ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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長らくお待たせしました。
蓮太郎を目指した少年の愛と理想の葛藤。
原作に登場したあのキャラの過去も判明する後編です!


番外編:小星常弘という男 後編

 東京エリア郊外の住宅地、近代建築の住宅が立ち並ぶ中で、その家屋だけは一際異彩を放っていた。そこだけ室町時代から時間が止まっているのではないかと錯覚してしまうほど、それは伝統的で純和風のお屋敷だった。

 表札には「我堂民間警備会社 修練所」と文字が彫られていた。

 我堂民間警備会社とは、東京エリアでは最大手の民間警備会社だ。所属する民警のペア数と各個人の実力、サポート体制、ガストレア出現情報ネットワークetc……どれをとっても他の民警会社に後れを取らず、第三次関東会戦では当時の社長だった我堂長正が民警部隊の指揮官を務め、一度はステージⅣガストレア・アルデバランの首を切り落としたという有名過ぎる実績もある。そのことから、自衛隊に並ぶ東京エリアの守護神と呼ばれている。

 この修練所は我堂家が住む屋敷であると同時に民警達が修練を積む道場としての機能も果たしている。我堂民間警備会社に所属する民警は全員が我堂流の門下生になることが決められており、主に半人前とされる者たちが師範や師範代に認められるように修練をつけている。

 

「はああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 一人の青年の咆哮がけたたましく響き渡る。その直後にバチンと木刀と木刀が打ち合う音が何度も繰り返される。道場にいるのは2人だけ。互いに刀を向け、片や師範代として弟子を導き、片や弟子として己の全力をぶつけていく。

 小星常弘は我堂民間警備会社のプロモーター、そして我堂流の門下生だった。民警としては既に実績を上げていた彼だが、我堂流の弟子としては半人前として扱われている。

 彼の相手、師範は流麗で美しい少女だった。白い剣道着を身に纏い、腰までかかる濡烏の黒髪を簪でまとめ上げていた。双刀と呼ばれる柄の両端に刀が付いた武器を模した木刀を自在に振るう姿は清流のような美しさと激しさを持ち合わせていた。

 彼女の名は、壬生朝霞(みぶ あさか)。16歳。かつて第三次関東会戦で我堂長正のイニシエーターとして参加し、現在は現社長の我堂善宗(がどう よしむね)のイニシエーター、そして我堂流の師範として身を置いている。

 常弘は半歩踏み出して再び木刀を振るう。踏み込み・間合いは完璧だった。フェイントも入れて斬撃を予測できないようにした。しかし、朝霞には軽々と見破られ、防がれ、彼女の足払いによって常弘の背中は床に着いた。

 常弘が目を開けた瞬間、眼前には朝霞の木刀が迫っていた。必死に酸素を取り込み、二酸化炭素を吐く常弘の吐息が朝霞の木刀にかかる。

 朝霞が木刀を引っ込め、常弘に背を向けた。

 

「まだ、あなたの刀には迷いがあります。特に今日は迷ってばかりです。さっきのフェイントも最初から騙す目的のフェイントではありません。刀を甲に振るったが、それが正しいのか迷って乙に変えた。迷いと行き当たりばったりの決断が見えた太刀筋です。常に迷ってばかりという点では、貴方らしい太刀筋ですが……」

 

 常弘は呼吸を整えながら、木刀を支えにしてゆっくり立ち上がる。大汗を道場の床に垂らし、来ている服も汗を吸収して、ベットリと肌に貼りつく。俯いていた顔を上げると、そこには朝霞の顔があった。ただ真っ直ぐと常弘を見つめる黒い瞳。それは冷たさを感じさせるが、同時に慈愛のような温かさを持っていた。

 

「朝霞さんは……どうして民警になったんですか?」

 

 朝霞は「どうして、そんな質問を?」と聞こうとしたが、止めた。常弘の迷いに関連があるなら、拒絶するわけにはいかなかったからだ。自分の答えが、彼の迷いを断ち切る一因になればと思った。

 

「長正様が、その道を歩んだからです」

 

 朝霞の短い答えに常弘は拍子抜けした。

 

「それだけ……ですか?」

 

「貴方にとっては“それだけ”かもしれませんが、私達にとっては“それだけで十分”なんです」

 

 朝霞の表情に暗い影が落ちる。常弘は息を呑んだ。

 

「私は元々、捨てられた子でした。親がこの赤い目を恐れて、怪物の子供と罵って、私を捨てたんです。あの時の母の顔は今でも覚えています。脅え、戦慄、拒絶。私のことを娘として見ようと5年は努力した。けど、ガストレアへの恐怖には勝てなかった。そんな顔でした。しかし、当時の私がそんな事情を知るわけもありませんでしたし、母に捨てられたという結果は何一つ変わっていません。私は母に捨てられ、世界に拒絶されました。

 それからは他人を拒み、社会を拒み、私を生み出した世界を恨みながら生きてきました。しかし、いくら赤目とはいえ普通の少女として生きて来た私には、ストリートチルドレン生活は耐えられないものでした。結果、衣食住とGV抑制剤欲しさにIISOに自分を売り、イニシエーターとして登録したのです。そして、IISOの職員にプロモーターを紹介されたのです。それが長正様でした。

 

『どうした?人間が憎いのだろう?社会を恨んでいるだろう?世界を呪っているんだろう。ならば、その怒り、この我堂長正が全て引き受けよう』

 

 大手を広げて構える長正様に、私は躊躇なく己の怒りを全力でぶつけました。いくら強化外骨格を装着していたとはいえ、赤目の力を真正面から受けて無事ではありません。しかし、長正様は避けることも防ぐこともなく私の攻撃を受け続け、何度も何度も立ち上がりました。

 どうしてこの人は立ち上がるんだろう。どうして諦めて倒れないんだろう。何度も何度も何度も何度も殴り続けて、私の拳は血に塗れていました。骨は砕け、肉は抉れ、私の血か長正様の血か分からないもので染まっていました。それでも長正様は立ち続けていました。満身創痍で、意識を保つのもやっとの状態。しかし、それでも私の前に敵として立ち続ける執念に私は脅えていました。突然、長正様が怖くなったのです。一歩ずつゆっくりと歩みを進める長正様を前に私は情けなく腰を抜かし、目に涙を浮かべ、声にもならない悲鳴を挙げていました。

 そして、私の心は決壊しました。赤子のように大粒の涙を流して泣き喚いたのです。長正様はそんな私に歩み寄り、そっと抱きしめました。

 

『よくぞここまで耐えた。私はお前の味方だ』

 

 私にとって、あの人は光でした。1歩でも近づきたい。1秒でも長く傍にいたい。そのためにイニシエーターとして戦うことを選んだんです」

 

 そして、彼女は第三次関東会戦で光を失った。

 朝霞はキッと常弘を見つめた。それは強い視線。全てを失い、光に救われ、再び全てを失いながらも今日日まで戦い続けて来た強者の目だった。

 

「自覚してください。私にとっての長正様がそうであるように、那沢さんにとっての貴方は、貴方が思っている以上に大きい存在だということを。貴方が迷ったままだと、那沢さんも道を失います」

 

 その言葉は常弘に重くのしかかった。彼女の言っていることは理解できた。しかし、理解しているが故に、その選択に、その決断に圧し掛かる責任は大きかった。その責任に潰されかかっている自分がいた。

 

「それともう一つ忠告です。小星さん。貴方の悩みは杞憂ですよ」

「どうして……そう言い切れるんですか」

 

「彼女の刀には、一切の“迷い”がありませんから」

 

 

 

 修練が終わって道着からいつものスーツに着替えた後、常弘は一礼して我堂邸を後にした。大木の木材を組んで作られた門に向かおうとしたが、縁側に見慣れた少女が座っていることに気づいた。

 

「今日は学校じゃなかったっけ?朱理」

 

 今にも下着が透けそうな白い半袖シャツにグレーのミニスカート――呪われた子供たちを受け入れるために設立された小中高一貫校、公立常華(とこはな)学園の制服だ。

 

「業務部から電話があって、大至急これを常弘に渡して、仕事を始めて欲しいってさ。公務ってことで学校は休ませてもらった」

 

 朱理はA4サイズの茶封筒を常弘に渡す。常弘は縁側の朱理の隣に座り、封筒の中身を取り出した。

 中身は我堂民間警備会社・本社の業務部の事後処理報告書。1週間前のマンションのガストレア事件に関するものだった。

 例のガストレアの死骸は即日に回収され、自衛隊によってマンションと近隣の除染が速やかに行われた。幸い、ガストレアウィルス(以下、GV)は飛び散った肉片由来の低濃度なものしか検出されず、マンションの水道管からGVは検出されず、一応の除染措置が行われた後、本日から通常通り使用されることとなった。

 ガストレアの死骸は歯朶尾大学病院に運ばれ解剖。ガストレアの胃袋からマンション住民である角谷隆康、平川真由美、伏見竜司の肉片が見つかり、3名の犠牲者が確定となった。尚、ガストレアの犠牲になっていたと思われていた神崎少年だが、ガストレア事件の翌日に身元不明の少女を連れてマンションに戻ってきており、少女の身元確認と幼女誘拐未遂事件を兼ねて知り合いや警察から取り調べを受けている。

 

(本当にどこかでヒロイン拾ってきたのか!神崎少年!)

 

 業務部からの報告書を読み終えてページをめくった。次の紙には「秘匿事項」と大きく判子が押されており、「防衛省」の文字が大きく印字されていた。防衛省からの正式な依頼書だった。

 先日、東京エリア第21区で討伐されたガストレアを解剖したところ、ガストレアウィルス嚢(以下、GV嚢)からGVがほとんど検出されなかった。マンション周辺からもGVが検出されていないことから、ガストレアはマンションの貯水タンクに到達する前にGVを散布している可能性が高い。ガストレア行動学的観点から、ガストレアが人体への直接注入以外でGVを排出することは考えられず、件のガストレアは少なくとも1名以上の人間にGVを注入しており、ガストレアの触手の先端にあった棘状のGV排出器官に付着した“犠牲者3名以外のDNAを持つ毛髪”がそれを裏付けている。

 防衛省は感染爆発(パンデミック)の危険性があるとして、件のガストレアを駆除した我堂民間警備会社および松崎民間警備会社に感染者の“捜索”と“処理”を依頼する。

 

「どうして秘匿事項なの?みんなで探せばすぐに見つかるのに」

「あの貯水タンク事件がニュースになったせいで、けっこうな騒ぎになっているからね。その上、『東京エリアに感染者が潜伏しています』なんて発表されたらどんな大騒ぎになるか分からない。僕たちが秘密裏に処理すれば、問題ないってことなんだろう」

「でも1週間前の事件だよ。今更すぎでしょ。仮に感染者がいたとしたら、とっくにガストレア化していて、どこかの民警に倒されてるんじゃない?」

「そうじゃないから、頼みの綱として僕達に依頼が来たんだろう。民警のガストレア討伐報告は警察や消防、近くの区役所で受け付けているけど、最終的には防衛省で一括管理される。その中に感染源ガストレアと同じ因子を持った感染者ガストレアがいなかったんだろう。あのサイズのガストレアだ。GV嚢だってけっこうなサイズになる。それが空っぽとなると数十人から百人規模の感染爆発が起きるはずだ」

「でも発生していない」

「そう。それが腑に落ちないし、防衛省が不安がって僕達のような民警にも依頼を出した理由だ。防衛省や警察とは異なるウチの情報網で感染者ガストレアを見つけて欲しいんだろう」

「で、当てはあるの?」

「1ヶ所だけ……ハズレであって欲しいんだけど、心当たりがある」

「じゃあ、現場に直行だね。あの金髪ヤンキーよりも先に見つけて、仕事を終わらせよう」

 

 朱理の言葉に常弘は「え?」と返した。

 自分の言葉に疑問を抱いた常弘の思考も理解できず、「え?」と返してしまう。

 

「途中で義搭くん達を拾ってから現場に行こうと思ってたんだけど……」

「あの金髪ヤンキーがそんなコソコソとした仕事ができると思う?見つけた直後に街中で銃をバンバン撃って、爆弾をドカドカ使いまくって、終いにはイニシエーターがタンクローリーを投げて大爆発を起こすわよ」

「そんな……。マイケル・ベイの映画じゃないんだから……」

 

 しかし、常弘は心の中で、本当にそうなってしまいそうという不安を払拭できなかった。

 

「それじゃあ、私とツネヒロ、二人っきりで仕事しようか」

「そっちが本音なんじゃないか?」

 

「正解♪」と朱理は満面の笑みで答えた。

 

 

 

 

 

 

 東京エリア外周区。モノリスという結界に守られた“内部”でありながら、魑魅魍魎が跋扈する危険地帯。未だに再開発の目途が立っておらず、外周区と内部を繋ぐ橋は崩落している。モノリスの内側とはいえ、人々が外周区を忌み嫌い、大戦時の廃墟やスラムが未だに残っている光景は、モノリスが絶対ではないことを語っていた。

 外周区への数少ない連絡通路を通り抜け、常弘と朱理は心当たりのある場所に向かった。

 外周区に残された巨大ショッピングモール。ガストレア大戦直前、東京オリンピックに向けて開発が進められていたが、地上3階、地下7階建てという無謀な計画を前に工事が難航、オリンピックに間に合うどころか、ガストレア大戦により永遠に完成することはなく、地下7階のために作られた巨大な地下ダンジョンだけが残されてしまった。

 そこには東京エリアのガストレア新法による保護政策でも拾いきれずにスラム生活を余儀なくされる呪われた子供たちや世捨て人、犯罪者くずれ、逃亡犯、脱走兵などが身を寄せ合って暮らしているという噂がある。

 そんな巨大地下ダンジョンを目の前にして、常弘と朱理は驚愕していた。常弘は目を見開いて開いた口がそのままになり、朱理は親の仇を見るかのように“彼ら”を見つめた。

 地下ダンジョンの入口には先客がいた。義搭壮助と森高詩乃だった。壮助はオプションをフル装着したアサルトライフルに大量のマガジン、手榴弾、スタングレネード、サブ装備でデザートイーグルを持っていた。詩乃もバラニウム製の重槍“一角”を背中のホルダーから外して抱えており、腰には2本のバラニウム製戦斧を保持していた。既に臨戦態勢だ。いかにも「今から戦場に行ってきます」と言わんばかりのフル装備で固めた2人を見て常弘は頭を抱えた。朱理の予想が的中してしまったからだ。

 

「どうしてテメェらがここにいるんだよ。俺たちを尾行してたのか?」

 

 壮助は相変わらず、狂犬のような目で睨んでいた。

 

「落ち着いて。壮助。私達に発信器は取り付けられていないし、尾行もなかった。それは私が保証する」

「あ、ああ」

 

 詩乃の言葉だけで壮助は納得いかないと思いつつも常弘たちへの敵愾心を拭った。

 

「君たちも防衛省から依頼を受けたんだね」

「はい。感染者ガストレアの捜索と処分です」

「あのガストレアがウィルスを人間に撒いたのに1週間経過しても感染者ガストレアは現れない。考えられるパターンは二つ。一つ目は『感染者ガストレアは発生しているが、未だに発見されていない』二つ目は『感染者は未だに形象崩壊していない』。ここは人が住んでいるけど、防衛省や警察、民警の目が届かないため一つ目のパターンが当てはまる。その上、ここには東京エリアの保護政策を拒んだ赤目の子や未だに保護の手が届かない赤目の子がたくさんいる。彼女達ならGVを注入されたとしてもすぐに形象崩壊したりはしない。侵食率によっては1週間の潜伏期間があってもおかしくはない。――――君も同じ考えでここに来たんだろう」

 

 詩乃は首を縦に振った。

 態度といい、頭の回転の速さといい、常弘は森高詩乃という少女が分からなくなってきた。それなりに高等教育は受けているのだろう。少し方向性が違うが礼儀作法も出来ている。実力も申し分ない。それなのにどうして義搭壮助とペアを組んでいるのか。自分と朱理のように何かしら特別な理由でもあるのだろうかと考えてしまう。

 

「君たちが良ければ良いんだけど、もう一度、共同戦線にしないか?ここは地下7階まで拡大する巨大ダンジョン。中は迷路のようになっているし、当時の地図も消失している。中には数十体のガストレアが潜伏しているかもしれない。報酬目当てに対立していたらガストレアに会う前に自滅してしまう」

「そうですね。私も同じことを提案しようと思っていたところです。人手は多い方がいいですから」

「構わねぇぜ。今日はちゃんと得物も揃えてるみたいだしな」

 

 前回のマンションの一件とは違い、常弘と朱理は対ガストレア戦闘を想定して装備を固めていた。常弘はいつものSIG SAUER P250に加えて、アサルトライフルのSIG SG550、これらの予備の弾倉を腰や胸元のホルダーに挿している。朱理もお揃いのSIG SAUER P250に加えて、胸元のホルダーに予備の弾倉、いつもは2本持っている小太刀を予備も含めて4本持ち込み、背中のホルダーに挿していた。

 

「ちゃんとって言うか、マンションの行方不明者調査程度でアサルトライフルとグレネードランチャーを持ってくるアンタがおかしいのよ。ビビリなの?銃が枕元に無いと眠れないの?」

「喧嘩売ってんのか?テメェ。俺がそのグレネードで殺ってなかったらガストレアの餌になってたくせによ」

「それはアンタじゃなくて、詩乃ちゃんがトラック投げてくれたお陰でしょ。って言うか、民警としてはこっちが先輩なんだから敬語ぐらい使いなさいよ」

「先輩?商売敵じゃねえか。同じ会社だったら考えてやらなくてもないけどな。バーカ!!」

「言ったわね!馬鹿って言った方が馬鹿なのよ!バーカ!バーカ!」

「赤毛虫!」

「鳥の巣頭!」

「色ボケ脳!」

「発砲中毒!」

「さっさと帰って相棒のイチモツでもしゃぶってな!!」

「さっさと帰って相棒のパイオツでもしゃぶってなさい!」

 

「はい!そこまでええええええええええええええええええ!!」と常弘が背後から朱理の両肩を固めて壮助から引き離す。壮助も詩乃に襟首を掴まれ引き離される。それでも二人の怒りが収まることはなく、互いに唾を飛ばし合い、足を上げて靴をぶつけ合った。

 なんとも汚い。同レベルの子供の喧嘩であった。

 

 

 

 

 

 

 鉄条網と南京錠を詩乃の腕力で壊し、4人は地下ダンジョンへと潜り込んだ。元は地下駐車場への入口だったのだろうか、車数台が通れる道を抜けると真っ暗で広々とした空間が4人を待っていた。電気は通っておらず、視界はろくに確保できない。風が抜ける音だけが聞こえてくる。

 詩乃がベルトに手を伸ばした。装着されている手の平サイズの機械に触れ、スイッチを入れる。

 

「どうだ?」

「敵影なし。この空間に人もガストレアもいないよ」

 

 その機械が何なのか、どうしてこの真っ暗な空間に人もガストレアもいないと分かるのか、常弘たちは疑問に思ったが、問うことはなかった。イニシエーターの能力は企業秘密として扱われることが多いため、聞くだけ無駄だと思ったからだ。

 壮助と常弘は懐中電灯をつけて前方を照らす。地下のショッピングモールに繋がるエントランスが見えた。ガラス製の自動ドアは完全に粉砕されており、ひしゃげた鉄枠だけが無残にも残されていた。

 

「朱理。前を頼めるか?」

「良いよ」

「詩乃。前衛を頼む」

「了解」

 

 イニシエーターは前衛。プロモーターは後衛という民警としては基本的な陣形で4人はエントランスを潜り抜けた。

 埃被っていたが、途中でフロアガイドらしきものを発見し、各フロアの構造と広さ。ガストレアと遭遇した場合、戦闘が不利になる地点と有利になる地点を確認し、頭に叩き込んだ。各フロアはそこそこの広さがあって全てを見て回るには骨が折れるが、上層階と下層階から挟み撃ちにされる危険性もあるため、時間をかけてでもそのフロアを見回り、下の階に進む方針を固めた。

 地下に入ってから30分が経過、地下1階は人もガストレアの姿も確認出来なかった。地下2階もマッピングしながら進むが人の姿もガストレアの姿も見当たらない。空になった缶詰や毛布、地上の電線を盗むことである程度は維持していたインフラ、浮浪者たちがここで生活していた痕跡はあったが、肝心の住人とガストレアがいなかった。

 

「義搭くんだっけ?」

「呼び捨てで良い。“くん”付けだと戦いの時、呼び辛いだろ。俺だって小星って呼ぶから」

「あ……そう。だったら、義搭。君はどうして民警になろうと思ったんだ?」

「どうして、そんなことを聞くんだ?」

「暇潰しだよ。この先、地下7階までずっと暗闇の中を歩かなきゃいけないと思ったら、気が遠くなりそうだったからね」

「良いぜ。俺も同じ気分だったからな。暇潰しに付き合ってやるよ。あ、ガムいる?」

「一つもらうよ。何味?」

「超刺激ミント。頭が冴える。まぁ、冴えたところで俺は馬鹿だから意味ないけどな」

 

 そう自嘲気味に話しながら、壮助はポケットから出したガムを常弘に渡す。確かに壮助の言う通り、それを一口噛んだ瞬間、常弘の鬱屈した気分が晴れてくる。

 

「さっきの質問の答えだけどな。俺は民警になったんじゃなくて、民警にしかなれなかったんだよ。どこの組織にも見放された荒くれ者が民警になるなんてよくある話だろ?」

「ただの荒くれ者を松崎さんや大角さんが受け入れるとは思えないんだけど」

「2人のこと知ってんのか?」

「松崎さんとは個人的にね。あと大角さんは東京エリアじゃそれなりに名前の通った民警だよ。民警の上位1%、1000番台に成り上がったルーキーだからね。蟲雨事件の時の戦いは鬼神そのものだったよ。次々と押し寄せてくるガストレアを千切っては投げ千切っては投げ次々とガストレアの屍の山を積み上げていったからね」

 

 蟲雨事件とは2年前に発生した東京エリア史上最大規模のガストレア大量侵入事件である。台風で巻き上げられた大量の虫型ガストレアが偶然、東京エリアの中心地に落下。瞬く間に人々を襲撃した。すぐに自衛隊と緊急依頼により集まった民警によって駆除されたが、死者64名、行方不明者200名以上の大惨事となった。

 

「そんなヤベェ人に喧嘩売っちまったんだな。俺……」

 

 民警になる前の中学生時代、勝典に喧嘩を売って返り討ちに遭った記憶が掘り起こされ、当時の恐怖を思い出して壮助が身震いする。

 

「あの筋肉達磨に喧嘩売る度胸があるなら、ガストレア相手に個人で戦う民警はむしろ天職だと思うけどね」

「そういうアンタはどうして民警になったんだ?」

「なんでそんなことを聞くんだい?」

「俺だけ聞かれっぱなしは不公平だろ。それにお前、民警っぽくないっていうか、民警に向いてないような気がするんだよ。幼稚園の先生とか、学校の先生とか、そんなのがお似合いだ。民警なんて不安定でいつ死ぬか分からない荒仕事よりちゃんと学校に行ってちゃんとした仕事やって――――上手く言えないけど、お前もお前のパートナーも“戦場に出る人間”には見えないんだよ」

「それは――」

 

 常弘が答えようとした途端、前衛として先行する詩乃と朱理が足を止めていることに気づいた。通路の奥からは誰かが駆け寄ってくる足音が響く。

 

「朱理?」

「ツネヒロ。誰か来てる」

「詩乃。判るか?」

「うん。足音からして成人男性一人。瘦せ型。今のところ武器は確認できない。ガストレアから逃げて来た人だと思う」

 

 壮助と常弘はライトの光を強くし、通路の奥を照らしていく。しばらくすると足音の主が光の当たるところまで出て来た。長い金髪に鼻にピアスをつけたヤンキー風の若い男だ。ここまで全力で走って来たのか、滝のように汗を流し、息をきらしていた。右腕と額からは血を流しており、彼の後ろには滴る血痕が点々と続いていた。

 彼から漂う体臭で詩乃は1歩下がる。前衛の二人を通り越して、常弘が男に歩み寄った。

 

「民警です。何があったんですか?」

「赤目が……。あの赤目がガストレアになっちまったんだよ!どいつもこいつも死んじまった!!俺は……たまたま出口の近くに立っていたから……それで……」

 

 男の言葉から、4人の中の疑惑が確信に変わった。感染源ガストレアのGVは赤目に感染していた。そして、赤目の免疫機能とぶつかり合いながら1週間潜伏し、そして今ガストレアになった。

 

「やっぱり拾うんじゃなかった。弱ってて、可愛い顔してたから、ラッキーと思って“相手”をさせてたんだよ。そしたらすぐに動かなくなっちまった。つまんねーから捨ててたんだけどさ。その後、その辺りのホームレス共がマワしてたら突然様子がおかしくなって――。クソッ!あんなバケモノさっさと殺しておけば良かったんだ!!」

 

 男の罵声から窺える顔も名も知らぬ少女の運命と末路。それはあまりにも残酷すぎて、この下衆の塊のような男がのうのうと生きていることに4人は怒りを覚えていた。

 

「てめぇ……」

 

 壮助が握りこぶしを作り、額に血管を浮かばせながらずかずかと男に近寄った。

 瞬間、男は殴り飛ばされた。頭蓋骨は歪み、前歯が何本か折れてどこかへと飛んで行った。衝撃で壁に叩きつけられ、脱力して壁にもたれかかる。しかし、殴ったのは壮助ではない。“常弘だった”。

 常弘は倒れた男の上を跨ぐと胸ぐらを掴んで持ち上げると、脱力した男を起こすためにもう一度、壁に叩きつける。

 

「何がガストレアだ。何がバケモノだ。ふざけるな!!その時、アンタが病院に連れて行けば、その子はまだ助かったかもしれないんだぞ!!何が“クソ”だ!!アンタの方が救いようのないクソッタレだ!!」

 

 止められない憤りに任せて常弘は胸ぐらを掴んで持ち上げた男を何度も壁に叩きつける。それでも憤りは治まらない。常弘は怒りの形相で襟首を掴んだまま唸り、男を睨み続けた。

 彼を殺すことは簡単だ。銃口を向けて、引き金を引けばいい。背中の太刀を抜いて刃を当てればいい。今、この手で首を絞めればいい。こいつは殺されてもいいようなクズだ。ここで死んだって誰も気にしない。殺したって誰も咎めない。しかし、常弘にそんなことは出来なかった。それは彼が憧れた“正義を貫く民警”の姿ではなかったから。あの日の憧れを自らの手で否定してしまうから。

 

「さっさと僕の前から消えろ。次、刑務所以外の場所で会ったらガストレアの餌にしてやる」

 

 常弘は手を離し、男を地面に落とした。男は地面に尻もちをついた。しかし、常弘たちから逃げる気力も体力もとうに失っているのか、立ち上がって逃げる素振りを見せなかった。

 

「ツネヒロ!!」

 

 突如、朱理が常弘に飛びついた。常弘は男から離され、抱き付いた朱理と一緒に1メートル離れた地面に身体を打ち付けた。常弘は朱理に押し倒される中で、彼女がどうしてこんな行動に出たのか困惑した。

 地面に背中を打った後、顔を上げる。最初、目に映ったのは真っ赤になった朱理の背中だった。白いブラウスと小太刀ホルダーのベルトは切り裂かれ、猛獣に襲われたかのように彼女の背中は血肉が抉り取られていた。真っ白だったブラウスが血で赤く染まっていく。目も当てられないぐらい痛々しかった。

 

「朱理!大丈夫か!?」

「大丈夫。ちょっと休憩させて」

 

 まるで自宅の布団で眠るかのように彼女は安心しきった顔で常弘に抱き付き、眠るように彼女は目を閉じた。常弘が背中に目を向けると、彼女の背中の穴がみるみると塞がっていくのが分かった。細胞分裂と成長が瞬時に行われ、欠損した血管や筋肉、皮膚を補っていく。呪われた子供にしては再生に時間はかかっているものの、彼女の生命力は人間のそれとは比べ物にならなかった。そして、彼女の身体は元通りになった。どれだけの傷を受けても彼女の身体は“大丈夫”な状態になってしまう。

 

 

「お、俺の……俺の腕がああ!!」

 

 

 男はもがいていた。腕の傷口の肉が盛り上がっており、そこから全く違う色、違う質感の肉が形成されていた。ガストレア化だ。ガストレア化した少女に襲われた時に傷口から感染したのだろう。異形の肉塊が傷口から男の全身を瞬く間に侵食していった。

 

「あ、あんた民警だろ!助け――――」

 

 その瞬間、男の首にはバラニウム製の黒い刃が貫通した。詩乃の槍“一角”だ。対ガストレア用の重槍は男の首を串刺しにし、喉を潰し、頸動脈を断裂させ、中枢神経を破壊して全身を麻痺させる。詩乃はそれで相手が沈黙したと思っていた。しかし、手足がもがくように暴れ始め、既にガストレア化していた片腕は触手のようなものをしならせて詩乃に抵抗する。しかし、壮助が放ったアサルトライフルの弾丸で触手は散り散りになった。詩乃は再び槍を男の頭と心臓に突き刺し、今度は完全に生命活動を停止させた。

 詩乃と壮助の鮮やかな手際に常弘は唖然としていた。あの男はガストレア化しかけていた。救う方法などなく、殺すしか手段がなかった。頭では理解していても、まだ人間としての形と意識を持っていた相手を排除した彼らを“異常”だと認識した。ガストレア化寸前だったとはいえ人間を殺すことに一切の躊躇いがない。ガストレア殺しも人殺しも等しく“作業”にしてしまう彼らの“異常性”に常弘は何も言えなかった。

 常弘は、先ほど壮助に言われたことを思い出す。自分たちは民警に向いていない。“戦場に出る人間”ではない。その意味がやっと分かった。民警は死地に立つ職業だ。ガストレアとの戦いでいつ死んでもおかしくはない。命と命のやり取りを前に法も理念も倫理も意味をなさなくなる。純粋な知恵と力が結果を決める。常弘と朱理の思考回路はそれに適していなかった。まだ、それに成りきれていなかった。こんな土壇場でさえ法や倫理を持ち込んでしまう。彼らとは住む世界が違っていた。ここは、法も理念も倫理も踏み外した怪物たちの居場所だった。その中で人として真っ当な正義を貫こうとした“あの民警”は、どれほどの悩み、苦しんだのだろうか……。自分が選んだ道は、“朱理に選ばせた道”はどれほど過酷なものなのだろうか。

 壮助はガストレアの動きが止まったことを確認すると、小星ペアのところに歩み寄る。

 

「おい。毛虫。背中の傷。大丈夫か?」

 

 瞬間、壮助の顔面の右側すれすれを1本の小太刀が飛び、彼の背後にいたタコの足のようなガストレアの肉片を貫いた。バラニウムの小太刀で天井に串刺しにされたガストレアの肉片は、それが独立した生命体のようにもがき苦しんでいた。

 

「毛虫じゃないし、大丈夫よ。伊達に3年もイニシエーターやってるわけじゃないんだから」

「かっこ良く背後のガストレアを倒してもらったところ悪いけど、刃……ちょっと当たったぞ」

 

 壮助の頬と耳に切り傷ができ、少し血が流れる。

 

「当たったんじゃなくて、当てたのよ」

「わざとか。こん畜生」

 

 

 

 

 

 

 それから4人は地下へのマッピングを続けていった。最初の男を倒してからは一度も被害者やガストレアと遭遇することなく、痕跡すらも見つけられなかった。戦いがないという意味では楽だが、暗闇の中でのマッピング、どこに敵がいるのか分からない恐怖という点で精神的疲労は大きかった。

 懐中電灯で前方を照らしながら、今度は前衛を義搭ペア、後衛を小星ペアが務めている。

 

「朱理……。傷は大丈夫なのか……?」

「大丈夫だよ。もう痛くないし、傷口も塞がっているんじゃないの?背中だから見えないけど。最近は妙に心配性だよね。前のマンションの時も終わった後、抱きしめてくれたし。何かあったの?」

「あったよ……。朱理と一緒に民警を初めて3年、僕には色々とあった……」

 

 常弘の意味深な言葉に朱理が耳を傾ける。それがどういう意味なのか、常弘は何を言おうとしているのか。彼女の意識はそれに集中していた。

 常弘は一度深呼吸する。

 

「朱理、聞いてくれ。

 

 

 

 

 ――――――この仕事が終わったら、民警をやめよう」

 

 

 

 

 前衛を務めていた義搭ペアの背後で鈍い音がした。誰かが鈍器で殴られる音、そして誰かが倒れた音だ。ガストレアの奇襲かと思って2人は背後に振り向いた。その視線の先にガストレアはいない。腹を押さえて跪く常弘と、前に佇む朱理の姿だけだった。

 

「ツネヒロ……。冗談だよね?」

「僕は……本気だ……っ」

「どうして!?だって、民警の仕事だって順調だったじゃない!!なのに……どうして?」

「もう、君が傷つくのを……見たくないんだ」

「なにそれ……私が弱いから……?私が傷だらけになるから?違うよね?確かに私はまだ弱いかもしれない!だけど、IP序列は順調に上がってるし、まだ強くなれる!それに傷だってすぐに再生して残らないじゃない!」

「それが駄目なんだよ!!!!」

 

 常弘の口から飛び出す怒号に朱理は仰け反った。優しい好青年を絵に描いたような性格のツネヒロがここまで声を荒げることなど滅多になかったからだ。

 

「すぐに治る!再生する!確かにそれで大丈夫になった!だけど、治ったら朱理はまた戦場に出て、傷ついていく!その繰り返しだ!民警になった時はそれなりに覚悟をしたつもりだった!だけど、現実は違った!ガストレアは強大で、僕たちはあまりにも無力だったじゃないか!この3年で朱理は何回入院した!?何回、生死の境を彷徨った!?二度や三度じゃないはずだ!!」

「…………言いたいことは、それだけ?」

 

 常弘は押し黙った。朱理の形相は更に歪む。目に涙を浮かべながら、銃床で常弘の頭部を殴打した。常弘は殴られた衝撃で体勢を崩し、床に身を転がした。

 朱理の呼吸が荒くなる。瞳孔が開き、汗が止まらない。常弘の血が付いた拳銃を拳から血が流れるくらい強く握りしめていた。怒りが収まらない。悲しみが抑えられない。常弘との日々が今日で終わりになることを認めたくない。その感情だけが朱理を突き動かしていた。

 

「そんなに私が信じられない!?」

「ち、違う!僕は――

「いいよ!!だったら私が強いって証明すればいいんでしょう!?ここのガストレア、全部一人で片付けるから!!」

 

 そう啖呵を切った朱理は壮助たちとは反対方向へと走り出していった。瓦礫も軽々と飛び越え、壁ですら足場にする彼女の軽快さを前に2人はすぐに彼女を見失ってしまった。

 

「壮助。どうするの?」

「知るか。こんな戦場のど真ん中で痴話喧嘩なんてしやがって」

「追わないんだね」

「商売敵が減るんだ。報酬も独り占め。追う理由なんてねえだろ。元々、ここのガストレアは俺達だけで皆殺しにする予定だったし」

「本当に……本当にそう思ってる?」

 

 詩乃の含んだ言い方が壮助には引っ掛かった。

 

「何が言いたいんだよ」

 

 詩乃が黙ったままじっと壮助を見つめる。何も言うつもりはない。言いたいことは全て目に書いてあると言わんばかりに視線を壮助に向けた。壮助は詩乃の視線に逆らえない。ただの喧嘩にしか能のない不良にとって、イニシエーターとして何年もガストレアと命がけの戦いをやってきた少女の視線には有無を言わさない圧を感じさせるものだった。

 

「あーもう。分かったよ。追えば良いんだろ。追えば。見つけたら無線で連絡する」

 

「了解」と詩乃は微笑んで答えた。

 壮助は朱理を追って薄暗い空間の中へと消えていった。詩乃はその背中を見届けると、うずくまる常弘のところに歩み寄った。

 

「大丈夫ですか?」

 

 口では心配そうに言っているが、詩乃の眼には感情は伴っていない。見下ろす彼女の視線が常弘に突き刺さった。

 

「すまない。僕たちの方が先輩なのに……」

「別にあなた達のためではないです」

「え?」

「もし、ここで貴方たちが痴話喧嘩の末にペアがバラバラになり、それが原因でガストレアの餌食となったとしましょう。生き残った壮助はそう主張しますが、元不良のなり立てルーキーの戯言として受け取られるでしょう。もしかしたら、報酬を独り占めするために壮助が私に貴方達を殺すように命じたと噂が流れるかもしれません。いえ、その可能性は非常に高いでしょう」

「どうして、そう言い切れるんだ?」

「私達と貴方たちの世間的な評価を加味したからです。小星常弘と那沢朱理のペア。我堂民間警備会社に所属し、3年前から活動。個々の戦闘能力は高くないものの、人当たりの良さから同業者や市民からは高い評価を受けている。対して、私達の活動は2ヶ月前から。個々の戦闘能力はこのあたりの民警の中では上位に位置すると見込んでいますが、東京エリアで一番嫌われている民警でもあります。そんな私達の言葉を誰が信じるというのですか?」

 

 常弘は詩乃の言うことを否定できなかった。確かに、ここで自分たちが死ねば、2人がどれだけ証言しようとも世間は報酬独占のために義搭ペアが小星ペアを殺したと言うようになるだろう。どれだけ証拠を突き付けられたとしても人の心は変わらない。そして、全ての責任を押し付けられる分かり易い悪役のお陰で、事件は全て丸く収まってしまう。真実を闇に葬り去って。

 

「だから、この事態を解決するためにも私は知る必要があります。どうして、貴方が民警をやめるなんて言ったのか。教えてください。小星常弘」

 

 詩乃は重槍の刃を地面に突き立てた。周囲にコンクリート片が飛び散るほどの威力、飛び散った音と破片は常弘に対する脅し、答えないとお前もこうなるという強迫だった。

 しかし、そんな脅しは無意味だった。こうなった時点で、常弘は彼女に全て打ち明けるつもりだったのだから。

 

「僕は……正義の民警になりたかった。利益とか名誉とか、関係ない。正しいと信じたものを貫く民警になりたかった。だけど、それ以上に朱理を救いたかった。幸せになって欲しかったんだ。一緒に民警をやって、一緒に同じ道を歩めれば、それで良かった。だけど、現実はそうじゃない。僕も朱理も戦える人間じゃない。特別な力を持たない僕たちにガストレアとの戦いはあまりにも過酷すぎた。朱理は何度も傷ついた。だけど、一度も弱音を吐かなかった。一度も文句を言わなかった。でも、それは強さの証になんかならないんだ」

 

 常弘の手が震え、すすり泣くような声が口から零れる。

 

「僕は怖いんだ。いつか僕の夢が彼女を殺してしまう」

 

 自分の夢か、大切な人の幸福か、二つを天秤にかけた結果だった。彼は大切な人の幸福を選んだ。天秤にかけて一方を選び、一方を切り捨てる結果を選んだつもりだった。しかし、今、選んだものすら手に残されていなかった。

 詩乃の眼は冷たかった。損得勘定だけのために常弘たちを救うと言い放った時よりも、冷たく見下げ、突き放すように見ていた。その視線には侮蔑すら感じられる。眼前に迫った氷山に圧倒され、常弘は何も言い返すことができなかった。

 

「小星さん」

 

 ふっと常弘は顔を上げると、詩乃が彼の胸ぐらを掴み、自分の眼前へと引き寄せた。

 

「大切な人を泣かせることが、貴方の正義なのですか?」

 

 

 

 

 

 

 壮助は朱理を追いかけて、まだマッピングしていない下のフロアへと向かっていた。ここのガストレア全部一人で倒すという言葉が本気なら、彼女はまだ探していないエリアを走り回っていることだろう。

 壮助も暗闇の中をライフルに取り付けた懐中電灯で照らしながら走り回っていた。プランなどなく、ただ闇雲に走っているだけだった。ガストレアの死骸でもあれば目印になると思っていたが、死骸どころか交戦の形跡すら見られない。

 突然、地面にぬめりが出てきて、壮助は足を取られた。転倒して全身を地面の粘液に浸しながら、走っていた時の運動エネルギーのまま地面をスライディングし、壁に激突した。

 

「痛ってえええええええええ!!クソ!なんだこれ!ヌメヌメして気持ち悪ぃ!!」

 

 壮助はビチャビチャした地面から壁を伝って立ち上がった。地面を懐中電灯で照らす。見えたのは不快なガストレアパープル、目標の肉片と血液が辺り一面に散らばっていた。

 すかさずライフルの安全装置を外し、戦闘態勢に入る。背中を壁につけて背後の隙を失くし、ライトで一面を照らす。そこにはおびただしい数のガストレアの死骸があった。マンションの時と同じタコと蛇が融合したガストレア。マンションの奴と比較すれば一回り小さい。簡単に数えても10体以上は切り刻まれて、絶命している。このガストレア達がマンションの時の奴より弱いのか、それとも怒りに身を任せた朱理の本気がなした業なのか、判断しかねた。

 その中、一つの通路に紫色の血の足跡がついている。ショッピングモールの外周から中央のぶち抜きホールまで続く通路だ。壮助は、その足跡を辿ることにした。

 最初の出入り口とは反対側の東ホールにまでたどり着いた。地下1階から地上の建物までぶち抜いた吹き抜け構造。中央には噴水広場らしきものの名残があり、周囲には蛻の殻となったテナントが立ち並んでいる。地上の建物までぶち抜いているので地上からの日光が差し込み、懐中電灯が不要なくらいには明るかった。かなり広い空間が確保されているので、中央にいれば周囲を一望でき、ガストレアの襲来を早く察知できる。

 そして、中央の像に身を寄せ、一人涙を流している朱理に壮助は歩み寄った。なんて声をかけるべきか分からないまま、彼女の前で佇んだ。

 朱理は顔を上げた。常弘が来たと思い込んで――――。

 

「ツネ――なんでアンタが来るのよ」

 

 これほどまでに喜怒が瞬時に変わる光景があっただろうか。

 

「悪かったな。俺で」

「ええ。悪いわよ。最悪だわ。なんでアンタなのよ」

「朱理に追えって言われたからだよ。別に、俺はお前に同情して来たわけじゃねえからな。どっちかと言うと、小星の言っていることの方が分かる」

「は?なんでよ」

「男だから」

 

 その一言だけだった。あまりにも説明不足な理由だったが、堂々と自信満々に「男だから」という一言で跳ね除けた壮助の言葉には、妙な説得力があった。

 

「どういう意味よ」

「合理性とか理屈とか関係ない。どうしても曲げられない意地が男にはあるってことだよ。女を前衛にして自分は後方支援とか、まともな神経している野郎じゃ耐えられねえ」

 

 壮助は朱理の手を掴んだ。一度は彼女が振りほどこうとしたが、それでももう一度手を掴み、無理やり立ち上がらせる。

 

「ったく。手間かけさせやがって。さっさと行くぞ」

 

 壮助は朱理に背を向け、目的の場所へと歩こうとする。しかし、朱理は立ち上がった場所から1歩もうごかず、俯いたままだった。

 

「行くって。どこに?常弘のところ?行ってどうするの?男の意地ってのは、どんな理屈も跳ね除けるんでしょ?そんなのどうすればいいの?」

「親父が言ってた。『男が意地を曲げる時は、大切な人のために曲げなきゃいけない時だ』――って。あいつの意地がお前のためなら、意地を曲げる理由だってお前にある」

「具体的にどうすればいいのよ」

「そうだな――――」

 

 ふと壮助が足を止めて、ライフルを構えた。朱理も小太刀を構えて、周囲を警戒する。ここはショッピングモールの最下層かつ中心地、周囲には多数の通路がある。ガストレアが来ていた。その全ての通路から、2人の視界を埋め尽くさんと多数のガストレアが襲来していた。15から20体は確認できる。更に増援が来るので、その倍以上は実際にいるかもしれない。

 

「こいつら全員ノーダメージでぶっ殺すとか?」

「それは随分とハードね」

「男の意地はハード(固い)だからな」

 

 

 

 

 

 

 頭部の痛みも引き、常弘は立ち上がって詩乃と共に2人を追っていた。イニシエーターである詩乃が先行し、後方で常弘がライフルを持って背後を確認する。

 

「止まってください」

 

 詩乃が手を伸ばし、常弘を制止する。

 

「この先のホールで2人とガストレア十数体が交戦中です」

 

 常弘には何も分からなかったが、かすかな音が詩乃の耳には入っていた。聴覚に優れた生物をモデルとした彼女にはそのかすかな音だけで壮助と詩乃が共闘していること、ガストレアが多数存在することが把握できていた。

 常弘はすかさずライフルの安全装置を外した。今にも飛び出さんと足を踏み出したが、詩乃が彼の服を掴んで無理やり止めた。

 

「パートナーのことが心配なのは分かりますが、落ち着いてください。2人とも生きていますし、状況もこちらが優勢です。我々がガストレアの群れの背後をつくことが出来れば、そこから一網打尽に出来るかもしれません」

「どうして、そう言い切れるんだ?」

「私は聴覚の優れた生物をモデルとした呪われた子供ですので。かすかな音だけで多数の情報を獲得することが出来ます。それは音の発信源の正確な位置から周囲の物体の材質まで目を開けず、触れずとも」

反響定位(エコーロケーション)……」

「正解です。けど、さすがにここからだとガストレアの動きや壮助たちの正確な位置までは把握できませんので、自分の目で見るしかありません」

「幸い、この先は地上から最下層まで通った吹き抜け構造のホールだからね。地上から光が入って、ライト無しでも視界が確保できる。だからこそ、2人はそこを戦場にしたんだろうけど」

 

 2人はゆっくりと通路を歩き、ホール最下層から一つ上のフロア、外縁部のテナントが立ち並ぶ通路に辿り着いた。それぞれ壁と柵に身を隠し、戦況を目に入れていた。

 

 広場の中央を陣取った壮助と朱理、全方位の通路から迫りくる無数のガストレア、詩乃は優勢だと言っていたが、どこをどう見ても全方位を囲まれた劣勢にしか見えなかった。しかし、戦場のど真ん中に立つ2人に敵に囲まれた緊迫感や焦燥感など見られなかった。

 

 それは戦いというよりも、喧嘩だった。

 

「かすった!!アンタの弾かすったんだけど!!」

「うるせー!!俺の射線上に立つな!毛虫!!」

「ああ!もう無理!あんたが後方とかありえない!!ガストレアより邪魔!!」

「文句あんのかテメェ!!やんのか!?ゴルァ!!」

 

 ガストレアを斬り刻み、銃撃しつつ、2人は喧嘩していた。ガストレアを倒しながら喧嘩し、喧嘩の合間にガストレアを倒している。

 

「臨時でも絶対に常弘以外とペアなんて組まない!!」

「ああ!!俺も詩乃以外は願い下げだ!!」

 

 史上最悪の民警ペアがここに誕生し、解散していた。

 

「何をやっているんだ。あの2人は……」

「……楽しそうですね」

 

 下のフロアの2人を見ながら、詩乃と常弘はガストレアに見つかっていないというアドバンテージを利用して、どう立ち回ろうか検討する。ガストレアは見た限りだと残り30~40体ほど。個体の戦闘能力は低く、バラニウム弾1発撃ち込むか、刀剣で一太刀でも浴びせれば絶命する程度だ。今回は全員が持てる限りの装備を持ってきているので、火力に関しては問題ない。時間はかかるけど、いずれは片が付く。ただ、不審な点があった。それは、ガストレアが利他的行動を取っているところだ。ガストレア達は仲間が殺されながらも次々と特攻しては撃破されていく。人間を捕食し、ガストレアを増やすことを至上命題としているとはいえ、その行動はタコ・ヘビと比較的知能の高い生物をモデルとしながら知性が感じられず、それどころか命を賭けて壮助たちを広場に縛り付けるような利他的行動すら感じられる。

 ガストレアは基本的に単体で活動し、己の生存のために活動する。利己的行動に満ちた生物だ。そこに群れるという習性が付加されるのであれば、実例を伴った一つの仮説が浮かび上がる。“統率者”の存在、かつて東京エリアを襲撃したアルデバランのような司令塔がこのガストレア群を統率している。

 

「――となると、僕たちは司令塔を叩いた方がいいな。今なら、群れに気づかれず、司令塔を探すことができる」

「いや、その必要はないですよ」

 

 突然、広場が暗くなった。地上からの日光が遮られたのだ。詩乃と常弘、下のフロアの壮助と朱理も天井を見上げた。

 

「向こうからやって来てくれたみたいです」

 

 詩乃たちのいるフロアから更に2~3階上、壁が崩落して広くなった通路から、1体のガストレアが姿を現した。その姿は群れのガストレアやマンション事件の時の個体よりも更に大きい。しかし、異なっているのは大きさだけではなかった。その統率者には、亀か貝類のような甲殻があり、柔肌を晒していた皮膚をそれで守っていた。砲弾すら弾き返しそうな堅厚な装甲は胴体と触手にあり、二重装甲と分割構造で触手の動きを阻害しない計算された配置になっていた。

 

「何だ……あの甲殻は?」

「もしかしたら、感染者の赤目の形質を取り込んだのかもしれません。ここでガストレア化した少女が亀かカニか貝か、それとも甲虫か、何かしらの甲殻を持った生物の因子を持っていて、ガストレア化した時にその形質も反映される事例は報告されていますから」

「だとしたら、あいつはステージⅢか……」

 

 

 

 

 

 

「何?あれ」

「おいおい。親玉がいるとか聞いてねえぞ」

 

 統率者の出現に壮助と朱理は唖然としていた。周囲の雑魚だけなら自分たちだけでも相手が出来たが、堅牢な甲殻に包まれた親玉となると壮助のライフルやグレネードで貫けるかどうかで勝敗が逆転してしまう。

 壮助はすかさずライフルグレネードを統率者に向けて引き金を引いた。グレネードは甲殻に直撃し、爆発。その破片をまき散らすが、統率者の甲殻に傷一つつけることはできなかった。

 統率者は、触手を動かして体を這わせると、そのまま広場へと落下してきた。自分の配下をその巨体で押し潰し、粉塵が舞い上がる。

 壮助は再び統率者に向けて引き金を引く。放たれた弾頭はガストレアの甲殻の前に弾かれ、跳弾して四方八方に飛んでいく。

 

「クソッ!どんだけ硬いんだよ!!」

「伏せて!義搭!!」

 

 壮助が反射的に伏せた途端、彼の頭部があったところを統率者の触手が掠めていく。壮助がギリギリで回避できたところを安堵した途端、次の触手が上から振り下ろされる。甲殻を纏い、重量も伴った一撃は地面を打ち砕いた。壮助は間一髪で身を起こして回避したが、飛び散った大理石の破片が頭部に直撃する。

 

「義搭!!」

「俺は無事だ!他人の心配している場合か!?」

 

 残り6本の触手が先端の蛇頭を開き、朱理に向かっていく。しかし、甲殻の重さによって動きも速度も鈍くなった統率者の攻撃は朱理にとっては脅威にもならなかった。軽々しく触手を回避し、飛び上がって伸びた触手の上に着地した。

 そのまま触手の上を走って一気に統率者の本体と距離を詰める。統率者は触手を振り上げて朱理の足場を崩すが、その衝撃を利用して更に前進し、統率者の眼前に着地した。――瞬間、小太刀を振り抜き、統率者の眼孔に突き立てた。

 

 

 ガンッ!!

 

 

 統率者は瞼を閉じていた。外殻と同じ物質で形成されていた瞼は小太刀を受け付けなかった。

 統率者は全身を大きくうねらせ、朱理を振り落とした。すかさず触手で地面に叩きつける。身動きできない空中で振り下ろされた触手は朱理に直撃し、地面に突き落とした。触手の蛇頭が開き、朱理に食らいついた。万力のように彼女の身体を挟み込む。骨が軋み、肉が断裂する音が聞こえるが、痛みを無視して朱理も目を赤く輝かせ、両手で必死に抵抗する。

 

「那沢!!」

 

 壮助が統率者に向けて引き金を引く。フルオート射撃で放たれた弾丸は統率者の甲殻によって弾かれてしまう。肉が見えている部分も触手を使って巧みに防いでいく。弾倉の中身を使い尽くし、新しい弾倉に取り換えようとした途端、周囲で固まっていた他のガストレア達が壮助に群がってきた。

 

「邪魔すんな!雑魚が!!」

 

 装填が間に合わず、ライフルの先に取り付けた銃剣で応戦する。銃床で殴りつけ、銃剣で突き刺し、少し離れた敵には腰の拳銃を抜いてバラニウム弾を叩き込んでいく。隙を見て装填すると、再びフルオート射撃で横薙ぎしていく。群れのガストレアが壮助への攻撃に集中しており、朱理の助けにまで手が回らなかった。

 統率者の触手は更に朱理をしめつけていく。朱理の力が弱まってきたのか、蛇頭の上顎と下顎の幅が段々と短くなっていく。毒牙も朱理の服を破り、皮膚に到達しようとしていた。

 

「小星!!てめぇの相棒が死ぬぞ!!くだらねえ意地張ってねえで、さっさと来やがれ!!」

 

 

 

 

 ――ああ。君に言われなくても、分かってるさ

 

 

 銃声が鳴った。1発だけ放たれたバラニウム弾は触手の蛇頭の目を撃ち抜いた。その痛みに怯んで蛇頭の噛む力が弱まった。その一瞬を朱理は見逃さず、蹴って口から抜け出した。更に追い打ちで下顎を蹴り飛ばした。

 朱理は落下しながら、見渡して狙撃手を探す。誰なのかは分かっている。だけど、その目で見て、確かめずにはいられなかった。

 一つ上のフロアで“見慣れた顔の狙撃手”がそこで構えていた。

 

「常弘!」

「朱理。色々と話したいことがあるけど、それは後にしよう」

「……うん」

「来るのが遅ぇぞ!もう親玉ぐらいしか手柄残ってねえからな!」

「それで十分だよ。それと、君のパートナーから伝言。『インカムのスイッチを入れろ』って」

「スイッチ?そんなの……あ、切れてた」

 

 壮助が耳元のインカムを指の感触で確認すると、確かにスイッチが切られていた。ガストレアの血ですべって転んだ時に何かがスイッチに当たってしまったようだ。

 

『壮助?聞こえる?』

「ああ。聞こえてる。悪かったな」

『うん。ちょっとの間なんだけど、その親玉を広場の中心で足止めしてもらっていい?』

「ちょっとってどれくらいだ?」

『多分、あと3分ぐらいかな』

「こっちは有効な攻撃手段がほとんどねえからな。長くはもたねえぞ」

『了解。全速力で駆け上がるよ』

 

 ――駆け上がる?

 

 壮助は詩乃の言っていることが気になったが、今は彼女を信じて従うしかなかった。

 2人にも説明し、広場の中央でガストレアを足止めする。

 現在、ガストレアは広場の中央にいる。そのため、詩乃の作戦のために追い立てたり、引き寄せたりする必要はない。幸い、動き回るようなガストレアでもないので時間まで現状を維持すればいい。問題は、その数分の間まで全員が無事でいれる保証はなかった。

 

「朱理!とにかく走り回って触手を引きつけろ!攻撃することは考えなくていい!」

「分かったよ」

「義搭!手榴弾かグレネードは残ってるか!?」

「生憎と腐るほど残ってるぜ!」

 

 

 

 

 

 

 詩乃は全速力で階段を駆け上がっていた。最下層の一つ上、地下6階から地上2階まで駆け上がるのは呪われた子供である詩乃にとっても骨が折れた。飛んだり跳ねたりする軽量でスピードタイプのイニシエーターならもっと早く楽に行けたかもしれないが、詩乃はその真逆のタイプだった。

 地上2階に辿り着いた。吹き抜けホールの最上階、外縁部に立ち、最下層を見下ろす。日光が差しているお陰でガストレアの位置がはっきりと見える。まだ日は登っているが、正午を過ぎてやや落ちかけていた。ここで失敗すれば、次のチャンスは無い。

 詩乃は深呼吸して、自分の位置、ガストレアの位置、風向き、落下速度と到達予定時間を計算する。

 

 ――よし!

 

 詩乃は重槍“一角”を握りしめると、ホールの中へと飛び降りた。

 

 ――落下速度、風向き、予定ポイント問題なし。次のチャンスはない。下すはただ一撃。この一撃に私の全力を込める。

 

 瞬く間に地面が近づいてきている。ガストレアに応戦する壮助、常弘、朱理の姿も見えてきた。時間はもう残されていない。数秒もない間に詩乃は槍を握りしめ、タイミングを計る。赤い目を輝かせ、腕の筋肉を収縮させる。統率者に、森高詩乃の乾坤一擲の一撃が下された。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!」

 

 50メートルからの落下で得られた位置エネルギーに槍を振り下ろす赤目随一のパワーが合わさった。バラニウム製の重槍に叩きつけられた統率者の甲殻は鼓膜を揺さぶる激しい音響と共に砕け散った。

 

「「今だ!!」」

 

 壮助と常弘はアサルトライフルを露出した頭部に向け、引き金を引いた。今そこにしかない好機を逃すわけにはいかない。2人は弾倉が空になるまで撃ち尽くした。その隙に朱理が小太刀を持って走り出す。触手による抵抗を難なく回避し、露出した頭部に深々と刃を突き刺し、刃で血肉を断った。

 統率者の目から光が消え、天に向けられていたその頭は横たわり、地に落ちた。触手も動かなくなる。統率者は死んだ。民警たちの勝利だった。

 

「勝ったね」

「ああ。僕達の勝ちだ」

 

 ただそれだけの言葉を交わすと、朱理が統率者の死骸から飛び降り、佇む常弘の前にゆっくりと歩み寄った。統率者との戦いは済んだ。

 しかし、2人の話はまだ済んでいない。話したいことはたくさんある。言いたいこともたくさんある。肯定したいところも否定したいところもたくさんある。どう声をかければいいのか。自分は何を(彼)彼女に伝えようとしているのか。それすら定まらないまま、2人は歩み寄った。

 

「朱理。僕は――「駄目だよ」

「常弘は民警をやめちゃ駄目」

「朱理が良くても……僕が駄目なんだ。君の強さに甘えて、僕の理想のために君を何度も戦場に放り込んだ。僕の夢が……理想が、いつか君を殺してしまう。それが怖くて仕方がないんだ」

 

 常弘の唇が震える。溢れる感情を抑えられなかった。

 朱理は、震える彼の身体をそっと抱きしめた。

 

「ありがとう……。だけど、私は民警をやめない。ツネヒロにもやめさせない。あの遊園地で誓った言葉を、私は嘘で終わらせたくない。だから、今度こそ、一緒になろう。“本当の民警”に」

 

――朱理、僕、将来は民警になりたいッ。だから、その……良かったら僕のイニシエーターになってほしいんだ!

 

――ツネヒロがそうしたいなら。

 

浮かび上がる。かつての言葉。

ツネヒロと朱理の全てが始まった遊園地での誓い。

 

「僕は大馬鹿者だよ。自分が言い始めたことなのに……。すっかり忘れていた。こんなにも大切なことを……」

 

 

 

 

 

 

 問題は山積みだ。

 僕達は弱いままだし、朱理が傷付くことはこれからもたくさんあるだろう。

 今回みたいな葛藤もこれからたくさんあるだろう。

 だけど、僕のやるべきことは“あの時”から決まっていた。

 あの時に、全部決まっていたんだ。

 あの時のように、朱理の手を掴むんだ。

 あの時のように、朱理を手放さず、強く繋ぐんだ。

 

 もし闇が追い付いたら、

 

 “あの時の民警のように”今度は僕が立ち向かえばいい。

 

 そのためには強くならなければいけない。

 やらなきゃいけないことはたくさんある。

 迷っている暇なんてない。

 

 だからもう、天秤は必要ない。

 




小星常弘という男 解説
本編がなかなか進まないのにこのような寄り道(番外編)にお付き合いいただき、ありがとうございます。
小星常弘と那沢朱理、この二人は原作2巻冒頭で登場し、悲惨な境遇から蓮太郎に救われ、彼のような民警になりたいと志しました。原作を読んでいた人の中には、「あの2人はあの後、どうなったんだろう。ちゃんと民警になれたんだろうか」と気になっていた人も多いと思います。私も同じことを考えており、6年後を舞台にしたこの作品で民警になった常弘と朱理を出しました。
同時に、普通の人間が英雄(蓮太郎)になろうとする葛藤、愛と理想のジレンマというのもテーマに盛り込みました。
原作ではガストレア出現から10年しか経っていないので、イニシエーターは全員10歳かそれ以下。プロモーターとの関係も主人と奴隷、対等なビジネス、兄妹、姉妹、親子、友人といったものが多かったと思われます。10歳以下の少女を恋愛対象にするプロモーターは(ロリコンサイボーグを除く)ほとんどいませんでした。
しかし、本作は6年後、イニシエーター達の中には思春期真っ只中の子が多く、プロモーターを恋愛対象として見る子、普通の男子に恋をする子、逆に彼女達を恋愛対象として見るプロモーターも出て来たと思います。同時に大人として独立した人格が形成されていくため、プロモーターと意見がぶつかり合ったり、反抗期のイライラをそのまま仕事に持ち込んだり等、両者の関係は多種多様になっていきます。その中で、思春期のイニシエーターとそれを少し過ぎたプロモーターという多様化した関係の一例として、小星ペアを描けたら良いなと思いました。
この物語に義搭ペアを出したのは、「守りたい誰か」のために戦っている常弘と、常に「自分」のために戦っている壮助を対比的に描写できればと思っていましたが、そういった描写を上手く挟めませんでした。


気を持ち直して、次回から、第一章のラストバトルに突入します。

里見蓮太郎は本当に破壊者になったのか

それとも破壊者を演じる正義の奴隷なのか

2人の“贖罪の仮面”が外れた時、物語は始まる。

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