壊れる前の音を、君は知らない   作:シュユ

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第5話 笑顔の届かない相手

――櫛田桔梗視点

 

 人と仲良くなるのは、得意だ。

 

 少なくとも、この学校に入ってから、それを実感する機会は多かった。

 

 クラスメイトはもちろん、他クラスにも顔見知りは増えた。

 話しかければ、大抵の人は笑って応じてくれる。

 

 第一印象って大事だ。

 

 柔らかく笑って。

 相手の話をよく聞いて。

 距離感を間違えなければ、ほとんどの人間はこっちを受け入れる。

 

 簡単なこと。

 

 ……まあ、全員とは言わないけど。

 

「こんにちは、白峰くん」

 

 昼休み。

 

 廊下の窓際に立っていたAクラスの男子生徒へ、私はいつもの調子で声をかけた。

 

 白峰奏くん。

 

 学年内でも、少しだけ名前を聞く人だ。

 

 中庭でピアノを弾いている。

 誰にでも穏やかに接する。

 でも、どこか掴みどころがない。

 

 話しかけづらいわけじゃない。

 むしろ、話せば普通に返してくれる。

 

 だけど――妙に距離が縮まらない。

 

「櫛田さん」

 

 白峰くんは振り返って、小さく笑った。

 

 その笑顔も柔らかい。

 感じが悪いわけじゃ全然ない。

 

「珍しいね。Aクラスの方まで来るなんて」

 

「えへへ、ちょっと色んな人と仲良くしたくて」

 

 いつもの台詞。

 いつもの笑顔。

 

 普通なら、この辺りで相手も少し気を許す。

 

 実際、白峰くんも拒絶はしない。

 

「櫛田さんらしいね」

 

 ほらね。

 

 会話は成立する。

 

 でも――そこから先がない。

 

 私はさりげなく隣に並ぶ。

 

「白峰くんって、なんだか不思議だよね」

 

「そう?」

 

「うん。Aクラスの子たちって、もっとピリピリしてるイメージがあったから」

 

「そういう人も多いね」

 

「でも、白峰くんは全然そんな感じしない」

 

「そう聞こえるなら、よかった」

 

 にこ、と笑う。

 

 完璧だ。

 

 完璧に無難。

 

 情報が一切落ちてこない。

 

 普通こういう会話って、相手も多少は自分の話をするものじゃない?

 趣味とか、交友関係とか、クラスのこととか。

 

 何でもいい。

 会話の糸口になるものが、どこかで出てくる。

 

 でも白峰くんは、返してくれるだけで自分の懐を開かない。

 

 まるで、こっちの言葉が全部、表面で滑っているみたいに。

 

 やりづら……。

 

 内心で舌打ちしたくなるのを抑え、私は笑顔を崩さない。

 

「そういえば、よくピアノ弾いてるよね。あれ、すっごく上手!」

 

「ありがとう」

 

「昔からやってるの?」

 

「まあ、それなりに」

 

 またそれだ。

 

 具体性がない。

 肯定も否定もしているのに、会話の奥だけは見せない。

 

 こういうタイプが、一番面倒くさい。

 

 無視してくる相手の方がまだ楽だ。

 壁があると分かれば、対処の仕方もある。

 

 でも白峰くんは違う。

 

 壁なんてないみたいに振る舞うくせに、気づいた時には向こう側へ行けない。

 

 私は少しだけ話題を変える。

 

「白峰くんってさ、他クラスの子とも結構話すよね?」

 

「たまに」

 

「誰と仲いいの?」

 

「色々かな」

 

 色々って何よ。

 

 笑顔の裏で、頬が引きつりそうになる。

 

 この人、絶対わざとやってるでしょ。

 

 そう思った時だった。

 

「櫛田さんも、大変そうだね」

 

 不意にそう言われ、私は瞬きをした。

 

「え?」

 

 白峰くんは窓の外を見たまま、さらっと続ける。

 

「色んな人と仲良くするの」

 

 どきり、と胸が跳ねた。

 

 たったそれだけの言葉。

 

 別におかしなことは言っていない。

 私は誰とでも仲良くしている。

 周囲もそう見ている。

 

 なのに。

 

 どうしてこんなに、耳元で囁かれたみたいに嫌な感じがするんだろう。

 

「で、でも好きでやってることだし!」

 

 慌てて笑って返す。

 

「みんなと仲良しなの、楽しいよ?」

 

「そっか」

 

 白峰くんは、それ以上追及しない。

 

 追及しないのに、妙に怖い。

 

 知っているのか。

 それとも、ただ何となく言っただけなのか。

 

 私の裏側に気づいてる?

 

 いや、そんなはず――。

 

「無理しない方がいいよ」

 

 また、穏やかな声。

 

 私は反射的に白峰くんを見る。

 

 相変わらず柔らかい表情。

 責めてもいないし、意味深に笑ってもいない。

 

 ただ普通に、親切で言っているようにしか見えない。

 

 だから余計に気味が悪い。

 

「……私、無理してるように見える?」

 

 聞いてしまってから、失敗したと思った。

 

 こんなの、動揺しているって認めたようなものじゃん。

 

 でも白峰くんは少しだけ首を傾げて、

 

「少し」

 

 と答えた。

 

 またそれ。

 

 この人、何なの。

 

 聞こえてるの?

 聞こえてないの?

 

 どこまで分かってるの?

 

「櫛田さんの声って、丁寧だよね」

 

「……え?」

 

「誰に向けても、ちゃんと綺麗に整ってる」

 

 白峰くんは、ただ思ったことを言っているみたいだった。

 

「すごいと思うよ」

 

「そ、そうかな。普通だよ」

 

「うん。普通に聞こえるように、すごく丁寧にしてる感じ」

 

 息が、少しだけ詰まった。

 

 何それ。

 

 褒めてるの?

 疑ってるの?

 

 分からない。

 

 分からないのに、笑顔だけは崩せない。

 

「白峰くんって、変なこと言うね」

 

「よく言われる」

 

「ふふ、でも面白いかも」

 

 いつもの声。

 いつもの笑い方。

 

 できているはずだ。

 

 私はちゃんと笑えている。

 ちゃんと明るく、柔らかく、誰にでも好かれる櫛田桔梗でいられている。

 

 なのに白峰くんは、その笑顔を見ているようで、少し違う場所を聞いている気がした。

 

 表情じゃない。

 言葉でもない。

 

 笑う直前の息とか。

 声の端に残る硬さとか。

 そういう、普通なら誰も気にしないもの。

 

 そこに指を伸ばされているようで、気持ち悪い。

 

 この人の前では、いつもの調子が出せない。

 

 相手の懐に入って情報を取る。

 相手に好かれる。

 笑顔で主導権を握る。

 

 得意なはずの流れが、妙に噛み合わない。

 

 気づけば、探っているのは私の方で。

 

 揺れているのも、私の方だった。

 

「……じゃ、じゃあまたね!」

 

 少しだけ早口でそう言って、その場を離れる。

 

 背中に、白峰くんの声が届いた。

 

「うん。また」

 

 廊下を曲がったところで、私は小さく息を吐く。

 

 なんなの、あの人。

 

 別に嫌なことを言われたわけじゃない。

 脅されたわけでも、裏を暴かれたわけでもない。

 

 むしろ、優しいくらいだ。

 

 なのに。

 

 ――笑顔が届いている気がしない。

 

 私の笑顔も、声も、言葉も。

 

 全部ちゃんと届いているはずなのに、肝心なところだけ、受け取られていない気がする。

 

 それが、どうしようもなく不気味だった。

 

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