壊れる前の音を、君は知らない   作:シュユ

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須藤暴力事件
第8話 沈黙する証拠


――堀北鈴音視点

 

 須藤君が、暴力事件の処分次第で退学になるかもしれない。

 

 茶柱先生から、Cクラス側が学校へ正式に被害を訴えていると聞かされた時、私は真っ先に呆れを覚えた。

 

「……本当に救いようがないわね、あの男」

 

 三対一の乱闘。

 

 相手はCクラスの男子生徒三人。

 須藤君の主張では、向こうが先に挑発し、仕掛けてきたのだという。

 

 だとしても、暴力を振るった事実が消えるわけではない。

 

 感情で先に手を出す。

 実に須藤君らしい短絡さだった。

 

「お、おい堀北! 俺はハメられたんだって!」

 

 教室で須藤君が机を叩く。

 

「証拠はあるの?」

 

「ねぇよ! だから困ってんだろ!」

 

「なら、まず黙っていなさい。感情的に騒いだところで、状況は何もよくならないわ」

 

 一喝すると、須藤君はぐっと言葉を詰まらせた。

 

 苛立つ。

 

 クラスポイントに直結する問題だというのに、当の本人は感情的になるだけ。

 自分が置かれている状況を、正確に理解しているとは思えない。

 

 綾小路君が横からぼそりと言う。

 

「一応、無実の可能性はある」

 

「分かっているわ。でも、可能性だけでは学校は動かない」

 

 必要なのは客観的証拠。

 

 少なくとも、須藤君の自己申告だけでは話にならない。

 

 私は机上の状況を整理する。

 

 Cクラスの三人は、須藤君から一方的に暴力を受けたと主張している。

 須藤君は、挑発され、先に仕掛けられたと主張している。

 目撃者は不明。

 証拠もない。

 

 最悪の盤面だ。

 

「現場付近にいた生徒を洗うしかないわね」

 

 綾小路君が肩をすくめる。

 

「地道だな」

 

「他に手があるなら聞かせて」

 

「いや、ない」

 

 そうして私たちは、放課後から聞き込みを始めた。

 

 

 

 けれど、結果は芳しくなかった。

 

 事件の起きた特別棟付近は、普段から人通りが多い場所ではない。

 しかも部活動終わりの時間帯で、明確に見たという生徒はほとんどいなかった。

 

「見てない」

 

「知らない」

 

「関わりたくない」

 

 返ってくるのは、そんな言葉ばかり。

 

 当然と言えば当然だ。

 

 クラス間の争いに首を突っ込めば、余計な火種を抱えることになる。

 この学校の生徒なら、それくらいは理解している。

 

 私は廊下の窓に寄りかかり、深く息を吐いた。

 

「……埒が明かないわね」

 

 綾小路君も、珍しく少し考えるような顔をしている。

 

 その時だった。

 

「堀北さん」

 

 後ろから声が飛ぶ。

 

 振り向くと、櫛田さんが小走りでこちらへ来ていた。

 

「少し気になることがあるんだけど」

 

「何?」

 

「さっき、佐倉さんに話を聞こうとしたの。そしたら……」

 

 櫛田さんは少し言い淀む。

 

「須藤君の話を出した瞬間、すごく慌ててた」

 

「慌ててた?」

 

「うん。それに、ずっとカメラを抱えてて」

 

 綾小路君と私は顔を見合わせた。

 

 佐倉愛里さん。

 

 クラスでもほとんど目立たない女子生徒。

 人との会話が極端に苦手で、常におどおどしている印象しかない。

 

 だが、事件の話題で慌てた。

 

 そして、カメラを抱えていた。

 

「……本人に聞くわよ」

 

 教室の隅。

 

 佐倉さんはデジタルカメラを胸に抱え、こちらを見るなり肩を跳ねさせた。

 

「ひっ……」

 

「少し話があるのだけれど」

 

 私が前に出ると、佐倉さんは露骨に視線を泳がせる。

 

 櫛田さんが慌てて柔らかくフォローした。

 

「だ、大丈夫だよ佐倉さん! 怖い話じゃないから!」

 

「こ、怖い……話じゃ……」

 

 十分怖がられている。

 

 私は小さく舌打ちを飲み込み、本題へ入った。

 

「あなた、須藤君の件で何か知っているの?」

 

「えっ……」

 

 佐倉さんの肩が、分かりやすく跳ねた。

 

 図星。

 そう判断するには十分だった。

 

 けれど、そこから先へ踏み込む前に、綾小路君が静かに口を挟んだ。

 

「そのカメラ、事件の日も持っていたのか?」

 

 その瞬間だった。

 

 佐倉さんの顔色が、一気に変わる。

 

 肯定と同義の沈黙。

 

 私は視線をカメラへ落とす。

 

「……写真を撮っていたのね?」

 

「む、無理です!」

 

 予想外の強い拒絶だった。

 

 佐倉さんは、ぶんぶんと首を振る。

 

「み、見せられません……っ」

 

「何故? 須藤君の退学がかかっているのよ」

 

「で、でも……わ、私……」

 

 言葉にならない。

 

 呼吸が浅くなり、今にも泣きそうな顔で後ずさる。

 

 櫛田さんが必死に宥める。

 

「佐倉さん、落ち着いて? 大丈夫だから――」

 

「だ、大丈夫じゃ……っ」

 

 弾かれたように、佐倉さんが教室を飛び出した。

 

「あっ、佐倉さん!」

 

 櫛田さんが慌てて追いかける。

 

 その直後、廊下の方で小さな悲鳴が上がった。

 

 硬いものが床に落ちる、嫌な音。

 

 私たちが廊下へ出ると、佐倉さんは床に落ちたデジタルカメラを震える手で拾い上げていた。

 

「あ……あ……」

 

 電源を入れようとしている。

 けれど、液晶は何も映らない。

 

「こ、壊れ……」

 

 次の瞬間、佐倉さんは半泣きのまま走り去った。

 

 廊下に、微妙な沈黙が落ちる。

 

 須藤君がぽかんと口を開けた。

 

「な、なんなんだよ、あいつ……」

 

「……最悪ね」

 

 私は額を押さえた。

 

 証拠はある。

 ほぼ確実に。

 

 しかし、証人があれでは話にならない。

 

 綾小路君が、床に落ちていた小さな部品を拾いながら呟く。

 

「カメラ、完全に壊れたわけじゃないかもな」

 

「問題はそこじゃないでしょう」

 

「いや、そこも問題だ」

 

 確かにそうだ。

 

 仮にデータが無事でも、佐倉さん本人が証言を拒めば意味がない。

 逆に、本人が証言する気になっても、証拠の写真が取り出せなければ効力は弱まる。

 

 どちらも必要だった。

 

 私は廊下の先、佐倉さんが消えた方向を見る。

 

 どうする。

 

 脅しても逆効果。

 櫛田さんの柔らかい説得も通じなかった。

 

 この手の人間は、一度閉じると厄介だ。

 

「……打つ手なしね」

 

 半ば吐き捨てるように言った、その時。

 

「そうでもないよ」

 

 聞き覚えのある、場違いなほど穏やかな声。

 

 振り向くと、少し離れた廊下の壁際に立っていたのは――白峰君だった。

 

 いつからいたのか分からない。

 

 相変わらず気配が薄い。

 

 私は眉をひそめる。

 

「あなた、何故ここにいるの」

 

「少し騒がしかったから」

 

「見物?」

 

「そう見える?」

 

「少なくとも、部外者であることは確かね」

 

 白峰君は否定せず、廊下の先へ目を向けた。

 

「佐倉さん、たぶん堀北さんたちみたいな正しさで押しても出てこないよ」

 

「……何が言いたいの」

 

「彼女の音、証言を怖がっているだけじゃなかった」

 

 音。

 

 また、白峰君らしい曖昧な言い方だった。

 

 けれど、今は聞き流せない。

 

「では、何を怖がっているというの?」

 

 白峰君は、少しだけ黙った。

 

 まるで、廊下の奥に消えた佐倉さんの足音を、まだ聞いているみたいに。

 

「見られること」

 

 私は思わず黙った。

 

 綾小路君も、小さく白峰君を見る。

 

 見られること。

 

 確かに、あの拒絶はただの人見知りにしては過剰だった。

 証言そのものよりも、別の何かに触れられることを恐れているように見えた。

 

 何か、隠しているのだろうか。

 

「あなた、何か知っているの?」

 

「知らないよ」

 

「知らないのに、どうしてそんなことが言えるの」

 

「怖がり方が違ったから」

 

 白峰君は淡々と言った。

 

「須藤君を助けるかどうかで迷っている音じゃない。自分が見つかることに怯えている音だった」

 

 私は何も言えなかった。

 

 正直、理屈としては弱い。

 証拠にもならない。

 ただの印象論に近い。

 

 けれど、今の佐倉さんの反応を思い返すと、完全に切り捨てることもできなかった。

 

 白峰君はそれ以上説明せず、踵を返す。

 

「じゃあね」

 

「待ちなさい。話は――」

 

「急がないと、生徒会審議に間に合わなくなるよ」

 

 それだけ残して、白峰君は去っていく。

 

 私は無意識に拳を握った。

 

 ……まただ。

 

 肝心な部分だけ落として消える。

 

 だが、今の一言で盤面が少し変わったのも事実だった。

 

 佐倉さんは、証言だけを怖がっているのではない。

 

 見られるのが怖い。

 

 なら、まず確かめるべきは――彼女が何を隠しているのか、ということになる。

 

 私は廊下の先を見つめたまま、静かに息を吐いた。

 

 沈黙しているのは、証拠だけではない。

 

 証人自身もまた、何かを抱えたまま口を閉ざしている。

 

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