「おい。今、なんて言った?」
壮助は瞳孔が開いた目でカウンターに詰め寄り、麗香を凝視する。今にも怒りが吹き出しそうな顔と血走った目に麗香の全身が凍り付いた。壮助がここまで必死な形相を見せるのは初めてだ。
「もう一度言おう。この銃の持ち主は里見蓮太郎だ」
カウンターの上に置かれていた壮助の手が握り拳を作る。
相棒を介錯した銃の持ち主は里見蓮太郎である。それは、里見蓮太郎はその銃で相棒を介錯したということ。義塔壮助は贖罪の対象を失ったということだ。罪を処理できるのは法と被害者しかいない。壮助の罪は壮助の想い――最悪の結果を止められなかったこと――が生み出したものだ。それは法で裁けるものではない。赦すことも裁くことも、その権利を持つのはこの世界で藍原延珠だけだ。
壮助は近くにあったパイプ椅子に腰を下ろし、項垂れる。絶望と落胆。体からすべての力が抜け落ちて、ネジが錆びついて軋むパイプ椅子に委ねる。
「本当に、藍原延珠は死んだんだな」
「ああ。死んだ。それは確定事項だ。遺体も回収されている」
数刻ほど沈黙が空間を支配するが、壮助の口がそれを破った。
「――――くれ」
「ん?」
「教えてくれ。里見蓮太郎に――何があったのか」
「それを知ってどうする?」
「知らん。けど、知らなきゃどうすることもできない」
壮助の言葉を聞いて、麗香は「ふふっ」とほほ笑んだ。
「エピソードだけを欲しがる客は初めてだが、語ることが出来るのはコレクターとして嬉しいことだ。良いだろう。タダで教えてやる」
麗香は壁から額縁を下ろし、手袋をはめてスプリングフィールドXDを取り出した。それを壮助の前でかざし、舐めるような視線で銃を眺める。
「里見蓮太郎について語る前に、君が彼についてどれだけ知っているのか教えて欲しい」
「序列元51位で異名は“
壮助が並べた知識は一般市民や序列の低い民警における蓮太郎に関する知識と大差なかった。
「かなり長い話になるが、構わないか?」
「ああ。いくらでも大丈夫だ」
麗香はキセルを吹かした後、深呼吸した。長い話をする前には必ずこの動作が入る。心を落ち着かせないとオタクの性(自分の好きな分野の話になると熱くなる)で思考が口に追いつかなくなり、最終的に相手のことを気に掛けない一方的なお喋りになってしまうからだ。
「里見蓮太郎の生い立ちから話そう。彼の幼少期については天童家に預けられていたこと以外はあまり分かっていない」
「天童家――政治家一族特有の隠蔽体質ってやつか」
「それもあるが、幼少期の彼を知る人物がほとんど生き残っていないのが原因だな」
現在、天童家の人間は天童助喜与しか生き残っていない。彼以外の全ての天童が5年前に暗殺されているからだ。
「彼は15歳の時まで天童家で育てられ、そこで様々な教育を受けた。有名なのは天童式戦闘術だが、他にも政治家や仏師としてのスキルも得たらしい」
「仏師?」
「仏像を制作する職人のことだ。菊之丞が仏師として人間国宝に指定されていた。大方、彼に教わったのだろう」
それから、麗香は過去から遡る形で里見蓮太郎と周囲の人物の活動について語っていった。後に初恋の人となる天童木更との出会い、木更の両親の暗殺、天童家からの出奔、天童民間警備会社の設立、藍原延珠との出会い、etc……
「それから、彼は藍原延珠、天童木更と共に民警として活動するようになった」
「ちなみに当時の序列は?」
「120000ぐらいだ」
壮助は絶句した。10万位以下といえば、民警としてほとんど活動実績が無いか、資格を得て1ヶ月に満たないルーキーが持つ順位だ。可愛い
「さすがに桁がおかしくないか?」
「いや、本当にこの順位だった。むしろ、お前が9644位ってのが信じられないな。世界中の民警の上位10%以内だぞ?軍隊でトレーニングを受けたわけでもない。特殊な武術を会得しているわけでもない。天才的な頭脳があるわけでもなく、改造人間になったわけでもない。ただガキ同士の喧嘩で強いだけだったお前が上位10%ってのが不思議でたまらない」
麗香の言葉がグサグサと壮助の心に突き刺さる。壮助に反論の余地など残されていなかった。ただ、麗香の疑問に答えることは出来た。壮助の口からは出し辛いとても情けない「詩乃が強すぎるから」という回答が。
「で、その120000位がどうしたら51位になったんだ?」
「物事には転機があるものだ。それが里見蓮太郎にも訪れた」
「転機?」
「ああ。君も覚えているんじゃないか?6年前、東京エリアに出現したステージⅤガストレア『スコーピオン』。あれを倒したのは里見蓮太郎だ」
スコーピオンのことは覚えている。――と言っても、スコーピオンが出現し、撃破されたことを知ったのは翌朝のニュースだった。自分が寝ている間にステージVが現れ、倒されたというものは当時の彼にとって現実味を感じられなかった。おそらく、今でもそうだろう。
それから、麗香は蓮太郎と延珠の活躍について語った。聖天子狙撃事件、第三次関東会戦、友人殺しの冤罪と無実の証明、東京エリアと仙台エリアの戦争を阻止し、ステージV『リブラ』を撃退、etc……。蓮太郎と延珠のペアは幾度となく事件を解決し、順調に順位を上げて行った。
「輝かしい英雄談だな」
「ああ。しかし、物語にはいつも終わりが来る」
今から5年前、第三次関東会戦の戦勝から1周年を記念した式典で聖天子の公開演説が行われた。一般市民や民警の遺族、報道陣が注目する中でスピーチは順調に進む――はずだった。
スピーチ開始から10分後、聖天子の純白のドレスに“銃創”という名の赤い華が咲いた。
――狙撃だ。聖天子が狙撃された。
聴衆や報道陣はパニックになっていた。聖天子が銃撃されたという目の前の現実とその銃弾が自分にも来るのではないかという恐怖が人々を襲う。怒号や泣き叫ぶ声が会場で響き渡る。その光景は報道陣のテレビ中継を通して、東京エリア、いや世界中に流された。
もし「映像の世紀」や「その時歴史は動いた」で2030年代を扱うとすれば、「聖天子銃撃事件」の映像は確実に使われるであろう。それほど衝撃的で、時代を象徴する映像だった。
聖天子が銃撃された直後、聖室護衛隊が彼女を囲み、安全な場所に運ぶまで自分を肉の壁にすることで聖天子を守った。その間にも犯人の銃撃は続き、護衛隊員が2名殉職、更に跳弾が聴衆に当たったことで1名の死者と4名の重軽傷者を出した。
聖天子は意識不明の重体となり、東京エリアの大学病院で手術を受けた。執刀医は日本最高の頭脳と名高い室戸菫、病院の周囲は自衛隊・警察・聖室護衛隊が共同で警備し、それに加えて里見蓮太郎および彼と縁のある優秀な民警も加わった。何一つ隙のない最硬の布陣だと誰もが考えた。
どんな襲撃者でも実行する前に諦めるだろうと――
同時に聖居では緊急会議が開かれた。天童菊之丞を始めとした閣僚、大戦前の政治家、聖居の関係者たちが大会議室に集まった。
議題は「聖天子様がお亡くなりになった後の政治体制」
誰も聖天子の死を望んでいるわけではない。手術が成功し、聖天子が無事に聖居に戻るのであればそれに越したことはない。しかし、東京エリアを預かる身として常に最悪のパターンを想定し、それに対応しなければならない。もしここに楽観主義を持ち込めば、聖天子の死よりも悪い、真に最悪の事態が東京エリアで発生してしまう。
今、彼らの中にある最悪のパターン「東京エリアの政治機能の停止とそれによる外部勢力の侵攻」である。聖天子が撃たれたのはテレビ中継を通して世界中に知れ渡っている。この混乱に乗じて何か仕掛ける人間は確実に出てくるだろう。
会議は早々に「天童菊之丞を暫定首相とする」という答えが出た。しかし、本格的な聖天子の後継者については全く話が進まなかった。
当然のことだが17歳の彼女に子はいない。姉妹もいないし、仮にいたとしても今の聖天子に並ぶ政治能力とカリスマを持ち合わせた人間でなければ意味は無い。
会議に召集された前時代の議員は「大戦前の議会制民主主義に戻してはどうか」と提案したが一蹴された。ガストレアという脅威に対して迅速な対応が求められる現代において、会議や選挙を重ねて初めて実行できる議会制民主主義は非合理的である。実際、ガストレア大戦以降、多くのエリアで議会制や民主主義が廃止されていった。
何も具体的な案が出ず会議が膠着状態になった時、招聘されたメンバーの一人が発した言葉が最悪の事態の引き金となった。
「これは噂、そう、あくまで噂話なんですけどね。聖居の職員の間で『菊之丞閣下が聖天子暗殺を企てた』って声が上がっているんですよ」
別のメンバーが彼の発言を諌めるが、男は意に介することなく語り続ける。
「そう言えば、菊之丞閣下は1年前のガストレア新法には反対だったそうじゃないですか。リブラの事件の時も意見が衝突したことで聖天子様を軟禁なされた」
「何のつもりだ?」
「貴方にとって、聖天子様は都合のいい人形だった。しかし、彼女はそれを逸脱しようとしたため、邪魔になり排除した。違いますか?菊之上閣下――いや、天童菊之丞」
菊之丞は即座に否定したが、既に点いた火種が聖居中に広がるのに時間はかからなかった。聖居内部は誰もが疑心暗鬼になり、気が付けば聖天子派と菊之丞派に分裂していた。
*
銃撃事件から3日後、聖天子の手術が無事に成功し、容態が安定したことが報じられ、東京エリアの誰もがそのことに安堵した。
しかし、それら全てを裏切るかのように新たな事件が起きた。聖天子が入院する病院に謎の男と武装組織が突撃し、自衛隊と警察が武装組織と交戦することになった。謎の男と武装組織の目的は明らかに聖天子の抹殺であり、その“ついで”に目に映る医者や看護師、入院患者を殺戮していった。
目的だった聖天子はまだ目が覚めない状態だったが、里見蓮太郎と彼の仲間たちが裏口から脱出させ、行方を晦ませた。そのことにより謎の男と武装組織は目的を果たせなかった。しかし、彼らは第一目標を達成することは出来なかったが、“第二目標”を達成することは出来た。そして、その成果は翌日、即座に現れた。
聖居内部で聖天子派と菊之丞派の対立が激化し、聖室護衛隊と菊之丞が護衛として雇用していた天童流武術者が交戦する事態に陥った。「病院の襲撃者は天童式戦闘術の使い手だった」という事実が、「天童菊之丞は聖天子暗殺を謀った」という疑惑に結び付いたからだ。
東京エリアの政治機能は完全に停止し、エリアのあらゆる公共インフラは現場の人間の判断に委ねられるようになった。
それを見越したのか、大阪エリアの斉武大統領が東京エリアに宣戦布告。東京エリアと大阪エリアの対立に札幌エリアと博多エリア、そして仙台エリアは大阪エリアに対する非難声明を出したが、あくまで政治的なポーズであり、それ以上のアクションは起こさなかった。
大阪エリアの宣戦布告の翌日、内部対立の機を狙ってウラジオストックエリアが札幌エリアに宣戦布告。ロシア空軍・第三航空・防空コマンドを母体としたウラジオストックエリア空軍と航空自衛隊北部航空方面隊を母体とした札幌エリア航空自衛隊による睨み合いが始まった。
それから1時間遅れて北京、上海、ソウル、釜山の4つのエリアが同盟を組んだ東アジア連合が博多エリアに対して宣戦布告。中国人民解放軍海軍の北海艦隊を母体とした艦隊が北京の軍港より発艦、更に釜山エリアの空港へと極秘裏に輸送されていた空軍機が出撃し、博多エリア航空自衛隊(元・西部航空方面隊)と膠着状態に入った。
更に太平洋の利権を守るためにカリフォルニアエリアを代表とした米国が第三艦隊と第七艦隊を日本に接近させた。日本、ロシア、中国、アメリカの四大大国による睨み合いにより、世界は第三次世界大戦前夜となった。
聖天子銃撃事件から一週間後、内部対立が続く聖居で動きがあった。当初、優勢だった菊之丞派の結束が一気に崩れたのだ。天童菊之丞が殺害された。これにより、東京エリアは真の意味で代表を失ってしまった。当初の目的も目標も頭となるものも失った状態でただ“派閥争い”という手段だけが東京エリアの政治中枢に残ってしまった。
大阪エリアの宣戦布告から24時間が経過。斉武大統領が本格的な武力侵攻の指令書にサインがなされた。東京と大阪の本格的な武力衝突が現実となり、そのタイムリミットは残り5時間となっていた。
聖天子も菊之丞も失った東京エリアは自身を取り巻く状況に慌てふためいていた。全員が政治の素人というわけではない。しかし、意思決定を示し、最終的な責任を取る“代表”がいない中でできることは限られていた。
世界は、大阪エリアの勝利を確信していた。
――東京エリアの皆様。ご心配をおかけしました。
東京エリアのテレビ・ラジオ全てから聞こえた女性の声。気品に満ち溢れ、その声の主を知る者も知らぬ者も足を止めて音源に目を向け、耳を傾ける。
「せ、聖天子様!」
テレビに映る彼女の姿に誰もが凝視する。滅亡まであと1時間もない東京エリアに現れた救世主、救済の女神かのように錯覚した人物は多いだろう。
テレビに映された聖天子は自分が今、聖居にいること。此度の銃撃事件が聖天子派を率いている男による犯行であること。銃撃事件も派閥争いも菊之丞暗殺も大阪エリアの宣戦布告も、全てがその男の筋書きだったことが彼女の口から明かされた。聖天子が聖居に戻ったことにより東京エリアは息を吹き返した。
東京エリアへの侵攻で武力が手薄になっていた大阪エリアでは大阪エリア自衛隊(元・中部方面隊)がクーデターを起こし、斉武大統領を拘束。独裁政権の解体と新政権の樹立を宣言した。また、東京エリアに侵攻しようとしていた大阪エリア自衛隊も日本人同士の戦争に消極的であったため、斉武大統領拘束の一報を聞いた直後に一方的に停戦を宣言し、撤退した。あまりのタイミングの良さからクーデターは以前より計画されていたものだと推測される。
ウラジオストックエリアと札幌エリア、東アジア連合と博多エリアの戦闘は小規模なものが1週間ほど続いたが、小競り合いと睨み合いが続いた後、膠着。南北の戦線で終戦協定が結ばれた。
こうして生還した聖天子は再び聖居に戻り、菊之丞亡き後の東京エリアの政治を担った。
そして彼女を暗殺者から守り通した里見蓮太郎は第三次世界大戦から世界を守った英雄となった。
しかし、英雄となった彼の隣に藍原延珠と天童木更の姿は無かった。
「二人とも、その戦いの中で死んだのか」
「ああ。藍原延珠は戦いの最中に形象崩壊。天童木更は――、この情報は君には余計か。ともかく、彼は愛する者達と世界を天秤にかけた」
そして、里見蓮太郎は「世界」を選んだ。いや、それしか選択肢が残されていなかった。
延珠を殺さなければ、彼女はガストレア化する。その“ガストレア”は多くの人を殺めることになるだろう。それを望む者など誰もいなかった。
だから、里見蓮太郎は藍原延珠を殺した。
「……」
壮助は俯いたまま何も語らなかった。
「私が語れるのはここまでだ」
「俺が一番聞きたい部分がおざなりじゃねえか」
「悪いな。これでも話す内容は精一杯だ。彼がどういう気持ちで幼馴染や相棒を失ったのかは分からない。あくまで私は他人だからな。里見蓮太郎の関係者じゃない。知れることにも限度がある」
壮助は「そうか」と落胆したトーンの声で答えるとパイプ椅子から立ち上がり、銃器の入った楽器ケースを抱えた。そして、麗香に背を向けて出口へと向かおうとする。
「私は里見蓮太郎の関係者じゃないが、彼と縁の深い人物を紹介することは出来る」
壮助の足が止まり、耳が麗香の言葉に傾けられる。
「私と同じ死を愛する人間。世界最高の頭脳の一人、室戸菫だ。もし本当に、心の底から里見蓮太郎のことを知っておきたいなら、彼女を紹介しよう」
ただし――と言葉を添えて、彼女はこう言い放った。
「彼女に会った後、君が正気でいられるかどうかは保証できないがな」
*
東京エリアの一角にある民間警備会社「葉原ガーディアンズ」
その1階ロビーで一人の男が殴り飛ばされ、受付嬢のいるカウンターに衝突する。カウンターの上の花瓶は落ちて割れ、受付嬢も恐る恐る距離を取る。
「何のつもりだ!?片桐ぃ!」
全身に拳銃やナイフを装備した
天崎の視線の先には片桐玉樹の姿があった。防弾ガラスの自動ドアを粉砕しつつ天崎をロビーのカウンターに叩きつけた張本人だ。拳をポキポキと鳴らしながらゆっくりとしか一歩一歩確実に天崎に迫る。
「何度も同じこと言わせんじゃねぇ。この仕事から手を引けって言っているんだ」
「へっ!真っ先にぶっ潰されたのはてめぇじゃねえか!」
天崎の顔面にもう一発の鉄拳が打ち込まれる。完全にノックダウン。鼻の骨の複雑骨折は必至だ。
玉樹はロビーの端で小動物のように震える受付嬢に視線を向けた。受付嬢は蛇に睨まれた蛙のように硬直し、声にもならない悲鳴を上げる。
「おい。受付嬢。てめぇんとこの社長に伝えな。『防衛省の仕事から手を引け。足手まといはいらない』ってな」
今回はエリアの政治や国際情勢について語るシーンが多いですが、物語に関わっていきます。
あと個人的にポリティカルアクションは好きなので、政治闘争劇ほどタイピングが早くなります。