【完結】錠前サオリ、先生になる   作:詠符音黎

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1.長く歩みし旅路の最中(さなか)

 透き通るような青空を見上げると、ふと思い出す。

 エデン条約のあの日、私達が起こした惨劇とその結末を。

 

 夜の雨空を見上げると、ふと思い出す。

 先生に手を差し伸べてもらった、私達に切り開かれた新たな道なき道を。

 

 夜明けの薄明を見上げると、ふと思い出す。

 アリウスが暗闇から抜け出し光の世界に出られたあの日を。

 

 夕暮れから夜闇に沈む日没の南の空を見上げると、ふと思い出す――

 

 

   *****

 

 

「よしお前ら、抜き打ち小テストの時間だ。教科書ノートを開いている者は一旦閉じろ。ゴールデンウィークでどれだけ(なま)ったのか確かめてやる」

 

 授業の始め、教壇の上で私が放った言葉にクラス中から「えぇ~!?」とブーイングが響く。

 しかし中にはいそいそと既に準備を整えている生徒もいて、その半分は勤勉な生徒、もう半分は()()()()()()()()……つまりは私が抜き打ち小テストをやる情報を掴んでいた生徒だ。

 そこそこ教師生活をしていると、どこに目を持っているのかは知らないがここらへんをうまくやる生徒はいつだっている。

 まあ、それをどうこう言うつもりはない。高校生とはそういうものだ。

 

「サっちゃん先生の鬼~! 悪魔~!」

「なんだ不満か坂本? 別に普段から予習復習をしていれば満点なんて簡単な内容だぞ? まさか私の担当クラスの生徒が情けない結果を出すなんて事はないと思うが……」

 

 不満を口にした女子生徒に対し私は挑発的な笑みで言ってやる。

 先程も言ったようにこのクラスは私が担任を受け持っているクラスで、今はこれまた私が教えている公民の授業の時間だ。

 私がこういう事を言うからかこのクラスでのやる気は他の科目よりも持ってもらえているように思える。

 とはいえここはみんなが頑張ってくれているからなので鼻にかける気もないが。私はただ発破をかけているだけだ。

 

「ブーブー! そんなんだと結婚遅れるんだぞーサっちゃん先生!」

「ははははは、言うじゃないか近藤。ヨシ、そんな勇気あるお前には特別にこの小テストの結果も通知表に判定してやる。そこまで言える度胸があるんだからもちろん満点が取れるんだろう?」

「げぇっ!? 勘弁してくれよサっちゃんー!」

 

 お調子者な男子生徒の売り言葉に買い言葉で言ってやるとこれまた大げさに嘆き出す。

 だがそんな彼に賛同するものはおらず女子生徒からは「デリカシーのカケラもないわねー」「テスト関係なく評価マイナスされればいいのよ」と白い目で見られているし、同じ男子生徒の友人達からも「ホント馬鹿だよなあいつー」「おっかねー……」なんて呆れられている。

 もちろんただの冗談のやり取りで本気でこんな小テストを成績に反映する気はなくて、それはきっと向こうも分かっているだろう。

 

「ほら無駄話はここまでだ。配り終えたら初めるぞ」

 

 私も軽くやり取りに笑った後、ぱっと切り替えてプリントを配り始める。

 

「じゃあ制限時間は十分(じゅっぷん)だ。はじめ!」

 

 私の言葉で生徒達はみんなテストを解き始める。

 スラスラと記入する者、時折手が止まる者、ほとんど止まってしまっている者と様々だ。

 そんな光景を横目に、私はふと窓の外を見た。

 見えるのは、()()()()()()()()()()

 東京23区の山手線よりも中央線や西武線の方が馴染み深い西側にある街の私立高校、その三階、二年生の教室からの景色だ。

 

 

 

 

 

「サっちゃん先生ばいばーい!」

「じゃあなサっちゃん先生―!」

「ああ、気をつけて帰れよ。あと廊下はもっと落ち着いて歩くように」

 

 今日も一日の授業を終えて部活のない生徒達が帰っていく中で私の横を通り過ぎながら元気に挨拶をして去っていく。

 私は彼女ら彼らに挨拶を返しながらも形式的に注意はしておく。

 言って聞くような生徒ははっきり言って少数なのだが、教師という立場上言わない訳にもいかないからな。

 

「あの、先生……」

 

 そんな騒々しさが一旦凪いだところで、後ろから弱々しく声がかけられてきた。

 振り向くとそこには気弱そうな女子生徒が少し俯きながら立っていた。

 

「……どうした大久保。何か、相談事か?」

 

 彼女もまた私のクラスの生徒の一人だ。

 クラスの中でも大人しい方の生徒で、いろいろと日々の学校生活でも苦労しているのが見て取れた。

 なのでこちらもなるべく柔らかな態度で答え、静かに彼女が言い出すのを待つ。

 

「……は、はい。ちょっと、聞いてもらいたい事があって」

「分かった……じゃあ、進路指導室を借りてそこで話そうか」

 

 普段だったら職員室で済ませたりするのだが、彼女の性格を考えるとなるべく他の教師や生徒がいるような場所は避けたほうがいいだろう。

 こうして私は彼女を連れ、進路指導室で二人っきりになった。

 

「……あの、えっと……」

「……大丈夫だ。焦らなくて良い」

 

 なかなか言い出せずにいる彼女の言葉を急かす事なく、しかし何も言わずに威圧感を与えてしまわないようにそう付け加えて待つ。

 それから少しして、彼女は口を開いた。

 

「私、学校、辞めたいんです……」

「……そうか」

 

 彼女の口から出た、重々しい言葉。

 私はそれに、まずは一言そう返した。

 

「それは……親御さんとはもう?」

 

 そして少しだけ間をおいて、あえて理由を聞かずに続ける。

 

「いえ……やっぱり、言い出しづらくて……でも、やっぱり辛いから……」

「……なるほど。……理由を聞いても?」

「はい……」

 

 彼女はまた深く下を俯きながら、その両手を膝の上でぎゅっと握り、答える。

 

「私、この高校にはだいぶ頑張って入ったんです。でも、いざ入ると全然勉強についていけなくて、赤点を回避するのが精一杯……クラスのみんなはできる子ばっかりだから、それがなんだか惨めに思えちゃって……それにこのままだときっといつか赤点取っちゃうんだろうなって。そうなったら、いよいよ私、耐えられなさそうで……」

「そうだな……確かに、お前の成績が芳しくない事に関しては私が担任として一番良く知っている」

「……ッ」

 

 ぎゅっと唇を噛み握っている手により力を入れる彼女。

 この高校は分類すると進学校の範疇に入る。

 と言ってもガチガチの進学校という程でもなく、公立の高校よりは幾分か偏差値が高い、イベント事や部活動は普通にやっている、そのレベルの話でつまりはなんちゃって進学校でもある。

 だけれどもそんな学校でも勉強はそれなりに苦労があるし、学校の成績というものには必ず上位と下位という差は生まれる。そこで競争意識を煽る事で生徒達に学習意欲を持ってもらうシステムともなっている。

 けれども誰もがそのシステムに順応できるわけではない。中にはこうして、そんな日々に耐えられなくなる子だっているのだ。

 

「お前の性格からして、そこで気に悩むのはよく分かる。……だからこそ、私はお前に二つの立場からの答えを提示する事ができる」

「二つの、ですか……?」

「ああ。一つは『教師』としての立場からの答えだ。そこで言えば、やはり学校に残って勉強を続けてもらいたい。一時的な苦しみから学校を投げ出す事を是とする事はできない。高校中退などしたら今の日本では受け皿はほとんどなくなってしまうしな」

「……やっぱり、そうですよね」

「だが、もう一つの答え……『先生』としての答えは違う」

「『先生』として……? それ、さっきの『教師』としてのとは、違うんですか?」

 

 強張って俯いていた彼女がそこで不思議そうに顔を上げる。

 未だ不安の残る彼女に対し、私は先程よりも態度を柔らかくして続けた。

 

「ああ。あくまで勉学と生活の指導をする『教師』ではなく、先に生きる者と書いて『先生』という人生の先輩としての立場からの答えだ。……こうして言うと昭和の学園ドラマみたいで恥ずかしいがな」

 

 後半の説明に対し苦笑しながら私は言った。

 実際彼女の頭の中にも「人という字は人と人が支え合って~」なんて青臭く熱血なセリフを言う学園ドラマの主人公の姿が浮かんでいると思う。

 実を言うと私もあのドラマは見たことがないのだが、方向性としては恐らく間違ってないだろう。

 

「そこで言うと、私は一旦足を止めてしまっても構わないと思う」

「え……?」

 

 驚き同時に意味が分からないと言った様子で彼女が声を上げた。

 これはさすがにしょうがない。普通なら大人からは中々出てこない言葉なのは私だって承知している。

 

「もちろん、そこで実際に辞めるか休学で留めるかはあるだろう。でも少し自分を見つめ直す時間はあってもいいと思うのだ。人生は健康に過ごせるのなら長く続くし、何があるか分からない。そこでいっぱい悩んで道を選べるというのは、若さの特権だ」

 

 かつての私はそんな当たり前の事すらも知らなかったし、知ろうともしていなかった。

 

 ――だからこそ、かつてのアリウスでの私はあんな道を選んでしまったのだ。

 

「大人になると立ち止まる事すら難しくなる。もちろん先程も言ったように高校を途中で辞めるとなると将来への道はほとんどが閉ざされてしまう。だけれども、そこからでもまた選択肢を選び道を切り開ける事ができる可能性があるのが、子供という時分だ」

「……先生」

 

 今まで震え俯いていた彼女が初めてじっとこちらの顔に注目してきていた。

 先程までの不安と恐怖が、少しだけ和らいだようにも見えた。

 

「なので私は今はもっとゆっくり考えて、急いで結論を出さなくていいとも思っている。家族にも打ち明けられない悩みを私なんかに言ってくれた信頼に対して釣り合わない答えで申し訳なく思うがな」

 

 本音を言ってしまえば中退を選ぶのは阻止したい。

 いざ本当に中退してしまうとなると、やはり人生を棒に振る事になってしまう可能性が非常に高くなるのが現実というものだ。

 整えられた社会というのは弱者を救ってくれるが同時に椅子を用意してくれる訳でもない。それ自体は必ずしも悪という訳ではなく、人々の営みを正常に回すためにそうならざるを得ないという所もあって、主に公民科、他にも地歴などを扱う事もある教師としてもそこはよく理解しているつもりだ。

 しかしそこで無理にそれを突きつけて選ぶ道を強要するといよいよ彼女の心を傷つけ、塞ぎ込ませてしまう。

 わざわざ親を飛ばして私に相談しに来たのだから、今ですらよっぽど追い詰められているはずだ。

 ここで正しい道だけを歩めと叱咤激励するほど、私は熱血教師にはなれない。

 

「……分かりました」

 

 と、そこで彼女はゆっくりと言った。

 目は静かに閉じており、体の力も幾分が抜けている。

 そんな彼女は二呼吸三呼吸ぐらいしてから瞼を静かに上げて、口を開いた。

 

「もう少しだけ、どうするか考えてみようと思います……先生のおかげで、ちょっと落ち着けたというか、楽になりましたから……ありがとうございます。やっぱり先生に相談してよかったです」

「そうか、力になれたのは良かった。まあこれでも()()()()()で、お前の倍近くは生きているんだ。また何か聞きたい事があったら、いつでも言ってくれ」

「……はい! 先生!」

 

 彼女は最後には私にニッコリと笑ってくれた。

 私もそんな彼女に笑って返し、こっそりと心の中でホッともしていたのであった。

 

 

   *****

 

 

「……ふう、少し遅くなってしまったな」

 

 一人暮らしのマンションに着く頃にはもう夜も更けていた。

 あの後学校での仕事に加え、明日は休みだからと同僚の同じ女教師とちょっとした飲みを行ったためだ。

 私自身は普通に飲めるぐらいなのだけれど、一方で相方として飲んでいた同僚は悪い酔い方をしてしまい不祥事にならないか気が気ではなかった。

 なんとかその前に酔いつぶれてくれたためあとは動けなくなった彼女に肩を貸して運び、タクシーを手配して家まで送ってもらって、それからやっとこうしてマンションに着いて玄関のロックを解除し中に入っているという状況だ。

 

「まったく吉田先生もあの酒癖さえなければ凄くいい人なんだが。……と、さて」

 

 アルコールで少し火照った体をシャツの襟元を開けて冷やしながら、私は完全な流れ作業で郵便ポストの中身を確認する。

 あるのはポスティングでのチラシが多く、投函している相手には悪いがすぐゴミ箱行きになるものばかりだった。

 

「む、これは……」

 

 その中に紛れていたのは明らかに個人から送られてきた茶封筒だった。

 宛名も私の名前がマジックて手書きされている。

 

常前(じょうまえ)早織(さおり)』様、と。

 

「ああ、()()()が前電話で書いて欲しいって言ってたヤツか。こういうの本当に苦手だからな母さん」

 

 私はそんな母親の事を思い苦笑するも、ここには別の意味も含まれていた。

 こうしてまじまじと自分の名前を見ると、()()()()()()()()()()な事が少しおかしく思えてしまうのだ。

 

 そう、かつての私は――錠前サオリは死んだのだ。

 まだまだ私の未来はこれから広がっていくのだと、そんな希望を抱いていた矢先。

 あっけなく死んで、この日本に転生したのである。

 

 

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