壊れる前の音を、君は知らない   作:シュユ

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処女作です。機能もシステムも把握しきれてないので、手探りでやっていきます。


導入
第1話 盤上に上がらない駒


――坂柳有栖視点

 

 Aクラスという肩書きは、万能の証明ではありません。

 

 この学校における最優秀集団。

 そう聞けば聞こえはいいでしょう。ですが、実際にそこへ集められた生徒たちが皆同じ方向を向いているかと問われれば、答えは否です。

 

 優秀であることと、協調できることは必ずしも一致しない。

 むしろ優秀であるからこそ、自分の正しさを簡単には譲れない。

 

 放課後の教室で交わされる議論も、その典型でした。

 

「現時点で大きな賭けに出る必要はない。堅実にポイントを積み重ねるべきだ」

 

 葛城くんの低い声が、教室に落ちる。

 

 何人かの生徒が頷き、また何人かは判断を保留するように黙り込んだ。

 実に彼らしい意見です。

 

 誠実で、安定を重視し、致命傷を避ける。

 悪く言えば、面白みに欠ける。

 

「その案では、現状維持が精々でしょうね」

 

 私は机に肘を置いたまま、そう返しました。

 

 葛城くんがこちらを見る。

 視線に怒りはない。けれど、自分の意見を軽んじられたことへの不快感は、隠そうともしていませんでした。

 

「現状維持で何が悪い」

 

「悪いとは言っていません。ただ、守るばかりでは、いずれ追いつかれます」

 

「攻めて自滅するよりはましだ」

 

「ええ。ですが、守り続けて得られるものにも限界があります」

 

 小さく火花が散る。

 

 とはいえ、もはや珍しい光景ではありません。

 Aクラスの主導権を巡るこの手の応酬は、日常の一部と言っていいでしょう。

 

 葛城くんは安定を望む。

 私は停滞を好まない。

 

 どちらが正しいかなど、その時々の状況によって変わります。

 だからこそ、周囲の生徒たちは安易に結論を出さない。ある者は葛城くんの堅実さに頷き、ある者は私の言葉の先を探るように目を細めていました。

 

 Aクラスは、決して一枚岩ではない。

 

 それでも、この教室に漂う緊張は嫌いではありませんでした。

 能力のある者たちが、互いの思惑を隠しながら距離を測る。そこには退屈とは程遠い、盤面特有の静かな熱があります。

 

 ……もっとも。

 

 その熱の外側に、最初から腰を下ろしている生徒が一人だけいましたが。

 

 窓際後方の席。

 白峰奏(しらみねかなで)くんは、頬杖をついたまま視線を外へ流していました。

 

 聞いているのか、いないのか。

 一見しただけでは判別しにくい姿勢です。

 

 窓から差し込む夕方の光が、彼の淡い髪に薄くかかっている。

 その横顔は教室の騒がしさから少しだけ切り離されているようで、同じ空間にいながら、別の速度で時間を過ごしているようにも見えました。

 

 ですが、彼が会話の内容を取りこぼしていないことは分かっています。

 

 このクラスで、最も掴みづらい生徒。

 

「白峰くん」

 

 呼ぶと、彼はゆっくりとこちらを向きました。

 

「どう思われますか?」

 

 教室内の視線が集まる。

 

 本人はそれを気にした様子もなく、少しだけ考える素振りを見せました。

 長考というほどではありません。けれど、何も考えていないわけでもない。

 

 必要な音を探すような、短い沈黙。

 

「……葛城くんは、失点を嫌っている」

 

 静かな声でした。

 

「坂柳さんは、加点を欲しがっている」

 

 そこで一拍置く。

 

「それだけじゃないかな」

 

 たった、それだけ。

 

 どちらが優れているとも言わず、賛同も反対も示さない。

 ですが、論点だけは寸分違わず拾っている。

 

 葛城くんが軽く眉を寄せました。

 

「相変わらず曖昧だな」

 

「そう?」

 

 白峰くんは首を傾げる。

 本気でそう思っているのか、はぐらかしているのか。分からない顔です。

 

 私は思わず口元を緩めました。

 

「明確な立場を示すのがお嫌いなのですね」

 

「示した方がいい場面なら、示すよ」

 

「今は違う、と?」

 

「うん」

 

 短い返答。

 会話を広げる気はないのでしょう。

 

 それきり彼はまた、窓の外へ視線を戻しました。

 

 なんとも不親切な人です。

 

 ですが同時に、実に興味深い。

 

 白峰奏。

 

 学力は高い。判断も悪くない。

 身体能力に関しては特別優れているとは言い難いものの、少なくとも足を引っ張るほどではない。

 

 Aクラスに所属している以上、一定以上の能力を持っていることは当然です。

 けれど、彼を語る上で本当に厄介なのは、そこではありません。

 

 この男は、人の思考や感情の流れを読むことに関して、時折こちらの想定を外してくる。

 

 表情の変化。

 声の調子。

 沈黙の置き方。

 そうした些細なものから、まるで糸を手繰るように相手の状態を拾い上げる。

 

 にもかかわらず、自ら前に出ることがない。

 

 葛城派にも属さない。

 もちろん、私の側に付くわけでもない。

 

 必要最低限の言葉だけを落とし、あとは眺めている。

 

 まるで。

 

 盤上に置かれた駒でありながら、自分だけはゲームの外にいるとでも言いたげに。

 

 会議はその後も続いたものの、大勢は決しないまま解散となりました。

 

 結論が出なかったことを不満に思う者もいれば、ひとまず争点が明確になっただけで十分だと考える者もいる。

 葛城くんは最後まで表情を崩さず、必要な確認だけを済ませると席を立ちました。

 

 私はしばらく教室に残り、生徒たちが散っていく様子を眺めていました。

 

 誰が誰に目配せをしたか。

 誰が最後まで発言を控えたか。

 誰が葛城くんの言葉に強く頷き、誰が私の言葉に反応したか。

 

 盤面にある駒の位置を確かめることは、決して無駄にはなりません。

 

 ただ、最後に視線を向けた窓際の席には、もう白峰くんの姿はありませんでした。

 

 私はゆっくりと立ち上がり、教室を後にします。

 

 向かった先は中庭でした。

 

 春の夕暮れ。

 風は穏やかで、人の気配も少ない。

 

 校舎の影が長く伸び、昼間の騒がしさが少しずつ遠のいていく時間。

 その静けさの中に、ぽつりとピアノの音が混じっていました。

 

 聞き慣れた旋律です。

 

 学校の備品に過ぎないあのグランドピアノを、ここまで日常的に使う生徒は一人しかいません。

 

 白峰くんは、今日もそこにいました。

 

 夕陽を背に鍵盤へ向かう姿は、妙に現実感が薄い。

 校内にいるというより、切り取られた舞台の一幕を見ているような気分になります。

 

 音は静かでした。

 

 けれど、弱いわけではない。

 誰かに聴かせるために大きく鳴らしているのではなく、自分の中にある何かを確かめるような音。

 

 丁寧で、穏やかで、少しだけ遠い。

 

 白峰くんらしい音だと思いました。

 

 一曲が終わるのを待ち、私は声をかけます。

 

「精が出ますね」

 

「坂柳さん」

 

 振り返った彼は、驚きもせず小さく笑いました。

 

 予想していたのか。

 それとも、誰が来ても同じ反応だったのか。

 

 判別はつきません。

 

「会議の続き?」

 

「いいえ。ただ少し、確認したいことが」

 

 私はピアノの脇で立ち止まりました。

 

「あなたは、どちらに付くおつもりですか?」

 

「どちら?」

 

「葛城くんか、わたくしか」

 

 白峰くんは鍵盤に指を置いたまま、少しだけ目を伏せました。

 

 風が吹き、木々が揺れる。

 数秒の沈黙の後、単音が一つ鳴りました。

 

 軽く、沈まない音。

 

「どちらも、間違ってはいないと思う」

 

「優等生の答えですね」

 

「そうかな」

 

「少なくとも、わたくしには退屈な答えに聞こえます」

 

 彼は困ったように笑いました。

 否定はしません。

 

「ですが、選ばなければならない時も来ます」

 

「そうかな」

 

「来ますよ」

 

 断言すると、白峰くんは鍵盤から指を離しました。

 

「その時に考える」

 

「悠長ですね」

 

「急ぐ理由もないから」

 

 私は白峰くんの横顔を見る。

 

 穏やか。

 柔らかい。

 人当たりも悪くない。

 

 それなのに、この男は決定的な何かを見せない。

 

 欲望。執着。競争心。

 人を前へ進ませる熱のようなものが、表面からほとんど読み取れない。

 

 葛城くんには、Aクラスを守るという目的がある。

 私には、当然ながら私の望む盤面があります。

 

 けれど白峰くんは違う。

 彼は何かを求めているようでいて、その実、手を伸ばすことに躊躇がないわけでもありません。

 

 近づきすぎず、離れすぎず。

 言葉を置く時も、相手の手を取るのではなく、足元に小石を一つ落とすだけ。

 

 気づく者だけが、その音に振り向く。

 

「退屈ではありませんか?」

 

 そう尋ねると、彼は少しだけ考えてから答えました。

 

「見ているだけでも、案外飽きないよ」

 

 それは、おそらく本心なのでしょう。

 

 だからこそ厄介です。

 

 勝ちたい人間は扱いやすい。

 負けたくない人間も、まだ御しやすい。

 

 けれど、観察することに満足している人間は、盤面の理屈で縛れない。

 

 私は小さく息を吐きました。

 

「あなたのような方を見ると、つい試したくなります」

 

「何を?」

 

「盤上に引きずり出した時、どんな顔をなさるのかを」

 

 白峰くんは一瞬目を丸くし、それから微かに笑いました。

 

「怖いことを言うね」

 

 冗談めいた口調。

 しかし、そこにも本心は見えない。

 

「怖い、ですか」

 

「うん。少しだけ」

 

「少しだけなのですね」

 

「まだ、そういう気がするだけだから」

 

 曖昧な言葉。

 けれど、その曖昧さの奥にある距離の取り方こそが、彼の本質に近いのかもしれません。

 

 私は杖を返しながら、静かに思う。

 

 ――ええ、本当に。

 

 この男は、欲しい。

 

 駒としてではなく。

 盤面そのものを乱す、不確定要素として。

 

 白峰奏がどちらかを選ぶ瞬間。

 あるいは、選ばざるを得なくなる瞬間。

 

 その時、彼の音は今と同じように軽いままでいられるのでしょうか。

 

 私はその答えを、少しだけ聞いてみたくなりました。




誤字脱字や突っ込みどころも多くなると思うので、これからご指摘いただければ幸いです。
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