壊れる前の音を、君は知らない   作:シュユ

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第20話 消えたクラス

――葛城康平視点

 

 朝の空気は、昨日よりも静かだった。

 

 風が弱まったわけではない。

 

 波の音が遠のいたわけでもない。

 

 ただ、島の一角にあった騒がしさが、抜け落ちていた。

 

 前日まで、浜辺の方角からはCクラスの声が聞こえていた。

 

 笑い声。

 

 騒ぐ声。

 

 試験中とは思えないほど浮ついた音。

 

 他クラスが節約と管理に神経を尖らせる中、彼らだけが別の行事をしているようにすら見えた。

 

 だが、今朝は違う。

 

 静かだった。

 

 静かすぎた。

 

「葛城さん」

 

 洞窟の入口近くで、町田が足を止めた。

 

 手には、昨晩までの記録をまとめた手帳を持っている。

 

 表情に大きな変化はない。

 

 だが、その声はいつもよりわずかに硬かった。

 

「報告します」

 

「ああ」

 

「浜辺側にいたCクラスの生徒が、ほとんど確認できません」

 

 俺は町田を見る。

 

「ほとんど、とは」

 

「見える範囲では、集団としての活動はありません。昨日まで使用していた物資の痕跡は残っていますが、生徒の姿はありません」

 

「教師側へのリタイア申請は確認できたか」

 

「直接の確認はまだです。ただ、船の方向へ移動した形跡があります。複数名が夜のうちにまとまって移動した可能性が高いです」

 

 夜のうちに。

 

 一斉に。

 

 俺は視線を浜辺の方向へ向けた。

 

 木々が視界を遮り、直接見ることはできない。

 

 だが、昨日まであったはずの騒がしさが消えていることだけは分かる。

 

 Cクラスがリタイアした。

 

 それも、少人数ではない。

 

 龍園と、一部の役割を持つ生徒を除いて。

 

 そう考えるべきだった。

 

「全員リタイア!?」

 

 戸塚が近くで声を上げた。

 

 声が大きい。

 

 だが、以前のように周囲へ怒りをぶつける音ではない。

 

 驚きと警戒が混じっている。

 

「普通そんなことしますか!?残ポイントがそのままクラスの得点になるっていうのに」

 

「普通ならしない」

 

 俺は答えた。

 

「だが、龍園ならやる」

 

 戸塚は黙った。

 

 それでも納得できないという顔をしている。

 

 当然だ。

 

 この試験は、残したポイントがそのまま結果につながる。

 

 生存に必要な物資を確保し、無駄を省き、最後までクラスを保たせる。

 

 それが正攻法だ。

 

 Cクラスの行動は、そのすべてを否定している。

 

 だが、正攻法を捨てたからといって、勝負を捨てたとは限らない。

 

 龍園翔は、そういう男だ。

 

「Cクラスは、残ポイントで戦う気がない」

 

 俺は言った。

 

 戸塚が眉をひそめる。

 

「じゃあ、何で……」

 

「リーダー看破だ」

 

 戸塚の表情が固まった。

 

 この試験には、残ポイント以外の得点手段がある。

 

 各クラスのリーダーを当てること。

 

 それが成功すれば得点が入る。

 

 逆に、自分達のリーダーを当てられれば、大きく失点する。

 

 物資の引き渡し時、龍園は他クラスのリーダー候補をこちらへ渡した。

 

 だが、あれは確定情報ではない。

 

 契約書にも、候補情報と明記されている。

 

 つまり、龍園はまだ本命を手放していない。

 

「龍園は、本当にリタイアしたんですか」

 

 戸塚が問う。

 

 俺はすぐには答えなかった。

 

 そこが最も厄介だった。

 

 Cクラスの大半が消えたとしても、龍園自身が消えたとは限らない。

 

 むしろ、あの男が何もせず島を降りたと考える方が不自然だ。

 

「分からない」

 

 俺は正直に言った。

 

「だが、降りたと決めつけるべきではない」

 

「つまり、まだ島のどこかに……」

 

「可能性はある」

 

 戸塚が息を呑む。

 

「ただし、断定はするな。断定した瞬間に、こちらの判断は狭くなる」

 

「……はい」

 

 戸塚は小さく頷いた。

 

 その返事は、以前よりも少し低い。

 

 怒鳴るような声ではない。

 

 自分の中へ落とし込もうとしている声だった。

 

 白峰は、洞窟の外に立っていた。

 

 Cクラスの方角を見ているわけではない。

 

 むしろ、浜辺とは反対側の木々を見ている。

 

 だが、耳だけがどこか遠くへ向いているような気がした。

 

「白峰」

 

「うん」

 

「今のCクラスを、どう聞く」

 

 白峰は少しだけ目を伏せた。

 

 すぐには答えなかった。

 

 その沈黙が、かえって長く感じた。

 

「……降りた人たちの後にしては、変に乾いてる」

 

 戸塚が眉を寄せた。

 

「乾いてる?」

 

「うまく言えないけど、諦めた後の重さじゃないと思う」

 

「諦めた後の重さ……」

 

「片づけた、に近いのかもしれない」

 

 白峰は言葉を選び直すように、ゆっくり続けた。

 

「もう使わないものを置いて、必要なものだけ持っていった後みたいな感じ」

 

 戸塚は困惑したように黙る。

 

 俺も、その表現をすぐに理解できたわけではない。

 

 だが、白峰の言いたいことは分かる。

 

 Cクラスのリタイアは、敗北の気配ではない。

 

 龍園の指示に従って、不要な人員を試験の場から下げた。

 

 そういう異常な整理の気配がある。

 

「全員が降りたんじゃない」

 

 白峰は続けた。

 

「……たぶん、降りたことにした人がいる」

 

 戸塚が顔を上げる。

 

「龍園か」

 

「名前までは聞こえないよ」

 

 白峰は即答した。

 

「でも、まだ終わってない気がする」

 

 白峰は断定しない。

 

 誰が残っているのか。

 

 どこにいるのか。

 

 何を狙っているのか。

 

 そこまでは言わない。

 

 いや、言えないのだろう。

 

 だが、十分だった。

 

 Cクラスの一斉リタイア。

 

 それは終わりではない。

 

 むしろ、次の段階に入った合図だ。

 

「葛城」

 

 背後から軽い声がした。

 

 橋本だった。

 

 物資管理側から戻ってきたばかりらしく、手には帳簿代わりの紙を持っている。

 

 表情はいつも通り。

 

 少し笑っている。

 

 その笑い方を、俺は以前よりも意識するようになっていた。

 

 軽い笑い。

 

 いや、軽く見せた笑い。

 

「Cクラス、派手に消えたらしいな」

 

「見たのか」

 

「遠目にな。浜辺が昨日と別物だ。あれ、ほとんど降りたんじゃないの?」

 

 橋本は肩をすくめる。

 

「ま、龍園らしいっちゃ龍園らしいけど」

 

 俺は橋本を見る。

 

「驚いていないな」

 

「え?」

 

「今の言い方だ」

 

 橋本は一瞬、口を閉じた。

 

 そして笑った。

 

「いやいや、驚いてるって。普通じゃないだろ、クラスごとほぼリタイアなんて」

 

「そうだな」

 

「ただ、龍園ならやりそうってだけだよ」

 

「なぜそう思う」

 

「損して得を取るタイプ、って言えばいいのかね。いや、本人は損とも思ってなさそうだけど」

 

 橋本の返事は早い。

 

 いつもなら流していたかもしれない。

 

 だが、今は引っかかる。

 

 白峰が言っていた。

 

 出口を先に決めている。

 

 橋本は、自分の立ち位置を固定されることを嫌う。

 

 どちらにも行けるようにしておく。

 

 そのために、曖昧な言葉を選ぶ。

 

「橋本」

 

「何?」

 

「お前は、龍園の狙いをどう見る」

 

「リーダー看破だろ」

 

 即答だった。

 

「候補情報なんて売り物にしてる時点で、最初からそこ狙いじゃん」

 

 戸塚の肩がわずかに動く。

 

 橋本もそれに気づいたのか、遅れて苦笑した。

 

「……って、普通に考えればな。残ポイントを捨てたなら、そこしかない」

 

「普通、か」

 

「何だよ。変な言い方したか?」

 

「いや」

 

 俺は橋本から視線を外した。

 

「町田」

 

「はい」

 

「橋本と物資管理の確認を続けろ。単独では動かすな」

 

「分かりました」

 

「また俺、監視付き?」

 

 橋本が軽く両手を上げた。

 

「信用ないねえ」

 

「見える場所に置いているだけだ」

 

「それ、信用してる奴に言う台詞じゃないだろ」

 

「そうかもしれないな」

 

 橋本は一瞬だけ目を細めた。

 

 それから、いつもの調子で笑った。

 

「葛城も言うようになったな」

 

「試験中だ」

 

 町田が横から言った。

 

 橋本が苦笑する。

 

「町田までそれかよ」

 

「必要なことだ」

 

 町田は淡々としている。

 

 必要なことを言う。

 

 必要なことを記録する。

 

 俺の指示を丁寧に受け、同級生には余計な遠慮をしない。

 

 今のAクラスには、その性質が必要だった。

 

 白峰は少し離れた場所で、橋本を見ていた。

 

 いや、見ていたというより、橋本の返事の後に残った間を聞いているようだった。

 

 橋本は白峰を見ない。

 

 見ないようにしている。

 

 それが見えた。

 

「白峰」

 

 橋本がふいに言った。

 

「何か言いたそうじゃん」

 

「うん」

 

「言うのかよ」

 

「橋本くんって、困った時ほど笑い方がきれいになるんだね」

 

 橋本の口元がわずかに止まった。

 

「……それ、褒めてる?」

 

「違うと思う」

 

「そこは褒めとけよ」

 

 橋本は笑う。

 

 だが、その笑いは先ほどより少しだけ遅れた。

 

「俺の笑い方まで記録されんの?」

 

「必要ならする」

 

 町田が言う。

 

「町田、そこは乗らなくていいって」

 

「必要なら、だ」

 

「必要じゃないだろ」

 

「判断するのは葛城さんだ」

 

 橋本は肩をすくめた。

 

「はいはい。怖いねえ、葛城派は」

 

「橋本」

 

 俺は短く呼んだ。

 

「軽口で流すな」

 

 橋本は口を閉じた。

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 そして、笑った。

 

「了解」

 

 その返事も、早かった。

 

 だが、それ以上は追わない。

 

 今の目的は、橋本を追い詰めることではない。

 

 見える場所に置くことだ。

 

 橋本が完全にこちらへ背を向けるほど、強く縛るべきでもない。

 

 逃げ道をすべて塞げば、逃げる速度が上がる。

 

 ならば、見える範囲で歩かせる。

 

 それが今できる最善だった。

 

 

 

 昼前、教師側からCクラスのリタイアが事実であることが伝わった。

 

 人数の詳細までは明かされない。

 

 だが、Cクラスの大半が試験を降りたことは、もはや疑いようがなかった。

 

 Aクラス内にざわめきが広がる。

 

「本当に降りたのかよ」

 

「Cクラス、何考えてるんだ」

 

「龍園もリタイアしたのか?」

 

「だったら、もうCクラスは終わりじゃないのか?」

 

 楽観の声も混じっていた。

 

 俺はそれを危険だと感じた。

 

 終わった。

 

 勝手に沈んだ。

 

 そう思った瞬間に、龍園の狙いは通りやすくなる。

 

「静かにしろ」

 

 俺は声を上げた。

 

 ざわめきが止まる。

 

「Cクラスの大半がリタイアしたのは事実だ。だが、龍園が完全に試験を降りたとは限らない」

 

 何人かが顔を見合わせる。

 

 戸塚も黙っている。

 

「残ポイントでの勝負を捨てた以上、Cクラスが狙うのはリーダー看破だ。物資と共に渡された情報は、あくまで候補にすぎない。龍園が最後まで持っている情報と、こちらへ売った情報が同じだと考えるな」

 

 空気が重くなった。

 

 当然だ。

 

 リーダー情報。

 

 それはAクラスにとって、最も触れられたくない部分だ。

 

「それから、Aクラスのリーダー情報が漏れていないと考えるな」

 

 戸塚の表情が硬くなる。

 

 俺はその変化を見ながら、言葉を続けた。

 

「ただし、動揺するな。Cクラスがこの方法を取った以上、彼らにも余裕はない。残った手段が限られているからこそ、極端な行動を取っている」

 

 これは半分、本心だった。

 

 もう半分は、Aクラスの空気を保つための言葉だ。

 

「水場の見張りは継続。物資管理も継続。橋本と町田は物資側。戸塚は俺と行動する。白峰は、周囲の違和感があれば町田に伝えろ。町田は必要だと判断したものを記録しろ」

 

「分かりました」

 

 町田が答える。

 

 戸塚も遅れて頷いた。

 

「はい」

 

 その声は、まだ硬い。

 

 だが、折れてはいない。

 

 白峰がほんのわずかに戸塚を見る。

 

 戸塚はそれに気づいて、眉をひそめた。

 

「何だよ」

 

「怒鳴らなかったね」

 

「……は?」

 

「少し前なら、たぶんもっと大きい声だった」

 

「うるせえよ」

 

「うん」

 

「そこで頷くな」

 

 戸塚は顔をしかめたが、その声はもう荒れていなかった。

 

 周囲の何人かが、少しだけ息を抜いた。

 

 空気が完全に沈む前に、わずかに戻る。

 

 白峰の言葉は、そういう働きをする時がある。

 

 勝たせるわけではない。

 

 正解を示すわけでもない。

 

 だが、沈みきる前に、誰かの足元へ小さな石を置く。

 

 躓くためではない。

 

 立ち止まるための石だ。

 

 午後になっても、Cクラスの浜辺は静かなままだった。

 

 使用済みの物資。

 

 荒れた砂。

 

 片づけられきっていない痕跡。

 

 それだけが残っている。

 

 普通なら、敗北の残骸に見える。

 

 だが、俺にはそう見えなかった。

 

 あれは捨てた跡ではない。

 

 隠した跡だ。

 

 何を隠したのか。

 

 龍園自身か。

 

 スパイか。

 

 狙いか。

 

 あるいは、そのすべてか。

 

 分からない。

 

 だが、分からないからといって、動かないわけにはいかない。

 

 俺たちは、限られた情報の中で判断し続けるしかない。

 

「葛城さん」

 

 夕方前、戸塚が俺の隣に来た。

 

「少しいいですか」

 

「ああ」

 

 戸塚は周囲を一度見てから、声を落とした。

 

「俺は……リーダーとして、このままでいいんでしょうか」

 

「どういう意味だ」

 

「俺がリーダーだってことは、表に出せません。でも、隠れているだけでもいられない。今日、Cクラスが一気に消えたのを見て……俺が見つかったら終わりだって、改めて分かりました」

 

 戸塚の拳が、わずかに握られている。

 

「正直、怖いです」

 

 その言葉は、静かだった。

 

 戸塚が自分から弱さを口にする。

 

 それは、今までなら考えにくいことだった。

 

 俺はすぐには答えなかった。

 

 答えを急げば、戸塚はまた俺の言葉の後ろへ隠れる。

 

 だから、少しだけ待った。

 

「怖いなら、それを覚えておけ」

 

「え?」

 

「怖さを消そうとするな。消そうとすれば、声が大きくなる」

 

 戸塚の目が揺れる。

 

 白峰が近くにいた。

 

 こちらを見てはいない。

 

 だが、聞こえている距離だった。

 

「お前はリーダーだ。隠す必要はある。だが、自分が背負っていることまで忘れるな」

 

「……はい」

 

「俺の後ろにいれば安全だと思うな。お前は、俺の後ろにいるだけの人間ではない」

 

 戸塚は唇を噛んだ。

 

 白峰がゆっくりとこちらへ視線を向ける。

 

 そして、静かに言った。

 

「……少し前に出たね」

 

 戸塚は顔をしかめた。

 

「また分かりにくいこと言いやがって」

 

「ごめん」

 

「謝るな。余計に調子が狂う」

 

「うん」

 

「そこで素直に頷くな」

 

 戸塚は小さく息を吐いた。

 

 その声には、まだ怖さがある。

 

 だが、怖さだけではない。

 

 白峰は続けなかった。

 

 余計な言葉を重ねず、そこで止めた。

 

 その沈黙が、戸塚の言葉を急かさずに残した。

 

 夜が近づいていた。

 

 Cクラスの浜辺は、もうほとんど音を持たない。

 

 だが、試験が終わったわけではない。

 

 むしろ、音が消えたことで、龍園の狙いだけが残ったように感じる。

 

 Aクラスは無傷では済まないかもしれない。

 

 リーダーを当てられる可能性はある。

 

 坂柳派は、その結果を利用するだろう。

 

 戸塚は責任を感じる。

 

 橋本はまだ、どこにでも行けるように立っている。

 

 町田は記録を残す。

 

 白峰は、言葉にならない違和感を拾う。

 

 そして俺は、選ばなければならない。

 

 正しい選択かどうかは分からない。

 

 だが、少なくとも、すべてを龍園の思い通りにはさせない。

 

 Cクラスは一夜で消えた。

 

 だが、龍園の気配は濃くなった。

 

 静かになった島の中で、俺はその矛盾を抱えたまま、次の夜を迎えた。

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