朝起きたら儒烏風亭らでんになっていた。なお、本物は今日も普通に配信している   作:好きな性癖発表ドラゴン

7 / 14
第6話 画面の向こうも揺れている

 

 

 画面の中の儒烏風亭らでんは、いつものように笑っていた。

 

 少なくとも、そう見えた。

 

 コメントを拾って、話を広げて、少し間を置いて、また笑う。

 

 その流れを、俺の身体は知っている。

 

 どうして知っているのかは分からない。

 

 俺自身に、その配信を見た記憶はない。

 美術のことも、落語のことも、語りの間のことも、ちゃんと思い出せるわけじゃない。

 

 なのに、分かる。

 

 次にどこで言葉を切るのか。

 どこで視聴者の反応を待つのか。

 どこで少しだけ笑いに逃がすのか。

 

 それが、身体の奥に沈んでいる。

 

 だからこそ、分かった。

 

 画面の中の彼女が、一瞬だけ止まったことに。

 

 ほんの一秒。

 

 普通なら見逃すくらいの間。

 

 でも俺には、それがただの沈黙じゃないと分かってしまった。

 

 言葉が出そうで、出ない。

 何かが喉の奥に引っかかったような、変な間。

 

 画面の中のらでんが、少しだけ首を傾げた。

 

「……なんか今日、変な感じがするんですよね」

 

 その声を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。

 

 スマホが震える。

 

 スウさんからだった。

 

『本家の枢さんも、今日少し変だったみたいです』

 

 続けて、ニコさん。

 

『こっちも』

『笑虎さん、なんか一瞬止まってたって言われてる』

『何これ』

『画面の向こうもバグってる?』

『怖いんだけど、怖いって言うと怖すぎるから一回笑っていい?』

 

 俺は返信欄を開いた。

 

 何を打つべきか、一瞬迷う。

 

 迷った結果、いつもの悪い癖が出た。

 

『仮説としては三つあります』

『一つ、こちら側の存在が本家側に何らかの感覚として届いている』

『二つ、本家側に起きた異変がこちら側を生んだ』

『三つ、私たちと本家側の双方が、同じ原因から影響を受けている』

 

 送ってから、頭を抱えた。

 

 長い。

 

 即座にスウさんから返信。

 

『ラさん、説明モード入ってます』

 

 ニコさんも続く。

 

『黒板ほしい』

『あとチョーク』

『今なら講義受けられる気がする』

 

『止めてください。続きます』

 

『続くんだ』

 

 俺はスマホを見ながら、思わず息を吐いた。

 

 冗談を挟めるだけ、まだマシなのかもしれない。

 

 けれど、内容はまったく笑えなかった。

 

 本家側にも違和感が出ている。

 

 それが本当に俺たちのせいなのかは分からない。

 

 偶然かもしれない。

 配信者として、ただ少し調子が違っただけかもしれない。

 視聴者の切り抜きが、騒ぎに合わせてそう見える部分だけ拾っているのかもしれない。

 

 でも、三人分。

 

 らでん。

 枢。

 笑虎。

 

 俺たちがそれぞれ姿を持ってしまった相手に、似たような違和感が出ている。

 

 偶然にしては、気持ちが悪すぎる。

 

『本家配信を見ると、こっちの引っ張られ方が強くなる可能性があります』

 

 そう打った瞬間、指が止まった。

 

 見れば見るほど、近づく。

 

 その可能性。

 

 便利な知識。

 勝手に出る言葉。

 異様に動く足。

 崩れない姿勢。

 知らないはずの話し方。

 

 それが強まっていくなら。

 

 俺はどこまで、俺でいられるんだ。

 

 スウさんから返信が来る。

 

『見ない方がいいんでしょうか』

『でも、見ないと自分が何になったのか分かりません』

 

 ニコさん。

 

『見ても地獄』

『見なくても地獄』

『すごい、選べる地獄』

『お得感ゼロ』

 

 俺は少しだけ笑って、それから返信した。

 

『ルールを追加しましょう』

『本家配信は一人で見ない』

『見ていて変化を感じたら避難所に報告』

『精神性や口調が強く出たら、互いに止める』

 

 ニコさん。

 

『あとニコが変な下書き作ったら即止める』

 

『それは最初から含まれています』

 

『名指しじゃないのに名指しされた気分』

 

 スウさん。

 

『でも必要です』

 

『スウさんまで』

 

『必要です』

 

『二回言われた』

 

 会話の流れだけ見れば、少しだけ日常っぽい。

 

 でも、その日常は薄いガラスの上に立っている。

 

 少しでも踏み方を間違えれば、すぐ割れる。

 

 その時だった。

 

 ドアの向こうで、足音がした。

 

 俺はスマホを伏せた。

 

 昼。

 

 来た。

 

「昼になったよ」

 

 母親の声。

 

 逃げられないやつだ。

 

「顔見るって約束したよね」

 

 俺はベッドの上で固まった。

 

 約束した。

 

 したというか、押し切られた。

 

 昨日からずっと、風邪、喉、寝不足、むくみ、体調不良、全部の言い訳を使い倒してきた。

 

 もう限界だ。

 

 母親は完全に怪しんでいる。

 

 このままドア越しに拒み続ければ、今度こそ病院か、父親か、下手をすればもっと大きな騒ぎになる。

 

 顔を見せるしかない。

 

 少しだけ。

 

 暗い部屋で。

 帽子とマスクと眼鏡をつけたまま。

 顔の全部は見せずに。

 

 いける。

 

 たぶん。

 

 また、たぶん。

 

 俺はカーテンを半分閉めた。

 部屋の明かりはつけない。

 帽子を深くかぶる。

 マスクをつける。

 伊達眼鏡をかける。

 フードもかぶる。

 

 鏡を見る。

 

 不審者だった。

 

 だが、不審者と正体不明の美少女なら、まだ不審者の方がマシだ。

 

 たぶん。

 

「開けるよ」

 

「……少しだけ」

 

 声が出た。

 

 しまったと思ったが、もう遅い。

 

 母親がドアを開ける。

 

 光が廊下から入ってきた。

 

 俺はベッドの端に座り、顔を少しだけ伏せた。

 

 母親が部屋に入る。

 

 視線が刺さる。

 

 ものすごく刺さる。

 

「……あんた」

 

 心臓が跳ねた。

 

「顔、そんなだった?」

 

 終わった。

 

 いや、まだだ。

 

 まだ“そんなだった?”で止まっている。

 

 “誰?”ではない。

 

 つまり、まだギリギリ人間として認識されている。

 

 俺は喉を押さえながら、低くしようとして失敗した声で言った。

 

「むくみが取れた」

 

「昨日もそれ言ってた」

 

「じゃあ……さらに取れた」

 

「人ってそんな削れる?」

 

 削れるという言い方。

 

 俺は笑いそうになって、必死に耐えた。

 

 笑ってる場合じゃない。

 

 母親は一歩近づく。

 

 俺は反射的に少し身を引いた。

 

 その動きがまた、たぶん普通じゃなかった。

 

 母親の眉が寄る。

 

「声も違うし、姿勢も変だし、歩き方も変だし、顔も……なんか、変」

 

 変。

 

 そうだ。

 

 全部変だ。

 

 俺自身が一番そう思っている。

 

 でも言えない。

 

 俺だって、なぜこうなったのか分からない。

 

「体調悪いと、印象変わるから」

 

「変わりすぎ」

 

「人の顔というものは、睡眠、体調、水分量、光の角度、そして見る側の心理状態によって、かなり印象が変わるものでして――」

 

 言いながら、自分で気づいた。

 

 違う。

 

 今、母親に顔面印象論を語る場面じゃない。

 

 母親も固まっていた。

 

「……あんた、本当に何か変」

 

 その言葉は、怒っているというより、怖がっていた。

 

 いや、心配していた。

 

 その声が、胸に刺さる。

 

 この人はたぶん、俺の母親だ。

 

 俺はその人の名前も、ちゃんとした思い出も、何も取り戻せていない。

 

 それなのに、向こうは俺を見て心配している。

 

 俺は嘘をついている。

 

 全部。

 

「ごめん」

 

 自然に声が出た。

 

 母親が少しだけ目を見開く。

 

「何が?」

 

「……心配かけて」

 

 これは、嘘じゃなかった。

 

 母親はしばらく黙っていた。

 

 それから、小さく息を吐く。

 

「仕事で何かあった?」

 

 その方向に行った。

 

 俺は一瞬、迷った。

 

 違う。

 

 仕事ではない。

 

 でも、今の俺に説明できる真実より、母親が理解できる誤解の方がまだ安全だった。

 

「……ちょっと、混乱してる」

 

 これも嘘ではない。

 

 ものすごく混乱している。

 

「だから、少し時間が欲しい」

 

 母親はじっと俺を見た。

 

 顔を見られている。

 

 でも帽子とマスクと暗さで、まだ完全には見えていないはずだ。

 

 たぶん。

 

「分かった」

 

 母親はそう言った。

 

 少しだけ、肩の力が抜ける。

 

 しかし次の一言で、全部戻った。

 

「今日の夜、お父さんにも相談するから」

 

 終わった。

 

 増援が来る。

 

「いや、それは」

 

「一人で抱え込んでるなら、なおさら相談する」

 

「大丈夫だから」

 

「大丈夫じゃないから言ってるの」

 

 正論だった。

 

 正論はいつも強い。

 

 俺は反論できなかった。

 

 母親はお盆の上に昼食を置いた。

 

「食べられるだけ食べて。あと、また仕事休むならちゃんと連絡しなさい」

 

「……うん」

 

「夕方、もう一回見るから」

 

 もう一回。

 

 またタイムリミット。

 

 俺は頷くしかなかった。

 

 母親が部屋を出る。

 

 ドアが閉まる。

 

 鍵をかける。

 

 俺はその場で崩れ落ちた。

 

「……父親追加は聞いてない」

 

 避難所を開く。

 

『母親に顔を見られました』

『完全バレはしていません』

『ただ、父親に相談されそうです』

 

 スウさんから即返信。

 

『それはまずいです』

『家族が増えると隠すのが難しくなります』

 

 ニコさん。

 

『家族会議ルート入った?』

『イベントとしては重要だけど今じゃない』

 

『イベント扱いしないでください』

 

『ごめん』

『でもマジで今じゃない』

 

 ニコさんの言う通りだった。

 

 今じゃない。

 

 今、家族に打ち明けるには、俺たち自身が何も分かっていなさすぎる。

 

 俺は三人で家族対応について話した。

 

 体調不良設定はもう限界。

 長引けば病院に連れて行かれる。

 喉を理由に声を隠すのも、そろそろ苦しい。

 次からは「精神的に混乱している」「仕事でストレスがあった」方向に寄せた方がいい。

 

 スウさんも似た状況らしい。

 

『私も家族に心配されています』

『見つけてほしい気持ちもあるのに、見られるのは怖いです』

『矛盾で疲れます』

 

 ニコさん。

 

『俺はまだドア開けてない』

『家族から「いい加減出てこい」って言われてる』

『出たら美少女』

『オチが強すぎる』

『笑えない』

 

 その時、ニコさんが別の投稿を避難所に貼った。

 

『これ見て』

『新キャラ来た』

『いや来なくていい』

 

 投稿には短い動画が付いていた。

 

 公園の端。

 

 帽子とマスクをつけた小柄な人物が、何かに驚いたように跳ねる。

 次の瞬間、ありえない速度で横へ走った。

 

 本人は隠れているつもりなのだろう。

 

 でも、動きが目立ちすぎる。

 

 コメント欄。

 

『番長っぽい子が公園で爆速ダッシュしてた』

『これ轟はじめ説ある?』

『動きでバレるの草』

『いや笑えん、普通に怖い』

『また実体化組?』

 

 俺は目を細めた。

 

 轟はじめ。

 

 名前がぼんやり浮かぶ。

 

 ホロライブDEV_IS。

 ReGLOSS。

 番長。

 勢い。

 独特な話し方。

 

 たぶん、そうだ。

 

『放置するともっと撮られます』と俺は打った。

『接触した方がいいです』

 

 スウさん。

 

『でも危険では?』

 

『危険です』

『ただ、本人も危険です』

『今の動画だけでかなり目立っています』

 

 ニコさん。

 

『身体が先に動くタイプっぽい』

『俺が口で自爆するなら、あの人は足で自爆してる』

 

『ニコさんも口で自爆しないでください』

 

『はい』

 

 動画の投稿主のリプ欄を見る。

 

 そこに、妙なアカウントがあった。

 

 表示名は、

 番長じゃない

 

 投稿内容。

 

『違う』

『俺は番長じゃない』

『でもなんか身体が番長みたいに動く』

『あと喋ろうとすると変な勢いが出る』

『助けてほしいけど助けを求めるのは番長的にどうなんだ』

 

 ニコさん。

 

『もう番長って言ってる』

 

 スウさん。

 

『同じ状況っぽいですね』

 

 俺はDMを送る準備をした。

 

 しかし、その前に別のアカウントが目に入った。

 

 動画の拡散を止めるように、静かにリプをしているアカウント。

 

『当該画像・動画の拡散は控えてください』

『本人確認の取れていない個人への接触は危険です』

『該当する方は、安全のため第三者に情報を渡さないでください』

『撮影場所の特定・共有はおやめください』

 

 良識あるファン。

 

 最初はそう見えた。

 

 でも、少し違う。

 

 文面が妙に冷静だ。

 対応が早い。

 場所情報の拡散を止める動きが的確すぎる。

 

 ニコさんが反応する。

 

『これ公式っぽくない?』

 

 スウさん。

 

『でも公式がこんな形で動きますか?』

 

 俺は画面を見つめた。

 

『本物かどうかは分かりません』

『ただ、一般の野次馬とは違う気がします』

 

 胸の奥がざわつく。

 

 公式。

 

 その単語が、とうとう現実味を帯び始めた。

 

 でも今は、先に番長じゃない人だ。

 

 俺は慎重にDMを送った。

 

『画面の向こうに、自分がいますか』

 

 返信は数分後に来た。

 

『いる』

『めっちゃいる』

『見た瞬間、俺じゃんってなった』

『いや俺じゃないけど』

『何これ、どういう気持ちで見ればいいんだ』

 

 同じだ。

 

『同じ状況の人がいます』

『まず投稿を消してください』

『動画に映ると危険です』

 

 返信。

 

『もう消した』

『でも保存されてたら終わり』

『番長、詰んだかもしれん』

 

 俺は即座に返す。

 

『番長って言いましたね』

 

『言ってない』

『言った』

『今のなし』

 

 ニコさんに転送したら、ものすごい勢いで反応が来た。

 

『好き』

『いや好きって言ってる場合じゃない』

『避難所に呼ぼう』

『この人、放っとくと公園一周しそう』

 

 俺は番長じゃない人――仮にハジさんと呼ぶことにして、避難所へ招待するための説明を打った。

 

 本名は言わない。

 住所も言わない。

 写真や動画は送らない。

 ここは同じ状況の人間が一時的に情報共有する場所。

 危ないと思ったら抜けていい。

 

 送信。

 

 返事は短かった。

 

『入る』

『助かる』

『でも俺は番長じゃない』

 

 招待する。

 

 避難所に、新しい名前が増えた。

 

 表示名、番長じゃない。

 

 ニコさんがすぐに送る。

 

『ようこそ避難所へ』

『番長じゃないさん』

 

『番長じゃないって呼ばれるのも違う気がしてきた』

 

 スウさん。

 

『仮名を決めましょう』

 

 俺。

 

『ハジさんでどうですか』

 

 少し間。

 

『それはそれで近い』

『でももう何でもいい』

『ハジで』

 

 四人。

 

 避難所の画面に、四人分の名前が並ぶ。

 

 ラさん。

 スウさん。

 ニコさん。

 ハジさん。

 

 急に増えた。

 

 増えてしまった。

 

 心強い。

 

 でも、それ以上に怖い。

 

 この現象が一人や二人ではないことが、もうはっきりしてきている。

 

 その時だった。

 

 俺の捨てアカウントに、DMが届いた。

 

 差出人は、さっきの冷静なアカウント。

 

 心臓が嫌な音を立てる。

 

 俺は避難所に短く送った。

 

『例の冷静なアカウントからDMが来ました』

 

 ニコさん。

 

『来た』

『ラスボス?』

『味方?』

『怖』

 

 スウさん。

 

『開けますか?』

 

 ハジさん。

 

『開けない方がよくないか』

『でも開けないと分からない』

『番長なら開ける』

『いや俺は番長じゃない』

 

 俺は深く息を吸った。

 

 DMを開く。

 

『突然のご連絡失礼いたします』

『あなたが現在置かれている状況について、確認したいことがあります』

『こちらはホロライブプロダクション関係者です』

『安全確保のため、公開された場所でのやり取りを控えてください』

『可能であれば、まずはテキストのみで構いません。お話しできませんか』

 

 画面を見つめたまま、動けなくなった。

 

 公式。

 

 自称だ。

 

 本物かどうかは分からない。

 

 でも、無視できない。

 

 指が震える。

 

 すぐに、さらにメッセージが届いた。

 

『なお、あなた方の身元を特定する意図はありません』

『本来のタレント、および皆様の安全を最優先に確認を進めています』

 

 本来のタレント。

 

 その言い方に、喉が詰まった。

 

 俺たちは、本人ではない。

 

 でも、偽物と切り捨てられているわけでもない。

 少なくとも、この相手はそういう言葉を選んでいる。

 

 避難所に、メッセージが飛ぶ。

 

 ニコさん。

 

『どうする?』

 

 スウさん。

 

『返信しますか?』

 

 ハジさん。

 

『これ本物なのか?』

 

 俺はスマホを握りしめた。

 

 公式かもしれない。

 罠かもしれない。

 

 けれど、画面の向こうにいる本物たちにも影響が出始めているなら、もう俺たちだけで隠れている段階ではないのかもしれない。

 

 返信欄に指を置く。

 

 何を打てばいいのか分からない。

 

 それでも、最初の一文だけは決まっていた。

 

『あなたは、本当に公式の方ですか』

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。