朝起きたら儒烏風亭らでんになっていた。なお、本物は今日も普通に配信している 作:好きな性癖発表ドラゴン
『あなたは、本当に公式の方ですか』
送信した直後、指先が冷たくなった。
画面の向こうにいる相手は、ホロライブプロダクション関係者を名乗っている。
でも、名乗るだけなら誰でもできる。
SNSには、騒ぎを面白がる人間がいくらでもいる。
善意のふりをして近づいてくる人間だっているかもしれない。
まして今の俺たちは、本人確認も身元確認もできない、かなり危うい存在だ。
知らない相手に、何かを渡したら終わる。
本名。
住所。
家族。
写真。
声。
位置情報。
どれも渡せない。
渡した瞬間、俺はもう自分を守れなくなる。
返信は、すぐに来た。
『疑われるのは当然です』
『現時点で、皆様に個人情報の開示を求めることはありません』
『こちらからも、公開できない情報はお伝えできません』
『まずは、安全確認のための最低限のやり取りを希望します』
丁寧だった。
丁寧すぎるくらいに。
俺は避難所に、相手の文面を要約して投げた。
『疑われるのは当然、と返ってきました』
『個人情報は求めないそうです』
『まずは最低限の安全確認をしたい、と』
ニコさんから即返信。
『丁寧すぎて逆に怖い』
『詐欺師も丁寧』
『公式も丁寧』
『見分けがつかない世界、終わり』
スウさん。
『個人情報を出さないなら、話してもいいかもしれません』
『でも本物かどうかは確認したいです』
ハジさん。
『こっちの居場所知られたら終わりだろ』
『絶対に住所は出すな』
『あと声も出すな』
『俺たち声でバレる』
俺は頷いた。
画面に向かって。
四人とも、もう分かっている。
俺たちは姿だけじゃない。
声も、口調も、反応も、どこか本来のホロメンに引っ張られている。
外見を隠しても、声を出したら終わる。
『こちらから本名・住所・写真・音声は出さない』
『相手が本物だと確認できるまで、会わない』
『通話もしない』
『まずはテキストだけ』
『それでいいですか』
避難所に送る。
ニコさん。
『ラさん、会議慣れてる?』
『今ちょっと議長だった』
『茶化さないでください』
『ごめん』
『でも安心した』
『議長、続けて』
議長じゃない。
俺はスマホを持ち直し、公式を名乗る相手に返した。
『現時点では、こちらから個人情報・写真・音声は出せません』
『あなたが本当に公式関係者であることを確認する方法はありますか』
『公開の公式アカウントで反応するような方法は、騒ぎになるため避けたいです』
しばらく、返信が止まった。
その数分が長かった。
相手が考えているのか。
それとも、こちらの反応を見ているのか。
あるいは、偽物だから返せなくなったのか。
スマホを握る手が、じっとり汗ばむ。
返事が来た。
『公式サイトのお問い合わせフォームを使用した確認をご提案します』
『本名・住所等は入力しないでください。仮名で構いません』
『本文に、こちらが提示する確認コードを含めて送信してください』
『返信メールに同じ確認コードを含めます』
『返信元のドメインをご確認ください』
『それでも不安が残る場合は、このやり取りを中止していただいて構いません』
俺はその文を三回読んだ。
悪くない。
少なくとも、向こうが本当に公式窓口に関われる立場なら、確認コードを返せる。
偽物なら難しい。
もちろん、完璧ではない。
でも、こちらの写真や声や住所を渡すよりはずっと安全だ。
続けてコードが送られてきた。
『確認コード:RDN-0427-SHELTER』
SHELTER。
避難所。
俺の背筋が少し冷えた。
避難所という名前を、相手は知っているのか?
いや、俺がさっきDM内で「安全確認」や「避難」みたいな言葉を使ったかもしれない。
あるいはただの偶然。
英語としては普通の単語だ。
でも、今の状況では偶然まで怖い。
避難所に共有する。
『確認コードが来ました』
『RDN-0427-SHELTER』
『公式フォームから仮名で送って、同じコードが公式メールで返るか確認する方法です』
スウさん。
『SHELTER……避難所、ですか?』
ニコさん。
『怖い偶然やめて』
『いや、偶然じゃない可能性もある?』
『それも怖い』
ハジさん。
『でも方法としては安全寄りじゃないか』
『こっちの情報は出さないんだろ』
『はい』と俺は返す。
『仮名で送ります。本名も住所も入れません』
俺は公式サイトの問い合わせフォームを開いた。
指が少し震える。
名前欄に、仮名を入れる。
ラ。
いや、これはさすがに雑すぎるか。
少し考えて、無難な仮名にする。
住所は入力しない。
電話番号も入れない。
返信用のメールアドレスは、このために作った使い捨てに近いもの。
本文。
『確認コード:RDN-0427-SHELTER』
『SNS上でご連絡いただいた件について、公式確認のため送信しています』
『個人情報は現時点では開示できません』
送信。
画面に送信完了の文字が出る。
ここまで来てしまった。
俺はスマホを伏せた。
伏せた瞬間、階下から声がした。
「お父さん、今日は早く帰るって」
俺は固まった。
早い。
展開が早すぎる。
公式確認の返事を待つ間に、家族会議が発生しようとしている。
避難所に報告する。
『父親が早く帰ってくるらしいです』
『家族会議が発生します』
ニコさん。
『回避不能クエスト来た』
『家族会議イベント確定』
『タイミング悪すぎて逆に脚本疑う』
ハジさん。
『逃げるか?』
スウさん。
『逃げたらもっと心配されませんか』
『逃げたら通報ルートです』と俺。
ハジさん。
『それは詰み』
ニコさん。
『詰み多くない?』
『このゲーム難易度おかしい』
ゲームじゃない。
でも、本当に難易度はおかしい。
母親には、もう顔を少し見られている。
声も完全に怪しまれている。
歩き方も、姿勢も、話し方も。
父親まで来たら、ごまかしきれる気がしない。
でも、今はまだ全部を言えない。
ホロメンの姿になりました。
でも本物は画面の向こうにいます。
俺は中の人ではありません。
記憶はありません。
同じ状況の人が他にもいます。
公式らしき人と連絡しています。
言えるか。
言えるわけがない。
せめて、少しだけ本当の方向に寄せるしかない。
体調不良だけでは限界だ。
だから、精神的な混乱。
記憶の違和感。
外部の相談先。
母親にも言った。
自分でも分からない、と。
そこを広げる。
俺は避難所に書いた。
『家族には、体調だけじゃなく精神的に混乱していると説明します』
『外部の相談先と連絡を取っている、と』
『ただし詳細はまだ言わない』
スウさん。
『それが一番近いかもしれません』
『嘘ではないです』
ニコさん。
『嘘じゃないけど情報が少ないやつ』
『家族側からすると怖いやつ』
ハジさん。
『でも全部言ったらもっと怖いだろ』
『そうです』と俺は返した。
『だから今は、それでいきます』
その時、メール通知が来た。
心臓が跳ねる。
公式フォームへの返信。
俺は一度深呼吸してから開いた。
本文の中に、確認コードがあった。
RDN-0427-SHELTER
一致。
指先が冷たくなる。
完全に本物とは言い切れない。
けれど、少なくとも相手は公式窓口の返信にこのコードを載せられる立場にいる。
つまり、かなり公式に近い。
避難所に送る。
『コード一致しました』
『本物寄りです』
少し間が空いた。
四人全員が、その意味を飲み込んでいる気がした。
ニコさん。
『本物寄りじゃん』
『急に胃が痛い』
『俺、公式に見つかった?』
『いやもう見つかってた』
ハジさん。
『逃げるか』
『逃げても無理か』
『番長、詰み寄り』
スウさん。
『でも、助けてくれる可能性もあります』
俺はその文を見つめた。
助けてくれる。
その可能性。
公式に見つかりたくなかった。
でも、公式にしかどうにもできないかもしれない。
その矛盾が、喉の奥に引っかかる。
DMが届いた。
『確認にご協力いただきありがとうございます』
『以後、このアカウントでは便宜上、担当Aと名乗らせていただきます』
『個人名を明かせないことをご理解ください』
担当A。
いかにも仮名。
でも、今はそれで十分だった。
『現時点では、こちらも全容を把握していません』
『SNS上で確認された複数の目撃情報を確認しています』
『皆様が本来のタレント本人、または関係者でない可能性も把握しています』
『そのうえで、皆様を危険な存在として扱う意図はありません』
俺は、その文で少しだけ息を吐いた。
危険な存在として扱う意図はない。
それがどれだけ保証になるのかは分からない。
でも、少なくとも最初の言葉が「通報します」でも「権利侵害です」でもなかったことに、肩の力が抜ける。
続けて、担当Aのメッセージ。
『一方で、外見・声・言動がタレント本人と酷似している場合、皆様自身にも、本来のタレントにも危険が及びます』
『公開場所での接触、SNS投稿、写真・動画の拡散は避けてください』
『不用意な発信は、皆様の個人特定や、本来のタレントへの誤解につながる可能性があります』
ニコさんに共有すると、すぐ返ってきた。
『怒られてる?』
『いや心配されてる?』
『心配されながら怒られるやつ?』
『全部です』と俺は返す。
『全部かぁ』
俺は担当Aに、ずっと引っかかっていたことを聞いた。
『本来のタレント側にも、何か起きていますか』
送信した後、胃が重くなった。
聞いていいことなのか分からない。
プライバシーに関わる。
本来なら、俺たちが踏み込んでいい領域ではない。
でも、聞かずにはいられなかった。
もし、画面の向こうにいる本物たちにも何かが届いているなら。
俺たちが隠れているだけでは、済まない。
返信は少し時間を置いて来た。
『詳細はお伝えできません』
『ただし、複数のタレントから、通常とは異なる感覚や違和感が報告されています』
『皆様の存在と関連があるかは確認中です』
『現時点で、関連があると断定はできません』
息が止まった。
複数のタレント。
通常とは異なる感覚。
違和感。
本当に、向こうにも起きている。
スウさんに共有する。
『本家側にも違和感が報告されているそうです』
『詳細は不明』
『関連は確認中』
スウさん。
『やっぱり……』
ニコさん。
『画面の向こうも揺れてるじゃん』
『タイトル回収みたいなこと言ってる場合じゃない』
『怖』
ハジさん。
『俺たちのせいなのか?』
その問いに、誰もすぐ返せなかった。
俺たちのせい。
違うと言いたい。
俺たちは好きでこうなったわけじゃない。
朝起きたら、こうなっていた。
記憶もなく、家族も分からず、世界から隠れている。
でも、俺たちの存在が本家側に何かを届けているなら。
責任がないと、言い切れるのか。
担当Aから追加のメッセージが来た。
『本来のタレント本人との直接接触は、現時点では行いません』
『双方の精神的負担、情報管理、安全面を考慮する必要があります』
『まずは、皆様の状況確認と安全確保を優先します』
俺は少しだけ安心した。
本家に会う。
そんなこと、今は考えられない。
会いたいわけじゃない。
むしろ怖い。
画面の向こうにいる彼女が、本来の儒烏風亭らでんだ。
俺は、その姿をしているだけの何か。
その相手と向き合った時、俺は何を言えばいい。
すみません?
俺はあなたじゃありません?
でもあなたの姿です?
無理だ。
今は無理だ。
避難所でもニコさんが騒いでいた。
『本家と会うの?』
『会ったら死ぬ』
『俺が』
『精神的に』
『いや向こうも困るわ』
ハジさん。
『まだ会わないって言ってるなら助かる』
スウさん。
『でも、いつかは話す必要があるんでしょうか』
俺はその文を見つめた。
いつか。
その言葉が、重かった。
担当Aは続ける。
『今後の対応として、以下を提案します』
『一、外出を極力控える』
『二、SNS投稿・リプライ・動画投稿を控える』
『三、体調や身体変化をテキストで記録する』
『四、可能であれば、後日、匿名のオンライン面談を行う』
『五、希望者には安全な一時保護先を検討する』
『六、ただし、いずれも強制ではありません』
一時保護先。
その言葉で、避難所がざわついた。
ハジさん。
『保護って言われると捕獲に聞こえる』
ニコさん。
『分かる』
『モンスターボール感ある』
『ゲットだぜされたくない』
スウさん。
『でも、家にいるのも限界です』
その一言で、空気が少し静かになった。
そう。
家にいるのも限界だ。
俺は母親に疑われている。
父親も帰ってくる。
仕事も休み続けている。
顔も声も、もうごまかしきれない。
一時保護先。
それは助かるかもしれない。
でも、家族に何と説明する。
行ったら戻れるのか。
公式に囲われるだけではないのか。
自分の意思は残るのか。
安心と恐怖が同時に来る。
俺は担当Aに聞いた。
『家族にどう説明すればいいですか』
『今の状態を隠し続けるのが限界です』
『ただ、全部を説明することもできません』
返信。
『現時点で、すべてを説明する必要はありません』
『ただし、長期的には信頼できる家族への説明が必要になる可能性があります』
『まずは、体調と精神的混乱があり、外部の相談窓口と連絡を取っている、と伝える方法があります』
『医療機関への受診については、本人確認やプライバシーの問題を含めて慎重に検討してください』
『ご家族が強く受診を求める場合は、事前にこちらへご相談ください』
俺は、その文章を何度も読んだ。
体調と精神的混乱。
外部の相談窓口。
嘘ではない。
全部ではないだけだ。
その時、下の階で玄関の音がした。
父親が帰ってきたのだと、すぐに分かった。
記憶はない。
でも、家の空気が少し変わった。
母親の声。
低い男の人の声。
たぶん、父親。
胸が嫌なふうに縮む。
避難所に送る。
『父親が帰ってきました』
『家族会議が始まります』
ニコさん。
『生きて帰ってきて』
ハジさん。
『逃げ道は確認したか』
スウさん。
『無理しないでください』
『逃げる前提で話さないでください』と返す。
でも、正直逃げたい。
足なら速い。
窓からでも、たぶん降りられる。
いや、だめだ。そういう方向に考えるな。
数分後、階段を上がる足音がした。
母親の声。
「お父さん帰ってきたよ。少し話せる?」
俺は深く息を吸った。
マスク。
帽子。
眼鏡。
暗い部屋。
ドアを全部は開けない。
でも、完全に拒まない。
俺はドアの前に立ち、鍵を外した。
「少しだけなら」
自分の声が、廊下へ漏れた。
ドアの向こうで、低い声がした。
「……本当に声、変だな」
父親。
たぶん。
俺はドアを少しだけ開けた。
廊下の光が入る。
母親と、その横に父親らしき人が立っていた。
顔をちゃんと見た瞬間、胸の奥がぎゅっとなった。
知っている。
たぶん。
でも、思い出せない。
それが苦しい。
父親は俺を見るというより、俺の隠し方を見ていた。
帽子。
マスク。
眼鏡。
フード。
暗い部屋。
怪しい。
どう考えても怪しい。
「何があった」
短い問いだった。
怒鳴られたわけじゃない。
でも、逃げ場がない声だった。
俺は喉を押さえた。
「自分でも、分からない」
これは本音だ。
母親が黙る。
父親も、少しだけ眉を動かした。
「体調だけじゃないのか」
「たぶん」
「たぶん?」
「記憶とか、自分の感覚が、ちょっとおかしい」
言葉にすると、怖かった。
でも、これも本当だ。
「仕事のことか?」
「それも……あるかもしれない」
曖昧にした。
嘘を重ねるより、ぼかす。
「外部の相談先と連絡を取ってる」
父親の目が鋭くなる。
「どこだ」
当然の質問。
でも言えない。
「まだ、ちゃんと確認してる途中」
「怪しいところじゃないだろうな」
「怪しくないように、確認してる」
自分で言って、少しだけ変な言い方だと思った。
でも、それが今の一番正確な表現だった。
母親が口を挟む。
「病院は?」
来た。
「今の状態で、すぐ病院に行くのは少し怖い」
「どうして」
「本人確認とか、説明とか、うまくできないかもしれない」
父親がじっと俺を見る。
俺は目を逸らしかけて、なんとか踏みとどまった。
逃げるな。
今逃げたら、もっと疑われる。
「危ないことはしてない」
俺は言った。
「誰かに会ったり、変な場所に行ったりはしてない」
少し嘘だ。
河川敷でスウさんに会った。
でも、危ないことをしたつもりはない。
いや、危なかったけど。
そこは言えない。
「少しだけ時間が欲しい」
声が震えた。
「ちゃんと説明できるようにするから。今は、本当に自分でも分からない」
母親が俺を見ていた。
心配そうに。
父親も黙っていた。
長い沈黙。
やがて父親が口を開いた。
「明日」
俺は息を止める。
「明日、ちゃんと顔を見せろ」
心臓が沈む。
「それが無理なら、俺たちも動く」
通報。
病院。
職場への連絡。
何を意味しているかは分からない。
でも、もう限界が近いことは分かった。
「……分かった」
答えるしかなかった。
母親が小さく言う。
「ご飯は食べなさい。あと、何かあったらすぐ言って」
「うん」
ドアを閉める。
鍵をかける。
俺はその場に座り込んだ。
手が震えていた。
顔を完全には見られなかった。
正体もバレていない。
でも、明日。
明日には、もう逃げられない。
避難所を開く。
『終わりました』
『明日、ちゃんと顔を見せろと言われました』
『無理なら親が動くそうです』
スウさん。
『時間がありませんね』
ニコさん。
『明日までに世界をどうにかするしかない』
『無理では?』
『無理寄り』
ハジさん。
『公式の面談、明日より前にできないのか』
その時、担当Aからメッセージが来た。
『明日、希望者のみ匿名テキスト面談を行います』
『その場で、皆様の状況を整理し、必要な支援を検討します』
『ご家族への説明についても、可能な範囲で対応案を提示します』
俺はすぐに避難所へ共有した。
さらに、続きの文面を読んで、指が止まった。
『なお、現在確認されている実体化者は、少なくともあなた方だけではありません』
少なくとも。
その言葉が、重かった。
俺たちは四人になった。
それだけでも、世界が少し広がりすぎた気がしていた。
でも、違う。
これはまだ、始まりにすぎない。
画面の向こうには、たくさんのホロメンがいる。
そして画面の外にも、
その数だけ、誰かが目を覚ましているのかもしれない。