ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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ようやく今回で過去編が終わると思った?

残念!!後半も2話分割だよ!!

恨むなら書きたいことを全部書いて描写をまとめたり削ったりしようとしないジェイソン13を恨むんだな!!


スズネと鈴音と鈴之音 後編①

 日向鈴音 13歳 瑛海女子中学 2年生

 

 日向美樹 12歳 瑛海女子中学 1年生

 

 東京エリア東部(旧・千葉県)のとある夫婦の間に生まれるが、妹・美樹が生まれた直後に父親が失踪。母親が女手一つで育てるが、鈴音3歳、美樹2歳の頃に揃って先天性の難病を持っていることが発覚。ガストレア大戦終結後は入院生活を余儀なくされるが、母親が事故で死亡し、天涯孤独の身となる。

 その後も児童福祉法に基づき市民病院で入院生活が続けられてきたが、2031年に瑛海大学病院が有効な治療法を発見。臨床試験の被験者に選ばれる。治療は成功し、(定期的な通院は必要なものの)日常生活を送ることが可能なレベルまで回復する。

 児童養護施設への異動も考えられていたが、オブザーバーとして研究に関わっていた生物学科の日向勇志教授が姉妹を養子として引き取ることを提案。姉妹の同意もあり、日向家の娘となる。

 

 2033年4月より瑛海女子中学へ編入。

 

 

 

 これが表向きの私達です。

 

 

 ガストレア新法が施行されて2年。呪われた子供の人権が保障され、法律上の差別はなくなりました。条文だけではありません。聖居は呪われた子供の生活支援・社会復帰に乗り出しました。内地や外周区で生活しているストリートチルドレンの一部は私達のように保護され、社会に溶け込んで生活しています。聖居に続いて民間のボランティア団体やNPO法人、企業も続々と参加していきました。

 しかし、大多数の人はその変化に心が追い付いていません。呪われた子供への風当たりは依然として強く、赤目であることを明かして社会の中で生きることは難しいのが現実でした。

 気に入らない女の子に呪われた子供だと言い掛かりをつけて反赤目団体に殺害させた事件、呪われた子供であることが発覚した少女が学校ぐるみのいじめで自殺に追い込まれた事件、呪われた子供の生徒に対する性的虐待と殺害を自殺として隠蔽しようとした事件、「クラスに紛れ込んだ赤目を探す」と言って男子生徒が女子生徒を次々とナイフで襲った事件はまだ記憶に新しいです。

 

 登校に使う電車の中で、私は買って貰ったスマートフォンの画面を眺めます。

(美樹は陸上部の練習があるので登下校の時間がバラバラです)

 

 今までストリートチルドレンとして生きていた私が人知れず社会常識や学校生活について学ぶ貴重な時間です。最近はクラスメイトの話題に追い付くためにインストールしたSNSアプリのタイムラインを見ることが多くなってきました。

 

 ――片桐さん。凄いなぁ。

 

 匿名のアカウントを作り、最初にフォローしたのは片桐弓月さんでした。

 東京エリアに在籍している民警の中で一番ランクが高い人、そして東京エリアで一番有名な呪われた子供です。彼女は自分が呪われた子供であること、イニシエーターであることを実名と共にSNS上で公表し、仕事風景、使っている武器、私生活、お気に入りコーデの自撮りを日常的にアップしたことが良い意味でも悪い意味でも話題になりました。読者モデルもしているためか、フォロワーの数も芸能人並みに多いです。

 一時期はテレビでも取り上げられ、「可愛いすぎるイニシエーター」「俺もプロモーターなるわ」「赤目への見方が変わった」「これは革命だ」と様々な声が上がっていました。

 過去を隠してコソコソと生きている私とは対照的で、ちょっと憧れていました。

 

 登校するとみんなの視線が刺さります。生徒のみんなは勿論のこと、生活指導の先生も一瞬、私を訝しそうな目で見ます。すぐにはっと気づいて何も言わず視線を逸らします。

 

 普通の人達に混ざり、普通に生活する……つもりだったのですが、出来ませんでした。

 

 原因はこのアッシュグレーの髪です。みんなに溶け込めるように黒に染めようとしたのですが、ガストレアウィルスの影響で髪質が特殊なためか染料が定着しませんでした。思い悩んだ結果、「治療の影響で色が変わってしまった」という設定で通すことになりました。地毛なのは嘘ではありませんし。

 思考でも言動でも異質な部分が私にはあるそうで、そういった面でも私は目立ってしまいました。ちなみに同じ時期に編入した美樹は「銀髪イケメン王子」と言われキャーキャー騒がれていました。

 そんな私にも普通の人の友達ができました。教室では「あのスイーツが美味しい」、「テスト範囲が広くて難しい」、「あの俳優がかっこいい」、そんな話題で笑い合い、彼女達のお陰で普通の学生の楽しい生活を送ることができました。

 

 彼女達に自分の正体を隠し、嘘偽りだらけの過去を語っていること

 

 あの暗闇の地獄で亡くなったみんなを忘れて、自分だけ幸せに生きていること

 

 それを許容している自分に後ろめたさを感じながら、私はその幸福を享受しました。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「日向さん。放課後ヒマだったりする? 」

 

 中学2年の夏、友達の小見川さんはニカッと太陽のような笑顔で私に話しかけました。

 

「え? 大丈夫だけど……」

 

「実は西端駅の近くに美味しいケーキ屋さんがオープンしてさ。みんなで行こうって話してるんだけど、日向さんも一緒に行く? 」

 

 小見川さんの後ろには既に何人か集まっていました。よく私と話をする人もいれば、同じ教室にいるのに一度も会話したことがない人もいます。彼女のコミュ力には何度も助けられました。

 西端駅は学校から電車で20分。家とは真逆の方向なので更に遠くに感じます。あと今月のお小遣いが残り少ないです。ですが美味しいケーキは食べたいですし、友達と一緒に遊びに行きたいという気持ちもあり――

 

「うん。誘ってくれてありがとう」

 

 ――と私は即答しました。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 放課後の寄り道は禁止されていましたが、そんな校則なんて知らないと言わんばかりに私達5人は制服のまま西端駅に向かいました。

 2階建ての大きな駅、隣のショッピングモールとは歩道橋で繋がっており、私達は前に3人、後ろに私と小見川さんが隣り合わせで歩いていました。

 あまり自分のことを話せない私は自然と口数が少なくなってしまいます。赤い眼が出ないように感情も抑えなければなりません。そんな私の代わりに小見川さんは延々と話し続けます。彼女の話題のレパートリーに底なんて無いのでしょう。彼女の唇は休むことなく動き続けます。

 彼女の話に耳を傾けていると、ふと風が吹きました。ショッピングモールから駅のホームへ、歩道橋の中を空気の塊が通るかのようにそれは突き抜けました。

 風の通る音、揺れる木々の位置、人々の雑踏の響き、横断歩道が青になった時になる音楽、歩道橋の脇にある小さな階段、歩道橋の柵の形、柱の材質。この場所を見るのは初めてです。しかし、聞いた記憶を、触った記憶を、私は覚えていました。

 

 

 

 ――ここだ。ここで、私は歌っていたんだ。

 

 

 

 翌日、私は放課後になるとその場所に向かいました。

 あの時の記憶を辿って、自分の寝床だった河川敷に行ってみました。私達が出て行った後に再開発が行われたようで整備されて綺麗な遊歩道になっていました。私達がいた横穴もありませんでした。

 その後、あの弁当屋さんにも向かいましたが、弁当屋さんは何年も前に閉店して無くなっていて、クリーニング店になっていました。そこで働いていた人がどこに行ったのかは分かりませんでした。

 反赤目主義者から逃げて彷徨った道、エールさんと出会った路地裏も近隣の建物の改築により道そのものが無くなっていました。

 そこに私の思い出は何も残っていませんでした。

 

 会いたい……。お礼を言いたい……。この目でみんなの姿を見たい。

 

 お弁当屋さんのお兄さんに、民警のお兄さんに、エールさんに会いたい。

 

 

 場所が残っていなくても人はまだ残っているかもしれない。

 

 あそこで歌えば、あの人達に合えるかもしれない。

 

 

 そう思った私は溜めたお小遣いを使って電池駆動のキーボード、アンプ、マイクなど路上ライブに必要な機器を一式購入しました。私の貯蓄はゼロ。しばらくスイーツはお預けです。

 警察に保護されてから、歌とピアノはずっと練習してきました。歌手を目指している訳でもなく、コンクールにも出ない。もしかすると死ぬまで人前で歌うことなんて無いかもしれない。そんな私がずっと練習してきたことを不思議に思う人はたくさんいました。私も理由を見失いかけていました。

 

 でも、ようやく私は自分のステージを見つけました。

 

 最初は小さい頃から歌っていた「アメイジング・グレイス」や「アヴェ・マリア」の弾き語りをしていましたが、通りすがりのおじさんに「著作権が(以下略)」と説教されたので、自分で歌を作ることにしました。

 学校や家でひたすら曲を作り、放課後はあの歩道橋で披露する日々が続きました。何人か目を向ける人はいました。立ち止まって聞く人もいました。けど、私が会いたい人が声をかけることはありませんでした。

 

「ちょっと。貴方……」

 

 路上ライブを始めてから2ヶ月。眼鏡をかけ、レディススーツに身を閉じ込めたいかにも真面目そうな女性が声をかけてきました。暗くなってきたので、家に帰るように促す補導員の方かもしれません。それとも区役所の方でしょうか。そういえば、路上ライブの申請を出していないことに今気付きました。

 

「ごめんなさい。ここ路上ライブ禁止でした? ごめんなさい。すぐ帰りますから」

 

「ち、違います。あの、私、こういうものでして――」

 

 スーツの女性はカバンからカードケースを出し、そこから名刺を差し出しました。

 

【ピジョンローズ・ミュージック 星宮華麗】

 

 ちょっとキラキラした名前だったので芸名かと思いました。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「私を、スカウトですか? 」

 

 華麗さんの奢りで私は近くの喫茶店に入りました。店の端っこにある小さなテーブル席で向かい合って座り、私の目の前には星のように目を輝かせた華麗さんがいました。

 

「でもプロなんて……私に通用するんでしょうか? 」

 

「絶対に通用する。貴方の歌は、その……本当に良い物なの。聴くだけで心が洗われるような気持ちになるし、仕事の疲れなんて吹っ飛んだわ。『これは世界に広めるべきだ』って確信した」

 

 華麗さんは断言し、力説し、更にスマートフォンをカバンから出して私に画面を向けました。

 

「実はね。貴方のことを撮影して、ウチのプロデューサーに送ってみたのよ」

 

 ――それ隠し撮りですよね?

 

「そしたら、『下手糞だが磨けば光る。大金積んでもいいから連れて来い』って」

 

「そ、そんな……」

 

 ピジョンローズがどれだけ凄い事務所なのか、そのプロデューサーさんがどれだけ凄い人なのかは知りません。下手糞とは言われましたが、私のことをそんなに評価する人がいるとは夢にも思いませんでした。

 

「今すぐとは言わないわ。貴方の将来にも関わることだし、ご家族の方ともしっかり相談して決めて頂戴」

 

 まさかのことで頭が混乱し、整理がつきませんでした。そのまま私は華麗さんと別れ、家に帰りました。

 

 

 

 

 

 

 その日のことを晩御飯の場で話すと――――

 

「問題ないんじゃないか? 教授たちには俺から話をしておく」

 

 一番反対すると思っていたお父さんはあっさり了承してくれました。

 

「スカウトされるなんて流石ね~。やっぱり私の娘だわ。血は一滴も混ざってないけど」

 

 お母さんは年甲斐もなく万歳三唱して喜びました。

 

「マジで? 姉ちゃん歌手になるの? テレビ出るの? 」

 

 美樹は色々と質問攻めして、「あのアイドルのサイン欲しい」「あのイケメン俳優のサイン欲しい」「ってか、家に連れて来て」とあれこれと要望を出しました。

 

 

 

 

 “テレビに出て有名になれば、もしかすると私に気付いてくれるかもしれない”

 

 

 

 

 自分の正体は明かせない、だけど自分を見つけて欲しい。

 

 そんな矛盾を抱えたまま私のアーティスト人生は始まりました。

 

 

 

 

 【デビュー曲「私はここにいる」のMV再生回数 公開から1ヶ月で1000万回突破】

 

 【東京エリア新人レコードグランプリ 新人賞を獲得】

 

 【3rdシングル「海岸線」 東京エリアの音楽でダウンロード数最多記録を更新】

 

 【アニメ「BLUE DAYS」EDテーマ「線香花火」 泣けるアニソンランキング1位を獲得】

 

 【10代女子が選ぶ好きなアーティスト第3位】

 

【「ルーサ製薬」「霧ヶ島建設」「四葉海上保険」など10社とイメージキャラクター契約を締結】

 

 【2034年 TVCM出演本数 第6位(歌手としては第1位)】

 

 【アクアラインウィンターフェス出演決定 デビュー後最短記録を更新】

 

 【海外の大物アーティスト「ジェニー・ゴールドバーグ」も注目。コラボの噂も……】

 

 

 

 ――音楽の神様。いくら何でもこれはやり過ぎじゃないでしょうか。

 

 

 確かにずっと練習してきましたし、スカウトされてデビューするまでの間は「新人殺しのデスマーチ」と呼ばれる鬼のような練習の日々が続きました。努力はしてきたと思います。ですが、それの対価としてはあまりにも大きすぎて、どう受け取ったらいいのか分からないというのが私の感想でした。

 

「はい。ピジョンローズ・ミュージックです。鈴之音ですか? すみません。スケジュールが1年先まで埋まっていまして――」

 

 私へのオファーが相次ぎ、激務で事務所のゴミ箱は栄養ドリンクの空き瓶で溢れかえりました。

 

「娘の初任給よ~。楽しみになるわね~……お父さんの収入越えとるやないかい! ! 」

 

 私の給料が振り込まれた通帳を見てお母さんが倒れました。

 

「あれ? あそこにいるの鈴之音じゃね? 」

「あ、本当だ。へぇ~意外。コンビニとか行くんだ」

 

 変装しないとまともに外を歩けないので帽子とマスクと眼鏡が標準装備になりました。

 

「オラァ! ! さっさと帰りやがれ! ! ウチのイニシエーター嗾けるぞ! ! 」

「取材の邪魔すんな! ! てめぇのことロリペド野郎って報道するぞ! ! 」

 

 学校の正門前には報道関係者が押し寄せて登下校の妨げになったので、民警を雇って追い払う事態にまでなりました。

 

 

 

 

 

 

 それから2年後、2037年

 鈴之音ブームは落ち着き、(仕事が少なくなったので)学生と芸能人生活を両立できるようになりました。少し前までは華麗さんが車で送り迎えしてくれないとまともに移動できませんでしたが、今はこうして一人で出歩くことが出来ます。

 久々の休日に私は一人で街中に繰り出し、ウィンドウショッピングを楽しんでいました。「一生遊んで暮らせるほどお金があるんだから買えば良いのに」と言われましたが、ストリートチルドレン時代の癖が抜けないのか、“買う”という行為に対して特別感を抱いてしまいます。そして「あれで代用できる」「あれがあるからまだ大丈夫」と考え、何も買わずに終わってしまいます。俗に言う貧乏性というものですね。

 

 ――えーっと、明日は学校行って、その後は雑誌のインタビューだったっけ?

 

 頭の中で明日のスケジュールを確認しながら、駅に向かっていました。大戦前から有名な駅前のスクランブル交差点、歩行者信号が赤になった中で私も人ごみに紛れて止まりした。

 

 

 

『お前たちは正義の正しさを疑ったことがあるか?』

 

 

 

 

 懐かしい声が、聞こえました。

 強くて、勇ましくて、優しくて、でもどこか脆い。

 ずっと探していた。“民警のお兄さん”の声が聞こえました。

 

 

 交差点に面したビル壁の大スクリーン、そこに黒い仮面をつけた男の人が映っていました。私は手を前にして、記憶を辿り、あの時の民警のお兄さんの顔の形を思い出します。手の形と動きは輪郭をなぞるように一致していました。

 

『俺達はかつて、正義を信じ、それを胸に抱いて戦ってきた。報われないことなどたくさんあった。信じた正義に裏切られたこともあった。それでもいつかは、やがていつかは――』

 

 

 怒っているけど、怒り切れなくて、

 

 信じたいのに、信じ切れなくて、

 

 そんな煮え切らない自分に苦しんで、

 

 なんて悲しい声をしているんだろう……

 

 

『人を利用するために正義を語る者よ、

 

 己の悪虐を正当化するために正義を語る者よ、

 

 正義という名の麻薬に浸った偽善者たちよ。

 

 俺の名は里見蓮太郎

 

 かつて、この東京エリアで民警として活動していた男。

 

 そして、この東京エリアを滅ぼす者だ』

 

 

 

 その時、私は知ってしまいました。

 民警のお兄さんの名前は「里見蓮太郎」

 今は、東京エリアを滅ぼそうとするテロリストだということに――

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 あれから5ヶ月、私はそのことを誰にも打ち明けられませんでした。何て説明すればいいのか分かりませんし、私だってこれからどうすれば良いのか分かりません。何の縁もゆかりもない私が刑務所に入れられた里見さんに会う手段はありません。私は、鬱屈した気持ちのまま仕事を続けました。

 華麗さんや積木プロデューサーは私の変化に気付いていたのか、「相談に乗るわよ」「何か悩みでもあるのかい? 」と気を遣ってくれました。私が「何でも無いです」と誤魔化すと休みを増やすようになりました。疲労が来たんだと思ったのかもしれません。

 ある日、私が主題歌を務める映画「もう一度、貴方に恋をする」の完成試写会イベントに出席しました。壇上には主演の俳優さん・女優さん達が並び、その端っこに私がいました。司会進行役の人が主演の俳優さんに話を振っていますが、どんな内容だったのか覚えていません。

 心ここに在らずでした。映画のことも自分の歌のことも頭にはありません。里見さんのことをどうするのか、エールさんも探すのか、何も出来ないのにまだ足掻くのか、もう過去のことを忘れて、諦めて、今まで通り“普通の人間の日向鈴音”として生きればそれでいいのではないか、そんな考えがずっと私の中でグルグルと巡っていました。

 

 

 

「日向さん! ! 」

 

 

 

 突然、主演俳優さんの叫び声が届きました。最初は、ぼーっとし過ぎて司会の人に話を振られたことに気付かなかったと思いました。はっとして、司会の方を向いて「はい」と返事しようとしました。

 充血した目、狂犬病のような口から溢れる涎、それとは対照的に綺麗な服装。照明に照らされ、銀色の光沢が輝くバタフライナイフは私の右腕を斬りました。刃は肘から入り手首まで通り、腱に届く前に抜かれました。

 警備の人達が追い付いて私を斬った男の人を押さえつけます。押さえつけられた人は私に向かって何かを叫んでいます。日本語だと思いますが、活舌が悪すぎて何を言っているのか分かりません。

 

 “人前でケガをしたら傷口を隠すこと”

 

 社会に出る時に最初に教えられたことがフラッシュバックしました。私は咄嗟に傷口をもう片方の手で隠すと舞台裏へと逃げました。そのまま脇目を振らず廊下を駆け抜けます。

 救急箱が楽屋にあった筈です。包帯を巻いて隠さないと、自分が赤目だとバレないようにしないと、気が動転して、そのことで私の頭はいっぱいでした。

 誰も居ない楽屋に着いた私は救急箱を開け、包帯を取り出します。医療や応急処置の知識なんてありません。軽い傷ならすぐに治る身体なのでガーゼはおろか絆創膏すら貼ったことがありません。

 背後から走る足音が聞こえます。スタッフさんが私を追いかけているんでしょう。私は焦って、とにかく傷口を隠そうと慌てて包帯を巻きます。巻き方はグチャグチャですし、テーピングもしてません。あの時の私はパニックになっていたんだと思います。

 

「鈴音ちゃん! ! 」

 

 楽屋に入って来たのは華麗さんでした。走りにくいスカートスーツとパンプス姿で息をきらしていました。どれだけ配したのか、どれだけ必死になって私を追いかけたのか、その姿を見るだけで分かりました。

 

「だ、大丈夫です。自分で手当てしましたから」

 

「そんなメチャクチャな手当てじゃ駄目よ! ! ちゃんと病院で診て貰わないと! ! それに傷跡が残ったら……」

 

 華麗さんは私に迫り、腕を掴みました。そのはずみで出鱈目に巻かれた包帯が私の腕からスルリと落ちて行きます。血が滲んだ包帯の下から、無傷の腕が露わになりました。

 

「鈴音ちゃん。貴方、まさか……」

 

 華麗さんの瞳孔が開きました。

 実は斬られていませんでしたと言えるのであれば良かったです。しかし、私の手に血が流れるところをたくさんの人が見ています。廊下に滴る血痕は、しっかりと残っています。

 もう言い逃れは出来ませんでした。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい……。私は……呪われた子供なんです。ずっと騙して……ごめんなさい」

 

 

 

 

 

 私はその場で泣き崩れました。へたり込んで、俯いて、両目を隠すかのように手で顔を覆います。その時、自分の目が何色になっていたのか分かりません。でも、多分、感情を制御できなくて、ガストレアと同じ赤い眼になっていたんだと思います。

 華麗さんの目に私はどう映っているんでしょうか。事務所もファンも騙して平然とステージに立ち続けたガストレアに見えるのでしょうか。それとも――――

 

「大丈夫。何があっても私は鈴音ちゃんの味方だから」

 

 華麗さんは膝をつき、両手で私を抱きしめました。腕と身体に包まれて暗くなる視界、何度も私を安心させようとする言葉、スーツから漏れる香水と汗が混ざった匂い、私の上半身を包むこの空間は揺りかごのようでした。

 あの後、華麗さんが包帯を巻き直し、お父さんが指定した病院に連れて行ったことで彼女以外には私が呪われた子供だと明かされずに済みました。

 車の中で私は華麗さんに全てを話しました。実の母親に捨てられたこと、ストリートチルドレンだったこと、助けてくれた民警のお兄さんが里見蓮太郎だったこと――――。

 

「そういうことだったら、お姉さんに任せなさい」

 

 私を元気付けようとしたのか、華麗さんはガッツポーズを決めました。

 




ふとWordの文字数カウントを見ると第二章が約15万字。
ティナ先生の特訓編を除いても8万字になっていることに気付きました。
ラノベ1冊が10~15万字だそうなので、第二章は起承転結の起の部分でもうラノベ1冊分書いてることになります。


話の構成を完全にミスったなぁ……と思う今日このごろです。


次回「スズネと鈴音と鈴之音 後編②」

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