ナオのウワサ
スマホの中には灰色の盾のメンバー全員のバストサイズや揉んだ時の感触を綴った「おっぱいレポート」があるらしい。
「鈴音ちゃんが内地に行く?」
「はい」
駐屯地の会議室でその言葉を発した時、鈴音は全員の視線を集めた。大人気歌手だったという経歴上、注目されることには慣れている。その相手が、顔はにこやかだが底知れぬ恐ろしさがある
その細い体躯のどこにそれだけの胆力があるのか、鈴音は否定的な視線に気を留めることなく、飴色の瞳を真正面の山根に向ける。
「宇津木さんは生真面目で正義感が強く、
「要は朝ねえみたいな人ってことだよね」
常弘が朱理の頭を叩く。その横で朝霞は誰もいない壁に目を向けた。真っ向から否定しないあたり、自覚はあるようだ。
「生半可な証拠では説得できないと思います」
「だから君が直接出向く訳か。疑う余地が無い。絶対に揺るがない証拠として」
鈴音を内地に行かせて大丈夫かと山根は思案する。安全面はまずクリアだ。朝霞が一緒なら機械化兵士やドールズの襲撃があっても対処可能だろう。内地なら五翔会残党も大規模な攻撃は控える可能性が高い。
「良いじゃないか。久々に内地の空気を吸って来なさい」
*
広さも間取りも至って普通、家具も日用品も庶民的。その一方で雰囲気は過度に整然とし、生活感が欠けている。そんなリビングで宇津木はテーブルを挟み、生きている筈がない鈴音、味方であった筈の朝霞と顔を合わせる。
「――これが事件の真相です」
この10日間で起きた出来事を朝霞は淡々と語った。誤解なく正しく伝えようと言葉に感情を乗せなかった。
だが何も思わなかった訳では無い。テーブルの下で朝霞は握り拳を作っていた。西外周区がアウトローの街だったとはいえ、東京エリア市民であることに変わりはない。敬愛する長正が、仲間たちが命を懸けて守ってきたものを一晩で奪い去った五翔会残党への怒りを必死に抑えていた。
朝霞の淡々とした語りが、冷たさとなり宇津木を追い詰める。朝霞にその意図が無くとも「陰謀の片棒を担いでしまった公僕」である彼女はきつく胸を締め付けられる。
テーブルには司馬重工傘下企業の検査証明書、陸上自衛隊神奈川駐屯地の検査証明書が置かれている。検査証明書を毎日のように見ている宇津木の目からして、紛れもない本物だ。
自分は公共の安全という大義名分の下、彼女達を拘束し、両親の亡骸から引き離した。葬儀すらさせなかった。自分達をそうさせた正義が、信念が、真実が、全て偽りの数字の上で転がされていたものだと知り、それを受け入れるには十分な破壊力だった。
被害者当人――鈴音はどう思っているのだろうか、チラリと見遣る。宇津木は内心驚いた。テレビで見た姿と変わらない。ほぼ戦場と言って良い極限環境を生き抜いていながら、ステージにいるかのようにほんのりと温かい春の日差しのような微笑をこちらに向けていた。
自分を許すかのように、最初から責など問うていなかったかのように――。
「すまなかった……こんな……こんなことになるとは……」
人前で大粒の涙を流したのは何年振りだろうか。歯噛みし、声を上げて泣きたい気持ちを抑える。年齢が半分以下の少女達の前でみっともない姿を見せたくないというプライドが彼女をそうさせる。
「妹は……元気にしてるか?」
恐る恐る震える唇を動かした。騙されていたとはいえ今の自分は加害者だ。何を言っても家族を奪われた彼女の逆鱗に触れかねない。
「ちょっと落ち込んでいますけど……
「そうか……」
「元気です」とは答えられなかった。その言葉選びを宇津木も察した。姉妹の置かれた状況を考えれば、心が無傷である方がおかしいのだから。
「そんじゃあ、そろそろ本題に入ろうか。宇津木部長補佐殿」
壁に寄りかかり腕組みしていたナオがニヤリとする。宇津木はハンカチで涙を拭い、鼻を啜り、「本題?」と聞き返す。
「アンタを泣かせるためだけに来るほど私ら暇人じゃないんでね」
ナオの生意気な物言いが癪に障ったのか、宇津木はいつもの不機嫌気味なきつい顔つきに戻る。
「朝霞の話で察しはついていると思うけど、今回の件を仕組んだ連中は厚労省の侵食率管理システムのサーバーに細工をしている。それを暴くために協力して欲しい」
「……無論だ。特異感染症取締官として、そんな嘘が罷り通る状況を許す訳にはいかない。償いをしろと言うなら、好きなだけ使ってくれ」
ナオがふふんと小馬鹿するように笑う。
「ギャング相手に『好きなだけ』は危険だよ」
「それも承知の上だ」
多少は狼狽えて欲しかった、そこに付け入って揶揄いたかったナオはばつが悪そうに宇津木から視線を逸らした。腹を括り、覚悟を決めて強く言い放った彼女の姿が
「えっと……常識の範囲内でお願いします」と鈴音が困惑しながら頭を下げる。
宇津木は組んだ手を口元に当て、視線を何も無いテーブルに向けた。
「しかし、サーバーか。そこは調べた筈なんだが……」
「どうせ警察のサイバー課か厚労省の御用プログラマーでしょ。あ~んな象も素通りできるガバガバセキリュティで満足してる連中の調査なんて、たかが知れてるよ」
宇津木の眉がピクリと動いた。もう罪悪感は飛んで行ってしまったのだろうか、彼女は腕を組み、椅子に背を預けてふんぞり返る。
「よく言うな。そういう君はどれほどの腕前を持っているんだ?」
「庁舎を出る前に見ていたニュースサイトの記事、9月に予定されていた聖天子の特異感染症研究センター視察スケジュール、無許可のガストレアウィルス取り扱い業者一覧、竹本薬品の製薬機器横流しに関する調査報告書、あとは庁内にある全てのパソコンのパスワード、全部ここで言ってあげようか?」
宇津木は絶句した。驚きのあまり口がぽかんと開いていた。ニュースサイトはともかく、それ以外は厚労省の内部、とりわけ一部の人間しか知らない、担当者が「絶対に破られない」と自画自賛したセキリュティを突破しないと存在すら認知できないものだ。それを目の前のふざけたピンク頭の少女が知っていた。
「……いや、言わなくて良い」
認めたくないが、ナオの実力を認めるしかない。今の宇津木に意地で不都合な現実に抵抗する気力は無かった。
30分の仮眠を取った後、シャワーを浴び、別のスーツに着替えて宇津木は自宅マンションを出た。朝霞、鈴音、ナオと共に1階駐車場へ向かい、少し離れたところに路駐していたミニバンに乗り込む。
山根の部下・津名はバックミラーで後部座席に3人が乗ったことを確認、助手席にナオが着くとエンジンをかけハンドルを握った。
「津名。ちょっと寄り道お願い」
「どこへ行くんだ?」
津名が問い返すと、ナオは言い辛そうに口を閉じたままもごもごと動かし、ばつが悪そうに窓へ視線を逸らした。
「………………美容室とブティック」
*
“人と呪われた子供が共生する社会”――それを名目に打ち出された国家規模の侵食率管理システムは厚労省データセンターによって支えられている。スーパーコンピュータが東京エリアで保護された呪われた子供全員から収集した侵食率、DNA、健康状態、個人情報といったビッグデータの管理・分析を行い、各サーバーの管理を専門知識を備えた数十名のスタッフが行っている。施設内部はセキリュティ区画設定による移動制限と監視カメラによる常時監視が行われ、人間の警備員と司馬重工製の警備ロボットが巡回している。
データセンターに到着し、宇津木がミニバンから降りた。彼女に続いて落ち着いた髪色と無難なコンサバファッションの淑女が降りる。
「スカートとか5年振りだよ。パンツがスースーする」
「喋らない方がいい。疑われるぞ」
「へいへい。ごめんあそばせ。梨々香お姉様」
ナオは日向姉妹拉致事件の首謀者の一人として警察・厚労省の中で顔写真が公開されている。そのままの姿で行けば即座に通報されるだろう。仮に職員がナオのことを知らなくても外周区ギャング感丸出しの彼女の服装は不審な目で見られる。そのため、美容室で髪を、ブティックで服装を変え、
顔見知りの受付嬢にはナオのことを親戚と紹介、特に疑問に思われることは無く、首から提げるゲストカードを渡された。無論、これでサーバールームまで行けないが、宇津木が持つカードキーの権限ならほとんどの区画を出入りすることが出来る。
警備員と笑顔で挨拶を交わし、綺麗なゴミ箱のような警備ロボットに「オツカレサマデス。ウツギサマ、オキャクサマ」と声をかけられる。
センターに入って十数分、一切の障害もピンチも無く、宇津木とナオはサーバールームへと辿り着いてしまった。
部屋全体を白色蛍光が照らし、モノリスのような黒いハードウェアが幾列も並んでいる。1と0の二進数のように部屋は白と黒で構成される中、ハードウェアラックからネオンブルーライトが怪しく明滅する。
静かだが確かな駆動音を響かせる数百台のハードウェアを前に2人は絶句する。
「いくら部長補佐の顔パスでもさぁ……ガバガバすぎない?」
「セキュリティの抜本的な見直しが必要だな……」
拍子抜けしたあまりナオは全身から力が抜け、ピカピカな床に膝を落とす。
「まぁ……排熱ダクトを匍匐前進するよりマシか」
ナオの呟きに宇津木がぎょっとした。
「摂氏200度だぞ。正気か?」
「全身大火傷を覚悟してたよ――って言っても赤目だからすぐ治っちゃうんだけど」
――君にだって痛覚はあるだろう。
宇津木はそう諫めたかった。赤目の治癒力は人間と比べ物にならない。死ななければ(個人差はあるが)大抵の外傷も完治する。それでも人間と同様に痛覚がある。死ににくい分、人間よりも過酷なものを経験する可能性もある。それ以前に10代の少女がその身を犠牲にして、吶喊のような真似をすることを一人の人間として許せなかった。
しかし、言わなかった。それは“安全圏からの正論”でしかなく、自分は正論が通じない場所に彼女達を追い詰めた加害者なのだから。
ナオはカバンからノートPCを取り出すとケーブルをサーバールームのハードウェアに繋いだ。胡坐をかいて床に座り、脚に乗せたノートPCのキーボードを指ではじく。
宇津木は床に座るナオを「はしたない」と思い見ていたが、イスとテーブルを用意できない以上、仕方ないと割り切った。
「テキトーに時間を潰しててよ。ここのシステムはもう掌握してるから監視カメラは無人のサーバールームを見せ続けるし、入室記録も消したし、当面の間は人も入って来れないから」
サラリと言ってのけたナオを前に宇津木は硬直した。カバンがドサリと床に落ちる。
「いつ……やったんだ?」
「オバサンに会う前。トロイの木馬の進化系で職員全員のPCをコッソリ乗っ取って、リモートで管理者権限を奪った。あとはまぁ色々と企業秘密的なソフトとか使った」
宇津木は再び絶句する。目の前が真っ白になり、がっくりと床に手をつける。
「ここ……東京エリア最先端の情報技術が集まって、その道のプロフェッショナルを集めた場所だぞ……」
「人間の愚かさはテクノロジーの進歩じゃ埋められないんだよ」
オマケ① ナオのピンク髪
地毛は暗めの茶髪でしたが、外周区生活で「舐められないよう、見た目をもっとギャングっぽくしよう」と思い至り髪を染めました。
オマケ② 前回のアンケート結果
朝霞「私も遊び盛りの10代ですので……
(2) 夏休みに髪を染めたりします
(6) 8/31に徹夜して宿題をやったりします。
(1) ライブハウスで騒いだりします。
(4) 朝から晩まで布団の上で過ごしたりします
(6) コミケで同人誌を買い漁ったりします。
→(7) ゲームに廃課金して全財産溶かしたりします
ティナ「朝霞さん。ゲームやるんですか?何をやってるんですか?スマホですか?据え置きですか?ちなみにプロ彼(※)に興味はありませんか? 今なら新規さん限定200連ガチャ無料ですよ」(同志を見つけたオタクの早口)
※プロ彼→スマートフォンゲーム「プロモーター彼氏」の略。
朝霞「そのプロ彼にお金を使ってしまいまして……」
ティナ「プロモーター(※1)は誰にしてますか? ガチ勢ですか?ライト勢ですか?編成は?スキルは?IP序列(※2)はいくつですか? ちなみに私は克美燕太朗です」(同志を見つけて純粋に根掘り葉掘り聞こうとするオタクの早口)
※1.プロモーター:プロ彼ユーザーの間では「推し」という意味で使われる。
※2.IP序列:プロ彼ユーザーにおける「プレイヤーランキング」
※3.克美燕太朗:プロ彼のキャラクター。里見蓮太郎がモデルではないかと囁かれているが運営は「偶然です」と否定している。
朝霞「プロモーターは蘭堂鱈正です。あとIP序列は30位以内(※5)です」
※4.蘭堂鱈正:プロ彼のキャラクター。我堂長正がモデルではないかと囁かれているが、公式は否定している。
※5.IP序列30位以内:「プロ彼に魂を売った廃人にしか辿り着けない境地」「札束で殴り合う資本主義の魔窟」「元プロデューサーも元提督も元指揮官も元トレーナーも元先生も元マスターも元団長も元監督生もあそこで死んでいった」と言われる激戦区。
ティナ「…………」(あまりのガチ廃っぷりにドン引き)
ティナ「朝霞さん。ゲーム卒業して弓月さんと一緒にリア充を歩みませんか?」
次回「電脳世界の魔術師 後編」
宇津木「特異感染症取締官として、そんな嘘が罷り通る状況を許す訳にはいかない」
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ナオ「セクハラなんてしたことありません」
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鈴音「人を騙したりなんてしません」
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朝霞「列車や建造物に配慮して戦います」