――堀北鈴音視点
佐倉愛里の秘密。
白峰君の言葉を受けてから、私はそこに焦点を絞ることにした。
「見られるのが怖い……ね」
放課後の廊下を歩きながら呟くと、隣の綾小路君が小さく頷いた。
「人前が苦手ってだけじゃ説明がつかない反応だった」
「ええ。あれはもっと直接的な拒絶よ」
ただ話すのが苦手なだけなら、あそこまで怯えない。
須藤君の件に触れられた瞬間、佐倉さんは“何かが露見する”ことを恐れた。
つまり、証拠写真の存在以上に。
写真を持っていた自分が表へ出ること。
それ自体を、彼女は拒絶している。
「櫛田さん、佐倉さんの普段の様子で気になる点は?」
私は同行していた櫛田さんへ聞く。
櫛田さんは少し考え込んでから、ぽつりと言った。
「……いつもカメラを持ってること、かな」
「それは知っているわ」
「あと、帽子とか眼鏡とか……変装っぽい時があるの」
私は足を止めた。
「変装?」
「う、うん。たまたま下校中に見かけたことがあるんだけど、学校にいる時と雰囲気が全然違ってて」
「具体的には?」
「帽子を深くかぶって、伊達眼鏡みたいなのをかけてて……マスクもしてたかな。最初は佐倉さんだって気づかなかった」
綾小路君が目を細める。
「なるほどな」
「何か分かったの?」
「たぶん、佐倉は人に顔を知られたくないんだろう」
私は白峰君の言葉を思い出す。
見られることの方が怖い。
点が、少しずつ線になり始めていた。
「カメラの修理には行くはずよね」
「そうだな。中のデータが大事なら、放ってはおけないだろう」
「なら、そこから何か分かるかもしれない」
正直、こういう回りくどい真似は好かない。
だが、時間がない以上、最短で佐倉さんを説得する材料を見つける必要がある。
ただ待っているだけでは、須藤君の処分は決まってしまう。
そして翌日。
予想通り、佐倉さんは壊れたデジタルカメラを抱えて、校内の家電量販店へ向かった。
私は少し離れた位置から、その姿を見ていた。
帽子。
伊達眼鏡。
マスク。
昨日、櫛田さんが話していた通りの格好だった。
「……あれで目立たないと思っているのかしら」
「本人は必死なんだろ」
綾小路君の返答は淡々としている。
櫛田さんは、少し困ったような顔で佐倉さんを見つめていた。
「佐倉さん……」
その声には、心配が混ざっている。
私には、それが少し甘く聞こえた。
佐倉さんが何を隠していようと、今必要なのは証言だ。
証拠写真が存在するなら、それを提出してもらわなければならない。
けれど、佐倉さんは自分から出てこない。
なら、こちらから動くしかない。
店内へ入った佐倉さんの後を、私たちは少し時間を置いて追った。
家電量販店の中は広く、平日の放課後にしては人もまばらだった。
カメラ売り場の奥、修理受付のカウンター付近に佐倉さんの姿が見える。
彼女は店員と何かを話していた。
ただし、会話というよりは、ほとんど店員の言葉に小さく頷いているだけだった。
遠目からでも分かる。
肩に力が入りすぎている。
手元のカメラを握る指が、白くなっている。
やがて店員が、修理の受付票らしき紙を差し出した。
佐倉さんはためらうようにペンを持つ。
その時、店員が何かを言った。
佐倉さんの肩が、びくりと震える。
「……今の」
私は思わず呟いた。
何を言われたのかまでは聞こえない。
けれど、佐倉さんの反応は明らかにおかしかった。
ただ修理を頼んでいるだけの客の反応ではない。
恐怖。
それに近いものがあった。
「堀北さん」
櫛田さんが小声で言う。
「やっぱり、佐倉さん……何か怖がってるよ」
「分かっているわ」
問題は、それが何なのか。
そして、その恐怖をどう越えさせるか。
しばらくして、佐倉さんは店を出た。
修理の手続きは終えたらしい。
しかし、足取りは重い。
人混みの中へ消えていく彼女の背中を見ながら、私は考える。
顔を隠す。
人前に出ることを避ける。
カメラを手放したくない。
証言を拒む。
見られることを怖がる。
そこまで考えた時、綾小路君が静かに口を開いた。
「佐倉が隠してるのは、証拠写真だけじゃないな」
「ええ」
「どうする?」
「話をするわ」
私は即答した。
櫛田さんが少し不安そうにこちらを見る。
「堀北さん、まさか……そのことを使って説得するの?」
「使うという言い方は好きではないわ。必要な確認をするだけよ」
「でも……」
「甘いことを言っている時間はないの。須藤君の処分が決まれば、Dクラスにも影響が出る。佐倉さんが何かを隠しているなら、それを踏まえて話すしかないでしょう」
「堀北さん……」
責めるような声。
だが、甘い理想で須藤君を救えるほど、現実は優しくない。
私は言い返そうとして――。
「堀北さん」
またしても、聞き慣れた声に足が止まる。
店の外。
柱の陰に、白峰君が立っていた。
「……あなた、本当にどこにでもいるのね」
「ひどい言い方だな」
「つけてきたの?」
「偶然」
「もうその単語は信用していないわ」
白峰君は少しだけ笑った。
そして、佐倉さんが消えた方向を一瞥する。
「その秘密で押すつもり?」
「押すわけじゃないわ。説得の材料よ」
「本人には、同じに聞こえると思うけど」
私は眉をひそめた。
「綺麗事を言うつもり? 時間がないのよ」
「知ってる」
「なら――」
「でも、それをやると佐倉さんはもっと閉じる」
即答だった。
白峰君は責める口調ではない。
ただ事実を述べているだけ。
その落ち着きが、妙に引っかかる。
「……じゃあ、どうしろと言うの」
「別に。堀北さんのやり方でも、須藤君は助かるかもしれない」
「かもしれない?」
「でも、佐倉さんは壊れる」
言葉が詰まる。
白峰君は、本当にさらりと言う。
まるで、それが聞こえているみたいに。
櫛田さんが小さく、佐倉さんの消えた方を見る。
綾小路君は無言だった。
私だけが、妙に取り残された気分になる。
理屈では正しい。
クラスのために証言は必要だ。
そのために、彼女の秘密を交渉材料にするのは合理的だ。
だが――。
壊れる。
その言葉だけが、胸に残る。
白峰君は少しだけ笑った。
「堀北さん、君は正しいよ」
「……嫌味?」
「ううん。正しい」
それから続ける。
「でも正しさって、時々人を追い詰める」
私は返事ができなかった。
図星だったからかもしれない。
白峰君は、私の沈黙を気にしないまま歩き出す。
「話すなら、秘密を暴くんじゃなくて、怖がっている理由を先に聞いた方がいい」
「それで素直に話すと思う?」
「思わない」
「なら意味がないわ」
「意味はあるよ」
白峰君は振り返らずに言った。
「少なくとも、逃げ道を塞がれたと思わせるよりは」
私は唇を引き結んだ。
反論はできた。
時間がない。
証拠が必要。
クラスのためには仕方がない。
いくらでも言える。
けれど、そのどれもが、今は少しだけ軽く聞こえた。
「白峰君」
私は呼び止める。
「あなたなら、どうするの」
白峰君は足を止めた。
少しだけ考えるように沈黙する。
「話すかな」
「あなたが?」
「うん。でも、説得はしない」
「意味が分からないわ」
「話さなくてもいいって、先に言う」
余計に意味が分からない。
証言してもらわなければ困る相手に、話さなくてもいいと言う。
合理性から最も遠い言葉だった。
なのに、白峰君の声には迷いがない。
「それで証言してくれる保証は?」
「ないよ」
「無責任ね」
「そうだね」
あっさり認める。
その態度が、やはり癪に障った。
けれど、白峰君は続けた。
「でも、壊さないで済む可能性は残る」
私は何も言えなかった。
白峰君はそれ以上説明せず、駅前の人混みへ消えていく。
数秒、その背中を見送ることしかできなかった。
櫛田さんがぽつりと呟く。
「……白峰君って、優しいよね」
私は即答できなかった。
優しい。
そう見える。
だが同時に、どうにも掴めない。
私の正しさを否定せず、しかし別の道を当然のように選んでいく。
それがひどく癪だった。
「……結果を見ましょう」
そう言うしかなかった。
白峰奏が何をするつもりなのか。
少なくとも、今の私には読めない。