朝起きたら儒烏風亭らでんになっていた。なお、本物は今日も普通に配信している 作:好きな性癖発表ドラゴン
翌朝。
俺は、スマホのアラームより先に目を覚ました。
眠れた、とは言いにくい。
布団には入った。
目も閉じた。
何度か意識が落ちた気もする。
でも、夢と現実の境目がぐちゃぐちゃだった。
画面の向こうにいる儒烏風亭らでん。
河川敷で会ったスウさん。
笑えないのに笑わせようとするニコさん。
番長じゃないと言いながら番長っぽい言葉が漏れるハジさん。
そして、公式を名乗る担当A。
全部が頭の中で混ざっていた。
スマホを見る。
時刻は午前七時前。
今日は、匿名テキスト面談の日。
そして、父親に言われた日でもある。
明日、ちゃんと顔を見せろ。
それが無理なら、俺たちも動く。
その言葉が、まだ胸の奥に残っている。
「……顔、か」
鏡を見る。
そこにいるのは、やっぱり俺ではない顔だった。
儒烏風亭らでん。
画面の向こうにいる本物と同じ姿。
でも、俺は本人ではない。
中の人でもない。
そのはずだ。
そう思っているのに、鏡の中の少女は俺と同じように不安そうな顔をしている。
俺が怖がれば、この顔が怖がる。
俺が黙れば、この口が閉じる。
俺が息を止めれば、この胸が止まる。
俺のものじゃないはずなのに、もう完全に他人とも言えない。
それが気持ち悪くて、怖くて、少しだけ悲しかった。
下の階から、母親の声がした。
「起きてる?」
俺は一瞬迷ってから、スマホのメモを開いた。
でも、声を出した。
「起きてる」
喉から出た声は、やはり女の子の声だった。
けれど、昨日よりは少しだけ諦めが混じっていた。
母親が階段の下から言う。
「今日、話せるの?」
「外部の相談先と、やり取りする」
「昨日言ってたところ?」
「うん」
「怪しいところじゃないの?」
怪しくない、と言い切れるほど、まだ信じきれてはいない。
でも確認コードは一致した。
公式サイト経由の返信もあった。
少なくとも、ただの野次馬ではない。
「確認はした。たぶん、大丈夫」
「また、たぶん」
母親のため息が聞こえた。
痛い。
俺だって、たぶん以外で言いたい。
絶対大丈夫。
心配ない。
全部説明できる。
そう言えたら、どれだけ楽か。
「今日中に、何か進める」
「夜には顔、見せられる?」
胸が詰まった。
「……相談してから」
少し沈黙。
そのあと、母親が小さく言った。
「分かった。でも、無理はしないで」
足音が遠ざかる。
俺はその場に立ったまま、しばらく動けなかった。
嘘をついている。
でも、全部が嘘ではない。
相談している。
混乱している。
何が起きているか分からない。
その部分だけは、本当だった。
俺は机に座り、避難所を開いた。
すでに三人とも起きていた。
ニコさんからのメッセージが最初に目に入る。
『公式面談って、面接?』
『落ちたらどうなるの?』
『不採用です、現実に戻ってください、って言われる?』
『戻れるなら採用でも不採用でもいいんだけど』
ハジさん。
『面接なら志望動機いるのか』
『朝起きたらこうなってました』
『弱いな』
スウさん。
『緊張します』
『変なことを言わないか不安です』
俺は返信する。
『就活ではありません』
『志望動機も不要です』
『必要なのは状況確認です』
ニコさん。
『ラさん、朝から議長』
ハジさん。
『安定感ある』
『俺の安定感、たぶん見た目と声のせいで説得力が崩れています』
ニコさん。
『それは全員そう』
少しだけ笑った。
笑えることが増えたわけじゃない。
でも、笑える場所があるのは助かる。
午前九時。
担当Aからメッセージが届いた。
『おはようございます』
『これより、希望者のみ匿名テキスト面談を開始します』
『個人情報は不要です』
『無理に答える必要はありません』
『回答できる範囲で、現在の状況を教えてください』
空気が変わった。
スマホの画面越しなのに、背筋が伸びる。
続けて、面談のルールが送られてくる。
『本名・住所・職場・学校名は不要です』
『写真・動画・音声は送信しないでください』
『体調や身体変化は文章で記録してください』
『ご家族に危険が及んでいる場合のみ、必要な範囲でご相談ください』
『本来のタレントに関する個人情報・非公開情報はお尋ねにならないでください』
『本来のタレント本人との接触は、現時点では行いません』
『面談内容をSNS等へ投稿しないでください』
徹底している。
俺は、そのことに少し安心した。
こちらの個人情報を求めない。
本家側の個人情報にも触れない。
直接会わせようともしない。
少なくとも、担当Aはかなり慎重だ。
いや、慎重でなければ困る状況ではある。
担当Aから最初の質問が来た。
『現在、外見が特定のタレントの公式上の姿に近い状態で固定されていますか』
俺は少しだけ指を止めた。
固定。
そう言われると、また現実味が増す。
変身ではない。
一時的なコスプレでもない。
この身体に固定されている。
俺は打つ。
『はい』
『儒烏風亭らでんさんの公式上の姿に近いです』
『本人ではありません』
『中の人でもありません』
送信。
スウさんも続く。
『水宮枢さんの姿だと思います』
『本人ではありません』
ニコさん。
『虎金妃笑虎さんっぽいです』
『鏡を見るたびにツッコミたくなります』
『本人ではありません』
ハジさん。
『轟はじめさんっぽいです』
『でも番長ではありません』
『本人でもありません』
担当Aの返信は、数十秒後に来た。
『承知しました』
『便宜上、皆様を“実体化者”と呼称します』
『この呼び方に不快感があれば変更します』
実体化者。
その文字が、ずしりと胸に落ちた。
俺たちは、そう呼ばれる存在になったのか。
人間でもなく、ホロメン本人でもなく、中の人でもなく、ただのファンでもなく。
実体化者。
ニコさんがすぐ反応する。
『実体化者』
『かっこいいけど怖い』
『厨二感ある』
『でも状況は最悪』
ハジさん。
『呼び方は分かりやすい』
スウさん。
『不快ではないです』
『でも、少し怖いです』
俺も返す。
『現時点では、その呼び方で大丈夫です』
大丈夫。
また曖昧な言葉だ。
でも今は、名前をつけるしかない。
名前がないものは、もっと怖い。
担当Aが続けた。
『現在確認している限り、皆様と類似する事例は複数あります』
『ただし、詳細は開示できません』
『SNS上の目撃情報、非公開の相談、関係各所への報告を含め、複数件を確認しています』
『皆様だけではありません』
避難所が静かになった。
さっきまで茶化していたニコさんも、しばらく何も送ってこない。
皆様だけではない。
分かっていた。
四人いる時点で、分かっていたはずだ。
それでも、公式側からそう言われると、重さが違った。
担当Aのメッセージは続く。
『すでにご家族に発見された方』
『SNSに動画が拡散された方』
『外見上の特徴により外出困難になっている方』
『身体能力や感覚の変化に強い不安を訴えている方』
『複数のケースがあります』
俺は画面を見つめた。
俺はまだ、隠せている方なのかもしれない。
帽子とマスクと暗い部屋で、まだごまかせる。
声は危ない。顔も危ない。
でも、完全に外出不能というわけではない。
人外勢。
耳。
尻尾。
角。
翼。
もし、そういう姿になった人がいるなら。
その人たちは、朝起きた瞬間から逃げ場がなかったはずだ。
担当Aが慎重な文面で説明を続ける。
『外見上、角・耳・翼・尾などが確認されている方もいます』
『隠蔽が難しく、外出や受診が困難なケースがあります』
『また、感情と連動する現象が発生している可能性もあります』
ニコさんがようやく打った。
『俺たち、まだマシな方?』
『マシって言い方も嫌だけど』
ハジさん。
『耳とか翼は隠せないな』
スウさん。
『その人たち、家族にバレているかもしれませんね』
俺は何も返せなかった。
自分の状況だけで精一杯だった。
家族に顔を見せるかどうかで震えていた。
でも、もっと追い詰められている人がいる。
それが、変に胸を重くした。
担当Aは次に、身体と精神性の変化について尋ねてきた。
『可能な範囲で、身体能力・感覚・言動・精神状態の変化を文章で記録してください』
『危険な検証は行わないでください』
俺は、これまでのことを整理して打った。
『脚力が明らかに高いです』
『走る、階段を上る、斜面を移動する時に、普通の身体感覚と違います』
『体幹が強く、転びにくいです』
『姿勢が崩れにくいです』
『声がよく通る感覚があります』
『美術・工芸・落語などに関する知識や言葉が、記憶なしに出ることがあります』
『本家らでんさんの配信を見ると、話の間や言葉の流れが身体に入るような感覚があります』
送信してから、少し怖くなる。
文章にすると、改めて異常だ。
担当Aからすぐ返事が来る。
『ありがとうございます』
『身体能力の確認は、危険のない範囲でお願いします』
『高所からの落下実験等は絶対に行わないでください』
ニコさん。
『ラさん、やりそうに見られてる』
『やりません』
ハジさん。
『でも落ちても大丈夫そうって言ってた』
『言いましたが、試すとは言ってません』
ニコさん。
『押すなよ押すなよみたいになってる』
『なってません』
担当Aからも追記が来る。
『本当に行わないでください』
俺は思わず背筋を伸ばした。
『行いません』
続いてスウさんが報告する。
『誰かに見つけてほしい気持ちが強くなります』
『反応がないと不安になります』
『食べ物を見ると少し落ち着きます』
『SNSに投稿したくなる衝動があります』
『一人でいると不安が強くなります』
ニコさん。
『怖い時ほど笑わせようとします』
『ボケやツッコミが勝手に出ます』
『SNSに書きたくなります』
『場を明るくしたくなります』
『でも普通に怖いです』
ハジさん。
『身体が先に動きます』
『強がる言葉が出ます』
『勢いで外に出そうになります』
『番長みたいな言い回しが漏れます』
『番長ではありません』
最後の一文に、ニコさんが反応する。
『大事なことなので二回言うやつ』
ハジさん。
『大事だからな』
担当Aは、それらを一つ一つ受け止めた。
『ありがとうございます』
『外見・身体性に加え、対象タレントのキャラクター性が言動や精神状態の表層に反映されている可能性があります』
『便宜上、これを“キャラクター性の表層反映”として記録します』
表層。
表面。
その言葉を見て、俺は少しだけ怖くなった。
表層なら、まだいい。
でも、その表層が積み重なったら?
表面に浮かぶものが、何度も何度も繰り返されたら?
いつか中身まで変わるんじゃないか。
俺は、どこまで俺でいられるんだ。
スウさんが同じような不安を覚えたのか、担当Aに聞いた。
『このまま進むと、元の自分が消える可能性はありますか』
返事は少し遅かった。
『現時点では不明です』
『ただし、皆様が不安を感じている以上、変化の記録と精神的サポートは必要です』
『“元の自分”に関する記憶が乏しい場合でも、現在感じている恐怖・違和感・意思は尊重されるべきものです』
現在感じている恐怖。
違和感。
意思。
尊重されるべきもの。
その文を読んで、俺は少しだけ息を吐いた。
俺には、元の人生の記憶がない。
名前も、昨日のことも、仕事の細かいことも、家族との思い出もない。
それでも、今怖がっているのは俺だ。
今考えているのも、俺だ。
その俺を、ちゃんと扱ってくれる。
少なくとも、担当Aはそういう言葉を選んでいる。
次に、本家側への影響について話が移った。
俺は聞いた。
『本来のタレント側への違和感は、広がっていますか』
担当Aの返答は慎重だった。
『本来のタレント側にも、軽微な違和感が複数確認されています』
『現時点で、配信活動に重大な支障があるとは確認していません』
『ただし、実体化者が本家の配信や音声に触れた際、双方に反応が出る可能性を検証しています』
『詳細は、プライバシー保護のためお伝えできません』
プライバシー。
当然だ。
俺たちは、画面の向こうにいる本物たちの私的な部分に触れていい立場ではない。
でも、違和感はある。
軽微とはいえ、複数確認されている。
俺は唇を噛んだ。
担当Aは暫定ルールを提示した。
『本家配信の長時間視聴は避けてください』
『視聴時に身体・精神の変化を記録してください』
『強い反応が出た場合は中断してください』
『歌、朗読、感情の強い配信・切り抜きなどは反応が強まる可能性があります』
『ただし、無理に我慢してパニックになる場合もあるため、短時間・複数人で・記録しながらの確認を推奨します』
スウさんが言う。
『見たくなったら、避難所で言います』
『一人で見ないようにします』
ニコさん。
『一人で見たら絶対変な下書き増える』
『報告します』
ハジさん。
『俺は見たら勢いで外に出そうだから言う』
俺も打つ。
『俺も一人では長時間見ません』
『見る場合は記録します』
そう書きながら、胸の奥で小さく痛みが走った。
見たい。
見たくない。
画面の向こうにいる本物を見れば、俺が何になってしまったのか分かる。
でも見れば見るほど、俺はその姿に近づいてしまうかもしれない。
推しだったかもしれない存在を見ることが、今は危険行為になっている。
皮肉にもほどがある。
次に、俺は家族のことを相談した。
『家族に明日顔を見せるよう求められています』
『今の姿を完全に隠し続けるのは難しいです』
『どう説明すればいいですか』
担当Aは、しばらく時間を置いてから、段階的な説明案を送ってきた。
『一、体調と記憶感覚に異常がある』
『二、外部相談先と連絡を取っている』
『三、今すぐ医療機関に行くと本人確認や説明で混乱する可能性があるため、相談先と調整中』
『四、危険なことはしていない』
『五、見た目に関して驚かせる可能性がある』
『六、信じにくいことが起きているので、怒らずに聞いてほしい』
五番目で、俺の手が止まった。
見た目に関して驚かせる可能性がある。
それを言うのか。
ついに。
担当Aは続ける。
『ご家族に完全に隠すことは、長期的には難しいと考えます』
『安全な説明方法を一緒に検討します』
『ご家族が冷静に話を聞ける状況を整えることが重要です』
『可能であれば、直接姿を見せる前に文章で説明する方法もあります』
文章。
なるほど。
いきなりドアを開けて、この顔を見せるよりはいい。
先に、少しだけ書く。
変なことが起きている。
自分でも説明できない。
見た目が変わっている。
でも危険なことはしていない。
外部の相談先と繋がっている。
それなら、少しは衝撃を減らせるかもしれない。
減らせるだけで、消せはしないが。
次に、一時保護について説明があった。
『現在、実体化者の一時的な安全確保のため、まずは外部に出ずに済むオンライン支援を優先しています』
『ただし、ご家族への発覚、SNSでの拡散、外見的特徴により自宅待機が難しい方については、個別に保護場所を検討しています』
『本人の同意なく移動を求めることはありません』
『強制ではありません』
ハジさん。
『そこ明言してくれるの助かる』
ニコさん。
『捕獲じゃなかった』
『よかった』
『でも保護場所って響き、まだちょっと怖い』
スウさん。
『家にいるのが限界になったら、相談していいんですね』
担当A。
『はい』
『その場合も、必ず本人の意思を確認します』
敵ではなさそうだ。
少なくとも、今のところは。
それでも完全には信用しない。
信用しきれる状況ではない。
でも、相談できる相手が増えた。
それは大きかった。
面談が終わりに近づいた時、担当Aから新しいメッセージが来た。
『最後に、注意喚起です』
『SNS上で、明らかに外見特徴が隠しきれていない実体化者と思われる動画が拡散され始めています』
『現在、削除要請と拡散抑制を進めています』
『皆様は該当動画に反応しないでください』
ニコさん。
『見たい』
『いや見ない方がいい』
『でも気になる』
『誰か止めて』
『止めます。見ないでください』
俺は即座に返した。
ハジさん。
『見たら反応しそうだから見ない』
スウさん。
『見ないようにします』
俺も見ない。
そう思った。
思ったのに、通知欄のサムネイルが一瞬だけ目に入った。
スーパーの駐車場らしき場所。
人混み。
帽子を押さえる小柄な人物。
そして、その帽子の横から、長い耳のようなものが見えていた。
心臓が跳ねた。
長い耳。
隠せていない。
いや、隠せるわけがない。
俺はまだ隠せる。
スウさんも、ニコさんも、ハジさんも、かなり怪しいとはいえ、帽子やマスクでどうにかなる。
でも、あれは無理だ。
耳が、本当に生えているなら。
感情で動くなら。
声や口調まで漏れるなら。
その人は、外に出た瞬間から逃げ場がない。
担当Aから続きが来た。
『該当する実体化者は、まだこちらと接触できていません』
『状況によっては、皆様の避難所に接触してくる可能性があります』
『その場合、無理に対応せず、すぐにこちらへ共有してください』
俺はその文を避難所に共有した。
全員の反応が止まる。
画面が静かになった。
その静けさを破ったのは、避難所の固定投稿への新しい通知だった。
誰かが、返信している。
俺は開いた。
『助けて』
『耳、隠せない』
『家に帰れない』
短い三行。
それだけで、胸が冷たくなった。
らでんの姿は、まだ隠せる。
でも、隠せない姿になった誰かは、
今この瞬間も、現実のど真ん中で追い詰められている。