【完結】錠前サオリ、先生になる   作:詠符音黎

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2.遠くに霞みし過日の姿

 別に特別な理由が絡むような死ではなかった。

 悪しき企みをする大人の陰謀も、超常的な存在や現象もない。

 ただ、運が悪かっただけだった。

 

 その日私は休日のバイトの帰りがてら少し遠回りをしてパトロールをしていた。

 昨日キヴォトスは大雨に襲われて河川が氾濫したところも少なくなく、増水した川で誰か迂闊な行動をしないか心配したゆえの行動だった。

 いつの間にかこうやって自主的に見知らぬ誰かのために動けるようになっていたことに気づいたときは少し苦笑した。

 先生の心配性にすっかり感化されてしまったようだなと。

 ただアリウスでのパトロールはスバル達ニコメディアトゥループがやってくれているので、それこそバイトの帰り道のアリウスからは少し離れた土地で行っていたのだ。

 

「――助けてっ! 助けてぇ……!」

 

 そんなときだった。

 まさに増水した川から必死なのに今にも消え入りそうな声が聞こえてきたのは。

 振り向くと、そこには小さな女の子が川に流され、ついには沈もうとしている姿があった。

 

「――っ!!」

 

 瞬間、考えるより先に体が動いていた。

 私は大蛇のように荒れ狂う流れを必死にかき分け少女の元へと向かっていく。

 自らも怒涛に飲まれぬように必死にうねりをかき分け少女を掴む。

 

「諦めるなっ! 絶対に助ける……!」

 

 水を飲む危険があると知りながらも私は少女を叱咤した。

 心が折れると助かる命も助からなくなる。幼い彼女に未来を諦めて欲しくない。可能性を諦めて欲しくない。いつだって私達には無限大の可能性が広がっているのだから。

 

「ハァ……! ハァ……!」

 

 死へと下る激しさに屈さぬようにととにかく泳ぎ足掻く。

 数歩分の距離を動くのにもとんでもなく体力を持っていかれる。

 だけれども私は諦めなかった。諦めずに必死に泳いだ。

 空が夕暮れから闇夜へと移り変わろうとしたとき、ついに私は少女を岸へと押し出せた。

 

「……よかっ、た」

 

 そこで私の緊張の糸は切れた。

 体も心もそこが限界だった。

 私は川に飲み込まれ、沈んでいく。

 水底(みなそこ)に喰らわれる中で最後に見たのは、南の空に輝く蠍の心臓だった。

 

 

   *****

 

 

 そうして人生を終えたはずだった私は、気がつくとこの日本で『常前早織』という一人の少女に生まれ変わっていた。

 

 生まれ育ったのは東京だが23区よりも西の外側にある落ち着いた街だった。きっと東京の外で憧れを持っている人から見たらその幻想が壊れるんじゃないかとなるぐらいに落ち着いた街だ。

 キヴォトスでの記憶を思い出したのは小学一年生のときだった。

 そのときの私は、ちょっと背伸びして自分の名前を漢字で書こうと思い横にお手本を置いて必死に書き写したのだ。

 

「あれ……?」

 

 そこで初めて漢字で書いた自分の名前『常前早織』という名前に、違和感を覚えた。

 自分の名前なのになんだか違う気がする。そんな違和感。

 音としては正しいはずなのに、自分で書いた文字がどこか違う、でも隣に置いた見本とは何も違ってなくて――

 

「――あ」

 

 そこで、私は『錠前サオリ』として過ごした十七年の人生を思い出した。

 キヴォトス、アリウス、トリニティにゲヘナ、ベアトリーチェに先生、ヒヨリにミサキ、アズサにスバルにマイア、そして他でもないアツコ……そんな今いる日本とはまったく違う世界の、そんな記憶を。

 小学生だった私に突如蘇ってきた十七年分の記憶はあまりにも衝撃と混乱を呼び起こし、そこで私は一度気を失ってしまった。

 気がつくと私はベッドの上で白い天井を眺めていた。

 どうやら親が見つけてくれてそのまま病院に運ばれたらしい。

 看護師達もちょうど外していたらしく、一人病室で私は考えを整理した。

 前世と同じ音の名前で転生したらしい私。

 

 ――じゃあ、今の私ってどっちなんだろう?

 

 そんな疑問が、私を襲った。

 生きた年数で言ったら『錠前サオリ』として生きた人生の方が長く、色々な経験もしてきた。

 まだ小学一年生の今の私と比べれば当然、こちらの記憶の方が色濃い。

 

 ――だったらここからキヴォトスに帰る道を探した方がいいのか?

 

 でも、今は『常前早織』という一人の七歳の女の子で、家族や学校でできたばっかりの新しい友人だっている。

 

 ――どっちなんだろう、私って。誰なんだろう、今こうやって考えている私は。

 

 大きな不安と困惑に押しつぶされそうになる。

 自分自身がわからなくなって、恐怖に襲われる。

 誰がに助けて欲しい、私が何者か教えて欲しい。

 でも、そんなときだった。

 病室の扉を開けて入ってきた母さんが起きた私に気づいて、すぐさま駆け寄ってきて抱きしめてくれたのだ。

 後ろには父さんもいて、普段はちょっと不器用なせいで口数が少ないその顔もすごくホッとしたモノになっていた。

 それを見て思ったんだ。

 

 私はあくまで『常前早織』であって、『錠前サオリ』は前世でしかないんだって。

 

 ただ前世が同じ名前でそのときの記憶をまるっと思い出してしまっただけで、今の私はこの人達の子供なんだって。

 

「……うう、母さん! 父さん! ごめんね、ごめんねっ……!」

 

 それに気づいたら、私はボロボロと泣き出し母さんに抱き返して謝っていた。

 母さんは「何謝ってるのよ」と笑い泣きながらも言ってくれたけど、やっぱり私は謝り続けた。

 一度でも二人の子供である事を辞めようとした自分の考えが申し訳なくて、恥ずかしかったから。

 そこから私はあくまで『常前早織』として生きた。

 もちろん十七歳まで生きた記憶が蘇ったから純粋に子供らしい言動はできなくなったところはあったけれど、だからといって今の私の環境を捨てるような事はしなかった。

 そのおかげか「早織ちゃんって大人びてて凄いね!」って友人達からの評価は留まったし、変な言い方になるがアリウスで過ごしたときよりもずっと年相応の暮らしができたから思ったよりはそこでズレが生まれる事もなかった。

 私がそれなりに大きくなってから新たに弟と妹もできて、より今の家族を大事にしようと思えるようになった。

 こうしていくうちに、キヴォトスでの事を思い返す事も少なくなっていった。

 忘れたわけじゃないけれど、あくまで前世の遠い褪せた記憶、その程度に落ち着いていったのだ。

 ただ、教師としての道を選んだのは間違いなく前世の影響なのも間違いない。

 まだ道に迷う子供達を導く『先生』の眩しい姿が、かつて先生に言われた“サオリには先生が合っているかもね”なんて言葉が今生での私の胸にも生きていたから。

 だからこそ私は教師となり、今は二度目のクラス担任をする程になっていた。

 キヴォトスで過ごした日々はもう、空を見上げたときにふと思い出す事がある程度にまで遠くなっていた。

 

 

   *****

 

 

「常前先生! 先日は本当にすいませんでしたっ!」

 

 月曜日。

 先日一緒に飲んで酔いつぶれた吉田先生がパンッと両手を合わせて頭を上げてきた。

 

「ああいや、いいんですよ。特に問題も起こさなかったですし……」

「うぐっ!? あ、はい……次からは本当に気をつけるんで……!」

 

 まあさすがに思う所はあったのでまあまあ分かるぐらいに言ったおかげでとても反省した顔になっている。

 本人がこう言っているのだからここから更にキツく詰めるのも違うだろう。

 なので私は吉田先生に軽く笑いかけあえて冗談めいた感じで言う事にした。

 

「ほんと、頼みますよ? 高校の音楽教師が酔って暴れて警察の厄介になるとか絶対ネットで叩かれちゃいますからね」

「うう……! 本当におっしゃるとおりです……!」

「まあまあ、でもそれこそ今回は問題なかったですし。それに分かりますよ、この仕事はやはり大変ですし、ストレス溜まってしまいますよね」

「えっ!? 常前先生でも大変なんですか!?」

「もう、私をなんだと思ってるんですか」

 

 苦笑しながら答える。

 私だって人の子なのだからいろんな事でストレスは溜まる。この教師という仕事で子供を相手にしていると、どうしてもそこは逃れられない部分だ。

 でも吉田先生――私より四つ年下の音楽教師――にはそうは見えていなかったらしい。

 どれだけ過大評価されていたのだろうか。

 

「いやーだって常前先生凄いじゃないですか。生徒達から愛称で呼ばれるくらいにはいい感じの関係築いてるしそれでいて締めるところは締めてて、なんというか生き生きと仕事してるっていうか……」

「ははは……まあ、やりがいを持って仕事しているのは確かですので」

 

 教師という仕事は本当に大変だ。

 思春期で若さ故の力に溢れる生徒達は一筋縄ではいかない事は多々あってキヴォトスでの先生はこんな面倒でしかも銃まで所持している子を大勢相手にしていたのかと思うと本当に頭が下がるし尊敬する。

 だからこそ私も頑張ろうと思えるし、実際やっていて報われたなと思う瞬間もある。

 つまりは思いの外、この教師という仕事は私の天職だったようだ。

 

「まあ吉田先生も頑張ってください。でも少なくとも仕事のストレスと男性関係のストレスをごちゃまぜにしてやけ酒はなるべく自重しましょうね?」

「はっ、はいぃ……!」

 

 最後にちょっとだけまた嫌味を言って、私達は一旦会話を終えた。

 今日もまた、一日が始まる。

 

 

 

 

 

「顧問? 私にか?」

 

 放課後、職員室にいる私のところにクラスの女子生徒が二人やって来たかと思うと申請用紙をぐいとめいっぱい突き出す形で見せてきて言った。

 書かれている部の名前は『軽音楽部』だった。

 

「う、うん! サっちゃん先生、音楽好きだって前言ってたから、お願いできないかなーって……」

 

 まあまあ緊張している彼女とそんな彼女の袖を掴んでいる難しい顔をした隣の生徒。

 申請用紙を私に向けている方の彼女は普段はもっと元気なヤツなのにここまでガチガチなのは本当に気合を入れてきたんだなというのが分かる。

 隣の彼女は逆にだいぶ落ち着いた子であまり主張もないから、そんな彼女がこの場にいるということはこちらもまた決意を固めているようだった。

 

「なるほど……だが、すぐには首を縦には振れないな」

 

 しかしそれを分かった上で私はあえてそう応えた。

 

「え、ええっ!? どうして……」

「まず最初に、必要人数が揃っていない。用紙には久坂と高杉、お前ら二人の名前しかない。新規の部活動申請に必要なのは最低でも五人だ。ちゃんと手続きは踏め。こういうのはちゃんとルールに則って行う事が大事なのは普段から言っているだろう?」

「あ、まあそれは……確かにそこらへん結構な勢いでここに来て言ったけど……ただその、サっちゃん先生の名前あったら、もっと人集まるかなって……」

「ハァ……つまりは私の名前でズルをしようとしたわけか……なら、なおさら名前は貸せないな」

「そ、そんなぁ……」

 

 露骨にがっかりしている彼女と、横で「ほらやっぱり無茶なんだって……」と諌めるもう一人。

 厳しい事は言ったがここですぐさま頷いてはいけない。これもまた一つの経験であり、教育でもあるのだから。

 だからこそ私は、それに続けて言った。

 

「……だが、ちゃんと五人集めたなら別だ」

「えっ!?」

 

 短絡的な手段を選ばずちゃんと手順を踏む事の大事さ、ルールを守るという事の意味を二人には教えなければならない。

 どうして先程の提案が否定されたのか、そしてどうすれば認められるのか、それをはっきりと応えてやるのが大事だ。それがきっとこれからへの学びへと繋がるのだから。

 

「私が断ったのは正規の手続きを踏んでいなかったからだ。だが、条件さえ満たせば私もサインして部室の斡旋を手助けしてやる。ちゃんと手続き通りやれば私からも断る理由はないしな。……だから頑張れ、どうしてもやりたいんだろう?」

「……はい! 頑張ります! おっしゃー! 見てろよ生徒会の石頭共ォ!」

「もう職員室で騒がないでよ久坂……」

「そうだぞまったく……少しは落ち着け」

 

 諌めながらも私は苦笑して言った。こいつらしさが戻ったな、とそんな安心もあった。

 

「しかし私で良かったのか? 確かに音楽は好きだが多分お前達のやろうとしている軽音楽……まあつまりバンドとは方向性が合わないとは思うんだが。なんなら音楽の吉田先生も今顧問をしている部活はないし適任だと思うぞ」

 

 私の音楽好きというのはディスコ音楽などの方面で、あのアツコ達と偶然鉢合わせたアウトロービーチでのバイトの日々からの記憶に影響が濃い。

 だからここで彼女らがやろうとしているだろうバンド活動にはあまり力添えできないとは思うのだ。

 

「あーそれは……多分サっちゃん先生の名前がこういうときに一番説得力出せるよなーって……ほらサっちゃん先生がいるならってみんななりそうっていうか……」

「……ハァ。本当にそういう小細工には頭が回るヤツだなお前は。普段の勉強もそれぐらい頭を使え。この前の小テスト、平均より下の方だったぞ」

「うわーん! 先生がいじめるー!」

「今のは久坂の自業自得……」

 

 大げさに嘆く彼女に、私は隣の彼女と一緒に二人して呆れるのだった。

 

 

   *****

 

 

「しかし部活の顧問か……思えば受け持った事はなかったな」

 

 暗くなった帰り道で私はポツリとつぶやく。

 結局はなんちゃって進学校の我が校ではあるから部活動もそれなりに行われている。

 でもそこは生徒が主体になるわけだから今回要望された軽音部のようにやりたい生徒がなければないし、顧問をやる教師もまちまちだ。

 だから私は今まで案外やる機会がなかったのである。

 もしやることになったらまた色々と大変になるだろう。でも、それはそれとして楽しみでもあった。

 

「まあまずはアイツらがちゃんと人を集められるかだが……あの二人ならなんだかんだで大丈夫だろう」

 

 どういうメンツになるのかは分からないが少なくともあの二人なら揃えられるだろうなという漠然とした信頼を抱きつつ、私は人影が少ない路地を歩いていた。

 

「……ん?」

 

 そんなときだった。

 電柱につけられ点灯している防犯灯の下でしゃがみこんでいる白い人影を見つけたのだ。

 白い、と言ったのは羽織っているコートが白く、フードで頭も覆っていたからだ。

 なので全体的なシルエットは白いのだが、私にはそれが高校生ぐらいの子なんだと分かった。

 そこそこ教師という仕事をやってきたせいか、ああやって体が隠れていてもなんとなく分かるようになっていた。

 

「君、大丈夫か? 体調でも悪いのか?」

 

 気づいたときには私は話しかけていた。

 そっとしておくという手もあっただろうが相手が高校生ぐらいと分かった時点で考えて動いたとしても私はその選択肢は取らなかっただろう。

 なんというか、職業病なのだろうかこういうのも。

 

「……サっちゃん?」

「……え?」

 

 私は、言葉を失い動けなくなってしまった。

 その透き通った可愛らしい声も、整った落ち着いた顔立ちも、瞳も、髪も、すべてが懐かしく見知ったものだった。

 何より普段学校で呼ばれている『サっちゃん先生』なんて呼ばれ方とはまた違う声の温度をした『サっちゃん』という呼び方は、彼女の他にいなかったから。

 

「アツコ……なのか?」

「そっちこそ、サっちゃん……なんだよね?」

 

 ――秤アツコ。

 

 かつて苦楽を共にしたアリウススクワッドの仲間であり、ロイヤルブラッドを受け継ぐ『姫』であり、私が死ぬ直前は学校として立ち直ったアリウス分校の臨時生徒会長であり、そして私にとって何よりもかけがえのない相手だった少女。

 そんな彼女が、()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()、そこにいたのだった。

 

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