vs
IP序列“元”50位
今回は普段の2倍ぐらいの文章量になってます。
壮助と詩乃は地獄の釜と化した貿易ターミナル前の駐車場を走り抜けた。ヌイの足止めも上手く行っているのか、行く先にドローンは影も形も見えず、何の障害も無いまま2人は正面玄関に辿り着いた。隅で倒れている数名の自衛隊員とターミナルの管理者、ガラスが割れてフレームも歪んだ自動扉が出迎えてくれる。
歪んだフレームを潜り抜けて2人はターミナル内に入った。
貿易ターミナルの中は凄惨としか言いようが無かった。元々は刺々しい奇妙なオブジェが中央に鎮座する近未来的なデザインのロビーだったのだろう。しかし、今は面影すら残っていない。中央のオブジェは元のデザインが分からなくなる程の弾丸と斬撃に晒され、受付カウンターも原形を留めていない。平らだった大理石の床は至る所が陥没し、大小様々なクレーターは月の裏側を彷彿させる。爆撃されて数十年放置された廃墟のようだった。
どこに目を向けても視界に入るガラス片、コンクリート片、薬莢、飛び散った血痕が戦闘の激しさを物語る。薬莢はまだ熱く、血はまだ赤く、液状を保っていた。
「おい。マジかよ……」
最初に目に入ったのは入口近くで倒れている
壮助は固唾を呑む。そこで倒れているティナの姿を見ていると「お前もこうなる」と蓮太郎に宣告されているようだった。
開放感を演出するガラス張りの天井を通して月灯りが差し込み、奥が青白く照らされる。そこで壮助たちはこの戦いの勝者と敗者を知る。
勝ったのは蓮太郎だ。彼は小比奈の首を掴み、持ち上げていた。さっきまで彼女は戦っていたのだろう。その身体から流れる血はまだ固まっておらず、足元に落ちている小太刀に滴る。
蓮太郎は壮助たちに気付き視線を向け、小比奈をその場に落とす。蛇に睨まれた蛙のように壮助の身体が強張り、視線に押されて半歩足が下がる。
「また会えたな。仮面野郎。良い面構えになったじゃねえか。ターミネーターのパチモンみたいだ。ほら“I’ll be back.”って言ってみろよ。あまりのダサさに笑ってやる」
心臓の鼓動が早くなる中で壮助は冷や汗を流しながら強がりの言葉を吐く。蓮太郎に自分が怯えていることを悟られないように空元気を振り絞る。
――蛮勇だろうとガムシャラだろうと構わない。喧嘩と同じだ。退いたら負ける。舐められたら負ける。偽物でいい。ハリボテでも良い。余裕があるように見せかけろ。
だが、彼の言葉に蓮太郎は眉一つ動かさない。まるで風が通り抜けるかのように壮助の言葉は蓮太郎に響かなかった。
「防衛省の時、何故、延珠のことを聞いた? お前は何者だ? 延珠の何だ? 」
「元クラスメイトだよ。スカート捲ろうとしたり、机の中にゴキブリのフィギュアを入れて驚かせようとしたりしたイタズラ小僧さ。もっとも、あいつは手強過ぎて全部失敗したけどな。あいつ今どこで何してるんだ? 連絡先教えてくれよ。同窓会に誘えないんだけど」
蓮太郎は静かに壮助を見つめる。左目部分が割れた仮面の奥で彼が何を考えているのか分からない。
「延珠は死んだ。形象崩壊して、俺がこの手で殺した」
蓮太郎から放たれた言葉――その事実は三途麗香、室戸菫から何度も聞かされたが、どこか現実味が無かった。麗香は当事者じゃなかったし、菫もその場に居合わせた訳ではないだろう。だから、どこか間接的で、他人事のように聞こえていた。笑われるかもしれないが、その曖昧さのお陰で「もしかして藍原はコッソリどこかで生きているんじゃないだろうか」という淡い希望を持たせていた。しかし、パートナーだった蓮太郎の言葉は強烈だった。藍原延珠は死んだという事実を脳に直接叩き込まれるような感覚だった。
「そうか。あいつ、俺達を憎んだか?恨んだか?あれだけの仕打ちを受けたんだ。呪詛の一つや二つ吐いただろ」
「……あいつは誰も憎まなかった。何も恨まなかった。あいつは最期まで人を信じ、迫害したお前達を守るために戦った」
壮助は藍原延珠が自分達を恨んでいなかったことにほっと胸を撫でおろす。きっと、あの学校を飛び出した後も彼女はどこか知らないところで、短い時間だったけど幸せに過ごしたんだろう。そう考えるだけで救われるような気がした。しかし、同時に胸を締め付けられた。彼女には自分達を憎んで欲しかった。恨んで欲しかった。その怒りを以て罰して欲しかった。そうでなければ、そこに裁きが無ければ、あの事件が生まれる切っ掛けを作ってしまった罪悪感はどこにも向かうことが出来ない。
「俺達は戦った。正義を信じ、人の善を信じ、いつか、やがていつかはこの世界が良い方向に変わるんじゃないかと、希望を抱いて戦い続けた。だが結果はこれだ。どれだけ戦っても、どれだけ信じても、“何も変わらなかった”。
――俺達は何の為に戦った? あいつらは何の為に犠牲になった? こんな結果で……生き残った俺達は何を誇れば良い? 死んでいったあいつらは何を以ってその命に意味を見出せば良い? そこでようやく気付いたんだ。里見蓮太郎という男は世界を救うとか、ガストレアを滅ぼすとか、散々吠えるだけ吠えておきながら、数多の人を無意味な戦いに導いた史上最低最悪のペテン師だったということにな。
だから、俺は全てを終わらせることにした。何も変わらなかったこの醜い世界と偽善に満ちた里見蓮太郎という愚かな男の人生を」
「それが……お前の言い分か。お前の戦いは全部無駄だったのか?何の意味も無かったのか?」
「ああ。何もかもが無駄で、無意味だった」
蓮太郎の言葉を聞き、壮助は深呼吸する。溢れそうな何かを噛み潰すように必死に抑え、平常心を保つ。
「ありがとう。その言葉が聞けて良かった」
壮助は司馬XM08AGのセレクターをセーフティーからフルオートに切り替える。
蓮太郎も察し、抜刀術の構えに入る。
「――もう二度と口を開くな。ゴキブリ以下の糞野郎! 」
その言葉と共に壮助は銃口を蓮太郎に向け、トリガーを引いた。フルオートで射出された10発の弾丸は狙い通りに直進する。
――天童流抜刀術 狂錯柳舞
鞘から雪影が抜き出された瞬間、鎌鼬が暴れ回った。見えざる斬撃が四方八方に飛び回り、壮助の弾丸を斬り伏せて弾道を逸らす。周囲の壁、眼前の床を走った斬撃から大理石の欠片が飛び散り、瓦礫の埃が視界を潰す。
壮助は即座にライフルを左手に持ち替え、右手は腰のホルダーから引き抜いたサバイバルナイフを握る。銃を持たない蓮太郎は必ず間合を詰めて得意な接近戦に持ち込む。2人の視界を潰して分断し、弱いプロモーターから先に潰しにかかる筈だ。その考えは正しかった。
瞬間、埃が舞う空間を斬り裂き、雪影の刃が迫る。相手は鋼鉄すら容易に断つと言われる業物、受け止めようものなら得物と共に胴体を二分されるだろう。
身を躱しつつ、ナイフで雪影の側面を叩き、無理やり斬撃の軌道を逸らす。切っ先が額を掠め、前髪を数ミリ持って行く。
続けて返し刀で上から降りかかるが後ろに転がって切っ先が届く範囲から外れる。
身を起こし、相手の攻撃範囲から離れた直後、壮助の脳裏に蓮太郎の技がフラッシュバックする。彼の剣術に物理的な攻撃範囲は意味を成さない。相手が刀の届く範囲から出れば、“見えざる斬撃”が来る。
空気が流れ、土埃が動いた。圧縮された空気が鎌を象りこちらに向かってくる。
――しまった!
目の前に巨大な槍が現れ、一振りで斬撃を弾き返す。その一振りの風圧で視界を潰す瓦礫の埃は一瞬で消し飛び、視界がクリアになる。最初に見えたのは重槍”“一角”を握る詩乃の後ろ姿だ。全長3メートル、重量200キロ。使用者への負担を一切考慮せず、バラニウム合金をふんだんに使用した重槍を片手で軽々と振るう。
「悪ぃ。助かった」
「お礼は後でいっぱい貰うからね」
「何を要求されるのか想像したくもねえな」
仕切り直すかのように蓮太郎は雪影を鞘に納め、再び抜刀の構えに入る。2人から視線を逸らさず、武道のように摺り足で位置を調節する。詩乃も壮助の盾になるように前に立って槍を構え、壮助は左手のライフルを蓮太郎に向ける。
2人の下に斬撃が飛ぶ。真正面から床を抉りながら突き進むそれを詩乃と壮助は左右別々に飛んで回避する。今、2人が蓮太郎に勝る明確な要素は数の利だ。単純な人数であり、それを生かす為には二手に分かれ、蓮太郎の意識を分散させることだった。
詩乃が身体を転がせ、顔を上げた瞬間、蓮太郎が迫っていた。咄嗟に槍を振るい、彼の足を止めるが、攻撃の合間を縫われ、何度、刃と刃を打ち合ってもバネのようにすぐに距離を詰められる。
詩乃は一角の柄で雪影を受け止める。刃と柄の間で火花が飛び散り、両者の息が顔にかかる距離まで詰められる。怒りに満ちた蓮太郎の視線と冷静に相手の力量を見極める詩乃の視線がぶつかる。
「この距離ならあいつも手出しは出来ない。お前に当たるかもしれないからな」
「壮助はそんなヘマはしないし、私がやらせない」
詩乃は右脚を上げると力を入れて床を踏み抜いた。大理石の床とその下の地盤を踏み抜き、脛まで埋まった足を彼女は地盤諸共“蹴り上げた”。前方7~8メートルの地面が90度まで持ち上がり、壁のように聳え立つ。
詩乃の滅茶苦茶なパワーに驚愕する間も無かった。蓮太郎は持ち上がった地面に巻き込まれてバランスを崩す。その最中で義足のカートリッジを解放し、足裏のスラスターを点火させ、一気に飛び出す。
蓮太郎が逃げる隙を狙い、壮助はトリガーを引き、流れるように銃弾を叩き込むが、スラスターの出力を調節し、フィギュアスケートのように地面をホバリングしながらロビーの隅にある柱に身を隠す。
パワー特化型のイニシエーターが
乱れた呼吸を整える間も無く、風を切る音がした。
蓮太郎は咄嗟に身を屈めると、彼の頭上をバラニウムの槍が横切った。身を隠すコンクリートの柱を薙ぎ払い、その先の壁も刃で抉り取る。タイミングがあまりにも早すぎた。まるで自分がこの柱を盾にして隠れることを最初から分かっていなければ説明がつかない。
その時、蓮太郎は悟った。自分は銃撃を回避し、身を隠すために柱を盾にした。だが、実際はその逆だった。壮助の銃撃は外れたのではなく、自分を柱の裏に追い込む為の誘導に過ぎなかった。相手の攻撃から身を守る柱の陰というメリットを利用し、スピード特化型の自分が足を止めるという弱点を晒すことも2人は予測していた。
詩乃が槍を振り切ったタイミングを見計らって蓮太郎は義肢のスラスターを一瞬だけ点火し、距離を取る。しかし、詩乃はすぐに蓮太郎を追い立て、質量の暴力を振るう。通常、屋内の戦闘で長柄の槍は不利な武器として挙げられる。壁や柱(長さによっては天井も)などの障害物が邪魔をし、動きが阻害されるからだと言われている。しかし、詩乃の前では例外になる。高密度のバラニウム合金を使用した槍の質量、詩乃が生み出す筋力は柱を薙ぎ払い、壁を穿ち、床すら抉り取っていく。全てが発泡スチロールで作られた映画セットだと錯覚してしまうほど、彼女は息をするようにあらゆるオブジェクトを破壊していく。
どれだけ力と速度に差があっても、両者が人の形を成しているのであればその攻防には武術が伴う。詩乃の攻撃は一度も蓮太郎に当たらず、動けば動くほど
詩乃が重槍を大きく横に薙ぐ。既に彼女の動きを見切っていた蓮太郎は跳び上がり、右脚を大きく上げる。
――隠禅・上下花迷子
義足のスラスターを一気に点火し、重槍に踵落としを叩き込む。重槍は本体の質量と踵落としで地面に蹴り落とされ、刃先が地盤に埋まる。詩乃は重槍を握っていた右手を勢いに持って行かれてバランスを崩す。
「詩乃! 下がれ! 」
――あの里見蓮太郎がその隙を見逃すはずがない。壮助は咄嗟に指示を出し、司馬XM08AGを構える。読み通りだった。蓮太郎は詩乃がバランスを崩した隙に一気に距離を詰める。残された時間は蓮太郎の拳が詩乃に届くまでの刹那、銃に内蔵された照準アシスト機能は使い物にならない。自分と蓮太郎との距離、弾丸の速度と軌道予測、目標の動き、風向き、重力、それら全てを直感で把握した。セレクターをセミオートに切り替え、引き金を引いた。
1発の銃声と共に5.56mm弾が蓮太郎の左腕を貫いた。肘から体内に入り込んだ弾丸は肉を断ち、骨を砕く。銃口のライフリングによって錐揉み回転する弾丸は内部を掻き回しながら前腕と上腕を突き抜け、肩から飛び出した。弾丸が生み出す衝撃波に蓮太郎の左腕は後方に持って行かれる。今の衝撃で左肩の骨も砕けただろう。しかし、蓮太郎は悲痛な叫び声一つ挙げない。それでも走る激痛、弾丸の熱が内部から神経を焼く感覚は確実に彼の神経をすり減らしていく。
壮助は狙いを定めたまま2発目のトリガーを引き、蓮太郎の腹を撃ち抜く。穴が開き、血が流れると共に彼は崩れて片膝を付く。黒い弾丸はもう動けない。彼を仕留めるには今しかない。こんなクソッタレなテロに終止符を打つ最後のチャンスになるかもしれない。自分たちが生きてここから帰る最後のチャンスになるかもしれない。
そして、3発目の照準を彼の頭部に合わせ、引き金を引いた。
蓮太郎は右手を顔の前にかざし、壮助の放った弾丸を掌で受け止めた。義肢に触れた瞬間、弾丸は蒸発し、気体となって消える。
蓮太郎の義眼・義肢・義足から群青色の炎が噴き上がる。周囲は熱気で空間が歪み、まるでライトアップされたかのようにロビーが明るく照らされる。終末の炎は壮助と詩乃の網膜に焼き移り、2人に視線を釘付けにする。
――虎搏天成
呪われた子供の目でも蓮太郎の動きは追えなかった。詩乃が気付いた時には蓮太郎の拳が胴体に突き刺さっていた。装甲の隙間からチェレンコフ放射光があふれ出し、群青色の炎が今にも彼女の身体を焼き尽くさんとする。大気が揺らぎ、何重もの壁を突き破って彼女の身体は飛ばされた。どこまで突き飛ばされたのか分からない。どこかに着地したとして彼女の身体は人間の形を保っているかどうかも分からない。
「詩乃! ! ――――――! ? 」
壮助と詩乃の間には距離があった“はず”だった。しかし、詩乃がふっ飛ばされたことに気付いた頃には蓮太郎の拳が眼前に迫っていた。壮助は咄嗟に握っていたライフルでガードする。天童流戦闘術ではない無名の拳だが、ライフルは盾の役割を果たす間も無く義肢から溢れ出る熱で溶解し、蓮太郎の拳は壮助の身体を直撃した。宙に飛ばされた彼の身体は冷たい床に落ち、何度も転がる。
自分に何が起きたのか理解できなかった。頭がガンガン鳴り響いて、視界の半分が真っ赤になる。殴られた胴体がどうなっているのか分からない。熱いのも寒いのも感じない。ただ痛みだけが脳に伝わる。そもそも今の自分は手足がちゃんと付いているんだろうか。首と胴体がちゃんとくっついているのだろうか。立ち上がろうと地に手を付けた瞬間、空港に行く前にファミレスで食べた物と血が一緒になって吐き出される。
――駄目だ……。強過ぎる。チクショウ……。誰だよ。義眼をぶっ壊したから楽勝だとか言ってた奴……。話が全然違うじゃねえか……。
壮助は袖で口を拭い、何とか立ち上がる。生まれたての小鹿のように足が震える。蓮太郎への恐怖が現れる。だが、何とか意識を繋ぎ止め、視覚を取り戻す。
詩乃がいた場所に再度目を向けるがそこに彼女はいない。壁には大穴が開けられており、その遥か向こう側に彼女がいるのだろう。心配して駆け付けたい気持ちで一杯になるが、目の前の敵はそれを許してくれそうにない。
蓮太郎がこちらに視線を向けていた。ゆっくりと足を前に進めて自分に向かってくる。それはまるで処刑人のように一歩一歩が重く、彼が一歩近づくにつれて壮助の思考は恐怖に支配されていく。
イニシエーターは地平の彼方に飛ばされた。ライフルはドロドロに溶けて無くなった。武装ドローンのせいで大角ペアの合流も期待できない。あのペアがいても勝てるかどうか分からない。残った武器はナイフ、
壮助は再度、蓮太郎に悟られないように目を動かして周囲を見る。どこを見ても瓦礫だらけでテロ以前の状態を保っている物体など一つも存在しない。相変わらず酷い有様だ。その中で倒れるベレッタM92を握った
――あれは、賢者の盾……。そういえば、すっかり忘れてたな。
壮助はニヤリと笑みを浮かべた。自分の顔を殴り、目を覚まさせる。震えていた足を叩き、喝を入れる。そして、勢いをつけて顔を上げた。
「なんだ。思ったほど大したパンチじゃねえな。これなら中学の時に喧嘩した3年の先輩の方がマシだったぞ? 見損なったぜ。IP序列元50位“
壮助は両手を広げ、自分がまだ平気だと挑発する。平気そうに振る舞うが、実際は満身創痍だ。呼吸すらまともに出来ない。
「どうした? 俺はまだ生きてるぞ。さっさとかかって来いよ。見ての通り、俺はただの人間だ。インチキ拳法の使い手でもねえし、トンデモ剣術の使い手でもねえ。銃の扱いも素人に毛が生えた程度。優秀なイニシエーターのお陰で9644位なんて訳の分かんねえ序列に置かれているが、俺自身はガキの喧嘩で強かったから調子に乗って民警になっちまった頭の残念な奴だよ」
「……それだけ自分が弱いと分かっていながら、どうしてここに来た?」
「6年前、藍原が呪われた子供だと発覚した日、俺は昇降口でアンタを見た。
居場所を失うのが恐くて、クラスメイトの罵声に怯えて、教室から逃げ出した俺にとって、アンタはヒーローだった。失うことを恐れずに正義を貫く姿が眩しく見えた。
あの人みたいな強さが欲しかった。
あの人みたいな勇気が欲しかった。
あの人みたいな意志が欲しかった。
けど、そんな俺の憧れを真正面から全否定しやがったゴキブリ以下の糞野郎がいる。そいつは堂々と俺の前に立っていて、俺の憧れた奴と同じ姿をして生きている」
壮助は腰のホルダーからサバイバルナイフを抜き、刃先を蓮太郎に向ける。
「俺の憧れと一緒にここで死んでくれ」
「それは出来ない相談だ。確かに俺は全てを終わらせるためにここに来た。だが、ただで終わる訳にはいかない」
蓮太郎が拳を引き、天童流戦闘術の構えに入る。
天童流戦闘術一の型八番 焔火扇
蓮太郎がスラスターの出力に乗って正拳を突き立てる。爆速で前進する義肢が空気との摩擦熱で炎を帯びる。それは烈火の流星の如く大気中の塵を燃やし、義肢を構成するバラニウムが赤熱していく。
「やれるもんならやってみやがれ! こうなりゃヤケだ! 」
壮助はベルトに引っ掛けたホルダーからグレネードを引き抜き、歯でピンを抜く。グレネードから黒色の煙が噴き出し、周囲を包んでいく。
蓮太郎は狼狽えなかった。爆速する拳を突き出し、風圧で煙を吹き飛ばす。隠れる隙など与える気は無い。拳は虚空を突いた。
黒煙で身を隠した隙に壮助は蓮太郎の左側に回り、ナイフで胴を狙う。蓮太郎は武装が右に集中し、義眼となっている左目は玉樹に潰されて視界の確保が難しくなっている。そんな彼の左側を狙うのは当然の手段であり、壮助の予想通り、蓮太郎には首を振って右目で左側を見るまでのタイムラグがあった。
「もらった!!」
壮助は刃を横に薙ぐ。間合は刃を届かせるには十分だったが、予想以上に早く蓮太郎が身を躱す。自分の弱点を蓮太郎が理解していない筈が無く、壮助を視認する前に身体は既に動いていた。振られた渾身の刃は切っ先で布を斬る程度に留められ、傷を付けるには至らない。
攻撃が失敗したと分かった瞬間、壮助はスモークグレネードを落とし、自分と蓮太郎を黒煙で包む。
「何度やっても無駄だ」
義肢の内燃機関を点火し、腕を振った。音速を越える衝撃と共にグレネードの黒煙は消し飛び、視界がクリアになる。
背後から駆ける足音が聞こえた。壮助が脇構えで回り込む。抜刀術における基本の構え、身体で刀身を隠し、相手に得物の間合を読ませない効果がある。無論、それは相手にとって得物が初見であった場合であり、壮助は既にナイフを何度も蓮太郎の前に晒し、その間合は把握されていた。
蓮太郎は最初の攻撃からナイフの刃渡り、壮助の構えから想定される剣戟、間合を計算し、振り向きざまに身を躱す。
壮助は腕を振るい、水平に刃を振るう。ナイフでは到底届かない距離だ。しかし、刃は蓮太郎に届いた。コートとシャツを難なく切り抜け、胸の皮膚、筋肉まで斬断する。
蓮太郎は壮助の得物に目を向けた。手に握られていた刃物、それは刃渡り30センチのサバイバルナイフではなかった。見慣れた柄、鍔、黒い刀身と刃紋、それは紛れもなく“雪影”だ。はっとして自分の腰を見る。ベルトと雪影の鞘を結んでいた紐が斬られており、そこにあった筈の雪影が鞘ごと無くなっていた。
「――――――っ! ! ! !」
刀傷は浅い。蓮太郎は歯を喰いしばって痛みに耐え、雪影の間合から逃れる為に身を仰け反る。
その時、蓮太郎の視界に銀色のブレスレットが現れる。
雪影にコートを斬られ、ポケットに入れていたそれは切り口から飛び出した。
蓮太郎は落とさないように手を伸ばす。まるで延珠が自分から離れていってしまうような幻覚に襲われる。バラニウムの義肢が目に入った途端、延珠を殺した日がフラッシュバックする。あの時、自分に手足が残っていたことをどれほど恨んだだろうか。あの日から義肢を違うものに変えても、スプリングフィールドXDを手放しても、引き金を引いた右手の人差し指を切り落としたい衝動にかられる。
蓮太郎は必至に手を伸ばした。
これを手放すと延珠との思い出も一緒に手放してしまいそうで――
割れたブレスレットの向こう側でタウルス・ジャッジの銃口を向ける義搭壮助の姿があった。
壮助は悪辣な笑みを浮かべ、引き金を引いた。ジャッジから放たれた410ケージ弾は空中で実包が破れ、中から無数の硬質ゴム弾が拡散する。一つ一つが小さく殺傷力は期待できない。しかし、拡散した弾丸は宙に上がったブレスレットを破壊し、蓮太郎の皮膚を打ち付けた。無数の散弾は全身の痛覚を刺激する。人体が痛みを感じる機能がフル稼働し、目の前でブレスレットが破壊される光景も相まって彼の脳に悲劇と痛みを焼き付ける。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! ! ! ! 」
蓮太郎の悲痛な叫びが響く中で壮助は引き金を引き続ける。装填された5発を撃ち尽くすまでひたすら引き金を引き続ける。4発目までを生身の左半身に集中させ、完全に動きが止まったタイミングで5発目を顔面に叩き込んだ。
その時、贖罪の仮面は外れた。
初投稿から約3年、ようやく第一章のラストに差し掛かりました。
「プロローグ的な話だから短めにする」「いつでも終わらせられるように第一章のみでも成立するストーリーにする」と自分で考えておきながら、シン・ゴジラの影響で政治パートを入れたり、パトレイバーの影響で警察パートを入れたり、あれやこれやと話が二転三転して当初予定していたものから脱線してしまいましたが、何とかして壮助vs蓮太郎の1対1バトルにまで漕ぎつけることが出来ました。
蓮太郎も当初の予定から色々と設定を盛りまくった結果「これ義搭ペア瞬殺されて戦闘1行で終わるじゃね?どうすんの?」と悩んだりもしました。
さて、第一章も残り2話になります。
サブタイトルはもう決めているので、ここで公開します。
次回「贖罪の仮面」
最終回「里見蓮太郎になれなかった少年」
残り少ない話数ですが、最後までお付き合いください。