TS転生失敗作ちゃんが頑張る話   作:cannolo

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8.境界線の向こう側

 

ブレイバー、本名、白尾悠。

それが目の前にいるヒーローの名前だ。

漫画『アステリオン』において、かなりの人気を誇っていたヒーロー。

 

彼には強大な力も無ければ圧倒的なカリスマがあるタイプでもない。

どちらかと言えば地味だ。

泥臭くて、怪我ばかりして、いつも満身創痍で、それでも誰かを助けるために戦いへ向かう。

 

そんなヒーローだ。だから俺も好きだった。

ブラック企業で心を擦り減らしていた頃、俺にとって『アステリオン』は数少ない楽しみだった。

仕事終わり、終電間際のスーパーで安い飯を買って、ボロボロの部屋へ戻って、疲れ切った頭で漫画を読む。

 

その時間だけが、現実から少し離れられる時間だった。

 

中でもブレイバーは特別だった。

怖くても、傷付いても、それでも立ち上がる。

強くなくて、完璧じゃなくても人は前を向くことができるのだと。

そんな姿に何度勇気づけられたか分からない。

前世で最期に両親に謝罪する勇気を出すことができたのも彼のおかげだ。

 

そのブレイバーが今、目の前にいる。

 

「改めて礼を言うよ、ありがとう」

 

白と緑のスーツを纏ったヒーローは、小さく笑った。

 

「僕はASC警備保障所属のヒーロー、ブレイバーだ」

 

思わず息が詰まる、現実感が無い。

漫画の中のキャラクターが、そのまま目の前へ現れたみたいだった。

いや、実際そうなんだけど。

でも本当にいる。

血を流して、呼吸して、汗を滲ませながら、ここへ立っている。

思わず、じっとその姿を見てしまう。

 

戦闘で乱れた茶髪、疲労を滲ませながらも真っ直ぐな視線。

その場にいるだけで不思議な安心感がある。

間違いなく俺の知っているブレイバーだ。

 

だがそこで、違和感に気付く。

 

視線が、ブレイバー──白尾悠のヒーロースーツへ向いた。

白と緑を基調にしたデザイン。

だが、俺の知っているブレイバーのスーツとはかなり違う。

 

原作中盤以降で見慣れていたスーツは、もっと洗練されていたはずだ。

流線型の装甲に発光ライン。

高機動仕様の補助ユニット。

企業所属のヒーローらしい高級感があり、戦闘用でありながらどこか未来的で完成されたデザインだった。

 

でも今、悠が着ているスーツは違う。

全体的にシンプルで、装甲も最低限。補助装備も少なく、機能性だけを優先して組み上げたような無骨さがある。

言い方は悪いが、かなり安物っぽかった。

 

近くで見ると、その印象はさらに強くなる。

白い装甲部分には細かな擦り傷が走り、緑色のライン塗装も一部剥げていた。よく見れば補修跡らしき箇所まである。

 

そこでようやく思い出した。

原作のASC警備保障は、かなり経営難だったはずだ。

利益も少なく、装備開発へ金を回せない。

だからブレイバーも最初の頃は、型落ち装備を使い回していたという設定があった。

 

中盤以降ASCの経営難が解決してから、ようやく専用スーツが開発される。

漫画で読んでいた時は、“そういう設定”くらいにしか思っていなかった。

でも、実際に目の前で見ると違う。

このスーツは、本当に余裕が無い中で使い続けられてきた装備なんだと分かってしまう。

 

それでも、この人は戦っている。

廃棄区画みたいな危険地帯で。

 

しかもさっきの戦闘。

原作で見慣れたブレイバーなら、あの程度のヴィラン相手にあそこまで押されない。

もっと強かったはずだ。

もっと速くて、もっと洗練されていた。

 

つまり、今のブレイバーはまだ完成前なんだ。

原作で俺が見ていたヒーローとしての姿へ辿り着く前の、未完成な時期。

 

その事実に、妙な実感が湧く。

漫画の中でしか知らなかったキャラクターにも、ちゃんと“過去”がある。

当然のことなのに、実際目の前で見ると不思議だった。

 

「どうかしたかい?」

 

悠が少し不思議そうに目を瞬かせる。

 

「あ、いえ、なんでもありません」

 

危ない、じろじろ見すぎた。

誤魔化すように視線を逸らそうとした瞬間、悠の視線が俺の脇腹へ落ちた。

 

「君も怪我をしてるね」

 

「え?」

 

「さっきから庇ってる様子だったから気になってたんだ」

 

その言葉に、思わず目を見開く。

 

気付かれてた。

フィンとの戦いで負った傷は、まだ完全には治っていない。

さっきも無理に動いたせいで痛みが戻ってきていた。

反射的に脇腹を押さえる。

 

「まあ、軽傷ですよ」

 

「そうは見えないけど…」

 

悠は苦笑した。

 

その笑い方まで、原作のイメージ通りだった。

本気で相手を気遣っているのが自然と伝わってくる。

だからこそ、この人は原作でも人気があったのだろう。

 

強いだけじゃない、信頼できるヒーローだから。

 

「あなたこそ怪我酷いじゃないですか」

 

思わずそう返す。

悠は肩口へ視線を落とした。

破れたスーツの隙間から、まだ血が滲んでいる。

近くで見ると、やはり損耗が激しい。

原作後半で着ていた高性能スーツとはまるで違う。

今のこれは、戦える最低限を無理矢理維持しているみたいな装備だった。

 

「あぁ、少し無茶をしたかな」

 

「少しには見えませんよ」

 

さっきの悠のように思わず即答してしまう。

彼は少し困ったように笑った。

 

「厳しいなぁ」

 

だが、その直後。

 

「っ……」

 

小さく息が漏れ、一瞬だけ表情が歪む。

やっぱり無理をしてる。

 

原作でもブレイバーはこういうヒーローだった。

常に誰かを気遣って、自分のことは一番最後。

いつも限界まで戦って、それでも誰かが助けを求めれば必ず立ち上がる。

最初は装備だって恵まれていたわけじゃない。

 

それでも戦い続けていた。

読者として見ていた時は、ただその姿を格好いいと思っていた。

でも実際に目の前で見ると、普通に心配になる。

 

「少し休んだほうがいいんじゃないですか」

 

思わずそう口にしていた。

悠は一瞬きょとんとした顔をした後、小さく笑う。

 

「大丈夫」

 

即答だった。

 

「まだ付近にヴィランが潜んでるかもしれないから」

 

そう言いながら、悠は周囲へ視線を向ける。

 

砕けた道路、横転した車、崩れた外壁。

そして、そこで伸びているヴィラン達。

改めて見返すと、かなり酷い有様だった。

 

「……」

 

気まずい、無意識に自分の起こした惨状から視線を逸らす。

さっきは咄嗟だったとはいえ、ちょっとやりすぎた気がする。

というか最近、能力の出力調整が妙に難しい。

 

以前より意識してイデアを扱うのが難しい。

今は少し力を込めるだけで周囲ごと吹き飛びそうになる。

フィンとの戦闘以降、感覚が少し変わっていた。

 

「……すみません」

 

気付けば口から謝罪が漏れていた。

 

「ん?」

 

「いえ、ちょっとやりすぎたかなぁ、と」

 

悠は周囲を見渡した後、苦笑する。

 

「まあ、そうだね。正直かなり驚いたよ」

 

「私も驚きましたよ」

 

「やった本人なのに?」

 

「もっとこう、小規模な空気砲みたいなの想像してたんですけど……」

 

「結果は道路崩壊か」

 

「本当にすみません……」

 

悠は小さく笑った。

呆れている感じではなかった。

むしろ、どこか安心したみたいな空気すらある。

 

「でも、おかげで本当に助かったよ」

 

その言葉に、胸の奥が少し熱くなる。

原作で見ていたヒーローが、今、自分へ向かって礼を言っている。

 

それだけで妙な高揚感があった。

俺がそんなことを考えていると、悠がふと思い出したように口を開く。

 

「そういえば、まだ名前を聞いてなかったよね」

 

「あ……」

 

一瞬だけ迷う。

今の俺は、ヒーロー側からもヴィラン側からも微妙に目を付けられている立場だ。

本名を出すべきじゃないのかもしれない。

 

でも、目の前にいるのはブレイバー、推しだ。

推しに嘘をつくのはなんとなく嫌だった。

 

「榊透也です」

 

「透也さん、か」

 

悠はその名前を一度口の中で転がすみたいに繰り返した。

自分の名前を、推しの口から呼ばれる。

それだけなのに妙に落ち着かなかった。

 

「僕は白尾悠」

 

知ってる、反射的にそう言いそうになって、慌てて飲み込む。

危ない。

 

「よろしく、透也さん」

 

そう言って差し出された手を見て、一瞬固まる。

 

……握手だ。

 

いや待て、ブレイバーと?

本物の推しと?

脳が追い付かない。

 

「……?」

 

「あ、いや」

 

慌てて手を伸ばす。

触れた手は少し熱かったが出血と疲労のせいだろうか?

それでも、握る力はしっかりしている。

 

「よろしくお願いします……」

 

なんかもう色々限界だった。

前世で好きだったキャラクターと実際に出会って話して触れ合ってるって何、夢?

そんな俺の混乱など知らないまま、悠は静かに口を開く。

 

「透也さんって、病院には行ってる?」

 

「え?」

 

「怪我。血が滲んでいるよ」

 

悠はそう言って俺の脇腹あたりを指さした。

その言葉に、俺は一瞬口を閉ざした。

 

病院になんて行けるわけがない。

金も無く、身元を保証できるものもない。

そもそも今の俺は、半分指名手配みたいな扱いだ。

下手に病院へ行けば、それだけで面倒ごとになる。

 

俺が黙り込んだのを見て、悠は何かを察したようだった。

 

「……何か事情があるんだね」

 

「まぁ、そうですね。色々と…」

 

誤魔化すように答える。

悠は少し考え込むように視線を落とした後、静かに口を開いた。

 

「なら、うちに来るかい?」

 

「……え?」

 

思わず目を瞬かせる。

 

うちって何?家?

推しの家に入るとか許されるのか。

 

「そ、それって大丈夫なんですか?」

 

「うん?」

 

「いや、その……初対面ですよ?」

 

「そうだね」

 

悠は普通に頷いた。

 

「でも、透也さんは僕を助けてくれたから」

 

あまりにも自然にそう言う。

そこへ変な打算とか警戒が混ざっていないのが、この人らしかった。

 

「いやでもちょっと、家は……」

 

「家?」

 

悠は少しきょとんとした後、小さく笑った。

 

「あぁ、違う違う。会社の方」

 

「会社?」

 

「ASC警備保障。簡単な治療程度ならできるよ」

 

そう言いながら、悠は肩を竦める。

 

「僕さ、こう見えて意外と結構怪我が多いから会社に色々と治療道具が常備されてるんだ」

 

「……」

 

何が意外となんだろうか。

原作でもしょっちゅう怪我してたし、現在進行形で酷い怪我だ。

というかこの人、怪我が多い自覚あったんだな。

 

「治療って言っても大したものじゃないけど、病院に行けないならそのまま放置するよりはずっとマシだと思う」

 

俺は少し黙り込む。

正直、迷った。

知らない場所へ行くのは危険だ。

今の俺は、誰かを簡単に信用できる立場じゃない。

 

でも、ASC警備保障は原作では比較的序盤からちょくちょく登場していた民間警備会社だ。

 

大手ヒーロー企業ではなく規模も小さい。

だが、ヴィランの調査で主人公達へ協力することが多く、読者人気は結構高かった。

 

古い雑居ビルに構えた小さな事務所。

経営以外の全てに才能を全振りした社長。

いつも疲れた顔で大量の仕事を処理している苦労人事務員。

そしてブレイバーこと白尾悠。

原作でも、妙に空気感の良い組織だったのを覚えている。

 

もちろん、現実は漫画みたいに都合よくはいかないだろう。

それでも、原作知識のおかげでフィンのような裏切りの可能性はないと断言できる。

ASC警備保障は信用できる組織だ。

 

「どうする?」

 

悠が静かに聞いてくる。

 

「もちろん無理には誘わないけど、傷はちゃんと診てもらった方がいいと思う」

 

真っ直ぐな声だった。

打算無しに本当に純粋に心配しているのが分かる。

 

だから困る。

こういう善意の塊のような人は苦手だ。

善意100%で話を持ちかけてくるから、断ると罪悪感が湧いてくるせいで断りづらい。

 

「……ご迷惑じゃないなら」

 

気付けば、そう答えていた。

悠は少しだけ目を丸くした後、柔らかく笑った。

 

「もちろん」

 

その笑顔を見て、少しだけ肩の力が抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま俺達は廃棄区画の通路を歩き始めた。

 

崩れたビル、錆びた配管、壁を埋め尽くす落書き。

時折遠くから響く銃声。

普通の人間なら近付きたがらない場所なのに、悠は慣れた様子で周囲を警戒しながら歩いていた。

 

原作でも、ブレイバーは廃棄区画での活動が多かった。

大企業ヒーローが嫌がる危険区域へ自分から突っ込んでた。

無鉄砲だけど常に誰かのために行動する姿が読者に人気だったのを覚えている。

 

だが、実際にその姿を見ると思っていた以上に危なっかしい。

 

「……よくこんな場所で活動してますよね」

 

気付けば、そんな言葉が口から出ていた。

悠は少しだけ目を瞬かせる。

 

「廃棄区画?」

 

「はい。普通のヒーローって、あんまり来ないイメージだったんで」

 

「あぁ、確かに少ないね」

 

悠は納得したように頷いた。

 

「危険だからですか?」

 

「それもあるけど」

 

悠は少し考えるように視線を上げる。

 

「単純に割に合わないんだと思う」

 

「割に合わない?」

 

「廃棄区画って、被害規模の割に評価へ繋がりにくいから」

 

その言葉に、嫌な現実味を感じた。

ヒーローも仕事だ。

企業所属ならスポンサーや評価も関わる。

危険度の高い廃棄区画は既に世間から見捨てられているから、功績を上げても見返りが少ない。

だから積極的に来たがるヒーローが少ない。

 

これは原作でも語られていた設定だ。

 

「でも、ここにも助けを求めてる人はいるから」

 

悠は静かに言う。

 

「危険でも見返りがなくても、助けを求める人がいるなら僕は戦うよ」

 

その言葉に、思わず横顔を見る。

気負った様子は無い。

格好つけているわけでもない。

本当に、当たり前みたいに言っている。

この人は根っからヒーローなんだなと改めて思った。

 

「なんか、ヒーローみたいですね…」

 

思わず呟くと、すると悠は少し困ったように笑った。

 

「一応ヒーローだからね」

 

なんというか。

原作で見ていた時より、ずっと自然だ。

もっと理想論を根性で押し通すようなタイプかと思っていた。

 

そんなことを考えていると、悠がふとこちらを見た。

 

「透也さんって、廃棄区画長いの?」

 

「え?」

 

「遠くの銃声も気にしないし、慣れてる感じがしたから」

 

少しだけ言葉に詰まる。

どう答えるべきだろう。

そこまで長くはないが、転生したりして慣れざるを得ませんでした、なんて言えるわけがない。

 

「まぁ、そうですね…」

 

結果、曖昧に答える。

悠は深く追及しなかった。

 

「そっか」

 

それだけだった。

聞きたいことはあるだろうに、無理に踏み込んでこない。

その距離感がありがたかった。

 

しばらく歩き続けると、やがて周囲の景色が少しずつ変わり始めた。

崩れた建物が減り、舗装された道路が増えていく。

壁の落書きも少なくなり、街灯もちゃんと機能していた。

廃棄区画の外縁部だ。

 

境界を越えた瞬間、空気そのものが変わった気がした。

道を歩く人間の服装も違う。

店がちゃんと営業している。

監視ドローンも飛んでいる。

当たり前の街並み。

 

でも今の俺には、その当たり前が妙に遠く感じた。

 

「……久しぶりかも」

 

気付けば、小さく呟いていた。

 

「ん?」

 

「あ、いや……普通の街に来るの」

 

悠は少しだけ目を細める。

だが何も聞かなかった。

代わりに歩幅を少し緩める。

その気遣いが、この人らしい。

 

さらに十分ほど歩いた頃、都市部から少し外れた一角で、悠が足を止めた。

 

「着いたよ」

 

視線の先には古びた雑居ビルが建っていた。

五階建てくらいだろうか。

大企業みたいな派手さは無い。

外壁も少し古いし、入口周辺も決して綺麗とは言えない。

だが、ちゃんと管理はされているのが分かる。

 

入口横には小さな看板。

 

『ASC警備保障』

 

その文字を見た瞬間、不思議な感覚に襲われた。

知っている場所だ。

もちろん実際に来たことは無いが、原作で何度も見た。

主人公達が依頼へ来たり、情報交換したり、社長が騒いで事務員の人が頭を抱えたり。

そういうシーンで何度も登場していた場所。

 

漫画の中の背景だった場所が、今は現実として目の前に存在している。

 

「どうかした?」

 

「あ、いや……」

 

危ない。

また反応がおかしくなるところだった。

 

「思ったより普通の会社だなって」

 

「まあ、普通の会社だからね」

 

悠は少し苦笑する。

 

「社長はかなり変わってるけど」

 

それは原作知識で知っている。

 

原作でもASCの社長は、とにかく行動力の塊みたいな人だったと記憶している。

勢いで無謀な案件を取ってきて、事務員が頭を抱える。

無茶な作戦を思い付き、悠が巻き込まれる。

でも最後には、なんだかんだ全部まとめてしまう。

活発なキャラで読者人気も高かった。

 

そんなことを思い出しながら、俺はASC警備保障のビルを見上げた。

 

ここが、原作で見ていた場所。

 

そして多分、俺の人生がまた大きく変わる場所だった。

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