ブラック・ブレット 贖罪の仮面   作:ジェイソン13

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敵の名は東京エリア

 8月10日 朝10時

 

 ティナ・スプラウトは冷房をガンガンに効かせた自宅マンションで目を覚ました。瞼はまだ半開きで、頭がぼーっとしている。何故、自分がベッドではなくソファーで寝たのか思い出せない。松崎民間警備会社で働き始めてから数ヶ月、再び昼型の生活に戻す努力をしていたが、やはり夜の猛禽類の因子故か何歳になっても早起きには苦手意識が残る。

 

 ――今日はえーっと、何か約束してたような……。

 

 スマホで時間を確認しようとするが起動しない。電源ボタンを押してみるとバッテリー切れを示す画面が表示されたので、ケーブルを挿して充電する。

 部屋には壁掛け時計が無いので時間を確認しようとテレビの電源をつける。朝の情報番組が画面に映り、見慣れたスタジオ、アナウンサー、コメンテーターの姿が目に入る。画面の四辺はテロップで埋まっているが、ここ最近の平和ボケ生活が骨の髄にまで浸透したのか、ティナはまだ寝ぼけている。話の内容もテロップの文字も頭に入って来ない。

 スマホが充電され自動的に起動した直後、着信が入る。発信者は身に覚えのない電話番号、市外局番で携帯電話から連絡していることしか分からない。

 

『あ、やっと繋がった。ティナ先生、今どこにいるんすか? 』

 

 電話に出ると壮助の声が聞こえた。彼は少し焦った様子だった。口振りからして何度もティナに連絡を入れていたようだ。

 

「誰ですか~?」

 

 ティナはまだ寝ぼけていた。彼女の間抜けな返答のせいで、壮助の血管が切れる音が聞こえた。

 

『義塔っすよ! ! アンタに監禁されてボコ殴りにされて飛行機から未踏領域に蹴落とされた義塔っすよ! ! ピザの食い過ぎで弟子の声も忘れたんですか! !

この無限の燻製(アンリミテッドピザワークス)が! ! 』

 

「身体はピザで出来ていません」

 

 壮助の罵声がキンキンに響き、ティナの目がすっかり覚めた。

 

「義塔さん。朝からうるさいです。何事ですか? 」

 

「『何事ですか? 』じゃねーよ! ! つーか、今どこにいるんすか! ? 」

 

「まだ自宅ですよ。約束は確か13時だった筈ですが? 」

 

『今からそっちに行くっす! ! あと30分ぐらいで着くから! ! 』

 

「え? 」

 

 ティナが驚いている隙に壮助は通話を切った。駅で集合する筈だった約束が何故、ここに来ることになったのか分からない。とにかく壮助が部屋に来ることだけは確定事項だった。

 ティナは自室を見渡す。その光景は、惨状の一言に尽きた。

 床には脱いだ衣服や下着が散らされ、ベッドには天誅ガールズのコスプレ衣装が広げられ、リビングテーブルはガンプラの塗装作業台と化している。ダイニングテーブルには衝動買いした仮面ライダーの変身ベルトやその他アニメキャラのフィギュア多数、アメリカから持ち込んだ銃器多数が占領していて、壁もスナイパーライフルとアニメのポスターで埋め尽くされている。その様相は典型的な――いや、それを越した重度のオタク部屋だった。

 松崎PGSの面々にはオタク趣味を隠している訳では無いのでこれらを見られても問題無い。しかし、この部屋の惨状は誰にも見られたくなかった。「汚部屋スプラウト」「ダメ女序列38位」「里見がペア解消したのって家事能力の無さが原因じゃね? 」と嗤う壮助の姿が容易に想像できる。

 

 

 

「ああ! ! もう! ! 何でいきなり来るんですかぁ! ? 」

 

 

 

 ティナは喚きながら、とりあえずゴミになるものを袋に詰め、収納場所が決まっていないフィギュアやコスプレを奥の部屋に押し込んでいく。

 その時、ようやくテレビの内容が耳に入った。警察、赤目ギャング、感染爆発(パンデミック)、自衛隊、物々しいワードが耳に入り、何事かと画面を凝視する。

 

 

 

 

【厚労省、歌手“鈴之音”日向鈴音さんと妹・美樹さんを危険域感染者として指名手配】

 

【特異感染症取締部・警視庁共同で特別捜査本部を設置】

 

【日向勇志さん、恵美子さん夫妻ガストレア化、姉妹の侵食率が関与か? 】

 

【聖居は特別警戒態勢を発令。陸上自衛隊の出動も視野に対応を検討】

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから30分後、壮助の予告通りインターホンが来客を知らせる。ティナが覗くと1階エントランスを映すモニターに赤いツナギに赤い帽子姿の男と同じ格好の女性が映っていた。中には家電製品でも入っているのだろうか、台車にはかなり大きな段ボール箱が乗っている。

 

『どうもー。ワークセル運輸ですー。お荷物をお届けに上がりましたー』

 

 男が赤い帽子の鍔を少し持ち上げ、隠していた顔をモニターに映す。そこには真剣な面持ちの義塔壮助の顔があった。ティナは壮助の行動の意味が分からなかったが、何か理由があると察する。

 

「……お願いします」

 

 疑りながらも開錠ボタンを押して壮助達をマンションの中へ入れる。それから数十秒後、今度は部屋のドアに設置されているインターホンが鳴り、ティナはドアを開けた。

 台車を押す女性の背の高さに一瞬驚いたが、いつもの宅配業者が来たように装う。

 

「すみませんね。こんな大きな荷物。台車ごと中に入って大丈夫ですよ」

 

「失礼しまーす」

 

 配送員達を部屋の中に入れるとティナはドアの周囲に一瞬だけ目を配り、誰もいないことを確認してドアを閉めた。

 鍵を閉め、念のためチェーンもかける。そこで安心してティナは一息吐く。

 

「義塔さん。どういうことか説明して下さい」

 

「勿論、そのつもりなんすけど、その前に……鈴音、美樹。もう出て来て良いぞ」

 

 壮助が段ボールをノックした途端、段ボールを突き破って手が飛び出し、中の“人達”が姿を現した。

 

「ぶはぁ~。死ぬかと思った」

 

「美樹。待って。いきなり動いたら――うわぁっ! ! 」

 

 段ボールがティナに向かって倒れ、灰髪の美少女姉妹ティナの足元に転げ落ちた。

 ティナは驚きのあまり目を丸くした。東京エリアで一二を争う人気歌手とその妹が自宅に来たこと、壮助が2人を連れてきたこと、全てのチャンネルのニュースで話題を掻っ攫っている危険域感染者がここに来たこと、壮助の護衛対象を知らなかったティナは何から驚けばいいのか分からなかった。

 

「えーっと、テレビで知っていると思うんすけど紹介します。俺の護衛対象の日向鈴音、そんで、こっちが妹の美樹」

 

 床に頭を打ち付けた鈴音と美樹は額を抑え、顔を上げた。そこでティナと目が遭った。壮助から名前は聞かされていたので外国人だとは思っていたが、今の東京エリアではあまり見かけない天然の金髪とエメラルドグリーンの瞳に視線を奪われる。自分達とさほど変わらない年齢の彼女がIP序列38位のイニシエーターとは到底思えなかった。

 

「あ……」

 

 何かに気付いたのか、鈴音は小さく声を上げると、ティナの顔を見つめながら立ち上がる。ゆっくりとした足取りで近づき、ティナの顔に手を伸ばす。敵意を一切感じさせない雰囲気のせいでティナは身構えようともせず、鈴音の好きなように触らせる。

 

「あの……私の顔に何かついてますか? 」

 

 顔の骨格を確認するかのように鈴音はティナの目鼻立ち、頬、顎、首筋を一通り触れる。手でティナの骨格を理解すると鈴音はニッコリと笑った。

 

 

 

 

「やっぱり、男の子が放っておかない綺麗な方でしたね」

 

「え? 」

 

 

 

 1秒後、ティナは何のことかさっぱり分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 2秒後、彼女の髪色、呪われた子供という情報、顔に触れる仕草が記憶を呼び起こす。

 

 

 

 

 

 

 3秒後、ティナは全てを理解した。

 

 

 

 

 

 

「ええええええええええええええええええええええええええ! ! ! ! ! ! 」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ダイニングテーブルを5人で囲み、壮助はこれまでの事情をティナに説明した。

 

「―――それで灰色の盾が準備している間に俺達が先に内地に来たんすけど……先生、話聞いてます? 」

 

「いや、もう正直、色々とビックリすることが多すぎて……。浮浪児から歌姫にジョブチェンジってなんですか。アメリカンドリームですか。ここアメリカじゃないですけど」

 

「とりあえず、ピザでも食って落ち着いてくださいっす」

 

「義塔さん。確かに私はピザばかり作りますが、ピザばかり食べてる訳じゃありませんからね」

 

「ピザばかり作ってる自覚はあったんだ……」

 

 ティナの視線は完全に初対面のエールへと向けられる。

 

「で、そこの貴方はギャングのリーダー 兼 鈴音さんのストリートチルドレン時代のお友達という訳ですね」

 

「まぁ、そんなもんだよ。とりあえず、敵じゃないことだけ覚えていてくれればいいさ」

 

 エールのことも助けてくれたギャングのリーダーだと正直に紹介した。ティナは一瞬、エールに訝る視線を向けるが「義塔さんを信用することにします」と言ってすんなりと受け入れた。今こうして社会に受け入れられている聖天子暗殺未遂犯の自分を重ねているのかもしれない。

 

「それにしても、突然の侵食率48%超過に機械化兵士のギャング、それと矛盾する簡易検査の結果ですか……。確かにこの事件、怪しいですね」

 

「バラニウムボックスのこと、信じてくれるんすか? 」

 

「ええ。むしろ高価な検査機を持ち込めない環境ではポピュラーな方法なんです。世界中の戦場で見てきました。大雑把な方法なので例外もありますが……」

 

 “例外”という言葉が引っ掛かり、鈴音と美樹の表情が暗くなる。急激な侵食率上昇が否定されていない今、自分達がその例外ではないかと考えてしまう。

 

「例外と言っても、ほんの一握りです。複数の生物種の因子を持つ多重因子保持者(マルチキャリア)や既存の生物学では因子を分類できない未知因子保持者(アンノウンキャリア)、あとは非現実的な戦闘力を誇る到達者(ゾーン)、それ以外だと幼い頃からモノリスの磁場に耐えられる特別な訓練を受けた子供ぐらいですかね。いずれも数千から数万人に一人の確率です。ちなみにお二方の保有因子をお聞きしても良いですか? 」

 

 ティナに問いかけられ、美樹は恥ずかしそうに机の下で両手の指を絡ませる。「えーっと……」と言いながら、目が泳ぎ答えを渋る。

 

「エンマコオロギです」

 

 美樹の躊躇いを無視して鈴音が即答した。

 

 エンマコオロギ――バッタ目・コオロギ上科・コオロギ科に属する虫である。美しい鳴き声で知られ、日本や中国では古くから観賞用として飼育されてきた。しかし、その姿については「カッコいい」という肯定的な意見と「ゴキブリに似てキモい」と否定的な意見が上がっている。美樹が躊躇ったのもモデルとなった生物の姿を想像されたくなかったからであろう。

 

「それ以外について定期検査で何か言われたりは? 」

 

「いえ、特には何も……。目の治療で侵食率が少し高いから気を付けてぐらいしか」

 

「病院の先生に『このペースだったら200歳まで全然余裕だよ』って言われた」

 

「そうですか……。特に例外という訳でもなさそうですね」

 

 会話に耳を傾けていたエールは壮助の視線が自分に向かっていたことに気付いた。

 

「何だよ」

 

「いや、お前の保有因子って何なのかなって」

 

「知らねえよ。検査受けたことねえし」

 

 角や翼など、極端な形象の発現でもない限り呪われた子供は自分の保有因子を自覚することが無い。仮にあっても動物に関する知識が無いため、イニシエーターや保護された子供を除いて、自分の保有因子を知っている者は1%にも満たない。

 

 ティナのスマホに着信が入り、テーブルの上で震える。今度は「松崎社長(ケータイ)」としっかりと発信者が出ていた。

 

「先生。スピーカーモードにしてくれないっすか。事務所の状況を知りたいっす」

 

「分かりました」

 

 ティナは口元に指をあて、「しーっ」と静かにするよう指示した後、通話ボタンを押し、スピーカーモードにする。

 

「はい。ティナです」

 

『おはようございます。ティナさん。ニュースは拝見されましたか? 』

 

 松崎社長の昼行燈な雰囲気が声で伝わる。

 

「ええ。今、見たところです 」

 

『実はですね、先方から口止めされていたので黙っていたのですが、義塔さんの仕事相手、護衛対象がニュースに出ている日向さん達なんです。今朝から彼とも連絡が取れていません。そちらはどうですか? 』

 

 ティナが壮助を一瞥するが、壮助は首を横に振った。

 

「いえ、こちらにも来ていません」

 

『そうですか……』

 

 壮助が部屋にあったペンを取り、『警察の人来た? 』とティナにメモを見せる。

 

「警察の人、来られましたか? 」

 

『ええ。朝一に来ましたよ。義塔さんと森高さんの交友関係や最近購入した武器など色々と聞かれました』

 

「ニュースだと鈴音さんと美樹さんが逃げたとしか言っていませんが、警察は逃走に義塔さんが関与をしていると踏んでいるんでしょうか」

 

『そうですね。警察の人が言うには、義塔さんは巻き込まれたと言っていました。それと詳しくは教えて貰えませんでしたが、赤目ギャングとの関りについてしつこく尋ねられました』

 

 松崎の話を聞いてエールが渋い顔をする。スカーフェイスの襲撃があったとはいえ、現状、日向姉妹を連れ去ったのは灰色の盾だ。自分達のせいで鈴音と美樹の立場が悪化しているのではないかと気鬱になる。

 警察が鈴音と美樹を殺そうとしたあの状況でそれ以外の選択肢があったのかと言われれば、「無かった」としか言えないが――。

 

「分かりました。こっちでも情報を集めてみます。松崎さんはあまり無理しないで下さい。もう年なんですから」

 

『大丈夫ですよ。義塔くんと森高さんが毎日のようにトラブルを起こしてくれるお陰で鍛えられましたから』

 

 ティナは壮助を睨み、思い当たる節が多すぎる壮助は黙ったまま視線を逸らす。

 

「松崎さん。少し音が気になるのですが、車に乗っているんですか? 」

 

『ええ。警察と入れ替わりで大角くんが事務所に来まして、身の危険が迫っているので安全な場所に身を移して欲しいと――。千奈流さんと一緒に大角くんの車で移動しています』

 

 ガストレア討伐だけでなく様々な荒事に手を伸ばす民警企業は警察、ヤクザ、赤目ギャング、同業他社、その他諸々の犯罪組織から恨みを買うことが多い。従業員=戦闘員の天童民間警備会社では心配する必要は無かったが、非戦闘員の松崎や空子を擁する松崎民間警備会社では従業員の安全確保にも気を配らなければならない。

 壮助もティナも気が回らなかった部分に大角勝典はいち早く気づき、既に行動に移していた。年齢の差か、職歴の差か、話を聞いていた壮助とティナは自分達がまだまだ子供であることに気付かされる。

 

『大角くんが、話があるそうなので代わりますね』

 

 向こうでゴソゴソと動く音が聞こえた。

 

『スプラウト』

 

「はい」

 

 電話越しでも身体の芯から震えそうなバスボイスが聞こえ、ティナは思わず返事する。

 

『義塔から連絡があったらこう伝えてくれ。『17時までハイエナ屋で待つ』と――』

 

「ハイエナ屋ですね。分かりました」

 

 ティナが返答すると通話は切られ、スマホがアニメキャラの待ち受け画面に戻る。

 

「義塔さん。ハイエナ屋って何ですか? 」

 

「俺らが世話になっている武器売買店だよ。三途麗香っていうオバサンがハイエナみたいに死んだ民警の武器を買い取って売ってるところだ」

 

 壮助は蓮太郎のスプリングフィールドXDがその店にあり、法外な値段がついて売られていることを思い出したが、ティナの前では口を噤んだ。言ってしまえば、トランク一杯に札束を詰めて「買い取ってきます」と言いかねない。少なくとも今は勘弁してほしいという気持ちだった。

 

「先の話をしましょう。私はこれからどうすれば良いですか? 」

 

「まず鈴音と美樹を安全な場所に運びたいんすけど、先生のコネが無いと厳しいんすよね」

 

「安全な場所の目星は付いているんですか? 」

 

「勿論」と言って壮助はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「司馬重工のエクステトラっすよ。あそこなら衣食住完備しているし区画分けが厳格にされているんで人間2人も簡単に隠せる。もしバレてスカーフェイスが襲撃しても施設の武装警備員や民警がたくさんいるから数の差で迎撃は十分に可能っすよ」

 

 司馬重工第三技術開発局の本部――通称「エクステトラ」。本来は司馬重工の研究施設だが、防衛省に卸している装備の開発も携わっている関係で施設内外の警備は厳重になっており、区画分けによって情報が統制されていた。

 現に3ヶ月前、その一画では♪ティナ先生のドキドキお泊りレッスン♪と称した監禁・暴行・傷害・殺人未遂といった犯罪が毎日のように繰り広げられていたが、それが外部に露呈することは無かった。

 

「なるほど……分かりました。私から未織さんにはお願いしておきます」

 

「それじゃあ、決まりっすね。俺はハイエナ屋に行って大角さんと合流する。その後はスカーフェイスの囮になる。その間にエールはトラックにティナ先生と姉妹を積んでエクステトラに向かってくれ」

 

「義塔さん……。一人で大丈夫なんですか? 」

 

 鈴音が心配そうに声をかける。

 

「大丈夫も何もこれしか無いだろ。お前らはエクステトラに隠さなきゃいけないし、交渉するためにはティナ先生も行かなきゃならない。お前らを隠しながら移動しなきゃいけないから、エールのトラックしか移動手段が無い」

 

「で、でも……」

 

 それでも鈴音は食い下がった。壮助はこの5人の中で唯一傷を負っている。機械化兵士と言えど普通の人間である彼は治りが遅い。偽の制服や帽子の陰に隠れていたが、血の滲んだガーゼや包帯が鈴音と美樹の目に映る。

 

 

 

 このまま、彼は「大丈夫」と言いながら死んでしまいそうで――――

 

 

 

「えーっと、ティナさん? そのエクステトラってのは遠いのか? 」

 

 鈴音と壮助が作った沈黙を破り、エールがティナに尋ねた。

 

「そう遠くはありません。車で15分ぐらいの場所にあります」

 

「それなら、鈴音と美樹を預けた後、私が囮になってスカーフェイスを誘き寄せる。連中からすれば、私もスズネとミキの居場所を知る人間だし、連中のやり口を知っている厄介な敵だ。一人でほっつき歩いているところを見つければ、仕掛けて来る筈だ」

 

「大丈夫なのか? 」

 

「これでも西外周区最優の闘争代行人(フィクサー)って言われているんだ。一人でも足止めや時間稼ぎぐらい出来るさ。私達は3年かけても連中を仕留められなかったが、逆に言えば連中は3年かけても私達を仕留められなかった。1日や2日鬼ごっこするぐらいどうってことない」

 

 エールは余裕の笑みを浮かべる。彼女の強さは噂でしか聞いたことがなく、その場にいる人間の誰もが本当の実力を知らない。しかし、それが虚勢ではなく、確かな根拠に基づいた言動であると感じさせられる。

 

「お前は何も気にせず、その大角とやらと合流しろ。武器・弾薬も補充して、ギリギリまで休め。目を覚ました森高にお前が死んだことなんて言いたくねえ。それに――

 

 

 

――これ以上、スズネとミキを悲しませるな」

 

 全員の視線が壮助に刺さる。彼を心配しているのは鈴音だけではない。美樹も、ティナも、エールも、彼の死を望んではいない。その想いを彼は受け取るしか無かった。

 

 

「ああ。……頼んだ」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 警視庁本部庁舎・「日向姉妹逃走事件」特別捜査本部

 

 薄暗い大部屋に並べられた長テーブルとパイプ椅子、プロジェクターで壁に一杯に写された画面、映画館と見紛う特別捜査本部に100人の厚労省・警察関係者が集まっていた。危険域感染者の拘束は過去に例はあるが、感染者の逃亡を許してしまったのは今回が初のケースである。たった2人の少女の逃亡を許したことで東京エリアは存亡の危機に立たされている。異例とも言える大規模な特別捜査本部はその危機意識の表れともいえる。

 全員がパイプ椅子に座り、壁のスクリーンや手元のタブレット画面に目を向ける。

 

「現場から押収されたM60機関銃のライフリングから、護送車襲撃犯は赤目ギャング“灰色の盾”リーダー 通称『エール』の所有物であることが判明した。現場周辺の監視カメラでも灰色の盾メンバーが多数目撃されており、護送車襲撃犯と見てほぼ間違いないだろう」

 

「灰色の盾は護送車襲撃を計画していたということでしょうか」

 

「そうだ」

 

 スクリーンとタブレットが連動し、そこにピンク髪のふざけた表情の少女が映される。

 

「彼女は灰色の盾のサブリーダー通称『ナオ』。電子機器の扱いに長けており、愉快犯的なクラッキング、インターネット上での資金洗浄(マネーロンダリング)、コンピュータウィルスの散布など、サイバー犯罪の前科がある」

 

 パイプ椅子に座っていた男がメガネをかけ、書類に目を向けて話し始める。

 

「昨日、特異感染症研究センターのシステムに不正アクセスがあり、そこから日向姉妹を含む十数名の侵食率に関するデータが抜き取られていることが判明しました。時間帯的に姉妹の侵食率が48%を超過しているという情報も事前に入手していたと思われます」

 

「新世界教団事件と同様、形象崩壊直前の呪われた子供を用いたバイオテロが危惧される」

 

 

 “新世界教団事件”

 

 4年前、新世界教団と名乗るカルト教団が形象崩壊直前の呪われた子供を街中に放ち、ガストレア化させることで人為的感染爆発(パンデミック)を画策した事件である。凶行を事前に察知した警察が教団の施設に機動隊を投入、教祖含む31人を拘束し、ガストレア爆弾として利用される予定だった赤目の少女達を保護したことで彼らの計画は未遂に終わった。

 しかし、突入があと1日遅れていれば、彼らの計画が遂行され、東京エリアが滅亡していただろうと言われており、その恐怖は今でも社会に刻まれている。

 

 壇上には一人の男が登った。警察の制服に身を包み、帽子もキッチリと被っている。年齢は60代といったところだが、顔に似合わず体型と姿勢はしっかりとしており、実年齢マイナス20歳を維持している。全員が彼の一挙手一投足に注目する。

 

「この件の特例として、日向姉妹、灰色の盾、問わず全面的にバラニウム弾の使用を許可する」

 

 その一言が出た瞬間、一部の捜査員がどよめいた。ある捜査員は唾を飲みこんで決意を固め、ある捜査員は「マジかよ」と小声で言葉を零す。ある捜査員は鈴之音のファンなのか、涙を流し、手で顔を覆う。

 

「静かに」

 

 壇上に立つ男の一喝でどよめきがおさまり、全員が姿勢を正す。

 

「特異感染症研究センターから与えられたデータでは、姉妹共にいつ形象崩壊してもおかしくない数値とされている。現状、姉妹の形象崩壊回避や治療は難しく、仮に拘束できたとしてもセンター到着前に形象崩壊し、感染爆発(パンデミック)を起こす可能性が極めて高いと報告されている」

 

 全員が注目する中、壇上に立つ男は奥歯を噛みしめた。ここから先は警察の人間として許されざる言葉だ。奇跡が起きて、犠牲者が出ることなく事件が解決しても自分は今の地位を追い出されるだろう。

 しかし、言わなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

「君達は、罪の無い市民に向けて引き金を引くことになる。

 

解決しても罵倒され、非難され、心無い言葉を吐かれるだろう。

 

だが、それでも―――どうか東京エリアの市民の安全の為、その手を無実な血で汚して頂きたい。

 

これは私からの指示だ。

 

“形象崩壊する前に日向姉妹を射殺せよ”

 

全責任はこの私、警視総監・渡良瀬 京一(ワタラセ キョウイチ)が背負う」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 我堂民間警備会社 社長室

 

 東京エリアの一等地、タワービル上階にある社長室で我堂民間警備会社 社長 我堂 善宗(ガドウ ヨシムネ)は電話を取っていた。装飾が施され、机に固定されている有線電話の受話器を耳に当て、真剣な面持ちで聖天子との電話会談に当たる。

 

「はい。勿論、我々も事態を憂慮しております。感染源ガストレアの消失、形象崩壊直前の潜伏感染者の逃亡、共に我堂民間警備会社の総力を上げ、事態の対処に当たります」

 

『ご協力感謝致します。我堂社長』

 

「いえいえ。これが仕事ですから」

 

『はい。それでは朗報をお待ちしております』

 

 聖天子の澄んだ声を最後に通話は終わった。

 善宗は「ふぅ」と一息吐くと姿勢を崩す。表情も先程の真剣な面持ちが嘘のように崩れ、テキトーで、いい加減で、遊んでいる本来の彼に戻る。

 

「若くて綺麗な女の子とお喋りするのは大好きなんだけど、聖天子様相手だと肩が凝るなぁ~。おじさん疲れちゃったよ」

 

 拾い社長室で独り言を呟きながら善宗は拾い社長室を練り歩く。

 

 長い黒髪をゴムで束ね、無精ひげを生やした風貌、手足の長い細い体格は幽霊のように揺れ動き、それとは対照的に目はキラキラと輝いている。アイロンがけされているが何故かくたびれた印象を持たせるワイシャツとスラックス、解けて首にかかっているネクタイ、裸足にサンダルといったスタイルは彼の社会人としての品格を疑う。

 彼の兄・我堂長政が主君に仕える武人であるならば、弟・善宗は夜の街を遊び歩く流浪人といったところだろう。

 

 善宗は応接用のソファーに寝転がるとスマートフォンを取り出し、電話をかけた。

 

 

 

 「あーもしもし。おじさんだけどー。朝霞ちゃーん。 補修終わった? ちょっとお仕事頼みたいから、予定空けといてくれない? 」

 




作中ではガストレアウィルス感染爆発の危機
現実では新型コロナウィルス感染爆発の危機

同じウィルスと言っても感染経路や症状は全然違いますが、目に見えない恐怖に対峙する社会の空気や報道はかなり参考になります。
現実って、創作ネタの宝庫なんですよね。




次回「彼と彼女の第三次関東会戦 前編」

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