理矢理起こした。

足元がふらつく。

今すぐ倒れて眠りたいくらい疲れていたが、それでもここにはいられない。

 

俺は深く息を吐き、能力を発動する。

 

弱々しく黒い光が滲む。

次の瞬間、俺の身体が景色へ溶け込むみたいに薄れていった。

 

だが完全には消えきれず、陽炎のように空気が揺れているみたいな違和感が残る。

疲労のせいか黒と紫の光が微かに漏れていた。

 

かなり不安定な透明化、それでも今は十分だ。

俺は外に出て人気のない通路へ身体を滑り込ませて、そのまま倉庫を後にした。

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