前回の予告からサブタイトルを変更しました。
月明りが照らす8月上旬の夜、姉妹の瞳に容貌魁偉な女性が映っていた。毛先に近付くにつれ明るくなるダークパープルの長髪を靡かせ、マッシブな身体を厳つい大型バイクに乗せた姿は、腕っぷし自慢の男性でも尻込みしてしまう威圧感を放つ。
しかし、彼女の向ける表情はとても優しかった。
「エール姉ちゃあああああああああん! ! 」
大粒の涙を零しながら美樹はエールに飛びついた。彼女が幽霊でも幻覚でもなく、実体として存在していることを確認するかのようにしっかりと両腕で抱きしめ、顔を胸元に埋める。
「ったく、甘えん坊なのは変わんねえな」
エールは我が子のように美樹の頭を撫でながら鈴音に目を向ける。
「お前も元気そうで良かったよ。そういえば、見えるようになったんだったな。私の姿はどうだ? 恐いか? 」
「いいえ……私が思っていた通り、かっこいいエールさんでした」
仄かな明かりに照らされ、マンホールチルドレン時代と変わらない鈴音の笑顔が向けられる。照れ隠しをするかのようにエールは目を逸らし、インナーを涙と鼻水で濡らす美樹を引き剥がす。
「お互い色々と積もる話があるんだろうけど、それは後だ。――――行くぞ」
「行くって、どこに? 」
「私達の拠点だ」
エールがそれを口にした途端、鈴音と美樹は口を噤んだ。申し訳なさそうにエールから目を逸らす。感動の再会も束の間、2人の表情に暗い影が落ちる。
顔見知りで命の恩人のエールであっても彼女の立場は赤目ギャング、犯罪者グループのリーダーだ。彼女の拠点に行くということは、拡散防止法に背いて逃亡することであり、『お尋ね者』になることを意味していた。
「まぁ、そうなるよな。……だったら、こうしよう」
エールは美樹を反転させ、収縮した筋肉により鉄のように固くなった腕で背後からホールドする。美樹の目の前でH&K MP5をちらつかせ、姉妹にトリガーに指をかけるところを見せつける。
「私の拠点に来い。拒むなら撃つ」
「エールさん……。どうして……? 」
「事情は向こうに着いたら全部話す。頼むから今は言うことを聞いてくれ」
美樹を人質にするエールと鈴音が向き合う仲、3人の耳にローター音が届き始める。直後に青と白を基調としたカラーリングのヘリコプターが低空飛行で頭上を通過する。東京エリア警察航空隊が運用しているユーロコプター EC 155だ。
――クソッ。警察の展開が早過ぎる。
3人の頭上を通過したヘリはUターンし、今度はホバリングしながら遠くから3人をライトで照らす。鈴音と美樹は眩しくて目を細める中、エールは側面のドアから身を乗り出す
「スズネ! ! 」
エールは美樹を抱きかかえたまま鈴音に飛び掛かり、覆い被さる。遮蔽物が無い今、姉妹を守るには自分の身体を肉の盾にするしか無かった。そんな彼女の決死の行動を嘲笑うかのように3人が地に伏せた後、何発もの弾丸が2メートルも離れたところに着弾する。サイレンサーを装着しているのか、銃声もほとんど聞こえなかった。
エールは2人を被いながらも左手に握っていたMP5をヘリに向けて応射。トリガーを引き続け、弾倉が空になるまで撃ち続ける。手首だけで保持された銃身は弾丸を放つたびにブレていく。最後に放った弾など明後日の方角に飛んでいるだろう。仮に直撃コースだとしても防弾仕様のフロントガラスには傷一つ入らない。狙撃手も防弾チョッキを着ているなら当たっても「痛い」程度で済むだろう。
そんな破れかぶれの応戦だったが功を奏したのか、ヘリはエール達にテールローターを向けて撤退する。当たった様子は無い。何がそう判断させる要因になったのかはエールにも分からなかった。
一安心と思った矢先、ナオ達の一団がエールに追い付いた。最前列の真ん中を走る真っピンクのナオがスピードを上げ、我先にエールの下に二輪を走らせる。
「エール! ! 大丈夫! ? ケガは! ? 」
「大丈夫だ。狙撃手が下手糞で助かった。スズネとミキも無事だ」
エールはナオにそう報告する中で鈴音と美樹の震えを腕で感じていた。東京エリアの法と社会が2人をどうするつもりなのか、その意思が言葉ではなく弾丸で届けられた今、2人は恐怖と驚愕で一杯になっていた。
「ナオ。ミカンの車に2人を乗せろ。バンタウに戻るぞ」
*
義搭壮助が目を覚まして最初に見たのは汚れた天井だった。何かの液体が付着して染み込んだ跡やコンクリートに入ったヒビが散見される。蛍光灯も切れかけているのかカチカチと音を立てて点滅している。点くのか消えるのかどっちかにして欲しい。
薬品と消毒液と血が混ざった匂いが鼻をつく中、隣からカチャカチャとガラス瓶を動かす音が聞こえてくる。壮助が痛みを我慢しながら首を動かすと白衣の男の背中が見えた。白衣は汚れていて、天井と同じように血や何かしらの体液が付着した痕跡が目立つ。壁も似たような惨状になっており、ここがまともな病院ではないことは明白だった。
「えっ! ? もう起きた! ? 」
物音に気付いて白衣の男が振り向いた。短くさっぱりとした白髪混じりの黒髪、痩せこけた頬、垂れ下がった目と眼鏡、猫背のせいでもの凄く気弱な印象を受ける。心なしか顔色も悪い様に見える。
壮助は全身の痛みに耐えながら、ゆっくりと上体を起こす。
「ああっ! ! む、無理しないで。ここは安全だから。寝て大丈夫だから」
白衣の男の心配を不意にして壮助は完全に起き上がる。呼吸を整えると白衣の男に視線をロックオンし、彼の両肩をがっしりと掴んだ。
「なぁ、ここはどこだ? お前は誰だ? 詩乃はどうした? 鈴音と美樹は? 何で俺の治療をしているんだ? 死龍はどうなった? 灰色の盾は? 何でこの病院はこんなにオンボロなんだ? 今日は何月何日何時何分何秒で地球が何回転した時なんだ? 」
壮助は怪我人とは思えない勢いで白衣の男の肩を揺らす。
「そんなに一気に質問しないでくれ! ! 何から答えれば良いか分からなくなるじゃないか! ! と、とりあえず、これ飲んで落ち着いて」
白衣の男はお茶の入った湯呑を渡す。縁が欠けており、ところどころにヒビも入っている。心なしか茶も汚く感じてしまい、いまいち手が伸びない。
「普通の麦茶だよ。変なものは入っていないから」
壮助は白衣の男から湯のみを受け取ると彼を睨みながら口に流す。味は薄いが言われた通り普通の麦茶だった。この人が死龍に負けた自分を助けたのだろうか、ここはどこなのか、詩乃は無事なのか、自分が慌てて口にした質問をもう一度、頭の中で整理する。
「僕の名前は
「バンタウ? 」
「灰色の盾の拠点だよ。西外周区に残っている廃墟をアジトにしているんだ」
「成程……。ここはその一室か」
外周区を拠点とする赤目ギャングの大半は大戦前の廃墟や地下施設を拠点にしている。当初は雨風を凌ぐ程度にしか使っていなかったが、内地の建設バブル崩壊の際、外周区へと流れた元・建設作業員の失業者が赤目ギャングの拠点開発や整備に協力して報酬を得るようになり、かつての九龍城砦を思わせる巨大スラム街が外周区に建設されるようになった。
灰色の盾の拠点は元々マンションだったのだろうか。年代物の医療器具が置かれているが、よく間取りを見ると住居のそれだと分かる。
「詩乃は? 俺のイニシエーターはどうした? 」
「彼女なら、君の隣だよ」
白衣の男――倉田が壮助の背後を指さす。振り向くとベッドで眠っている詩乃の姿があった。可愛らしい寝顔から吐息が出て、シーツ越しに胸元が膨張収縮する。とりあえず、彼女は生きている。その事実に安堵した壮助は表情が緩み、涙が出そうになる。
しかし、喜びも束の間だった。
詩乃の左手首から先が無くなっていた。
彼女がレイジングブルで自分の手首を撃ち抜き、噛み千切った光景を思い出す。
「かなり思い切った判断をする子だね。お陰で2~3日分の
「余命……だと? 」
衝撃のあまり倉田の言葉が壮助に突き刺さった。
倉田も余命宣告という残酷な仕打ちに、そして医者でありながら詩乃を救えないことに申し訳なさを感じ、それが顔に出ている。
「彼女の容態だが、かなり危険だ」
「死龍の毒か…… 」
「そうだね。死龍の毒はサソリの毒と同じだ。神経軸索の電位活性化イオンチャネルに作用して、活動電位の立ち上がりを阻害しているんだと思う。症状からして作用は末梢神経系だろう。普通の毒ならガストレアウィルスが
「馬鹿の俺でも分かる様に説明してくれ」
「簡単に言うと死龍の毒は君のイニシエーターの神経伝達をストップさせているんだ。このままだと全身の筋肉が動かなくなるし、内臓も制御されなくなる。近い内に心臓も止まって死ぬ。ガストレアウィルスも毒に含まれた抑制剤と似た成分のせいで普段の治癒力が発揮できない」
「何とかならないのか? そんなに知ってるなら、治療法とかあるだろ! ? 」
壮助は倉田の胸ぐらを掴む。自分ではどうすることも出来ない。詩乃を救う為にはたった今会ったばかりの人間に縋らなければならない。そんな不甲斐ない自分に憤りを感じ、それを倉田にぶつけてしまっていた。
「無いよ。……そもそも必要無かったんだ。死龍の毒を受けた人はみんな即死で治療の余地なんて無かった。彼女がこうして生きているのだって、彼女の咄嗟の判断と死龍のミスが重なった奇跡みたいなものなんだから」
「どういうことだ? 」
「まず彼女が左手を千切ったことだね。それで身体に廻る毒の量を減らしている。血と一緒に毒も少し出したんだと思う。もう一つは彼女の体重だよ。骨や筋肉の密度が高いんだろうね。見た目の割にけっこう重かったよ。手術台に乗せるのだって4人掛かりだったし」
「あいつの体重が何か関係あるのか? 」
「毒の致死量は基本的に体重に対する分量で決められているんだ。正確には体質とか体調とか、血液量とか別の要素も絡むんだけど……。おそらく、彼女の身体で生成できる毒の量も限度があるだろう。死龍は人間一人分の常識的な分量を計算して入れていたんだ」
「だけど、詩乃の体重は常識外れだったから、毒が足りなかったってことか? 」
「そう。だから、彼女は即死せずにこうして生きている。体重から筋肉や血液の量を逆算して……余命は約60時間」
約60時間、日数に換算して2.5日、森高詩乃と一緒に居られる時間はそれだけしか残されていない。当たり前のようにあると思っていた未来が閉ざされた。
壮助は詩乃のベッドの脇で跪き、彼女の手を握った。詩乃は生きている。手だってまだ温かい。眠っているのもいつものことだ。体調だって悪いようには見えない。それでも後2日半で彼女の命は尽きる。「そんなの嘘だ」と言いたいくらい詩乃はいつも通りだった。
「色々と酷いこと言ったところ悪いんだけど、一つだけ、手段があるんだ」
一条の光が差した。
「死龍だよ。彼女が解毒剤を持っている」
世の中、そんなに上手くはいかない。唯一の希望は強敵の手の中だった。
「仲間用か? 」
「いや、自分用だね」
「自分の毒なのにか? 」
「別に珍しい話じゃない。毒を持った生き物だって身体の構造や構成物質は他の生物と変わらない。彼らにとっても毒は毒なんだ。ケガや病気で毒が流出して毒ヘビや毒サソリが自分の毒で死亡したという事例もたくさんある」
その話を聞いた瞬間、壮助は昨晩のことを思い出す。毒で倒れた筈の詩乃が背後から死龍を撃った時、弾丸は彼女の下腹部を貫通し、その直後に死龍がマントの下からアンプルを出して自分に投与した。その時は鎮痛剤と思っていた。しかし、毒を生成する器官が下腹部かその背面にあり、そこから流出する毒を無効化する為に解毒剤を打っていたという解釈も出来る。
死龍を探して、倒して、解毒剤を手に入れる。
目標が決まるとただ悲しむだけだった思考は目標の達成に向けた手段の構築に向けて動き出す。自分は何をするべきか、何を他人にさせるべきか、何が足りていて、何が足りないのか、その為に何を犠牲にするのか――。
「よう。目を覚ましたな」
扉を開け、部屋に入って来たのはエールだった。ライダージャケットを脱ぎ、タンクトップ1枚となった彼女の姿を前にして、大抵の男は豊満な胸に目が向いてしまう。彼女にそれを悟られないよう視線を逸らすと左肩のトライバルタトゥーにも目が引かれる。
「一応、初めましてだな。『灰色の盾』リーダーのエールだ」
「松崎民間警備会社所属プロモーター・義搭壮助だ」
エールと壮助は握手を交わす。
「噂は聞いてるよ。あと鈴音からも『全てを諦めた時に拾ってくれた命の恩人』だって」
「あいつ、そんなこと言ってたのか……」
エールは恥ずかしそうに爪先で頬をかく。大型バイクを乗り回す赤目ギャングのリーダーでもまだ16歳の女の子だと感じさせる。
「今、彼にはバンタウのことと森高さんの容態について話したところです」
倉田は「あと解毒際についても」と一言補足する。
「そうか。スズネとミキの侵食率はどうだ? 」
「カナコに任せてます。そろそろ検査が終わるかと……」
「ここ侵食率の検査機あるのかよ! ? 」
壮助が驚くには理由があった。ウィルス拡散の懸念があることから、呪われた子供達の侵食率検査は聖居が指定した医療・研究機関でないと行うことが出来ない。また、多種多様な性質を持ち変異も著しいガストレアウィルスの検査は他のウィルスとは比べものにならないくらい複雑かつ困難なものとなっており、専門の検査機は1台で数千万円、高くても数億円はかかると言われている。
「検査機って言うほど立派な代物じゃないけどね」
エールに続いて、一人の少女が入って来た。13~14歳ぐらいだろうか。厚手のゴム手袋を装着し、頭は白いタオルを巻いて髪を被っている。
「倉田ぁ。やっぱり駄目だ。あいつら全然平気だよ」
「レベルは上げた? 」
「うん。MAXまで上げて1時間入れてみたけど、それでようやく眩暈がしたぐらい。あいつら、
「そこまでやって眩暈ってことなら、彼女達の侵食率はかなり低いんだろうね」
倉田とゴム手袋の少女――カナコの会話に壮助は付いていけず、鈴音と美樹の侵食率が低いという一連のトラブルを否定する言葉も出てきて混乱する。
「待て待て。どういうことだよ。あいつらの侵食率が低いって。いや、低いならそれで嬉しいんだけど、何がどういうことか説明してくれ」
「日向姉妹をウチで作った検査機、バラニウムボックスで検査したんだよ」
「バラニウムボックス? 」
「そう。モノリスの磁場がガストレアを寄せ付けないってのは知ってるよね? 」
「幼稚園で習った」
「磁場がウィルスを殺して最終的にガストレアを衰弱死させるから生物的本能でモノリスには近寄らないっていうのが正確な話なんだけど、それは赤目達でも同じなんだ。侵食率が高い子供ほどモノリスに近寄ると体調不良を訴える。モノリスに近寄るほど症状は強くなって、パーセンテージ次第ではモノリスに到達する前に衰弱死してしまう。バラニウムボックスはその性質を利用したものなんだ。バラニウムで作った棺桶に赤目の子を入れて、電気を流して磁場を発生させる。それで、どれくらい体調が悪くなったかで侵食率を調べているんだ」
「なんていうか、すげー単純だな」
「勿論、内地のものに比べれば正確性も信頼性も劣るよ。体調不良も自己申告だし、個人差もある。数値化も出来ないしね。けど、無いよりはマシだ」
「それで鈴音と美樹は全然、体調を崩さなかった訳だ」
「同じ条件を侵食率20%の元・イニシエーターに使ったことがあるんだけど、彼女は激しい頭痛と吐き気に襲われて、自分で立ち上がることが出来なかった。それと比較して考えると、姉妹の侵食率は
それを言い終えた直後、倉田は驚きのあまり目を見開いた。
壮助は俯き、目元を手で隠していた。しかし震える肩、噛みしめる口元、頬を流れる水滴で感情を隠すことは出来なかった。
「そうか…………。良かった……。本当に良かった……。ありがとう」
「何度も言うけど、自己申告だし、個人差もあるし、保証は出来ないよ」
「それでも、アンタの数字を信じさせてくれ」
死龍が持っている
バラニウムボックスで調べた鈴音と美樹の
不確定要素だらけで、簡単に否定出来てしまう。
確定事項だとしても希望に手が届くとは限らない。
だが、例え偽物だとしても――
――壮助は希望が欲しかった。
隙あらば設定語り
・バンタウの語源
灰色の盾の拠点である「バンタウ」。
元々は神奈川県・相模原市の東端に建てられた「相模原アーバンタウン」というコの字型マンションでしたが、ガストレア大戦の勃発により入居者0名のまま廃墟となり、終戦直後は難民キャンプ、しばらくしてからは外周区の呪われた子供達やホームレス、アウトサイダーの拠り所となり、最終的にエール達が制圧して灰色の盾の拠点になりました。
エール達が来た頃、表札の文字が欠け落ちて「相模原■■バンタウ■」となっており、彼女達が漢字を読めなかったことから「バンタウ」と呼ばれるようになりました。
次回「計数されざる少女たち」