四葉からは逃げられない   作:シャケナベイベー

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四葉継承編の映画公開記念に


四葉婚姻編
婚姻は突然に


「四葉深夜と言います。末永くよろしくお願いいたします」

 

 欠片もよろしくしたくなさそうな声と共に幼い少女がドレスの裾を摘み上げて礼をする。こちらを見る紅の瞳は射るようで、紛れもなく歓迎されていないと理解するには充分なものだった。

 

 しかし礼をされた以上返さない訳にもいかないと口を開く。なんでこうなったかなぁ、という思いを胸に押し込めて。

 

「司波龍郎と言います、こちらこそよろしくお願いします」

 

 その言葉と共に差し出した手は取られることなく、四葉深夜はツンと顔を背けた。隣に立っていた友人の七草弘一が笑みを噛み殺しながら肩を震わせていたのでとりあえず後頭部を殴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───人生とは往々にして理不尽なものである

 

 司波龍郎がその真理を理解したのはまだ視界も定まらない頃のことだった。

 

 ぼやけた天井。

 鼻をくすぐる柔らかな匂い。

 耳に届く女性の優しい声。

 

 そして何よりも自身の身体がろくに動かないという最悪の事実。

 

(……赤ん坊だこれ)

 

 気付いた瞬間、司波龍郎──前世でしがないサラリーマンだった男は絶望した。

 前世の記憶は妙に鮮明だった。

 毎日終電近くまで働き、上司に頭を下げ、取引先に謝罪し、休日は疲れ果てて寝潰すだけの人生。劇的な幸福もなければ、劇的な不幸も無い。ただ、薄く伸ばしたカルピスみたいな人生だったと思う。

 

 最後の記憶は、確か会社だった。

 山積みの書類。

 モニターの青白い光。

 鳴り止まないスマホ。

 

 そして胸の奥を雑巾みたいに捻じ切られる感覚。

 

(あー……過労死かなぁ……)

 

 妙に冷静な納得だった。

 そして気付けば赤ん坊になっていたのである。

 

 ちなみに最初に泣いた理由は「転生したショック」ではない。

 

 授乳である。

 

 精神年齢三十代の男にこれはキツい。

 生きる為に必要な行為だと理解はしている。理解はしているのだが、それと羞恥心は別問題だった。

 

 結果、顔を真っ赤にしてギャン泣きした。

 

 周囲は「まぁ元気な子」と微笑ましく受け取っていたが、中身は地獄だった。

 

 そんなこんなで自分……司波龍郎は生を与えられたわけである。察しの良い人なら理解できるだろうか、この名前を。

 

 主人公である司波達也の父親……それが司波龍郎である。サイオン保有量が多く、潜在能力は高いと期待されていたものの結局それを発芽させることなく燻った男。やがて作中屈指のやべー一族である四葉家の婿となり、司波達也と妹の深雪を授かるのである。

 

 ちょっと二度目の人生ハードモード過ぎない?

 いや、何も元の司波龍郎と同じ人生を歩む必要など無いのだ。目立たず騒がず、四葉の目に留まらないような生き方をすれば良い。少なくとも自分が種馬になるような未来は避けられる……でもそうしないと達也と深雪産まれないのでは?

 

 もしかしたら四葉深夜は別の男と結ばれても達也と深雪を産むかもしれない。

 勝手な使命感で原作キャラの人生を背負おうとか傲慢も良いところだ。だが一度考え始めると止まらなかった。

 

 そして結局、気付けば龍郎は敷かれたレールの上を歩いていた。

 

 

 

 

(……まあもう出会い方が狂ってるようなものだから気にしても負けか)

 

 目の前でこちらを睨んでくる幼い四葉深夜を見ながら俺はそんなことを思った。そんなことを言ったら俺が七草弘一の友人であることも充分に可笑しいのだが。

 

 今は西暦2060年。司波龍郎と四葉深夜が出会うには些か早いと言わざるを得なかった。彼らが結婚したのは2078年で、今より十八年は後のはず……本当になんでだ。

 今の龍郎は、ただの子供に過ぎない。

 四葉の末端も末端の分家である司波家の人間とはいえ、まだ何かを成した訳でもなければ、将来性を証明した訳でもない。

 

 せいぜい“サイオン保有量が多い”と少し話題になっている程度だ。

 

 だからこそ分からない。

 

 四葉が何故、自分に興味を示したのか。

 

(いや、四葉なら普通に有望株を確保しようとしててもおかしくないか……?)

 

 そう考えてすぐに否定する。

 

 もしそういう話なら、原作の司波龍郎にも同じ接触があったはずだ。

 だがそんな描写は無かった。

 

 ───つまり何かが違う。

 

 自分が転生者だからなのか、それとも既に原作からズレ始めているのか。

 

 考えれば考えるほど嫌な予感しかしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……ちょっと」

 

 不意に鋭い声が飛んできた。

 

「うん?」

 

 顔を上げれば四葉深夜がこちらをじっと睨んでいた。まるで不審者でも見るかのような目だ。

 

「いくらなんでも人の顔をジロジロと舐め回すように見られては大変不快です」

「あ」

 

 しまった、と龍郎は内心で呻いた。

 考え事に没頭するあまり、無意識に彼女を見続けていたらしい。

 

「いや、そんなつもりは……ごめん。配慮が足りなかった」

 

 深夜の鋭い視線が突き刺さり、慌てて弁明しようとするも結局彼女にそう感じさせてしまったことは事実なので謝罪した。

 しかし謝罪の仕方が気に入らなかったのか爪先で床を叩いた後、その華奢な体躯をヒラリと翻してスタスタと立ち去っていく。

 

「え? いや、あの……」

「真夜、帰るわよ」

「え、もう帰るの? 私もう少し弘一さんと……」

 

 そこで真夜の視線が、隣の弘一へ向く。

 

 瞬間、空気が甘くなった。

 

(うわ出た)

 

 龍郎は思わず遠い目になる。

 未来の七草家当主である弘一は、整った顔に柔らかな笑みを浮かべながら肩を竦めた。

 

「僕は大丈夫。深夜のところに行ってあげてくれ」

「弘一さんが良いなら……それじゃあ、失礼しますね。龍郎さんも」

 

 何やら弘一と甘い雰囲気になっていた四葉真夜は龍郎にも言葉を掛けてから姉の後を追い、扉の向こうへと消えていった。

 部屋に残されたのは、龍郎と弘一、そして四葉の使用人だけだ。

 使用人の人は空気に耐えかねたのか「何かお飲み物をお持ちいたします」と言って先ほどの姉妹が出ていった扉から退出していった。

 

「……慰めはいるか?」

「くたばれイケメンフェイス野郎」

「酷い物言いだな!?」

 

 弘一が本気で心外そうな顔をした。だが知ったことではない。

 

 つい先程まで、真隣で婚約者と甘い空気を漂わせていた男である。

 対してこちらは、初対面の少女に完全拒否を叩き付けられたばかりだ。恨み言の一つくらい出る。

 

「そもそもお前なぁ……!」

「なんだい急に」

「人が気まずい空気になってる横でイチャつくな! 配慮しろ!」

「イチャついてないだろう!?」

「無自覚なのが一番タチ悪いんだよリア充!」

「理不尽過ぎないか!?」

 

 弘一が抗議の声を上げる。

 だが龍郎は止まらない。

 

「何なんだあの空気!? 『弘一さんが良いなら……』じゃないんだよ! 少女漫画か!? ここだけジャンル違ったぞ!」

「いや、そんなこと言われても……」

「くそっ、これだから顔が良い男は……!」

「そこまで言う!?」

 

 弘一は苦笑しながらも少し真面目な表情になった。

 

「でも意外だったな」

「何が」

「いや、深夜があそこまで露骨な態度をとるなんて」

 

 その言葉に龍郎は肩を竦めた。

 

「嫌われたんだろ」

「いや……違う気がする」

「は?」

 

 弘一は少し考えるように目を細める。

 

「深夜は、人に興味を持たない」

 

 静かな声だった。

 

「好き嫌い以前に、他人に感情を向けないんだ。少なくとも、同年代には特にね」

「……」

「だからあれは、むしろ珍しい」

 

 龍郎は思わず眉を寄せた。

 全く嬉しくないし、むしろ嫌な予感しかしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四葉家の屋敷、その一角。

 普段であれば静寂に包まれているはずの私室に、珍しく鈍い音が響いた。

 部屋へ戻ってきた深夜は襖を閉めた瞬間、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

 

「うぅ……」

 

 白魚のような指が、自身の頬を押さえる。

 熱い。鏡など見なくとも分かる。

 

 きっと今、自分の顔は真っ赤になっている。

 

(嫌われた……)

 

 脳裏に浮かぶのは、先ほどの少年――司波龍郎の顔だった。

 

 優しげな声。

 困ったような笑み。

 そして、自分へ差し出された手。

 

 

 

 あれを自分は無視した。完全に真正面から。

 

「絶対に嫌われたわあんなの……!!」

 

 深夜は思わず頭を抱えた。

 本来、彼女はここまで感情を乱す性格ではない。

 四葉の人間として育てられている以上、感情を表に出すことは少なく、常に冷静であることを求められている。

 

 だが今回は無理だった。

 何故なら──

 

 ──司波龍郎が思ったよりずっと普通だったからだ。

 

 もっと傲慢な男を想像していた。

 

 司波家の嫡男。

 サイオン量に優れる期待株。

 四葉に近付けたことを鼻に掛けるような人間かもしれない、と。

 

 だが実際は違った。

 彼は終始困ったように笑っていて深夜の刺々しい態度にも怒らず、むしろ自分が悪かったと素直に謝罪した。

 

 そのせいで余計に──

 

(どうしてあんな見方するのよぉ……!)

 

 思い出してしまう。

 

 あの視線。じっとこちらを見つめる目。

 射抜くような視線ではない、値踏みとも違う。

 

 ただ、ひどく真剣に見られていた。

 そのせいで、深夜はまともに彼の顔を見ることが出来なくなってしまったのだ。

 

 胸が変に騒いで。

 落ち着かなくて。

 何を言えばいいのか分からなくなって───その結果、逃げた。

 

「ふふっ」

 

 そんな姉の様子を眺めながら、真夜は楽しそうに笑みを深める。

 実に良い笑顔だった。普段は完璧に近い姉がここまで動揺している。

 

 妹として、これほど面白いことはない。

 

「姉さんがあんな態度だったもの。龍郎さんも嫌になったのではないかしら?」

「言わないで真夜ぁ……!!」

 

 深夜が悲鳴のような声を上げた。

 

 ───珍しい。

 

 普段の深夜なら絶対に見せない反応である。

 真夜はますます面白くなってきた。

 

「だって本当でしょう?」

「うぅ……」

「せっかく龍郎さん、ちゃんと挨拶してくださったのに」

「分かってるわよぉ……」

「手まで差し出してくださったのに」

「お願いだから抉らないで……」

 

 深夜はとうとう畳に突っ伏した。耳まで真っ赤だった。

 真夜は耐え切れず吹き出す。

 

「姉さん、本当にどうしたの? あんなに分かりやすく慌てるなんて」

「……知らないわよ」

 

 くぐもった声が返ってくる。

 

 しばらくして深夜はゆっくり顔を上げた。

 その紅い瞳には、困惑が滲んでいた。

 

「ただ……」

「ただ?」

「……変な人だったの」

 

 ぽつり、と。

 深夜はそう呟いた。

 

「私を見ても、怖がらなかった」

「……」

「媚びもしないし、怒りもしないし……なのに変に自然で……」

 

 言葉を探すように視線が揺れる。

 

「なんだか、調子が狂うのよ」

 

 真夜は少しだけ目を丸くし、そしてふわりと微笑む。

 

「へぇ」

「なによ」

「姉さん、龍郎さんのこと気になってるのね」

「違っ――」

 

 深夜は反射的に否定しかけ、だが途中で止まった。

 何故なら否定し切れなかったからだ。

 

「…………」

 

 その沈黙こそ答えだった。

 真夜はとうとう堪え切れず、声を上げて笑った。

 

「ふふっ、姉さん可愛い」

「真夜ぁ……!」

 

 

 

 

 

 

 

「そもそも、どうして龍郎さんを相手に選んだの?」

 

 真夜の問いに深夜の身体がぴたりと止まった。まるで急所を突かれたような反応だった。

 

「……っ」

 

 その様子を見て、真夜は目を瞬かせる。

 

 そう。そもそもの話として、この縁談は普通ではない。

 司波家と四葉家の関係自体は古い。だから婚姻そのものに不自然さは無い。

 

 だが、“誰を選ぶか”は別問題だった。 

 

 四葉深夜は、四葉の直系。言うまでもなく最重要人物の一人である。そんな彼女の婚約相手候補など、本来であれば厳選に厳選を重ねて決定されるはずだ。

 

 にも関わらず父──四葉元造に対して龍郎の名前を出したのは深夜本人だった。

 

 真夜は当時のことをよく覚えている。

 普段は滅多に自分の希望など口にしない深夜が、珍しく「その方が良いと思います」と主張したのだ。

 

 元造ですら少し驚いていた。

 だから真夜はずっと気になっていたのである。

 

「……一年前に、お父様達と旅行に行ったでしょう?」

 

 ぽつり、と深夜が口を開く。

 

「ええ。でも、それがどうかしたの?」

「あの時……私、お父様達とはぐれちゃったことがあったじゃない?」

「あったわね」

 

 真夜はすぐに思い出した。

 避暑地として有名な海外リゾート。

 

 人も多く、警備も付いていたとはいえ、深夜が一時的に姿を見失ったことがあったのだ。

 

 もっとも騒ぎになる前に見つかった。

 だから真夜も深く気にしていなかったのだが……

 

「でも姉さん、ちゃんと待ってたじゃない」

「……その待ってる間に」

 

 深夜の声が、少しだけ柔らかくなる。

 

「話しかけてくれる男の子がいたの」

 

 真夜は静かに姉を見つめた。

 

「その時は白くてツバの広い帽子をかぶっていたから……私が誰かなんて分からなかったんでしょうけど」

 

 深夜は膝を抱える。

 その紅い瞳が、どこか遠くを見ていた。

 

「その子、アイスを買ってくれて……」

「アイス?」

「ええ」

 

 深夜は小さく頷く。

 

「暑い中ずっと待ってたから、熱中症になるといけないって」

 

 その言葉に真夜は僅かに目を見開いた。

 四葉の人間として扱われる時、深夜は常に“特別”だった。

 

 恐れられる。

 畏れられ、距離を取られる。

 

 同年代の子供ですら、深夜を前にすると妙に硬くなる。

 だがその少年は彼女を“普通の女の子”として扱ったのだ。

 

「少し話したけど……とても良い人だなって思ったの」

 

 深夜はぽつりと呟く。

 

「それで、その子はご両親に呼ばれて行っちゃって……」

 

 そこで言葉が止まる。

 真夜は続きを促すように首を傾げた。

 

「……姉さん?」

「…………」

 

 深夜は少し躊躇ってから、小さく息を吐いた。

 

「でも、最後に」

 

 彼女の頬がまたほんのり赤くなる。

 

「……また会えたらいいね、って」

 

 その瞬間、真夜は全てを理解した。

 

 ああ、なるほど。これは駄目だ。

 姉はあの時点で落ちていた。しかもかなり深く。

 

「ふふっ」

「な、なによ」

「いいえ?」

 

 真夜は楽しそうに笑みを深める。

 

「それで? どうして龍郎さんだって分かったの?」

「……お父様が持っていた資料を見た時」

 

 深夜は観念したように答える。

 

「司波龍郎って名前を見て、写真を見て……すぐ分かったの」

「へぇ」

「だから……」

 

 そこで深夜は言い淀む。

 だが、やがて意を決したように小さく口を開いた。

 

「……あの人なら、良いかなって」

 

 真夜はとうとう吹き出した。

 

「姉さん、それ完全に初恋じゃない」

「〜〜〜〜っ!!」

 

 深夜は耳まで真っ赤に染めながらクッションを真夜へ投げ付けた。




司波龍郎:転生者。この先の苦労が確定している男。十歳。腐らず生きようということで体術の鍛錬に励んでいる。深夜からの第一印象は最悪だろうとちょっと落ち込んでいる

四葉深夜:将来の達也と深雪のお母様。いろいろと原作とのズレがあるため、この段階から龍郎との婚約が決定した。本人は満更でもないが緊張で冷たい態度を取ってしまったので絶賛後悔中

七草弘一:龍郎と同じ学校で良い友人。七草家と知っても態度を変えなかったので嬉しかった。ちなみに殴られた後頭部はまだヒリヒリする。絶賛婚約者の真夜とイチャイチャ中。その幸せがいつまで続くかな

四葉真夜:この時点では天真爛漫な深夜の妹。姉も婚約者も家族もみんな好き。姉の内心を知っているので内心大爆笑
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