朝起きたら儒烏風亭らでんになっていた。なお、本物は今日も普通に配信している   作:好きな性癖発表ドラゴン

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第16話 あなたは誰ですか

 

 

『俺もです』

『誰かに、あなたは誰かと聞かれました』

 

 送信した直後、避難所の画面が止まった。

 

 止まったように見えた。

 

 実際には、通知は鳴っている。

 誰かが入力中になっている。

 誰かが打ち直している。

 誰かが、言葉を探している。

 

 でも、誰もすぐには送れなかった。

 

 俺も同じだった。

 

 スマホを握る指が冷たい。

 

 部屋は暗い。

 机の上の小さなライトだけが、画面の光と一緒に俺の手元を照らしている。

 

 夢だった。

 

 たぶん。

 

 でも、夢で済ませるには、声が残りすぎていた。

 

 あなた、誰?

 

 あの問いが、まだ耳の奥にある。

 

 いや、耳ではない。

 

 音ではなかった。

 

 それでも、確かに俺に向けられた声だった。

 

 最初に返事をしたのは、白い耳さんだった。

 

『私も報告します』

『白い空間でした』

『雪の中のようでもあり、配信画面のノイズのようでもありました』

『声はありませんでした』

『でも、こちらを探す気配がありました』

『見つけられた、という感覚が強かったです』

 

 ぺこさんが続く。

 

『寝てたら耳だけ起きた』

『意味分からん』

『夢の中で誰かに見られた』

『こっちは穴の中みたいな場所だった』

『怖すぎて起きたら耳が天井向いてた』

『寝癖ならぬ寝耳』

『いや笑えない』

 

 ニコさん。

 

『俺も変な夢見た』

『舞台袖みたいなところ』

『誰かが笑う前の空気だけあった』

『でも笑えなかった』

『これが一番怖い』

『俺が笑えないの、だいぶ終わり』

 

 ハジさん。

 

『俺は走ってた』

『でも前に進んでなかった』

『足だけ動いてるのに景色が変わらない』

『誰かに見られてる感じがした』

『振り返ったら起きた』

 

 スウさん。

 

『暗い部屋でした』

『誰かに見つけてもらうのを待っている感覚がありました』

『でも、見つかった瞬間、怖くなりました』

『見つけてほしいのに、見つかるのが怖いです』

 

 俺は、それぞれの報告を何度も読んだ。

 

 全員、違う場所を見ている。

 

 でも、根っこが似ている。

 

 見られる。

 探される。

 問われる。

 自分の形に合わせた場所で。

 

 俺の場合は、暗い舞台のような空間だった。

 

 美術館のようでもあり、寄席のようでもあり、配信画面の裏側のようでもあった。

 

 俺の中にある、らでんの表層。

 

 たぶん、それに近い場所。

 

 ニコさんが、重くなりすぎた空気を無理やり持ち上げるように送ってきた。

 

『これ、集団悪夢?』

『避難所、ついに夢まで同期した?』

『グループ通話ならぬグループ睡眠?』

『嫌すぎる』

 

 ぺこさん。

 

『グループ睡眠は字面がやばい』

 

 ハジさん。

 

『寝てても避難所から逃げられないのか』

 

 スウさん。

 

『でも、みんな同じような感覚だったのは少し安心します』

『一人だけだったら、もっと怖かったと思います』

 

 俺は短く打った。

 

『安心していい現象ではありません』

『ただ、一人だけではないという意味では助かります』

 

 ニコさん。

 

『ラさん、深夜でも説明が正確』

 

『正確でいないと怖いんです』

 

 送ったあと、自分でその文を見てしまった。

 

 正確でいないと怖い。

 

 そうだ。

 

 俺は怖いから整理している。

 

 怖いから文章にしている。

 

 怖いから、名前をつけようとしている。

 

 名前のないものは、暗闇の中で大きくなる。

 

 だから俺は、言葉で囲う。

 

 でも、今回のこれは、言葉で囲えるのか。

 

 担当Aへ連絡するしかなかった。

 

『複数の実体化者が、同時刻に夢・視線・声のような感覚を報告しています』

『本家コンテンツを見ていない状態でも発生しています』

『私の場合、らでんさんに似た声で「あなた、誰?」と聞かれました』

『これは本家タレント本人との接触ですか』

 

 送信。

 

 すぐには返ってこなかった。

 

 一分。

 

 二分。

 

 三分。

 

 深夜の数分は、やけに長い。

 

 避難所の画面には、誰も雑談を流さなかった。

 

 ニコさんですら黙っている。

 

 担当Aから返信が来た。

 

『現時点で、本家タレント本人との直接接触とは断定できません』

『ただし、同時刻に本家側でも複数の違和感が報告されています』

『詳細は共有できませんが、実体化者側の報告と時刻が近いものがあります』

『これを暫定的に“相互認識反応”として記録します』

 

 相互認識反応。

 

 その文字を見た瞬間、背筋が冷えた。

 

 名前がついた。

 

 名前がつくと、怖さが少し形になる。

 

 形になると、逃げ場が減る。

 

 ニコさんが、ほぼ同時に反応した。

 

『名前ついた』

『現象に名前つくと急に怖い』

 

 ぺこさん。

 

『相互認識、言葉が強い』

『こっちは耳が反応しただけなのに』

『いや、耳だけでも十分怖いけど』

 

 ハジさん。

 

『つまり向こうもこっちに気づき始めてるってことか』

 

 担当Aから追加。

 

『その可能性があります』

『ただし、意図的な接触は絶対に試みないでください』

『本家コンテンツの視聴、睡眠前の関連情報確認、音声再生などは控えてください』

『夢や感覚があった場合は、時刻・内容・身体反応を記録してください』

 

 ハジさん。

 

『試すなよって言われると試したくなるやついるだろ』

 

 俺は即座に返した。

 

『それが一番危ないのでやめてください』

 

 担当Aも続けた。

 

『本当に試さないでください』

 

 避難所が一瞬、静まり返った。

 

 担当Aの「本当に」は強い。

 

 ぺこさん。

 

『公式の本当に、重い』

 

 ニコさん。

 

『試したら怒られるやつじゃなくて、世界が変な方向に行くやつ』

 

 スウさん。

 

『誰も試さないでください』

『お願いします』

 

 白い耳さん。

 

『分かりました』

『私も、声の残りを追わないようにします』

 

 俺はスマホを置きかけて、やめた。

 

 まだ整理が必要だ。

 

 あの声は何だったのか。

 

 本家らでん本人なのか。

 それとも俺の中のらでん成分が見せた幻なのか。

 あるいは、現象そのものが作った何かなのか。

 

 俺は避難所に打った。

 

『あの声は、本家らでんさん本人そのものではないと思います』

『ただの幻とも言い切れません』

『私の中のらでん成分だけが作ったものなら、他の方にも同時に似た現象が起きた説明がつきません』

 

 白い耳さんが返す。

 

『本家側の表層と、こちら側の表層が触れているのでしょうか』

 

 俺はその文を見て、少しだけ目を細めた。

 

『かなり近いと思います』

 

 ニコさん。

 

『表層って何?』

『皮?』

 

『皮ではないです』

 

『じゃあ何』

 

 俺は、できるだけ短くしようと意識した。

 

『人格の奥ではなく、配信やキャラクターとして外に向いている部分、という意味です』

『本家タレント本人の私的な内面ではなく、公式上・配信上で外へ出ている“顔”に近いものです』

 

 ぺこさん。

 

『つまり、本家の中の全部じゃなくて、表に出てるぺこらっぽい部分?』

 

『そういう理解でいいと思います』

 

 ハジさん。

 

『本体じゃなくて、外向きの反響か』

 

『はい』

『本家本人そのものではない』

『でも完全な幻でもない』

『本家タレントとして外に向いている表層と、私たち実体化者側の表層が触れた反応』

『それが今の仮説です』

 

 スウさん。

 

『それなら、少しだけ怖さが減ります』

『本家の方の全部に触れてしまったわけではないなら』

 

 俺もそう思いたかった。

 

 本家本人そのものではない。

 

 そこは大事だった。

 

 俺たちは、画面の向こうにいる本物たちの生活や内面に踏み込んでいい存在ではない。

 

 俺たちは本人ではない。

 

 中の人でもない。

 

 でも、完全に無関係でもない。

 

 その危うい中間にいる。

 

 ニコさん。

 

『つまり、向こうの表面とこっちの表面が、静電気みたいにバチッた?』

 

 俺は少し考える。

 

『雑ですが、少し近いです』

 

『近いんだ』

 

 ぺこさん。

 

『静電気で耳立つの嫌すぎる』

 

 白い耳さん。

 

『尾も立ちます』

 

 ニコさん。

 

『人外勢、反応が分かりやすすぎる』

 

 少しだけ空気が緩んだ。

 

 でも担当Aからの次のメッセージで、また緊張が戻る。

 

『追加で共有します』

『昨夜から今朝にかけて、実体化者関連の投稿・検索・視聴が急増しています』

『多くの人が本家タレントと実体化者を結びつけて見始めている可能性があります』

『その集中的な認識が、相互認識反応を強めている可能性があります』

 

 俺は息を止めた。

 

 見られるほど、繋がる。

 

 繋がるほど、見られる。

 

 世論が騒ぐこと自体が、現象の燃料になるかもしれない。

 

 ニコさん。

 

『つまりトレンド入りが呪いのバフになってる?』

 

 担当A。

 

『表現はともかく、影響因子である可能性はあります』

 

 ぺこさん。

 

『呪いのバフ、否定されなかった』

 

 ハジさん。

 

『トレンド落とす方法あるのか』

 

 担当A。

 

『現実的には、直接制御は困難です』

『ただし、無断撮影・詮索の抑制、デマ拡散の抑制は行います』

『公式側からも注意喚起を出します』

 

 公式。

 

 その言葉が、また重くなる。

 

 俺たちの存在はもう、俺たちだけの問題ではない。

 

 避難所だけでもない。

 

 公式。

 本家。

 世論。

 家族。

 知らない誰かのスマホ画面。

 

 全部が、繋がり始めている。

 

 朝になって、公式の注意喚起が出た。

 

 実体化が本物だとは書かれていない。

 

 そんなこと、書けるはずがない。

 

 けれど、文面は明らかに今の騒動を意識していた。

 

『タレント本人、関係者、ならびに一般の方に関する無断撮影・詮索・拡散はお控えください』

『真偽不明の情報の拡散は、第三者の安全を損なう可能性があります』

『皆様のご理解とご協力をお願いいたします』

 

 避難所に共有されると、ニコさんがすぐに反応した。

 

『公式が動いた』

『怖いけどありがたい』

『でも世間は絶対深読みする』

 

 ぺこさん。

 

『実体化を否定してないって言われそう』

 

 ハジさん。

 

『もう言われてる』

 

 スウさん。

 

『でも、無断撮影をやめてほしいのは本当にそうです』

 

 俺も投稿の反応を見た。

 

 予想通りだった。

 

 公式が否定していない。

 いや、迷惑行為への注意だけだ。

 やっぱり企画なのか。

 AI画像だろ。

 でも現地目撃が多すぎる。

 スーパーぺこら動画どこ。

 河川敷らでん、続報は。

 白い耳の子は誰。

 リアルホロメン、怖すぎる。

 

 騒ぎは止まらない。

 

 一時的には、むしろ大きくなった。

 

 父親がリビングでスマホを見ながら言った。

 

「これ、悠真たちのことだな」

 

「たぶん」

 

「たぶんじゃないだろ」

 

「……うん」

 

 母親は不安そうに画面を見ていた。

 

「近所の人に知られたりしない?」

 

「まだ俺の写真は出てないと思う」

 

「まだ、なのね」

 

 母親の言葉に、胸が重くなる。

 

 父親がスマホを置いた。

 

「近所には絶対に知られるな」

 

「分かってる」

 

「それと、昨日言ったな」

 

「背負うな、って?」

 

「そうだ」

 

 父親は俺を見る。

 

「世界中の騒ぎを、お前一人が整理しようとするな」

 

 俺は言葉に詰まった。

 

 たぶん、しようとしていた。

 

 トレンドを見て、投稿を見て、真偽を分けて、避難所に共有して、担当Aへ報告して、対応策を考えて。

 

 そうしないと、落ち着かなかった。

 

 でも父親の言う通り、世界中の騒ぎは一人で整理できるものではない。

 

 母親が静かに言う。

 

「でも、誰か一人に言葉が届けば、それで十分な日もあるよ」

 

 俺は母親を見た。

 

 その言葉は、昨日のぺこさんの帰宅を思い出させた。

 

 帰ってきていい。

 

 たったそれだけの言葉が、誰かの玄関を開けた。

 

「……うん」

 

 俺は頷く。

 

「今日は、一人ずつでいい」

 

 父親が少しだけ頷いた。

 

「それでいい」

 

 避難所では、「あなた、誰?」についての話が続いていた。

 

 ニコさん。

 

『正直、聞かれたら困る』

『俺も俺の名前分からんし』

『笑虎ではない』

『でもニコさんとして馴染み始めてるのも怖い』

 

 ぺこさん。

 

『ぺこらではない』

『でもぺこさんって呼ばれると返事する』

『嫌ではない』

『それが怖い』

 

 ハジさん。

 

『番長じゃない』

『でもハジって呼ばれると反応する』

『まあ便利だからいい』

 

 スウさん。

 

『水宮枢さんではありません』

『でもスウさんと呼ばれると、少し安心します』

 

 白い耳さん。

 

『本家ではない』

『元の自分でも完全にはない』

『今の呼び名が、一時的な足場になっている気がします』

 

 俺は画面を見つめた。

 

 佐伯悠真。

 

 ラさん。

 

 儒烏風亭らでんの姿。

 

 全部、本当だ。

 

 でも、どれも完全ではない。

 

 佐伯悠真の記憶は、まだ欠けている。

 ラさんは、避難所での仮名にすぎない。

 儒烏風亭らでんでは、絶対にない。

 

 でも、この姿と表層を完全に拒絶したら、俺は今の自分の半分を切り捨てることになる。

 

 俺はゆっくり打った。

 

『今は、ひとつの名前に決めなくてもいいのかもしれません』

『佐伯悠真でありたい』

『ラさんとして避難所にいる』

『らでんさんではない』

『でも、らでんさんの姿と表層を持っている』

『その全部を否定しないで、整理していくしかないと思います』

 

 ニコさん。

 

『ラさん、今日のまとめ強い』

 

 ぺこさん。

 

『ちょっと泣きそう』

 

 ハジさん。

 

『長いけど分かった』

 

『長いは余計です』

 

 スウさん。

 

『でも、分かりました』

『ひとつに決めなくてもいいんですね』

 

 白い耳さん。

 

『足場、という言葉が近い気がします』

『今は、それぞれの名前を足場にします』

 

 足場。

 

 たぶん、それでいい。

 

 俺たちは、まだ橋の途中にいる。

 

 元の自分にも戻れていない。

 

 本家でもない。

 

 世間に見つかり始めている。

 

 画面の向こうからも、見返され始めている。

 

 だから今は、落ちないための足場が必要だ。

 

 夜。

 

 寝るのが怖かった。

 

 また声がするかもしれない。

 

 また問われるかもしれない。

 

 あなたは誰?

 

 そう聞かれて、俺はまだ答えられる気がしない。

 

 母親が温かい飲み物を置いてくれた。

 

「寝られそう?」

 

「分からない」

 

「起きたら呼んで」

 

「また夢を見たら?」

 

「それも教えて」

 

 父親も部屋の前で言った。

 

「スマホは伏せとけ」

 

「うん」

 

「鍵は?」

 

「かけない」

 

「よし」

 

 部屋のドアが閉まる。

 

 鍵はかけない。

 

 スマホは机に伏せる。

 

 本家らでんは見ない。

 

 関連投稿も開かない。

 

 それでも、眠りに落ちる瞬間、またあの場所に立っていた。

 

 暗い舞台のような場所。

 

 美術館のようでもある。

 寄席のようでもある。

 配信画面の裏側のようでもある。

 

 前より、少しだけ輪郭がある。

 

 目の前に、文字が浮かんでいた。

 

『あなたは誰?』

 

 前と同じ問い。

 

 でも、今度は少しだけ違った。

 

 声ではない。

 

 文字だった。

 

 俺は答えようとした。

 

 佐伯悠真。

 

 ラさん。

 

 儒烏風亭らでんではない。

 

 でも、その姿をしている。

 

 まだ、分からない。

 

 そう思った瞬間、文字が揺れた。

 

 そして、別の言葉が残る。

 

『なら、探して』

 

 目が覚めた時、部屋は暗かった。

 

 息が荒い。

 

 心臓が速い。

 

 スマホが震える。

 

 俺は震える手で画面を開いた。

 

 白い耳さんから。

 

『また、文字を見ました』

『探して、と』

 

 続けて、ぺこさん。

 

『俺も』

『耳がその言葉に反応した』

 

 ニコさんの文は短かった。

 

『笑えない』

『探してって何を』

 

 ハジさん。

 

『走って探すなってことだけは分かる』

 

 スウさん。

 

『怖いです』

『でも、前より少しだけ、問いが変わった気がします』

 

 俺は画面を見つめた。

 

 こちらを見返してきた向こう側は、今度は、俺たちに何かを探させようとしている。

 

 何を。

 

 元の自分を。

 

 本家との安全な距離を。

 

 実体化現象の原因を。

 

 欠けた記憶を。

 

 それとも、画面の向こうで生まれ始めた違和感の源を。

 

 答えは、まだない。

 

 でも、問いだけは残った。

 

『なら、探して』

 

 その文字が、目を閉じても消えなかった。

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