ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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数か月ぶりの更新となります。
「あれ?そもそもどういう話だったっけ?」って思った人は1話から読み直しましょう。
※これまで掲載した話も大幅に加筆しております。


機械化兵士

 東京エリアの中心地に位置する大学病院。歴史を感じさせる赤レンガの講堂と最先端技術の結晶であるガラス張りの病院が同じ敷地に同居するという奇妙な光景が広がる。正面の広場には創設者と思しき全身像が飾られており、誰かのイタズラなのか女物のパンツが頭に被せられている。

 

(誰のイタズラだ?)

 

 里見蓮太郎と縁の深い人物に会うためにここへ連れて来られた壮助はおパンツ銅像を尻目に前方を歩く麗香を見失わないようにする。

 前方の麗香は慣れた足取りで目的の部屋へと歩いていく。人を生かす病院という現場で人を殺す職業を模した服装をしている2人は周囲の教授や医学生に奇異な目で見られているが、麗香は一切気にしている様子が無い。堂々と我を貫く彼女の在り方が歩くという所作からも滲み出る。対して、壮助は周囲の視線を少し気にしており、もう少し気を遣った服装にするべきだったかと考える。

 2人は病院エリアに入り、40~50年前に建てられたであろう病棟へと入っていく。大学病院には現在使用している病棟と旧病棟の2つがある。2人が入った旧病棟は資材置き場やサークル棟として利用されており、病院としてはほとんど機能していない。一部を除いては――。

 旧病棟の4階。このフロアだけは資材置き場としてもサークル棟や学生のたまり場としても利用されず、当時の病院としての姿を残したままだった。まるで何かに恐れて誰も近づかなかったかのようだ。麗香と壮助がエレベーターで4階のボタンを押したとき、一緒に乗っていた学生たちの表情が一変したことからも窺えた。

 壮助は4階の誰もいない廊下を麗香の背中を眺めながら付いて行く。

 

「ここだ」

 

 ある一室の前で麗香は足を止めた。

 厳重なロックがかけられた扉、人を寄せ付けない奇怪な像や仮面、刺々しくて押すのを躊躇ってしまうインターホン。来るものを拒むその禍々しさはダンジョンのボス部屋のように感じられた。

 麗香は人差し指を伸ばし、何の躊躇いもなく刺々しいインターホンを押した。

 

「すーみれちゃーん!あーそーぼー!」

 

「小学生か!あんたは!」

 

 

 

 

 

 

『帰れ』

 

 

 即座にやって来た返答はその一言だけだった。低いトーンの暗い雰囲気を持たせた女性の声。とても不機嫌で来るものを拒み続ける扉の仕様から、彼女の暗くて非社交的な人格が窺える。

 拒絶されたことを意に介さず、麗香は再びインターホンを押す。

 

「新作のエロゲー買って来たんだけどー!一緒にやらないかー!」

『タイトルは?』

「シンデレラカルテット3!」

 

 麗香は鞄の中から直視するのも躊躇う過激なパッケージのエロゲーを取り出し、インターホンに備え付けられたカメラにかざす。今、扉の向こう側にいる菫の目には画面いっぱいの卑猥な絵が映っているのだろう。彼女がそれに対してどういう感情を抱いているのかは壮助には計り知れない。

 

『発売日に通販で入手。CGフルコンプ済み』

「マジかよ!遊里ルート進めないから攻略法教えて!」

 

 ――それでいいのか!日本最高の頭脳!

 

『そういうわけで、君に用はない』

 

 ブツンと音が鳴り、菫と麗香、部屋の内外を繋ぐ唯一のコミュニケーションパスが途切れた。日本最高の頭脳が拒絶的な姿勢で挑むのであれば、取り付く島もないのは当たり前だった。

 壮助は里見蓮太郎に繋がる手がかりが目の前にいるというのに何も出来ないことに歯がゆさを、麗香の交渉術という不安要素だらけのものに縋るしかない現状の自分に情けなさを感じた。

 

「仕方ない。“マスターキー”を使うか」

 

「いや、あるなら最初から使えよ。ってか、どうしてアンタが大学のマスターキーを……!」

 

 壮助は驚きのあまり目を見開き、言葉が詰まった。麗香がマスターキーと称して、懐から水平二連ショットガンを取り出したからだ。銃身を切り詰めて片手で取回せるようにしたソードオフモデル。

 警察や特殊部隊が突入する際、ドアやドアノブを破壊するためにショットガンを使うことがある。近距離における破壊力と広範囲に拡散する散弾によるドアノブの破壊は効率的であり、どんな鍵であろうと問答無用でドアを破壊し、こじ開ける様からマスターキーと呼ばれる。ドアを破壊し、中の人間を傷つけないように配慮したドアブリーチング弾というものまである。

 固まった壮助を尻目に麗香はドアノブに銃口を向け、引き金を引いた。ドアノブとその周囲が原形を留めなくなるまで何度も引き金を引き、弾切れになるまでトリガーを何度も引いた。

 

「突入!」

 

 麗香はドアを足蹴りしてぶち破り、弾切れのショットガンと懐中電灯を手に部屋の中へと突入する。壮助も後ろからスマホのライトを照らして中へと入る。

 部屋の中は薄暗かった。パソコン画面しか光源が無く、天井の蛍光灯もデスクライトも点いていない。今こうして懐中電灯やスマホのライトで中を照らさなければ、中を把握できなかっただろう。つい最近使用した痕跡のある手術台、駆動音を響かせる研究室用の巨大な冷凍庫、戸棚に並ぶ薬品の瓶やボトル、何かしらの生物のホルマリン漬け。雑多ではあるが、埃一つ舞っていないほどの清潔さを保っており、鼻につく薬品の臭いもそれほど嫌いにはなれない。

 しかし、肝心の室戸女史の姿が見当たらなかった。

 

「どこに隠れやがった!あの根暗!」

「それ、友達に向ける言葉とは思えねぇ――ぐぇっ!」

 

 壮助は何か柔らかい物体を踏んだ。それでバランスを崩し前方へと転倒する。手を点く暇もなく胴体と顔面が床に衝突する。

 

「何が転がっているか分からないから、足元気をつけろよ」

「それは転ぶ前に言ってくれよ。それにしても何だ?これ?」

 

 壮助がスマホのライトを足元に向ける。自分の足から徐々に踏みつけた物体があった場所へと光を当てていく。そこに壮助が踏みつけた物体が確かにあった。病院や警察で使われる遺体袋、袋の膨らみからいて、中に人間が一人入っていることも確認できる。

 

「ま、まさか死体……?」

「解剖医をやっているからな。死体の一つや二つあるだろう」

 

 壮助は少し狼狽えている。仕事上、人間の死体もガストレアの死体も見ているが、こうしてあるべきでない場所に死体があるシチュエーションに遭遇するのは初めてだった。

 そんな彼とは反対に麗香は冷静な目で遺体袋を見ていた。それに近づき、袋を閉じるチャックに手を伸ばす。

 

「お、おい。さすがにそれは」

 

 明らかに興味本位で遺体袋を開けようとする麗香に壮助は倫理的観点から止めようとする。しかし、言葉だけの制止を麗香は気に掛けることもなくチャックを開けた。

 中から見えたのは生気の無い女性の顔だった。不健康なほど青白い肌、伸び放題の髪とその隙間から見えるクマの深い目元、よくよく見れば美人だが、彼女の不健康さが美人要素を塗りつぶしていた。

 

「日本最高の頭脳で考えた隠れ方とは思えないな。菫」と麗香は語りかけ、

「日本最高の頭脳を以てしても君の行動は想定外だったというだけだ」と遺体袋の中身――室戸菫――は答えた。

 

 菫は面倒くさそうに遺体袋のチャックを開けて中から這い上がる。

 皺が付いたくしゃくしゃの高級スーツに黒色に乾燥した血がべっとりと付着している白衣を羽織った姿だ。

 

「せっかくの親友の訪問を断るとは何事だ」

「『宿題見せてー』『テスト範囲教えてー』『金貸してー』の時ぐらいしか私に声をかけなかった人間のことを君の辞書では親友と言うのか。後、貸したお金はいつ帰ってくるのかな?」

「ら、来月には……」

「それは永遠に来ない来月だな」

 

 今の会話だけで壮助は2人の関係、パワーバランスが掴み取れていた。菫は突き放すような発言をしているが、2人の表情には10年来の友人らしい安心感があった。

 麗香はしばらく閉口した後、話題を変える。

 

「そ、そうだ。今日は菫に客人を連れてきたんだ」

「そうか。男日照りが過ぎてとうとうそんな男に手を出すようになったのか。可哀想に」

「いや、そういうのじゃなくてだな。ほら、壮助。お前の口からちゃんと言え」

 

「松崎民間警備会社所属、義搭壮助」と、とりあえずの自己紹介はする。

 

 壮助が目的を語ろうとした瞬間、間髪入れず、菫はこう言い放った。

 

「里見蓮太郎に関することなら、取材はお断りだ」

 

 その言葉を聞いた瞬間に壮助は硬直した。考えを読まれたこともそうだが、里見蓮太郎に繋がる手がかりを目の前にして拒絶されたことが何よりもショックだった。菫の言葉にはそれくらい強い拒否が感じられた。

「少しぐらい理由を聞いてやったって」と麗香が宥めようとするが、菫は聞く耳を持たない。「帰れ。今日は気分が悪い」と言って、2人に背を向ける。

 

(あー。こりゃ今日は相当機嫌が悪いな。また別の日にでも……)

 

 麗香は優しく壮助の肩に手を置き、今回は駄目だと首を横に振った。しかし、壮助は麗香の行動を意に介さず、肩に置く手を払い、一歩、また一歩と確実に菫へと近づいていく。彼女との距離はあと50センチというところで足を止めた。

 

「俺は6年前、勾田小学校にいた」

 

 菫の肩がピクリと動いた。

 

「藍原延珠と同じクラスにいて、あいつが迫害されるのも見ていた」

 

 菫の首が少しだけ動いた。壮助の話に耳を傾けるつもりのようだ。

 

「あの時の俺は、呪われた子供はガストレアじゃないと分かっていた。ガストレアに向ける怒りを藍原に向けるのは間違っていると分かっていた。でも……俺は何もしなかった。あそこで“正義”を貫いて、“悪”になってしまうのが怖かった」

「君が気に病む必要は無いし、それはとんだ自惚れだ」

 

 菫が壮助の言葉に反応した。彼女が拒絶姿勢を崩したこととその辛辣な言葉の内容は胸を打った。

 

「もし君が立ち上がったとしても結果は変わらなかっただろう。いや、むしろ君という存在が彼女を苦しめていたかもしれない。藍原延珠に一極集中していた憎悪のベクトルは君に向けられ、更に拡散して藍原延珠に関わりのある人間にも向けられるようになっただろう。藍原延珠からその友達へ、家族へ、更にその友達や家族へ。その集団ヒステリーが行きつく先は魔女狩りだ。憎悪の根源も忘れて、ただ人が人を狩る屍山血河の光景だ」

 

 それは“だろう”で締めくくられる想定の言葉、しかし何よりも現実的で、本当に6年前の教室で壮助が集団意識に負けず、自分の正義を信じて立ち上がっていたら成っていた未来を語っていた。それを語る人間が四賢人の一人、日本最高の頭脳と称される室戸菫であることが更に彼女の想定に現実味を帯びさせていた。

 

「結果の問題じゃねえんだよ!!」

 

 壮助は両手で強く机を叩き、菫と麗香を威圧する。

 

「俺は、あそこで立ち上がらなかった自分が許せないんだよ!救えるとか救えないとかの問題じゃない!それ以前なんだよ!俺は戦わなかった!肝心な時に逃げたんだよ!戦って負けるよりも無様な結末を自分で選んだんだよ!」

「社会から逸脱したくない。それは社会性動物が持つ当然の感情だ。何度も言っただろう。気に病む必要は無い。君の判断は“普通”の感情に基づいたものだ。それを“悪”だと断定する権利は誰にも、どこにも存在しない」

 

 壮助の表情が今にも噛みつきそうな狂犬から、余裕のある穏やかなものに変わる。

 

「でも、俺はその“普通”から逸脱した人間を俺は知ってしまった。そいつは自分の相棒のために世界を敵に回した。敵に回した世界を救うために何度も戦った。俺はあいつの――里見蓮太郎の強さに憧れた」

 

 菫は自分の椅子を回転させ、今まで背を向けていた壮助に顔を見せる。それが壮助の読み通りなのか、偶然の産物かは分からない。しかし、菫の興味は確実に義搭壮助へと向けられていた。壮助は、完全なる拒絶から会話を成立させた。

 

「でも、今の里見蓮太郎は違う」

 

 菫が立ち上がり、壮助に詰め寄る。驚きおののく彼の襟元を掴み、自分のところへと引き寄せた。壮助は菫の目を見た。そこに無気力で生ける屍のような室戸菫の目は無い。その眼には活力という名の火が点いていた。

 

「『今の』と言ったな!それは“いつ”の里見蓮太郎だ!?」

「い、いつって……昨日だよ」

「昨日?」

「ああ。昨日だ」

 

 昨日の事件、防衛省からの依頼は他言無用だと念を押されているのは理解していたが、壮助はここで全てを話す覚悟を決めた。ここで話さなければ、菫の信用は得られないと感じていたことに加え、この日本最高の頭脳の前で隠し事や嘘を突き通せるとは思えなかった。

 壮助は昨日の事件、防衛省の依頼のことを全て菫に打ち明けた。そこに麗香も居たので彼女にも依頼のことが漏れるが、そういうことをペラペラと話す人ではないと信用していた。

 

「なるほど……。黒い仮面、蛭子小比奈と共に行動。挙句、賢者の盾を強奪と来たか。奴は蛭子影胤になるつもりか?」

「俺も分からないし、聖居の方でも分かってないと思う。ってか、そもそも賢者の盾って何なんだ?臓器だったり、何とかフィールド発生装置だったり、全然分かんないんだけど」

「斥力フィールド発生装置だな。バラニウムと斥力の関連性にはピンと来ないと思うが、これはバラニウムが持つガストレア殺傷能力と深い関連性がある。そもそもバラニウムがガストレアを殺害し得る唯一の物質として存在できるのは、バラニウム力場が――」

「いや、そういう専門的な話じゃなくて」

「じゃあ、どういう話だ?」

「斥力って何?」

 

 壮助の発言に菫と麗香は絶句した。菫は持っていたペンを床に落とし、麗香は頭を抱える。

 

「お前、16歳になって斥力も知らないのかよ」

「いや。その。ごめん。マジで分からない」

 

 菫が深くため息をつきながら、床に落としたペンを拾い、山積みになっていた英字論文をひっくり返して、真っ白な裏面にいくつかの図形と矢印を書きはじめた。

 

「斥力というものは、端的に言えば引力の逆だ」

「引力の逆?じゃあ、上に飛ばすのか?」

「それはニュートンの万有引力。俗にいう重力だ。引力というのは物体と物体を引き合わせる力のこと。その逆である斥力は複数の物体を引き離す力のことだ。さて問題。この斥力をフィールド状に展開した場合、どんなものが出来るのか?」

 

 壮助は菫が説明用に描いた図を見ながら、フィールド状に展開された斥力を想像する。指を動かして何かをイメージしたり、頭を抱えたりしたが、10秒で答えを得た。

 

「バリア?」

「正解だ。斥力フィールドによる防御の原理は非常に原始的で単純だ。故に強い」

「ああ。なんとなく賢者の盾の役割は分かった。で、何でそれが臓器って呼ばれているんだ?どうして、里見蓮太郎がそれを狙う?」

「……」

 

 壮助の問いかけに菫はしばらく閉口した。何か深く考え込んでいるようで、時折、視線を逸らす。菫が答えを知らないわけではない。その答えの内容に問題があり、それを壮助に伝えるべきか否か、彼女は思案に暮れている。

 

「麗香」

 

 菫が度々逸らしていた視線は壮助の後ろに立つ麗香に向けられていた。

 

「どうした?」

「彼は、君にとって信頼に足る人物か?」

「バカで学も無くて、色々と危なっかしい奴だが、その愚直さにおいては私が保証する」

「それ、誉めているのか?それとも貶しているのか?」

「誉めているつもりだけど?」

 

 それを聞いて、菫は深くため息をついた。そして、麗香へと移した視線を再び壮助に戻した。その視線は死者のエピソードについて語る麗香――自分の趣味について語るオタクの目――のように輝いていた。

 

「少年。機械化兵士計画って言葉、聞いたことはないか?」

「機械化兵士……あー。そういう都市伝説があったな。負傷した兵士をバラニウムサイボーグにして、対ガストレア兵器にしたとかいう話」

 

 以前、ネットで都市伝説を集めたサイトを見た時のことを思い出す。バラニウムサイボーグ、ガストレアの軍事利用、日本を牛耳る5枚の羽根がシンボルマークの秘密結社、etc……。その何もかもが半信半疑どころか一信九疑な話だったが、どこかリアリティがあって引き込まれた記憶がある。魅力的な話ではあったが、信じるには値しないというのがそのサイトのコメント欄の総意だった。

 

「機械化兵士計画は実在する」

 

 菫の言葉が壮助の中で都市伝説を現実のものに変えた。

 

「ガストレア大戦の頃の話だ。バラニウムにはガストレアウィルスによって変質した細胞の万能分化能と細胞間結合を破壊する性質があることを解明した私は、それを政府・軍に公表した。当時の私はそこで安心しきっていた。『バラニウムによりガストレアは駆逐される。再び、人類が食物連鎖の頂点に立つ時代に戻る』と。しかし、現実はそうならなかった」

「ガストレアを殲滅するにはバラニウムが足りない」

「正解だ。バラニウムの埋蔵量には限りがある。このまま増加の一途を辿るガストレア相手に戦い続ければ、いずれバラニウムが枯渇する。ゆくゆくはバラニウムを巡って人間同士の争いが起きるだろう。2年前の戦争のようにな」

 

 バラニウムを巡る人間同士の争い、日本人にとって記憶に新しいのは2年前の対馬戦争だ。九州と朝鮮半島の間に位置する島、対馬に大規模なバラニウム鉱脈が発見されたことから始まった博多エリアと釜山エリアの戦争である。対馬はガストレア大戦以降放棄されていたが、鉱脈が発見されてから両エリアが領有権を主張。エリア間での大規模な戦争となり、各分野が警鐘を鳴らしていた戦争が現実のものとなった。

 

「そこで私……いや、もう“我々”だったな。我々はバラニウムを用いた次世代兵器の開発を命じられた。医者に兵器開発を頼んでどうすると思っていたが、我々ほどバラニウムに精通した人間はいなかったからな。そこで我々はバラニウムが持つ性質――分子レベルで生体細胞に癒着し、生体電気信号を伝導する性質――に着目し、その機能を利用した兵器の開発を行った。――それが、『機械化兵士計画』だ」

 

 壮助は固唾を飲んで菫の話に聞き入った。全身に緊張が走り、身震いする。それが心地よく感じる。

 

「話を続けよう。機械化兵士計画はその名の通り、身体の一部を機械化し、超人的な攻撃力や防御力を持つ兵士を造り出す極秘計画だ。計画は3つのプロジェクトに分割され、そのうちの一つ『新人類創造計画』が“賢者の盾”を生み出した。臓器として埋め込むことで生体電気をキャッチし、斥力フィールド発生装置として機能する。そして、賢者の盾を臓器として保有していたのが蛭子影胤という男だった」

「だから蛭子影胤の臓器……か。里見蓮太郎は、そんなものを奪ってどうするんだ?」

「私は天才であって、超能力者じゃない。聞きたいなら、本人に聞け」

 

 菫はコーヒーメーカーから熱々のコーヒーを2つのマグカップに注いた。一つは自分の手元に、もう一つは壮助の前に置く。

 

「ただ、まぁ……はっきり言えるのは、あの2人の因縁は口で簡単に説明出来るものじゃないということだけだ。それを飲んだら今日は帰れ。久し振りに他人と会話したら疲れた」

 

 菫に言われるがまま壮助はコーヒーを口にする。佐藤もミルクも入っていないブラックは舌に突き刺さるほど苦かったが、菫の長話で混乱する頭をスッキリさせるには良い刺激だった。

「ねぇ。私の分は?」とずっと立ちっぱなしだった麗香がコーヒーを催促するが、菫が「1杯1000円」と言うと「じゃあ、やめとく」とあきらめた。

 

「子供の舌にそのコーヒーは苦すぎるな。ちょっとした菓子でも出そう」

 

 そう言って、奥の暗闇から菫は一枚の膿盆を持ち出した。中には緑色の半ゲル状になったドーナツのようなものが入っており、入れ物と菓子そのものの見た目からマッドサイエンティックな味と正体が容易に想像できる。これは碌なものではないと壮助は直感した。

 

「これ……何ですか?」

 

 壮助は恐る恐る菓子に指をさして尋ねる。しかし、菫も背後に立つ麗香もニタニタと笑みを浮かべるだけだった。小学生の頃にクラスメイトが罠に引っかかるのを今か今かと待ち侘びる幼き日の壮助たちのように。

 

「食べないのか?」

「いや、だからこれって何ですか?」

「そうか。私が出した菓子が食えないというのか」

「だ!か!ら!これって何なんですか!?」

 

 

 

「もう二度と里見蓮太郎については話さない」「いただきます!」

 

 

 

 壮助は煩悩を掴むとスプーンを使ってゲルと一緒にドーナツのようなものも一緒に口へと流し込む。

 コーヒーの苦みを吹き飛ばす酸味、口を汚染し、鼻を貫く柑橘系の異臭。菓子どころか、それが食べ物として生み出された物体なのかどうかすら怪しかった。ただ率直に、本能的に「不味い。これは人間の食べ物じゃない」と感じ取った。

 

「おお。良い食べっぷりじゃん」

 

 麗香は壮助の勢いを賞賛し、静かに拍手を送る。

 

「まっず!何なんですか!?これって人間の食べ物っすか!?」

「そこに死体があるだろう?あれの胃から出てきた“ドーナツだったもの”だ」

 

 絶句。何も言葉が出なかった。いや、言葉を出そうとすると他に色々なものが口から溢れそうだった。

 壮助は真っ青な顔になり、菫にトイレの場所を尋ねた。

 

「トイレ、どこ?」

「部屋を出て廊下をまっすぐ進んで突き当りを左に曲がって20メートルほど進んだ所にある」

 

 壮助は一目散に駆けた。吐き出しそうな口を必死に抑え、吐くな吐くなと呪文のように唱えながら、大学の廊下を疾走した。鼻から少し未消化物が出そうなところ、鼻をつまんで無理やり抑える。口を封じ、鼻も封じ、酸素供給がままならない状態でトイレまで走り続けた。

 部屋から全力疾走する壮助の姿を見送りながら、菫はボソッと呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちなみにそっちにあるのは女子トイレだ」

「お前って、気に入った相手にはとことん鬼畜だな」

 

 

 

 


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