男の理想が高すぎたせいで婚期を逃したらしい。
『続いてのニュースです。西外周区の感染爆発を受けて、中央選挙委員会の三ノ宮委員長は本日記者会見を開き、聖天子不信任決議の国民投票は予定通り行うと発表しました。会見で三ノ宮委員長は『西外周区の感染爆発は収束しており、緊急事態に当たらない』と説明し、改めて国民に投票を呼びかけました。この判断を政治ジャーナリストの向井氏は――』
ワンセグ搭載カーナビから流れるニュース映像と音声に耳を傾け、津名は大きくあくびをする。車内は冷房が効いて程よく冷えており、後部座席で朝霞は置物のように姿勢を正して安座する。
データセンターから少し離れた場所で待機し、ナオからの連絡を待つ。それが今の3人に出来ることだった。
「あの、津名さん……」
不安と車内の沈黙に耐えられなかったのか、鈴音が声をかける。
「どうした? 歌姫の嬢ちゃん」
「ナオさんって、どうしてあんなにパソコンがすごいんですか?」
「え……今更?」
一週間以上も共に暮らし、彼女が灰色の盾のブレインとして機能する姿も見て、尚且つ旧知の友でもあった。その鈴音が今このタイミングになってナオの実力の由縁を尋ねてきた。「パソコンがすごい」という間抜けな言葉選びも相まって朝霞と津名は唖然とする。
「えーっとまぁ……最初は俺が教えたんだよ。俺って音楽やっててさ。自衛官になった後も趣味で曲作りとかしてたんだ。こう見えてボカロPなんだぜ」
「「ぼかろぴー?」」
「えーっと……初音ミクなら知ってる?」
「「誰ですか?」」
知らない鈴音と朝霞は揃って首を傾げる。イニシエーターの朝霞はともかく、音楽業界に身を置いていた鈴音すら知らなかった。それはショックだったのだろう。「今の子達は分からないかぁ~」と津名は寂しそうに項垂れる。
「灰色の盾に入った時、ジャンクのパソコンが手に入ってさ。作曲と言う健康的かつ文化的な趣味に興じれるよう何人かにパソコンの使い方や楽曲制作に使うアプリやソフトを布教したんだよ。結局、まともに覚えたのはナオぐらいだったけどな。――で、ナオも音楽より根本的な仕組みの方に興味を持ってな。ネットを繋いだこともあって、そのパソコンで色々と調べるようになったんだ。食い入るようにパソコンをいじるあいつを『小遣い稼ぎでも出来れば上等だな~』なんて笑いながら見てた。
――気が付いたら、
*
ナオのPC画面上で忙しなく多数のウィンドウが開き、プログラミング言語が矢継ぎ早に記述されていく。ナオは刹那も止めること無く指でキーボードを弾き、専門用語だらけの独り言を呟きながら画面の動きを目で追っていく。背後で見ていた宇津木は理解するどころか、開いては文字を自動で記述し消えていくウィンドウを追うだけで精一杯だ。
「一体……何をやってるんだ?」
「奪った管理者権限でサーバーの余剰領域にハイパーバイザー型仮想PCを組んでる」
「仮想PC?」
「普通はコンピュータ1台につきハードウェア1台なんだけど、そのハードウェアの使っていない部分に違うOSで動くコンピュータを疑似的に作ることが出来るんだよ。それが仮想PC」
「それが証拠とどう繋がるんだ?」
「まず連中のやり口から説明するんだけど、簡単に言うとゼロデイ攻撃と
ナオは持ち込んだカバンから1枚のブルーレイディスクを取り出し、「ぱんぱかぱーんぱぱーん。秘密兵器ぃ」と某猫型ロボットを真似た声で宇津木に見せた。
「この中には神奈川駐屯地にあった侵食率検査機のOSと検査プログラムの挙動をモニタリングする自家製のアプリケーション、後は検査機のOSをこの中で動かすのに必要な諸々が入ってる。これを厚労省サーバーに組み込んで内部に仮想の検査機を作り、そこで姉妹の個人情報と紐付けされた血液の検査を疑似的に行う」
ナオはブルーレイディスクをドライブに挿入、彼女のノートPC画面に再び大量のウィンドウがポップアップし、その中で大量のプログラミング言語が羅列されていく。
突然、赤いウィンドウが開き、大量のエラーが通知された。
「おい、大丈夫か?」
「ぶっつけ本番だし、現地修正は承知の上だよ」
再びナオは画面に集中する。専門用語だらけの独り言を呟き、眼球を左右に動かし続け、目にも留まらない速さで指をキーボードに叩きつけて行く。
「で、話の続きなんだけど、五翔会のマルウェアは普段巧妙に隠れていて、こことオンラインの検査機が日向姉妹の血液を検査する時だけ動くよう設定されているんだと思う。正確には姉妹の個人情報と紐付けされたラベルの血液を検査する時かな。検査機が最初に読み取ったラベルの情報はリアルタイムでここに送られて東京エリアが保護した呪われた子供の個人情報と紐付けされる。改竄プログラムは姉妹の個人情報が紐付けされたことを検知するとサーバーから当該検査機のシステムに不正侵入し、姉妹の検査結果のデータを上書きする。大元の検査機さえ上書きしてしまえば、以降の端末は全部騙せるって寸法だよ」
宇津木は蹲って膝を抱える。種を明かされた今、様々な感情が沸き上がる。日向姉妹に対する罪悪感だけではない。検査機の数値を盾に壮助と口論した自分が、つい数時間前まで身体を酷使し激務の日々を過ごした自分が、嘘の上で踊らされたピエロだと分かり、五翔会残党への怒りと、自分の恥ずかしさで頭に血が昇る。
「データの上書きか……それだけで我々は……いや、この国は騙されたのか」
「仕方ないよ。検査はリトマス試験紙みたいに目視で分かるものじゃないんだし。私達も色んなものを犠牲にして、やっとここに辿り着いたから」
エラー表示は瞬く間に無くなっていくが直後に新たなエラーウィンドウが表示される。それにナオは動じることなく、プログラムを動かしながら直接コードを書き換え修正、エラーと修正の戦いは時間の経過と共にナオが有利になっていく。
少なくなっていく通知で素人の宇津木も修正作業が進んでいると分かり、安堵する。サーバールームで何も出来ない彼女は二回り年下の少女に全てを委ね、このまま事が上手く運ぶことを願った。
キーボードを叩く音が止んだ。ナオはPCから手を離し、額の汗を拭う。
「インストール完了。疑似検査も始めてる。後は馬鹿が引っ掛かるのを待つだけ」
宇津木は手を捻り腕時計で時間を確認する。
「警備が来るまであと20分。大丈夫か?」
「多分……10分は越えないと思う」
ダイアログウィンドウが開き、緑色のゲージが10%から徐々に伸びていく。宇津木の視線はゲージが右端に到達するまでの距離、表示されるパーセンテージ、腕時計で確認する現実の経過時間を往復していく。
サーバールームは定時で警備員が巡回している。機械の目は誤魔化せても人間の目は誤魔化せない。もし鉢合わせになってしまえば、赤目ギャングのナオは勿論のこと、宇津木もサーバールームへの不法侵入で手錠をかけられるだろう。最悪、このサーバーから改竄の証拠を消され、真相が闇の中へと消えていくことになる。
証拠を手に入れるか、それとも全てを失うか、人生で最も長く感じる10分間だ。
開始から8分、ゲージは100%に至り、「保存が完了しました」とウィンドウが出た。
「はい。終わったよ」
「中身は大丈夫なのか?」
「確認するからちょっと待ってて」
またしても画面上でコードがスクロールする。並みの人間では認識できない速度で上へと消えていく文字列をナオは目で追い、「うん、大丈夫」と告げる。
「それ、
「勿論、税金泥棒じゃなければ」
画面の端に「6件のコードを検出」とポップアップが出る。ナオは仮想検査機の進行に意識を向けながらそちらを一瞥する。その一瞬で検出は6件から288件になった。更にその数値は651件、2384件、9546件……指数関数的に跳ね上がる数値にナオは青ざめ、息をするのを忘れてしまう。
慌ててキーボードを弾く。通知のポップアップを拡大し、高速でスクロールさせながら検出の詳細を確認する。あまりにも早過ぎて、背後で見ていた宇津木には文字すら認識出来なかった。
「どうしたんだ?」
「仮想検査機に入ってきたプログラムのデータパターンを抽出して従来のウィルス対策ソフトみたいにパターンマッチング方式で逆探知してたんだけど、とんでもない数がヒットしてる。侵食率の改竄だけじゃない。他にもヤバいことやってるよ」
次から次へと画面に出て来る大量の図形やソースコードをナオは
「あいつら、ここのCPUを使って
「
「分かんないよ。こっちは小学校中退なんだから」
宇津木がPC画面をのぞき込むと4つのアルファベットの羅列、カラフルなリボンが絡まったようなグラフィック、英字と六角形が組み合わさった図形が目に映った。その他にも膨大な図形や文字列が画面いっぱいに広がっていたが、落ち着いて見てみると見覚えのある単語や図形があることに気付く。
「これ……生化学の分野だな。こっちはDNAの塩基配列、こっちはおそらくタンパク質の構造だ。これは……化学構造式だな。何のかは分からないが……」
一つ一つ、分かるものを指さして説明する。斜め下から視線を感じ目を向けると、鳩が列車砲を食らったような童顔がこちらを向いていた。
「忘れているのか? 私は特異感染症取締部の“№2”だぞ」
――と誇った直後、
「だが、これらのデータが何を意味しているのかほとんど分からん。コピーして教授や専門家に見せた方が得策だろう」とあっさりプライドを捨てる。
「そうしたいところだけど、残念なお知らせ。――――時間オーバー」
ナオのPC画面の中心に【00:00:00】と表示される。撤収のタイムリミットだ。ハードウェアに繋いでいたケーブルを抜き取ろうと手を伸ばす。
その一瞬、あるファイルの名前がナオの目に映った。タイムリミットのことなど忘れ
File.01 『私はここにいる』
File.02 『真夜中』
File.03 『Diamond Rain』
File.04 『それは春風のように』
File.05 『帰り道』
File.06 『
――なんで、鈴之音の曲が?
厚労省が業務の一環として保存している、酔狂な職員の仕業とは考えにくい。明らかに五翔会残党が仕込んだ
ナオの脳裏にある情報が浮かび上がる。ジェリーフィッシュ、ガストレア化した
“スカーフェイスにとって日向姉妹は
――
「おい。ぼっとするな。時間が無いぞ」
宇津木の一喝でナオはハッと自分の状況を思い出す。口惜しい思いを抱き、歯噛みしながらもケーブルを抜き、ノートPCを畳んでバッグに仕舞う。
脳をフル回転させていたせいで額が汗ばんでいる。それを手で拭い、乱れていた髪のセットを直しながら出口へ向かう。
宇津木がカードキーでドアロックを解除。予定通り通路に誰もいないことを確認し先に外へ出る。後に続くナオは自動的に閉まろうとするドアを手で抑えた。
悔しかった。当初の目的は達成した。しかし、その奥にある更なる真実に手が届かず、中途半端なままサーバールームから出ようとしている。そんな自分の姿が敵に背を向けて逃げるかのようだった。
「みんなの仇、絶対に討ってやる!! 首を洗って待ってろ!! 五翔会!!」
誰もいないサーバールームで少女の声が木霊する。返ってくる言葉は無く、変わらず空調機とハードウェアの無機質な駆動音が続いた。
オマケ 前回のアンケート結果
宇津木「特異感染症取締官として、そんな嘘が罷り通る状況を許す訳にはいかない」
(6) ナオ「セクハラなんてしたことありません」
(2) 鈴音「人を騙したりなんてしません」
→(14) 朝霞「列車や建造物に配慮して戦います」
宇津木「え……? 配慮……してるのか?」
朝霞「はい」
宇津木「毎年、数百億円単位の被害を出しているのにか?」
朝霞「はい……」
宇津木「ちなみに厚労省は毎年『特例災害“壬生朝霞”によって発生した失業者に対する補償』を予算に組み込んでいる」
朝霞「名指しされるレベルなんですか!? 災害扱いなんですか!?」
宇津木「嘘だ」
朝霞「 」
次回「殺戮の翼 前編」
ナオ「五翔会残党って、もしかして……
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