ようこそ恋愛至上主義の教室へ   作:GC

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加速する二人の関係

五月。

秀知院学園での生活にも、わずかながら慣れが生じてきた。

オレの目的は、あくまで平穏な日常の獲得と維持だ。

その防壁として四宮かぐやを機能させるためには、彼女の周囲の人間関係を正確に把握しておく必要がある。

 

放課後の生徒会室。

 

「あーっ! 会長、またそんな難しい顔して書類読んでるんですか? もっと青春しましょうよ!」

 

頭に黒いリボンをつけた少女。生徒会書記、藤原千花。

彼女の行動原理は享楽的な学園生活を送ることであり、常に論理の外側で動いている。

オレの計画において、彼女は予測不可能な障害となる可能性を秘めているが、同時にカモフラージュ用の煙幕としても扱える存在だ。

 

「藤原、俺は生徒会長として果たすべき責務があるんだ。遊んでいる暇はない」

 

白銀は冷静を装って答えているが、その声のトーンには微細な緊張が混じっていた。

手元の資料に目を落としたまま、オレは室内の音と気配だけを処理する。

白銀の視線は書類に向かっているものの、文字を追う速度が極端に落ちている。心拍数の僅かな上昇。彼が何かを隠蔽しようとしていることは明白だった。

 

「でもでも、来週は体育の授業でバレーボールのテストがありますよ? 会長、運動は得意そうですけど、念のため練習しなくていいんですか?」

 

「……っ」

 

白銀のペンが、一瞬だけ止まった。

その硬直を、斜め向かいに座る四宮かぐやが見逃すはずもなかった。

彼女は紅茶のカップを優雅に持ち上げながら、白銀の横顔を観察している。

彼女の目的は、白銀御行に告白させることだ。相手の弱みを握ることは、そのための有効な手段になり得る。

 

「あら、会長。もしかしてバレーボールが苦手なのですか?」

 

「そ、そんなわけないだろう! 俺はただ、生徒会の仕事が忙しくてだな……」

 

「なら安心ですね。会長の完璧なプレイ、楽しみにしていますね」

 

四宮は微笑を浮かべた。

相手を追い詰めるための牽制。だが、そこには明確な期待が入り混じっている。

白銀御行という男は、凄まじい努力によって凡人の枠を超えようとしている人間だ。

四宮は彼のその姿勢に価値を見出しており、同時に、彼が自分に対して隙を見せることをどこかで望んでいる。

 

オレは立ち上がり、処理し終えた書類の束を白銀の机に置いた。

 

「終わったぞ。次はどうしたいい」

 

「お、おお……綾小路。いつも助かる。今日はこれで上がりでいいぞ」

 

白銀は明らかに安堵した表情を見せた。この場から逃れるための口実を探していたのだろう。

 

「わかった、じゃあオレはこれで」

 

生徒会室を出たオレは、そのまま帰路にはつかず、体育館の方向へと歩みを進めた。

白銀が隠そうとしている事実。それはおそらく、極度の運動音痴といった物理的な欠陥だ。

彼は四宮に告白させるため、自身の完璧な像を維持しようと必死になっている。

 

時間をあけて体育館の裏手に回ると、予想通り、白銀と藤原の姿があった。

五月に藤原千花が行う、白銀のバレーボール特訓。

窓越しに観察を始める。

 

白銀の動きは、控えめに言っても悲惨だった。

ボールとの距離感が掴めておらず、手首の角度も不適切だ。

だが、彼がボールに向かっていく際の踏み込みの強さと、何度失敗しても立ち上がる執念には目を見張るものがある。

 

これこそが、彼を努力という名の武装をした凡人たらしめている根源だ。

 

オレにとって、白銀御行は四宮かぐやを操作するための最適な引き金だ。

彼がここで挫折することは、オレの計画にとってプラスにはならない。

必要に応じて彼に貸しを作り、関係を促進させる方針に従うべきだろう。

 

オレは体育館の入り口から、足音を消さずに中へと入った。

 

「……ん? 綾小路くん?」

 

藤原がオレの存在に気づき、首を傾げた。

床に倒れ込んでいた白銀が、弾かれたように顔を上げる。

 

「あ、綾小路!? お前、なんでここに……」

 

「忘れ物を探しに来ただけだ。……邪魔したようだな」

 

「いや、待て! これは違うんだ、ただの……その、藤原書記の運動不足解消に付き合ってだな……」

 

苦しい言い訳だ。

オレは落ちていたバレーボールを拾い上げ、白銀に視線を向けた。

 

「……力みすぎだ」

 

「え?」

 

「打つ瞬間に全身の筋肉が硬直している。だからボールの軌道がブレる。下半身の踏み込みは悪くないんだから、インパクトの瞬間だけ力を入れればいい」

 

オレは感情を排した声で、物理的な事実のみを伝達した。

 

「……お前、バレーボールが得意なのか?」

 

「ただの基礎知識だ。本で読んだ」

 

白銀は疑念の目を向けたが、すぐに真剣な表情へと戻り、ボールを受け取った。

彼の中で、オレからの助言を利用できる情報として処理したのだろう。

数回の試行の後、彼のサーブは少なくともネットを越える程度の形にはなった。

 

「すごい……! 会長、やればできるじゃないですか!」

 

藤原が無邪気に手を叩く。

 

「……助かった、綾小路」

 

白銀が短く礼を言う。

これで一つ、貸しが成立した。彼からの警戒心を薄れさせ、オレを有益な人間として認識させるための小さな布石だ。

 

その時、体育館の入り口付近に、微かな気配を感じた。

足音を極力抑え、こちらの様子を伺うような気配。

振り返らなくてもわかる。四宮かぐやだ。

 

彼女は白銀の動向を追い、ここまで来たのだろう。

懸命に努力する白銀の姿を彼女に見せることは、彼女の感情を刺激し、二人の関係を後押しすることに繋がる。

四宮の愛を加速させ、四宮家から独立する覚悟を持たせることが、オレの描く盤……いや、オレの構築すべき環境の最終形だ。

 

「オレはこれで失礼するぞ」

 

オレはそれ以上干渉せず、体育館を後にした。

入り口の影に隠れる四宮とすれ違う際、あえて彼女の方を見ない。

四宮かぐやという錆びついた名刀を研ぎ澄ますための作業は、まだ始まったばかりだ

 

 

翌日の放課後。

生徒会室の空気は、昨日までのそれとは僅かに異なっていた。

オレに割り当てられた定位置で、昨日の引き継ぎである各部活動の予算折衝資料の精査を進める。

視線を手元から動かさずとも、斜め前方に座る四宮かぐやからの意識が、間欠的にこちらへ向けられているのを感じ取っていた。

 

体育館での一件以来、彼女のオレに対する評価軸に何らかの変動が生じている。

白銀御行という彼女にとっての最大の執着対象。

その対象に対して、オレという新参者が技術的な助言を行い、一時的とはいえ明確な影響を及ぼしたからだ。

四宮家という選民思想の環境で純粋培養された彼女にとって、底が見えない人間は排除するか、あるいは利用するかの二択でしかない。

彼女が今行っているのは、オレがどちらに該当するかの品定めだ。

 

数十分後、静寂を破るように四宮が鞄から二枚の紙切れを取り出し、自身の机の上に置いた。

映画の鑑賞券だ。

 

「あら、こんなところに映画のチケットが。ペアチケットですね」

 

四宮が独り言にしては少しだけ大きな声で呟く。

その声に反応して、向かいに座る白銀の肩が僅かに跳ねた。

 

「……映画、か。どうしたんだ四宮、それ」

 

「知り合いから頂いたのですが、私はあまり興味がないジャンルでして。捨てるのも勿体ないですし、どうしようかと」

 

オレは手を止めずに、二人の会話の裏にある真意を解析する。

興味がないと言いながら、そのチケットの配置角、声のトーン、そして視線の動き。

 

すべてが白銀に対して自分を誘うよう要求している。

対する白銀も、手元の資料を読むふりをしながら、明確に動揺していた。

彼もまた、四宮から映画に誘われることを望んでいる。

互いが同じ目的地を目指しているにも関わらず、自分から誘うという行為を敗北と定義しているせいで、事態は不必要に膠着していた。

極めて非効率だ。

 

オレが学んできた環境では、目的達成の最短ルートを放棄することは存在の否定を意味した。

だが、彼らはその無駄な遠回りに莫大なエネルギーを消費している。

これが恋愛という不確かな感情のもたらす作用。

四宮かぐやという強力な武器を家系から独立させ、オレのための剣として完成させるためには、この膠着状態を外側から崩し、彼女を次の段階へ進ませる必要がある。

オレは机の上の資料を整え、立ち上がった。

 

「綾小路、もう終わったのか」

 

白銀が声をかけてくる。

その顔には、四宮との膠着状態から一時的に逃れたいという心理が透けて見えた。

 

「ああ。今週分の予算精査は完了した。……それより、そのチケット」

 

オレは四宮の机の上にある映画のチケットに視線を向けた。

 

「オレがもらってもいいか」

 

一瞬、生徒会室の空気が止まった。

四宮の表情が、能面のように固まる。

白銀もまた、予想外の言葉に目を見開いていた。

 

「えっ……あ、綾小路くんが、ですか?」

 

四宮の声の奥に、明確な拒絶が混じる。

彼女が白銀のために用意した罠を、無関係のオレが横取りしようとしているのだから当然の反応だ。

 

「ああ。ちょうどこの映画、気になっていたんだが、一人で行くのも面倒でな。余っているなら一枚もらいたい」

 

「一枚……?ペアチケット、ですが」

 

「オレは一枚でいい。残りの一枚は、会長が行けばいいんじゃないか。息抜きも必要だろう」

 

オレは白銀に視線を移す。

 

「え?いや、俺は……」

 

「昨日、バレーボールの練習でかなり疲労が溜まっていたように見えた。週末くらいは休むべきだ。……四宮も、捨てるよりは誰かが使った方がいいと言っていたしな」

 

オレの言葉に、白銀は反論の機会を失う。

バレーボールの件を出されたことで、彼はオレに対して負い目を感じている。

そして何より、彼自身が本当はこの映画に行きたいのだ。

 

「……そう、だな。四宮がどうしても捨てるというなら、俺がもらってもいいが」

 

白銀が四宮を見る。

四宮の脳内で、凄まじい速度で計算が行われているのがわかる。

オレと白銀で映画に行かせるわけにはいかない。

だが、ここでチケットを回収すれば、彼女自身の興味がないという発言と矛盾する。

彼女に残された選択肢は一つしかない。

 

「……分かりました。せっかくですので、私もご一緒させていただきます」

 

四宮が静かに告げた。

 

「いいのか?興味がないジャンルだと言っていたが」

 

「ええ。ですが、生徒会メンバーの親睦を深める良い機会かもしれませんし」

 

「そうか。なら、三人で行くことになるな」

 

オレは淡々と事実だけを確認する。

これでいい。

二人きりではないという口実を与えることで、彼らの無駄なプライドの壁を迂回させた。

実際に映画館に行けば、オレが適当な理由をつけて席を外すか、あるいは別の行動をとれば、実質的に二人の状況を作り出せる。

四宮かぐやを四宮家という呪縛から引き剥がし、オレのための剣として研ぎ澄ます。

そのための第一歩として、彼女の恋愛感情を加速させる環境を強制的に構築した。

 

「それじゃあ、週末の詳細については後で連絡する」

 

オレはそれだけを言い残し、生徒会室を後にした。

背中に突き刺さる四宮からの鋭い視線。

彼女はオレの行動が偶然なのか、それとも意図的な介入なのかを分析しているはずだ。

 

疑念を抱かせたままで構わない。

彼女がオレを警戒すればするほど、彼女の意識はオレという異物に向けられ、結果として白銀との関係における無駄な駆け引きが相対的に減少する。

平穏を手に入れるための代償。

それは、この非合理な恋愛という感情を完全に操作対象として扱うことだ。

 

オレの計画に、狂いはない。

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