ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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2037年 7月某日――――暗がりのライブハウスで天使と出会った。


家族の記憶 ①

「日向鈴音です。これから、よろしくお願いします。義塔さん」

 

 壮助の前に立ち、鈴音は笑顔を向けて挨拶をする。

 春の温かさとウール毛布の柔らかさを彷彿させる彼女の雰囲気が直に当てられる。ニコニコと仮面のように貼り付いた笑顔が目の前に来たことで、心の中から悪意と敵意が薄れ、訳の分からない仕事を引き受けさせられたことに対するイライラも薄れてリラックスさせられる。ここがギターとドラムの音、ヴォーカルの歌声と観客の歓声が響く空間であることを忘れてしまいそうになる。

 

「あ、えーっと、その……よ、よろしく」

 

 すっかり牙を抜かれた壮助は恥ずかしそうに視線を逸らす。

 鈴音は突然、両手で壮助の手を握る。壮助は一瞬、心臓が跳ねあがった。女性に触れられるのは詩乃で慣れている。暴行もカウントして良いならティナにも触れられて(殴られて)いる。しかし、鈴音は2人と違い芸術品を扱うように優しく触り、手の甲を撫でる。壮助の心拍数は上がり、全身から汗が滲み出る。

 

「引き受けてくれて、ありがとうございます。動画だと怖い顔していたので少し不安でしたが、優しい方で安心しました」

 

 ――やめろよ! ! そういうの! ! 気安いボディタッチ! ! 勘違いするだろうが! ! あと汗でベタベタしますよね! ? ごめんなさい! !

 

 壮助の穏やかではない心中など知らず、鈴音はさり気なく手を伸ばして髪に触れる。そこから額、目鼻立ちをなぞり、手は首筋に触れたところで止まった。手は肩まで下がるかと思いきやその場で首筋の傷跡を撫でる。手を握るのはまだ分かるが、顔をなぞる彼女の行動の意図が分からない。訳の分からなさと近くなった距離で壮助の心中は鈴音の雰囲気とは真逆に穏やかさを失う。

 さすがに鈴音も壮助の様子のおかしさに気付いたのか、そっと手を引く。

 

「ごめんなさい。傷跡が気になったので」

 

「傷? ああ。これのことか。去年の仕事で他の会社のプロモーターに撃たれた時の奴だよ。ガストレア討伐の手柄を巡って民警同士で殺し合いっていう……まぁ、よくある話だ」

 

「痛かったですよね? 泣かなかったんですか? 」

 

「この程度じゃ泣いていられねえよ。これより酷い傷なんてたくさんあるし」

 

 ――熱々のバラニウム義肢をぶち込まれて内臓グチャグチャにされたし。

 

「そうなんですか。危ないお仕事なんですね」

 

「どれくらい危険なのかは知ってるんじゃないのか? ネットの動画見てるんだし」

 

「……それもそうでしたね。あ、ところで好きな食べ物と嫌いな食べ物は何ですか? あとアレルギーとかあります? 」

 

 唐突な話題の転換だった。てっきり民警の仕事の話でもするかと思えば、いきなり食べ物の話が飛んできたのだ。壮助は一瞬戸惑うが、大物アーティストの感性は常人の自分には理解できないらしいと勝手に解釈して納得する。

 

「好きな食べ物はカレー。嫌いな食べ物はシュールストレミング。アレルギーはなし」

 

「そうですか。料理に気を遣わなくて済みそうで良かったです」

 

 ――料理? 気を遣う? 何のことだ?

 

 疑問が解消される間も無く、鈴音からの質問が続いて行く。

 

「寝具に拘りとかあります? 枕が違ったら眠れなかったりしますか? 」

 

「別に無えよ。床だろうが道端だろうが未踏領域だろうが寝る時は寝る。何で俺の生活を知ろうとしてるんだ? そっちには関係ないだろ」

 

「休日は何されてます? 趣味は何ですか?」

 

「俺の質問はガン無視かよ。……趣味は映画鑑賞」

 

「護衛のついでに夏休みの宿題を手伝って貰ったりは……」

 

「小学校は4年生で中退。少年院時代は勉強なんてろくに出来なかったし、中学なんて3年生の時に1年通った程度だぞ。勿論、授業内容なんて1ミリも理解していない。つい数か月前に初めて三角形の面積の求める公式を覚えた俺が高校1年生の夏休みの宿題なんて手伝えると思うか? 」

 

「あと、千奈流さんから聞いたのですがイニシエーターの女の子とその……色々といやらしいことをしていると……出来れば護衛の間、そういうことは控えて頂けると……」

 

「してないし、頼むから俺の話を聞いてくれ! ! 何でそんなに俺の生活について知ろうとしてるんだよ! ! 」

 

「仕事は無期限、貴方は日向家に泊まり込みですから」

 

 ――と鈴音に代わって華麗が疑問に答えた。

 

「え? マジ? 」

 

「はい。マジです。『おはよう』から『おはよう』まで卑劣なストーカーから鈴音を守って下さい」

 

「24時間体制! ? 」

 

「問題ありません。民警に労働基準法は適用されていませんから」

 

「はい……。そうですね」

 

 イニシエーターという形式で年端もいかない少女に労働をさせている身として、ぐうの音も出なかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 東京エリア中腹部にある閑静な住宅街。政治・経済の中心となり眠らない街となった中心部にある省庁、企業などに努める人達に向けて作られたベッドタウンだ。静かで落ち着きがあり、夏休み初日ということもあってか公園で遊ぶ子供たちの声が聞こえる。

 ライブハウスで鈴音と邂逅した次の日、荷物をまとめて壮助と詩乃は日向家へと向かっていた。華麗から送られたメールに添付された日向家への地図を頼りに2人は住宅の塀に囲まれた道を歩く。

 

「悪いな。詩乃。変な仕事引き受けちまって」

 

「別に良いよ。付いて行くって言ったのは私だし。今日から夏休みだから学校も無いしね」

 

「こっちからだと友達の家とか遠いだろ? 」

 

「大丈夫。それに壮助だって色々と用事があるんだし、交代要員は必要でしょ」

 

 壮助は言い返せなかった。

 仕事を引き受けた後、華麗からは情報共有と共に様々な条件を突き付けられた。

 

 ・仕事は日向家に泊まり込みで行うこと(生活費は日向家負担)

 ・なるべく鈴音と一緒にいること

 ・仕事で得た情報は秘匿すること

・鈴音や家族に変なことをしたら社会的に殺す。連帯責任で空子ちゃんも道連れにする。

 

 ――本当に訳の分からない仕事だ。

 

 いつもなら安請け合いしない空子が二つ返事で条件を呑んだことも含めて今回の仕事は信用できる点が皆無に等しい。

 

「それで、護衛のフリって具体的にはどうするの? 」

 

「フリじゃなくて、いつも通り本当に護衛するつもりだ。ストーカーが居ないと確定している訳でもないしな。ストーカー紛いのファンなんて一人や二人普通にいるだろうし、そいつら捕まえて血祭りにあげて『悪は滅んだ。めでたし、めでたし』って感じにしようかと思ってる」

 

「もし居なかったら?」

 

「その時はサクラでも雇って一芝居打つかな」

 

「下手な演技じゃすぐバレそうだよね。向こうはプロの家族もいるし……」

 

 詩乃はスマートフォンで鈴音に関する情報をおさらいする。

 

 

 

 

 

 鈴之音(すずのね 2021年1月26日――  )は東京エリアの歌手、アーティスト、シンガーソングライター。本名は日向鈴音(ひなたすずね)。東京エリア出身。愛称は「スズ」。

 所属事務所はピジョンローズ・ミュージック、レコードレーベルはラフィングストーン。

 

来歴

 

 2035年春に放送されたドラマ「mother’s」の主題歌「私はここにいる」でメジャーデビュー。

 動画共有サイトで公開されたミュージックビデオが話題を呼び、更に「東京エリア放送レコードグランプリ」において新人賞を獲得したことで飛躍的に認知度を高める。

 同年、8月に発売された「海岸線」は2030年代の東京エリアにおけるダウンロード数最多記録を更新(2037年7月現在)。

 

(鈴之音の輝かしい活躍 省略)

 

 2037年6月、自身が主題歌を務めた映画「もう一度、貴方に恋をする」の完成試写会でファンの男性にナイフで襲われ、右腕に裂傷を負う。

 同月13日に無期限の活動休止を発表する。

 

 

人物

 

 12歳まで病弱で学校に通えず、母親から与えられた電子ピアノで作曲することが唯一の楽しみだった。13歳になってから学校に通えるようになるも今まで家族や病院関係者としか関わってこなかったことから人付き合いを苦手としており、MV撮影やコンサートは人の目があって今でも緊張していると語っている。

 穏和な性格で平和主義者。怒ることが無く、プロデューサーの積木雪路は自身のブログで「喜怒哀楽から怒が欠け落ちている子。優しさの塊のような子だが、もう少し自分勝手になって我儘を言ってもいいと思う。才能だけで生き続けることは難しい」と語っている。

 同事務所に所属する歌手の鬼瓦リンは「田舎のお婆ちゃんのような安心感がある」と語っている。

 缶詰が好きで好きな食べ物として「サバの味噌煮」「コーンビーフ」を挙げている。

 

 父親は聖居特別栄誉賞を受賞した瑛海大学・生物学科教授 日向勇志(ひなた ゆうし)

 母親は菊川興業所属の元舞台女優 日向恵美子(ひなた えみこ)

 妹は中学女子陸上競技大会・聖天子杯出場経験者 日向美樹(ひなた みき)

 

 

 ――――以上、Wikipedia「鈴之音」のページより一部抜粋

 

 

「絵に描いたようなサラブレット一家だね」

 

「こんな華麗なる一族と一緒に過ごさなきゃいけないのかよ。Wikipediaのページ見るだけで胸やけする」

 

 スマホ画面を見ている間に今回の仕事場である日向家の前に着く。

 四方を塀で囲んだごく一般的な2階建ての一軒家だ。周囲の住宅に合わせるようにベージュを基調としたカラーリングで統一されている。サラブレット一家、華麗なる一族と詩乃と壮助は評したが、そんな彼らでも今の東京エリアでは高級住宅や豪邸に住むことは出来ない。ガストレア大戦によって生存圏の大半を失った人類にとって、土地は非常に希少なものとなった。それはモノリスの結界の内側にしか生活圏が無い東京エリアでも同じ話であり、土地価格は大戦前の数十倍にまで跳ね上がり、「一軒家を持つのは金持ちの証」と言われるようになった。昔のように車を走らせるくらいの広さを持つ庭と居住人数の数倍の部屋がある豪邸に住めるのは、聖天子を除けばエリア最大の民警企業を営む我堂家、重工業を一手に担う司馬家など、ごく一握りの一族となっている。

 壮助は華麗から貰った地図でもう一度位置を確認する。表札も確かに「日向」だ。

 

「どうやら、ここで間違いないみたいだ」

 

「分かった」

 

 詩乃はすかさずインターホンを押す。

 

『はいはーい。今出ますねー』

 

 スピーカー越しに聞こえる鈴音ではない女性の声。

 ドアが開くとエプロンをかけた初老の女性――日向恵美子と彼女の後ろに付いて今回の護衛対象・日向鈴音が出迎えてくれた。

 事前に華麗から家族全員の写真を貰っていたので驚きはしなかったが、恵美子は鈴音と全く似ていなかった。人気歌手の母、元舞台女優というステータスから凄い美人を想像してしまいがちだが、恵美子はそのイメージからかけ離れていた。60代であることを考えれば背筋はしっかりとしているが、胴体は横に広く、手足も太く短い。笑みを浮かべる丸い顔は鈴音と似ていないが愛嬌があり、彼女の人となりの良さをよく表している。

 

「あら。久しぶりね。()()()()()()()()()()。あら、まあ、こんなに大きくなって」

 

「久し振りっす。()()()()()()()

 

「お世話になります」

 

 “夏休みで遊びに来た母方の親戚の兄妹”――というのが壮助と詩乃の設定だ。

 刺傷事件から一ヶ月、当時は過熱する報道合戦で人が絶えることの無かった日向家の入口前はすっかり人影がなくなり、世間の興味は区長選挙やイケメン俳優の不倫騒動にシフトしていた。しかし人々が完全に忘れ去った訳ではなく、今も日向家の前を張り込みしているファンや報道関係者がいないとも限らない。「民警を雇って家に招き入れました」と知られれば様々な憶測が飛び交い、あらぬ誤解を生み、壮助たちを家に入れたことが新たなスキャンダルとして鈴音の芸能活動を阻むようになる。

 その為、事前に華麗を通して打ち合わせを行い、親戚の兄妹という演技に付き合って貰っている。念のため、壮助は帽子を被ってなるべく顔を隠し、詩乃もパーカーのフードを被っている。

 

「久し振り。壮助くん。元気してた? 」

 

 まさかのタメ口、更に「くん」付け呼びに壮助は一瞬ドキリとする。なにこの天使ヤバい。

 服装もライブハウスで会った時のロックコーデとは異なり、シフォンなどの薄くて柔らかい生地を使用したワンピース、所々でフリルがあしらわれた女性らしい格好をしていた。家族ではない人間を家に招いているため、それなりに着飾ってはいるのだろうが、日常生活の姿ですら絵になる。

 詩乃の突き刺すような視線を察知し、壮助はすぐに我を取り戻す。

 

「それはこっちのセリフだよ。腕の傷、大丈夫なのか? 父さんも母さんも心配してたぞ」

 

「大丈夫。もう傷跡も残っていないし」

 

 そう言って、鈴音は左腕を見せる。彼女の言う通り、白い肌の腕はナイフの裂傷など嘘のように綺麗なままだった。

 

「さあさあ。熱いから早くお入り。クーラー付けてるから」

 

 恵美子に手招きされ、2人は玄関の中へと入る。扉がパタンと閉じられ、恵美子がロックをかける。それが演技終了の合図、家の中では日向一家と雇われた民警として接することになっている。

 

「あ、そういえば、これ母さんからのお土産です」

 

 壮助が演技を続けていることに日向親子は一瞬驚いたが、壮助がお土産と称し、『盗聴器が無いか調べます。しばらく演技に付き合ってください』と壮助の手書きのメモを出したことですぐに事態を理解した。

 

「2人とも遠くから暑かったでしょ~。冷たい麦茶用意してるから」

 

 流石は元舞台女優、恵美子は即興の演技で対応する。

 

「あの事件、けっこう大きく報道されたよな。ファンや関係者からお見舞いの品とかたくさん貰ったんじゃないのか? 」

 

 靴を抜いて家に上がりながら壮助は目の前に鈴音と恵美子に話しかける。親戚同士の与太話を演じる一環だが、同時に盗聴器探しの対象となる物品の聴取も兼ねている。

 

「ううん。全然。そういうのは事務所が一度チェックするし、基本的に自宅への持ち帰りがNGだから……。持ち帰れたのって、紙のファンレターとか、お店で梱包されたお菓子とか、それくらいなの」

 

「結構、しっかりした事務所なんだな。家の周辺も張り込みしてる人とか見なかったし、そういう圧力? みたいなのも凄そう」

 

「小さなところなんだけど、みんなが言うには社長とプロデューサーが凄いやり手みたい。昔のことはよく知らないから、何がどう凄いのかって聞かれるとよく分からないけど」

 

「へぇ~。そういえば、俺ら以外に誰か、ここにお見舞いとか来たのか? 」

 

「最初に武島社長と積木プロデューサー、あとマネージャーの星宮さんが来たよ。私のお見舞いもそうだけど、お父さんとお母さんに謝罪しに来たみたいで、3人揃って頭下げた時はもうビックリしちゃった」

 

「そりゃ凄ぇな。まぁ、ここ1~2年で一番ヒットしているアーティストだし、大事にされるのも当然か。学校の先生とか友達は来なかったのか?」

 

「先生なら家に来たよ。クラスを代表して寄せ書きとか持って来てくれた。友達とはメールやLINEでやり取りしてるくらいかな。迷惑になるから家に押しかけないようにしようって話し合って決めたみたい」

 

 ――それなのに動画で見ただけの民警は家に呼ぶのかよ。感性が分かんねえ。

 

 壮助は鈴音の背中を訝しく見つめながら、スマホを手に取る。サーモグラフィカメラを内蔵したカバーを装着させたもので、稼働することによって熱を発する盗聴器や盗撮カメラを熱感知によって見つける寸法だ。

 

「ちょっと動画撮って良い? 父さんと母さんにも無事なところ見せたいから」

 

 ――と言いながら、『サーモグラフィで盗聴器を探す』と書いたメモを見せる。

 

「良いけど、変なところ撮らないでね」

 

「了解」

 

 壮助はスマホカバーのカメラを家中に向ける。

 詩乃も同じものを使いながら、耳に意識を集中させる。マッコウクジラの因子を持った彼女は他の呪われた子供と比較して聴覚が非常に優れており、それで盗聴器の微かな稼働音を拾おうとしている。

「スマホのバッテリーヤバいから充電させて」と言って壮助はリビング、ダイニング、和室を調べ、詩乃は「汗かいたからシャワー使っていい? 」と言い、シャワーを浴びるフリをしながら脱衣所・風呂場、ついでにトイレの盗聴・盗撮機器を調べる。

 女子大生や普通のOL、風俗嬢からストーカー撃退依頼を受け、何度も仕事をしている2人は手際良く調べていく。鈴音と恵美子は見られたくないプライベートなものを見られたり、逆に変な機械を設置されたりしないか心配で背後から2人の仕事ぶりを見ていたが、逆に手際の良さを見て舌を巻く。

 

「とりあえず、1階全体と2階に続く階段は問題ないっすね。もう演技しなくて大丈夫っすよ」

 

 壮助の言葉に鈴音と恵美子はほっと胸を撫でおろす。

 

「後は2階の部屋なんすけど……」

 

 壮助はそう言って天井を見上げる。1階の間取りから考えて2階は鈴音の部屋と妹・美樹の部屋、夫婦の寝室だろう。いくら盗聴・盗撮機器を探すという大義名分があっても家族のプライベートルームを隅から隅まで探し回るのは流石に気が引いてしまう。

 

「私の部屋は構いませんけど、美樹はどうだろう……」

 

「美樹って、妹さん? 」

 

「あの子、民警さんが来るのも納得していなかったからねぇ」

 

 2人の会話からすると、妹の日向美樹は壮助たちを呼ぶことに納得しなかったらしい。赤の他人、(我堂のような大手ならともかく)民警という荒くれ稼業をしている人間に拒否感を示すのは当然のことだ。むしろ快く受け入れてくれた鈴音と恵美子に何か裏があるのではないかと勘ぐってしまう。

 

「あの子、聖天子杯の時からずっと不機嫌なのよね。陸上部も辞めちゃって、最近はずっとゲームしてるし」

 

「成績が悪くて落ち込んだとかですか? 」

 

「成績はむしろ良かったわ。自己ベスト更新、3位入賞。何が気に入らなかったのかしらね。まぁ、私もあれくらいの歳の時は些細なことで怒っていたし、その内、落ち着くわよ」

 

 4人が天井を見上げていると階段からトントンと足音が聞こえ始めた。玄関とリビングを遮る扉が開き、大きな欠伸の声が聞こえた。

 

「あ゛~。まだ眠ぃ」

 

 タンクトップとハーフパンツ姿(おそらく寝間着)の少女が階段から降りて来た。半開きの瞼、寝癖がついたアッシュグレーの髪、口の周りに付いている涎の跡、明らかに「たった今起きました」という風貌だった。

 壮助と詩乃が来ているにも関わらず、そんな姿を晒す妹・美樹に恵美子は「あちゃ~」と頭を抱える。

 

「おはよ~」

 

「あんた、もう昼過ぎよ。まさかずっと寝てたの?」

 

「3時までゲームやってた」

 

「いくら夏休みだからってだらけ過ぎよ。夏休み明けがしんどくなっても知らないからね」

 

「まだ初日だから良いじゃん。後半はちゃんとするから。あと、こいつら誰? もしかして姉ちゃんが呼んだ民警? 」

 

 美樹は壮助たちには既に気付いている。それでも慌てふためいて髪を整えようとしたりしないのは、無頓着なのか、壮助たちのことを何とも思っていないのか、それともそんな姿でも人に見られて恥ずかしくないと思えるくらい自分の容姿には自身があるのだろうか。

 

「IP序列7000位 義塔壮助。こっちがイニシエーターの森高詩乃」

 

 壮助がライセンスを美樹に見せて自分達のことを紹介する。

 詩乃に目を向けると、いつの間にか鈴音が詩乃の顔を掴み、パン生地のようにグニグニとこねていた。詩乃は一切抵抗する素振りを見せず、ちびっ子に撫で廻される躾けられた飼い犬のような光景が目に映る。昨日、壮助の手を握ったり顔に触れたりしたのは男を落とすテクニックとかではなく、単に何かに触っていないと落ち着かない性分なのだろう。

 

「ふ~ん」

 

 美樹はまじまじと壮助と詩乃を見つめ始める。

 鈴音の妹ということもあって美樹も美少女と言っても過言ではない顔をしている。しかしその雰囲気はおっとりしていてフェミニンな鈴音とは違い、挑発的でボーイッシュさを醸し出している。

 

「姉ちゃんって男の趣味悪いね」

 

「からかわないの」

 

 ニヤリと笑みを浮かべる美樹に鈴音は澄ました顔で否定する。

 

「美樹。民警さんが貴方の部屋の盗聴器とか探したいらしいんだけど、片付いてる? 」

 

「げっ。そいつが私の部屋に入るの? 」

 

「俺が嫌なら詩乃がやるけど」

 

 壮助は詩乃を指さすと美樹の視線は詩乃へと誘導される。美樹は詩乃の顔をまじまじと見ながら「う~ん」と唸った。

 

「まぁ……PC壊さないなら良いよ」

 

 

 

 *

 

 

 

 壮助と詩乃は2階に上がり、壮助は鈴音の部屋を、詩乃は美樹の部屋を調べることになった。夫婦の寝室は最後に2人一緒にやる予定だ。

 美樹の部屋に入った詩乃は思っていた以上に彼女の部屋が片付いていたことに驚いた。寝起き姿を見られて堂々としていた彼女のズボラさから考えて、てっきり脱ぎ散らかした服やお菓子の袋が散乱し、掃除からしなければならないと思っていたからだ。

 彼女の部屋はベッドと学習机、小さなテーブルと本棚が置かれたシンプルな部屋だった。学習机の上には画面の大きなデスクトップPCが置かれており、キーボードとゲーミングマウスで机は占められている。学習机として機能はもう果たしていないだろう。

 詩乃はサーモグラフィを頼りに部屋の隅々を探していく。ベッドの下、クローゼットの中、PC周辺の配線――しかし1階と同様に怪しい熱源は見つからない。

 

「この部屋も問題ないです。喋って大丈夫ですよ」

 

「サンキュー」

 

 仕事をする詩乃を後方から眺めていた美樹は学習机の椅子に跨り、朝食代わりのアイスを頬張っていた。

 

「詩乃ちゃんだっけ? 大変だね。夏休みなのに姉ちゃんの被害妄想に付き合わされて」

 

「気にしていません。仕事ですから」

 

 会話終了。

 

 もっと愚痴でも聞けるのかと思ったが、詩乃の淡泊な回答を前に美樹は閉口する。しかし、ただ無い物探しをする詩乃を後ろから見るだけではつまらないと思い、違う話題を引き出す。

 

「イニシエーターなんでしょ? ガストレアってやっぱり恐い? どれくらい倒したの? 」

 

「物心ついた頃からガストレアと戦っていたので、恐怖心はあまり無いですね。東京エリアに来る前はそれが日常でした。あと討伐数は覚えていません。数えるのが面倒になるくらい倒しましたから」

 

「すげえ……」

 

 淡々と告げられた詩乃の回答内容に美樹は舌を巻く。東京エリアの中心近く、モノリスから遠く離れたこの住宅街ではガストレアを見かけることはほとんどない。超高高度から侵入されたならともかく、地上から入って来たガストレアは外周区でそれなりの額で売買される臓器や血液目当てに赤目ギャングに討伐され、外周区を突破しても内地の外寄りには討伐報酬目当てでガストレアの侵入を虎視眈々と待つ民警達が襲撃するため、90%がここで討伐される。日向家のあるベッドタウンにガストレアが到達したことはここ数年で一度もない。ガストレアを一度も見ることなく育った無垢な世代も珍しくなくなってきた。

 

「銃は? どんなの使ってるの? ガストレアって大きいし、やっぱりアサルトライフルとかマシンガンとか大きなやつ? 」

 

 美樹は目を輝かせながら詩乃に質問攻めをする。詩乃は部屋にあるゲームソフトをチラリと見ると、実在する銃が出て来るリアル系FPSがあった。銃に興味を持っているのはその影響だろう。

 

「昔はそれなりに使ってきましたが、今は使っていません」

 

「どうして?」

 

「銃よりも剣や槍で倒した方が手っ取り早いですから。バラニウム弾の費用も馬鹿にならないですし」

 

「な~んだ。残念。本物見せて貰おうかなって思ったのに」

 

「ついでに言うと、少し前の仕事で武器が壊れてしまいまして、この仕事の報酬で新しく調達しようかと思っています」

 

 詩乃は里見事件で200キロの超重量級バラニウム槍“一角”を失った。それ以降もバラニウム製の近接武器を調達したものの、いずれも武器が彼女のパワーに耐えられず自壊している。金があったところで市販の武器の中に彼女の要求に応えられるものがあるかどうかは分からない。

 

「っていうかさ、敬語口調やめよう。これから同じ屋根の下で暮らす仲だし、外じゃ親戚って設定でタメ語使うんでしょ? 」

 

「そのつもりですが……」

 

「それならいっそ家の中でも親戚みたいにタメで話そう。家の中じゃ敬語なのに外じゃタメ語とか、雰囲気違い過ぎて外で笑い死にしそう」

 

 美樹の言うことにも一理ある。詩乃も壮助も演技のプロではない。家の中と外でキャラを使い分けていれば、いずれボロが出るだろう。

 

「じゃあ……そうするね。美樹お姉ちゃん」

 

「お。意外とノリが良いねぇ。こういう妹が欲しかったな~。いや、もうイニシエーター辞めてウチの子になっちゃえよ~。うりうり~」

 

 美樹は詩乃の事が気に入ったのか、1階で鈴音がそうしたように顔や頭をこねくり回した。やたらスキンシップが激しい姉妹に揉みくちゃにされ、詩乃の髪は寝起き姿の美樹よりも酷い状態になった。

 

 

 

 *

 

 

 

 ――なにこれ。監獄?

 

 大人気アーティス・鈴之音こと日向鈴音の部屋に入った壮助の第一印象だ。

 壮助は鈴音に“女の子の理想”を見ていた。壮助の周囲にはまともな女子がいなかった。妙なところで価値観が色々とズレている詩乃、強気で説教された記憶しかない空子、生意気で口喧嘩した記憶しかないヌイ、銃と暴力とピザの化身であるティナ、etc……。そんな壮助の前に現れた“まとも女子”である鈴音に対して理想を見ずにはいられなかった。

 きっと可愛い小物があったりベッドとかカーテンとかがフリフリしていたり、良い匂いがしたりするんだろうと思っていた。――見事なまでの監獄である。

 彼女の部屋には物が無かった。ミニマリストと言うほど極端では無いが、シンプルに生きる為に必要なもの、学生生活に必要なもの、アーティスト生活に必要なものだけが揃えられている。

 家具はベッドと卓上テーブル、電子ピアノだけが置かれており、電子ピアノが無ければ本当に監獄だと思えるくらい彼女の部屋には無駄や娯楽といったものが無かった。衣服はクローゼットの中に数着だけ、部屋の隅には申し訳程度にカラーボックスが置かれている。本は一切見当たらず、代わりにタブレットが置かれている。きっと電子書籍派なのだろう。てっきり好きなアーティストのグッズやポスターがあるのかと思ったが、見当たらない。

 この部屋から日向鈴音がどういう人間なのか、その私生活を汲み取ることが出来ない。

 あまりにも部屋がスッキリしていたので盗聴器探しも30秒で終わってしまった。

 

「この部屋もクリア。なんて言うか……、監獄みたいだな」

 

「友達にもよく言われるんです。『鈴音ちゃんって欲が無いよね』とか『妖精とかそういう類の存在なの? 』とか……」

 

「まぁ、こんな部屋だったら霞を食べて生きてる仙人って思われても仕方ないよな。てっきり、もっと散らかっているのかと思った」

 

「わたしって、部屋を散らかしているように見えますか? 」

 

「見えるっていうよりは、状況から考えてそうなっている可能性が高かっただけ」

 

 壮助の言っていることが分からず、鈴音は首を傾げる。

 

「あくまで俺の経験則なんだが、ストーカー被害に遭っている奴はまず視線に怯えるんだよ。いつも誰かが自分を見ている様な気分になってくるんだ。外出している間だけ感じていた視線を部屋の中でも感じるようになる。風呂でもトイレでも感じるようになって、段々と自分を見られるのが嫌になってくる。そこまで追い詰められた奴はまず自分の周りを物で満たし始める。気を紛らわせるつもりで買っていたつもりが、買うこと、物理的に空間を満たすことが目的になってくる。収納スペースが足りなくて散らかる程度で留まる奴もいれば、拗らせてゴミ屋敷を作っちまう奴だっている。

 

 “物で埋まった空間に人はいない。目は無い。だからそこからの視線は無い。”

 

 そんな理屈で安心感を得ようとするんだよ。特に、今回みたいに怪文書や不審物みたいな目立った痕跡が無いケースはそれが顕著になる筈なんだけど……」

 

 部屋の状況から考えて鈴音はそれに当てはまらない。華麗からの話であれば被害妄想を抱いており、精神的に参っているという話だったが、今こうして話している間もその兆候は見られない。

 それどころか、鈴音は壮助の話を理解していなかったようで「? 」と首を傾げる。

 

「まぁ、色々と難しいことを言ったけど、ホラー映画見る時、毛布で自分を包んでいると謎の安心感が出るだろ? そういう感じだ」

 

「なるほど……」

 

「だから、ここまで部屋をスッキリさせている人は初めて見たよ」

 

「私の場合ですと物があった方が落ち着かないと言いますか、色んなものが気になって、目が疲れてしまうんです。小さい頃はずっと病室に居ましたし、目の病気にもなってほとんど見えていなかったので……」

 

「Wikipediaに書いてあった病弱っていうのは、目のことか? 」

 

「目もそうなんですが、身体が弱くて病気がちっていうのもありました。あの頃は音と手の感触だけが頼りで、ちょっとしたものに躓いて転んでいたのも覚えています」

 

 スキンシップが多いのは手の感触から情報を得ようとする目が見えなかった頃についた習慣の名残、彼女のアーティストとしての感性も音からしか情報が得られず、音でしか娯楽を作れなかった病弱だった頃の特異な環境が育んだもの、部屋に物を置かないのも目が見えない状態で転んだ恐怖から来ているのだろう。

 

「あ、今は心配ないですよ。身体はもう健康ですし、視力も2.0ありますから」

 

「逆にすげえな」←両目1.3

 

 それから夫婦の寝室も調べたが、盗聴器の類は見つからなかった。ストーカー被害の痕跡は無い。華麗の言う通り、鈴音の被害妄想と結論付けるのが現実的なのだろう。そうなれば、「如何にして鈴音を安心させるのか」というのが仕事の焦点になるが、厄介なのは、当の鈴音に怯えた様子が無いことだ。刺傷事件のトラウマでも抱えているのかと思えばそうでもなく、ストーカー被害の妄想すら見えない。

 彼女の“怯え”が仕事の発端であり、“怯え”を無くすことで仕事が終わる筈だが、その“怯え”が観測できない。

 

 ――この仕事、どうやって終わらせれば良いんだ? 訳が分かんねえ……。

 

 恵美子に言われて夕食作りの手伝いをさせられながら壮助は内心、頭を抱えた。

 

 

 

 *

 

 

 

 私の名は、日向勇志。66歳・既婚。2人の娘あり。

 

 瑛海大学理学部生物学科・名誉教授、聖居特別栄誉賞受賞者という大層な肩書を持っているが、日々の研究に追われ、学生の研究の面倒を見て、家では家族サービスに興じる平凡な男に過ぎない。

 今日は上の娘・鈴音が家に呼んだ民警が来る日ということもあり、無理矢理予定を早めて大学を出た。家に赤の他人、その上、民警という危ない仕事をしている人間を家に招き入れるなど普通なら猛反対していたが、今までワガママ一つ言わなかった鈴音の頼みとあって断ることが出来なかった。

 娘の仕事の関係者からも「大丈夫です。見た目はあれですけどコンプライアンスとかはしっかりしている人ですから」と保証されたが、それでも不安なものは不安である。

 

 ~

 

 縛られた妻「ん~!!ん~!!」

 

 衣服の乱れた娘達「「うぅ……グスッ……。穢されちゃった。もうお嫁に行けない」」

 

 民警野郎「お義父さんこんちわ~。娘さん達ゴチになりました~」ギャハハハ! !

 

 ~

 

 もしこうなっていたらどうしよう……。その時はあれだ。この傘で中学生の頃に学んだ天上天下無双流・唯我独尊曼荼羅斬で民警野郎の頭蓋骨をかち割ってやろう。恐れることはない。相手は同じ人間だ。

「ただいま」と言って玄関扉を開ける。目の前にはリビングへ繋がる通路があり、廊下とリビングを隔てるドアが開いていた。向こうからは妻と2人の娘、別の少女(おそらくイニシエーターだろう)の声が聞こえる。

 不用心に開いているドアの隙間からリビングの様子が、脱ぎ捨てられた衣服が見えた。

 

 ――まさか……まさか……! ! 頼む私の勘違いであってくれ! !

 

 想像していた最悪の事態を脳裏に浮かべながら靴を脱ぎ捨てリビングへ駆け込む。

 そこには、上半身裸で正座させられ、妻と娘とイニシエーターの少女に身体をペタペタと触られる民警野郎の姿があった。

 

「うわっ。意外と筋肉すごいね。右手で銃持ってるの? 右腕だけアンバランスに太くてキモい」

 

「けっこう傷だらけなんですね。これって何の傷なんですか? 」

 

「若いからって、あんまり無理しちゃ駄目よ~。怪我したら元も子も無いんだから」

 

 金髪ヤンキーの民警野郎は手で顔を隠し、4人の女性に弄り回される自分の情けなさにすすり泣いていた。

 

「何でだよ……。何で俺だけいつも最下位なんだよ。何で俺だけ罰ゲームで服を脱がされるんだよ。もうやだ……お婿に行けない」

 

 何の話か分からなかったが、リビングにゲームのコントローラーがあることから察するに彼は娘達にゲームに負け続け、罰として一敗ごとに服を脱がされたのだろう。

 

 

 民警野郎が私の娘たちに手を出さないか心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。

 仲も良さそうで安心した。

 

 天上天下流・唯我独尊曼荼羅斬で頭をかち割るのは保留にしてあげよう。

  

 




第二章、別名「日向家居候編」が始まりました。

第一章では作中最強のテロリストといきなり戦わされて内臓消炭にされ、前々回までは作中最強のイニシエーターに監禁されてなぶり殺しにされ、ピザの食べ過ぎで発狂して幼児退行して、未踏領域にパラシュート無しダイビングさせられて、とにかく散々な目に遭わされた壮助に流石の作者も「これはかわいそうだ」と考え、美人姉妹(両親付き)と同じ屋根の下でゆっくり過ごす超イージーモードミッションを与えた次第でございます。


まぁ、第二章の予告があれなので、平和なまま終わる訳では無いですが……


鈴音ちゃんの楽曲はやなぎなぎさんの雰囲気をイメージしています。


次回も続きます。日向家居候編。

「家族の記憶 ②」

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