ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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スズネと鈴音と鈴之音 中編②

 エールさんと出会ってから半年が経ちました。

 私達はそこで「住処」と「仲間」と「仕事」を手に入れました。

 

 大戦前に使われ、今は廃線となった地下鉄駅、そこが新しい「住処」でした。寒暖差が少なく、雨風も凌げる。暗いことと風の音がうるさいことが欠点でしたが、私はさほど気にしませんでした。

 そこには私達と同じく親に捨てられた「仲間」がたくさんいました。声をかけてくれて友達になってくれた子もいれば、目が見えない私や喋らないミキを「使えない」と言って嫌う子もいました。私達以上に引っ込み思案な子もいました。色んな子がいましたが、みんなエールさんをリーダーとして慕っていて、彼女の指示を中心に物事が回っていました(エールさんを出し抜いてニューリーダーになろうと考えている子もいましたが……)。

 

 ここの子達は基本的に駅に残された資材や鉄道を分解して、それを売ってお金を稼いでいます。かなりの体力仕事みたいなので、それが向かない子は外で別の仕事をしていました。

 ここの人達は「働かざる者は食うべからず」がモットーで、目が見えないからと、心を閉ざしているからと、食べ物を恵んで貰える訳ではありませんでした。

 そこでエールさんは私達にもできる「仕事」を紹介してくれました。

 

 私は、“お婆ちゃん”さんの話し相手です。

 

「こう見えても昔はご近所では有名なマドンナだったわ~。証券会社に勤めている旦那と結婚して、親戚みんな連れてきて派手に披露宴をやったの。あの頃は湯水のようにお金があって、使っても使っても使いきれなかったわ。新婚旅行はハワイに行ったのよ」

 

「はわい? 」

 

「そう。海を越えて、遠い遠い場所にある綺麗な島よ。海も空もビーチも綺麗だったわ。けど、旦那が家にパスポートを忘れるわ、ホテルの鍵をなくすわ、財布を盗まれるわで散々な目に遭ってね。成田空港で旦那の顔をバッグで叩いて離婚しちゃったわ」

 

「大変だったんですね」

 

 “お婆ちゃん”さんは昔からこの「住処」に住んでいる人で、エールさん達に文字の読み書きを教えてくれた人だそうです。私達が来る少し前から昔話をすることが多くなり、誰かが聞いてあげないと不機嫌になって(エールさん曰く)面倒くさくなるらしいので、仕事の出来ない私が話し相手になっていました。

 “ばぶるけいざい”とか、“しゅうしょくひょうがき”とか、“りーまんしょっく”とか、そういった話は全く理解できませんでしたが――。

 

「スズネ。ちょっといいか? 」

 

 カーテン一枚の仕切りをめくり、お婆ちゃんさんの部屋にエールさんが入ってきました。

 

「え? 私は大丈夫だけど……」

 

 私はお婆ちゃんさんの方を見て顔色を窺います。見えていないので色なんて分かりませんが……。

 

「良いわよ。こっちも話し込んじゃって疲れちゃった」

 

「分かった。飯の時間になったらまた呼ぶよ」

 

 お婆ちゃんさんの許可が出るとエールさんは私の手を引きました。何の用事かは言わず、駅のホームから私を下ろして、線路の奥の方へと一緒に手を引いて行きます。

 

「悪いな。婆ちゃんの話、長いだろ? 」

 

「ううん。色々教えてくれるし、楽しいよ」

 

「あの話、理解できるのか? 」

 

「な、なんとなくだけど……」

 

「その言い様だと理解してないな。まぁ、良いよ。婆ちゃんの機嫌が良くなるなら」

 

「ごめんなさい」

 

「別に謝らなくたって良いって。私だって理解できないんだから」

 

 手を引かれた先から女の子たちの声が聞こえます。トンカチで金属を叩く音も聞こえます。捨てられた電車を叩いて、壊して、パーツを抜き取っているのでしょう。上下左右を壁に囲まれた地下なので余計に音が響きます。

 向こう側から私達と逆方向に歩く足音が聞こえます。数人はいるのでしょう。ガラガラとタイヤが転がる音もするので、リヤカーか何か引いているのかもしれません。

 

「エール。おつかれー」

 

「お疲れさん」

 

 前から来た女の子たちがエールさんに挨拶します。

 

「あー! ! またスズネとデートしてるー! ! 」

 

「目が見えないのをいいことにあんなことやこんなことするんだー」

 

「いやらしいー」

 

「馬鹿! ! そんなんじゃねえよ! ! 」

 

 エールさんは慕われていますが、隙あらばこうやってからかわれたりします。

 

「エールさん…………。私……初めてだから、優しくしてくださいね」

 

 勿論、その空気に私も便乗しました。

 他の女の子達から「きゃー! ! 」と黄色い歓声が沸き上がります。

 

「だから、やらないって言ってるだろ! ! どこで覚えたんだよ! ! そういうの! ! ってか、お前ら私のこと男だと勘違いしてないか! ? 女だよ! ! そんなに疑うなら脱ごうか! ? チ●コ付いてないの証明しようか! ? 」

 

「いや、いいです」

 

「はいはい。エールさんはおんなのこですね」

 

「エールさんは女の子が好きな女の子。俗にいう“ゆり”というやつですね」

 

「ミカン。マナ。ユカ。お前ら、後で覚えてろよ」

 

「「「きゃー! ! 私達もめちゃくちゃにされるー! ! 」」」

 

 前から来た女の子達は笑い、リヤカーを押して逃げるように走り抜けました。

 

「ったく……あいつら」

 

「あの……エールさん」

 

「何だ? 」

 

「用事って何ですか? 」

 

「特に何も。婆ちゃんの話に飽きたんじゃないかなーって思っただけ。それに、そろそろミキ達が探索から戻ってくるからな。出迎えぐらいさせようと思って」

 

 私達が使っている「住処」は昔、線路でたくさんの駅と繋がっていました。隣の駅や更に隣の駅、他にも鉄道会社の人が通る横道などもあり、この空間がどこまで繋がっているのか、どこで崩落して行き止まりになっているのか、お婆ちゃんさんもエールさんも分かりません。それを調べる為、ついでにお金になりそうなものを見つける為、定期的に「探索チーム」を作っては奥を調べています。

 また奥から数人の足音が聞こえました。リヤカーの転がるタイヤの音も聞こえます。この足音の中にミキもいるそうですが、さすがに足音だけで判別は出来ません。

 

ねーちゃー

 

 急速に近づく妹の声と共に私の衝撃が走りました。30キロの体重が私に圧し掛かります。後ろに倒れそうになるのをエールさんが背中を支えて止めてくれました。

 

「おかえり。ミキ。大丈夫だった? ケガしなかった? 」

 

「うん。大丈夫だったよ。ナオ姉ちゃんも助けてくれたし」

 

 ここに来てからミキは明るくなりました。心を開いたと言うべきでしょうか。ここで解体や探索の仕事をして、たくさんの人と関わって、私の知らないところでミキは強く、逞しくなりました。私の2年は何だったのかと、少し妬いてしまいます。

 

「ミキ。何か背負ってるの? 」

 

「うん。途中で缶詰めをたくさん見つけたから持って来た」

 

 ミキがリュックを下ろし、私の手に缶詰めを握らせてくれました。

 

「ありがとう。サバの味噌煮かな? コーンビーフかな? 」

 

 私は鼻に近付けて匂いを嗅ぎます。勿論、鉄の匂いしかしませんでした。当たり前です。缶詰めは密封されているからこそ保存できるものであって、匂いが漏れていたらそれは危険です。

 

「それ、賞味期限は大丈夫か? 」――とエールさんがミキに話しかけました。

 

「えーっと、にー・ぜろ・にー・ぜろ・いち・にー」

 

 私は缶詰めを諦めました。いくら缶詰めでも賞味期限が10年も過ぎているものを食べれば呪われた子供でもお腹を壊します。知っています。経験済みですから。

 

「オーケー。分かった。食ったら腹壊す奴だ。それ」

 

「えー。たくさん持って来たのにー」

 

「そう落ち込むなよ。缶は売れば多少の金になる。中身は諦めろ」

 

「はーい」

 

「この前みたいにこっそり食べようと思うなよ。トイレの住人に逆戻りだからな」

 

「はーい」とミキは更に落ち込んだ声で返事しました。

 

「あ。そうだ。あとこれも持って来たんだった」

 

 ミキは私の手から缶詰めを取ると小さな箱のようなものを手渡します。材質はプラスチックでしょうか。底に窪みがあり、中にスイッチのようなものがあります。

 

「オルゴール? 」

 

「うん。底の歯車回してみて」

 

 私は底の摘みを回します。カチカチと音が鳴り、何回か回したところで手を離します。

 ピンで振動板が跳ね上がり、一瞬の儚い旋律が響きました。1つの音が消えても次の音が繋ぎ、それが絶え間なく違う音程で流れることで一つの曲を奏でます。

 

 

 ――お母さん。

 

 私はこの曲を知っています。昔、お母さんと一緒にテレビで見た映画で流れた曲。ストーリーも俳優さんのことももう覚えていませんが、白に近いクリーム色の建物と絵画のような青い海だけが記憶に残っています。

 その時、何を想ったのかは分かりません。ですが、私は歌っていました。オルゴールの旋律に合わせて、まだ優しかった母さんの記憶と共にテレビの歌を記憶の箱の底から掘り起こします。

 それ以外の音が聞こえなくなっていました。

 

 鉄を叩く音も、風の音も、周りのみんなの声も聞こえません。

 

 太陽の光も月の明かりも届かない閉塞した空間に私の歌声が響きます。

 

 上下左右の壁を反響し、遥か先の暗闇の中へと――――

 

 私の声が、空気を、流れを、空間を、作っているような気持でした。

 

 私が歌い終えると無音の世界が広がっていました。

 

 

 

「すげぇ」

 

「分かんねえけど、何かすげえ」

 

 最初の誰かが手を叩き始め、そこから2人目が、3人目が、溢れ出るようにみんなの拍手が聞こえました。誰かが口笛を吹いて囃し立てます。歌って、誰かに褒められることはありました。けど、こんなにもたくさんの人に囲まれて、褒められたのは初めてでした。

 

「お見事。歌一本で食ってきただけあるな」

 

 隣にいたエールさんが私の頭を撫でます。彼女の背丈からすれば、私の頭は丁度いい場所にあるんでしょうか。よくこうやって頭を撫でられます。

 

「そんな……。私にはこれしか出来ないから」

 

「それしか出来なくても良いさ。お前にしか出来ないんだから」

 

 私にとって、歌は「手段」でした。「好き」でもなければ「嫌い」でもありません。路上演奏でお金を貰うお姉さんの真似をしたらお金が貰えたから、そうしているだけでした。

 けどこの時、私は初めて歌を、それしか出来ない自分を好きになれました。

 

 

 

 *

 

 

 

 

「綺麗な『アヴェ・マリア』だったわ。百万ドルの歌声ね」

 

 その日の夜、お婆ちゃんさんはそう褒めてくれました。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

いたいいたいいたいいたいいたいたい

 

おかあさんおかあさんお母さん

 

たすけて!!だれか!!だれかあああああああああ

 

手がないよわたしの手どこいったの?ねえ?私の手がないよ

 

あつい目があついおねえちゃんどこ?えーる?どこにいるの?

 

死にたくない

 

死にたくない

 

誰か、助けて

 

やめて! ! やめて! ! やめ―――――――

 

 

 

 

 

こいつまだ息があるぞ! ! 殺せ! !

 

この国に呪われた血肉を残すな! !

 

燃やせ! ! 骨も残すな! !

 

人が幸福に暮らせる社会の為に! !

 

世界のあるべき姿の為に! !

 

我ら日本純血会の名の下にガストレアに正義の鉄槌を! !

 

 

 

 

 それは突然のことでした。

 何人かの見張りを残してみんなが寝静まった夜――

 こんなことが起きるなんて誰も考えていませんでした。

 バンと大きな音がして、その後、空気が漏れだす音が聞こえました。

 耳に激痛が走り、何も聞こえなくなりました。

 きつい匂いがしてきました。息をすると鼻が痛くなり、喉が焼けるように熱くなり、胸が苦しくなります。

 オルゴールの音が聞きたくて、寝床から離れていた私達ですらこんなにも苦しかったんです。あそこに残っていたみんながどんな目に遭っているか、想像するだけで身が震えました。

 

 遠くから聞こえる銃声

 

 みんなの叫び声

 

 知らない人の罵声

 

 何かが破裂する音

 

 剥き出しになった敵意と悪意が私達に向けられた。殴られたり、蹴られたり、それよりももっと酷いものが私達に振るわれる。

 

 この音の向こう側に地獄がある。

 

 その時の私に理解できたのはそれだけでした。

 

 

 

 

 

「――――――! ! ――――――ネ! ! ――――――スズネ! ! 」

 

 私に音が入ってきました。エールさんが私の名前を叫ぶ声が聞こえました。

 

「よかった。お前ら無事だったか」

 

「エールさん」

 

 彼女の声を聴いた瞬間、私は安心しました。まだ地獄の声が耳に届いているのにエールさんが近くにいる。彼女なら何とかしてくれる。根拠のない信頼が私達の希望でした。

 でも、彼女から血の匂いがしました。

 

「ここはもう駄目だ。ミキ。スズネを連れて逃げろ」

 

「逃げろって、どこに……? 」

 

「線路を伝って隣の駅に行け。そこの出入り口はまだ安全な筈だ」

 

「で、でも……私、一人じゃまだ……」

 

「いいから行くんだ! ! 探索で道は頭に入ってるだろ! ! スズネは今までお前を守って来たんだ! ! 今度はお前の番だ! ! お前が守れ! ! 」

 

 雷鳴のような怒鳴り声が聞こえました。いつも余裕があって飄々としていたエールさんの声はそこにありません。彼女も目の前のことに必死で、自分のことで精一杯で、それでもまだ無事だった私達を気にかけて、助けようとしています。

 

 ――忘れていました。彼女も私達と同じ10歳の女の子だということに。

 

 エールさんに怒鳴られて閉口していたミキが私の手を強く握りました。

 

「ミキ。頼んだぞ」

 

「……うん。任せて」

 

 ミキの声が変わりました。私は、強さを感じました。泣いてばかりで、心を閉ざして、自分の殻にこもって、何かあるとすぐ私に抱き付いてきた彼女はもういません。

 

「スズネ。お互い生き残ったら、また歌を聞かせてくれ」

 

「はい。もっと練習して、上手くなります。だからエールさんも……生きて下さい」

 

「……」

 

 エールさんは何も答えませんでした。その沈黙が答えだったんだと思います。

 

 

 

 

 全てを察したミキは私の手を強く握り、走り始めました。

 私も転げないように必死に足を動かします。目が見えないので地面も見えません。線路や石で躓きそうになりますが、後ろに目がついているようにミキがフォローしてくれます。

 銃声も、爆音も、悲鳴も、罵声も、地獄の音が聞こえなくなりました。それだけ私達は離れたんだと思います。お世話になったのに、あそこで苦しんでいるみんなを見捨てて、それだけ遠くに私達は逃げたんです。

 静かな地下線路を切り裂くように銃声が響きました。

 ミキが倒れ、手を握られた私も釣られて一緒に倒れます。

 

「ちょこまかと逃げやがって。害獣どもがよぉ……」

 

 女の人の声が聞こえました。銃声と同じように私達の後ろから、その人はゆっくりと歩いてきました。バンバンバンと大きな音がして、何かが弾け飛びました。

 恐くて、何が起きたのか分からなくて、動けなくなっていた私をミキが這って覆い被さりました。

 

「お願い……します。お姉ちゃんだけは……」

 

「ガストレアが何か言ってる。でもごめんね。ガストレア語は分からないんだ……よっ!!」

 

「あ゛っっっ」

 

 ミキから、痛苦に歪んだ声が出ました。ただ踏まれただけじゃありません。ミキは足を撃たれて、そこを踏まれていました。銃創から流れる血が滴り、その生温かさが私にも伝わります。

 

「ったく、人間の真似して赤い血なんて流しやがって。ねえ? どこを撃ったら紫色の血が出て来るの? どこなの? 頭? とりあえず、頭にしてみるか」

 

 

 

 

 

 銃声が聞こえました。

 

 

 どっちが撃たれたのか分かりません。

 

 

 ミキが撃たれて私が生きているのか、

 

 

 実は私はもう撃たれて死んでしまっているのか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確保! ! 」

 

 

 ドタドタとたくさんの重い足音が私達を囲みます。硬い靴底がコンクリートを蹴る音、重い金属が何かとぶつかりガチャガチャとする音、マスクでもしているのでしょうか、大きいですがくぐもった声がたくさん聞こえます。

 

「北ルートクリア。目標(ターゲット)1名確保。少女2名を保護。一人は足、もう一人は目を負傷している」

 

『了解。救急隊を向かわせる』

 

 

 

 *

 

 

 

 あの日、私達を襲ったのは反赤目団体「日本純血会」の過激派だったそうです。エールさん達が鉄道のパーツを売っていた業者を通して私達の居場所が見つかり、以前あった東京エリア支部長襲撃事件の報復として、焼夷弾を投げ込まれたそうです(その支部長を襲った人達がエールさん達なのかは分かりません)。

 武装した純血会の人達を不審に思った近所の人が警察に通報し、それを受けた警察は機動隊を投入。純血会の人達を全員逮捕したそうです。

 

 

 警察に保護されたのは、私達だけでした。

 

 

 他のみんながどうなったのか分かりません。ですが、後から聞いた話では寝床だった場所で多数の焼死体が見つかったとのことです。あそこでどれだけの人が亡くなったのかは分かりません。遺体の損壊が酷く、人数の把握もまともに出来ない状態だったそうです。

 

 あそこで苦しみながら死んだ人達の冥福と、もしかすると生き延びているかもしれないエールさん達の幸福を願うしか、私には出来ませんでした。

 

 

 

 *

 

 

 

 それから、私達の生活は一変しました。

 私達の身柄は警察からボランティア団体へと移されました。雨風が通らない部屋、ふかふかの毛布、温かいご飯、優しい人達。最後を除いて今まで私達には無かったものがそこには溢れかえっていました。

 その後、私の目をどうにかしたいと思ったボランティア団体の人が色んなところに頼み込んだところ、聖居の偉い人が動いて、私達は瑛海大学病院へと移されました。

 

「瑛海大学理学部生物学科教授 日向勇志だ。君がスズネちゃんだね。よろしく頼む」

 

 当時の私はその肩書の意味を分かっていませんでした。すごい学校のすごい頭の良い人が私の目を治してくれるという認識でした。

 眼球が蒸発して残っておらず、眼孔には鉛が詰まっている私の治療は通常の医療では絶望的でしたが、ガストレアウィルスとiPS細胞をバイオテクノロジーでかくかくしかじかして私の目を治療するとのことでした。(正直、そのあたりの理論は今でも理解できていません)

 

 

 

 *

 

 

 治療を受けてから1年、私は目の包帯を外しました。

 目が見えるようになると色んなものが変わっていることに戸惑いました。

 

 一番驚いたのは、自分の変化でした。

 

 私の手は少し大きくなっていました。指も長くなりました。

 背も伸びたんでしょうか。視線が高くなり、地面が遠くなりました。

 鏡を見ると自分の顔が少しお母さんに似てきたと感じました。

 髪は相変わらず灰色でしたが、サラサラとしていて光が反射していました。

 看護師さんがいつも「綺麗ねぇ」と言いながら梳かしてくれたのを思い出します。

 

「さて問題、私は誰でしょう? 」

 

「声は聞こえているんだから分かるわよ。ミキ」

 

「あ、そうか」

 

 ミキは、私の記憶よりもずっと大きくなっていました。エールさんの影響でしょうか。背格好も少し男の子っぽくなっていて、「もしかしてミキは妹じゃなくて弟だった? 」と一瞬戸惑いました。そんな訳ないですよね。私と同じ赤目ですから。

 

 

 

 *

 

 

 

 目が見えるようになってしばらく経った頃、ミキは深夜、病室に忍び込んで私を連れ出しました。上に向かう階段を上り、「立ち入り禁止」の張り紙を無視して進み、「ナオ姉ちゃんに教えてもらった」と言ってピッキングでドアを開錠しました。悪いことなので叱ろうとしましたが、楽しそうなミキを見て、その気にはなれませんでした。

 ドアを開けた先は真っ暗な屋上でした。遠くに街の明かりが少し見えるくらいです。

 

「ギリギリ間に合ったかな」

 

 ミキの言葉に呼応するように山の稜線から光が溢れていきます。小さな光の点々が多数のビルに変わっていき、暗闇では見えなかったモノリスが青い空の中でくっきりと輪郭を現わしていきます。

 

 

 

 

 夜明けです。

 

 

 

 

 ずっと音と匂いと感触だけで世界を認識していた私は、ようやく思い出しました。

 

 

 世界はこんなにも明るくて、広くて、豊かで、綺麗で、たくさんのもので溢れていることに――。

 

 だから、悔やんでしまいます。

 

 弁当をくれたお弁当屋さんのことを、

 

 命を助けてくれた民警のお兄さんのことを、

 

 絶望しかけた時に拾ってくれたエールさんことを、

 

 たくさんお話を聞かせてくれた“おばあちゃん”さんのことを

 

 一緒に地下で過ごしたみんなの姿を、

 

 この目で見ることが出来なかった。

 

 どんな顔をしていたんだろう。

 

 背丈はどれくらいあったんだろう。

 

 どんな服を着ていたんだろう。

 

 どんな表情をしていたんだろう。

 

 その目は、何色だったんだろう。

 

 答えは暗闇の中、私が知ることは永遠に無いのだと――――そう思っていました。

 

 




隙あらば設定語り

・鈴音ちゃんの目の治療
鈴音ちゃんの目の治療は瑛海大学・医学部が請け負っていましたが、あまりにも困難な状況だった為、理学部の教授や工学部の教授、果ては教育学部や文学部まで参加し、学部学科の垣根を越えた巨大プロジェクトへと膨れていきました。その後、ガストレアウィルスに一番造詣が深い日向教授がプロジェクトの中心人物となり、最終的に20人の医者や学者が鈴音ちゃんの目の治療に当たることとなりました。無論、彼らは日向姉妹が呪われた子供であることを知っていますが守秘義務を固く守っており、プロジェクトの存在自体ほとんど知られていません。

・知られざる蓮太郎の活躍(?)
原作1巻の影胤戦でAGV試験薬を全部注入して身体を再生させた蓮太郎ですが、その後、室戸先生が治療や腕の装着のついでに彼の細胞を採取。AGV試験薬が人体細胞に及ぼした影響の臨床データを獲得し、「ガストレアウィルスによるヒト細胞の再生の可能性」としてデータを公表しました。鈴音ちゃんの目の治療に使われた技術もそのデータが基になっています。
無自覚なところですらロリを救う蓮太郎さんマジロリセイヴァー。



次回 「スズネと鈴音と鈴之音 後編」


何故、義搭壮助は護衛に選ばれたのか?

「敵のいない護衛任務」の解答編になります。

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