朝起きたら儒烏風亭らでんになっていた。なお、本物は今日も普通に配信している 作:好きな性癖発表ドラゴン
ぺこさんが安全確保された。
担当Aからその報告が来た時、避難所には少しだけ空気が戻った。
ニコさんは相変わらず、
『初救助成功?』
『いや俺ら何者?』
なんて言っていたし、ハジさんは、
『避難所、名前通りになってきたな』
と短く返していた。
スウさんは、
『よかったです。本当に』
と、何度も言っていた。
俺も、そう思った。
本当によかった。
長い耳が隠せず、スーパーのトイレで震えていた誰かが、少なくとも今は一人ではなくなった。
それは間違いなく、よかったことだ。
けれど、スマホを置いたあと。
俺の胸には、別の重さが残っていた。
ぺこさんは、隠せなかった。
長い耳があった。
感情で動いた。
帽子にもフードにも収まらなかった。
だから外に逃げるしかなかった。
だから、公式側の保護が必要になった。
俺は、隠せている。
帽子を深くかぶれば、髪はごまかせる。
マスクをすれば、顔の下半分は隠せる。
眼鏡とフードと暗い部屋を合わせれば、両親の前でもまだ誤魔化せる。
それは幸運なのかもしれない。
でも同時に、最悪でもあった。
隠せるから、嘘を続けられてしまう。
隠せるから、家族を騙せてしまう。
隠せるから、俺はまだ、自分の部屋の中で“佐伯悠真のふり”ができてしまう。
「……悠真、か」
声に出してみる。
佐伯悠真。
それが、俺の名前らしい。
スマホの登録情報。
社員証。
保険証。
部屋の中の書類。
いくつものものが、その名前を指している。
けれど、胸の奥は少しも反応しなかった。
知らない名前ではない。
でも、自分の名前だとも思えない。
ただ、下の階から母親がその名前を呼んだ時だけ、身体の奥が小さく反応する。
記憶ではない。
もっと深いところに残った、反射のようなもの。
「……今日、か」
俺はスマホの画面を伏せて、鏡を見た。
黒髪の少女が、そこにいた。
儒烏風亭らでん。
画面の向こうにも、彼女はいる。
俺は彼女ではない。
中の人でもない。
それでも、今の俺はこの姿だ。
この顔を、両親に見せる。
昨日、父親は言った。
明日、ちゃんと顔を見せろ。
それが無理なら、俺たちも動く。
もう逃げられない。
いや。
たぶん、逃げようと思えば逃げられる。
足は速い。
窓から飛び降りても、もしかしたら大丈夫かもしれない。
階段だって一瞬で駆け下りられる。
でも、それは違う。
そういう逃げ方をしたら、俺は本当にこの家からいなくなる。
俺が俺であるかどうかすら曖昧なまま、家族との繋がりまで切れてしまう。
それは、怖かった。
俺は担当Aにメッセージを送った。
『今日、家族にある程度説明する必要があります』
『どこまで話していいですか』
『本来のタレントやホロライブに迷惑がかかる話し方は避けたいです』
しばらくして、返信が来た。
『ご相談ありがとうございます』
『まず、現在の状況をご家族に全て説明する必要はありません』
『ただし、見た目や声の変化を長く隠し続けることは難しいと思われます』
『段階的な説明を推奨します』
続けて、箇条書きが届く。
『一、見た目が変わっていること』
『二、自分でも原因が分からないこと』
『三、記憶に欠落があること』
『四、危険な行為をしたわけではないこと』
『五、外部相談先と連絡を取っていること』
『六、写真撮影・SNS投稿・第三者共有を控えてほしいこと』
『七、本来のタレント本人に関する話題には、必要以上に触れないこと』
俺はその文章を何度も読んだ。
見た目が変わっていること。
文字にすると、異様に淡々としている。
でも、その一文の中に、俺の今の恐怖のほとんどが詰まっていた。
担当Aから、さらに文章が来る。
『可能であれば、直接姿を見せる前に、短い文章で状況を伝えてください』
『ご家族が驚き、強い反応を示す可能性があります』
『怒りや混乱があっても、すぐに否定されたと判断せず、安全確保を優先してください』
『ご家族に写真を撮られそうになった場合は、明確に拒否してください』
『必要であれば、こちらも次回以降、ご家族同席の匿名面談を検討します』
ご家族同席。
その言葉を見て、胸が少しだけ詰まった。
家族に、公式を名乗る担当Aと話してもらう。
そんなところまで来てしまった。
俺は避難所にも報告した。
『今日、家族に顔を見せます』
スウさんから、すぐに返事が来た。
『怖いと思います』
『でも、ひとりで抱え続けるよりは、少し楽になるかもしれません』
『無理はしないでください』
ニコさん。
『家族バレ回、重要イベント』
『いや茶化してごめん』
『本当に頑張って』
ハジさん。
『逃げ道は……いや、今日は逃げない方がいいな』
『でも無理なら逃げろ』
『矛盾してるけど、そういうことだ』
ぺこさんからも、少し遅れてメッセージが来た。
『家族に見せられるなら、見せた方がいいと思う』
『俺は耳で詰んだから、言う前に逃げた』
『後悔してるかはまだ分からないけど、今も家に帰れない』
『帰れる場所があるうちに、話せるなら話した方がいい気がする』
その言葉が、一番刺さった。
帰れる場所。
俺には、まだある。
ドアの向こうに、母親がいる。
リビングには、父親がいる。
名前は思い出せない。
どんな家族だったのかも、ちゃんとは分からない。
でも、味噌汁の匂いを嗅いだ時、この家だと思った。
階段の軋む音に、心臓が反応した。
母親の声に、怖さと同時に、ほんの少しだけ安心もあった。
だったら、まだ完全には切れていない。
俺は机に向かった。
いきなり顔を見せるのは、無理だ。
まず文章にする。
スマホのメモを開き、打ち始めた。
『今から話すことは、たぶん信じられないと思う。
でも、嘘ではない。
俺は今、自分の見た目が変わっている。
声も変わっている。
記憶もかなり抜けている。
自分でも原因は分からない。
危ないことをしたわけではない。
外部の相談先とも連絡を取っている。
お願いだから、写真を撮ったり、誰かに送ったり、SNSに書いたりしないでほしい。
まずは、怒らずに聞いてほしい。』
打ち終えて、しばらく画面を見つめた。
文章にすると、現実になる。
俺は本当に、これを家族に見せるのか。
この顔を。
この声を。
この身体を。
佐伯悠真です、と言うのか。
手が震えていた。
でも、送らなければ進まない。
いや、紙の方がいい。
スマホで送ると、残る。
転送できる。
スクショもできる。
家族を疑うわけじゃない。
でも、情報管理を考えるなら、紙の方がまだいい。
プリンターはない。
手書きにする。
机の引き出しから、ノートを出す。
ペンを持つ。
その手が、自分のものではないように細い。
でも、字を書き始めると、手は動いた。
元の俺の字なのか。
この身体の字なのか。
それすら分からない。
ただ、震えた線で、文章を書いた。
夕方。
家の中が少し静かになったタイミングで、俺はドアの前に立った。
帽子。
マスク。
眼鏡。
フード。
まだ全部つけている。
でも今日は、外す。
外さなければならない。
俺はドア越しに声を出した。
「話したいことがある」
声が震えた。
自分のものじゃない声で震えると、余計に情けない。
階下で物音が止まる。
しばらくして、階段を上がる足音。
母親。
父親。
二人分。
ドアの前に立つ気配がした。
「悠真?」
母親の声がした。
その名前に、身体の奥が小さく跳ねた。
悠真。
呼ばれた。
たぶん、俺の名前。
でも、その音に振り向く感覚だけは、身体のどこかに残っていた。
「その前に、これ読んで」
俺はドアを少しだけ開け、隙間から折った紙を差し出した。
指先が見える。
母親がそれを受け取る。
ドアを閉める。
廊下の向こうで、紙を開く音がした。
沈黙。
長い。
あまりにも長い。
紙に書いた言葉が、今、両親の頭の中に入っている。
信じられないと思う。
見た目が変わっている。
声も変わっている。
記憶も抜けている。
写真を撮らないでほしい。
怒らずに聞いてほしい。
廊下の空気が変わっていくのが分かった。
「……見た目が変わっているって、どういうこと?」
母親の声は、掠れていた。
俺はドア越しに答えた。
「そのままの意味」
「誰かに脅されてるのか」
父親の声。
「違う」
「何か薬を飲んだのか」
「違う」
「じゃあ、何だ」
「俺にも分からない」
自分で言って、胸が苦しくなった。
本当に分からない。
俺は、何も分かっていない。
でも、向き合うしかない。
「開ける」
俺は言った。
「でも、驚くと思う」
廊下が静かになる。
母親が小さく言った。
「……うん」
その一音に、怖さが滲んでいた。
俺は鏡の前に立った。
帽子に手をかける。
外す。
黒い髪が落ちる。
マスクに手をかける。
外す。
知らない少女の顔が、鏡の中に現れる。
眼鏡も外す。
フードも下ろす。
もう、隠すものはない。
儒烏風亭らでんの姿をした俺が、そこにいる。
人間は未知の情報を受け取る時、まず視覚から――
違う。
今、解説して逃げるな。
俺は深く息を吸った。
ドアノブに手をかける。
ゆっくり開ける。
廊下の光が、部屋に入ってきた。
母親と父親が、そこにいた。
二人の視線が、俺の顔で止まる。
沈黙。
母親の手から、紙が落ちそうになる。
父親は一歩前に出かけて、止まった。
母親が、震える声で言った。
「……誰?」
その一言は、思っていた以上に痛かった。
分かっていた。
そう言われると分かっていた。
だって、俺だってこの顔を見てそう思った。
誰だよ、と。
でも、家族に言われると、胸の奥がぐしゃっと潰れた。
俺は唇を噛んだ。
この顔で泣きたくなかった。
でも、目の奥が熱い。
「俺」
声が震えた。
「佐伯悠真、だと思う」
母親が首を振った。
「違う。だって……」
「分かってる」
俺は言った。
「顔も違う。声も違う。身体も違う。俺だって、鏡を見るたびに誰だよって思う」
父親が、硬い声で聞いた。
「名前は」
俺は少しだけ迷って、答えた。
「佐伯悠真」
その名前は、口に出してもまだ遠かった。
でも、両親の顔が少しだけ変わった。
父親が続ける。
「俺たちの名前は」
俺は首を横に振った。
「分からない」
母親の顔が歪んだ。
それを見るのが苦しかった。
「ここは」
「自分の家だって感覚はある」
「仕事は」
「あるのは分かる。でも、どこで何をしてたか、ちゃんとは分からない」
「年齢は」
「スマホの情報だと、二十五歳」
父親は黙った。
母親は、俺を見ていた。
知らない少女を見る目で。
でも、その奥に、必死に何かを探している目でもあった。
「じゃあ、あんたは本当に……悠真なの?」
「分からない」
俺は繰り返した。
「でも、下から声がした時、怖かったけど、安心もした」
母親が息を止める。
「味噌汁の匂いを嗅いだ時、ここが家だって思った」
自分でも、何を言っているのか分からなくなりそうだった。
でも、言葉は止まらなかった。
「名前は分からなかったのに、家族だって感覚だけ残ってる」
声が震える。
「だから、俺は……俺なんだと思う」
廊下に、長い沈黙が落ちた。
父親が聞いた。
「その姿は、何なんだ」
来た。
一番難しい質問。
俺は喉を押さえた。
「現実にいる配信者の、キャラクターの姿に近い」
母親が目を瞬かせる。
「配信者?」
「でも、その人本人じゃない。中の人でもない」
父親の眉が寄る。
「どういう意味だ」
「俺にも分からない。ただ、その人に迷惑がかかるかもしれない。だから写真も撮らないでほしい。誰にも送らないでほしい。SNSにも絶対に書かないでほしい」
母親が反射的にスマホを見ようとした。
検索しようとしたのかもしれない。
俺は思わず一歩前に出た。
「今は検索しないで」
声が強く出た。
母親が驚いて手を止める。
「検索履歴とか、変な投稿とか、そこから繋がるかもしれない。説明する。だから、まず聞いて」
父親が母親の手元を見て、静かに言った。
「今は調べるな」
母親はスマホを握ったまま、ゆっくり頷いた。
父親は俺を見る。
「その相談先というのは」
「公式に近い相手だと思う。確認コードも取った。個人情報は渡してない。写真も声も送ってない」
「見せられるか」
「避難所の他の人の情報は隠す。俺と担当Aのやり取りだけなら」
俺はスマホを開き、必要な部分だけを見せた。
確認コード。
公式フォームからの返信。
担当Aの注意事項。
個人情報を求めていないこと。
家族への説明についての文面。
父親は黙って読んだ。
母親も横から覗く。
信じている顔ではなかった。
でも、少なくとも、今すぐスマホを奪う顔でも、病院へ引きずっていく顔でもなかった。
「少なくとも」
父親が言った。
「今すぐ警察や病院に連れて行くよりは、この相手と話した方がいいかもしれない」
肩から力が抜けそうになった。
でも、父親は続ける。
「ただし、完全に信用はしない」
「うん」
「悠真、お前も勝手に動くな」
名前を呼ばれた。
悠真。
その音が、胸のどこかに触れた。
思い出せない。
でも、確かに反応した。
「……分かった」
母親が一歩近づいた。
俺は反射的に少し身を引きそうになった。
でも、踏みとどまる。
母親の目は、泣きそうだった。
「触ってもいい?」
その言葉に、胸が詰まった。
怖い。
この手に触れられるのが怖い。
だってこれは、俺の手じゃない。
細くて、白くて、知らない手だ。
でも、拒絶されたくなかった。
俺は黙って、手を差し出した。
母親がそっと触れる。
その指先が震えていた。
母親は、俺の手を包むように持った。
「本当に……違う手だね」
何も言えなかった。
その言葉は、責めているわけではなかった。
ただ、事実を確認しているだけだった。
だから余計に痛かった。
母親の指が、俺の親指に触れる。
その時、俺は無意識に、親指を内側へ握り込んでいた。
母親が、はっと顔を上げる。
「……でも」
「え?」
「その癖は同じ」
俺は固まった。
「緊張すると、親指を中に入れて握るの。昔から」
知らない。
そんな記憶はない。
でも、今まさに俺はそうしていた。
記憶はない。
顔も違う。
声も違う。
身体も違う。
それでも、どこかに残っているものがある。
母親は、俺の手を離さなかった。
「全部は、分からない」
母親の声が震えた。
「正直、怖い。何が起きてるのか分からない。でも……」
母親は俺の手を、少しだけ強く握った。
「その癖、悠真のだよ」
喉の奥が熱くなった。
この顔で泣きたくない。
そう思ったのに、目から涙が落ちた。
母親が息を呑む。
父親が少し視線を逸らした。
俺は慌てて袖で目を拭った。
「ごめん」
「謝らなくていい」
母親が言った。
その言葉が、さらにきつかった。
父親が咳払いをした。
「ルールを決める」
現実的な声だった。
でも、その現実的な声に少し救われた。
「写真と動画は撮らない。SNSや親戚、職場には言わない」
「うん」
「勝手に外出しない」
「……うん」
「変化があったら言う」
「分かった」
「その担当Aという相手とのやり取りは、必要なら俺たちにも見せる」
「見せる。避難所の他の人の情報は隠すけど」
「それでいい」
母親が続ける。
「ご飯はちゃんと食べる」
「それもルール?」
「ルール」
「……分かった」
「仕事のことは?」
父親が聞いた。
「もう休み続けるのは無理だろう。俺か母さんが代わりに連絡できるか、考える」
「でも、俺の職場のこと、俺が分からなくて」
「スマホに情報はあるんだろう。勝手には見ない。必要なら一緒に確認する」
勝手には見ない。
その一言に、少しだけ安心した。
スマホは、今の俺にとって命綱だ。
奪われたら終わる。
でも、一緒に確認するなら。
それなら、まだ。
「病院は?」
母親が聞く。
父親が俺を見る。
「担当Aと相談してからだ。本人確認の問題があるなら、下手に行って騒ぎになるのも危ない」
父親は、もう俺の姿から目を逸らしていなかった。
怖がっていないわけではない。
信じ切っているわけでもない。
でも、少なくとも、考えてくれている。
どう守るかを。
そのことが、胸に染みた。
「ありがとう」
声が小さく出た。
母親はまだ俺の手を握っている。
父親は少し困ったように眉を寄せた。
「礼を言う前に、まず寝ろ。顔色が悪い」
「この顔の顔色、分かる?」
「分からん。でも悪そうだ」
思わず、少しだけ笑った。
母親も、泣きそうな顔のまま少し笑った。
それで、ようやく少しだけ空気が緩んだ。
完全に理解されたわけではない。
何も解決していない。
でも、ドアのこちら側と向こう側に分かれていたものが、少しだけ同じ場所に戻った気がした。
その後、俺は部屋に戻った。
ドアは閉めた。
でも、鍵はかけなかった。
それだけで、少し世界が変わったような気がした。
避難所に報告する。
『家族に顔を見せました』
『完全には理解されていません』
『でも、写真を撮らないこと、外に漏らさないことは約束してくれました』
『父親が担当Aとのやり取りも見て、今すぐ病院や警察ではなく、相談を続ける方向になりました』
スウさん。
『よかったです』
『本当に』
ニコさん。
『家族バレ回、なんとか生還』
『いやマジでよかった』
『ちょっと泣きそう』
ハジさん。
『親、強いな』
『ちゃんと守る方向に来てくれたの大きい』
ぺこさん。
『帰れるかもしれないって思った』
『俺も、いつか話さないといけないんだな』
『怖いけど』
俺はぺこさんの言葉を見て、少し胸が痛んだ。
俺の両親は、まだ受け止めてくれた。
でも、全員がそうとは限らない。
家族に話すことが救いになる人もいれば、傷になる人もいるかもしれない。
だからこそ、慎重にしなければならない。
スマホに、担当Aからのメッセージが届いた。
『ご家族に一定の説明を行ったとのこと、共有ありがとうございます』
『必要であれば、次回の匿名テキスト面談にご家族同席も可能です』
『ただし、情報管理のため、事前に注意事項を確認させてください』
俺は画面を見つめた。
部屋の外に、足音がした。
母親が、夕食を置いてくれたらしい。
「置いとくね」
「ありがとう」
ドア越しに返すと、少し間があった。
それから母親が言う。
「食べられそう?」
「たぶん」
「また、たぶん」
声はまだ少し震えていた。
でも、さっきより柔らかかった。
「食べる」
「うん」
足音が遠ざかる。
俺はドアを開けた。
廊下に置かれた夕食から、湯気が上がっている。
いつもの味かどうかは、分からない。
でも、匂いを嗅いだ瞬間、胸の奥が少しだけ緩んだ。
記憶はない。
顔も違う。
声も違う。
それでも、ここは家なのだと、身体のどこかが覚えている。
俺は夕食を部屋に運び、スマホを見た。
担当Aのメッセージ。
『必要であれば、次回の匿名テキスト面談にご家族同席も可能です』
俺は画面を見つめ、それからドアの向こうを見た。
逃げ続けるだけでは、もう進めない。
だから俺は、小さく息を吸って、返信欄に指を置いた。