長い長い過去話の最後の一息にお付き合いください。
サダルスードフィルム所属の映像作家・堀不三雄はおつまみとビールが詰まったエコバッグを提げ、東京エリア郊外の自宅マンションに帰宅した。来月に撮影がある民警企業のCMの打ち合わせが長引き、時刻は夜の9時を廻っていた。
1階エントランスに着くと一人の女性が彼を待っていた。大人気アーティスト“鈴之音”のマネージャー、そして彼の姪っ子でもある星宮華麗だ。豪勢な名前に反して地味な印象を持たせる背格好は相変わらずだ。
「ごめん。待たせた? 」
「大丈夫ですよ。不三雄おじさん」
扉を開け、部屋主の不三雄に続いて華麗が入る。部屋の中は映画のポスターやグッズ、DVDにBlu-ray、骨董品レベルのレコード、民警業界紙「PGSタイムス」が所々に置かれており、趣味を仕事にしている人間が顕然と分かる内装だった。
「華麗ちゃんの言っていた件、調べ終わったよ」
「さっすが、おじさん。民警オタク」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
不三雄はリビングテーブルにノートパソコンを持って来ると、大型テレビに繋いで華麗にも画面が見えるように出力する。
「結論から言うと、知り合いの赤目ちゃんを救った民警は、里見蓮太郎である可能性が極めて高い」
鈴音に全てを打ち明けられてから数日、華麗はその民警が本当に里見蓮太郎なのか調べるため、父の兄で民警オタクの不三雄を頼った。「知り合いの赤目の子が昔、自分を助けてくれた民警を探している」と赤目の子のプライバシーを理由に鈴音のことは伏せた。
「ちなみに根拠は? 」
「まず、その子が会った時期だ。その頃、このエリアでは何が起きてたか覚えてるかな? 」
「そりゃ勿論。第三次関東会戦だよね? 」
「そうだ。第三次関東会戦の直前、一部の民警にはモノリス倒壊のシナリオが優先的に伝えられ、聖居から戦線への参加とアジュバント結成の要請が出されていた。その当時までの功績から考えて、里見蓮太郎もその一部に含められていただろう。関東会戦直前ならアジュバントのメンバー探しで西端駅周辺を動いている筈だ」
不三雄はノートPCのマウスを操作すると、TV画面に大きく地図を表示する。
「ここが里見蓮太郎のアパートがあった場所、こっちは片桐民間警備会社――彼のアジュバントに所属していた片桐兄妹の住まい兼事務所だ。彼がアパートから片桐のところまで電車で行っていたとしたら西端駅で降りて徒歩かバスで向かった可能性が高い。方角的に考えてショッピングモールとの間の歩道橋も通っているだろう」
「成程……」
「それともう一つ、当時の掲示板を漁ってみたら、こんなスレッドが過去ログにあった」
【暴虐を】赤目を追い出したら民警に撃たれた【許すな】(3)
「内容は要約すると『西端駅の歩道橋で糞みたいな歌を聞かせる物乞いガキを追い出そうとしたら民警に撃たれた。あいつらは赤目ばっか守ってる。社会のクズだ』といったところだな。民警の特徴を記載して、名指しで批判してる。10代の少年、拳銃のみの軽装備、黒っぽいどこかの高校の制服って部分は里見蓮太郎と一致している。名前が“黒貝健太郎”ってなってるのは、おそらくスレ主の記憶力の問題だろう。結局、スレ主が3レス愚痴って反応は無し。スレも落ちて過去ログに埋もれてた」
スレッドに書かれた赤目の子の行動と邪魔をした民警の特徴、それは鈴音に聞かされた話と(一部脚色はあるが)一致していた。6年前の声の記憶と手がなぞった顔の形、それだけで里見蓮太郎だと断言していいのか不安だったが、ここまで状況証拠が揃うと彼女の記憶力を信じざるを得なかった。
「やっぱり……。そうだったんだ……」
「もしお礼を言いたいのだとしたら、諦めた方がいい。里見蓮太郎がどこに収容されているのかは一切情報がないし、仮に分かったとしても会う手段が無い。彼の担当弁護士すら不明だからな。手紙一つだって無理だろう」
「里見さんは無理でも関係者に会うことは出来ない? 親族とか、仕事仲間とか」
「親族は大戦中に全員死亡。引き取られた天童家もあの有様だし、唯一生き残っている天童助喜与もほとんど寝たきり。パトロンの司馬重工は数年前からノーコメントを徹底している。彼と親交のあった民警なら、片桐兄妹がいることにはいるんだが……」
「その2人は駄目なの? 」
「兄弟そろって筋金入りのマスコミ嫌いだ。昔何があったか知らないが、兄貴は報道ヘリに向けて発砲するくらいには嫌っている」
「妹の方は? 何年か前、インスタとかで有名になってテレビとか普通に出てたと思うんだけど……」
「最初は素直に取材とか受けてくれていたんだけど、そこで調子に乗ったどっかのバカな番組プロデューサーがステマさせようとするわ、ヤラセに加担させようとするわ、しつこくグラビア撮影させようとするわ、『この業界で生きたいなら……分かるよね? 』ニチャア って感じどんどん要求をエスカレートさせるもんだから遂にキレちゃって、番組関係者を糸で簀巻きにして真冬の川に放り込んだってさ。以降、片桐民間警備会社は『取材お断り。来たら殺す』ってスタンスになってる」
弓月がマスコミ嫌いになった理由を聞かされ、華麗は身に覚えがありまくるメディアの駄目な部分に辟易する。あの純粋で無垢な鈴音を芸能界の魔の手から守り続けた自分の経験もあり、兄妹の態度に頷いてしまう。
「しかも里見蓮太郎とは何かしらの確執があるから、マスコミに関係なくても殴り飛ばされるかもしれんな」
――そんな超危険人物、鈴音に会わせたくない。
華麗は他に手がないか思考を巡らせる。鈴音に「任せなさい」とお姉さんぶった手前、手ぶらで帰る訳にはいかない。民警のお兄さんが里見蓮太郎だったという確認作業だけでは終われない。その先に進むための道しるべが欲しかった。
『お礼を伝えられなくても、せめて、あの人に何があったのか知りたいんです』
全てを告白されたあの日、そう震えながら喋る鈴音の声が脳裏に浮かんだ。
不三雄ははっと思い出すとパソコンを操作し始めた。
「あっ。もしかすると、彼なら何か知っているかもしれない」
*
あの事件から一週間、私は部屋に引き篭もってネットサーフィンをする日々でした。アーティスト“鈴之音”の活動は休止、学校も休みました。ここ最近、私が疲れ気味だったのと事件の報道が収まるまでは自宅で療養した方がいいだろうという周囲の計らいがあったからです。私はその言葉に甘えました。
その間、私は部屋で里見事件のことを調べていました。今まで学生と歌手の二重生活の合間にこっそり調べていましたが、今は何時間もかけて調べることが出来ます。
仕事のせいで見逃した里見事件の特番がYoutubeにアップされていました。
『幼少期はあの天童家で育てられたわけですからね。金と権力のためなら親兄弟だって手にかける一族の中で彼の価値観がどれだけ歪んでいったのか、想像に難くないでしょう』
『かつて民警として活動していた彼は社会に適合するための仮面であり、テロリストとしての彼が本来の姿だと考える声もありますね』
『民警時代にも一般市民へ発砲したという証言もあり、当時から歪んだ人格を度々、発露させていたのでしょうか』
タブレット画面の中でコメンテーターの方がそう語っていました。
――民警のお兄さん。6年前のあれは全部、演技だったんですか?
1階のインターホンが鳴りました。また取材か何かでしょうか。お母さんが応対します。
しばらくすると1階からお母さんの呼ぶ声が聞こえました。
「鈴音。星宮さんが来たわよ」
私が1階のリビングに降りると母さんと美樹、華麗さんがテーブルで顔を合わせていました。私を見るや否や、華麗さんは名前の通りキラキラとした目で私を見つめました。
「鈴音ちゃん。ついに見つけたわよ」
「何が……ですか? 」
「里見事件で戦った民警を特定出来たのよ。彼から話を聞けるかもしれないわ」
彼女はノートパソコンを開き、私に画面を向けます。彼女がマウスを操作して動画を再生させました。荒い画質、暗い画面、よく見ないと何が映っているのか分かりません。しかし、青白い光が瞬くと画面に滑走路や飛行機が映りました。線香花火のように青白い光は煌めき、何かが衝突したのか火花を散らします。その瞬間、画面は大きく揺れ動き、そこで映像は終わりました。
「これって……もしかして……」
「そう。里見事件の映像よ。あの時、自衛隊の避難誘導に従わないで空港に残って撮影していた人がいたの。それを不三雄おじさんがネット上にアップされていたのをサルベージしてたの」
「遠すぎて何にも分からないんだけど」
――と一緒に動画を見ていた美樹が指摘しました。私も同意見です。空港で何かが光ったとしかこの動画では分かりません。
「ちっちっち。ここからがパンピーとプロの違いよ。よく見てて」
華麗さんがマウスを操作して映像を超スロー速度で再生します。4人で画面をのぞき込んでいる間に華麗さんは停止ボタンを押し、「ここよ」と言って画面の端っこを指さしました。そこには青白い光に向かって飛ぶ黒い棒状のものが映っていました。
「ミサイル……ですか? 」
「バラニウムの槍よ」
「え? 槍? 」
「そう。推定3mの槍を音速以上の速度で投げてるの。映像の最後に画面が揺れたのはソニックブームらしいわ」
説明を聞いて、私達3人は唖然とします。もしかして体を鍛えている美樹なら出来るんじゃないかと思い、「美樹。出来る? 」と聞いてみましたが、
「いやいや無理無理。私が赤目の力を出しても無理だよ。こんなの。バケモンじゃん」
と返答されました。
「でしょうね。“民警大国”東京エリアといえど、こんなに大きな槍を扱えるイニシエーターはそうそういないわ。これをネット上のオタク達が作った東京エリア民警データベースと照らし合わせた結果、このペアがヒットしたの」
松崎民間警備会社所属 IP序列7000位 義搭壮助 森高詩乃
そのデータベースには年齢、使用武器、倒したガストレアの数、どこかの動画から切り取ったであろう写真が掲載されていました。戦っている最中の映像から切り取ったのでしょうか、プロモーターの人は険しい顔で何かを叫んでいて、イニシエーターの少女は対照的に冷ややかな顔をしていました。
荒くれ者とペアを組まされている少女というのが第一印象でした。
「本当にこの人達なんですか? 」
「関係者筋からの情報なんだけど、事件直後に片桐兄妹と里見蓮太郎、あと重体の彼も同じ病院に担ぎ込まれたらしいわ。ほぼ確定と言っても良いでしょう。それと幼馴染がこの会社で働いているの。今夜、彼女を誘ってもう少し話を聞いてみようと思ってる」
「華麗さん」
「どうしたの? 鈴音ちゃん」
「私も一緒に行っていいですか? 」
「外に出る時はちゃんと変装してね。あと念のために腕も隠しておいて」
華麗さんはニッコリと笑って許可してくれました。てっきり反対されるかと思っていた私は拍子抜けしました。
*
その日の夜、華麗さんは松崎民間警備会社で働いている幼馴染さんを自宅に誘いました。どんな誘い文句を使ったのかは分かりませんが「幼馴染さん」改め「千奈流空子さん」は快く引き受けてくれたそうです。
先に華麗さんの家に行った私は部屋にたくさんある漫画に驚きながらもキッチンでお料理の手伝いをしていました。
料理が出来上がった頃にインターホンのチャイムが鳴りました。千奈流さんが来たんでしょう。華麗さんは配膳を私に任せると玄関で空子さんを出迎えました。
「久し振り。元気してた? 」
「こんな遠くまで私を呼びつけるなんていい度胸ね」
「良いじゃない。交通費も食事代も全部私が出すんだから」
「さすが鈴之音の専属マネージャー。太っ腹ね。そういえば、ニュース見たけど大丈夫なの? 」
「全然、大丈夫よ。そこに本人居るから聞いてみれば? 」
背後でドサッと何かを落とす音が聞こえました。私が配膳を終えて背後を振り返ると、目を見開いて硬直し、両手に持っていたであろう紙袋を落として漫画やアニメのDVDを床にぶちまけた千奈流空子さんがいました。
「華麗。鈴之音がいるなんて聞いてないんだけど」
「だって言ってないもん」
自己紹介を済ませ、テーブルで顔を合わせて千奈流さんに事情を話しました。自分の過去については「以前、里見さんに危ないところを助けて頂いて……」と赤目であることを隠し、脚色しました。
千奈流さんは私の話を怪しんだりしませんでした。赤目のことも過去のことも隠し、偽りの経歴の上で生きてきた私の嘘は、それほど巧みだったのでしょう。
「成程、そういうことねぇ」
「お願い。空子ちゃん。その義塔くんと森高さんから話を聞きたいんだけど、何とかならない? 」
一通り話を聞き終えた千奈流さんは気鬱な顔をして視線を逸らしました。
「ごめん。無理。私だって2人から何も聞かされてないんだから」
「そうなの? 」
「詩乃ちゃんは『怒り狂って殺そうとしたことしか覚えてない』って言うし、義塔は色々と知っているみたいなんだけど、話さないのよね」
「口止めされているとか? 」
「どうだろう? されているかもしれないけど、自分の意思で守ったり破ったりする人間だから。一番は本人の気持ちの問題でしょうね。里見事件はあいつにとっちゃガキの頃からの夢とか憧れとかを全部否定された事件だから」
千奈流さんは、義塔さんから聞かされた6年前の事件を語りました。
里見さんのイニシエーターがクラスメイトだったこと、
その子が赤目だと発覚する切っ掛けを作ってしまったこと、
助けようとせず逃げ出して、その先で里見さんを見たこと。
「よほど彼が眩しく見えたんでしょうね。それがテロリストになって戻って来たんだから、心中お察しするわ」
千奈流さんが言うには、義塔さんも私と同じように里見さんがテロリストになったことにショックを受けていました。彼から里見さんに関する話を聞くことは、彼の心の傷に指を入れる様なことになるじゃないか、そう考えるととても悪い気になりました。
もし弁当をくれた店員さんやエールさんがもの凄く悪い人になっていたとして、そのことを私は素直に語れるでしょうか。
「何て言うか、見た目によらず繊細で気難しい子なのね」
「そうよ。いかにもイケイケオラオラ系のヤンキーみたいな見た目してるけど、あんなのただの
義搭さんがどういう人間か――千奈流さんは語っていると華麗さんが口と鼻を押さえて俯き、小刻みに身体が震えていることに気が付きました。義塔さんにシンパシーを感じて涙でも流しているのかと思い、千奈流さんが顔を覗き込みました。
「なにそのギャップ萌え狙いのヘタレ受けヤンキー。ドストライクなんですけど」
華麗さんが訳の分からないことを言い始めました。
「あ、あの……華麗さん? 」
「あ~。鈴音ちゃん。知らなかった? こいつは男を見るとBL妄想をせずにはいられない末期の腐女子よ。ピジョンローズに入ったのもイケメン歌手を少し離れたところから見たいって超不純な理由だし」
「びぃえる? ふじょし? 」
千奈流さんが説明してくれましたが、専門用語みたいなのが多くて理解できませんでした。千奈流さんも私が理解していないのを分かっていて、「大丈夫。人生には必要のない知識だし、鈴音ちゃんは理解しなくていい世界だから」と締めくくりました。
「その義塔くんから聞き出す方法って無いの? 」と鼻にティッシュを詰めた華麗さんが尋ねます。
「最初にも言ったけど、ごめん。私から言えることはこれで全部だし、あいつは大金積まれても色仕掛けをかけられても拷問されても吐かないわ」
最後に千奈流さんは私達の希望を撥ね退ける様に言い放ちました。言葉の節々に「ごめんなさい」と言葉を挟み、彼女の申し訳なさそうな顔が印象に残りました。華麗さんは「仕方ないよ」と言って千奈流さんをフォローします。
「ごめんね。鈴音ちゃん。せっかくここまで来てもらったのに」
謝らないで下さい。謝るのはこっちの方です。
里見事件からもうすぐ半年、私の停滞していた5ヶ月が嘘のように話は進んでいきました。それは業界にいる年季の差、人との繋がりの差、子供と大人の差、理由はたくさんあるかもしれません。ですが、“鈴之音”活動休止の煽りを受けて関係各所を回って頭を下げる日々の中でここまで動いてくれた華麗さんがいたからこそ、民警のお兄さんに近付くことが出来ました。
――華麗さんの為にも、ここまでの努力を無駄にしない為にも。私も何かしないと。
「…………華麗さん。初対面の人と仲良くなろうとしたら、まずどうしますか? 」
「いきなりどうしたの? 」
「答えてください」
「そ、そうねぇ。まず、何かテキトーな理由をつけて一緒にいる時間を増やすところかしら? 仕事の打ち合わせとか、落としものを届けに行くとか。――――って、鈴音ちゃん。まさか……! ! 」
「千奈流さん。私が『義塔さんを護衛に雇いたい』って言ったら、彼は引き受けてくれると思いますか? 」
「ちょ、ちょっと、落ち着いて」
「仕事のことなら私に決定権があるわ。どんな仕事だろうとあいつに引き受けさせる」
「空子ちゃん! ? 」
華麗さんが狼狽えて私の肩を揺さぶる中で、千奈流さんの堂々とした言葉が響きます。
「あとは、料金次第ね」
「日当は5万円、最低でも1週間分は補償します。期間は無期限。義塔さんから話を聞き出せるか、鈴之音で稼いだお金が尽きるまで延長します」
「乗った」
「お願いだから、マネージャーの私をスルーして話を進めないで」
「プライベートなことだから関係ないでしょ。はい。これ契約書」
「はい」
千奈流さんが即席で作った契約書をテーブルに出し、私はすかさずサインします。
「これで契約成立ね。義塔は今、修行の旅みたいなのに出てるけど、来週ぐらいには戻ってくると思うから。そしたら、すぐに護衛の仕事開始でいい? 」
「分かりました。お願いします」
この時の私は暴走していました。同年代の男性を傍に置くことのリスク、鈴之音のブランドイメージ、護衛して貰うとしてどのタイミングで彼に来て貰うのか、ただ彼に近付く理由ばかりを考えて、その辺りのことを一切考えていませんでした。
ふと気が付くと華麗さんは私に背中を向けて不貞腐れていました。
「はいはい。私は関係各所への根回しとかすれば良いんでしょ? 一応、この件、積木さんには話すからね。別にウチは恋愛禁止って訳じゃないし」
「えっと、その……ありがとうございます」
華麗さんの為にと思って奮い立ったつもりでしたが、むしろご迷惑のようでした。
*
その次の日、自宅のリビングで父さん、母さん、美樹に義塔さんを護衛として雇うことを話しました。3人とも最初は難色を示しましたが、助けてくれた民警のお兄さんに繋がる手掛かりであること、もう契約も済ませたことを話すと母さんは「仕方ないわね」と言って肩を竦めました。父さんと美樹も納得はしませんでしたが、私を説得するのを諦めて嫌々ながら妥協してくれました。
「ところで鈴音。その義塔くんってどこに住んでるの? 」
「確か、34区あたりって言ってた」
「かなり距離があるのね。ここまで来てもらうの大変じゃない? 交通費も馬鹿にならないし。鈴音が出掛ける度に往復なんてさせたら、嫌われちゃうわよ」
「あ……考えてなかった……。えーっと、近くにアパートでも借りてもらうとか? 」
「そんなことしたら出費がかさむじゃない。義塔くんを雇う期間なんてもっと短くなるわよ。勿論、ホテルなんて尚更アウト」
「恵美子。お前、まさか、その民警をウチに泊めようとか思ってないだろうな? 」
みんなが思っていることを父さんが口にしました。
「そのつもりだけど。ちょうど、そこの和室が空いているし」
「反対だ。その……年頃の男女を一つ屋根の下に泊めるなんてだな」
「2人の部屋はちゃんと鍵がついているし、いざとなったら赤目の力で抵抗できるわよ。それに向こうは仕事のつもりで来るんだから、そんな馬鹿なことはしないと思うけど」
「民警って言っても我堂みたいな一部を除けば、大半はチンピラか元犯罪者だぞ。そんな危ない奴を家に招き入れるなんて」
「チンピラや元犯罪者は命懸けでテロリストと戦って国を救ったりなんってしないわよ」
世間では凄い大学の凄い教授と言われている父さんですが、家では母さんに頭が上がりません。昔の弱みもたくさん握られているそうで、日向家は所謂“かかあ天下”です。
「ついでに言うけど、貴方だって結婚前は――」
「分かった。分かったから。ただし、危ない奴だったら問答無用で追い出す。これだけは引けないからな」
母さんの視線が
「こんな空気で反対できる訳ないじゃん。良いよ。勝手にして。ただし、その義塔って奴が姉ちゃんに変な事したら、本気でボコボコにするから」
“その時は呪われた子供の力も使う”と言いたげに美樹は目を赤く光らせました。
こうして母さんの鶴の一声により、初対面の民警を自宅に長期間泊めるという異様な事態が罷り通ることになりました。
*
「鈴音。これだけはしっかり覚えておきなさい。これから私達は悪いことをするの。義塔くんが秘密にしていることを聞き出すためにみんなで寄って集って騙すんだから。最悪、彼の心を弄んで、傷つけて、恨まれて終わるかもしれないわよ」
その日の夜、珍しく強い口調で語ったお母さんの言葉が胸に刺さりました。
*
それから義塔さんが修行の旅(?)から戻るまでの数日、私は華麗さん、千奈流さんと3人で打ち合わせを続けました。義塔さんを護衛として雇う嘘の理由と設定を考え、千奈流さんから彼の趣味趣向や人間関係を教えてもらい、家族も交えて準備を進めました。
母さんの言葉が脳裏を過る中、私は義塔さんを騙す茶番劇の舞台を整えました。役者も揃いました。
後は幕を開けるだけ。
そう思っていました。
ですが、私は重要なことに気付いていなかったのです。
肝心の
――義塔さんとどういう話をすれば良いんだろう?
私は、同年代の男の子と会話したことがありませんでした。
昔の家は母子家庭でしたし、ストリートチルドレン時代も周囲には女の子とお婆ちゃんしかいませんでした。保護された後は男性もいましたが、警察もボランティアも病院もみんな年上のお兄さんばかりでした。養子になった後も中学も高校も女子校でした。恋愛に全く興味が無かったので、そういったドラマやアニメや漫画を嗜むこともありませんでした。
そんな私が、どうやって義塔さんを篭絡させることが出来ますでしょうか。
里見事件のことを聞き出すどころか、逆に私が緊張して変なことを言ってしまう有様でした。
「分かった。お母さんが義塔ちゃんの好みを聞いてみるわ」
どうにもできない私をフォローする為にお母さんは女性の好みを聞いてくれました。
「あの子、美樹の方が好みって言ってたんだけど……」
――髪、短い方が好みなんですか?
「ほらほら~。どうよ。義塔の兄ちゃん。本邦初公開。鈴之音の水着姿だよ~」
ショッピングモールで買い物した時、美樹はいきなり試着室のカーテンを開けて「お色気悩殺作戦」をやってくれました。
――義塔さん。どうして視線が美樹の胸の方に行ってるんですか? こっちを見て下さい。
「ウチの研究室は良いぞ。ガストレアの研究に必要な設備が揃っている。東京エリアの大学じゃ最先端だ。厚労省直轄の特殊感染症研究センターにも劣らないと自負している」
ちなみにお父さんは自分が猛反対していたことをすっかり忘れ、詩乃ちゃんに自分の研究室がいかに素晴らしいか語っていました。
そんな華麗さん、千奈流さん、父さん、母さん、美樹の努力も虚しく、私は里見事件のことを聞き出せずに今日という日を迎えてしまったのです。
*
例の歩道橋から少し歩いたところにある公園。ランニングコースの一角にあるベンチに座り、私は義塔さんに全てを語りました。
自分勝手で、先を見ていなくて、暴走して周囲を巻き込んで、寄って集って一人の男の子を騙して、それでも何も成すことが出来なかった愚かな少女の物語を――。
「これが私の全てです。秘密を聞いたから、代わりに里見事件のことを話してとは言いません。今まで……騙してごめんなさい」
隣に座る義塔さんはただ黙って、ずっと私の話を聞いてくれました。もう陽が落ちかけた夕暮れ時、彼の顔は少し向こう側を向いていて、どんな表情をしていたのかは分かりません。これを聞いた彼はどう思っているのか、何て私達に言い返すのか、戦々恐々としていると、義塔さんはいきなり、わざとらしく大きなため息を吐きました。
「成程ねぇ~。俺はお前ら一家と空子と星宮さんに騙されて、詩乃と必死に存在しないストーカーを探し続けていた訳か……。サーモグラフィとか、超小型監視カメラとか、事務所に届いた鈴之音アンチのメールチェックとか、ブロックしたTwitterアカウントの監視とか情報屋を使って周辺住民の身辺調査とかやって、存在しない奴を探していたのか。そっかあ………」
怒っていました。騙された自分がどれだけ苦労したか語られました。しかし、それを終えると義塔さんは「ふっ」と笑いました。その表情は優しく、先程の言動が嘘のようで、朝食作りを手伝ってくれたあの朝と同じ顔をしていました。
「良かった。ストーカーに怯える女の子なんていなかったんだな。
―――――なんて言うと思ったか。このクソバカ姉妹」
ようやく回想編を書き終えました。
読者の皆さん、お付き合いいただきありがとうございます。
展開やキャラクターの心情描写に四苦八苦してリアルに疲労した1ヶ月になりました。
次回「幸せな思い出を血で染めて」