壊れる前の音を、君は知らない   作:シュユ

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第22話 正解

――葛城康平視点

 

 試験最終日の朝は、異様なほど静かだった。

 

 Cクラスが消えてから、島の空気は変わった。

 

 騒がしさがなくなったわけではない。

 

 Aクラスも、Bクラスも、Dクラスも、まだ島にいる。

 

 教師たちの動きもある。

 

 荷物をまとめる音も、最後まで見張りを続ける生徒の足音も聞こえる。

 

 それでも、どこかが空いていた。

 

 Cクラスがいたはずの場所にだけ、音が戻ってこない。

 

 その空白が、かえって龍園の存在を濃くしていた。

 

「葛城さん」

 

 町田が近づいてくる。

 

 手には、昨夜までの記録をまとめた紙がある。

 

「最終確認です」

 

「ああ」

 

 俺は洞窟の入口近くで、町田から紙を受け取った。

 

 水場の見張り。

 

 物資使用量。

 

 橋本の移動。

 

 白峰から伝えられた違和感。

 

 Cクラスの痕跡。

 

 物資引き渡し時に龍園から受け取った、他クラスのリーダー候補情報。

 

 そのすべてが、簡潔にまとめられていた。

 

「Dクラスについては、堀北鈴音が最有力」

 

 町田が言う。

 

「候補情報と、これまでの表の動きが一致しています」

 

「そうだな」

 

「Bクラスについては、一之瀬、あるいはその近辺。ただし、確度は低い」

 

「ああ」

 

「Cクラスについては、龍園本人が最有力。ただし、リタイアの扱い、潜伏の有無が確認できません」

 

「指名はしない」

 

「分かりました」

 

 町田はすぐに頷いた。

 

 こちらが買ったのは、答えではない。

 

 候補だ。

 

 龍園が物資と共に渡した情報は、物資引き渡し時点の中間報告にすぎない。

 

 契約書にも、候補情報と記してある。

 

 それをどう使うかは、こちらの判断だった。

 

 Dクラスについては、堀北で指名する。

 

 表に出ている行動。

 

 Cクラスから渡された候補。

 

 それらを照合すれば、堀北を選ぶ価値はある。

 

 外すリスクはある。

 

 だが、指名しないまま終えるよりは、勝負するべきだと判断した。

 

 一方で、Bクラスは指名しない。

 

 一之瀬の影響力が強すぎる。

 

 だからこそ、彼女自身がリーダーとは限らない。

 

 Cクラスも指名しない。

 

 龍園が怪しいことは分かっている。

 

 だが、確証がない。

 

 契約相手でもある以上、こちらが不用意に動けば、その反応すら利用されかねない。

 

 慎重すぎる。

 

 そう見る者もいるだろう。

 

 だが、誤答による失点を軽く見ることはできない。

 

「葛城さん」

 

 戸塚が立っていた。

 

 顔色は良くない。

 

 だが、昨日よりは目が逃げていない。

 

「最終提出は、Dクラスの堀北だけで行くんですね」

 

「ああ」

 

「BとCは?」

 

「指名しない」

 

「……分かりました」

 

 戸塚は頷いた。

 

 以前なら、そこで何か言いたげに眉を動かしていただろう。

 

 だが、今は違う。

 

 飲み込むのではなく、考えている。

 

 それが分かった。

 

「戸塚」

 

「はい」

 

「言いたいことがあるなら言え」

 

 戸塚は一度だけ息を吸った。

 

「Bクラスを外すのは妥当だと思います。一之瀬が目立ちすぎている。候補情報だけで決めるには危ない」

 

「Cクラスは」

 

「龍園が怪しいのは分かります。でも、あいつがそこまで単純に自分をリーダーにするのかは分かりません」

 

「そうだな」

 

「だから、指名しない方がいいと思います」

 

「Dクラスは」

 

 戸塚は少し黙った。

 

 それから、低く言った。

 

「堀北で行くしかないと思います」

 

「理由は」

 

「候補情報と表の動きが一致しています。Dクラスで一番目立っていて、Cクラスも堀北を狙って動いていたように見える。外されている可能性はあります。でも……ここを指名しないなら、情報を買った意味もなくなる」

 

 最後の言葉は、少し苦かった。

 

 候補情報。

 

 龍園が売った、答えではない材料。

 

 それに乗ることへの不快感が、戸塚の声にも滲んでいた。

 

「俺も同じ判断だ」

 

 俺は言った。

 

 戸塚の肩がわずかに動く。

 

「ただし、これは正解とは限らない」

 

「はい」

 

「俺たちは候補を買っただけだ。答えを買ったわけではない」

 

「分かっています」

 

 その声は、昨日よりも少し落ち着いていた。

 

 怖さはある。

 

 だが、怖さだけではない。

 

 戸塚は自分がリーダーであることを、逃げずに持とうとしている。

 

 それが分かった。

 

 白峰は少し離れた場所にいた。

 

 こちらの話を聞いているのか、聞いていないのか分からない。

 

 ただ、視線は地面に落ちていた。

 

 風が洞窟の入口を抜ける。

 

 白峰の髪がわずかに揺れた。

 

「白峰」

 

 俺が呼ぶと、白峰は顔を上げた。

 

「うん」

 

「何か言うことはあるか」

 

 白峰は少し考えた。

 

「答えを買ったわけじゃないなら、外れても不思議じゃない」

 

 戸塚が顔をしかめる。

 

「縁起でもねえこと言うな」

 

「ごめん」

 

「謝るな」

 

「うん」

 

「頷くな」

 

 いつものやり取りだった。

 

 だが、空気は少しだけ緩んだ。

 

 白峰は続ける。

 

「でも、外れるかもしれないって分かって選ぶなら、たぶん……誰かのせいだけにはならないと思う」

 

 戸塚は何も言わなかった。

 

 俺もすぐには答えなかった。

 

 白峰の言葉は、時に曖昧だ。

 

 しかし、曖昧だからこそ逃げ場を残すのではなく、考える余地を残す。

 

 外れた時、誰か一人を責めるための選択にしない。

 

 それは、今のAクラスに必要なことだった。

 

「提出する」

 

 俺は言った。

 

 町田が頷く。

 

「記録します」

 

「頼む」

 

 橋本が物資管理側からこちらを見ていた。

 

 いつものように笑っている。

 

 ただし、その笑い方は少し薄い。

 

「慎重だねえ」

 

「不満か」

 

「いや? 葛城らしいってだけ」

 

「お前ならどうした」

 

「俺?」

 

 橋本は肩をすくめる。

 

「全部指名する度胸はないな。外した時の傷がデカすぎる。Dだけで十分じゃない?」

 

「そうか」

 

「ま、龍園の情報を信用しすぎるのは怖いけどな」

 

 橋本は笑った。

 

「候補って便利な言葉だよ。外れても、売った側は痛くない」

 

 その言葉に、戸塚が反応した。

 

 俺も橋本を見る。

 

 橋本はすぐに両手を上げた。

 

「いや、一般論。一般論だって」

 

「橋本」

 

「何?」

 

「軽口で済ませるな」

 

「……了解」

 

 返事は早かった。

 

 だが、以前ほど滑ってはいない。

 

 白峰は橋本を見ない。

 

 それでも、橋本は白峰の方を一瞬だけ見た。

 

 そして視線を逸らした。

 

 少しずつ、見える場所に置かれていることを意識し始めている。

 

 それだけでも、水場での出来事には意味があった。

 

 試験終了の時間が近づくにつれ、島の空気はさらに重くなった。

 

 荷物をまとめる者。

 

 最後まで周囲を警戒する者。

 

 教師の指示を待つ者。

 

 それぞれが、表向きは平静を保っている。

 

 だが、全員が分かっていた。

 

 最後に待っているのは、単なる終了宣言ではない。

 

 結果発表だ。

 

 残したポイント。

 

 占有したスポット。

 

 リタイア。

 

 そして、リーダー看破。

 

 そのすべてが、数字となって突きつけられる。

 

 正午。

 

 教師たちの指示に従い、各クラスの生徒が指定された場所へ集められた。

 

 日差しは強い。

 

 だが、誰もそれを気にしていない。

 

 Aクラスの生徒たちは、表情を固くして並んでいた。

 

 戸塚は俺の少し後ろにいる。

 

 以前なら、その位置を当然のように受け入れていただろう。

 

 だが、今の戸塚は違う。

 

 後ろに立っている。

 

 けれど、隠れてはいない。

 

 そう見えた。

 

 真嶋先生が前に立つ。

 

 その姿を見ただけで、周囲の私語が止まった。

 

「この一週間、君たちの特別試験への取り組みを見させてもらった」

 

 真嶋先生の声は、いつも通り淡々としていた。

 

「真正面から試験に挑んだ者。工夫し、限られた条件の中で成果を出そうとした者。選んだ方法はクラスによって大きく異なったが、総じて意義のある試験だったと言えるだろう。ご苦労だった」

 

 生徒たちの間に、安堵に似た息が漏れる。

 

 ようやく終わった。

 

 そう感じた者も多いのだろう。

 

 だが、俺は緊張を解かなかった。

 

 真嶋先生は一度、各クラスを見渡した。

 

「ではこれより、特別試験の結果を発表する」

 

 空気が再び硬くなる。

 

「なお、結果に関する質問は一切受け付けない。各自、各クラスで結果を受け止め、次の試験へと活かしてもらいたい」

 

 リーダー当ての成否は語られない。

 

 内訳も示されない。

 

 出されるのは、最終的な数字だけ。

 

 だが、それで十分だった。

 

 数字は、時に言葉より残酷だ。

 

「では、最終順位を発表する」

 

 誰かが息を呑んだ。

 

「最下位は、Cクラス。取得ポイント、0」

 

 ざわめきが走った。

 

 Cクラスが0。

 

 大半がリタイアし、残ポイントでの勝負を捨てていた以上、低い数字になることは予想していた。

 

 だが、0。

 

 その数字は、俺の想定よりもなお重かった。

 

 龍園は、ただ点を捨てたわけではない。

 

 他クラスのリーダー情報を握り、リーダー看破で加点を狙っていたはずだ。

 

 ならば、0で終わったということは、加点と同じだけの失点を受けたということになる。

 

 Dクラスを外した。

 

 あるいは、Dクラスに自分たちのリーダーを当てられた。

 

 そのどちらか。

 

 いや、両方かもしれない。

 

 少なくとも、龍園の計算を崩した何かが、Dクラスにあった。

 

 そう考えるのが自然だった。

 

 龍園の姿が見えた。

 

 少し離れた位置に、あの男は立っている。

 

 0ポイント。

 

 その数字を聞いた瞬間、龍園の笑みがほんのわずかに止まった。

 

 本当に一瞬だった。

 

 すぐに、いつもの薄い笑みに戻る。

 

 だが、俺は見逃さなかった。

 

 龍園にとっても、0という結果は完全な予定調和ではない。

 

 あの男はCクラスの残ポイントを捨てた。

 

 だが、勝負まで捨てたわけではない。

 

 リーダー看破による加点。

 

 Aクラスとの契約。

 

 B、Dクラスから奪う点。

 

 そのすべてを計算に入れた上で、島に残っていたはずだ。

 

 それでも0。

 

 龍園の計算を狂わせたものがある。

 

 それが何なのか、今の俺にはまだ見えなかった。

 

「3位、Aクラス。取得ポイント、120」

 

 Aクラスの空気が沈んだ。

 

 120。

 

 悪くはない。

 

 だが、Aクラスとしては到底満足できる数字ではない。

 

 Bクラスに届かず、Dクラスにも大きく離される可能性がある。

 

 いや、まだDクラスの点数は出ていない。

 

 だが、Cクラスが0である以上、上位はBとDだ。

 

 俺は数字を頭の中で整理する。

 

 120。

 

 この数字は、こちらの指名が成功したものではないことを示している。

 

 Dクラスの堀北指名は、おそらく外れた。

 

 そして、Aクラスのリーダーは当てられた。

 

 Cクラスか、Dクラスか。

 

 あるいはその両方か。

 

 戸塚の名が呼ばれたわけではない。

 

 だが、数字がそれを語っていた。

 

 隣で、戸塚の呼吸が浅くなる。

 

 俺は振り返らない。

 

 ここで振り返れば、戸塚は自分が晒されたように感じるだろう。

 

 数字だけで十分だった。

 

 それ以上、傷を広げる必要はない。

 

「2位、Bクラス。取得ポイント、140」

 

 Bクラス側から、複雑なざわめきが起こる。

 

 Aクラスより上。

 

 だが、勝利の歓声ではない。

 

 彼らもまた、何かを失っている。

 

 Cクラスにリーダーを当てられたのだろう。

 

 それでも、2位を保った。

 

 さすが一之瀬のクラスと言うべきか。

 

 まとまりの強さが、数字に残っている。

 

 そして。

 

 真嶋先生が、最後の数字を告げた。

 

「1位、Dクラス。取得ポイント、225」

 

 島全体の空気が揺れた。

 

 Dクラス。

 

 これまで最下位だったクラスが、1位。

 

 しかも、225。

 

 Aクラスを100ポイント以上離している。

 

 Bクラスすら、大きく上回っている。

 

 その数字を聞いた瞬間、Cクラスの0という結果が、別の意味を持った。

 

 龍園が沈んだのではない。

 

 沈められた。

 

 少なくとも、そう考えなければ説明がつかない。

 

 指名した堀北鈴音の姿は、そこになかった。

 

 Dクラスの列の中に、彼女はいない。

 

 それだけで、答えの一部が見えた気がした。

 

 俺たちは、いない人間を見ていた。

 

 龍園も、おそらく同じものを見ていた。

 

 堀北を中心に動いているように見えるDクラス。

 

 表に立つ堀北。

 

 だが、試験の最後に彼女はこの場にいない。

 

 リタイアしたのか。

 

 正当な理由で、リーダーが交代したのか。

 

 そこまでは分からない。

 

 だが、少なくとも、俺たちが指名した答えはそこにはなかった。

 

 Dクラスの列の中に、綾小路清隆がいた。

 

 特に目立つ様子はない。

 

 勝利に浮かれるでもなく、周囲を煽るでもなく、ただそこにいる。

 

 それが、かえって引っかかった。

 

 Dクラスは何をした。

 

 堀北をリーダーと見せた。

 

 龍園にもそう思わせた。

 

 俺たちにもそう思わせた。

 

 そして、結果として1位を取った。

 

 誰が中心にいた。

 

 考えようとして、やめた。

 

 今はAクラスの結果を受け止めるべきだ。

 

「以上で、結果発表を終わる」

 

 真嶋先生の声が、静かに響いた。

 

「各クラス、指示に従い撤収準備を始めるように」

 

 それだけだった。

 

 リーダー当ての詳細は告げられない。

 

 誰が誰を当てたのか。

 

 誰が外したのか。

 

 どの減点が、どこで発生したのか。

 

 教師は何も言わない。

 

 だからこそ、生徒たちは考えるしかなかった。

 

 数字から。

 

 順位から。

 

 自分たちの選択から。

 

 そして、相手の表情から。

 

 Aクラスの中で、視線が動く。

 

 葛城派。

 

 坂柳派。

 

 中立を装う者。

 

 戸塚を見る者。

 

 俺を見る者。

 

 橋本は笑っていない。

 

 いや、笑っている。

 

 だが、いつもの軽さよりもずっと薄い。

 

 町田は手帳を握っている。

 

 白峰は戸塚を見ていない。

 

 戸塚の隣でも、正面でもない位置に立っていた。

 

 まるで、戸塚が自分で立つ場所を空けているように。

 

「……120」

 

 戸塚が呟いた。

 

 声は低い。

 

 震えている。

 

 だが、崩れてはいない。

 

「俺が、見つかったんですね」

 

 その言葉に、数人が反応した。

 

 教師は何も言っていない。

 

 だが、Aクラスの数字を見れば分かる。

 

 120。

 

 Dクラスに大きく離された。

 

 Dクラスの堀北指名は外れた。

 

 そして、こちらのリーダーは少なくとも誰かに当てられている。

 

 戸塚はそれを理解したのだ。

 

「お前だけの責任ではない」

 

 俺は即座に言った。

 

 だが、戸塚は首を振った。

 

「分かっています」

 

 戸塚はそう言った。

 

 その言い方に、俺は一瞬言葉を失った。

 

「でも、俺の責任でもあります」

 

 周囲が静かになる。

 

 戸塚はそれ以上、続けなかった。

 

 ここで言葉を重ねれば、ただの自己弁護になる。

 

 戸塚も、それを分かっているようだった。

 

 今はまだ、Aクラス全体の前で語る時ではない。

 

 だが、沈黙の中に、確かに何かが残った。

 

 その時だった。

 

「葛城」

 

 Aクラスの後方から、冷えた声が飛んだ。

 

 坂柳派の生徒の一人だった。

 

 普段は表立って強く出ることはない。

 

 だが、今は違う。

 

 結果が出た。

 

 Aクラスは3位。

 

 Bクラスにも、Dクラスにも負けた。

 

 彼らが動くには十分だった。

 

「説明してもらえるか」

 

 その声を皮切りに、数人がこちらへ近づいてきた。

 

「Aクラスが3位だぞ」

 

「Dクラスに100ポイント以上離されている」

 

「Cクラスとの契約もした。物資も受け取った。情報も受け取った。それでこの結果か?」

 

「候補情報を使って、結局外したんだろ」

 

 視線が突き刺さる。

 

 俺は黙って受けた。

 

 避けるつもりはない。

 

 この結果は、俺の判断の結果でもある。

 

「Bクラスにも負けている。これをどう説明する」

 

「坂柳なら、違う結果になったかもしれないな」

 

 その言葉に、周囲の空気が変わった。

 

 坂柳有栖。

 

 この場にはいない。

 

 だが、名前だけで十分だった。

 

 俺を責めるための刃として、その名はよく切れる。

 

 戸塚の拳が握られる。

 

 俺は視線だけで制した。

 

 ここで戸塚が怒鳴れば、また同じになる。

 

 俺の名を使い、坂柳派を押し返す声になる。

 

 そうなれば、戸塚の昨日からの変化は、数字の前で消える。

 

「結果について、俺に責任があることは認める」

 

 俺は静かに言った。

 

「Dクラスのリーダーを見誤った。Aクラスのリーダーも守り切れなかった。指揮官として、そこは否定しない」

 

「なら、なぜもっと早く対策しなかった」

 

「Cクラスから買った情報は候補だった。確定ではない。だからBとCへの指名は避けた」

 

「逃げただけだろ」

 

「外せばさらに失点する」

 

「だが、Dクラスは外した」

 

「ああ」

 

 俺は頷いた。

 

「その判断は、失敗だった」

 

 認める。

 

 そこから逃げるつもりはない。

 

 だが、認めることと、すべてを渡すことは違う。

 

「ただし、Cクラスとの契約については、長期の支払いを拒否した。卒業まで続く形ではない」

 

「それが何だ。試験で負けた事実は変わらない」

 

「変わらない」

 

「なら、葛城。お前はAクラスを守れなかった」

 

 その一言に、戸塚の肩が動いた。

 

 白峰は何も言わない。

 

 橋本は、少し離れたところで笑みを薄くしている。

 

 町田は手帳を握ったまま、こちらを見ていた。

 

 坂柳派の生徒がさらに続ける。

 

「そもそもリーダーの選定も甘かったんじゃないか?」

 

 空気が凍った。

 

 その矛先が、俺から戸塚へ向いたのが分かった。

 

「葛城が目立ちすぎたのも問題だが、戸塚も戸塚だ。下手に動き過ぎた。守られる側が自分から目立ってどうする」

 

「リーダーとしての自覚があったのか?」

 

「結果として、Aクラスは失点した。葛城派で固めた判断の失敗だろ」

 

 戸塚の顔から血の気が引く。

 

 以前の戸塚なら、そこで噛みついていた。

 

 坂柳を持ち出された時点で、怒鳴っていた。

 

 下位クラスではない。

 

 葛城さんは間違っていない。

 

 坂柳なんかに。

 

 そう叫んでいたはずだ。

 

 だが、今の戸塚は動かなかった。

 

 ただ、拳を握っている。

 

 息は浅い。

 

 けれど、逃げてはいない。

 

 俺が前に出ようとした、その時だった。

 

「俺が話します」

 

 戸塚が言った。

 

 声は大きくない。

 

 だが、周囲に届いた。

 

 俺は戸塚を見る。

 

 戸塚は俺の後ろからではなく、横へ出た。

 

 大きな一歩ではない。

 

 だが、位置が変わった。

 

 俺の背に隠れる場所ではない。

 

 隣に近い場所だった。

 

「戸塚」

 

 俺が名を呼ぶ。

 

 戸塚は一瞬だけこちらを見た。

 

「すみません。でも、これは俺にも言わせてください、葛城さん」

 

 その声に、以前のような反発はなかった。

 

 許可を求めているわけでもない。

 

 自分で立つために、必要な確認をしただけだった。

 

 坂柳派の生徒たちが戸塚を見る。

 

「何を言うつもりだ」

 

「俺がリーダーだった」

 

 戸塚は言った。

 

 ざわめきが広がる。

 

 結果発表で明言されなかった事実。

 

 それを、戸塚自身が口にした。

 

 俺は止めなかった。

 

 もう隠す段階ではない。

 

 数字が出た。

 

 Aクラス内では、いずれ広がる。

 

 ならば、戸塚自身の言葉として出す意味がある。

 

「見抜かれたのも、たぶん事実だ。CクラスかDクラスか、その両方かは分からねえよ。でも、俺が守り切れなかった。それは認める」

 

「認めて済む話か?」

 

「済むと思ってねえよ」

 

 戸塚は即答した。

 

 その声は震えていた。

 

 だが、怒鳴ってはいなかった。

 

「でも、全部を葛城さん一人の責任にするのは違う」

 

「お前が庇うのか?」

 

「庇うだけなら、前と同じだ」

 

 戸塚は言った。

 

 その言葉に、俺は息を止めた。

 

 前と同じ。

 

 戸塚自身も、分かっている。

 

 葛城を守ると言いながら、葛城の後ろで声を大きくしていたことを。

 

 その自覚が、今の言葉にはあった。

 

「葛城さんの判断が全部正しかったなんて俺には言えない。Dクラスのリーダーを外したのは事実だ。Aクラスが3位に終わったのも事実だ」

 

 坂柳派の生徒たちは黙っている。

 

 戸塚は続けた。

 

「でも、全部間違っていたとも思わない。Cクラスとの契約で、長期の支払いは避けた。候補情報を信じ切らず、BとCの指名は避けた。Dを外したのは痛い。でも、あれを選んだのは葛城さんだけじゃない。俺も、そう判断した」

 

「それで責任を分けろと言いたいのか?」

 

「違う」

 

 戸塚は首を振った。

 

「責任を分けたいんじゃねえよ。俺が、葛城さんの後ろに隠れて責任を押しつける気はないって言ってるんだ」

 

 その言葉は、静かだった。

 

 だが、確かに届いた。

 

 戸塚弥彦の声だった。

 

 葛城の名を借りた声ではない。

 

 Aクラスの権威を背負って大きくした声でもない。

 

 自分の失敗と怖さを飲み込んだ上で、それでも前に出た声だった。

 

「俺は仮にもこの試験のリーダーだった。なら、この結果から逃げる気はねえよ」

 

 戸塚は坂柳派の生徒たちを見た。

 

 睨みつけるのではない。

 

 押し返すのでもない。

 

 ただ、正面から見ていた。

 

「葛城さんを責めるなら、俺も責めろ。でも、俺は次から、ただ葛城さんの後ろで叫ぶだけはやめる。葛城さんが間違えると思ったら止める。俺自身が間違えそうなら、考える」

 

 そこまで言って、戸塚は息を吸った。

 

「それでも不満なら、今ここで言え。俺は逃げねえ」

 

 沈黙が落ちた。

 

 坂柳派の生徒たちは、すぐには返せなかった。

 

 戸塚が怒鳴れば、反論は簡単だった。

 

 葛城の犬。

 

 感情で騒ぐだけの側近。

 

 そう切り捨てればよかった。

 

 だが、今の戸塚は怒鳴らなかった。

 

 そのことが、彼らの言葉を一瞬だけ止めた。

 

「……殊勝なことだな」

 

 一人が、苦々しく言った。

 

「だが、結果は変わらない」

 

「ああ」

 

 戸塚は頷いた。

 

「変わらねえよ」

 

「なら――」

 

「だから、次を変える」

 

 戸塚は遮った。

 

 強くはない。

 

 けれど、逃げない声だった。

 

「今回の結果は消えない。でも、次に同じことをしないために、俺は考える。葛城さんにも考えてもらう。それだけだ」

 

 俺は戸塚を見た。

 

 その背中は、まだ頼りない。

 

 震えている。

 

 だが、後ろには戻っていなかった。

 

 白峰が少し離れた場所で、静かに息を吐いた。

 

 橋本が小さく笑う。

 

 その笑いは、いつものように軽く見せたものではなかった。

 

 ほんの少しだけ、残る笑いだった。

 

「……好きにしろ」

 

 坂柳派の生徒の一人が言った。

 

「だが、坂柳が戻れば、この結果については必ず話になる」

 

「分かっている」

 

 俺が答えた。

 

「その時は俺が説明する」

 

「俺もいる」

 

 戸塚が言った。

 

 その一言に、再び視線が集まる。

 

 戸塚は逃げなかった。

 

「俺も、説明する」

 

 それ以上、坂柳派は言わなかった。

 

 完全に納得したわけではない。

 

 火種は残っている。

 

 むしろ、これから大きくなる可能性もある。

 

 だが、今この場で葛城一人を責め立てる流れは止まった。

 

 戸塚が止めた。

 

 俺の後ろからではなく、俺の隣に近い位置で。

 

 白峰が戸塚に近づく。

 

 戸塚は身構えるように顔をしかめた。

 

「何だよ」

 

「怒鳴らなかったね」

 

「……またそれかよ」

 

「うん」

 

「今言うことか?」

 

「今だからね」

 

 戸塚はしばらく白峰を睨んだ。

 

 それから、短く息を吐いた。

 

「うるせえよ」

 

「うん」

 

「そこで頷くな」

 

 そのやり取りに、ほんのわずかだが、Aクラスの空気が戻った。

 

 完全に救われたわけではない。

 

 失点は消えない。

 

 順位も変わらない。

 

 坂柳派の攻撃も止まらないだろう。

 

 だが、戸塚は折れなかった。

 

 少なくとも、ここで壊れることはなかった。

 

 それだけで、十分ではない。

 

 しかし、何もなかったわけでもない。

 

 結果発表後、生徒たちは徐々に移動を始めた。

 

 教師の指示に従い、船へ戻る準備が始まる。

 

 その途中、龍園が近づいてきた。

 

 誰もが警戒する。

 

 龍園は気にした様子もなく、俺の前で足を止めた。

 

「よお、葛城」

 

「何の用だ」

 

「契約の確認だ」

 

 龍園は笑っている。

 

「約束は守れよ。三か月、毎月五万。短い鎖にしてやったんだ。ありがたく思え」

 

「お前が長い鎖を逃しただけだ」

 

「ククッ、言うじゃねえか」

 

 龍園は愉快そうに笑った。

 

 そして、少しだけ声を低くする。

 

「情報は役に立ったか?」

 

 戸塚の肩がわずかに動く。

 

 俺は龍園を見る。

 

「お前が売ったのは、候補情報だった」

 

「ああ」

 

 龍園は悪びれもせず頷いた。

 

「答えを売った覚えはねえ」

 

「契約違反ではない、というわけか」

 

「違反も何も、てめぇがそう書かせたんだろ。確定情報じゃねえ。候補情報だ。使うかどうかはAクラスの判断。違うか?」

 

「違わない」

 

「なら、文句はねえよな」

 

 龍園の笑みは、鋭かった。

 

 白峰の言葉が頭をよぎる。

 

 候補と答えは違う。

 

 俺たちは候補を買った。

 

 龍園は答えを握っていた。

 

 いや、答えの一部を握っていた。

 

 そして、その使い方をこちらには渡さなかった。

 

「だが」

 

 俺は言った。

 

「卒業までの支払いは避けた」

 

 龍園の目が細くなる。

 

「そうだな」

 

「お前の望んだ形ではない」

 

「負け惜しみか?」

 

「事実だ」

 

 龍園はしばらく俺を見た。

 

 それから、笑った。

 

「そういうところは嫌いじゃねえよ」

 

「俺はお前が嫌いだ」

 

「ククッ」

 

 龍園は視線を戸塚へ向けた。

 

「そいつも、思ったより折れてねえな」

 

 戸塚が龍園を睨む。

 

「何だよ」

 

「もっと吠えるかと思ってたぜ」

 

「……吠えねえよ」

 

「ほう」

 

 龍園は楽しそうに笑った。

 

「少しは犬から人間になったか?」

 

 戸塚が拳を握る。

 

 俺は止めようとした。

 

 だが、戸塚は怒鳴らなかった。

 

「次は、俺も考える」

 

 戸塚は低く言った。

 

「葛城さんの後ろからじゃなく、俺の頭で」

 

 龍園の笑みがわずかに変わった。

 

 白峰は何も言わない。

 

 ただ、戸塚の少し後ろに立っていた。

 

 龍園は白峰へ視線を移す。

 

「お前だな?」

 

 白峰は首を傾げた。

 

「何が?」

 

「こいつの鳴き方を変えたのは」

 

「僕は何もしてないよ」

 

「嘘つけ」

 

「本当に。戸塚くんが自分で止まっただけだと思う」

 

 龍園は鼻で笑った。

 

「気に入らねえな」

 

「うん」

 

「……チッ」

 

 龍園は一瞬だけ白峰を睨んだ。

 

 だが、それ以上は何も言わず、背を向けた。

 

「じゃあなAクラス。支払い、忘れんなよ」

 

 龍園は去っていく。

 

 その背中を見ながら、俺は静かに息を吐いた。

 

 勝てなかった。

 

 Aクラスは3位。

 

 Dクラスに敗れ、Bクラスにも届かなかった。

 

 Cクラスには点数で勝った。

 

 だが、龍園には傷をつけられた。

 

 それでも、すべてを奪われたわけではない。

 

 長期の鎖は断った。

 

 戸塚は折れなかった。

 

 橋本は以前より少しだけ見える場所にいる。

 

 町田は記録を残した。

 

 白峰は、何かを救ったわけではない。

 

 ただ、壊れる前の音を拾い、誰かが自分で立ち止まれるだけの間を置いた。

 

 それだけだ。

 

 だが、その「それだけ」が、今は確かに残っている。

 

 船へ戻る道で、戸塚が隣に来た。

 

「葛城さん」

 

「何だ」

 

「すみませんでした」

 

「謝罪は受け取る」

 

「はい」

 

「だが、お前だけの責任ではない」

 

「分かっています」

 

 戸塚は前を向いたまま言った。

 

「だから、次は俺も止めます」

 

「俺をか」

 

「はい」

 

 戸塚の声は硬い。

 

 だが、逃げていない。

 

「葛城さんが間違えたら、俺が止めます。できるか分からないけど、黙って従うだけはやめます」

 

 俺はしばらく黙った。

 

 そして、短く答えた。

 

「期待している」

 

 戸塚は小さく頷いた。

 

 少し離れた場所で、白峰が歩いている。

 

 何も言わない。

 

 言う必要がないのだろう。

 

 波の音が近づく。

 

 船が見える。

 

 無人島試験は終わった。

 

 だが、Aクラスの内部では、終わっていないものがいくつも残っている。

 

 葛城派。

 

 坂柳派。

 

 橋本。

 

 戸塚。

 

 そして、白峰奏。

 

 この試験で、俺たちは正解を選べなかった。

 

 だが、すべてを間違えたわけでもない。

 

 正解ではなかった。

 

 それでも、次に立つ場所は少しだけ変わった。

 

 そう思うことだけは、許される気がした。

 

 

 

 

反映されるクラスポイント

 

 

 Aクラス 1004cp→1124cp(+120cp)

 

 

 Bクラス 663cp→803cp(+140cp)

 

 

 Cクラス 492cp→492cp(+0cp)

 

 

 Dクラス 87cp→312cp(+225cp)

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