本年も「ブラック・ブレット贖罪の仮面」をよろしくお願いいたします。
(2022年中に第二章を完結させたい。あと第三章も書きたい)
8月19日の朝、詩乃が目を覚ますと朝のニュース番組の音が聞こえて来た。普通の人間ならスピーカーに耳を当てないと聞こえない音量だが、マッコウクジラの因子を持ち聴覚に優れた詩乃はテレビから離れたベッドの上でも番組の内容を把握できた。
上体を起こし、ベッドから足を出す。宿泊室の中央に目を向けるとアイスコーヒー片手にテレビを見る鈴音の姿が目に映った。
「おはよう」
「おはよう。詩乃ちゃん。起こしちゃいました?」
「いや、大丈夫」
壮助はまだ起きていないのだろうかと目を向けるとベッドはもぬけの殻になっていた。
「壮助は?」
「2時間ぐらい前に出ました。山根さんと話があるみたいで」
テレビの明かりだけが頼りの部屋で壮助から聞かされた話を詩乃にも話す。聖天子不信任決議、鈴之音が五翔会に育てられた生贄だったこと。
自分が芸能人になったことで両親と旧友達が犠牲になった。普通の人間ならショックを受けて当然の話だったが、まだ頭の整理がついていないのか、その生い立ち故にもう人の生き死にに麻痺しているのか、語る鈴音に悲しげな様子は無く、聞く詩乃も驚く様子は無かった。
コンコンとドアがノックされ、「草間だ。朝食を持って来た」と向こう側から声が聞こえた。まだ起きていない美樹が寝相であられもない姿になっていないか一瞥した後、「どうぞ」と応えた。
「失礼する」と一言添え、草間が台車を押して入って来た。乗せられているのは3つのトレーに配膳された朝食。うち一つは異様な量が盛り付けられているが、誰の分なのかは言うまでもない。
「
「まるきゅう?」と鈴音が首を傾げ、「9時だね。分かった」と詩乃が代わりに返答する。
草間は詩乃と鈴音にトレーを渡し、テーブルの空きスペースに美樹の分も置く。布団をかぶりいまだ起きない美樹を彼は一瞥し、鈴音と詩乃に視線を戻す。
「もし、心の整理がついていないなら相談してくれ。駐屯地付のカウンセラーを手配する。誰かに胸の内を吐き出すだけでもだいぶ楽になる」
「あ、ありがとうございます」
草間は台車を部屋の端に移動させ、敬礼して部屋を出た。彼の言葉の意味が分からない鈴音と詩乃はとりあえず礼を言い、出て行く草間の背中を見送った。
「美樹。起きて。朝ごはん来たよ」
鈴音が声をかける。美樹の布団がもぞもぞと動いた後、だるそうに上体が起きる。明らかに寝不足で顔色もあまり良くない。空調が効いているにも関わらず、汗ばんでシャツが肌に張り付いている。
「大丈夫?」
鈴音が立ち上がり、美樹の傍に歩み寄る。
一瞬、美樹が怯えた。顔がひきつり、感情が制御できず瞳が赤く光る。彼女はそれを隠そうと2人から目を背けた。汗を拭うフリをして手で顔を隠す。
「ちょっと……悪い夢見ただけだから」
「嘘言わないで。全然大丈夫じゃないでしょ」
顔を隠す美樹の手を掴もうと鈴音が手を伸ばす。しかし、それを詩乃が掴んで制止した。何故止められたのか分からない鈴音は理由を求めて詩乃の顔を見る。
彼女の目は赤く輝き、美樹を凝視していた。
「美樹。
「何で?」
「いいから見て」
美樹が恐る恐る手を除け、詩乃を視界に入れた。その瞬間、瞳孔が開き、小さく声にもならない悲鳴が口から零れた。明らかに詩乃を恐れていた。
再び手で視界を塞ごうとする美樹の手を詩乃が掴む。赤く輝く瞳が美樹に刺さる。
「やめてよ……見ないで……」
美樹が目に涙を浮かべ懇願する。同じ屋根の下で暮らして、何度も命を助けてくれた
嫌だ……嫌だ……
「その目で見ないで!!」
美樹が詩乃の手を振り払った。言われた通りに詩乃は目を戻し美樹から距離を取る。美樹の大声に鈴音は腰を抜かし、その場でへたり込んだ。
「赤い目を引き金とした
詩乃の診断に硬直した鈴音は何も返さず、美樹から乾いた笑いが出る。
「おかしいよ……私も赤目なのに赤目恐怖症だなんて……」
「おかしくないよ。赤い目が恐くて戦えなくなったイニシエーターなんてたくさんいる。美樹のそれは正常な証拠だよ。ちゃんと命の危機を感じることが出来てる。目の前の死にちゃんと目を向けてる」
詩乃は部屋に備え付けられた内線で別棟の山根に連絡を取る。通話に出たのはさきほど朝食を持って来た草間だった。彼はこうなることを予想していたのだろう。「分かった。5分以内でそちらに着く」即答だった。
――むしろ、あの状況で何もショックを受けない方がおかしいよね。
詩乃は自分が
内線の受話器を置くと詩乃は腰を落としたままの鈴音の肩を叩き、声をかける。
「鈴音。大丈夫?」
「え………? あ、うん」
放心していた鈴音は魂の抜けたような返事をした。
*
詩乃が会議室のデスクを叩き割ってから2時間後、厚労省データセンターへの潜入方法と内地へ行くメンバーの選出、今後の予定の話し合いが終わり、詩乃は姉妹のいる宿泊室へと戻った。
自衛隊の機密保持、姉妹の生存を五翔会残党に隠す目的もあり、駐屯地内の移動は制限されている。美樹の診療はカウンセラーが宿泊室に来て行われた。
詩乃が部屋に戻ると美樹はベッドで静かに眠り、鈴音はその傍らに座り妹を見守っていた。もう診療は終わったのか、カウンセラーの姿は見えなかった。
「良かった。落ち着いたんだね」
「ええ。薬も処方して貰いました。睡眠薬らしいですけど」
「鈴音も休んだら?」
「私は大丈夫ですよ。何ででしょうね。美樹と同じものを見たのに」
「……そこは個人差としか言いようが無いかな」
「カウンセラーの先生にも言われました」
詩乃はパイプ椅子に座り、テーブルの上に置かれていた飴玉を舐める。カウンセラーが姉妹のために置いて行ったものだがお構いなく袋を開けて口に放り込む。
「会議。どうでした?」
「まぁ、色々あったかな。壮助が1人で内地に行ったり、NPO法人が五翔会のフロント企業だったり、厚労省のデータセンターに侵入することになったり……。とりあえず、鈴音と美樹はしっかり休養を取って元気になってね」
「私達だけ何もせずに大丈夫なんでしょうか……」
「壮助もこう言うと思うよ。『そういう血生臭いのは俺達の仕事だから、お姫様は優雅に紅茶でも飲んで待ってな』って」
詩乃は声を1トーン低くし、眉間に皺をよせ、決めポーズをして、壮助の真似をする。鈴音は突然のモノマネにどう反応したら良いか分からず、きょとんとする。「滑ったかな?」と思い、詩乃はポーズを崩して壮助の真似をやめた。
「もし暇だったら、ナオの大仕事が成功するよう祈っててよ」
「データセンターの件、そんなに難しいんですか?」
「『呪われた子供と人間が共存する社会』、聖天子肝煎りのプロジェクトを支える大事な施設だからね。
鈴音はある人物のことを思い出し「あっ」と小さく声を上げた。その人物のことを提案していいのか悩んだ後、恐る恐る手を挙げる。
「あの……協力してくれる保証は無いんですけど、一人だけ心当たりがあります」
*
かつて霞が関と呼ばれた場所に立つ厚生労働省の庁舎、オフィスの一角にあるデスクには数本のエナジードリンクが隊列をなし、皺のひどいスーツに包まれた女性が横たわっていた。耳元にあるノートPCとタブレットは絶え間なくメールの通知音が届くが読む気にならない。
恋と結婚を捨て、仕事一筋で生きたキャリアウーマンとは思えない醜態だった。
厚生労働省・特異感染症取締部 部長補佐
彼女は10日前、現場にいながら侵食率48%の
失態の翌朝には退院して始末書を書き、痛み止めを飲みながら警察と協力し姉妹の捜索に出た。灰色の盾が籠る治外法権“西外周区”に歯噛みし、イタズラの目撃報告に振り回された。
そして昨日、西外周区感染爆発事変という最悪の事態が発生した。自衛隊が現場を封鎖しているため、この感染爆発に日向姉妹が関与していたかどうかは分からない。姉妹が起爆剤となったという戯言が厚労省の中で飛び交う。あろうことか、その戯言をメディアが拾い
――赤目みんなガストレア爆弾みたいに言うんじゃないよ……。マスゴミ……。
パソコンのニュース記事に毒づく。積み重なった疲労と睡眠不足で宇津木のイライラは頂点に達していた。確かに自分達の仕事には形象崩壊の危険がある赤目を拘束することも含まれている。職務上、彼女達には厳しい視線を向けなければならない。しかし、そこに敵意や悪意はない。同じ人として可哀想だとも思っている。だから、こういう差別を助長するような報道には吐き気がした。
彼女のデスクにコーヒーの入ったマグカップが置かれる。見上げるとここのトップである部長が仏のような顔を向けていた。
「お疲れのようだね。宇津木くん。今日は家に帰りたまえ」
「しかし……」
「あれから休んでいないだろう。いざとなった時、君に倒れられては困る。この老体に呪わ――失礼、赤目を追いかけることなんて到底出来ないからね」
部長に言い包められながら宇津木はアイスコーヒーを啜る。部長補佐という役職だが、その権限は部長と変わらない。しかし、亀の甲より年の劫という言葉があるように20年近いキャリアの差はこうしたところで見せつけられる。
「私が若くても捕まえることは出来ませんが、今日はお言葉に甘えさせて頂きます」
「ああ。何か動きがあったら連絡するよ」
荷物をまとめ部署を出たのは14時。電車に揺られながら自宅マンションに戻ったのは30分後のことだった。見慣れていたはずが懐かしい気持ちになる中庭を抜けてエントランスの自動扉へと向かう。
「宇津木さんですか?」
背後から声をかけられ、宇津木の足が止まる。振り向くと一人の女性がそこにいた。
ロックバンドのロゴTシャツ、スキニーデニム、明るい色のスニーカーと今時の若者のような装いだが、それに反して佇まいは深窓の令嬢のようだった。彼女はキャップ帽とサングラスを外し、半分見えていなかった顔を宇津木に見せる。
「御無沙汰しております。壬生です」
*
「協力者に心当たりがある? それは本当かい?」
「はい……」
会議室に再び一同が集まり、山根が鈴音に問いかける。鈴音は自身なさげに答えた。
「特異感染症取締部の宇津木さんです」
灰色の盾が「誰?」と頭上に疑問符を浮かべる。
「確か、貴方達を拘束した厚労省の方ですよね」
朝霞が確認ついでに補足説明する。エール達も高速道路で倒れていた職員達のことを思い出し、その
「ご存知なんですか?」
「捜査本部でお会いしたことがあります。表向きは警察・厚労省と協力していることになっていますので」
ずっと外周区で一緒に過ごし、当たり前のように一緒に戦っていた為か、全員が「そういえばそうだったな」と朝霞の立場を思い出す。
「第一印象ぐらいしか語れませんが、真面目で仕事熱心な方だとは思います」
「私も……」と鈴音が口を開き、全員の視線が彼女に集中する。
「私も同じ印象なんです。真面目で仕事熱心で、おそらく私情を挟まない。侵食率を信じているから私達を捕まえただけで、赤目を嫌ったり憎んだりはしていない、と思います。ここの検査結果を見せれば、もしかすると……」
朝霞と鈴音が宇津木の人となりを話している間、山根はタブレットで彼女の情報を集める。
「
「いや、賭けにならねえよ。宇津木はシロだ」
壁際で腕組みし立っていたエールが自信満々に言い放つ。ナオも同じ意見のようでうんうんと頷いた。
「スズネの人を見る目は当てになるんだ。考えてみろよ。盲目のストリートチルドレンなんて真っ先に殺されるか人身売買の餌食だ。それなのにそいつは綺麗な身のまま何年もストリートで生きてきた。声と話し方だけで人を見抜くことが出来るんだよ。――それはもう勘じゃねえ。立派なスキルだ」
*
「え……? あ、ああ。お久し振りです」
朝霞とは面識があった。日向姉妹が逃亡した翌日、警視庁の捜査本部にて特異感染症取締部の代表、我堂の民警筆頭として幾度か言葉を交わしている。しかし、服のせいで一瞬誰だか分からなかった。
「すみません。和服姿しか見ていなかったものですから。その……意外ですね」
「私も遊び盛りの10代ですので」
無論、このコーデは朝霞の趣味ではない。これは約1年前、弓月に誘われて買い物に行った際、彼女の口車に乗せられて購入した服である。自宅に持ち帰ってからは箪笥の住人と化していたのだが、外周区生活の準備をする際、「郷にいて郷に従う」という考えに基づき、ギャングらしい恰好として持って来ていた。そして多くの着物がガストレアの返り血で汚れる中、
「姉妹の捜索にご協力いただき、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそお力になれず申し訳ありません」
宇津木が疲れて猫背気味になっていた姿勢を正し、朝霞に敬礼する。それに応えて朝霞は頭を下げた。
「実は……姉妹の捜索の折、気になる話を耳に致しまして。突然で申し訳ないのですが、少しお時間をいただけないでしょうか。出来れば、
「私と……ですか?」
「はい」
宇津木は朝霞と2人きりになれる場所が無いか一考する。喫茶店、ファーストフード店が思い浮かぶがどこも店員や客がいて秘密の話をするには不適切だ。そうなると最も近くにあるプライベートな空間が頭に浮かぶ。
「……少し汚いですが、私の家で良ければ」
「構いません」
朝霞と共に1階の自動扉を抜け、エレベーターに乗り、自宅の前に辿り着いた。約5日ぶりの帰宅だ。洗い物を残していないか、洗濯物は片付けているか、5日前のことを思い出し、それらが残っていないことを願いながら鍵を回した。
「お、やっと来たね。初めまして。宇津木部長補佐殿」
扉を開けた瞬間、無人のはずの自宅でピンク髪の少女・ナオが玄関の電気を点けて出迎えた。
――灰色の盾!?
捜査本部で共有された日向姉妹拉致に関与した赤目ギャング、そのサブリーダーを目の前にして宇津木の反応は早かった。瞬時にカバンから拳銃を抜く。ナオに銃口を向けようとするが背後から朝霞に腕を掴まれ照準は天井へ。もう片方の腕も掴まれて背に回される。宇津木は立ったまま身動きを封じられる。
「どういうつもりですか……!? 壬生さん」
「訳は後で話します。今は落ち着いてください」
「そうそう。獲って喰ったりはしないからさ」
ナオが近づき、天井へ向けられた拳銃を奪う。唯一の武器を奪われまいと宇津木は抵抗するが朝霞の捕縛から逃れることが出来ない。奪われた拳銃は弾倉を抜かれると横の脱衣所に放り捨てられた。
「貴方達……何が目的なの?」
「そう恐い顔しないでよ。スペシャルゲストが恐がるじゃないか」
睨む宇津木を前にナオは余裕の笑みを浮かべて振る舞う。リビングへ繋がる扉を開けスペシャルゲストに「こっち来て良いよ」と声をかける。近付く足音と共に奥のリビングからスペシャルゲストが姿を見せた。
彼女を目にして宇津木は驚愕するしかなかった。生きている筈がない。生きていたとしても人間の形を保っているはずがない。その前提で多くの捜査員や取締官が残酷な正義に心を痛め、それでも市民の安全のため職務を遂行してきた。
「お久し振りです。宇津木さん」
「日向鈴音……」
今、彼女の中で全てがひっくり返った。
オマケ① 年末の日向姉妹
2036年12月31日の日向家
恵美子「そういえば鈴音って紅白歌合戦のオファー来たことあるの?」
鈴音「あるけど、華麗さんが断った」
美樹「え~。何で? もったいない」
鈴音「華麗さん曰く『一語一句の間違いもアドリブも許されない、タイムスケジュールは秒刻み、リハーサルで殺気立ったスタッフが『0.3秒縮めろ!!』ってショットガン振り回しながら叫ぶ現場よ』って」
勇志「スタッフのカンペに気付かずホルモン焼きが飲み込めない話を延々とやって番組の予定を破壊した鈴音には無理だな」
鈴音「何で知ってるの?ファンクラブ会員限定の配信だったのに」
勇志「公式ファンクラブ会員番号03は何を隠そう私だからな」
鈴音「え?」
恵美子「ちなみに04は私よ」
鈴音「え?」
美樹「ちなみに05は私」
鈴音「も、もしかして鈴之音デビュー初期の黒歴史になっている会員限定『耳かき囁きASMR』も……」
勇志・恵美子・美樹「「「買いました」」」
鈴音「ごめん……しばらく部屋に籠っていい……?」
恵美子「年越しそば食べてからね」
オマケ② アンケートの結果
「セリフとセリフの間を開けた方がいい」という意見が多かったですので、これからもこのスタイルで行きます。ご協力、ありがとうございました。
次回「電脳世界の魔術師 中編」
朝霞「私も遊び盛りの10代ですので……
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夏休みに髪を染めたりします
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8/31に徹夜して宿題をやったりします。
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ライブハウスで騒いだりします。
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朝から晩まで布団の上で過ごしたりします
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コミケで同人誌を買い漁ったりします。
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ゲームに廃課金して全財産溶かしたりします