錠前サオリ、先生になる   作:詠符音黎

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4.私と君の、今この時間

「それじゃあ私は行ってくる。帰るときに服とかいろいろ見繕って買ってくるから悪いが今日はこの家にいてくれ、朝食はテーブルにある」

「うん、分かったよサっちゃん」

 

 アツコと再会した翌日の早朝。

 私はスーツに着替え朝食を済ませて出勤する前にアツコに言った。

 本当は彼女にはもっとゆっくり寝てもらうためメモを残して出るつもりだったのだが、私が準備をしているときに彼女もつられて起きてしまったらしい。

 ちなみに普段私が使っているベッドはアツコに使ってもらい私は友人が遊びに来たときように出している布団で寝た。

「一緒に寝ればいいのに」とアツコには言われたがこちらでそれなりに大人として過ごした私にとってちょっとそれは遠慮してしまった。状況だけ見たら高校教師が高校生を家に上げているというのでもまあまあ不祥事モノなのもあり、ついそんな理性が働いてしまったのだ。

 

「お昼ご飯は家にインスタントの食品がそれなりにあるから、とりあえずはそれで済ませてくれ。もし何か食べたいならお金も置いていくからUberなど頼んでもいい。頼もうと思えばPCからでもいけたはずだしな」

 

 現住所を書いたメモとその上に乗せてある一万円札を指さして言った。

 今更過ぎるがキヴォトスと日本は貨幣の単位が一緒で円なのだよな。便利だが不思議な話だ。

 

「大丈夫だよそこまで心配しなくても。サっちゃん、大人になったら昔よりずっと心配性になったんじゃない?」

「あーまあ、そうかもな……まあ先生なんてのをやってるとつい、な」

 

 クスクスと笑う彼女に私も軽く笑い返す。

 まるでアリウスが立ち直って堂々と日の下を歩けるようになってからのあの日々に戻ったような空気だった。

 

「と、さすがにそろそろ出なくてはな。何かあったら先日教えたLINEに通知をくれ。一応スマホの仕組みは同じみたいでWi-Fiがあれば使えるみたいだったからこの部屋からなら使えるし、すぐに返事はできなくても開いた時間に見る事はできるからな」

「うん大丈夫、だいたい逃亡生活と一緒だしねそこは」

「それは……そうだな」

 

 言われてみれば確かにそうである。

 あのときと同じようにさすがにキャリアの問題があるため自由には使えないが、それでも連絡を取れる手段はあったのは安心した。まあ部屋にいればよっぽどの事がないかぎりアツコが問題に見舞われる事はないと思うが、念のためだ。

 

「うん分かった。行ってらっしゃいサっちゃん」

「ああ、行ってくる」

 

 私は笑顔で手を振るアツコに手を振り返し、そのまま外に出たのだった。

 

 

 

 

 

「――つまり、ルソーの社会契約論とは今の社会において人が自由意志と権利を持つという意識を抱くにおいて重要な考えであり……」

 

 今日、私が自分のクラスでの公共の授業を午後に行っていた。

 昼休みを終えてのすぐの授業であり、まあこの時間における授業とはどうしても眠たくなるものだ。正直私にも経験がある。

 それにいちいち注意していては進む授業も進まないし後で地獄を見るのは本人なので積極的に注意するわけでもない……のだが、たまにはあまりにも堂々と居眠りをしているヤツを小突いてやる事でみんなに緊張感を持たせる、それもまた授業を進めるについて必要なテクニックだ。

 そこで私の目に入ったのが窓際の前から三番目の席にいる桂という男子生徒だ。

 教科書を立ててそれで隠しているつもりなのかと言いたくなる姿で居眠りしている。

 よし、ここで奴を名指しするとするか。

 

「じゃあ社会契約論において記されているこの考えを――」

 

 そうして生徒の名前を呼ぼうとして窓際によりしっかりと視線を向けたときだった。

 窓から見える外、校門より外側の歩道にいる、その()()()を、私は見つけてしまった。

 アツコが、この学校にまで来ていたのだ。

 彼女もまた私に気づいたのか、ニッコリと笑ってこちらにお淑やかな手つきで手を振ってきた。

 

「ア……!?」

 

 ――なぜアツコが外に……!? しかもこのタイミングで……!?

 

 あまりにも驚き過ぎて名前の頭文字部分だけ声に出してしまった。

 だがそれで授業を中断する訳にもいかない。

 私の個人的な事情で生徒達を巻き込むなどあってはならないからだ。

 

「……有栖川! 分かるか?」

 

 なのでなんとか生徒を指名はしたが、なにぶん勢いで「ア」と言ってしまったので本来当てようと思った生徒ではなく別の女生徒を指名してしまった。

 

「はい。えーと……一般意志です」

「そ、そうだ。ありがとう有栖川。そう、この一般意志という考えが後世において……」

 

 なんとか持ち直し授業を進めていく。

 すまん有栖川、ちゃんと答えてくれてありがとう。

 それはそれとして桂、次の問いは絶対お前に答えてもらうからな。

 

 とりあえずこの場はそれで乗り切り、放課後ある程度自由になるまでやきもきとした気持ちで過ごすのだった。

 

 

   *****

 

 

「……アツコ! どうしてこんなところに!?」

 

 折を見て外に出ると彼女は校門の横に背中をつけて待っていた。

 下校している生徒もいるなかでまあまあ目立ち注目を浴びている。

 それを私が急いでやって来て声をかけたのだからなおさらだろう。

 

「うん、ごめんねサっちゃん。どうしてもサっちゃんが先生やってるとこ見てみたくて」

「どうしてもって……まあ()か……土地が違うからといって危険な目に合うようなお前じゃないだろうが……そもそもどうやってここに?」

 

 思わず「世界が違う」といいかけて慌てて言い直す。

 こんなこと聞かれたら絶対生徒達に訝しまれる。それで変な事にならないとは言えないし、なんとか自然な単語に修正したのだ。

 

「うん、サっちゃんの名前で検索したら学校の教員紹介ページ出てきたから。あとはそこから住所とマップ検索で道順調べて覚えてここまで」

「ああ、なるほど……なんというか、さすがだな……」

 

 彼女とてアリウススクワッドの一員だ。

 知らない土地とて情報さえあればたどり着くのは容易だろう。なんなら私がアツコにスクワッドのリーダー兼教官として教え込んだ部分でもある。あのときのアツコは本当に飲み込みが早くて感心したな……。

 と、そんな思い出に浸っている場合ではない。今はこの場をなんとかせねば。

 

「まあ来てしまったものは仕方がない……ただ、仕事が一段落するまでは待ってくれないか。少し遅くなると思うから、近場のカフェにでもいて欲しい。お金は持ってるよな? まあ近場と言っても学校からある程度歩いてもらうが、今更そこで弱音を吐くお前じゃないだろう?」

「うん、分かったよサっちゃん。お金もちゃんと持ってきてる。で、どこ?」

「ああ、ここにスターバックスという店があるから、そこで適当にコーヒーでも頼んで……」

 

 私はスマホを取り出し場所を説明すると、またアツコはいたずらな笑みを魅せて私に小さく手を振りながら去っていった。

 私もそれに分かりながら軽く返すも、おう既にどっと疲れた感覚に襲われた。

 

「ねーサっちゃん先生、今の子誰?」

「すっごい美人だったよねー、読モとかやってそう」

 

 そこでそんなやり取りを見ていた女生徒二人が聞いていた。

 ちなみに彼女らは二年だが私が担任しているクラスとは別のクラスの生徒達だ。

 

「あ、ああ。遠くに住む親戚の子でな……ちょっと諸事情でこっちに来てて、今私が面倒を見ているんだ」

 

 あらかじめ用意していた嘘を説明すると「へーそーなんだー」と納得して下校していった。

 この場ではそうやって終わったが、きっと後日変な噂が広まるんだろうな……と既に気苦労が一つ増えたのだった。

 

 

 

 

 

 それから仕事を片付けた後、指定していたカフェに行くとアツコは店内奥窓側の二人用の席に座って待っていた。

 私が彼女を見つけたと同時にアツコもこちらを見つけ「あ、こっちだよサっちゃーん」とこれまたのほほんとした様子でこちらに手を振ってきた。

 私はそれに軽く手を上げて答え、彼女の元に座る。ついでにスマホを起動しアプリからモバイルオーダーで適当にコーヒーも注文した。待ち合わせとはいえ何も頼まず席に座るのは申し訳ない所があった。

 

「ごめんねサっちゃん。どうしても今のサっちゃんの姿、見たくなっちゃって」

 

 席について開口一番、アツコは謝ってきた。

 ちゃんと申し訳ないときの彼女の苦笑だ。この三十年間見ることのなかった、そんな顔だ。

 

「……いや、いい。気持ちはよく分かる。でもやはり心配はしたんだぞ。ここはお前にとっては異世界だ。まあ雰囲気はキヴォトスに結構近いところはあるが、それでも何があるか分かったものじゃない」

「心配してくれてありがとう。そうだね、すれ違う人達みんなヘイローがいないし、ロボットや動物の住人もいないし、何より当たり前だと思って持ってきた()()を誰も持っていなくて、本当にキヴォトスとは違う世界なんだなって、そう思ったよ」

 

 そう言いながら彼女は外套の内側をこちらにだけ見えるように開く。そこにあったのは彼女の愛銃《スコルピウス》だった。

 確かに、キヴォトスとこの日本での一番の違いはそこだろうと、私は今更気づいた。

 この日本で銃器を持ち歩く一般人などいない。そもそも銃弾を受ければあっけなく死ぬし、爆発にも耐えられない。

 ここはキヴォトスとは異世界。かつて外から来た先生が私の銃弾で倒れかけたように、弾丸一つであっけなく死んでしまうのだ。

 それを今更気づいた私は、本当にキヴォトスの記憶が薄れていたのを改めて自覚した。

 

「……その通り、こちらはあちらとは違う。それこそ『先生』のように、銃弾に耐えられる人などいない」

「そしてそれは、サっちゃんもなんだよね」

「うむ……私ももう、こちらの人間だからな」

 

 重々しく頷いてしまう私。

 結局は私は『常前早織』であって『錠前サオリ』ではない。

 アツコと再会した事によって有耶無耶になったようで結局この事実の輪郭がはっきりとする。

 私自身の中ではとっくの昔にケリがついた事なのに、アツコを目の前にしてこれを確認する事は気が重く、辛さまでもがある。

 アツコはこの事をどう感じているのだろうか。未だ私の死に向き合えていない所が垣間見える、彼女は――

 

「――でも、やっぱりサっちゃんはサっちゃんだよ」

 

 柔和な笑みを浮かべながら、アツコは言った。

 それはどう捉えていいものか分かりかねた。彼女がまだそこの分別をつけられていない事に悩むべきか、それとも懐かしい音色の彼女の言葉を喜ぶべきか。

 

「……ああ、そうだな」

 

 結局、私は曖昧な回答をせざるを得なかった。

 生徒達を導く先生という仕事をしながらも、こんなところで濁した回答になってしまう自分自身の未熟さを痛感した。

 スマホの通知が鳴り「ジョウマエ様」と登録した私の苗字が呼ばれる。モバイルオーダーのコーヒーができあがったらしい。

 その呼ばれた名前の「ジョウマエ」が『常前』なのか『錠前』なのかは、今どちらとも判別できないように思えた。

 

 それから私達は店を出るとせっかくだしとショッピングモールにアツコの生活用品を買いに行く事にした。

 心の中でのモヤはまだ残っているが、私も、そしてきっとアツコもそれを表に出さず一旦切り替える事にしたのだ。

 アツコがこれからどれほどこちらにいるかは分からないし、そもそもどうやって帰るのかも私は知らない。アツコはそこを話してくれないからだ。

 ならばしばらくこちらにいることも考えある程度の準備はしたほうがいい。

 故に私達は当初の服という予定以外にもいろいろ買い揃える事にした。

 歯ブラシなどの日用品を買い、せっかくだしと可愛らしいキャラクターグッズのクッションなども買う。

 アツコは私の財布事情を気にしてきたが「女一人の独身教師生活でそれなりに溜めているさ」と笑ってやると「そっか、じゃあたくさん甘えちゃおうかな」なんて言って純粋にショッピングを楽しむ事になった。

 いろいろと生活に向けて買いたいモノを買っていくのは、なんだか新婚さんの新生活みたいだななんて、そんな事も思って少し笑ってしまった。

 

「ん? どうしたのサっちゃん?」

「いや、そのこうして二人でいろいろと買い揃えるのは……なんだか、二人で新生活を始めるみたいだな、なんて思ったからな」

 

 さすがに新婚なんて言葉は恥ずかしくて言えなかった。

 あまりにも意識し過ぎだし、今の私はアツコの倍の年齢で、さらに言えば女同士だ。

 こんなこととてもじゃないが口に出して言えない。

 

「ふふっ、そうだね。まるで新婚さんみたいだね、私達」

「なっ……!?」

 

 と思っていたら、すっとアツコの口から「新婚さん」なんて言葉が出てきて思わず声を上げてしまった。

 顔も赤くなっているのが分かり、こんな気持ちで動揺するのはいつ以来だろうというぐらいだった。

 

「ふふっ、サっちゃん可愛い」

「……大人をからかうものじゃないぞ」

 

 いたずらに笑うアツコに私はなんとか苦し紛れに反論した。

 まあなんとも情けない買い言葉である。案の定そんな私の言葉にアツコは「ふふふっ、そうだね」なんてまたからかうような笑みで返された。

 ともかく、そんなこんなでいろいろと買い足してく中で、最初に予定していた服の購入は最後になってしまった。

 

「あ、これ可愛い」

 

 服屋に入り、まずは必需品とも言える下着を揃えた後にアツコの服を買い始める。

 その次に普通の服を買おうと思ったのだけど、アツコが目にしていったのはパジャマだった。

 しかも着ぐるみタイプのパジャマで、パーカーを被るとラッコの姿になれるモノだった。

 

「ふむ、いいんじゃないか? しかしラッコか……確かに可愛らしいな」

「うん、でしょ? じゃあこのラッコのパジャマ買うね」

 

 笑顔で手に取るアツコを見ながらラッコのパジャマを来たアツコを想像する。

 うん、間違いなく可愛いだろうな。

 

「じゃあ服だが……これとかどうだろうか」

 

 そこから気を取り直して私服を選び始めたのだがそこでアツコが「サっちゃんに選んで欲しい」と言われたので、私はふと目に入った服を選んで見て貰うことにした。

 手に取ったのは白のワンピースだ。これから暑くなってくるので薄手のノースリーブ、しかし足元までスカートが伸びるものを選んだ。

 思えばあのアウトロービーチでのアツコの水着もこんな感じだった気がする。

 手に取ってから思い出したが、なんだか懐かしくなってしまった。

 

「んー……」

 

 しかし以外な事にアツコの反応はあまり芳しくなかった。

 記憶だと普通にこういうのが好みだった気がしたのだが、何がいけなかったのだろうか……。

 

「確かにこういうのは好きだよ。でも、せっかく別の世界に来たんだから、もうちょっと違うのがいいかも」

「あぁ、いやしかし別に先程も話したように日本はそこまでキヴォトスと違うわけでもない。そんな異なったものはないと思うんだが……」

「そうなの? むぅ、そうなんだ……」

 

 分かりやすく意気消沈しているのが分かる。

 ここまで言われると、なんとしても彼女の気に入るものを探したくなってきた。

 アツコの笑顔を見たい。アツコが喜んでいる所が見たい。

 そんな感情がムラムラと湧いて来た。だから私は血眼になって店内を見渡す。

 すると、とある服が目に入って、私はそれを手に取った。

 

「じゃあ、こういうのはどうだろうか」

 

 私が手にしたのはいわゆるサマーパーカーというやつだ。

 文字通り薄手で風通しのよい夏用のパーカーでしっかりとフードもある。

 私はそれの青色のものを手に取り、彼女に持ってきたのだ。

 

「キヴォトスと違うものがあるわけじゃないが、普段のアツコとは異なった方向性の服などはいいのかもなと思ってな……フードがあるのはいつものモノと似通っているが、やはりこうその白の外套とは違いワイルドな感じになるというか……」

「……ふふっ!」

 

 必死に説明する私の姿にアツコはまた笑ってくれた。

 からかうような笑いでも困ったような笑いでもなく、心から楽しんでいる笑いだった。

 

「うん、そうだね。それにしようか。サっちゃんがそこまで考えて選んでくれた服だもの。大事にするよ」

「……そうか、良かった」

 

 明るい笑顔で言ってくれるアツコに私も笑い返す。

 本当に昔に戻った、そんな気持ちになった。

 

「ところで色が青なのってサっちゃんの色に染めちゃうって感じなのかな? サっちゃんてなんというかイメージカラーが青ってイメージがあるから、そうなのかなって」

「え!? な、何を言うんだアツコ! そもそも私は自分のイメージカラーなど意識したこともないぞ!?」

「うん、分かってるよ。サっちゃんがそういうところ意識しないの、よく知ってるから」

 

 そこでまたアツコにからかわれていたのを知って、少し恥ずかしくなってくる。

 先程の新婚発言のときのように顔が赤くなってきたのも感じた。

 

「……ま、まったく。だから大人をからかうんじゃない」

 

 だから私は先程と同じように返した。

 冗談の流れに冗談に返す。だがまだ少し恥ずかしくてアツコの顔が見れなかった。

 

「……うん、そうだね」

 

 そこでアツコも笑った声で返してくれる。

 でも心なしか、先程よりも声量が小さくなった、そんな気もしたのだった。

 

 

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