壊れる前の音を、君は知らない   作:シュユ

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第9話 見られたくない顔

――堀北鈴音視点

 

 佐倉愛里の秘密。

 

 白峰君の言葉を受けてから、私はそこに焦点を絞ることにした。

 

「見られるのが怖い……ね」

 

 放課後の廊下を歩きながら呟くと、隣の綾小路君が小さく頷いた。

 

「人前が苦手ってだけじゃ説明がつかない反応だった」

 

「ええ。あれはもっと直接的な拒絶よ」

 

 ただ話すのが苦手なだけなら、あそこまで怯えない。

 

 須藤君の件に触れられた瞬間、佐倉さんは“何かが露見する”ことを恐れた。

 

 つまり、証拠写真の存在以上に。

 

 写真を持っていた自分が表へ出ること。

 

 それ自体を、彼女は拒絶している。

 

「櫛田さん、佐倉さんの普段の様子で気になる点は?」

 

 私は同行していた櫛田さんへ聞く。

 

 櫛田さんは少し考え込んでから、ぽつりと言った。

 

「……いつもカメラを持ってること、かな」

 

「それは知っているわ」

 

「あと、帽子とか眼鏡とか……変装っぽい時があるの」

 

 私は足を止めた。

 

「変装?」

 

「う、うん。たまたま下校中に見かけたことがあるんだけど、学校にいる時と雰囲気が全然違ってて」

 

「具体的には?」

 

「帽子を深くかぶって、伊達眼鏡みたいなのをかけてて……マスクもしてたかな。最初は佐倉さんだって気づかなかった」

 

 綾小路君が目を細める。

 

「なるほどな」

 

「何か分かったの?」

 

「たぶん、佐倉は人に顔を知られたくないんだろう」

 

 私は白峰君の言葉を思い出す。

 

 見られることの方が怖い。

 

 点が、少しずつ線になり始めていた。

 

「カメラの修理には行くはずよね」

 

「そうだな。中のデータが大事なら、放ってはおけないだろう」

 

「なら、そこから何か分かるかもしれない」

 

 正直、こういう回りくどい真似は好かない。

 

 だが、時間がない以上、最短で佐倉さんを説得する材料を見つける必要がある。

 

 ただ待っているだけでは、須藤君の処分は決まってしまう。

 

 そして翌日。

 

 予想通り、佐倉さんは壊れたデジタルカメラを抱えて、校内の家電量販店へ向かった。

 

 私は少し離れた位置から、その姿を見ていた。

 

 帽子。

 伊達眼鏡。

 マスク。

 

 昨日、櫛田さんが話していた通りの格好だった。

 

「……あれで目立たないと思っているのかしら」

 

「本人は必死なんだろ」

 

 綾小路君の返答は淡々としている。

 

 櫛田さんは、少し困ったような顔で佐倉さんを見つめていた。

 

「佐倉さん……」

 

 その声には、心配が混ざっている。

 

 私には、それが少し甘く聞こえた。

 

 佐倉さんが何を隠していようと、今必要なのは証言だ。

 証拠写真が存在するなら、それを提出してもらわなければならない。

 

 けれど、佐倉さんは自分から出てこない。

 

 なら、こちらから動くしかない。

 

 店内へ入った佐倉さんの後を、私たちは少し時間を置いて追った。

 

 家電量販店の中は広く、平日の放課後にしては人もまばらだった。

 カメラ売り場の奥、修理受付のカウンター付近に佐倉さんの姿が見える。

 

 彼女は店員と何かを話していた。

 

 ただし、会話というよりは、ほとんど店員の言葉に小さく頷いているだけだった。

 

 遠目からでも分かる。

 

 肩に力が入りすぎている。

 手元のカメラを握る指が、白くなっている。

 

 やがて店員が、修理の受付票らしき紙を差し出した。

 

 佐倉さんはためらうようにペンを持つ。

 

 その時、店員が何かを言った。

 

 佐倉さんの肩が、びくりと震える。

 

「……今の」

 

 私は思わず呟いた。

 

 何を言われたのかまでは聞こえない。

 けれど、佐倉さんの反応は明らかにおかしかった。

 

 ただ修理を頼んでいるだけの客の反応ではない。

 

 恐怖。

 

 それに近いものがあった。

 

「堀北さん」

 

 櫛田さんが小声で言う。

 

「やっぱり、佐倉さん……何か怖がってるよ」

 

「分かっているわ」

 

 問題は、それが何なのか。

 

 そして、その恐怖をどう越えさせるか。

 

 しばらくして、佐倉さんは店を出た。

 

 修理の手続きは終えたらしい。

 しかし、足取りは重い。

 

 人混みの中へ消えていく彼女の背中を見ながら、私は考える。

 

 顔を隠す。

 人前に出ることを避ける。

 カメラを手放したくない。

 証言を拒む。

 見られることを怖がる。

 

 そこまで考えた時、綾小路君が静かに口を開いた。

 

「佐倉が隠してるのは、証拠写真だけじゃないな」

 

「ええ」

 

「どうする?」

 

「話をするわ」

 

 私は即答した。

 

 櫛田さんが少し不安そうにこちらを見る。

 

「堀北さん、まさか……そのことを使って説得するの?」

 

「使うという言い方は好きではないわ。必要な確認をするだけよ」

 

「でも……」

 

「甘いことを言っている時間はないの。須藤君の処分が決まれば、Dクラスにも影響が出る。佐倉さんが何かを隠しているなら、それを踏まえて話すしかないでしょう」

 

「堀北さん……」

 

 責めるような声。

 

 だが、甘い理想で須藤君を救えるほど、現実は優しくない。

 

 私は言い返そうとして――。

 

「堀北さん」

 

 またしても、聞き慣れた声に足が止まる。

 

 店の外。

 

 柱の陰に、白峰君が立っていた。

 

「……あなた、本当にどこにでもいるのね」

 

「ひどい言い方だな」

 

「つけてきたの?」

 

「偶然」

 

「もうその単語は信用していないわ」

 

 白峰君は少しだけ笑った。

 

 そして、佐倉さんが消えた方向を一瞥する。

 

「その秘密で押すつもり?」

 

「押すわけじゃないわ。説得の材料よ」

 

「本人には、同じに聞こえると思うけど」

 

 私は眉をひそめた。

 

「綺麗事を言うつもり? 時間がないのよ」

 

「知ってる」

 

「なら――」

 

「でも、それをやると佐倉さんはもっと閉じる」

 

 即答だった。

 

 白峰君は責める口調ではない。

 ただ事実を述べているだけ。

 

 その落ち着きが、妙に引っかかる。

 

「……じゃあ、どうしろと言うの」

 

「別に。堀北さんのやり方でも、須藤君は助かるかもしれない」

 

「かもしれない?」

 

「でも、佐倉さんは壊れる」

 

 言葉が詰まる。

 

 白峰君は、本当にさらりと言う。

 

 まるで、それが聞こえているみたいに。

 

 櫛田さんが小さく、佐倉さんの消えた方を見る。

 

 綾小路君は無言だった。

 

 私だけが、妙に取り残された気分になる。

 

 理屈では正しい。

 

 クラスのために証言は必要だ。

 そのために、彼女の秘密を交渉材料にするのは合理的だ。

 

 だが――。

 

 壊れる。

 

 その言葉だけが、胸に残る。

 

 白峰君は少しだけ笑った。

 

「堀北さん、君は正しいよ」

 

「……嫌味?」

 

「ううん。正しい」

 

 それから続ける。

 

「でも正しさって、時々人を追い詰める」

 

 私は返事ができなかった。

 

 図星だったからかもしれない。

 

 白峰君は、私の沈黙を気にしないまま歩き出す。

 

「話すなら、秘密を暴くんじゃなくて、怖がっている理由を先に聞いた方がいい」

 

「それで素直に話すと思う?」

 

「思わない」

 

「なら意味がないわ」

 

「意味はあるよ」

 

 白峰君は振り返らずに言った。

 

「少なくとも、逃げ道を塞がれたと思わせるよりは」

 

 私は唇を引き結んだ。

 

 反論はできた。

 

 時間がない。

 証拠が必要。

 クラスのためには仕方がない。

 

 いくらでも言える。

 

 けれど、そのどれもが、今は少しだけ軽く聞こえた。

 

「白峰君」

 

 私は呼び止める。

 

「あなたなら、どうするの」

 

 白峰君は足を止めた。

 

 少しだけ考えるように沈黙する。

 

「話すかな」

 

「あなたが?」

 

「うん。でも、説得はしない」

 

「意味が分からないわ」

 

「話さなくてもいいって、先に言う」

 

 余計に意味が分からない。

 

 証言してもらわなければ困る相手に、話さなくてもいいと言う。

 

 合理性から最も遠い言葉だった。

 

 なのに、白峰君の声には迷いがない。

 

「それで証言してくれる保証は?」

 

「ないよ」

 

「無責任ね」

 

「そうだね」

 

 あっさり認める。

 

 その態度が、やはり癪に障った。

 

 けれど、白峰君は続けた。

 

「でも、壊さないで済む可能性は残る」

 

 私は何も言えなかった。

 

 白峰君はそれ以上説明せず、駅前の人混みへ消えていく。

 

 数秒、その背中を見送ることしかできなかった。

 

 櫛田さんがぽつりと呟く。

 

「……白峰君って、優しいよね」

 

 私は即答できなかった。

 

 優しい。

 

 そう見える。

 

 だが同時に、どうにも掴めない。

 

 私の正しさを否定せず、しかし別の道を当然のように選んでいく。

 

 それがひどく癪だった。

 

「……結果を見ましょう」

 

 そう言うしかなかった。

 

 白峰奏が何をするつもりなのか。

 

 少なくとも、今の私には読めない。

 

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