ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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突発的にヒプノシスマイクの影響でラップにハマったものの、歌詞を考えるだけで休日を丸一日費やしたジェイソン13です(前回一番時間がかかったのがそこです)。
あんなのを即興でたくさん考えるラッパーって凄いなぁって思いました。

本作の前日談であり、同時に原作・アニメでも登場した“あの少女”の後日談です。
まだまだ長い第二章の前置きですが、お付き合いください。



スズネと鈴音と鈴之音 中編①

 鉛で眼球が蒸発する痛みは今でも覚えています。

 

 痛かったです。

 

 泣きたかったです。

 

 でも赤い目(こんなもの)が潰れるなら……

 

 お母さんが笑ってくれるなら、そう思うことで耐えることが出来ました。

 

 私が二度とお母さんの笑顔を見られなくても、ミキには見せてあげたかった。

 

 けど、お母さんが私達に笑いかけることは二度とありませんでした。

 

「病院に連れて行く」とかそんな理由だったと思います。お母さんは私達を車に乗せて、どこか遠いところへ向かいました。

 母さんは何も話さず、ただ黙ったまま運転していました。何かを察したのかミキは不安になって私にしがみつきました。今にも泣き出しそうな吐息の音が聞こえたのを今でも覚えています。

 車の走行音、外で振る雨の音、タイヤに踏まれた砂利の音、それだけでもう行先が病院じゃないことは分かりました。

 車でどこか遠いところに連れられて、そこで私達は車から放り出されました。

 

「私の前から消えろ。バケモノ」

 

 自分に打ち付ける雨音の中で、最後に聞いた母さんの言葉でした。

 

 

 

 *

 

 

 

 あれから私達は歩きました。捨てられたと分かっていても家に帰りたかったんです。怒られても、殴られても、蹴られても、バケモノを蔑まれても、それでも私達の居場所はあそこしかありませんでした。

 目が見えない私には方角が分かりませんでした。多分、見えていても家がどっちにあるのかも分からなかったと思います。

 

「お姉ちゃん……こっちでいいの? 」

 

「うん……。行こう。とにかく人がたくさんいるところ」

 

 私の手を引き、前を歩くミキが不安げな声で語り掛けます。今歩いている道が、方角が正しいかなんて私も分かりません。けど、ミキを不安にさせないためにも私は泣きたくなる気持ちも不安になる気持ちも抑えました。

 あの頃のミキはとても内向的で引っ込み思案でした。いつも何かに怖がっていて、ずっと私にしがみついていました。この世界で信頼できる人は私しかいない、安心できる場所は私の傍だけ、そう考えているような子でした。

 そんなミキが私の手を引いて前を歩いてくれている。いつも泣いていて、自分にしがみついてばかりだった妹に頼もしさを感じていました。

 

 ミキがそうなれたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えてしまいながら……。

 

 ミキに手を引かれて歩き続けると周りの音が増えてきました。捨てられた場所は風の音と揺れる木々、葉っぱがこすれる音だけでしたが、人の声が聞こえてきました。

 おじさんの笑い声、おばさんの笑い声、雑踏、お店から流れる陽気な音楽――――

 

「お嬢ちゃん達。もう夕方だぞ。変なお遊びしないで、さっさと家に帰るんだぞ~」

 

 歩いているとおじさんがそう声をかけました。

 その時の私達の身なりはまだ綺麗だったと思います。誰も私達が捨てられた子だと思っていません。目隠ししている私も変な遊びをしている近所の子供に見えたのかもしれません。多分、ミキの目も赤くなっていなかったと思います。

 家に近付いているのか、遠ざかっているのか、そもそもそこがまだ私達の家と呼べる場所なのか、それももう分かりません。

 何か目的が無いと何も出来なくなってしまう。

 足が止まってしまったら、もう二度と立ち上がれなくなってしまう。

 その気持ちだけが私達の身体を動かしていました。

 

 歩いている途中、ガストレアモドキと言われました。

 唾を吐きかけられました。

 道を聞こうとしたら箒で叩かれました。

 お兄さんに笑いながら蹴られました。

 お姉さんに火の点いたタバコを押し当てられました。

 

 叩かれて、殴られて、蹴られて、蹴られて、叩かれて、叩かれて、殴られて、蹴られて、焼かれて、落とされて、切られて、蹴られて、蹴られて、殴られて――――――――

 

 

 “痛い”が分からなくなりました。

 

 “恐い”が分からなくなりました。

 

 “辛い”が分からなくなりました。

 

 “悔しい”が分からなくなりました。

 

 “悲しい”が分からなくなりました。

 

 “怒り”が分からなくなりました。

 

 

 たのしい と うれしい だけが、私の中に残りました。

 

 

 

 

 

 あれから2年が経ちました。

 私達は家に帰るのを諦めました。帰り道は分かりませんでしたし、帰ったところでまた追い出されるだけだと理解してしまいました。私は、家じゃないところで生きる決心をしました。

 呪われた子供でも飲まず食わずでは生きていけません。盗んだり、奪ったり、それを避けるのであればお金を稼がなければなりません。ですが、ずっと家の中でお母さんに育てられてきた私にとって、それはとても難しいことでした。

 お小遣いなんて貰ったことがない、紙幣や硬貨に触った経験すら怪しい、お金で物を買うという概念すら絵本やテレビで学んだだけの私では尚更の話でした。

 ある日、路上で演奏するお姉さんの真似をして歌いました。

 そうすると、目の見えない私を哀れんだのか、誰かが小銭を投げてくれました。

 

 “かわいそうな子どもが歌えばお金がもらえる”

 

 それを知った私は、人の多いところに行っては歌いました。テレビCMの歌を、アニメの歌を、色んな歌を歌ってみて、一番お金が貰える歌を記憶の中から探しました。

 一番、お金が貰えたのが『アメイジング・グレイス』でした。これを歌うとみんなが私の方を振り向きます。お皿にお金を落としてくれます。

 

 足音が少なくなると小銭を握りしめて、近くのお弁当屋さんの裏に行きます。この時間になると賞味期限の切れたお弁当やお惣菜を店員のお兄さんが捨てに来ます。そして、いつもゴミ箱の上に私が持って行く分のお弁当を置いてくれます。お礼に私はいつもその日に貰ったお金を置いて行っていました。

 最初は黙って取っていました――ごめんなさい。取り繕いました。盗んでいました。ですが、ある日、店員さんに見つかってしまいました。酷いことをされると思っていましたが、店員さんは「俺以外に見つかるなよ」と言って、私にお弁当を渡してくれました。

 それから、私が来る時間になると店員さんは店の裏で変わった匂いのタバコを吸うようになりました。私がちゃんと弁当を持って行くのを確認しているか、他の誰かに見つからないように見張ってくれているかのようでした。

 

 タバコの匂いが、弁当を貰えるというサインになりました。

 

 

 

 

 

 

 お弁当を貰うと私は河川敷に行きます。私達が入れるくらいの小さな穴があって、その中で暮らしていました。

 

「ただいま。ミキ」

 

「………………おかえり

 

 あれからミキは泣かなくなりました。笑わなくなりました。言葉もちょっとしか出さなくなりました。私が口にご飯を入れてあげないとものを食べなくなりました。近くで大きな音がしても反応しませんでした。光に照らされても目が動きませんでした。

 ミキは生きることを諦めていました。だけど呪われた子供だから身体が丈夫で、どうすれば自分が死ねるのか分からなかったので、死ぬことが出来ませんでした。

 

それ以上に私が独りになりたくなかったから、この残酷な世界でミキを生かし続けました。

 

 心臓はまだ動いています。身体もまだ温かいです。たまに返事してくれます。それだけが私の感じられる妹の存在でした。

 

 

 

 *

 

 

 

「おい、お前……」

 

 ある日、いつものところで歌っていると男の人に声をかけられました。私の顔と同じ高さから聞こえました。その人は屈んで私に目線を合わせてくれたんだと思います。身体も服も臭くて今まで誰もそうしなかったので、鼻が鈍い人なんだなと思いました。

 

「お前、その目、どうしたんだよ 」

 

「ああ。鉛を流し込んで潰しているんです」

 

 見えなくてもその人が苦虫を嚙み潰したような表情をしていたのが分かりました。口の端から声が零れていました。同情を買ってお金を得る為に誰かにやらされているんだと思っているのかもしれません。そんなことが罷り通る世界を憎んでいるのかもしれません。

 だから私は訂正しました。この人が存在しない誰かを憎んでしまう前に――。

 

「他人にやらされているわけではありません。自分でやっているんですよ」

 

「どうして……」

 

「これ以外、妹を食べさせる方法が無いので……。それに私達を捨てたお母さんは、私の赤い眼が嫌いだったんです」

 

 そう言うと、その人は言葉を失いました。誰かを憎むなら簡単だったかもしれません。ですが、私自身の意志で潰したものだと知って、私に何て声をかければいいのか分からなくなったんだと思います。「なんて馬鹿なことをするんだ」って説教されるかもしれません。

 

「あなたは、どうして笑ってるんですか? 」

 

 その人の隣で聞こえた小さく軽い足音――声をかけられて初めて女の子だと分かりました。恐る恐る、私の琴線に触れないように気遣いながら声を出していました。

 

 ――恐がらなくて大丈夫です。私は怒りません。悲しみません。苦しみません。

 

 恐がるミキを安心させるように私はその子の頬を触ります。綺麗な肌をしていました。髪もサラサラしています。私はずっと触りたくて、髪を、目鼻立ちを、鎖骨を、肩を撫でました。その子は汚れているかもしれない私の手を払おうとしませんでした。

 

「あなたも『呪われた子供たち』なの? 」

 

 確証があったわけではありません。女の子のストリートチルドレン=呪われた子供という図式が成り立っている社会で、私に触られても恐がる様子を彼女は見せませんでした。もしかして、同類なのでしょうか。そう思ったのです。

 

「どうして、分かったんですか? 」

 

「綺麗だね。男の子が放っておかないでしょ? 」

 

「そんなことはないです」

 

 その子は悄然と首を振りました。

 

「私はね、こうやって他人に縋らないと生きていけないから、自然に笑うことを覚えたの。もうこれ以外、どんな顔をすればいいか分からないし」

 

 顔だけではありません。あの時の私は心も「笑う」以外、どんな気持ちを抱けばいいか分からなくなっていました。

 

「けど、ここ最近になって、突然殴られたり、汚い言葉をかけられたりすることが多くなってきたのは少し辛いです」

 

 “辛いです”なんて言いましたが、どう辛いかは言えませんでした。けど、そう言えば、そうやって可哀想な子どもを演じれば、同情が貰えて、お金が貰える。生きていける。彼女からお金を取ろうとは思っていませんでしたが、そう演じ続けた癖が出てしまっていました。

 

「何かあったのですか? 」

 

 私が問いかけるとお兄さんが答えてくれました。呪われた子供が一般市民を殺した事件が発生し、みんなが私達を危ない存在だと見ている。それを排除しようとしている人がいると――。

 

「だからお前も、騒動が収まるまで内地で物乞いはやらない方が良い。みんな殺気立ってるから、今ここにいるのは危険だ」

 

「でも……」

 

「約束してくれ」

 

「……はい」

 

 私はすっかり嘘つきになりました。「はい」と言いましたが、明日にはここで物乞いを続けていると思います。ここと寝床の間の道しか一人で歩けない私は、ここでしか生きることが出来ないのですから。

 

「これで足りるか? 」

 

 お兄さんは私に3枚の紙を渡しました。匂いを嗅いでみると紙幣特有の匂いがしました。それが千円札なのか、五千円札なのか、一万円札なのかは分かりません。ですが、例え千円札だとしても私にとっては大きな額でした。

 

「こんなに! ! ありがとうございます」

 

 タダで貰う訳にはいきませんでした。お礼に私は一番得意な『アメイジング・グレイス』を歌います。歌っている中であの2人が遠ざかるのが足音で分かりました。

 私は今まで以上に大きな声で歌いました。あの2人にどこまでも届くように……。

 

 

 

 *

 

 

 

 あれから、いつものお弁当屋さんに行きました。今日もタバコの匂いがします。お弁当が貰えると思って、いつも置いている場所に手を伸ばしました。だけど、そこにお弁当はありませんでした。

 

「ごめん」

 

 店員さんがボソリと呟きました。

 

「店長にバレた。次やったら俺をクビにするって……ごめん」

 

 店員さんは申し訳なさそうな声で、何度も「ごめん」と言っていました。私は何も言えませんでした。今まで、店員さんに悪いことをさせていたんです。今まで貰えたこと自体が幸運なことだったんです。だから、あるがままを私は受け入れました。

 

「おい。これ」

 

店員さんは私に封筒を渡しました。中身はずっしりしていて、封筒が少し膨らんでいました。振るとじゃらじゃらと音がします。

 

「今まで貰ってた金。返すよ。これで妹に美味い飯食わせてやれ」

 

「ありがとうございます」

 

 私は店員さんにお礼を言い、その場を立ち去りました。

 

 遠くから、「クソッ! ! 」と言って、店員さんがゴミ箱を蹴る音が聞こえました。

 

 

 

 

 

 

 あれから数日、私は同じ場所で歌い続けました。

 あのお兄さんにお礼を言いたい。お弁当が貰えなくなって、お金の使い道がなくなったけど、それでもお礼は言いたかった。忠告を聞かず、私は物乞いを続けました。

 歌っていると誰かが近づいてきました。大人の男の人(?)が数人ほど、あの時のお兄さんとは多分、違うと思います。お金をくれそうな雰囲気ではありませんでした。

 

 多分、刺されたんだと思います。分かりません。目が見えないので。

 

 右手が痛くて、温かい液体が流れていく感覚が分かりました。

 

 自分が何をされたのか理解する前に色んな方向から、色んな足で、蹴られました。踏まれました。彼らが来る前に貰った小銭もどこかに放り棄てられました。何か硬いもので頭を叩かれて、途中で意識が途切れました。

 

 また、声が聞こえてきました。聞こえているけど、頭が痛くて、何を言っているのかは分かりません。でも、それが誰なのかは分かりました。

 

「……その声は、あの時の民警さん? ゴメンナサイ。約束したのに……自業自得で……」

 

 まだ聞こえる音が朧気で私も今、自分が何て言ったのかすら分かりません。

 

「――――――――――――――! ! 」

 

「――――――――――――! ! 」

 

 お兄さんが私の前に立ち、周りの男の人と言い合っています。

 

 すると、バンという大きな音が聞こえました。その瞬間、それがスイッチになったのか、周りの音がハッキリと聞こえるようになりました。

 

「民警だ。これ以上、この少女に近付いてみろ。今度は威嚇じゃなく撃つ」

 

「ちっ。やっぱりアンタ等民警が守ってるのは、そいつ等ガキなんだな」

 

 そう吐き捨てて、私を殴って来た人達は去っていきました。

 

「あの……」

 

 頭痛も収まって、身体の感覚も戻ってきた私はお兄さんに声をかけました。するとお兄さんは私の手を掴み、上腕をハンカチできつくしめました。自分から誰かに触ることはありましたが、こうして誰かに触られるのは捨てられてから初めてでした。

 

 この人のことをちゃんと覚えておこう。そう思って、私は手を伸ばし、民警のお兄さんの顔を、首を、肩をなぞりました。

 

「民警さんの声とお顔、覚えましたよ。結構、好みのタイプです」

 

「アホッ。礼はいいから今すぐここから離れろよ。ここにもう一度来てみろ。今度は俺がお前を刺すからな! ! 」

 

 民警のお兄さんはそう脅しましたが、恐くありませんでした。そんなことは決してしない優しい人だともう分かっていましたから。

 

「いずれ、時間を見てお礼に伺わせてください」

 

「来・ん・な! ! 」

 

 彼はそう言っていましたが、私は聞く耳を持ちませんでした。

 

 

 ――今度、あの人にお礼を言いに行こう。また、あの場所で歌って……。

 

 

 

 

 

 

 ご飯を売ってくれるところが見つからず、ひもじい思いをしながら私は河川敷の横穴に帰ってきました。ミキはじっと私を見つめました。「おかえり」と言っているつもりかもしれません。

 

「ごめんね。まだご飯くれるところ見つからないの」

 

 ミキは黙ったまま頷きました。

 

「今日ね。凄いことがあったんだよ」

 

 外で聞いたものをミキに聞かせる。それが私の日課でした。ミキは虚ろな目でたまに首を縦に振ったり、視線を動かしたりして、私の話に反応してくれます。

 

「本当にこの辺りなのか? 赤目のガキが寝床にしてるって場所」

 

 突然、男の人が聞こえました。私は咄嗟に自分と美樹の口を塞ぎます。

 

「ああ。ボロい布切れを着たガキがこの辺をうろついているのを何度か目撃されてる」

 

「さっきは民警に邪魔されたからな。不完全燃焼ハンパないぜ。今度は思いっ切り腹にぶっ刺して、生きたまま内臓を引き摺り出してえな」

 

「その前にちょっと楽しませてくれよ。俺の息子が熱くなって我慢できねえんだ」

 

「ちっ。このロリコン野郎……病気移されても知らねえぞ」

 

 男の人達は辺りを歩き回りましたが、私達を見つけることは出来ませんでした。

 

 

 

 ――行かなきゃ。どこかに……ここじゃないどこかに……

 

 

 

 その日の夜中、私はミキを背負って、隠れるように移動しました。当てがあるわけではありません。母さんに捨てられた時みたいに、人に隠れながら、方角も定めず、時間も定めず、ただ歩いて、歩いて、歩いて……歩き続けました。

 

 肌寒くなった頃、私は疲れて裏路地の室外機に隠れるように座っていました。

 室外機と壁の向こう側、表参道にはたくさんの人の声が聞こえます。お酒で上機嫌になったおじさんの声、甲高く演技がかったお姉さんの声、楽しそうな声がたくさん聞こえました。でも私達がその中に混ざることはありません。

 

「……」

 

「……」

 

 私達は何も話しませんでした。ミキを元気付けるための言葉が出ませんでした。

 お腹が空いてきました。でも弁当をくれる店員さんはもういません。私を助けてくれるお兄さんもいません。私は色んな人の善意と無関心の上に立ってそこで生かして貰っていただけの存在だと改めて気づかされました。お母さんに育てられた時と何も変わっていませんでした。ただ無力で、誰かに縋らないと生きていけない、あまりにも弱く虚しい存在でしかなかったのです。

 

 もう生きることに疲れました。

 

 ハエが鼻先に止まっても気になりませんでした。

 

 このまま道端のゴミとして死んでもいい。

 

 野良犬の餌になってもいい。

 

 神様。

 

 早く私達を殺してください。

 

 このまま、苦しまず、眠るように――――

 

 もし願えるなら、お母さんが笑っていた時の思い出に浸らせてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よう。ここらじゃ見ねえ顔だな」

 

 

 

 一瞬、男の子か女の子か分からない声が聞こえました。でもよく聞くと女の子だと分かります。その人は私達よりも背が高くて、頭の上から声が聞こえました。

 

「安心しろ。私も同じ赤目だ」

 

 多分、その人は元の目の色から赤い目に変えたんだと思います。私には見えませんでしたが。

 

「行く当てが無いなら、ウチに来ないか?―――って、その状態じゃあ返事する元気もねえか」

 

 彼女は私達の前に温かい食べ物を差し出しました。紙包み越しに伝わる熱、ふっくらとした触り心地、少し水分を含んだ生地と肉の香り、昔、お母さんが一度だけ買ってくれた肉まんという食べ物だと分かりました。

 

「ほら。食えよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「熱いから気をつけろよ。それにいきなりたくさん食べると――――ほら。言わんこっちゃない」

 

 喉がつっかえてむせる私達の口に彼女はペットボトルを突っ込み、無理やり水を流し込みます。苦しかったですし、喉が熱かったです。肉まんの感想どころではありませんでした。

 

「お前、何で目隠ししてるんだ? そんなもん邪魔だろ」

 

 肉まんを食べるのに夢中になっていた私は目隠しの布に手が延びていることに気付きませんでした。気付いた時には遅かったです。布が取られた後でした。眼球が蒸発し、眼孔には鉛が詰まっている私の顔を見て、彼女がどんな表情をしていたのかは見えなくても分かりました。

 

「誰にやられたんだ? 」

 

 怒りのこもった声で彼女は尋ねてきました。

 

「自分で、やったんです……。お母さんが赤い目を嫌ってたから……自分で……」

 

「……そうか。悪い」

 

 彼女は気まずそうな顔をしていたと思います。私に布を返してくれました。

 肉まんがお腹に入り、ようやく一息ついたと思った瞬間、ドタドタと慌てるような足音が聞こえてきました。大人の男の人の荒い息も聞こえてきます。また酷いことをされる。そう思うと足が竦んでしまいました。

 

 

 

「とうとう見つけたぞ! ! クソジャリ! ! ウチの商品盗みやがって! ! 」

 

「おっちゃん。ツケだよ。ツケ。出世払いってやつだよ」

 

「てめえみたいなホームレスのクソガキに出世もクソもあるか! ! そこの盗っ人仲間も一緒に成敗してやる! ! 」

 

 

 私達、共犯者にされたみたいです。

 

 

「おい。逃げんぞ」

 

 その人は私達をひょいと持ち上げて担ぎました。やっぱり私達より背が大きいですし、凄い力持ちです。身体が左右に大きく揺さぶられ、身体に一気に重力がかかりました。多分、ビルの壁と壁の間を蹴り上げて一気に駆け上がったんだと思います。

 その十数分間、重力も上下左右の感覚もメチャクチャになりました。

 彼女は私達を両肩に抱えているとは思えないくらい身軽でした。屋上から屋上へと飛び移り、罵声と銃声をBGMに繁華街の夜空を駆け回りました。

 

 

 

 

 

「はぁ~。ようやく撒けたな」

 

 どこかのビルの屋上(だと思います)で彼女は私達を降ろしました。しかし、彼女のアクロバティックな逃走劇に付き合わされた私は目が回り、優しく降ろしてもらっても足元がふらついていました。ミキも同じ状態だったようです。

 

「大丈夫か? 」

 

「だ、大丈夫…………です」

 

 

 

 

 突然ですが、目を瞑ってジェットコースターに乗ったことありますか?

 

 無い人は想像して下さい。

 

 有る人は思い出してください。

 

 私はその恐怖を十数分間、追いかける人の罵声と銃声つきで味わっていたんです。

 

 ろくに安全装置もなく、いつ振り落とされるか分からないような状態だったんです。

 

 だから仕方ないんです。

 

 これは仕方ないことなんです。

 

 あまりの怖さに漏らしたって……仕方ないんです。

 

 

 

 

 

「えっと…………ごめん」

 

「だ、大丈夫…………です」

 

 彼女の歯切れの悪い謝罪が私の胸に刺さりました。

 

「お姉ちゃん。くさい」

 

 ミキの直球ストレートな言葉が私の胸に刺さりました。一週間ぶりに声を出して言うことがそれですか。

 

「その……、なんつーか。私のところ来るか? 大したところじゃねえが、まぁ、替えのパンツぐらいはある」

 

 私は頷きました。一刻も早く、足を洗いたかったです。替えのパンツが欲しかったです。

 

「付いて来な。ここからそう遠くないから」

 

 彼女は私の手を引くと、目の見えない私に合わせてゆっくりとしたペースで歩き始めました。

 

 

 

 

 

 

 

「あの……な、名前、教えてください」

 

『エール』 ――みんなにはそう呼ばれてる」

 




今回は、目の見えない鈴音ちゃんの一人称視点ということで音や匂い、触った感触だけで情景を描写するという個人的に初挑戦な書き方になりました。

読者の皆さんに上手く伝わっていれば良いなぁと思っています。


オマケ (隙あらば設定語り)

・鈴音と美樹の名前表記について

今回、キャラクターの名前がカタカナ表記なのはスズネの一人称視点で、彼女達が自分の名前を漢字でどう書くのか知らなかった為です。鈴音、美樹という漢字表記も拾われた後につけられたものであり、本来はどんな字だったのかは2人とも覚えていません。
(そもそも出生届が出されていないので戸籍そのものがありません)
某イノシシヘッドの褌みたいにパンツにでも名前が書いてあれば分かっていたかもしれませんが……。


・鈴音ちゃんの弁当代

弁当屋のくだりで鈴音ちゃんはいつも弁当のお礼に小銭を置いて行っていましたが、一度も弁当2個分の料金を出せたことがありません。そもそも彼女は触っただけで硬貨の判別が出来なかった為、置いた小銭が全部ゲームセンターのメダルだったことも多々ありました。
最終的に店員お兄さんはお金を全部返しましたが、今まで貰ったお金に加えて、自分のお金もプラスし、最終的に5倍の額で返しています。



次回 「スズネと鈴音と鈴之音 中編②」


(ペースが上がっているとはいえ、この調子だと最終話を書き終えるの何年後になるんだろう……)

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