穏やかな日光が降り注ぐ大通り沿いのカフェテラス。軒先に並べられたマボガニーの丸いテーブルに蛭子小比奈は肘をついていた。テーブルには3人分の椅子が用意されており、一つには小比奈が腰掛け、もう一つにはキャリーバッグが置かれていた。
小比奈はテーブルの上にいるオオカマキリに指をつついて遊んでいる。しかし、その姿は午後のカフェで優雅に寛ぐ淑女のようには見えない。肩や太ももに大きなスリットが入ったパンクなゴシックドレスを身に纏い、傍らには二振りの太刀が置かれている。彼女の浮かべる不気味な笑みのせいで誰もが彼女と距離を取る。
「お客様。コーヒーをお持ちしました」
店員が盆に2つのホットコーヒーを乗せ、小比奈のもとへとやって来た。小比奈に脅えて声を上ずらせないのはプロ意識がなせる技か。普段通りの接客で対応し、コーヒーの一つを小比奈の前に、もう一つを空いている席の前に置いた。
「それでは。ごゆっくり」
店員はそそくさと立ち去った。やはり、小比奈から溢れる異常性には耐えられないようだ。
「はい。パパの分」
小比奈は空席の前に置かれたコーヒーをキャリーバッグが置かれた席の前に置いた。
「おや残念。それは私の分のコーヒーではなかったのですね」
(!?)
キャリーバッグに気を取られていた一瞬だった。小比奈の向かいの空席に一人の男が座っていた。小比奈は驚愕のあまり目を見開き、うっかり太刀を握ってしまいそうだった。
ここに人が来る予定はあった。そのために3人掛けのテーブル席を取った。しかし、呪われた子供である自分が彼の着席に気付かなかったことは衝撃だった。冷や汗が滴る。
向かいに座るのは30代前半の成人男性だ。180近い引き締まった体格をクリーム色のイタリア製高級スーツで包んでいる。海をイメージしたライトブルーのネクタイはスーツの色と相まって南ヨーロッパのビーチを彷彿とさせる。男はキザで精悍な顔つきを中折れ帽で半分ほど隠していた。その全体像は昔の映画俳優のようであり、それで通じる威厳が彼にはあった。
「ウサギは?」と小比奈が問いかけると、「黒い弾丸に殺された」と男は答えた。
「ふぅん。じゃあ、貴方が派遣されたエージェントってわけね」
「ああ。
芹沢は周囲を見渡し、ここにいるのが自分と小比奈だけであることを確認する。
「ところで、君の相棒を見かけないようだが、遅刻かね?」
「コンビニでロリコン向け漫画雑誌に夢中になってるよ。冗談だけど」
「じゃあ、そろそろそのロリコンをお迎えに行こうか」
小比奈は自分の分だけコーヒーを飲み終えると店員を呼びつけて会計を済ませようとするが、「私が払おう」と小比奈に有無を言わせないまま芹沢がカードを取り出し、スマートにコーヒー代を払い終えた。
小比奈は背後に芹沢を従えて、彼を
芹沢は埃を吸い込まないようにハンカチを口に押さえて、小比奈の後に続く。
「随分と寂れたアジトじゃないか。我々に要請すれば、ホテルの一つや二つ――」
小比奈が笑った。芹沢を嘲笑い、振り向いて赤く光る目を彼に向けた。
「アジト?違うよ。此処は貴方の死に場所」
「それはまた、面白くもない冗談だな」
――瞬間、小比奈の太刀が芹沢の右腕を切り裂いた。クリーム色の袖が鮮血で染まり、小比奈の目には鮮やかな血肉の赤と白い骨の断面図が見える。
突然の斬撃に芹沢は何も出来ないまま、小比奈に足蹴りされて壁に叩きつけられる。咄嗟に残った左腕で腰からデザートイーグルを抜いたが、引き金に指をかける前にその左腕も斬り落とされる。切断された両腕に悶絶する間もなく、鋏のように交差する2本の黒い刃が彼の首筋に押し当てられた。
小比奈の背後に最初に切り落とされた芹沢の右腕が落ちる。その手には左腕と同様にデザートイーグルが握られ、引き金に指がかかっていた。
「ど……どうして、私が“偽物”だと分かった」
「簡単だよ。だって、貴方が使った合言葉は、わざと流出させた偽物なんだから」
偽物は必死に足掻いた。小比奈を足蹴りしようとするが太刀の刃渡りとの差で届かず、何とか刃から逃れようと首や顎を使うが、益々傷口は深くなっていく。そこに余裕の表情を見せる映画俳優然とした男の姿はない。滝のように汗が流れ、餓えた犬のように呼吸が荒くなる。危機的状況から抜け出そうと思案する余裕すらなくなり、ただ運命に命乞いをするかのように必死に体を動かす。
「正解はね。『ウサギは天誅ガールズがお好き』だよ。天誅♪天誅♪」
小比奈は、ゆっくりと腕に力を入れ、刃を閉じた。血が溢れ、肉が裂かれ、骨が断たれた。ゴトリと音を立てて偽物の首が落ちた。頸動脈・頸静脈から溢れる流血の滝を眺めて、小比奈はニヤリと笑みを浮かべた。
小比奈は太刀を振って付着した血肉をまき散らし、背中のホルダーにそれを収める。
「偽物とはいえ、自分と同じ姿の人間が殺される光景を見るのは嫌になるな」
廃ビルの中から一人の男が姿を現した。クリーム色のスーツに映画俳優のような立ち姿。それは、先ほど殺された芹沢遊馬と同じ姿の男だった。服も、顔も、背格好も、立ち振る舞いも全てが鏡のように一致していた。
「本物が来る前に正解を口にするのは、迂闊じゃないか?蛭子小比奈」
小比奈はもう一人の芹沢に太刀の切先を向けた。べっとりと付着した偽物の血肉や臓物が滴り落ちる。
「ウサギは?」
「天誅ガールズの“レッド”がお好き」
「正解。随分と遅かったね」
「誰かさんが予定外のものまで持ち出してしまったからな。余計に騒ぎが大きくなって、こっちも慎重に動かなければならなくなった」
芹沢は小比奈が持つキャリーバッグを一瞥した。どうやらそれが予定外のものらしい。
小比奈は表情で不満を示したが、それ以上のアクションは起こさなかった。しかし、沸き上がる芹沢への殺意を抑えるため、キャリーバッグを強く握りしめて堪えた。
「そろそろ移動しよう。相棒のところまでエスコート頼むよ。お嬢さん」
「相棒じゃないよ」
「じゃあ、何かな」
「パパの仇」
芹沢は驚きのあまり目を丸くした。里見蓮太郎と蛭子小比奈の関係――因縁――については事前に調べて知っていたが、4年近く父親の仇と共に行動する彼女の精神に驚かされた。その感情の動態を隠すために帽子を目深に被った。
「君はその仇と一緒に行動しているわけだ。どうして殺さない?殺すチャンスなんていくらでもあっただろう?」
「今殺してしまったら、あいつは救われてしまうから。だから、今は何が何でも生かすの。あいつには延珠も、木更もいないこの
――愛する人のいない
芹沢は影胤を失った小比奈の境遇を蓮太郎と重ねる。2人は愛する人を失った地獄を経験し、愛する人のいない地獄を生きている。その魂に拠り所は既に黄泉の国の彼方にある。救いを求める声は届かず、差し伸べられる救いの手も届かない。だが、小比奈と蓮太郎は生きている。小比奈は父親を殺した蓮太郎に復讐するため。その執念だけが小比奈の魂をこの地獄に繋ぎ止めている。それなら里見蓮太郎は――
「早くしないと、置いて行っちゃうよ」
思案する芹沢の顔を小比奈が覗き込んでいた。瞳孔の開いた赤い瞳に芹沢の顔が映る。呪われた子供たちの力の象徴にして、小比奈の異常性の塊が目の前に迫っていた。
「ああ。すまない。今行くさ」
芹沢はぎょっとした顔を帽子で隠し、クールに気取り直すと小比奈の背を追って歩き始めた。
*
「気分はどうだ?」
麗香は軽トラックのハンドルを切りながら、助手席の壮助を気に掛ける。壮助は綿の抜けたぬいぐるみのようにぐったりとしており、時折嗚咽しながら口をハンカチで押さえる。車内を麗香が咥えるタバコの香りが満たしており、メンソールの香りが鼻孔を刺激する。
「最悪だ。二度と口にしたくねぇ」
「残念だが、それは出来ないだろうな。あれは菫の部屋を訪れる度に受ける洗礼だ。それにしても良かったじゃないか。
『いつでも来ると良い。丁度、買い物係が欲しかったところだ』
――ってさ。光栄なことだと思え。菫の部屋に入ることを許された奴なんて世界で数人しかいないんだぞ」
菫の部屋に何度でも入ることが出来る。しかし、それはあの死体ドーナツの洗礼を何度でも受ける可能性が残っているということでもある。あれを何度も口にしなければならないのか――と壮助は辟易する。そして、洗礼の味を思い出してしまい、再び嗚咽してハンカチで口を押さえる。
「吐くなら窓の外に頼むよ」
「だったら、ドアの『三途武器商店』って文字にぶっかけてやる」
「つまらないジョークを言うぐらいには元気じゃないか」
「つまらないジョークでも言わないとやってられないんだよ」
壮助は口に押さえつけていたハンカチを折りたたんでポケットの中に入れた。どうやら嗚咽は収まったようで、安心してため息を吐いて、背もたれに身を任せる。
「それにしても、あの人って誰に対してもああなのか?」
「日本最高の頭脳だからな。その上、根暗で捻くれ者で怖いもの知らず。お陰で傍若無人な天才科学者様の誕生だ。あれに恋人がいたんだから驚きだよ」
「マジでか」
「ああ。マジだ」
しかし、壮助はあることに気付き、驚嘆する感情と表情を抑えた。そして、麗香に疑いの目を向けた。
「その恋人って、死体とかゾンビとかフランケンシュタインの怪物とかじゃないよな?」
「失敬な。ちゃんと生きている人間だよ――――いや、だったよ」
「“だった”?」
「ガストレア大戦で死んだ。それからだな。菫が狂っていったのは……」
麗香は少し閉口した。辛い過去を思い出し、悲しそうな目で車の進行方向を見つめていた。
押し黙る彼女によって車内の空気が重苦しくなった。麗香から菫のことを聞き出せるような状況ではなく、会話が弾みそうになかった。
壮助はその重苦しい空気から逃げたい思いで周囲を見渡す。何かテキトーな理由でもつけて降ろしてもらおうと考えていた。
延々と続くビル群の中で、壮助は降ろしてもらう恰好の理由を見つけた。ゲームセンターだ。最近できたのか建物は新しく、新店という話題性により出入口は帰宅途中の学生で賑わっている。
「この辺で降ろしてくれ」
壮助の言葉を聞いた麗香ははっと我に返り、車を路肩に停める。
「ここでいいのか?お前の家から随分と遠いが」
「あ、ああ。ちょうどこの辺に新しいゲーセンが出来たからな。気分転換に一発遊んで帰ろうって思っていたところだ」
それは重苦しい空気から逃れるための苦し紛れな口実だった。壮助は麗香から目を逸らし、なんとか嘘を悟られないようにする。
「お前って、ゲーム好きだったのか?」
「ゲームが好きというか、ゲーセンが好きだな。中学生の頃は学校も養護施設も大嫌いだった俺のマイホームだったし」
その言葉は苦し紛れの嘘ではなく、本当のことだった。喧嘩ばかりに明け暮れて、学校での居場所も養護施設での居場所も自らの意志と暴力で破壊してきた彼にとって、同じ荒くれ者の巣窟でありながら娯楽が充実していた場末のゲームセンターは学校や施設よりも滞在時間が長い“家”だった。彼のゲームセンターへの思い入れとそこから出てくる言葉により、麗香が壮助の言葉を疑うことはなかった。
麗香は壮助に憐みの視線を向ける。親が子を心配するようで、同時に不良生徒の更生を放棄する寸前の教師の諦観のような視線だ。
「おばちゃん。アンタの学力が心配になったよ。円の面積を求める公式わかる?」
「わ、分かるに決まってる……だろ?」
「じゃあ、言ってみなさいよ」
「…………………………………………………………」
「………………」
「…………………………………………………………」
「………………」
「…………………………………………………………」
「………………」
「…………………………………………………………」
「……今度、詩乃ちゃんに教えてもらいなさい」
「わ、忘れてただけだからな!」
壮助は子供のように恥ずかしがって赤面した後、勢い余ってトラックのドアを強く閉めた。麗香に顔を見せないよう背を向けたまま大股でズカズカとゲームセンターの中へと姿を消して行く――と思ったら、Uターンして麗香の元へと戻って来た。
「忘れ物」
そう言って、壮助はトラックの荷台に乗り込むと商売道具を詰め込んだ楽器ケースのベルトを肩に掛けた。用を済ませると再び荷台から降りた。
「あと、それと……、ありがとな。色々と」
「お安い御用さ。また遊びに来てくれ」
そう礼を告げると、壮助はゲームセンターの中へと姿を消して行った。その背中を麗香は憂うような目で眺めていた。
(まったく……何を考えているんだ。私は)
憂鬱な気分を払拭するかのように彼女は再びハンドルを握り、アクセルペダルを踏み込んだ。どうしても壮助がトイレに駆け込んだ後、菫と交わした言葉が頭から離れなかった。そのことが気になり、その気になるものを頭の中心から片隅に追いやろうと車の運転に集中しようとした。
それでも離れなかった。
『義搭壮助って名前を聞いた時から、私は全てを話すつもりでいたよ。彼には“適性”があったからね。私の狂気の産物になる適性が――』
『勿論、良識ある人間としては、彼がその適性を発揮しないことを祈るばかりだ』
*
『私は空っぽの器だ。器の中を満たしても満たしても奪われていく。どうせ奪われてしまうなら、最初から満たさなければいい』
『だから、私は
かつて兄貴分として慕った男は、残酷な世界の中で心を捨てた。
『体は腐っても再生が利くが、心が腐ったら駄目だ。もう治らん』
『木更が手遅れになったら――君が始末をつけるんだ』
かつて命を救ってくれた恩人は、残酷な選択を突き付けた。
『本当は……こうなることを望んでいたのかもしれない。私は復讐を果たした。里見くんは正義を成し遂げた』
『良かったわね…………里見くん。貴方の正義の拳は……
かつて、共に歩んだ初恋の人は、悪として、最愛の人として、腕の中で息絶えた。
『どうしてだ!どうしてお前が姐さんに手を掛けた!』
『お前なら救える!お前にしか救えない!だから俺は諦めることが出来た!それなのに、他の誰でもない、お前がぁ!!』
かつて、同じ女に恋い焦がれた仲間は、彼女を救わなかったことに憤怒した。
『来ないで……ください。近づかないで下さい。私は……お兄さんが、怖いです』
かつて救った少女は、恐怖のあまり彼を拒絶した。
『お願い。里見ちゃん。ウチの前からいなくなっても、絶対にその“心”だけは捨てんといて』
かつて、彼を信じて力と立場を与えた少女は、最後まで彼の“心”を信じた。
『里見さん。その矛盾に悩んでください。苦しんでください。ただ一つの明確な思想を妄信した先にあるものは、
かつて彼に地位と力を与えた少女は、彼の歩もうとする道に警鐘を鳴らした。
『やはり君は最高だ!私が見込んだ通りの男だった!君はこの世界を愛している!愛するほどにこの世界を理解し、理解すればするほどこの世界を憎悪する!嗚呼!ハレルゥゥゥゥゥヤ!私の人生は君と出会ったことで、こんなにも素晴らしいものになった!』
かつて、宿敵として対峙した仮面の男は、死に際に狂喜した。
『お願いだ……蓮太郎……妾を殺して……』
そして、蓮太郎は引き金を引いた。
正義の怪物になった。
「はぁ……っ!!」
それは最悪の目覚めだった。全身が汗でびっしょりと濡れている。悪夢のせいで動悸が止まらない。息苦しい。見えない誰かに首を絞められているような感覚だ。苦しめるぐらいなら、いっそのこと息の根を止めてくれ。そうなれば楽になれるのに。そう誰かに懇願するが、それを実現する力は無く、それを許さない要素は数多く存在する。
脳が毛様体を上手く制御してくれないようで目の焦点が合わない、ぼんやりとしか周囲が見えない。しかし、自分の居場所を把握することは出来る。
昨晩、自分が睡眠を取ろうと決めた廃ビル。閉店して幾数年のスナックにあったソファーに身を預けていた。鼻につく埃とカビの臭い、それに交じって古い酒の臭いもする。
“悪夢”のせいで全く休息が取れなかった。それどころか疲れが更に酷くなったような気がする。汗を出し過ぎたせいか、喉も乾いてきた。
「水……水……」
独り言を呟いて、手を伸ばす。昨日の記憶が正しければ、自販機で買っておいたペットボトルの水がテーブルの上にあるはずだ。
「はい。お水」
コトンとテーブルの上に水が置かれた。ガラスのコップに入った水。ぼんやりとしか見えなくてもそれは手の感触と感じる重さで認識することが出来た。求めているものとは違う気がしたが、それを考える理由は無かった。
蓮太郎は、それを口に入れた。そして、それを下で感じるや否やすぐに噴き出した。
「これ酒じゃねえか!!」
その衝撃で無理やり目が覚めた。脳がショックを受けたのか、目の焦点が瞬時に合わせられ、視界が明瞭になった。
そこには「ヒヒッ」と父親に似た笑みを浮かべる小比奈と帽子を脱いで逆立てた短髪を見せる芹沢の姿があった。
「目が覚めた?」
「ああ。最悪の目覚めだ」
蓮太郎はソファーから上体を起こすと、はだけたシャツのボタンを閉めて身なりを整える。
「どうして酒なんて持って来たんだ?」
蓮太郎は芹沢を睨みつける。
「君がもう少しマシなホテルを取ってくれれば、奪取作戦成功を祝ってこいつで一杯やるつもりだったんだがな。お気に召さなかったようだ」
「酒は嫌いだ。何度も言ってるだろ」
「君の場合はお酒そのものじゃなくて、酔った時に見る幻覚が嫌いなんだろう?」
芹沢は解答を求めるように蓮太郎に視線を向ける。彼が期待している答えはYESだ。そして、蓮太郎はそれ以外の回答を持っていなかった。彼の言っていることの全てが正解だったからだ。
「ったく、いつも人を見透かしたようなこと言いやがって」
蓮太郎は手で頭をかくと、右手につけていた腕時計に気付いて時間を確認した。時計は5時を示していた。銀色のアナログ時計で24時間表記ではなかったが、ブラインドの隙間から差し込む橙色の光と方角から、それが夕方の5時を示すものだと分かる。
「あれから、どうなった?」
「どうなったも何も全て君が言った通りに動いたさ。聖天子は報酬を倍に増やしたが、ほとんどの民警が防衛省の仕事を放棄している。無理もない。今の君は蛭子影胤以上の脅威だからな。まぁ、それ以外にも報酬の割り当てを巡って民警同士の潰し合いもあったみたいだが」
「潰し合い?誰が?」
「片桐玉樹だよ。彼があの仕事に参加した企業の民警を病院送りにしている」
蓮太郎は芹沢の報告が俄かに信じられなかった。玉樹は見た目通り粗暴な男だが、報酬の割り当て目当てで他の民警を潰すような男には思えなかったからだ。もし仮に玉樹がそれをやるような男だとしても(玉樹よりも人格者である)妹の弓月がそれを止めないとは思えない。
「それともう一つ、聖天子が別途で複数の民警と企業にコンタクトを取った」
「どこだ?」
「我堂民間警備会社、司馬重工第三技術開発局、勾田大学付属医療センター、それとマレーシアのクアラルンプールエリア。そこの仲介人を通して、ティナ・スプラウトに接触を謀った」
それは蓮太郎の読み通りだった。その全てが蓮太郎と縁のある人物が所属する組織だった。我堂民間警備会社には壬生朝霞がいる。司馬重工第三技術開発局は司馬未織が局長を務めている。勾田大学付属医療センターは室戸菫が名義上所属ということになっている。そして、今のプロモーターと組んでから世界中を飛び回っているティナがクアラルンプールエリアにいたことも驚きではなかった。
「壬生朝霞とティナ・スプラウトの足止めは既に済ませてある。2~3日ほどは稼げるはずだ」
むしろ、驚いたのは事件からたった一日でここまで、ほぼリアルタイムで聖居の動きをキャッチした芹沢達の諜報力だった。
「凄い諜報力だな」
「昔、中国とロシアのスパイには手酷くやられたからな。彼らのやり方を学習したまでだ。それに君がこの動きを予測していたから、そこに網を張ることが出来た」
「そうか……」
蓮太郎は芹沢の報告を聞きながら、タブレットでニュースサイトを見る。東京エリアに関するニュース、特に政治や外交、蓮太郎たちが起こした事件に関するニュースに目を通すが、特にこれといった変化はない。防衛省のことは“無かったこと”として扱われているようだ。報道規制が敷かれているのだろう。
「“ブラックスワン”はどうなってる?」
「問題ない。既に仕掛けてあるさ。後は私の指示一つで全てが動く」
「それ、ちゃんと制御できるんだろうな?」
「それに関しては入念なテストを行った。制御から外れた場合の安全装置も問題ない」
「分かった。始めてくれ」
芹沢はポケットから携帯電話を取り出した。一般に出回るスマートフォンだが、特殊な小型機器が接続されており、その武骨な感じが“スマートさ”を打ち消している。おそらく盗聴や逆探知を妨害する機器なのだろう。
「各員に告げる。『サーカスを開始せよ』繰り返す。『サーカスを開始せよ』」
ブラブレとは関係ない話ですが、デジモンの映画を見てきました。
より生物的にデザインされたデジモン達の姿に惚れ惚れです。