アリスがブルアカ宣言してテラー化する話   作:新人先生

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前編です。
光のブルアカ宣言×闇のテラー化というコンセプトなので、テラー化が苦手な方はご注意を。

【追記】
透明ランキング1位、ルーキーランキング9位、日間短編ランキング2位を取りました。全体の日刊ランキングにもちょっとだけ入りました。ランキングを追うのを一時忘れていたので、より高い順位に到達していた可能性もあります。

何はともあれ、本当にありがとうございます!


【前編】アリスがブルアカ宣言してテラー化する話

 アリスは、勇者です。

 

 だから、困っている人を助けます。

 だから、悪い魔王は倒します。

 だから、仲間とは最後までいっしょです。

 

 そういうものだと、ずっと思っていました。

 

 いえ、今でも、思っています。

 少なくとも、アリスの好きなゲームでは、だいたいそうでした。途中で仲間が離脱してしまうイベントもありますし、二度と会えなくなるキャラクターもいます。けれど、そういうのは大抵、物語を盛り上げるための演出です。後で生きていたことが分かったり、別ルートで救えたり、隠し条件を満たせばハッピーエンドに辿り着けたりします。

 

 そうでなければ、困ります。

 

 だって、それではあんまりですから。

 

 アリスは最近、ときどき考えます。

 先生のことを。

 モモイのことを。

 ミドリのことを。

 ユズのことを。

 友達のみんなのことを。

 

 みんなは、いつか死にます。

 

 アリスは、そのことを知っています。

 

 人はいつか死ぬ。

 寿命があります。

 怪我をしても死にます。

 病気でも死にます。事故でも死にます。戦いの中で、あっけなく終わることだってあります。

 

 アリスは死にません。

 少なくとも、みんなのようには死にません。

 機械ですから。

 

 だから最近、アリスは考えるのです。

 

 最後にアリスだけが残ったなら。

 みんなを見送ることしかできなかったなら。

 その勇者は、本当に勇者なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 その日、アリスは約束をしていました。

 

 放課後、ゲーム開発部のみんなといっしょに、古いゲームショップへ行く約束です。

 表通りから少し外れた路地の途中にある、小さなお店でした。店長さんはやさしい人で、モモイがうるさくしても怒らなくて、ミドリにおすすめのソフトを教えてくれて、ユズと古いゲームの話をするときだけ少し子供みたいに笑う人でした。アリスのことも「勇者さん」と呼んでくれました。

 

 先週、壊れかけていた古い携帯ゲーム機を見せながら、店長さんは言いました。

 

「来週までには、なんとかしておくから」

 

 だからアリスは、その日を楽しみにしていました。

 

 でも、お店は閉まっていました。

 シャッターが半分まで下りていて、ガラス戸の内側に、白い紙が一枚貼られていました。

 

 アリスは、ガラスに顔を近づけて、その紙を読み上げようとしました。

 

「店主……」

 

 そこで止まりました。

 

 次の二文字が、読めませんでした。

 最初の字は、見たことがありませんでした。次の字は読めます。「去る」という字です。でも、並べるとよく分かりません。

 

 アリスは、振り返りました。

 

「モモイ。これ、なんて読むんですか?」

 

 モモイは紙の方を見て、少しだけ表情を変えました。

 ミドリも、ユズも、同じものを見ます。

 

 モモイは少しだけ焦った顔をして、言い直しました。

 

「……えっと、“せいきょ”って読むの」

 

 アリスは、もう一度紙を見ました。

 

「店主逝去のため、しばらく休業いたします」

 

 読めるようになっても、意味は分かりませんでした。

 

「“せいきょ”って、なんですか?」

 

 誰もすぐには答えませんでした。

 

 その一瞬の沈黙が、アリスには少し変に思えました。

 読み方を教えるのは簡単なのに、意味になると、みんな少しだけ言いにくそうにするのです。

 

 ミドリが、先に目を伏せました。モモイは唇を結んでいます。

 ユズが、静かに言いました。

 

「……亡くなった、ってこと」

 

 アリスは、少しだけ首を傾げました。

 

「なくなった」

 

 アリスは、紙の方を見ました。

 

「……それは」

 

 その言葉の意味だけは、アリスにも分かります。ゲームで見たことがあります。

 だから、アリスは確かめることにしました。

 

「死んだ、ということですか?」

 

 仲間が死ぬイベント。

 村人が死ぬイベント。

 王様が死ぬイベント。

 勇者の師匠が死ぬイベント。

 

 それらはずっと、画面の中の話でした。けれど、店長さんはそうではありません。

 

「……店長さんは、死んじゃったんですか?」

 

 ユズが、小さく頷きました。

 

「うん」

 

 アリスはもう一度、貼り紙を見ました。

 

 “店主逝去のため、しばらく休業いたします。”

 

 意味は、もう分かります。

 でも、それだけでは足りませんでした。

 

「……店長さんに、もう一度会うにはどうすればいいんですか? 教会にゴールドを持っていけばいいんですか? あんまりお金はないですけど、先生に頼めば助けてくれると思います! それとも、復活の魔法を使うんですか? あっ! もしかして、天国の新マップを開放するイベントが――」

 

「……アリスちゃん」

 

 声が途切れました。ユズが、小さく息を吸って、そっと口を開きました。

 

「それは、できないよ」

 

 アリスは、ほんの少しだけ、瞬きをしました。そして、もう一度聞きました。

 

「なぜですか?」

「そういうゲームじゃないから」

 

「でも、先生を呼べば――」

「先生だって、死んだ人を生き返らせることはできないんだよ」

「……?」

 

 アリスは、理解ができませんでした。

 先生は、たいていのことを何とかしてくれます。

 だからアリスは、てっきり今回もそうなのだと思っていました。

 

「……先生でも、だめなんですか?」

 

 誰もすぐには答えませんでした。

 少しして、今度はミドリが小さく言いました。

 

「……うん」

「どうしてですか?」

「死んだら、そこで終わりなんだよ。これは、私たちがどうにかできることじゃなくて……世界の仕組みみたいなものだから」

「……? じゃあ、」

 

 アリスは、聞きました。

 

「もう、会えないってことなんですか?」

 

 ミドリが、小さく頷きました。

 

「……うん」

 

 それだけでした。

 

 ガラス戸の向こうの店内を見ます。

 あそこに、いつも店長さんがいました。来週までにはなんとかしておく、と言ったのも、あそこです。

 

 なのに、もういません。

 

 いないのではなく、戻らない。

 もう会えない。

 

 来週までには、と言ったのに、その“来週”が来ても、店長さんはそこへ来ていない。

 

「……約束、したのに」

 

 モモイはしばらく考えこむと、少し困ったように眉を寄せながら、こう言いました。

 

「アリス……それは、仕方がないことなんだよ」

「どうしてですか?」

「人が死ぬって、そういうことだから。でも、やっぱり急だったよね。私だって、まだ信じられないよ。少し前まであんなに元気そうだったのに……」

 

 急なこと。

 

 はい、それは分かります。

 でも、急ならなおさら変です。

 

 ゲームなら、伏線があります。

 心の準備があります。

 別れを予感させるイベントがあります。

 

 ですが店長さんは、この前も普通でした。

 普通だった人が、次の週にはいなくなる。

 

 それは、ずるいです。

 

 アリスは、その日初めて、「死」はゲームの中で見る大きな出来事ではなく、もっと静かに、もっと取り返しがつかない形で来るのだと知りました。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく、アリスはいつも通りにしていました。

 

 学校へ行って、部活をして、先生と話して、お昼を食べて、ゲームをして、みんなと笑う。

 でもアリスの中では、ひとつだけ、元に戻らないものがありました。

 

 みんなを見ると、同時に「いつかいなくなる」まで見えてしまうのです。

 

 先生を見たら、先生です。

 でも同時に、「いつか死ぬ先生」でもあります。

 モモイも、ミドリも、ユズも、そうです。

 

 前は、そんなことはありませんでした。

 今は、見えてしまいます。

 

 ある日の放課後、みんなでファミレスへ行きました。

 モモイが期間限定メニューに目を輝かせて、ミドリがそれを冷静に止めて、ユズがドリンクバーで悩んで、先生が紙ナプキンを取ろうとして少し届かなくて、ユウカに「ちゃんと野菜も食べてください」と言われていました。

 

 とても良い場面でした。

 

 なのにアリスは、その席を見ながら考えていました。

 

 この席は、いつまで五人分あるのでしょう。

 

 来年もあるでしょうか。

 十年後は?

 百年後は?

 

 そんなの、あたりまえです。

 ですが、あたりまえというのは、ときどき急に恐ろしくなります。

 

 そのときモモイが、ストローをくるくる回しながら、何気ない調子で言いました。

 

「そういえばさー、あたしたちが大人になったあとって、どうなるんだろ」

 

 ミドリがすぐに顔を上げました。

 

「どうなるって?」

「だからさ、部活はそのうち終わるじゃん? 卒業したら、“ゲーム開発部”って形では集まれないでしょ」

「まあ、それはそうだね」

「部活じゃなくなってもさ、今みたいに集まって、新作の話したり、くだらないことで揉めたり、完成したらみんなで騒いだり……そういうの、できるのかなって」

 

 ミドリは、少しだけ考えてから言いました。

 

「……続いてたら、ちょっと嬉しいかも」

「でしょ!?」

 

 モモイがぱっと明るくなりました。

 

「なんかさ、そういうの良くない? 大人になっても、ふらっと集まって、“じゃあ次は何作る?”って話せるの」

 

 ユズが、やわらかく笑いました。

 

「ふふ……いいかも、しれないね」

 

 笑いが起きました。

 

 でもアリスは、笑えませんでした。

 

 “大人になったあと”。

 

 その言葉の中には、「今のままではいられない」が最初から入っています。

 大人になるということは、時間が経つということです。

 時間が経つということは、どこかに最後があるということで――

 

「どうしたの、アリス? なんだか難しい顔してるね?」

「……あっ。な、なんでもありません! アリスは元気です!」

 

 いけません、先生に心配をかけてしまいました。アリスは、両手を握って腰に当ててから、大きく胸を張りました。

 

「アリスは勇者です! どんな困難でも乗り越えて、大切なものを守り抜きます!」

 

 

 

 

 

 

 その数日後、部室ではいつも通りの空気が流れていました。

 

 モニターの熱。

 机の上に散らばったラフ案。

 開けかけのお菓子の袋。

 モモイの私物。

 ミドリがまとめた資料。

 ユズの控えめなメモ書き。

 

 少しだけ雑然としていて、でもアリスにはとても落ち着く風景でした。

 モモイは、椅子の上で半分立つみたいな姿勢で、なにやら身振り手振りを交えて話していました。

 

「聞いて聞いて! 新しい企画の話なんだけど……アイデアが降ってきたよ!」

 

 その声は、部室に入った瞬間から元気でした。

 たぶん、頭の中でもうかなり出来上がっているのです。そういうときのモモイは、止まりません。

 

「今度のはね、王道っぽい雰囲気で始まるんだけど、途中から“あれ、この世界ちょっと変じゃない?”ってなってくやつなんてどう? 最初は普通に学園ものっぽいのに、根っこの方に妙な穴があって、それに主人公だけが気づいちゃう感じ!」

「……お姉ちゃん、それこの前も言ってた」

 

 ミドリが、資料から目を上げずに言いました。

 

「違うって! 前のは普通の学園ミステリー! 今回は、もっと世界観設定そのものに変なところがある感じで……メタフィクション?ってやつ!!」

「同じに聞こえる」

「聞こえませんー! 全然違いますー!」

 

 ユズが、困ったように少し笑いました。

 

「ふふ……でも、面白そう、だね」

 

 モモイは、それを聞いてさらに勢いづきました。

 

「でしょ!? しかも最後はちゃんとハッピーエンド! 途中で不穏でも、最後はぜったい後味よくしたいんだよね! 頑張った人がちゃんと報われて、“ああ、この物語好きだなー”って思えるやつ!」

 

 アリスは、そのやり取りを見ながら、少しだけ胸があたたかくなるのを感じました。

 

 そういうのが、好きです。

 努力が報われること。

 苦しいことがあっても、最後にはちゃんと笑えること。

 途中で傷ついても、物語の終わりには「よかった」と思えること。

 

 アリスは、そういうお話が好きでした。

 

「アリスちゃんはどう思う?」

 

 ユズに聞かれて、アリスは少しだけ考えてから答えました。

 

「良いと思います」

「お、賛成きた!」

「でも」

 

 モモイが身を乗り出しました。

 

「でも?」

 

 アリスは、机の上のラフ案を見ながら言いました。

 

「主人公だけが世界の変さに気づくなら、その“変さ”は、本当に変でないといけません」

「おお……」

「ただ秘密があるだけでは足りません。主人公が“これは見過ごせない”と思うくらい、根本のところが変でないと」

 

 ミドリが、意外そうな顔をしました。

 

「……アリスちゃん、珍しく厳しい」

「ゲームは大事ですから」

 

 アリスがそう言うと、モモイはなぜかすごく嬉しそうに笑いました。

 

「よーし、じゃあもっと詰めよう!」

 

 その全部が、あまりにもいつも通りでした。

 だからアリスは、そのとき一瞬だけ、安心してしまったのです。

 

 ああ、だいじょうぶです。

 みんなはここにいます。

 笑っています。

 新しい企画の話をしています。

 次のゲームを作ろうとしています。

 

 こういう時間が、ずっと続けばいいのに、と。

 

 でも、その願いは、考えれば考えるほど、別の形を取り始めました。

 

 気がつくと、アリスは口に出していました。

 

「……みんなは、大人になったあと、死ぬのが怖くないんですか?」

 

 部室が静かになりました。

 みんな、アリスがなぜ急にそんなことを聞くのかを考えているような顔でした。

 先生は、すぐには何も言いませんでした。少し困ったような、優しいような、難しいような目をしていたので、アリスはなんとなく、まずいことを言ったのかもしれないと悟りました。

 

「――怖いよ」

 

 先生が、ようやく口を開きました。

 

「誰だってそうだと思う」

 

 アリスは先生を見ました。先生は、今度は少しだけ笑わない顔で続けます。

 

「でも、それをずっと考え続けていると、今ここにいる時間まで怖くなってしまうから」

「……それは、だめなんですか?」

 

 先生は、すこし苦しそうに答えました。

 

「だめ、というより……今を生きることと、いつか終わることは、本当は別々じゃないんだ。終わりがあるから意味がある、なんて簡単には言いたくないけど……でも、終わりがあるから、一緒にいる時間が大事になることは、たぶんある」

 

 アリスには、その理屈が少しわかって、少しわかりませんでした。

 

 終わりがあるから大事。

 それは、理屈としてはそうなのかもしれません。

 

 でも、人はアイテムではありません。

 取り返しがつかないから価値がある、というのは。

 裏を返せば、取り返しがつかなくなることを受け入れている、ということでもあります。

 

 そんなのは。

 

 そんなのは、やっぱり、少しおかしいです。

 

「アリスは」

 

 自分でも驚くくらい、声が静かでした。

 

「大事なら、なくならない方がいいと思います」

 

 誰もすぐには答えませんでした。

 

 それはたぶん、アリスが子供っぽいことを言ったからではありません。

 むしろ逆で、あまりにも真ん中を言ってしまったからです。

 

 大事なら、なくならない方がいい。

 

 そんなの、たぶん、誰でもそうです。

 

 だからこそ、どうにもならない。

 

 でも、アリスには、その「どうにもならない」が、どうしても受け入れられませんでした。

 

 大事なら、なくならない方がいい。

 アリスは、本気でそう思いました。

 

 

 

 

 

 

 それからのアリスは、少しずつ、「死を受け入れる」という言葉そのものが嫌いになっていきました。

 

 ニュースで「ご冥福をお祈りします」と聞くたびに。

 「穏やかな最期だったらしい」と語る人の声を聞くたびに。

 図書室で「有限だからこそ人生は美しい」と書かれた本を読むたびに。

 

 アリスは思いました。

 

 それは、失われたものを取り戻す言葉ではありません。

 失われたものを失われたものとして確定させ、その上にやわらかい布をかける言葉です。

 

 美しいから受け入れるのではなく、受け入れるしかないから美しいと言い換えている。

 アリスには、そう見えました。

 

 やさしい言葉です。

 でも、そのやさしさは、行き止まりに置かれた案内板みたいでした。

 

 この先、行き止まりです。お気をつけてお進みください。

 

 アリスが欲しいのは、案内ではありません。

 迂回路でもありません。

 隠し通路です。攻略法です。

 

 行き止まりそのものを、どうにかする方法です。

 

 なのに、世の中には、きれいな名前をつけるための言葉が、あまりにも多くありました。

 

 それが最近、アリスには我慢ならなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 その日、先生に呼び止められたのは、放課後の渡り廊下でした。

 

 先生は、できるだけ誠実に話してくれました。

 

 死が怖くない人なんていないこと。

 なくせないものをなくせないと認めることと、それに負けることは違うこと。

 終わりがあることまで含めて、その人の生き方なのだということ。

 

 アリスは、ちゃんと聞いていました。

 先生が誠実で、やさしくて、たぶん正しいことも分かっていました。

 

 でも、だからこそつらかったのです。

 

「アリスが知りたいのは、そういうことではありません」

 

 アリスは、静かに言いました。

 

「抱えて生きる方法ではなくて。受け入れるための考え方ではなくて。今を大事にするための心構えでもなくて」

 

 息を吸いました。

 

「終わらせない方法が知りたいんです」

 

 先生は、長いこと黙っていました。

 それだけで、アリスには分かってしまいました。

 

 先生は、その方法を知りません。

 そして、答えられないまま、それでもアリスを傷つけない言葉を探してくれている。

 

 それはやさしいです。

 でも、やさしいだけです。

 

 やさしいだけでは、みんなは死にます。

 もし、それでも、みんなが死ぬのを受け入れるのなら。それが世界のルールなら。

 

 アリスは、そんな世界に立ち向かってみせます。

 

 

 

 

 

 

 その日は、最初から少しだけ、おかしかったのです。

 

 ミレニアムは今日もミレニアムでしたし、ゲーム開発部の部室もいつも通りでした。机があって、モニターがあって、お菓子の袋があって、モモイの私物が広がっていて、ミドリがそれを端へ寄せて、ユズがロッカーに閉じこもって何かをしている。

 

 少しだけ雑然としていて、とても安心する風景です。

 

 だから、たぶん。

 おかしかったのは、アリスの方です。

 

 みんながいつも通りであればあるほど、アリスの中の違和感は居場所をなくしていきます。

 世界が平和なら平和なほど、アリスの考えていることだけが異物になります。

 

 その日、モモイはあの企画の話をしていました。

 

「ほら、ちょっと前に話してた企画。あれさ、やっぱ面白いと思うんだよね」

「お姉ちゃん、またそれ? 世界のルールそのものに穴がある設定で、主人公だけがそれに気づいて……ってやつでしょ?」

「そう!普通の冒険物じゃなくて、なんかこう……ゲーム自体が実はバグってる、みたいな?」

 

 アリスは、その言葉で少しだけ息を止めました。

 

 主人公だけが気づく、世界の根本の破綻。

 モモイはゲームの話をしているだけです。

 でも、最近のアリスには、それが笑えませんでした。

 

「……先生」

 

 気がつくと、呼んでいました。

 部室の空気が、ほんの少し止まりました。

 

「どうしたの、アリス」

「先生は前に言いました。死は怖いけれど、抱えながら生きるしかないこともあると」

 

 先生は頷きました。

 

「……うん、言った」

「終わりがあることまで含めて、その人の生き方だとも言いました」

「……そうだね」

 

 アリスは、みんなを見ました。

 

「でも、アリスは、それが嫌です」

 

 その言葉は、とても簡単でした。

 簡単すぎて、ずっと言えなかったのかもしれません。

 

「嫌なんです。先生が死ぬのも。モモイが死ぬのも。ミドリが死ぬのも。ユズが死ぬのも。みんながいなくなるのも。会えなくなるのも」

 

 胸の奥で、ずっと押し込めていたものが、ようやく形になって流れ出していました。

 

「それが真実だって言われても、この世界の本質だって言われても……アリスは好きじゃないんです」

 

 部室が、しん、と静まり返りました。

 先生が低い声で言いました。

 

「アリス。落ち着いて」

「落ち着いています」

 

 すぐに答えました。

 

「とても、落ち着いています」

 

 でも、その声が耳に届いた瞬間、モニターの端に細いノイズが走りました。

 ほんの一瞬です。けれど、アリスには分かりました。

 

 なにかが、もう始まっています。

 

 先生が何か言おうとしました。

 モモイが椅子を引く音がしました。

 ミドリが立ち上がる気配がありました。

 ユズがアリスの名前を呼んだ気がしました。

 

 でも、もう、その全部が少し遠かったのです。

 

 アリスは一歩、前に出ました。

 

「アリスには、好きなものがあります。ゲームがあります。ゲーム開発部があります。先生がいます。みんなとの毎日があります。アリスは、自分が好きなものについては、絶対に譲れません……!」

 

 息がうまくできません。

 胸が痛いです。でも、言葉は勝手にあふれてきました。

 

 世界に、色が滲みました。

 最初は、光の加減かと思いました。

 でも違います。

 ありえない色でした。何かの反射でも、影でもない。見ているだけで世界の方が間違っている気がしてくるような、不快なにじみ方でした。

 

「友情で苦難を乗り越えて、努力がちゃんと報われて、辛いことは慰めて、友達(フレンド)と慰め合って……苦しいことがあっても、誰もが最後には笑顔になれるような……っ!! そういうお話が、アリスは好きなんです……!」

 

 窓の外の光が、わずかに歪みました。

 モニターのノイズが、今度は消えませんでした。

 先生がアリスに駆け寄ってくる音がしました。

 

「アリス、待って――」

 

 たぶん、そう言ったのだと思います。

 でも、もうよく聞こえません。

 

「なのにみんなは、違います。終わりがあるって言います。なくなるのは仕方ないって言います。死ぬことまで含めて人生だって言います。悲しくても、抱えて生きるしかないって言います」

 

 先生がくれた言葉でした。

 やさしい言葉でした。

 誠実な言葉でした。

 

 だからこそ、余計につらかったのです。

 

 部室の輪郭が、少しだけ薄くなりました。

 窓枠も、机も、椅子も、全部が一枚紙の上に乗った絵みたいに見えます。

 世界の上に被せられていたものが、少しだけ浮き上がる。

 

 そんな感じでした。

 

「そんなの……」

 

 アリスは唇を噛みました。

 涙で視界がにじみます。

 でも、それでも見えました。

 見たことのない色彩が、もうアリスのすぐそばまで来ています。

 

「そんなの、ハッピーエンドじゃありません」

 

 先生が、今度ははっきりとアリスの肩へ手を伸ばしました。

 でも、その前に、空気そのものがずれました。

 

 音が一瞬、遠くなります。

 心臓の音だけが大きくなります。

 胸の奥の、名前よりも古い場所が、ひどく冷たい熱を持って脈打ちました。

 

 ――ケイ(Key)

 

 呼ぶ前に、分かってしまいました。

 アリスの中の、もっとも深い部分が、反応している。

 

 それでもアリスは、止まりませんでした。

 

「誰が何と言おうとも……何度だって言い続けます」

 

 みんな、なにか言っていました。

 たぶん、止めようとしていました。

 でも、その声はもう、水の底から聞こえてくるみたいでした。

 

「アリスの好きな物語は、アリスが決めるんです。終わりになんてさせません」

 

 もう涙声でした。

 

 モニターが一斉に白く乱れました。

 窓の外の空が、ほんの一瞬だけ別の何かに裏返ったように見えました。

 部室の奥行きが、変になりました。近いのに遠くて、遠いのに薄い。

 

「まだまだ続けていくんです。先生も、みんなも、友達も……誰も、いなくならせません。誰にも、終わりになんてさせません!」

 

 アリスの耳には、もう自分の声しか残っていませんでした。

 

 苦しいです。

 痛いです。

 怖いです。

 

 でも、それ以上に、失いたくなかった。

 

「アリスたちの物語を――」

 

 胸の奥が、かちりと鳴りました。

 

 それは音ではありません。

 でも、確かに噛み合ったのです。

 

 鍵が。

 色彩が。

 祈りが。

 

 全部、いっぺんに。

 

――アリスたちの、青春の物語(Blue Archive)を!

 

 その言葉を言い切った瞬間、部室の風景が、ぐらりと傾きました。

 先生の手は、届く前に、引き剥がされるみたいに遠のきました。

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